既往疾速⑤







「京治と…離婚させて下さい。」


原因不明の記憶喪失により、自分に関する全てのエピソード記憶を…
家族や仕事のこと、そして黒尾と結婚していたことも忘れてしまった赤葦。
これにより、婚姻関係の基礎となる『相互の精神的繋がり』は失われ、
このままの状態で『夫婦』という形を継続することは、極めて困難である。

夫婦の一方に強度の精神疾患があり、かつ回復の見込みがない時には、
夫婦間で離婚協議ができないため、裁判による離婚が認められる場合がある。
これは、『忘れられてしまった』側を保護するための規定である。

今回の黒尾と赤葦のケースは、それに近い状態であると黒尾は考え、
本人の同意や裁判の判決の代わりに、赤葦の両親に離婚への同意を願い出た。


もし本当に『記憶喪失による離婚』を裁判所に申し立てたとすると、
どのくらい回復の見込みがあるのか?という点が問題となり、
裁判離婚ができるか否かは、主治医の判断に拠るところが大きくなるため、
実際のところは、非常に判断が難しい裁判となるだろう。

だが、二人は正式な婚姻関係ではない…
裁判や法律による離婚事由を、厳密に守る必要もないし、
もっと言えば、両親の同意等も、本来は全く必要のないものである。
「俺を忘れた奴とは一緒に居られない」と、黒尾一人で宣言しても良いのだが…


「黒尾君は、京治のために…離婚するつもりなんだよね。」
「何でよっ!?何で離婚することが、京治のために…っ!?」

赤葦父は泣き喚く母を宥めながら、視線で黒尾に話の続きを促した。
お母さんが納得するように、ちゃんと説明してあげて…と。
黒尾は小さく頷き、できるだけ冷静に…だが、誠意を込めて意図を伝えた。

「俺とのことを覚えていない以上、あいつを俺に縛り付けておくべきじゃない…
   あらゆる道を選べるよう、一度『自由の身』にしてやる必要があるんです。」


今回、俺自身の弱さのせいで、なかなか自分から動くことができず…
赤葦だけでなく、大切な部下達にも辛く悲しい想いをさせてしまいました。
ギリギリまで思い詰めた二人は、俺の代わりに赤葦を守るために、
俺が今しようとしていることと、全く同じことをしてしまいました。

「何だってっ!?じゃぁ、月島君達も…離婚しちゃったのっ!?」
「そんな…っ、何でそこまで…っ!?」

「仰る通り、あいつらまで離婚する必要は、全くなかった…
   俺のせいで、あいつらに極端な手段を取らせてしまったんです。」

実際には、俺と赤葦が証人欄に署名しなければ、離婚は成立しないんですが、
まずは自分達が離婚の意思表示をしてからじゃないと、先には進めないと…
きちんと筋を通してから、赤葦に対して『新しい道』を示したんです。

「月島と山口、それぞれが赤葦に求婚…
   月島家と山口家も、赤葦を受け入れる『道』を用意してくれたそうです。」

月島家も山口家も、クセやアクは強いものの、愛情深く本当に素晴らしい家族…
心から赤葦を愛し、大切にしてくれるのは、間違いありません。
勿論、あいつら自身は言うまでもない…どちらと結婚しても、赤葦は幸せです。


「じゃあ…黒尾さんはどうするの!?まさか、月島君達に任せるつもりじゃ…」

月島君と山口君が…双方のご実家まで、京治のために動いて下さったのは、
本当に嬉しくて堪らない…心から感謝の気持ちでいっぱいだけど、
黒尾さんは、京治と離婚しても…京治が別の人と結婚しても…いいの?

「私は、黒尾さんの本心を聞くまで、絶対に納得しないから。
   『京治のため』じゃなくて…黒尾さん自身の気持ちを、正直に教えて。」

涙に濡れながらも、強い意志を放つ瞳。
本当にソックリ母子…全てを見通すこの瞳には、壁や建前は一切通用しない。
黒尾は小さく息を呑み込むと、意を決して肚を曝け出した。


「ここまでどん詰まりになって、周りにどつき回されないと動けなかった俺は…
   正直な所、あの二人には到底勝てる気がしません。」

月島家や山口家の手厚いサポートなんてなくても、二人はそれぞれが魅力的で、
俺なんかより、ずっと赤葦を幸せにできるはず…賢く優しい奴らなんです。
でも、分の悪い勝負だとはわかっていますが、俺も黙って見てはいられない…

「『今の赤葦京治』に認められ、選ばれるように…最善を尽くすつもりです。」

俺もあの二人と同じスタートラインに…『元伴侶』というハンデなしで、
赤葦に公平な視点から、『新しい道』を選ばせてやりたいというのも、
建前ではありますが…これも紛れもなく俺の正直な気持ちです。


