既往疾速③







「赤葦京治さん、心から大好きです!
   俺の傍にず~~~っと居て下さい!」


今夜はなかなか眠れないだろうな…と思っていたのに、
色々あり過ぎて疲れ切っていたお蔭で、月島家の客間にゴロリと寝転がると、
考えなければいけないことが山ほどあったのに、あっという間に熟睡していた。

寝落ちする直前に脳内に浮かんだのは、ここの天井に見覚えがあるということ、
ふかふか来客用高級布団の寝心地も、しっかりと身に覚えがあること、
そして、ここで寝る時はいつも大騒ぎで疲れ果てて即落ちだな~ということ…
何だかんだ言って、いつも楽しい気持ちに包まれて爆睡していたことだった。

   (ここは間違いなく、俺の『実家』…)


それから、この家をほんわりと包むバラの香りも、鼻が覚えている。
高貴な花の気配が漂う月島家で布団に寝転がりながら、誰かと結婚の話をした…

   (机の上に、赤いバラが…)

   確か…2本。あれ、4本だったっけ?
   俺は以前、誰かにバラを4本渡した…

何かを思い出しそうになった瞬間、体中を覆い尽くす程の、強いバラの香り。
その香りに導かれるように瞼を押し上げると、目の前に…4本のバラ。

   3本はオレンジ、1本は黄色。
   どれも艶やかで鮮やかな満開。
   棘はないが、緑の葉も美しい。

突然の光景に、目と鼻をパチクリ。
状況を把握する前に、バラの花束の向こうから、明るい声が響いていた。


「赤葦京治さん、心から大好きです!
   俺の傍にず~~~っと居て下さい!」

驚いて布団から飛び起きようとしたら、上半身しか起こせなかった…
花束を差し出していた人物が、俺の上に馬乗りになっていたからだ。

   (ちょっ、重…っ)

重いというより、ソコに乗るのは…いろいろマズいというか、潰れ…っ!!
お願いですからどいて下さい!と言う隙もなく、俺に乗ったまま悶絶し始めた。


「………っひゃぁぁぁぁぁ~~~っ!
   バラの花束で、ぷぷぷっプロポーズ…めちゃめちゃ恥かしいっ!!!」

せっかく俺からプロポーズするチャンスなんだから…って張りきったけど、
これ…死ぬほど恥かしいっ!!言いながらゴクラクにイっちゃいそうだったっ!
この『人生最大のプロジェクト』を成し遂げた、古今東西全ての勇者様方を、
俺も今、心の底からリスペクト…あーもう、ホントに死んじゃいそう…っっ!

「というわけなんで、俺と一緒にゴクラクにGO!して下さいね~♪」
「いやホント、イっちゃいそうなんで、とりあえず降りて下さい…山口君っ!」


起き抜けに『やや起き抜け』なトコに跨って、もじもじぐりぐり悶々されたら…
刺激的な目覚めに慌てて上体を起こし、勢いよく山口君を向こうへ押し退けた。
押された山口君は咄嗟に俺の腕を掴みながら、その勢いでコロンと寝転がり…
腕を引かれた俺は、逆に山口君を布団に押し倒すような格好になった。

「やだっ、赤葦さんったら…積極的♪
   でも、さすがの俺も、月島家の客間でコトをイタすほどの勇気は…えへへ♪」
「当たり前ですっ!余所だろうと実家だろうと、客間でなんて…
   黄泉の国でも竜宮城でもいいから、別のトコに…イきましょう!」

   この場を見られたら…非常にマズい。
   誤解を解くのは、実に厄介で困難…

違いますから!これはただの事故で、ヤマシイ気持ちは全くありませんっ!!
…と、俺が頭の中で、誰かさん達に対して必死にわたわた弁解していると、
山口君はニッコリ…小悪魔的な微笑みを魅せると、俺の耳元にそっと囁いた。

「それじゃあ、俺と一緒にゴクラクへ…『黄泉の国』にイっちゃいましょう♪」

早く早く!と急かされるままに着替えると、山口君は俺にバラの花束を持たせ、
代わりに俺の鞄を片手に提げ、もう片方の手で俺と手を繋ぐと、
玄関ではなく縁側から庭へ降り立ち…垣根を飛び越え、月の宮殿から脱走した。



