「今日は一人です。山口は高熱により休みです。」
「そうか…お大事にな。お前も今日は、早く帰ってやれよ?」
先日の苦い経験から、僕は尋ねられる前に、事情を説明した。
担任には山口の親から連絡が行っていたはずだが、
クラスの人間や、各教科の担当教師、そして排球部…
前回とは比較にならない大人数に対し、同じ説明を一日中繰り返した。
そして、返って来る言葉も…ほぼ似たり寄ったりだった。
最初の3回までは、「僕は山口の家族じゃないんですけど…」と、
「さっさと帰れ」「今日ぐらいは大事にしてやれよ」に反応していた。
4回目を超えてからは、それも面倒になってしまい、
「ありがとうございます」と、機械的に返礼するに止めた。
山口のいない一日を過ごしてみて、判明したことがある。
僕が行う会話の8割が、山口に対してである…ということだ。
残り2割は、家での業務連絡、授業中に当てられた時、そして部活だ。
山口以外にこんなに口を開いたのは…記憶にない。
今日だって、先制して事情説明するという目的がなければ、
相手から問われない限り、ほとんど口を開かなかっただろう。
そして…メールを含め、山口と会話しなかった日も…記憶にない。
これでは、皆から『セット扱い』されるのも、無理からぬことだ。
『単品』になってみて、初めて自分達の『セット具合』を自覚した。
(さて…どうしたものやら。)
過剰な『心遣い』により、ミーティングも後片付けも免除された僕は、
山口宛に言付かった少量の配布物と、大量の『お大事に』を抱え、
まだ陽が落ちる前に、一人でのんびり、無言の帰路に付いていた。
僕としても、こんな居心地の悪い日を過ごすのはもう御免だし、
早々に山口が回復することを、素直に願っている。
だが、僕がしてやれることなど…ほとんどないではないか。
見舞いに行っても、邪魔になるだけだ。
玄関先で、おばさんに配布物等を渡して、すぐ帰ろう。
…そう決めて、僕はコンビニに立ち寄り、山口家に向かった。
あったかくて…柔らかい。
薄く目を開けると、優しく微笑んだツッキーが、俺の頬を包み、撫でてくれていた。
あぁ、そうか。これは…
「この前の…『夢』の、続き…?」
撫でられる心地よさに、自然と頬が緩む。
「『夢』のツッキーは…ホントに、優しいね…」
「それじゃあまるで、現実の僕は優しくないみたいじゃないか。」
笑いながら、ツッキーは答える。
「そうじゃないけど…こんなに優しく微笑むツッキーは…やっぱり、『夢』…なんだろうなぁって。」
「『夢』だね、間違いなく。僕は今…マスクをしてるんだから。」
ぼやける視界が、少しずつクリアになってきた。
柔らかく微笑んでいたはずのツッキーの顔…下半分は、『白』だった。
どういうことだろう…?考えてみようにも、全く頭が働かない。
「これは、『空間補完効果』だろうね。
絵や記号、模様等の欠損部分を、脳が勝手に補い、
一つの『形』として認識…補完する作用だよ。」
つまり、隠れている部分を、自分が勝手に想像している…ということだ。
マスク常備の歯科衛生士さんがみんな美人に見えるのも、
フルヌードよりも着エロの方がなんか余計にエロく見えるのも、
全部同じ…脳の『空間補完効果』の作用ということになる。
「そっか…『笑ってるツッキー』は、俺の勝手な想像…
俺が、『こうあってほしいな』っていう願望…『夢』なんだ…」
「っ…!?そ、そういうコト、かもしれない…ね。」
「!?冷たっ…あ、あれ?ホントに、ツッキー…?」
額に突然触れた、冷たい感覚。
一気に視界と脳内が開け、俺は夢から現へと引き戻された。
『夢』だったはずのツッキーが、ベッドの横に居た。
「そのままでいいから。大人しく寝てなよ。」
起き上がろうとする俺を、ツッキーは抑えた。
「手遅れかもしれないけど…風邪、うつっちゃうよ…?」