「本音は…『元伴侶』という立場を明かしても、赤葦に選ばれなかった時、
   俺はきっと立ち直れない…ハンデなしの勝負で負ける方が、救われます。」

俺が心から信頼するあの二人なら、負けても仕方ないですし、
その場合でも、赤葦は幸せになれる…俺自身も納得して、諦めが付きますから。

情けない男で…すみません。
自分の弱さのために…自分の心の中で筋を通し、現状を受け入れるために、
ご両親にまでこんな辛い想いをさせてしまい、本当に…申し訳ありません。


深々と頭を下げ、謝罪する黒尾。
そこに、赤葦父の柔らかい声と、力みの抜けた母の声が掛けられた。

「黒尾君は…変わらないね。」
「ホント…あの頃から、全然変わってないのね。」

黒尾君は、覚えてる?
君がハタチになってすぐ、ここに京治を『お姫様抱っこ』して来た日のこと…
あの時も京治は、記憶喪失状態…人生初の飲酒で昏睡しちゃってたんだよね。

黒尾君には非はなかったのに、君は自分の責任を感じ、僕達に頭を下げた…
そして、両親である僕達以上に、京治のことを第一に考えてくれていた。

「まだ月島君達も上京してなくて、『酒屋談義』も数える程しかしてない頃…」
「貴方達も、まだ自分の気持ちを自覚する前だったのに…」

あの状態でも自覚してなかったのは、未だに「おいっ!」って思ってるけど…
『何となく部活繋がり』の頃から、黒尾君は京治を大切にしてくれていたよね。

どんな時でも、たとえ自分が苦しみに悶えることになったとしても、
黒尾君は京治を最優先し、一途に愛し続けてくれるだろうことを、
おそらく京治本人よりも、僕達の方がずーっと前から確信してると思う。
我が子をここまで大切にしてくれる人が居ることは、親として本当に嬉しいよ。

   でも…それだけじゃないんだ。
   君は大事なコト…忘れてるよ。


「京治は僕達の大切な息子。でも、君だって僕達が愛してやまない…息子だ。」
「可愛い我が子が…貴方が悲しむ姿だって、私達は同じように見たくないの。」

今回のことも、貴方が独りで苦しみを背負おうとしていたこと…
何もかも、自分の中に閉じ込めようとしていたことに、皆が気付いていたわ。
だからこそ、月島君達は極端な手段を選んでしまったのよ…
「独りで抱え込むな!」って、貴方に伝えるために…ね。

「こんな時まで独りでガマンしなくていい…泣き喚いたっていいんだよ?」
「私達には、ワガママ言っても甘えてもいいの…貴方の親なんだからね?」

   ほら…こっちに来てごらん。
   本当に…よく頑張ったわね。


両親に促され、黒尾はゆっくり立ち上がり、二人の傍に戸惑いながら近付いた。
父母はそんな息子の手を、両側からグっと握り締め…優しく微笑んだ。

「おとうさん…おかあ、さん…っ」

包み込むような笑顔を見た瞬間、黒尾はその場に崩れ落ち…
温かい両親の腕の中で、封じ籠め続けていたものを全て曝け出した。



********************




「えーっと、それじゃあ…俺のワガママと言いますか、今回の本題を…」

…その前に。
おとうさんは鼻水拭いて、おかあさんは ちょっと力を抜いて下さい。


アレやらコレやらを全部吐き出した黒尾は、心身共にスッキリ♪したが…
途中から一緒に号泣してしまった赤葦父母は、未だにちょっぴりグズり続け、
左右から黒尾にピッタリしがみ付き、離れようとしなかった。

自分よりも、むしろ父母の方がベタベタに甘えきった状態に、
曝け出した恥ずかしさよりも、徐々に照れ臭さの方が勝ってきたが…
かと言って、今更引き剥がすこともできず、そのまま話を続けることにした。


「今回お二人に本当にお願いしたかったことは、
   俺をお二人の息子にして欲しい…というものだったんです。」

胸ポケットから、先程の『緑色』とパッと見はよく似たカンジのお役所紙…
今度は黒で印字してあるものを取り出して、黒尾はテーブルに乗せた。

「これは…『養子縁組届』?」
「もしかして、僕達の『本当の息子』になりたいってこと…?」

困惑と驚きで、キョトン?と音を立てながら首を傾げる赤葦父母。
完璧にユニゾンした愛らしい動きに、黒尾は緩んだ頬を引き締め言葉を繋いだ。


「お二人は俺のことを、本当の息子のように『思って』下さっていますが、
   俺と京治の『事実上』の婚姻関係と同様に、『法律上』はそうじゃない…」

現行法で同性婚が認めらていない以上、俺達には法的な繋がりはありません。
強いて言うなら、住民票上の『世帯主と同居人』ですし、
どんなに仲が良くても、親子だと『思って』いても、俺とお二人は他人です。