********************




次に目が覚めた直後から、俺は全身全霊で感情を爆発させ…お説教中だ。
俺の足元には「ごめんなさい…」と頭を下げる3人の姿。

「全く、毎度毎度あなた方は…本当にイったらどうするつもりなんですっ!?」
「いや~、記憶喪失を戻すド定番って言えば、強烈なショックじゃん?」
「毎度毎度って…赤葦さん、何か思い出したっ!?やったぁ~大成功だよっ♪」

「モノには限度というものがあります!
   ここ3ヶ月分の新たな記憶も、一緒に飛んでイきそうでしたよ。」
「たった3ヶ月分であれば、大した量ではない…航空運賃も安上がりだな。」


まるで結婚式場から、ツバメとエスケープする花嫁・親指姫の如く、
山口君に手を引かれ飛ぶように走ること5分…俺達は『黄泉の国』へ到着した。

外見上はごく普通の木造二階建の住宅だが、中は人の気配も生活感もなく、
玄関脇の客間を開けると、部屋中が真っ青…文字通りに『あの世』だった。
そして、部屋の奥…青い紙が巻かれた行灯の傍に、青い服の女性が倒れていた…

   (青衣の、女人…っ!!?)

頭の中にその言葉が浮かんだ瞬間、氷のように冷たい手に、頸筋を撫でられ…
俺は驚愕と恐怖のあまり、声も上げられないまま、意識をぶっ飛ばした。

   (また…やられたっ!!)


「ねぇねぇ京治クン、思い出したっ?」
「よりによって、こんな恐怖体験…思い出したくありませんでしたけどね。」

この人達には、以前にも全く同じコトをされ、俺は『あの世』を垣間見た。
そこまでイかなくても、このイタズラに何度も引っかかり、苦々しい思いを…
月島家とは別の意味でぶっ飛ばし系…ポテンシャル無限大・山口家の皆様方だ。

「ここは、山口家の…青の部屋?」

俺の言葉に、山口家の3人は嬉しそうに微笑み…俺の頭を優しく撫でてくれた。

「お帰り~京治クン!!相変わらず説教臭くて可愛いね~♪」
「見ての通り何もない家だが…ここも君の『実家』だ。」


山口君に瓜二つのパパさん(年齢不詳)と、大学教授の山口先生(母)。
昨夏より先生の勤務先変更に伴い、現在は北欧スウェーデンに在住とのこと…

「先週、蛍くんから緊急招集…京治クンがピンチだから、戻って来て~って。」
「そうだったんだ!俺も父さん達と『バッタリ♪』で、超ビックリしたよ~」
「というわけで、再会を祝し…乾杯。」

先生の音頭で、山口家の3人は500mlの缶ビールを一呑みで空けてしまった。
しかも、肴は駄菓子の山…呑みっぷりとは真逆の可愛らしさだ。
朝っぱらから豪快な大蛇一家の勢いに、全部呑み込まれてしまいそうだったが、
俺も負けじと飲むヨーグルトを一気飲みし、3人にペコリと頭を下げた。


「俺のピンチにわざわざ駆けつけて下さったことには、心から感謝します。」

ですが…あの『イタズラ』は論外です。こんなショックで記憶が戻るわけない…
科学者たる先生が、こんなオカルトじみた手段を選択するとは、意外でしたよ。
俺が記憶喪失した原因について、科学的に考察するのが、先生の役割でしょう?

さぁ先生、ばびゅ~ん♪と俺の記憶のリカバリを…宜しくお願い致します。
俺がそう促すと、山口先生は至って平然とした表情で、予想外のことを言った。

「何を言っている。世の中はわからないことだらけだ。
   科学では解明できないことの方が、圧倒的に多い。」


確かに、『原因不明』なものを追究することが、科学の役割の一つではある。
だが科学は原因を明らかにするための、一つの『手段』でしかない。
一般的に、現代科学で証明不能…原因不明の現象を『オカルト』と称しており、
原因も治療法も不明ならば、あらゆる可能性を徹底的に探るのが、科学的思考…

例えば、箒で航空配達中の魔女に出くわし、記憶を消された…という可能性も、
科学的には十分考察対象になる…箒での飛行方法について、等々も含めてな。
ちなみに飛行機が飛ぶ仕組みも、箒と同様…現代航空力学でも未だ不明だよ。

「お父さん…例のモノを。」
「はいは~い♪」

空中を浮遊するように、音もなく廊下からスーっと再登場したパパさんは、
まるっきり宅配業者の魔女っぽく、庭用の竹箒に跨っていた。
本日のお届け物は、何らかの荷物ではなく、『箒そのもの』であるらしく、
パパさんは部屋の真ん中に箒を置くと、代わりに山口君がそこに跨って座った。


「箒は、俺達みたいな『正式ではない』結婚の儀式には、欠かせない存在…」

もし赤葦さんが、俺のプロポーズを受け入れてくれるなら、
俺と一緒にこの箒で愛の逃避行…じゃなくて、箒に跨って貰えませんか?
『箒を跨ぐ』ことで、俺達の『結婚』がばびゅ〜ん♪と成立しますから!

