既往疾速④







山口家の『青い部屋』…俺の『実家』でぶっ飛び系の酒屋談義を愉しんだ後、
山口先生が箒を片手に立ち上がり、「ではそろそろトんでイくか。」と宣言…
慌ただしく部屋を片付け荷物をまとめると、4人で新幹線に乗り込んだ。

昨日の午後、仙台に来たばかりなのに、今日の昼過ぎにはもう帰京し、
東京駅からそのまま空港へ直行…山口夫妻はばびゅ~ん♪と北欧へ飛び立った。


「本当に俺のためだけに、先生達は帰国して下さってたんですね…」
「可愛い我が息子(京治クン)のためだから当然だ。…って言ってたよ~♪」

父さん母さん、またね~♪
山口君と一緒に、二人が乗った飛行機に大きく手を振ってお見送り。
飛行機が見えなくなってから、空に向かって振っていた手を山口君は下ろし、
振ったままの手を今度は俺に向け、それじゃあ俺はこの辺で~♪と言った。

「え、山口君…どこへっ!?」
「俺は俺で、やらなきゃいけないことがあるんで…ここからは別行動ですよ~」

赤葦さんには、別の『お迎え』がもうすぐ来てくれますから、
安心して…ここでイイ子して待ってて下さいね~♪

「あの、そのお迎えって、どなたが…」
「竹馬の友的な存在、かな?」

それだけ言い残すと、山口君は俺をその場に放置し、颯爽と飛び去って行った。


「竹馬の友的な存在って…」

言葉通りに捉えるなら、『竹馬の友』は幼馴染…月島君か明光さんだろうか。
それとも、竹馬の友『的な存在』の方に主眼を置いて考えるならば、
一緒に竹馬(たけうま)…『うまんまら』に跨るような相手、だったりして…?
だとしたら、俺を迎えに来てくれる人こそが、俺の結婚相手ということになる。

   (だ…誰が、ここに来るんだろう…)

山口君の『竹馬の友』…月島君か。
意表を突いて山口君が『うまんまら』としてカムバックしてくるのか。
はたまた、最後の『T』の可能性…あの人が遂に登場するのかもしれない。

ドキドキしながら金網を握り締め、飛行機の発着を凝視していると、
耳に覚えのある声が俺の背に当たり…俺は驚きのあまり大きな声を上げた。

「なんだ、元気そうじゃん。」
「っ!!!?こ、孤爪…研磨っ!?」

   (…って、どちら様でしたっけ?)


あー寒っ。こんなクソ寒いとこで突っ立って…馬鹿じゃないの?
それとも、真冬の寒さも忘れちゃったとか?それはそれはお気の毒様。
そもそも、記憶喪失ぐらいで師匠の俺にこんなとこまで迎えに来させるなんて…
俺の弟子達はホントーに、『センセイ使い』が荒い奴ばっかりじゃん。

「何ヤってんの。ほら…さっさと中に入りなよ。そんでもって…帰るよ。」
「え、あの…っ、孤爪…」

「師匠。」
「孤爪師匠、なぜあなたが、ここに…」

「それはむしろ、こっちが知りたい。
   俺はただ、赤葦を迎えに行って、連れて帰って来いって頼まれただけだし。」
「あ、それはどうも…お手数と御足労お掛けして申し訳ありません。」

じゃ、イくよ。
孤爪師匠は出発を告げると、俺を待たずにタクシー乗り場へと向かった。
俺は必死に頭と両脚を動かしながら、師匠の背を追い掛けた。


この人は、孤爪研磨…どうやら俺の師匠であるらしい。
なぜ歳の近い相手を師と仰ぐのか、その辺りのことは一切思い出せないけれど、
声を聞き姿を見た瞬間、『孤爪研磨』という名前が頭の中に響き渡った。
そんな相手は初めて…親や同僚ですら、名乗られても全くわからなかったのに。

昨日からあちこち連れ回され、『赤葦京治を探る旅』を続けているおかげで、
会った瞬間に師匠の名前を思い出せた…その可能性も十分考えられるが、
それ以上に、『孤爪研磨』は俺にとって重要な鍵となる存在なんだろう。

   (俺にとって、特別な…人。)


『こづめけんま』は、指環の『T』には当てはまらないけれど、
月島君の『T=ツッキー』の例もあるから、師匠の愛称かもしれない。
例えば『タマ』とか、『爪ちゃん』とかも…意外と悪くないかも?