「今までは、『事実上』の関係があればいいと、俺も思っていたんですが…
   事実婚、特に同性同士の場合、事実だけでは足りない部分があったんです。」

あいつが救急搬送された時も、正式な法律上の『家族』ではない俺の所には、
病院や救急隊からの連絡は来なかった…ご両親から聞いて、やっと知りました。
病院へ行っても、集中治療室で眠るあいつの傍に行くことも許されず、
暫くは『家族』以外面会謝絶…一週間後に一般見舞客としてようやく、でした。
今も、診察や定期健診に付き添い、医師の話を聞くことすらできないんです。

「現行の家族法では、俺は赤葦京治の世界には無関係の…『他人』なんです。」


今後もし赤葦が記憶を取り戻した場合、精神的に大きく傷付く恐れがある…
その際に、再び救急搬送されたり、入院する可能性もありますし、
これからの長い人生の中で、事故や病気等の『緊急事態』も起こり得ます。

今のままでは、俺はあいつの一大事に、傍に付いていることもできず、
大きな手術や治療に関する説明を受けたり、同意・不同意をする権利もないし、
本当に最期の瞬間も…病床で看取ることすら、俺には許されない状態なんです。

「そんなの…俺には耐えられません。」


でも、俺が『家族』なら、それが可能…
赤葦家の養子になることで、法的な家族関係が生まれます。

たとえ『伴侶』として選んでもらえなくても、京治の『家族』であれば、
俺は最期の最期まで傍に居られる…『京治の兄』という繋がりが残ります。

「兄としてでもいいから…ずっとあいつの傍に居続けたいんです。」


これは、俺のワガママです。
いや、ワガママでは済まされない程、黒尾赤葦両家への影響も大きなものです。
黒尾家の方は…俺の母親には、養子縁組の件も了解を得ることができましたが、
赤葦家はそう簡単な話ではない…それでも、無理を承知でお願い致します。

「俺をお二人の『本当の息子』に…赤葦家の養子にして下さい。」

   先程と同じ様に、深々と頭を下げ。
   今度は朗々と声を張り、願い出る。


「君は、ホンットーに…変わらない!」
「ここまで真っ直ぐ、筋を通してくれるなんて…っ!!」
「ちょっ、痛っ…!二人とも、ギューギューし過ぎですっ!」

せっかく止まりかけていた涙と鼻水が、またしても溢れ出してきた父母は、
ぐしゃぐしゃになった顔のまま、全力で黒尾にムギュ~~っ!!と抱き着いた。
一張羅のスーツが、何やかんやでシットリ湿り気を…
だがそれらは、先程とは違う感情を含んだ、実にあったかいものだった。


両親の気が済むまで…スッキリ♪するまで、黒尾はそのままじっと待った。
スーツどころか、ワイシャツもネクタイも皺くちゃになった頃に、
ようやく二人は落ち着き…いつも通りの明るい夫婦にすっかり戻っていた。

「もっちろん、僕達は大歓迎だよ~♪願ったり叶ったりじゃん!!」
「京治と離婚しようが結婚しようが、カンケーない…貴方はウチの子よ~♪」

どどどっ、どうしようお父さん!黒尾さんのこと…『鉄朗♪』って呼んじゃう?
もし黒尾さんが本当に『私達の息子』になってくれるのなら、
京治の記憶が戻る戻らないも、正直どうでもいい…どっちでもいいわよね~♪

こうしちゃいられない!今すぐコレにサインして…区役所に行かなきゃ♪
お母さん、ボールペンと実印と…お茶とお菓子をお願いできるかな?
あっ!?それじゃあ今日から黒尾君は、『赤葦鉄朗』に…ひゃぁぁぁぁ~~!!


勝手に大フィーバーする赤葦父母に、黒尾も呆然…
結構大きな話なのに、悩んだり熟慮したりせず、即決サインしそうな勢いに、
「こんな重要書類に軽々しくサインしない!ちゃんと注意書きも読む!」…と、
二人にツッコミするより先に、いつも通りの『先生業務』で対応してしまった。