「ほうきを、またぐのが…結婚?」

山口君が言ってることの意味が、俺には全く見えてこなかった。
箒と結婚の関係と言えば、結納品の高砂人形…姥が持っているモノ、だろうか。
高砂人形の尉と姥は『相生の松』で、新郎新婦を繋ぐ存在…
松は確か、桃と同じく『境界』を表す木だったはずだ。

おそらく、俺が今まで皆と『酒屋談義』をした話を繋げれば、見えるのだろう。
だが、未だに記憶のほとんどが曖昧で、靄がかかったように見通せない…
記憶喪失『前』の俺と『後』の俺が、境界線上でせめぎ合いをしていた。

そんな俺の靄を掃うように、澄み切った声が青い部屋に響き渡った。


「魔女の語源は『垣根の上の女』だ。」

垣根や城壁に囲まれた、ヨーロッパの家や都市の構造からすると、
人は垣根の『内』の存在であり、『外』は死者の世界…垣根は『境界』を表す。
つまり『垣根の上の女』は、生と死の境界…この世とあの世を繋ぐ存在なんだ。

「即ち、魔女が『飛ぶ』とは、垣根…境界を飛び越えることを意味する。」


ギリシャ神話に登場する、魔術と豊穣の女神・ヘカテーは、
八岐大蛇又は人魚に似ている、ラミアの母と呼ばれる冥府(あの世)の女神だが、
この魔女に仕える巫女(産婆)のシンボルが、箒だったそうだ。
子どもが産まれると、悪霊が家に入って来ないよう、巫女は箒で入口を掃いた…
箒は出産と受胎、そして性的結合を象徴するものと考えられている。

「中世ヨーロッパにおいて、『正式な結婚』とは教会で行うものだが、
   農民等は教会法に属さず、昔ながらの『正式ではない』結婚をしていた…」

それが『箒を飛び越える』という婚姻儀式で、これはジプシー達だけではなく、
19世紀のアメリカの黒人奴隷達も、何故か同じ儀式をしていたそうだ。
海も時代も飛び越え、世界規模で箒は結婚…性的結合と深い関わりが見られる。

   (日本の安産祈願のお守りも、箒…)


「一般的な『魔女が箒に乗る格好』のイメージについて、
   赤葦君は力学的に違和感を覚えたことはないか?」

山口先生の問いに、海と時空の彼方へ飛びかけていた意識が引き戻された。
魔女は箒の『柄』に跨り空を飛ぶイメージだが、確かにこれはおかしいのだ。
魔女が箒の『上』に乗ることもだが、それ以上に力学的に問題があるのは…

「何故わざわざ『柄』に乗るのか…そこが一番奇妙な点ですよね。」

箒自体の重心は『柄』ではなく、竹を束ねた『本体』…掃く部分に近い所で、
箒と魔女の重心をできるだけ近付けることで、両者のバランスを取り易くなる。
また飛行中には、空気抵抗等の力を魔女との接触面が受けることになるため、
硬い棒状の『柄』に跨るより、重心に近く柔らかい『本体』に座った方が、
ずっと安定するし股間も安心…航空力学的には『柄』に乗る理由は全くない。

「科学以外の理由で、魔女は『柄』に跨らなくてはならなかった…」

箒の柄をむぎゅむぎゅ握り締めながら、その理由を必死に考えていると、
「その手付き…何かヤらしい~♪」とパパさんが笑い、話を別次元に飛ばした。


「京治クンは『竹馬(たけうま)』って、ヤったことある?」
「え?竹馬なら、子どもの頃にやったと思いますけど…おそらく、ですが。」

竹馬は、2本の竹(棒)に足場をくくり付け、そこにつま先を乗せて、
竹を持った手と足を同時に動かして歩くという、昔ながらの遊びである。
記憶はないが、こうしたスポーツ的なモノは大抵ヤっているはず…