   (試しに呼んで…いや、やめとこう。)

そんな妄想を俺がしている真横で、師匠は静かに目を閉じた。
寝ているわけではなく、特に喋ることがないだけだろうと察した俺は、
孤爪師匠に一つだけ質問?確認?をさせて貰うことにした。


「孤爪師匠は、竹馬の友的な存在…?」
「赤葦のじゃなくて、クロの…ね。」

その言葉に何故か、俺は呼吸が止まる程の衝撃を受けた。
孤爪師匠は黒尾さんの『竹馬の友』なのか、それとも『的な存在』なのか?
どちらにしても、黒尾さんにとって特別な人であることは間違いない。

一体どういうご関係で?何故俺と師弟関係を結んだのか?等々…
聞きたいことは山積みなのに、それを聞くための『一言』が、出てこなかった。

   (知りたいけど、知りたくない…っ)


理由はわからないけど、胸をギュッと締め付けられるような圧迫感から、
俺は何も聞けないまま…固く目を閉じ、タクシーに黙って運ばれた。



********************




タクシーが停まったのは、意外な場所…都内西部にあるお寺の前だった。
冬の短い陽は早くも傾き始めていたが、境内には参拝者がチラホラ居て、
その中の一人に引き寄せられるように、俺は無意識の内に歩を進めていた。

「お久しぶりです。この度は、ご心配をお掛けして…申し訳ありません。」
「あら京ちゃん、久しぶりね。その様子だと…心配なさそうで安心したわ。」

こんなところでお喋りも何だから、あっちで一緒にお茶しましょう。
研磨ちゃんも、おつかいありがとうね。ほらほら、あなたも一緒に来なさいよ。

俺が挨拶した妙齢の女性は、孤爪師匠の頭を『イイ子イイ子~♪』と撫でると、
面倒臭そうな顔を見せた師匠の手をむんずと掴み、有無を言わせず腕を組んだ。
そして当然のように、反対側の手で俺の腕を捕まえて組むと、
お寺の別棟…法事等をする部屋の一室へと、俺達を連れて上がった。


   (えっと、この人は、俺の…)

おそらく、この人も俺の大切な…『実家のおかあさん』の一人だろう。
未だ誰だかわからないけど、安心できる相手だということは間違いなさそうだ。
その証拠に、孤爪師匠は通された6畳間の奥側の雪見障子を開けると、
ごろりと畳に寝転がり、のんびりスマホを弄りだしたから…大丈夫なんだろう。

   (孤爪師匠の…身内、かな?)


師匠が開けた障子の外は縁側で、その向こうには小さな庭園と墓地が見えた。
時間の割に空が暗い…陽が落ちる前に、厚い雲に隠れてしまったようだ。

   (ここに…来たこと、ある。)

誰と、何をしに来たのか…わからない。
わかるのは、ここで俺は大事な『誓い』を立てたということだけ…
その内容や誰に対して誓ったのか等は、まだ全然思い出せないけれど。

頭の中に浮かんでは消えていく様々なことを、ただ茫然と追いかけていると、
お茶が入ったわよ、という声…俺は気を引き締めてテーブルに付いたが、
孤爪師匠は「あとでいい。」とそっけない返事をし、庭の方に寝返りを打った。


テーブルの上には、熱いお茶と和菓子…きび団子が置かれていた。
この和菓子のセレクトは、おそらく偶然ではなく意味のあるものだろう。
一つ頂こうかと迷っていると、『実家のおかあさん』が口を開いた。

「改めて…京ちゃんお久しぶり。よく帰ってきてくれたわね。」
「あ、はい…ただいま、戻りました…」

「ツッキーちゃんと忠ちゃんも元気?」
「お陰様で…皆元気にしています。」

ツッキーちゃんに忠ちゃん、そして俺は京ちゃんと呼ばれ、可愛がられている…
そんな場所に該当しそうなのは、赤葦家を除けばあと一か所しかないだろう。

   (黒尾家の、おかあさん…)


凛とした雰囲気と姿勢の良さが、黒尾さんととても似ている。
厳しそうな瞳の中にも温かみがあって、ふわっと肩の力が緩んでくる半面、
身体の芯がキュっと引き締まり…俺は脚を崩しながらも、背筋を伸ばしていた。

何だろう、この不思議な感覚…緊張感に一番近いけど、それとも少し違う。
どう出るべきか考えあぐねていると、あちらから予想外の言葉が飛び出した。

「最初に謝っておくわ。鉄朗のせいで、ツラい思いをさせて…ごめんなさい。」

でも、許してやって欲しいの。
あの子は京ちゃんを苦しめるつもりなんて、全くなかった…
貴方のことを想うあまり、一歩を踏み出せなかっただけなのよ。

「クロは『元々』そういう奴じゃん。」
「『元々』の貴方達になるのだって、何年かかったことやら…」

会話に割り込んで来た孤爪師匠は、俺の膝をツンツンすると、掌を上に向けた。
ココにきび団子を乗せろ…正確にその意思を読み取り、指示通りに置くと、
師匠は機嫌良さそうに口へ突っ込み、包み紙を俺の手に戻した。