「えーっと、じゃあ、ココの欄に…」

そう黒尾が指示を出し掛けた瞬間、盛大なツッコミ×2が飛び込んで来た。


「ちょっと待ったーーーーぁっ!!」
「勝手に決めるの、卑怯ですっ!!」


リビングから続く客間…部屋を仕切る障子を蹴破りそうな勢いで、
猛然と突入して来たのは…何と月島と山口の二人だった。

「僕達が大人しく黙って聞いてあげてるからって…」
「そんなアッサリ養子縁組しちゃうなんて…全っ然フェアじゃないですよ!」

驚きのあまり声も上げられない黒尾達。
二人は今が攻め時!とばかりに、怒涛の勢いで『言いたい放題』を開始した。


「どさくさに紛れて、養子縁組…抜け駆け以外のナニモノでもありません!」

僕達だって…月島家だって、同じことを考えているんですから。
僕と赤葦さんが結婚したあかつきには、赤葦さんも山口と同じように月島家へ…
そして、ついでに黒尾さんも一緒にイれちゃえ♪って思ってるんです!
4人全員で『月島ブラザーズ(拡大版)』という壮大かつ相続税対策万全な作戦…
これだって、ちゃんと『家族』…僕達4人に法的繋がりができます。

「だから、赤葦さんに返事を貰うまで…勝手に縁組なんて、僕は認めません!
   全く、油断も隙もありゃしない…この紙は、僕が預からせて頂きます。」

そう言うと、月島は『没収!』と言いながらも、紙をぐしゃぐしゃに丸め、
ポケットにねじ込んだ上から、自分の手もズポッ!!と突っ込んで封印した。


「山口家だって、『赤葦京治とイく☆北欧4か年の旅』を大絶賛企画中です!」

日本の法律じゃダメなら、海外にトんじゃえばいいじゃないですか。
母さんのトコで留学なり研究して、スウェーデンに4年住んで、永住権取得…
そしたら、スウェーデンで同性婚しちゃおう♪っていう、国境なき大作戦です!
法的な繋がりを得るなら、別に日本国に囚われ、拘る必要もない…
北欧だろうとあの世だろうと、『家族』になれるならどこだっていいでしょっ?

「あと、どんな事情であれ、勝手に離婚届を書くことは…俺が絶対許しません。
   赤葦ぱぱ♡ままを泣かせたことも含めて、後でツッキー共々…いいですね?」

記憶があろうとなかろうと、赤葦さんに内緒でこんなもの…『抹消!』と、
山口は離婚届を文字通り『木っ端微塵』になるまで、延々破り続けた。


粉々に散りゆく離婚届の残骸に、黒尾(と月島)は肝を冷やし…
とりあえず山口の積もり積もった怒りを鎮めるべく、慌てて口を開いた。

「お、お前ら、いつから…どこまで…」
「最初から、全部です。」

そもそも、今回の『赤葦京治を探す旅』の計画立案者は、僕と赤葦ぱぱ♡まま…
途中で合流した山口と共に、黒尾さんが来るのを一寸先で待ち構えていました。

「黒尾さんの本音とか、恥かしいアレとか…ぜ~んぶ聞いてましたからね~♪」
「当然ながらこれは盗み聞きではない…僕達には聞く権利がありますよね?」


全く、ここまでしてあげなきゃ動けないなんて、手間のかかるヘタレ上司です。
これなら、僕か山口が赤葦さんに選ばれて然るべし…恨みっこナシですからね。

とは言うものの、黒尾さんは未だに赤葦さんと話をしていない状態ですから、
フェア上等な『赤葦京治争奪戦』のスタートラインにすら、到達していません。
待っててあげますから、今すぐ赤葦さんに逢いに行って…話し合って下さい。


「逢いに行くって、どこへ…?」

黒尾の問いに答える代わりに、山口はスマホを取り出した。
画面には『通話中』の文字、そしてその相手は…『研磨先生』となっていた。

「俺達は一寸先で、黒尾家と赤葦さんの話も、同時に聞いていました。」

俺達が全く想像もしないようなことで、赤葦さんは悩み…苦しんでいました。
一秒でも早く逢いに行って、赤葦さんをその苦しみから救ってあげて下さい。

「冗談抜きで、急いだ方がいいですよ?
   事態は俺達も予想しなかったような…驚くべき展開になってますからね〜」

そう山口が言うと、スマホから聞きなれた『クロ、聞いてる?』の声、そして…

『俺も、赤葦にプロポーズしといた。
   赤葦は、居たい場所へ、帰っ…』


   研磨の声がまだ響き渡っている中。
   黒尾は赤葦家から飛び出していた。




********************



「あ…雨、か。」


タクシーに乗り込み、「どちらまで?」と運転手さんに聞かれ…
『赤葦が居たい場所へ…帰りなよ。』という、孤爪師匠のご指導に従うように、
俺は頭に浮かんだ住所を伝え、あとは運転手さんと流れに任せることにした。

到着した場所を見て、俺は内心驚いた。
その割には、淡々と「『黒尾』で領収書下さい。」と定型句を言っていたが。

   ここが…俺が居たい場所?
   俺が帰るべき所…本当に?