「竹馬には、1本の竹…柄の先に馬の頭を付け、跨って遊ぶのもあるんだよ。」

春の訪れを祝う…冬と春の境界に行われる祭で使われる『春駒』がそれだ。
この『馬の頭を付けた箒(竹)に跨る』タイプの竹馬も、海と時代を飛び越え、
中世ヨーロッパの子ども達も、全く同じ乗馬遊びをしていたそうなのだ。


「魔女のように箒(竹)に跨り、馬に乗る春駒…同じ名前のお菓子があるんだ。
   鹿児島の郷土料理『うまんまら』…この黒糖味麩菓子に激似の黒い棒だよ~」
「『うまんまら』って…そのまんま『馬のマラ』だよね~♪
   つまり、箒の『柄』はアレの象徴ってコトになっちゃうんだね。」

捻りも何も、考察の必要すらない、どストレートな答えに、
俺はずっと『にぎにぎ♪』していた箒の柄をポトリと取り落とし…
空いた手の中に、パパさんが『うまんまら』風の黒い棒をスポッと捩じ込んだ。

「箒のカタチをした『男根神』もある…魔女が跨っているのも、ソレだな。」
「箒イコール、男根神っ!?」
「これぞ、受胎と性的結合の象徴っ!」

魔女は空を飛んで行く道具として、箒に跨っているのではなく、
箒に跨ることで『トんでイく』…だから『柄』に乗らなければならないのだ。
世界中で箒がやけに大切にされている理由が、はっきり浮かび上がってきた。


「では、実際に魔女がどうやって箒で空を飛んでいたか…伝承はこうだ。」

魔女が箒に乗る際、柄に『魔女の軟膏』という秘薬…別名『飛び軟膏』を塗り、
その秘薬を塗った上に跨ることで、魔女は飛ぶ力を得ていた…と。
さらに『飛び軟膏』を使う時には、魔女は一糸纏わぬ姿となり、
箒の柄だけではなく、全身に満遍なく軟膏を塗りたくっていたそうだ。

「『飛び軟膏』で森へ飛んで行き、悪魔とサバト…乱交パーティするんだよ〜」
「乱交用のトぶクスリって、そのまんますぎ…春の祭にも相応しいよね〜」


『飛び軟膏』には、魔女によって様々なレシピがあるようだが、
主な原材料は、子どもの四肢の脂、トリカブト、ベラドンナ、蜥蜴に蠍、
赤と黒のケシや馬のマラ等を大釜に焚べて、ドロドロに溶かして製造する。

「アルカロイド等の毒性たっぷり…その代表的な症状は、『幻覚』です。」
「それらの毒が見せる幻覚の中で最も多いのが、『空を飛ぶ』ものだな。」

魔女は魔法やクスリを使って、『空を飛ぶ』幻覚を周りの人に見せるそうだが、
一番その幻覚を見ていたのは、他でもない魔女自身だということになる。

「『空を飛ぶ夢』は、性交を暗示するって言うのも…成分的に納得だよね。」


子どもの脂を溶かしてエネルギーにしていたから、魔女狩りされたんですね…
と言いかけた俺は、この飛行動力源?があるものとほぼ同じことに気付いた。

生き物の死骸をドロドロに溶かして、それをエネルギーにして飛ぶ…
元は生物の死骸である『化石燃料』…それがドロドロになったものが、石油だ。
死骸をエネルギーにして、科学的に未解明な方法で飛行すると言う点では、
飛行機も魔女も変わらない…幻覚ではなく、明らかな共通点である。

   (共通点と言えば、他にも…)

箒はハハキ、魔女の始祖ヘカテーも蛇。春の森で乱交…まるっきり『歌垣』だ。
『垣』の字は、土地の神を祀る柱状の土と、ぐるりと旋回する(廻る)象形。
垣根と、とぐろを巻いた蛇、そして魔女が空をぐるりと回る姿が、脳内を廻る…


手元の駄菓子を咥えながら、青い天井を茫然と見上げて考察に耽っていると、
いつの間にか半立ちになっていた山口君が、微妙な表情で俺を見下ろしていた。

「相変わらずヤらしい…『太くて長い』モノの咥え方ですね〜」
「京治クン、その食べ方は…かなり如何なモノかと思うよ〜?」
「ただの麩菓子が誰かの『うまんまら』にしか見えんな。」