それを見ていたおかあさんは、研磨ちゃんと京ちゃんも仲良しね~と微笑み、
表情を柔らかく崩したまま、黒尾さんの『元々』について暴露した。


「あの子のおカタさは、良く言えば質実剛健なんだけど、
   悪く言えば頑固一徹…父親にソックリなのよね。」

愚直なまでに真っ直ぐで、不器用だった主人の血を色濃く継いだ鉄朗は、
子どもの頃から『筋を通す』ことを重んじ、熟慮した上で漸く動く子だった。

「ホンット、父子揃って…面倒臭いったらありゃしないわ。」
「一途というより、強情…鬱陶しいにも程がある。」


母と師匠から、この言われ様…
だが、『仕事中の黒尾さん』しか知らない今の俺も、二人に完全同意だった。
鋼鉄の壁を閉ざし、隠された本心を…仕事以外の姿を見せようとしないし、
頑ななまでに、壁の向こう側に俺を入れないようにしているのが…わかる。

   (多分俺は…嫌われてる。)

はっきり明言されてはいないけれど、嫌われているというよりは、疎まれて…
記憶を失った『筋の通らない』俺のことを、その態度で明確に拒み続けている。

無意識の内に膝の上で固く握り締めていた拳を、師匠が再びツンツンした。
驚いて思考を中断し、慌ててもう一つきび団子を手渡すと、
何も気付かなかったように、師匠は『面倒臭いクロの話』を続けた。


「筋が通らないことが嫌い…だからクロは、桃太郎が大嫌いなんだよね。」

おじさんに絵本を読んで貰ってた途中、いきなり怒り出しちゃったんだよ。
「急に話が変わった!」って…絵本を奪って落丁がないか、確認し始めたんだ。
話の前半と後半が、全然繋がってない…『違う話』なんじゃないか?って。

「前半と後半で、違う話…?」
「鉄朗の指摘に、主人は虚を突かれ…慌てて二人で検証開始よ。」

『桃太郎』は、おばあさんが川で拾った桃を、おじいさんが割ろうとしたら、
中から小さな男の子が生まれました…というのが、物語前半の話で、
一寸法師やかぐや姫、親指姫等と同じ、『小さ子譚』に属する神話類型だ。
生命力の源たる桃から生まれた、聖なる力を持つ神の子…よくある話である。


物語の後半は、成長した桃太郎が猿雉犬の御供を連れて鬼退治に行く話で、
何故『桃』なのかと、御供が猿雉犬の理由について、月島&山口家で考察した。

後半部分は立志譚もしくは英雄譚…これも物語のド定番だし、
ありとあらゆる神話類型を、贅沢にてんこ盛りしている『竹取物語』よりは、
割とスッキリした内容で、実にわかりやすい構成のような気もする。

   …いや、ちょっと待て。
   スッキリし過ぎで…話が繋がらない!


「成長した桃太郎は、鬼ヶ島に鬼退治へ行きましたが…
   鬼はなぜ、退治されなければいけなかったんでしょうか?」

桃太郎はある日突然『思い立って』、鬼退治に出掛けたのだが、
その動機となる事柄…鬼が具体的に何をしたのかは、全く触れられていない。
おそらく、黒尾さんが『筋が通らない』と感じたのも、この点のはず…

「鬼は、退治されるべき罪を…未だ犯していません!」

桃太郎は御供を連れて鬼ヶ島へ行き、鬼退治して…金銀財宝を持ち帰った。
これでは、ただの虐殺と掠奪とも受け取れやしないだろうか?


「『鬼だから』という理由だけで、退治していいなんてのは、おかしいだろ。
   罪に相応しい罰を受けるにしても、公平な裁判で裁かれるべき。」
「桃太郎は懲罰権者でもなかったし、その権利を持つ者からの権限委譲もない。
   たとえ鬼の被害者から頼まれたとしても、私刑も赦されるべきじゃない。」

…な〜んて、主人と鉄朗は二人で大フィーバーしちゃってたわ。
京ちゃんがその場に居たら、きっと一緒に大盛り上がりだったでしょうね。

「フツーの子は、『鬼は悪いヤツ』で終わりなのに…面倒臭さハンパないよ。
   でも、ゲームの『勇者じゃない方』にも言い分はあるんだ。」

善悪二元論だなんて、いまどきゲームでもそんな単純な話なんてないからね。
勇者だって自分の行為に悩み、倒すべき相手なのかを葛藤し続けてる。
だから俺は、ほんのちょっとだけ二人の考察に興味があったから、
鬱陶しいクロ父子の話を、おばさんと一緒に横で延々聞き続けちゃったよ。

孤爪師匠は小さくため息をつくと、淡々とした声で俺に問い掛けた。


「何故、桃太郎の話は前半と後半で繋がっていないのか?その答えは…」
「元々、別の話だった…?」
「よくある『小さ子譚』に、英雄譚もどきが後から付け足されているのね。」

だから、桃太郎の行動を唐突に感じ、筋が通らなくなっているのだ。
では、誰がどんな目的を持って、英雄譚もどきを繋げようとしたのか…?