1階のバイト先…黒尾法務事務所の電気は、消えている。
もう遅い時間だし、とっくに終業か…修羅場明けの休業かもしれない。
現在地…来客者用玄関の真上は、2階と3階のベランダ部分だから、
上の居住部に誰かいるのかは、この場所からはわからない。

道路向かいから灯りを確認しようにも、激しい雨で庇の下から出られない。
裏手に回り、居住者専用通用口へ…インターホンを鳴らすべきだろうけど、
一体何の用だ?と問われると、返答に困ってしまう。

   (俺はここに、何しに来たんだろ…)

結局、どうすべきかを考える気力もないまま、黒いジャンパーのフードを被り、
冷たい雨に濡れながら…ただ漫然と暗い夜空を眺めていた。


「ここで雨に打たれたこと…ある。」

どう足掻いたって『過去』は変えられない…そう欝々と零しながら、
雨雲のようにドス黒く渦巻く感情を、そう…『孤爪研磨』に対して抱いていた。
今は、その『過去』すら思い出せないけれど、一つだけ確実なことは…

   (孤爪師匠は…やっぱり『特別』だ。)

この感情は、紛れもなく…嫉妬。
今は『師匠』とお慕い申し上げ、結構な友好関係にあるようだけれど、
奥底にはまだしっかり、自分ではどうしようもない想いが残っていたんだろう。

記憶喪失になったというのに、醜い感情だけはすぐに戻って来た…
誰よりもまず、強烈で醜悪な自分の姿を映し出す相手を思い出したことに、
人間って強欲だなぁ〜と、他人事のように感心してしまったぐらいだ。


そして同時に、わかったこと。
『孤爪研磨』に嫉妬心を抱くことの意味は、たった一つしかない。
『T=(孤爪研磨の)竹馬の友』ないし、『T=(竹馬の友)的な存在』は、
最後に残ったあの人…ということなんだろう。

だからこそ、俺があの人を裏切ったかもしれないことや、
拒絶されることに恐怖を感じるのも…『T』があの人ならば、筋の通る話だ。

   (黒尾さんが…一番の『特別』だ。)


確証はない…いや、あったのだ。
俺自身の綴った『記録』を見れば、それこそ『T×K=1.75/w』なんていう、
一週間当たりの『何かしらの平均回数』が、当然のように計算してあるはず…

   (8日に2回…1回ヤって3日休み。)

さすが黒尾さん。実に適正かつ理想的な『夫婦生活』のペース…ではなくて、
俺はあえて、喪失した記憶を補完し、確証となる『記録』を見なかったのだ。

どう足掻いたって、俺が記憶喪失したという『過去』は、変えられない。
失った記憶がこの先戻ってくるのかどうかも未知数…『未来』も覚束ない。
だから、『今』の自分がどう思うのか…自分が何を『確信』するのか、
カラダの声を聴いて、それを確かめてみたいと思ったのだ。


カラダの声を聴く…か。
いっそのこと、文字通りに『カラダに聴いてみる』のも、アリかもしれない。
月島君、山口君、孤爪師匠に…誰となら『夫婦生活』を送ることができるのか…
風邪じゃないんだから、一晩寝れば治ったり思い出すものでもないだろうけど、
まぁ、1回ずつぐらい『お試し』で、ソフレなり何なりして寝てみるのも…

   (…って、何言ってんだ俺は!)

しょーもない思考しか出て来ないのも、師匠が頸筋なんかに喰い付くからっ!
こんなトコに、こんな歯形が付いてるのを見られたら、あのムッツリ野郎は…

   雨の日。孤爪研磨。そして…嫉妬。
   こんなこと、確か前にも…あった。
   ここじゃない、酒屋談義の…場所。
   そこで俺は喰われ…『回帰』した?

ぐるぐるループし始めた思考を止めたのは、激しい雨音に混じる足音と、
その後に響いてきた怒号、そして強く腕を掴まれた…手の温もりだった。


「こんなとこで…何やってんだっ!?」
「あ、お帰りなさ…赤ずきん、さん?」



*****



赤葦家を飛び出し、電車に乗った頃に、どうやら雨が降り出していたようだ。
自宅の最寄駅に着き、激しい雨に行く手を遮られて…俺はようやく我に返った。

   (自宅で…いい、のか?)