「一応予防のために、マスクをしてるけど…学校でも流行ってるから。
きっと、もうとっくに感染してるだろうね。」
「そう言ってもらえると…俺も、気が楽かも。」
「とは言え…おばさんが帰ってきたら、僕もすぐに帰るから。」
山口家のインターホンを鳴らすと、おばさんは心底ホッとした顔をした。
そして…「蛍君、ナイスタイミング!!」と、家に引っ張り込まれた。
足りなくなったものを買いに行く間、看病と留守番を頼む!…と。
「また母さんに、『任務』を与えられちゃった…?」
「まあね。隊長の命令は絶対。」
ウチの母親は、どういうわけだか、やたらとツッキーの扱いが…巧い。
小さい頃の『秘密部隊ごっこ』の名残だと思われるが、
ウチに来る度に、隊長…母さんに様々な『任務』を与えられ、
意外とノリの良いツッキーは、それを嬉々として遂行するのだ。
ツッキーのようなタイプには、『任務』という口実がある方が、
ずっと『楽しくお手伝い』できる…それを熟知してのことだろう。
「ツッキーと母さん…ホントに仲良しだよね。」
「この世で僕が一番…敵わない女性だろうね。」
ツッキーにそこまで言わしめるとは…
我が母とは言え、少々恐ろしいような、羨ましいような。
「あと、机の上に、配布物と…ノートのコピーを置いといたから。
クラス及び排球部の30名程度から言付け…『お大事に』だって。」
「ゴメン…ツッキーに、いっぱい迷惑かけちゃった…」
「迷惑じゃない。面倒だっただけ。そういう時は…?」
「あ…ありがとう、ツッキー。」
お礼を言うと、ツッキーは頭をポンポンとしてくれた。
口元は見えないけど、すごく優しい…目をしていた。
***************
ちょっと待ってて、と言って部屋を出たツッキーは、
しばらくすると、色々なものを抱えて戻ってきた。
「清拭の続きをするから。じっとしといて。」
「せいしき…?」
「病人の体を、タオル等で拭き、清潔を保つこと。」
「え…、い、いいよ、そんなっ…」
遠慮しようとする俺の口に、ツッキーは何か突っ込んだ。
「体温、計ってて。舌の下側に挿んで。」
有無を言わさず口を封じたツッキーは、
ビニール袋から温めたタオルを取り出し、上着のシャツを剥いだ。
スマホで何やら確認すると、乾いたバスタオルを肌に掛けた。
「心臓の方に向かって…優しく撫でるように…」と呟きながら、
指から掌、手から腕、そして肩へと、丁寧に拭き始めた。
さっきの『夢』は…ツッキーが、顔や首を拭いてくれてたんだ。
熱による汗で、体中がベタベタして、凄く不快だったから、
温かいタオルで拭いて貰えると…サッパリして本当に気持ち良い。
両腕を拭き終わると、口の中から電子音がした。
「38.52度…」
「やけに詳細な数値だね…ちょっと見せて。」
ツッキーは体温計を受け取ると、納得したように頷いた。
「これ…婦人体温計だよ。小数以下2位まで計測できるんだ。
ちなみに、今日の山口は…『高温期』だね。」
「比較的安全日…じゃなくて、ただの『高熱』だよね。」
これしかなかったのかもしれないけれど…
息子の体温を、コレで計るのは…いかがなものだろうか。
先日の話題もあり、少々恥ずかしく思っている俺とは対照的に、
ツッキーは詳細データが取れる体温計に、いたく感心していた。
上半身前面を拭き終えたツッキーは、俺を横向きにした。
今度は、背中を拭いてくれるらしい。
「らせんを描くように、マッサージをするように…」
たぶん、『介護の基礎知識~清拭編』的な手順書を見ながら、
ツッキーは忠実に、任務を遂行しているのだろう。
真剣に作業してくれているツッキーには申し訳ないけど、
されるがままの俺は、何か話してないと…ちょっと気まずい。
ツッキーのことだ。『手順通り』に、任務を完遂する。