「目的は明白…桃太郎を英雄にしたかったんでしょうね。」

見方によってはただの簒奪でしかない、桃太郎御一行様の行為を正当化し、
『鬼だから奪っても良い』と思い込ませて、罪を誤魔化そうとしている。
そのためには、桃太郎を『神=正義』とする『小さ子譚』が必要だった…

「つまり、人々に『桃太郎=正義』と思い込ませたかった者達が、
   神話や物語を利用し…歴史と人々の意識を改竄していったことになります。」

あぁ…これは、いつものパターンだ。
似たような話を、俺は黒尾さん達と何度も何度もしている。
だとすると、確認すべきことは…

「桃太郎とその御供達…モデルになった実在の人物達がいるんですね?」


俺の言葉を聞いたおかあさんは、ポケットから小さなノートを取り出した。
『極秘黒尾メモ』と書かれたそれは…俺にも少しだけ、見覚えがあった。
4人で『酒屋談義』をする時に、各々が似たようなネタ帳を持っていたはず…

「主人の考察メモによると、桃太郎のモデルと言われているのは…」

第7代孝霊天皇皇子・吉備津彦(きびつひこ)という人物だ。
第10代崇神天皇の命により、西道(山陽地方)に派遣された吉備津彦は、
その地を治めていた温羅(うら)という鬼を討ち、吉備を平定したとされている。

吉備津彦の遠征には、犬飼健(いぬかいたける)、留玉臣(とめたまおみ)、
そして楽楽森彦(ささもりひこ)という3人の御供が付き従った。

「犬飼健は犬飼部(いぬかいべ)…犬を飼育し、蔵の守衛をしていた部族。
   『五・一五事件』で暗殺された犬養毅首相は、犬飼健の後裔だそうよ。」
「留玉臣は、鳥取部(ととりべ)…朝廷に鳥類を納める部族の人。」
「ということは、猿飼部の楽楽森彦が『猿』ということになりますね。」

楽楽森彦と言えば、全国にある楽楽福(ささふく)神社の主祭神だが、
その正体は『猿田彦』…見事に『猿』と繋がった。


吉備津彦の御供達は、吉備の地に古くから居た豪族達であり、
彼らに導かれて、吉備津彦は吉備の地を平定した…モロに桃太郎である。
だが、『モロに桃太郎』だからこそ、物語の本当の姿が見え始めてきた。

「桃太郎は鬼退治に行く道中、その地にいた猿雉犬を味方に引き入れた…」
「元々は吉備地域の豪族だった者達を…『吉備を団子』にして、従わせた。
   団子にするとは、丸めること…『全部を自分のものにする』ことだし。」
「そして、彼らを使って吉備冠者…吉備を治めていた温羅を、斬った。」

これによく似た話を、俺は知っている。
『酒屋談義』で何度も出てきた、初代神武天皇による東征…大和建国の話だ。

元々いた神…熊野の神々や長脛彦、葛城の土蜘蛛(八十梟帥)を倒すため、
彼らの部下だった八咫烏や鵄(とび)に、道案内をさせたことに酷似している。


「似てて当然でしょうね。むしろ元ネタは吉備津彦の方じゃないかしら。」

初代神武天皇から第9代開化天皇までは『欠史八代』…実在性が疑わしく、
第10代崇神天皇が、実在する最初の天皇ではないかと言われている。
この崇神天皇や、日本武尊を東国へ派遣した景行天皇等をモデルとして、
神武天皇と彼にまつわる建国神話が作られたのではないか…という説がある。

「神武天皇の時代、既に吉備には一大国家があったそうよ。
   枕詞の『真金(まかね)吹く』は、吉備と丹生に掛かる…共に鉄の産地ね。」
「あっちにもこっちにも、金銀財宝…タタラを簒奪しに行ってたってこと。
   吉備津彦遠征はその典型的な例…だから『桃太郎』のモデルとなった。」

桃太郎達は、鬼が『何もしていない』ことを知っていた…
自分達の行いが、ただの虐殺と略奪だと自覚していたからこそ、
まつろわぬ者達を鬼(死者)と呼び、『倒されて当然』だと錯覚させるために、
『桃太郎』という物語を作り上げ…歴史を改竄していったのではないだろうか。