赤葦は『居たい場所』へ帰った…
それだけ聞いて、俺は衝動的に自宅へ駆け出してしまったが、
今の赤葦が帰宅している場所は、さっきまで俺が居た赤葦の実家なんだから、
そこで帰りを待っている方が、逢える蓋然性は高かったはずなのに…

あの研磨が『争奪戦参戦』と聞き、じっとしては居られなかった。
どんなモノであれ、勝負事とあらば研磨は本気で攻略しに掛かって来る…
研磨が動き出す前にカタを付けないと、俺に勝ち目などない。

   (とりあえず…家に帰ろう。)

タクシーは…大行列。駅ビルのドラッグストア…傘は売り切れ。
仕方なく、残っていた女性用の赤いポンチョを買い、気休めに被って走った。


   (赤葦の『居たい場所』は…)

4人で一緒に過ごす『職場』でもいい。『酒屋談義』の場としてでもいい。
二人の『家庭』という意味じゃなくてもいいから、そこに居て欲しい…

儚い希望を抱きながら、はためくフードを押さえて全力疾走。
職場兼自宅が見え、来客者用玄関前に見慣れた人影を見つけた瞬間、
喜びよりもまず、馬鹿野郎…という呟きが、胸から迫上がって来た。


「こんなとこで…何やってんだっ!?」
「あ、お帰りなさ…赤ずきん、さん?」

この寒い中、しかも雨に濡れながら、玄関先に突っ立ってるなんて…
どうして家の中に入ってないんだ!?と言いかけて、その言葉を呑み込んだ。

   (赤葦はここの鍵を、持ってない…)

それなのに、赤葦はここに帰り、待っていてくれたのだ。

居てくれたことの嬉しさと、雨の中で待たせてしまった申し訳なさ、
そして、赤葦を壁の中へ…家に入れてこなかったことへの後悔が入り混じり、
赤葦が何かを言っているのも聞かず、腕を掴んで通用口へ引っ張って行った。

   (話す云々よりも、まず…風呂!)


通用口の鍵を開け、事務所入口の前を素通りし、奥の階段へ。
「こっちは、こうなってたんですね。」という暢気な赤葦の声にすら、
バイト復帰後の1カ月間、ずっと来客者用玄関から出入りさせていたこと…
『外の人』扱いしていたことを思い知らされ、胸が押し潰されそうになる。

   (すまねぇ…本当に、すまねぇ…っ)

何か声を発してしまえば、全部溢れ出てきてしまう…
さっき赤葦家で色々吐き出したせいで、蓋も箍も栓も腺も、かなり緩んでいる。
気まで緩めてしまえば、フェアな勝負に至る前に、フライングしかねない。

   (耐えろ…耐えるんだ!)

俺が耐えなければ、赤葦が『新しい道』を選択できなくなってしまう。
そんなことになれば、『道』を作ってくれた皆に…赤葦に申し訳が立たない。

俺はアレもコレも締めるべく、必死に歯を食いしばって階段を駆け上がった。



事務所の前を抜け、奥の階段を上へ。
3階まで上がって来たところで、黒尾さんは尻ポケットから鍵束を出した。
ここが、黒尾さんの自宅…やっと、ここに入れて貰えるという喜びと共に、
本当に俺が入ってもいいのだろうか?という不安が、頭の中を過ぎっていく。

   雨に濡れたから仕方なく?
   俺は『招かれざる客』…?

たとえ『裏切者』だと思っていても、寒空に濡れる相手を放ってはおかない。
それが、自分の部下…ただのバイトであっても、黒尾さんならそうするはずだ。

お伺いしますという連絡もせず、勝手に押しかけて待っていた俺は、
家に入れてもらう目的で、わざと雨に濡れたと思われても…仕方ない状況だ。

   (やっぱり、ここに来ない方が…)

   ガチャリと鍵が鳴り、玄関扉が開く。
   吸い込まれるように、脚が家の中へ。


家の中に入った瞬間、頭に渦巻いていたモノが全て吹き飛び、真っ白に…

玄関タイル。廊下のフローリング。俺のコレクション(常温)が入った納戸。
いつの間にか下駄箱に引っ掛けられた、雨に濡れそぼった黒と赤の…ずきん?
家の奥からほんのりと香る、ホッと全身が緩む…鼻に馴染んだ落ち着くにおい。
そして、目の前の…大きな背中。

「あ…ぁ…っ」

カラダとアタマを飛び交う、いろんな記憶の波に、溺れそうになってしまう。
ぐらり…と傾いだカラダを、異変を察知した黒尾さんが抱き留めてくれた。


「おい、大丈夫かっ!?赤葦っ!!?」

慌てふためきながら俺を呼ぶ声が、遠くに聞こえる。
この人もこんな風に取り乱すことがあるんだな…と、俺は冷静に思いつつ、
包み込まれた温もりと感触に、はっきりと確信を得ていた。