あ、その頬をカッと染めたカンジ…めちゃくちゃエロいですよ〜パシャっとな♪
件名は『竹馬(ちくば)の友がトんでイく☆忠&京治の巻』…はい、送信完了〜♪

「や、山口君っ、一体、ナニを…っ」
「俺がガッツリ赤葦さんに求愛して、箒の柄を…っていう、証拠写真だよ~♪」
「ひゃぁぁぁ~~~っ!忠のアレを、京治クンがっ!?風のエロ画像だね~♪」
「『黒い』棒なのが、程好いモザイクだが…『袋とじ』必須なグラビアだな。」

これこそ、誤解されたら申し開きなんて不可能…とんでもない魔女裁判になる。
山口君にとってホンモノの『竹馬の友』が、溺れるぐらい号泣するだろうし、
それ以前に、そんなエロ写真を曝されたら、俺はもう…お嫁にイけないっ!!


この部屋以上に真っ青な顔で、酸欠の魚みたいに口をパクパク開閉していると、
(麩菓子は全部奥までキレイに呑み込みました。)
横から放られた別のエサで、開いた口をさらにポカンと開けっ放してしまった。


「ここから導かれるのが…桃太郎の御供が猿雉犬な理由だよね~♪」



********************




「なっ、何を、言って…?」
「赤葦君は、その謎を探るために、この『黄泉の国』へ来たんじゃないのか?」

確かに、昨日月島家で桃太郎の御供について考察したし、
陰陽五行説等に基づく猿『鳥』犬ではなく、猿『雉』犬な理由については、
結論をお取り置き…『黄泉の国』で別視点から考えようとは言っていた。
だがその別視点が、まさか『魔女と箒』だなんて…さすがにぶっ飛びすぎだ。

桃太郎云々の話を聞いていなかった山口君も、この飛躍には驚いたらしく、
キョトン顔でスモモが漬けてある赤桃色の駄菓子を、ツルリと飲み込んだ。


「『うまんまら』が馬のアレっていうぐらい、実はわかりやすい名前…
   そのまんま素直に読めば、猿雉犬が誰だかわかるよ〜」

箒は受胎と結合(和合)を表す男根神で、しかも境界に存在している…
これと全く同じモノを、君達もよく知ってるはず…特に忠は大〜好きだよね♪

「和合を表す、境界上の男根神…道祖神だよっ!!」
「その道祖神と同一神と考えられる、公共事業に欠かせない夫婦神は?」
「八衢比古神(やちまたひこ)と八衢比売神(やちまたひめ)…
   つまり、猿田彦神(さるたひこ)と天鈿女命(あめのうずめ)だね!」
「天鈿女命は猿田彦と結婚し、『猿女』に…鎮魂祭の演武を担う巫女だ。」

鎮魂を目的とする舞が『能』…江戸時代までは『猿楽』と呼ばれていた。
猿楽師はあの世の者だったから、あの世とこの世を結ぶ鎮魂の舞を奉納できた…
天照大神を天岩戸から引き摺り出した、天鈿女命の姿と重なる。

「境界上で『和合』を司る猿田彦と、二つの世界を繋ぐ巫女舞の猿女…
   同様に境界上に位置し、黄泉の世界と繋がる『きじ』と『いぬ』が居る。」
「きじは『木地師(きじし)』で、いぬはそのまま『鋳奴(いぬ)』…
   いずれも『あの世』とされた、タタラ従事者…『まつろわぬ者』だよね。」

木地師とは、ろくろを使ってお椀や神器等を作る木工職人だ。
ろくろも製鉄には欠かせない技術だったが、タタラが廃れて木地師は山を下り、
麓の『湯』…温泉地で作り始めた木工品が、温泉地の定番『こけし』である。
鋳奴は文字通り、ドロドロに溶かした金属を型に流し込む鋳造に携わる者だ。


猿雉犬は境界上の動物であるから、桃太郎の御供としてあの世の鬼へと導いた…
この説が正しく、桃太郎神話が実在した者達をモデルにしていたとすると、
鶏ではなく雉が選ばれた理由も、十分納得できるのではないだろうか。