「これで…全部繋がりましたね。」

月島家での考察では、この世とあの世を繋ぐ『境界上の存在』だから、
死者の国を治める鬼を退治するために、猿雉犬が選ばれた…という話をした。
そして山口家では、御供達があの世…タタラに従事する技能者達である、
猿楽・木地師・鋳奴を表している可能性について語り合った。

楽楽森彦の『ささ』は笹…タタラ(砂鉄)との関連を深く窺わせる名前でもあり、
鳥は元々いた神である蛇の使いで、鋳奴の犬も含め、三者ともタタラ関係者…
『元々いた神』つまり、タタラの主たる鬼・温羅の部下だった者達なのだ。
敗者の猿雉犬の御供達は、征服者たる桃太郎に仕方なく従うしかなかった…
それが、桃太郎という物語の『真の姿』ではないだろうか。


「黒尾さんが、桃太郎を嫌う理由…
   俺と月島君と山口君を、猿雉犬だとは認めないことも、納得です。」

俺達は別に、黒尾さんに屈服したから一緒に仕事をしているわけではない。
『所長+部下3人』という人員構成が似ているというだけで、
安直に桃太郎+御供達を自分達に当てはめたことは、とんでもない大間違い…
「黒尾君は物凄~く嫌がると思うよ~」と言っていた明光さんの言葉に、
「仰る通りでした!」と、今更ながら全力で首を縦に振りたくなった。

   (黒尾さんに…言わなくてよかった。)


俺がこっそり安堵のため息をついていると、全く違うため息が…二人分。

「雉と犬は、ね。弱い敗者は、強い勝者に従う…戦とはそういうものだから。」
「でも、猿だけは違う。全く別扱い。」

孤爪師匠はメモに挟まっていた、吉備津神社のパンフレットを広げ、
案内図の一部を指差しながら、メモを確認しつつ説明してくれた。

「ここに『南随神門』ってあるでしょ?
   吉備津彦に従って温羅退治に行った客神『二柱』が祀られてるんだけど…」
「そこには犬飼健と留玉臣はいるけど、楽楽森彦…猿はいないのよ。」

京ちゃん、思い出してみて。
八咫烏と鵄、そして猿田彦…『道案内』とは一体、何を表すのか。
天孫降臨の時、天鈿女命のエロダンスに誘惑された元々いた神・猿田彦は、
ニニギを葦原中津国(日本)に導き…天津神達が地上に天降(あまくだ)った。

「猿田彦は国津神だったのに、天津神を手引きして…国を奪わせた。」
「つまり『猿』は、裏切者…」

八咫烏も鵄も、猿田彦も…裏切者の末路はいつも決まっている。
裏切るような奴を、裏切らせた側も傍に置き続けるわけはない…
『用済み』になったら片付けて(処刑して)しまうのが、戦では当然の流れだ。

吉備津彦は、仲間を裏切って自分に付いた者を、御供(随身)とは認めなかった…
だから南随神門には、猿だけが祀られていないのではないだろうか。


「昔から、朝廷の『表』に対し、まつろわぬ者達を『裏』と言っていたの。
   猿がやったことは、裏切り…文字通りに『温羅斬り』だったのね。」

竹取物語じゃないけど、案外これが本当に『裏切り』の『語源譚』かもね。
鬼の方が正しいという証拠…京ちゃんも良く知っている行事があるわ。
春の訪れを前に、病や死や穢れを、桃の枝や弓で追い祓う宮中祭祀…

「『追儺(ついな)』…鬼遣らいとも呼ばれる、節分の起源ですよね。」

生の象徴たる桃の力で、死者の鬼を祓う儀式…月島家でも話した祭祀だ。
鬼を祓う力があるから、りんごやみかんではなく『桃』太郎になったのだ。

「この『儺』って漢字…『正しく歩む』『節度ある歩み』って意味らしいよ。」
「えっ!?では追儺も節分も、正しく歩む者を追い祓ってることに…!?」

漢字の由来や構成なんて、調べればすぐわかることなのに…
この一字だけでも、どちらが『正しい』者なのか、一目瞭然じゃないか!


「鬼の代表と言えば酒呑童子だけど…」

源頼光らの騙し討ちによって、酒呑童子が斃される間際に絶叫したのが、
『鬼に横道なきものを!』…鬼には邪な心など無い!という言葉だったそうだ。
騙し討ちや裏切り…鬼じゃない方がよほど卑怯だという、鬼からの告発である。

「頑固で不器用と言われても、正々堂々と筋を通すことを良しとする…
   クロならきっと、鬼たちの叫びの方に共感するだろうね。」

これで、月島・山口・黒尾家による、桃太郎の謎を巡る旅は…終わりだよ。


孤爪師匠は静かにそう告げると、残っていた3つのきび団子の包みを開け、
茫然と固まる俺の口の中に、全部ひとまとめにして突っ込んだ。




********************




桃太郎のこと。御供達のこと。そして、俺達4人のこと…
いろんな考えを丸くまとめるように、きび団子を噛み締めているうちに、
俺はあることに思い当たり、団子をゴクリと丸呑み…盛大に咽せてしまった。