俺の遠慮だとかは、一切関係ない。有無を言わせず…やり遂げる。
ということは、背中が終わると…
俺は意識を逸らせるために、話をふった。
「きょ、今日の授業…何か面白い話はあった?」
「そうだね…今の山口の状況に合うのが、ひとつあったかな。
化学でやった…『発熱反応』だよ。」
発熱反応とは、エネルギーを熱などによって『系外』へ放出する化学反応で、
燃焼や酸化、電池の放電、酸とアルカリの中和などが挙げられる。
「酸と塩基が交わると、塩と水を生成する…これが中和だ。
授業でやったのはコレだけど…説明する?」
「いや…これ以上、脳に発熱反応は…マズいかな。」
折角の説明も、全く頭に入ってこない。
やっぱり、まだ熱が高いみたいだ。
背中に、バスタオルが掛けられる。
腰から下を覆っていた布団が、足元まで下げられると、
何の躊躇いもなく…ズボンと下着も剥ぎ取られてしまった。
「っ!!」
「ちょうど横臥状態だから…臀部もやってしまおう。」
足元まで下げてあった布団を、再び太腿あたりまで掛けてくれる。
できるだけ冷えないように…という心遣いも嬉しいし、
円を描くように、マッサージしながら拭かれるのも…
「…気持ち良い。」
「それは…よかった。」
熱があって、本当によかった。
脳が発熱反応を起こしていなかったら、爽快感よりも羞恥心が勝ってただろう。
拭き終えたツッキーは、一度布団を腰まで掛け直すと、
俺を仰向けに戻し、新しいシャツと上着を着せてくれた。
今度は足の方の布団を捲り、片足の膝を立てた。
「それじゃあ…中和反応で生成される『塩』繋がりで、
食欲のわきそうな話…これなら、頭使わなくていいかな?」
「うん…それがいいな。」
足の指、甲、踵、ふくらはぎ…
こちらも、心臓の方に向かって、徐々に上がってくる。
「古代ローマでは、兵士の給料として塩が給付されていた。
ラテン語で『sal』…英語の『salary(サラリー)』の由来だね。」
「塩イコールお金…だから、『敵に塩を送る』が、援助って意味なんだ…」
川がない地域…瀬戸内では、稲作に十分な水が確保できない。
そのため、江戸時代の年貢には、米の代わりに塩を納めていた。
『米一俵・塩一俵』…米と同じ価値を持つのが、塩だ。
「食品に関する言葉には、塩を語源とするものがたくさんあるよ。
ラテン語由来だけでも、『サラダ(salad)』『ソース(sauce)』
『サルサ(salsa)』『サラミ(salami)』に…『ソーセージ(sausage)』」
両足とも、サッパリした。
残るは…最も『サッパリ』もしくは『スッキリ』が必要な部分。
腰部分にまとめてあった布団を、膝下に移動させる。
露わになった中心部分に、とりあえずバスタオルを掛け、
ツッキーは新たなタオルをビニール袋から取り出した。
「あの、そこは…」
「これは、介護。病人は大人しく。」
「…よろしく、お願いします。。。」
これは、介護。これは、介護…
ツッキーの言葉を、熱の籠った頭で、何度も復唱する。
腸の走行に沿って、腹部に『の』の字を書きながら、
ツッキーは意識を逸らせる話題を続けてくれた。
「ソーセージとは、肉類を挽肉状にして、塩や香辛料で味付けをし、
羊、豚、牛などの腸又はケーシング(包装材)に充填した食品だね。」
腸に沿って拭きながら…腸詰の話か。
意識を逸らせるようで、ちゃんと繋がっている…さすがツッキーだ。
そして、ソーセージにも…わかりやすい『もう一つ』の意味。
ここまでくると、もう潔く『ネタ』に徹した方が、ずっと良い。
「そう言えば…ウィンナーとソーセージって…違いがあるの?」
手塩にかけて…大事に大事に『ソーセージ』を扱うツッキーに、
俺はかねてからの疑問を投げかけてみた。
「JAS…日本農林規格によると、ソーセージは次の3種類に分けられてる。