「ちょっと待ってよ!桃太郎は猿楽・木地師・鋳奴を御供にして、鬼退治…?
   それって、普通に考えたら絶対におかしいよね!?だって、つまりは…」

愕然と声を震わせる山口君。
この感じ…俺にも覚えがある。全く同じような話と結末を、俺達は知っている…


クリアになり始めた視界。
靄が晴れ、桃太郎の行く『道』の先が、あと少しで見えてきそう…
湯が沸き出るように、今まで皆と考察してきたことが、脳内に溢れ出す。

   (頭の中が…溺れ、そう…っ)

思考と記憶の波に呑み込まれ、意識ごと全部飛ばされそうになっていると、
大蛇夫妻が両側から俺の肩を抱き、こちら側へと引き戻してくれた。


「この先については、また別の視点から見てみるといい。
   桃太郎と猿雉犬の『実在のモデル』となった人物達が行ったこと…」
「それから、『桃太郎』っていう昔話の根本的な違和感…だね。」

私達…境界線上の大蛇一家が、赤葦君を導くことができる『道』は、2つだ。
忠の求婚を受諾し、共に箒に跨り『トんでイきまくる』楽しい人生か、
箒ではなく飛行機に乗り、私達と共に境界線を飛び越えて行く…という道だ。

「君は元々、建築系の人間…同じ世界に属す私達の所に来るのも、大歓迎だ。」
「国内に居たら、ツラい記憶を思い出しちゃうかもしれないけど…
   国外にトんで新しい道を行けば、その恐怖からは逃れられるよ?」

山口夫妻から提示された『道』は、全く考えもしないものだった。
だが、記憶を失った俺の存在が、これ以上誰かを傷付けることもない道…
俺のせいでツラい思いをしている人達にとっては、救いとなる道かもしれない。

   (元々の俺とは、違う道を行く…?)


「君の記憶が戻る可能性はゼロではないが、戻らない可能性も同様に然り。」

原因も治療法もわからない…どうにもできないことは、世の中にたくさんある。
ならば、わからないことはそのまま『わからない』ものとして受け入れ、
新たな道を模索していくこと…これも科学的な『道』なんだ。

「記憶が戻らない京治クンでも、僕達は全然構わない。
   悩みも葛藤も全部…僕達大蛇が一緒に『かか呑み』してあげるよ。」

とことんまで原因と解決法を追究することだけが、取り得る手段ではなく、
不明なことは不明だと認め、先に進むことも大事…
山口夫妻の力強い言葉に、俺を覆っていた靄がすっかり消し飛んでいった。


チラリ…と、山口君に視線を送る。
すると山口君は、泣きそうな表情を一瞬で引っ込め、
その代わりに、バラの花束を再度俺に差し出し…晴れやかな笑顔を見せた。

「こんな状況なんだもん。もう…割り切って楽しむしかないですよねっ!?
   俺はもう、昨日の段階でぜ~んぶ吹っ切った…トんじゃいましたから♪」

記憶が戻ろうが戻るまいが、これからたくさんの困難に直面すると思います。
だけど、たとえどんな『道』を選んだとしても、赤葦さんが幸せになれるなら…

「俺はその道を、受け入れます!」




********************




「ただいま戻りました。」
「おう、おつかれさん。」


音のしない事務所で黙々と仕事をしていると、ツッキーが静かに戻って来た。
どこへ行っていた…?と、聞くべきか迷う前に、行先がわかった。
机の上に、ポンと置かれたお土産…俺の大好きな仙台の牛タン弁当だった。

「どうせお昼も…まだなんでしょう?」
「まぁな…じゃ、一緒に飯にすっか!」

キリの良い所まで仕事を片付けている間に、ツッキーは熱いお茶を入れ、
温め直した駅弁とインスタントみそ汁も添えて、応接テーブルに並べてくれた。

「そっちは牡蠣か…美味そうだな。」
「一つなら、交換してあげますよ?」

最初の一箸目に、牛タンと牡蠣を摘み上げ、お互いに「あ~ん。」と交換。
そのまま暫く黙々と食べていたが、努めて躱し合っていた『チラ見』の視線が、
半分食べたあたりで遂にぶつかり…当たり障りのない『様子見』に切り替えた。


「月島家の面々は、変わりなくお元気だったか?」
「お陰様で。ちょっとは変わって欲しいぐらい…無駄に元気でしたよ。」

今回の帰省は、今までとは全然違う。
それでもなお、これまでと全く変わることなく、赤葦を受け入れてくれた…
いや、相変わらず好き放題振り回してくれたことだろう。
ツッキーの呆れ顔(に見せかけた笑顔)からそれを感じ取った俺は、頬を緩めた。