「何やってんの。ほら…お茶飲んで。」
「気を付けてよ?こんなとこで窒息死とか…笑えないからね。」

貴方がウチの主人に会いに行くのは、まだまだ早すぎるわよ?と、
穏やかに微笑むおかあさんの言葉と、師匠に背をトントン叩かれた勢いで、
俺は団子を飲み込んだ代わりに、ずっと閉じ込めていた想いを吐き出していた。


「黒尾さんは、俺のことを…赦して下さるでしょうか?」

俺は今までの記憶を失い、『筋が通らない』存在になってしまいました。
記憶喪失した原因が何であれ、それは紛れも無い事実です。

ほとんどの人は、桃太郎に何ら違和感を覚えず、『鬼=悪』だと思い込むのに、
黒尾さんは物語の筋が通らないことに、生理的嫌悪を抱いていました。
同じように、俺の事も理屈や理性とは別の所で、受け入れられないのでは…
だからこそ鉄壁を作り、頑なに俺を中に入れてくれないのかもしれません。

「共に生活し仕事をする仲間や、実家のことを忘れ、大切な記憶を切った俺を、
   黒尾さんは『裏切り』だと…感じていらっしゃるんじゃないでしょうか?」

きび団子はもう飲み込んだはずなのに、胸が苦しくてたまらない…
黒尾さんに拒絶される恐怖を必死に堪えようと、拳を力一杯丸めていると、
背中をトントン叩いていた師匠の手が、緩やかに撫でる動きに変わった。


「クロが何をどう考えているか…予想はできても、他人の俺にはわからない。」

いくら『竹馬の友』でも、たとえ母子でも、見えている世界は違うんだからね。
おそらくこう思ってるはず…ってのも、勝手な思い込みかもしれないし。
冷たいようだけど、クロの本心はクロに直接聞け…それしか言えない。
それでも、クロとは長い付き合いの俺達は、こう断言できる。

「俺達が思ってる以上に、クロは強情で一途で…筋が通ってる。
   だから、安心して聞けばいい…赤葦の恐怖も、ただの思い込み。」

孤爪師匠の熱弁…言葉に込められた熱と言葉量の多さ双方に驚いていると、
今度は真正面から、黒尾さんに似た真っ直ぐで強い視線に捕まった。


「京ちゃん。記憶って…そんなに重要かしら?」

人の記憶力なんて、たかが知れている…インもアウトも思い通りにいかないし、
大事なことだって簡単に忘れてしまう…曖昧で不確実で、しかも不変じゃない。
病気や事故、薬やお酒、それに認知症なんかで、アッサリ消えていくものよ。

だからこそ、人々は風化し消え逝く記憶の代わりに、『記録』を残した…
それが歴史であり、鉄朗達が扱う遺言や公正証書なんじゃないかしら。

「大切な記憶を、記録として残すという点で、歴史家と法律家は似てるわね。」
「残された記録と事実から、過去を読み解くのも、ソックリじゃん。」

書類作成に特化した行政書士は、法律家の中でも特に記憶と記録に近い存在…
黒尾さんが歴史に関する雑学考察や、ミステリを愛するのも頷けるし、
数あるサムライの中から行政書士を選択したのも、何となくわかる気がした。

   (だから尚更、俺は…怖い。)

   好き嫌いに、理由なんてない。
   大切な人を裏切ってしまった俺は…

自分からは誰にも、『元々の俺』のことを聞けなかった。
俺達との記憶を切り捨てたと、謗られるのが…怖くて堪らなかった。
俺という『筋の通らない』存在が、大切な人をこれ以上傷付けてしまわぬよう、
俺のことを誰も知らない場所へ、飛んで行きたいとすら…思ってしまうほどに。

おかあさんの強い視線から逃れようと、目を閉じかけた…その時。
思いもよらない話を、おかあさんは静かに語り始めた。


「主人は晩年、病気と投薬の影響で、少しずつ記憶を失っていった。
   長年連れ添った私や、鉄朗のことも…主人の世界から消えていった。」

でも私は、主人に裏切られたとは思わなかったし、今も全然そう思っていない。
薄れゆく記憶を何とか留めようと、主人は必死に記録を残し続けてくれたし、
たとえそんなものがなくても、主人に対する私の想いは全く変わらなかった。