①ウィンナーソーセージ… 太さ20mm未満、羊腸を使用。
②フランクフルトソーセージ…太さ20mm以上36mm未満、豚腸を使用。
③ボロニアソーセージ…太さ36mm以上、牛腸を使用。」
「太さによって、ソーセージが分類されてるんだ…」
「ウィンナーはオーストリアのウィーン、フランクフルトはドイツ、
ボロニアはイタリアのボローニャに由来するネーミングなんだって。」
「…まさか、その地域の人の、一般的なサイズ…」
「そんなわけないでしょ。怒られちゃうよ。
もし『ボロニア』だとすると…普通の『ケーシング』じゃキツいかも。
某社の『サイズ別』で、『Lサイズ』が…38mmだったはずだよ。」
「それはまた…『おなかいっぱい』になりそう…だね。」
あまりに『しょーもない』話に、二人で笑ってしまった。
そのおかげで、羞恥心を感じる間もなく、清拭は終わった。
あんまり関係ないけど…と、新しい下着とズボンを履かせながら、
ツッキーは『ついでのネタ』を教えてくれた。
「ウィンナー・コーヒーってあるでしょ?あれも『ウィーン風の』っていう意味なんだけど…」
「コーヒーの上に、ホイップクリームが乗ってるやつ、だよね。」
「オーストリア発祥の飲み方なのは確かなんだけど、
由来となったウィーンには…その名称は存在しないんだって。」
「えっ!?そうなのっ!!?」
「同じように、中国の天津に『天津飯』は存在しない。」
「驚きを通り越して…ちょっとショックだよ。」
サッパリしたのと、笑ったのと、ちょっと食欲わいてきたりで、
俺は、なんだか物凄く眠たくなってきた。
発熱が続く脳が、休息を求めているんだろう。
まぶたが…トロンと…してきた。
「ツッキー…任務完遂、お疲れさま…すっごい…気持ちよかった…ありがとう。」
「治ったら、天津飯でも食べに行こう。だから…おやすみ。」
水差しで白湯を飲ませてくれたツッキーは、
目覚めた時と同じように、優しく頬を撫でてくれた。
俺が覚えているのは、その心地よさと…
ツッキーの柔らかい微笑みだった。
***************
「第一任務…清拭及び着替えの介助、完了。」
清拭で使用したタオルや着替えを、脱衣所の洗濯機に放り込んだ。
慣れない労働と、少しばかりの緊張で、こちらも汗をかいていた。
新しいタオルを拝借し、冷たい水で両手と顔を洗った。
冷蔵庫にあった麦茶をがぶ飲みし、大きく深呼吸する。
「第二任務は…体温が38.50度以上あった場合、
解熱剤を経口投与もしくは直腸内与薬を促すこと。」
隊長の指令は、本人に服薬『させる』というものだったが、
あの様子では、山口は既に熟睡しているだろう。
僕はスマホを取り出し、『看護技術・虎の巻』を熟読し、
その間に、冷蔵庫から解熱薬を取り出し、室温に戻した。
「さっきのは介護で、今度は看護…か。両者の違いは…」
介護は、介助…手伝いやお世話。看護は、治療を目的とする行為だ。
本来であれば、与薬は看護師の資格が必要なのだろうが、今はそうも言っていられない。
「これは、任務。そして…看護だ。」
改めて自分に言い聞かせ、銀色の包に入った薬を手に、再び山口の部屋へと入った。
部屋に戻ると、予想通り、山口は寝ていた。
まだ高い熱のせいか、呼吸は荒く、辛そうだった。
与薬には、側臥位が最適…
ベッド脇に置いてあった大きめの抱き枕を、山口に渡すと、
それにギュっと抱き着き…思惑通りこちらを背に、壁側を向いた。
山口は、この寝方が落ち着くらしい。
ウチに泊まった時も、よくこうして…僕にしがみついている。
…いや、余計な思考は禁物だ。
今はただ、迅速かつ正確に…任務を終えるのみ。
(手順1・患者に与薬の目的を伝える…省略。
手順2・患者氏名・投与薬剤・用量確認…同省略。