「黒尾さんの方も…ようやく動く気になったみたいですね。」
「あぁ…お陰様でな。」

綺麗に片付いた、俺の机。
修羅場の残務を整理し、その他の細々とした雑務をこなしていたこと…
これから大きく動くために俺が準備していたことを、ツッキーは察したようだ。

恐怖で動けなかった俺に発破を掛け、行動を起こしてくれたのは、ツッキーだ。
昨日の山口以上に、ツッキーは俺のためにツラい思いをしてくれたはず…
そのことをきちんと詫びて、感謝を伝えようと口を開きかけたところ、
俺が言うのを遮るように、ツッキーは静かに語り始めた。


「黒尾さんの取った選択は…間違ってなかったと、僕自身は思ってました。」

突然の救急搬送に、昏睡。そして記憶喪失…赤葦さんを守るのが最優先でした。
僕が黒尾さんの立場でも、きっと同じことをしたと思います。

記憶喪失の原因を思い出してしまうと、赤葦さんが傷付いてしまうかもしれず、
その結果、今以上に赤葦さんが壊れてしまう恐れもあった…
赤葦さんの『世界』から、僕達の存在がまた消えるかもしれなかったんです。
そんな恐ろしいこと…僕は絶対に耐えられませんから。

だから、黒尾さんだけでなく、僕達も赤葦家のぱぱ&ままさんも、
第一には『赤葦京治のため』に、喪失以前のことを教えない選択をしました。


でも、赤葦さんに僕達の『本当のカンケー』を告げないことで、
赤葦さんではなく、僕達の方が先に壊れそうになってしまった現状を見て、
この道を行き続けるのは限界…実は最初から間違ってた可能性に気付きました。

   記憶喪失の原因はツラいもののはず。
   思い出したら赤葦さんが傷付くかも。
   だから赤葦さんのために、教えない。

「もしかして、これらはただの『思い込み』だったかもしれないんです。
   僕達が『良かれ』と思ってやったことは、赤葦さんにとってマイナスかも…」


似てませんか、この状況…
地上へ流されていたかぐや姫が、『贖罪を終えた』とみなされて、
穢れた地球の記憶はツラいものに違いない…と、一方的に思い込まれてしまい、
かぐや姫がこれ以上傷付かないように、月の住人達は心底『良かれ』と思い、
かぐや姫から地上での記憶を消してあげた…ありがた迷惑な悲劇的結末に。

『良かれ』と思ってしたことが、必ずしも相手にとって『良い』とは限らない。
『良かれ』というのは、こちらの一方的な思い込みですからね。
特に悪事を働いたわけでもないのに、勝手に鬼退治に出掛けた桃太郎と同じく、
行き過ぎたお節介は、迷惑どころか…残酷な結果を招くこともあり得ます。

「もし僕がかぐや姫なら、そんな『超絶お節介』なんて、絶対に御免です。
   だから僕は、ここで道を変えようと…行動を起こしました。」


勿論、記憶を取り戻した赤葦さんが深く傷付く可能性がありますから、
それ相応の覚悟が必要…自分も同じぐらいツラい思いをすべきだと思いました。
何よりも、僕以上に頑固で一途で臆病でデレ甘なムッツリ野郎を動かすには、
黒尾さん本人ではなく、激可愛い部下達がツラい思いをした方が…効果的です。

「自分がどんなにツラくても、あなたは耐え続けるでしょうけど、
   僕と山口が悲しみ泣き崩れる姿には…動かざるを得ないでしょう?」

赤葦さんを…4人での生活を守るという大きな目的を果たすためには、
僕達自身の大切なものを、犠牲にしてもいい…するしかなかったんです。

「これが、僕の仕組んだ…『一寸法師作戦』です。」


ツッキーは一気に話し終えると、弁当のご飯をガツガツと掻き込み、
頬に付いた米粒を、最後に指先で掴み…大事に大事に咀嚼した。

ツッキーの思慮と愛情の深さに打たれた俺は、ただただ黙って聞き入るばかり…
言葉を継ぐことすらできず、込み上げるものを必死に堪えていた。
箸を握り締めたまま項垂れる俺に、ツッキーは優しい声で問い掛けてきた。