「私が誰だかわからなくても、手を差し出せば、いつも通り握り返してくれた。
   私には、その手の温もりで十分…記憶喪失程度で揺らぐ想いじゃない。」

おかあさんはキッパリそう言い切ると、スッと立ち上がって縁側の方へ向かい、
真っ暗になった庭園と、おとうさんの眠る場所を眺め…そっと障子を閉ざした。


「おかあさんは…強い、ですね。」

ようやく絞り出せた言葉は、たったそれだけ。
言うべきことも、言いたいこともわかららず、言葉にもならない…
ただただ、おかあさんの強さと、真っ直ぐ深く愛され続けるおとうさんが、
俺は心の底から…羨ましかった。


「鉄朗と主人は、うんざりするほど似た者親子だけど…」
「どっちかと言うと、気味が悪いぐらいのおばさん似。」

あら、研磨ちゃんも生意気言うようになったじゃないの。
おかあさんはそう笑いながら、師匠の頭を思いっきりわしゃわしゃ撫で回し、
師匠は俺を盾にして背に隠れ…今度は俺も一緒にわしゃわしゃされてしまった。

   (強引で、あったかい…ソックリだ。)

   不意に蘇る、手の温もりの…記憶。
   無意識に手を伸ばし…しがみ付く。


「京ちゃんは大丈夫…何も怖れる必要はないわ。」

あのカタブツの鉄朗も、皆に散々どつき回されて、ようやく動き出したし、
ツッキーちゃんと忠ちゃん…仙台の『実家』で家族と過ごしてきたことで、
京ちゃんの記憶も、かなり回復の兆しが見えているのは、間違いないわよ。

実は、寺の境内に居たのは、京ちゃんが一度は会ったことがある人間ばかり…
私の姉妹達をはじめ、全員がウチの親族だったというのに、
その中から京ちゃんは、ちゃんと私を…『鉄朗の母』を選んだわ。

「もう一回、『誰が鉄朗の母でしょうクイズ』しようと思ってたのに…残念。」
「それだけは、もう…本当に勘弁して下さいよ。」

初めて黒尾家に行った時の、人生初の大緊張を思い出し、ぶるりと身震い…
おかあさんは楽しそうに声を弾ませ、俺を更にギュっと抱きしめてくれた。
ふわっと全身の力が抜ける、暖かさと絶対的安心感…はっきり覚えている。


「黒尾家が京ちゃんに示す道の1つは…京ちゃんの『元々の道』よ。」

俺を抱く力を緩め、おかあさんはポケットから別のミニノートを取り出した。
その表紙には、見慣れた文字で『極秘赤葦メモ』と書いてあった。
おそらく…いや、間違いなくそれは、俺自身のものだろう。

「京ちゃんの記憶喪失が判明した直後から、私が預かっていたの。
   この『記録』を見れば、貴方達4人の歴史が全てわかる。」

曖昧な記憶よりも遥かに確実で緻密な、京ちゃん自身が綴った記録よ。
これを読んだら、記憶喪失なんてほとんど問題にならなくなる…
普通は忘れてしまうような記憶も、記録として全部残ってるんだからね。

チラッとしか見てないけど、さすがは参謀!といったデータ集積っぷり…
ご飯のメニューから月齢、果ては何かしらをカウントした回数まで網羅され、
数値がないのは基礎体温ぐらい…元々の京ちゃんが必要以上にわかるわ。


「これを読み、喪失した記憶を知識として取り戻し、元々の生活に復帰する…」

…というのが、選べる道の1つ。
読んだ上で、新しい道を行くのもアリだし、読まないという道だってある。

どの道を選ぶのも、京ちゃんの自由…貴方が幸せなら、それが一番の道よ。
この『元々の記録』にだって、囚われる必要は全くないんだからね。
例えばそうね…もっと視野を広げて、『T&K』に拘らなくてもいいのよ?

「私も『未亡人』で…現在フリーよ。」
「…えっ!!!?」
「しかも包容力抜群。俺は推薦する。」
「ちょっ…はぁっっ!!?」


突然の話題転換に、俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。
いやでも、抱き締められてこんなに落ち着く腕なんて、そうそうない。
こんなカンジの温もりに、ずっと包まれていたい…なんか、眠たい…

「京ちゃん…今のは冗談なんだけど。」
「…っ!?わ、わかってますっ!」

選択肢はたくさんある。悩んだ時は、今みたいに『カラダの声』を聴いてみて。
消えずに残ってる、改竄不能な感覚…好き嫌いは理屈じゃないんだから。

「それじゃあ、私は住職さんにご挨拶してから、タクシーを呼んでくるわね。」

おかあさんは俺をもう一度強く抱擁し、頭をわしゃわしゃ…
「京ちゃんは大丈夫。」と笑顔で断言して、部屋から出て行った。



「本当に強くて…素敵な人。」
「身内の俺でも…そう思う。」

おかあさんが出て行った襖を見つめながら、ポロリと零れた本心。
口に出したつもりはなかったけど、背中から同意の言葉が返ってきた。

「ねぇ…指環、見せて。」
「え?はっ、はい…」

師匠は俺の背中に圧し掛かりながら、にゅ〜んと肩に乗せた手を伸ばしてきた。
言われるがままに、月島君から預かっていた白いハンカチごと手渡すと、
二人羽織りみたいな格好で、師匠は後ろから俺の目の前にその指環を掲げた。