手順3・痛みを与えないよう、早めに薬剤を室内に…完了。
手順4・不必要な露出を避け、側臥位か膝を屈曲した仰臥位…)
指示通りに、腰部分のみを布団から出し、必要最低限のみ、肌を露わにした。
(手順5・使い捨て手袋を装着…用意していないため省略。
手順6・ガーゼの上で薬に潤滑剤を塗布し、挿入する。)
潤滑剤…これは、できればあった方が良いだろうが…適当な代用品が見当たらない。
やむなく僕は、自分の右手人差指を唾液で十分に濡らすと、
薬剤にもそれを少し塗布し、潤滑剤の代わりとした。
(注意1・尖っている方から、静かに4cm以上挿入する。)
これは、括約筋の収縮で薬が体外に出されないよう、
それよりも奥に挿入すべし…ということだ。
4cm…第二関節辺りまで入れれば、問題なかろう。
(注意2・口呼吸を促し、括約筋を弛緩させると挿入しやすい。)
幸いなことに、肩で喘ぐほどの…口呼吸だ。
息を吐き出すタイミングに合わせ…一気に薬を挿入した。
「ん…っ」
(ぁ…熱…っ)
突然の異物侵入に、山口はピクリと動いたが…起きなかった。
だが、そのピクリとした動きで、内部がぎゅっと収縮した。
驚くほどの締め付けと熱さに、僕は慌てて指を引き抜いた。
(て…手順、7は…
薬が排出されないように…ティッシュ等で、2~3分、抑えて…)
これは、看護。これは…看護。治療が目的の、看護。
念仏のように唱えながら、きっちり3分間抑えた。
そして、すぐさま着衣を元に戻し、布団を掛けた。
(手順8・挿入後は、血圧、脈拍、体温、呼吸等のバイタルを確認。)
どうみても、患者本人よりも…僕のバイタルの方が…昂っている。
(よって…任務、完了。)
僕は脈拍を正常に戻すべく、大きく息を吐いた。
仕事をやり切った僕は、達成感に満たされた。
(治ったら…せいぜい『恩返し』してもらわなきゃね。)
先程までの動揺はどこへやら、僕は余裕綽々と、山口の額の汗を拭い、
冷たいままだった左手で、山口の頬を撫でた。
だが、その油断が…間違いだった。
くすぐったさと冷たさに、ぶるりと身を震わせた山口。
次の瞬間、眉に寄せた皺を緩め…ふわりと微笑み、呟いた。
「…つっきー。。。」
僕はその場にへろへろと崩れ落ち、額をベッドに埋めた。
(な…何なんだ、今のは…)
あんな顔で、僕の名を呼ぶなんて。
一体、どんな『夢』を…見ているというのか。
僕は、山口の『夢』の中の僕に…あろうことか、嫉妬してしまった。
目を閉じると、山口の姿が…まざまざと脳内に蘇る。
熱に浮かされた、荒い呼吸。濡れそぼり、黒く潤む瞳。
しっとりとした汗で、手に吸い付くような、熱い肌。
気持ちよかった…と悦ぶ、掠れた声。
指先をきつく締め付けた、内部の熱。
そして、僕の名を呼ぶ…嬉しそうな笑顔。
今までは、冗談半分。『もしかして…』という、朧気な可能性。
それらの『曖昧』だったものが、現実のものとして…
山口を『触った感じ』を、これ以上ないくらい、リアルに感じてしまった。
(もし本当に、僕と山口が…)
そういう関係に至ったならば。
今日、指先で『触った感じ』を、互いの全身で…
山口の体内の熱が伝わったかのように、
ドクン、と脈打ち、亢ぶる…自身。
その熱を『蛍外』へ放出すべく、最低限着衣を寛げ、静かに手を添えた。
…まだ山口の熱が、うずく右手を。
***************
「昨日はすみませんでした。俺の方は、おかげ様で…」
「よかったな、山口!ホントに…良かったなぁ~!」
あの高熱が嘘のように、俺は翌日、スッキリと復活した。
登校すると、予想通り…ツッキーは休みだった。
この間のように、今度はツッキーが『あらぬ疑い』をかけられないよう、
俺が『単品』の理由を説明しようとしたのだが…
何故だか、会う人みんなが「良かったな♪」と、俺の回復を?