さっきお寺で抱かれたのと、ソックリ。でも、こっちが…ホンモノ。
指環の示す『T』は『鉄朗』で、この腕の中が、俺の居場所。そして…


「ここが、俺の帰るべき場所…
   俺と黒尾さんの…『家庭』です。」



赤葦の言葉を聞いた瞬間、何もかもが全て吹っ飛んでしまい、
溢れ出るものに押し流されるように、腕の中の赤葦を力一杯抱き締めていた。

   呼吸が止まる程に掻き抱き。
   呼吸を奪うように口付ける。

突然の抱擁とキスに、赤葦のカラダは一度だけ大きく震えて驚愕を表したが、
すぐにそれは小刻みなものに変わり、別の感情を伝え始めてきた。

   (くろお、さん…)
   (あか、あし…っ)

   声にならない声で。
   唇の形だけで、互いの名を呼び合う。

今までと全く変わらない二人のキスに、歓喜と共に熱がせり上がってくる。
ココロとカラダの奥底から、赤葦を欲する声が絶叫し始めてきた。

   (耐えるなんて…もう無理、だ。)


キスの角度を変える動きに合わせ、抱く力をほんの少し弛めると、
赤葦は腕を上げて俺の首に巻き付け、さらに強く密着し、キスを求めてきた。
いつも通りの仕種…その『いつも通り』が、何よりも嬉しく感じてしまう。

   (赤葦は、何も…変わってない…っ!)

冷え切った暗い玄関に、外の雨音と激しく絡むキスの音が混ざり、響き渡る。
濡れた髪を伝って落ちる水滴と、キスから溢れる互いの雫も混ざり合い、
ズルズル壁を滑り落ちるカラダと共に、廊下にヒタヒタと零れ落ちていった。


「雨に濡れた廊下で…懐かしいです。」
「『赤ずきん』の夜…思い出したか?」

冷たいフローリングに座り込んだまま、キスの合間に赤葦が微笑んだ。
その表情で、赤葦が断片的に記憶を取り戻しつつあること…
まだ完全には思い出してはいないが、肝心なことは確信しているとわかった。

もっと思い出してくれ…という願いを託しながら、熱いキスをひたすら続ける。
奥深くに埋没した記憶を手繰り寄せるように、舌を絡ませて吸い上げていく。

「あの夜から、『T×Kカウント』が、スタートして…
   『黒尾鉄朗と赤葦京治』のカンケーもスタート…しました。」

狼に喰われた赤ずきんが、『魂の回帰』を果たして生まれ変わったように、
俺も今日、俺達のスタートラインに…もう一度帰って来たんですね。


赤葦の言葉に、光明が見えてきた。
俺達のスタートを思い出したなら、あとはもう…時間の問題だ。
少しずつ、二人の歴史を辿るように、最初から思い出していけばいいだけ…

「他に…何か思い出せそうか?」

あの後、俺達が何をしたか?
この家で二人がどんな家庭を築き、どんな毎日を過ごしていたか…?
ほんの些細なことでもいい。
記憶を呼び覚ますことができるのなら、このまま一晩中、キスをし続けよう。

その意思を示すように、両手で赤葦の頬を包み込むと、
赤葦はその手を掴んだまま後ろへカラダを倒し、廊下に背を付けた。

「こんなんじゃ…足りません。」


あぁ…俺は何て大馬鹿野郎なんだ。
艶を放つ赤葦を前にして、耐えられるわけなんてないのに。
俺が赤葦を手放すことなんて、できるわけない…分かりきっていたじゃないか。

   (赤葦、それに皆…本当にすまねぇ。)

いつも通りトロリとした瞳を、真上から真っ直ぐ覗き込み…キスをひとつ。
そして、以前と変わらぬ『新しい道』を赤葦に願い出た。


「ここに…俺達の家に、
   帰って来てくれないか?」




********************




「それでは、臨時会議を始めます。」


黒尾法務事務所応接室。
まだ納期まで多少余裕があるため、今日は臨時会議…マッタリお喋りタイム。
いや…違う。私用とは言え、今回の議題はすこぶる重要なモノである。

いつもの臨時会議のように、駄菓子とお茶を広げることもなく、
4人はピシッと背筋を伸ばしてソファに座り、やや緊張気味に構えていた。


「ではまず、黒尾さん。例のモノをお出し下さい。」

一番最初に指名された黒尾は、ビクリ!と大きく全身を跳ねさせ…
ジャージのポケットから、小さく折り畳まれた紙を出し、赤葦に手渡した。
月島と山口が署名した、二人の離婚届…黒尾が預かっていたものだ。

黒尾と月島と山口は、三者三様の表情でその紙から視線を逸らしていたが、
赤葦は受け取った紙を開きもせずに、月島達にペコリと頭を下げた。

「俺のせいで、お二人にはツラい思いをさせてしまい…申し訳ありません。」


「なっ…!?やめて下さい!あ、赤葦さんは、全然悪くないですからっ!」
「そっ、そうですよ!悪いのはツッキーと黒尾さんですよっ!」
「そうだぞ!赤葦が謝ることはない…ツッキーはともかく、山口も悪くない!」