「『T&K』に拘る必要はない…俺もおばさんと同意見。」

そもそもだけど、俺は結婚とか他人と生活するなんてのが想像できないし。
今の赤葦は、あの3人と一緒に暮らす自分の姿…ちゃんと想像できる?
結婚って、ずっと一緒に『生活する』ってこと…自然体でいられなきゃ無理。
何があっても、そこが自分の帰る場所…それが『家庭』だからね。

「あの3人のうちの誰か、もしくは他の人と一緒に生活…家庭を築けそう?」
「それは…」

好き嫌いもそうだけど、自分の全てを曝け出せる…安心できる相手かどうかも、
記憶や記録、知識なんかより、カラダが直感するモノかもしれないね。

「おばさんが言ってた『カラダに聴け』ってのは、そういう意味だよ。」
「はい…俺にも、わかります。」


   だから、こういう結論も…アリ。

掲げていた指環を拳の中に握り込むと、師匠は俺の肩に頭を乗せた後、
子猫のように頬に頬を擦り寄せ…耳朶をそっと甘噛みし、吐息だけで囁いた。

「俺、赤葦となら…生活できるよ。」

何の気兼ねもないし、気も使わなくていい…素の俺で居られるし。
このコミュ障の俺が『師匠』と呼ばせてるぐらい…赤葦は俺の特別だから。
赤葦がいいなら、俺と竹馬の友『的なカンケー』に…なってみる?

「そそそっ、それはっ、つまり…」

   返事の代わりに、もう一度…甘噛み。
   ゾクリとした刺激に、心身が震える。


思いもよらない求愛に、答えるどころか考えることもできずに固まっていると、
耳朶から唇がようやく離れ…一転、頸筋にガブリと牙を立てられた。

「それか、この『T&K』の『K』を…『竹馬の友』の俺に、返し…」
「それだけは絶対に嫌ですっ!!!!」

慌てて師匠の手から指環を取り返し、後ろ手に隠して飛び退る。
俺は俺自身の反射的行動に驚き、師匠はそんな俺を見て、腹を抱えて大笑い…
師匠らしからぬ爆笑に、俺はもっともっと驚き、キョトンと立ち竦んでいると、
目尻を拭いながら、師匠は俺の背中をバシバシ叩き…部屋から追い立てた。


「ほら、迎えのタクシー来たから。
   赤葦が居たい場所へ…帰りなよ。」




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「これが…黒尾君の出した答えだね。」
「はい…そうです。」


静寂と緊張に包まれた赤葦家のリビングで、ご両親と対面する。
用意してきた『緑色の紙』を差し出すと、赤葦母は顔を覆って泣き崩れた。
父はそんな母の肩をそっと抱き締め…悲しそうな笑顔を見せた。

「黒尾君は、きっとコレを持って来る…僕はそう思ってたよ。
   この予感がどうか外れますように!って、ずっと祈りながら…ね。」
「申し訳…ありません。」

母の掠れた嗚咽が、胸に突き刺さる。
それ以上に、父が必死に何かを堪え続けている笑顔を…見ていられなかった。
それでも俺は、二人から目を逸らすことは赦されない…
真正面を向いて、自分が導いた答えを、ご両親に説明しなければいけない。


「本来なら、これは俺達二人が協議して決めるべきことですが…」

俺と結婚していた記憶がない以上、本人には決められません。
夫婦関係維持の基礎となる、『相互の精神的繋がり』が失われた状態であり、
回復の見込みも未知数かつ、本人の意思表示も困難なケース…
裁判によってその決定が可能な場合に、よく似た状況だと思われます。

俺達は現行法上、正式に認められた結婚ではないので、裁判はできません。
ですから、婚姻時の証人であるご両親から、代わりに同意を頂きたく思います。
この件に関しましては、ここに来る前…黒尾家側の了解は得てきました。
赤葦家の御判断に従います、と…『京治さんを第一に』とのことでした。

   大きく息を吸い、深く頭を下げる。
   震える声を抑え込み、赦しを請う。


「京治と…離婚させて下さい。」




- ⑤へGO! -




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※長脛彦について →『鳥酉之宴
※葛城の土蜘蛛 →『夜想愛夢⑪
※鉄朗の母クイズ →『得意忘言


それは甘い20題 『19.甘噛み』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2018/01/30   

 

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