大げさなぐらい…喜んで?くれた。
復活したとはいえ、病み上がりの身。
部活は禁止…その代わり、同じ高熱で休んだ清水先輩と谷地さんの分、
俺は無理のない範囲で、マネージャー業務に勤しんだ。
そして、「月島によろしくな~」という伝言とともに、
かなり早めに体育館から送り出されてしまった。
ツッキーの部屋に入ると、扉が開いた音で、起きてしまったらしい。
少しぼぅっとした瞳を細め、頭をこちらに向けた。
「ゴメン…起こしちゃったね。」
「いや…大丈夫。山口の方は…?」
「ツッキーのおかげで、あっという間に治ったよ。昨日は手厚い看病…本当にありがとう。」
「…どういたしまして。」
俺は、おばさんから渡された冷却シートのフィルムを剥がし、
ツッキーの熱を吸い、用を為さなくなっていたものと交換した。
「冷たい…最高に、気持ちいい…」
「そう?それじゃあ…こっちは?」
ひんやりと冷えた掌で、ツッキーの頬を包んだ。
「…っ!!?し、心臓に悪いレベルの、冷たさだよ。でも、山口の熱が下がって…よかった。」
「あっ…あ、りが、と…」
自分がしんどい思いをしているのに、不意打ちの優しさ…
ドキっと跳ねた心臓と一緒に、また熱が出てきそうな気がした。
乱れる鼓動を悟られないように、ツッキーに背を向け、
机の上に、鞄から取り出した紙の束を置いた。
「これ、今日の配布物と…ノートのコピーだよ。俺のじゃ不十分だろうけど…無いよりマシ?」
「いや、助かるよ。」
「あと、母さんからの伝言…『報酬は蛍君復帰後に。』だって。」
「心の底から…楽しみに待ってるよ。」
きっと、いつもの通り…ショートケーキだろう。
冷蔵庫の中に、イチゴが大量に入っていたから。
「俺も、何かツッキーに恩返ししたいんだけど…」
「清拭も着替えも、さっき済ませたよ。
解熱剤も飲んだし、あとは…ゆっくり寝るだけ、だね。」
やっぱり…。
予想はしていたけど、俺がツッキーにしてあげられることなんて、本当に…何も、ない。
俺はいつもいつも、ツッキーに『してもらう』ばっかりだ。
薬の影響で、ツッキーは物凄く…眠そうだ。
このまま静かに帰って、寝させてあげた方が…
「こっち、来て。」
そっと退出しようとしていた俺を、ツッキーが手招きした。
呼ばれるがまま傍に寄ると、「そこに座って」と、言われた。
ベッドの横に座ると、俺を招いた手を、そのまま突き出した。
「山口の手、冷たくて気持ちいいから…僕が寝るまで…はい。」
はい、と差し出される手を、俺はおずおずと握った。
まだまだ高い熱で、その手はすごく…熱かった。
程なく、ツッキーからは穏やかな寝息が聞こえてきた。
この様子だと、きっと明日には…ツッキーも回復するだろう。
それよりも、問題は…俺の『熱』だ。
ツッキーの手を握ったまま、ベッドに頭を乗せた。
昨日のことは、あまり細部まで覚えてはいない。幸いなことに。
でも、ツッキーのこの手が、俺の全身に触れ、優しく撫でてくれた…
それが物凄く気持ちよかったことだけは、はっきりと…体が覚えている。
(あれは、介護…だったのに。)
ツッキーが触れた熱と、快感を…忘れられない。
そして、今朝…ベッド脇に落ちていた、銀色の包。
まさかとは思うけれど…
(ツッキーが、触れたかも…しれない…っ)
今までは、周りがどう思っていようとも、『意外と清い』仲だった。
可能性はあるにしても、まだ『ただの幼馴染』の範疇だったはずだ。
だけど、この身にうずく熱が、『大きな一歩』を踏み出してしまったことを…
もう『ただの幼馴染』には戻れないことを、自覚させている。
「やっぱり…また、熱が出てきちゃった、かも…」
- 完 -
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※心悸亢進→病気や精神的な興奮等で、心臓の鼓動が早く激しくなること。
ごく簡単に言えば、『亢ぶる(たかぶる)ドキドキ』
※ラブコメ20題『17.どうせなら一歩進んでみませんか』
(サブテーマ→指に触れる愛が5題『触れた指先にうずく熱』)
2016/04/24(P)
: 2016/09/08 加筆修正