「黒尾さん。赤葦さんの平熱…何℃ぐらいですか?」
「は?多分36℃台…って、当たり前だよな。」

突然、何を言い出すのだろう?
ツッキーの真意を計りかね、俺は大人しく話の続きを待った。

「僕と山口は、長~~~い付き合いですけど、詳細は未だに不明…
   おそらく36.25℃~36.85℃の間、平均で36.55℃あたりだと思われます。」

ごく簡単に測定でき、数値として明確にわかる『山口の姿』のはずなのに、
僕ですらその程度しかわからない…ざっくりとしか把握できていません。
それでは、まだ付き合い始めてから実は2年も経ってない黒尾さんが、
『元々の赤葦京治』のことを、一体どれだけ知っているというんですか?

「失くした記憶なんて、実は大した量じゃないんですよ。
   これからの長い人生で刻んでいく記憶の方が、ずっと多いんですから。」

細かい記憶なんてなくてもいい。『平熱は36℃』程度のファジーさでいい。
それよりも、これから一緒に記憶を作り続けること…一緒に過ごすことの方が、
既に失くしてしまった記憶よりも、守っていくべきものじゃないでしょうか。

「喪失したわずかな記憶よりも、これから作るたくさんの記憶…」
「僕と山口だって同じ…お互いに知らないことも、たくさんありますよ?」


ツッキーの言葉は、俺に36℃以上の温もりをもたらした。
既に失ってしまったものと、これから失いそうなものばかりに気を取られ、
新たに作り上げることに関して、全く考えていなかったからだ。

   (赤葦のこと…そんなに、知らない。)

ツッキーから貰った熱で、温かく軽く上昇し始めたココロ。
俺は久しぶりに『笑顔』の表情筋を動かし、ツッキーに向き直った。


「俺も赤葦の体温を毎朝測って…って、山口のはやけに詳細じゃねぇか?」
「データーは出来る限り正確に…山口家は伝統的に『婦人体温計』利用です。」

何とまぁ、山口先生らしいというか…
ツッキーと顔を見合わせ、プッと吹き出した瞬間…同時にスマホが鳴った。


「噂をすれば、山口…はぁぁぁっ!?」
「僕も同じ…えーーーっっ!…………」

山口から送られてきたメールに絶句…ツッキーは一旦顔を真っ赤に染めた後、
今度は真っ青に…ふら~りと後ろへ昏倒しかけ、俺は慌てて支えた。

「しっかりしろ!って、これは一体、どういうことだ…っ!?」
「山口も、赤葦さんに…求婚して…っ」

何やかんやすっ飛ばして、二人は行くとこまでイってしまった…
それを余すところなく激写した、二人の熱愛(情事)真っ只中の写真だった。


「くくくっ、黒尾さんがあーだこーだとウダウダしてたせいで…
   山口が極端な道にぶっ飛んでイっちゃったじゃないですかっ!!」
「待て待て!お前らは共謀して『一寸法師作戦』したんじゃねぇのかっ!?」

そう言いながら、ツッキーが一人で勝手に突っ走ったことを、俺は悟っていた。
これぞ月島家の伝統…月島父と同じように、次男坊は伴侶に内緒で動いたのだ。
つまり山口は何も知らされないまま、いきなり離婚届を渡されたことになる。

「馬鹿野郎…これは『山口大激怒』の、証拠写真じゃねぇのかっ!?」
「勝手に動いた僕と、ずっと動かなかった黒尾さんへの…『お仕置き』です!」

まるで靄に包まれたように、頭の中が真っ白に…
だが、のんびり考察したり苦悩したり、意識を飛ばしているヒマは…ない。


「まままっマズい!このままだと山口…どこまでも破壊し尽しちゃうかもっ!」
「もし赤葦にも『飛び火』したら…手に負えねぇぞっ!!」

36℃を下回りそうなほど熱を失い、ガクガクと震えるカラダ。
お互いにしがみ付きながら、何とか奮い立たせ…二人は事務所から飛び出した。




- ④へGO! -




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※バラの花が部屋に2本 →『結終結合
※バラを4本誰かに… →『薔薇王子
※山口家のイタズラ →『夜想愛夢⑥
※青の部屋 →『夜想愛夢⑦
※魔女について →『再配希望⑨
※ラミアについて →『円形之水
※太くて長いモノの… →『長短太細
※山口家の体温計 →『心悸亢進


それは甘い20題 『18.36℃』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2018/01/19   

 

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