三人の言葉に、赤葦は満足そうに微笑みながら顔を上げると、
「えぇ、仰る通りです。」と言い切り…黒尾と月島は息をゴクリと飲み込んだ。

この件に関しては、どこぞのおじ様の如く、伴侶に無断で突っ走った月島君と、
月島君を暴走させる元凶となった、ヘタレな黒尾さんに非がありますから。
二人には山口君及びウチの両親を泣かせた事…ミッチリ反省して頂きます。

「というわけで…月島君。」
「はっ、はぃぃぃっ!!!」

この『紙クズ』は俺と山口君の見えない所で抹消…灰を残すことも許しません。
俺に燃やし尽くされる前に…わかってますね?

恐怖で言葉も出ない月島は、渡された紙クズを黙ってポケットへ突っ込み、
完全降伏を示すべく、山口と赤葦に対して深々と頭を垂れた。
そして、心からの謝罪を口にする前に、またしても赤葦の方が月島に謝った。


「月島君、ごめんなさい。貴方からのプロポーズには…お応えできません。」

度を越した照れ屋なツンデレ野郎で、山口君を何年も待たせた月島君が、
誰よりも早く行動し、ド直球で求婚して下さった…驚きと感謝でいっぱいです。
眩いばかりのイケメンに、真正面からプロポーズだなんて、物凄い役得でした♪

「凄ぇな、ツッキー…カッコイイじゃねぇか!」
「ふーん…ツッキーが?へぇ〜、そうなんだ。」

黒尾は尊敬の眼差しで月島を仰ぎ見、褒め称えたのだが…山口は膨れっ面。
その様子に赤葦は笑いを堪えながら、月島に向き直った。

「ですが、いくらイケメンでも、泣きながらのプロポーズは…頂けません。
   涙脆いのは存じ上げてますが、泣く程ツラい結婚なんて、お断りですよ。」

「うっわ、ツッキー…カッコ悪っ!」
「それ…バラさないで下さいよっ!」

羞恥でやや涙目の月島に、ツッキー残念だったね〜♪と、嬉しそうに笑う山口。
そんな山口に、赤葦は呆れ声で「笑ってる場合じゃありませんよ。」と言い、
山口君にはこちらを…と、大きめの紙袋を手渡した。


「これは…バラの花束!?じゃあ、赤葦さんは俺のプロポーズを…」
「何言ってんですか。山口君は俺に…全くプロポーズしてませんよね?」

山口君が下さった4本のバラ…『フォアローゼズ』は、求婚にまつわる話です。
しかし、それは求婚するものではなく、求婚に対する受諾を表すもの…
つまりその花束は、『フォアローゼズ』とは別の意味を示す『4本』でした。


山口君に頂いたのは、満開のオレンジ色のバラが3本と、黄色が1本の計4本。
トゲはなく、緑色の葉がしっかり付いているものでした。

4本は『死ぬまで気持ちは変わりません』という意味、満開は『私は人妻』…
そして、オレンジは『絆』『信頼』を、トゲがないのは『友情』を示し、
1本だけあった黄色は『嫉妬』…この全てが山口君の本心だったんです。

「『死ぬまで変わらない気持ち』が俺に向いているとは、到底思えない…」

そんな『人妻』な山口君は、俺に求婚はしていませんけれど、
花の色で『信頼』と『友情』を、葉っぱから『あきらめないで』と…
俺に心からのエールを贈って下さっていたんですね。

「俺からの返事は、同じオレンジのバラを、赤葦家伝統の『倍返し』で8本…
   『貴方の思いやり、励ましに感謝します。』…受け取って頂けますよね?」


「赤葦さんなら、俺のキモチ…わかってくれると信じてました。」
「もし本当にプロポーズだったら…確実に落ちていましたよ?」

バラの花束でプロポーズ…に見せかけながら、真意を見事に伝え合った二人。
高度かつ漢前な山口の求婚もどきに、黒尾と月島はコッソリ感服…
山口が不戦敗を選んでくれたことに、心の底で安堵のため息をついた。


これで赤葦は、月島と山口双方のプロポーズに『ごめんなさい』をし、
『T&K』の『T』候補は、残すところあと一人となった。
だが赤葦の薬指には、まだその指環は…はめられていなかった。

   赤葦の記憶はどの程度戻ったのか?
   あの後、黒尾とはどうなったのか?
   これから二人は、どうするのか…?

心配そうに見つめる月島と山口に、赤葦は表情を緩めた。
そして、初々しく頬の端を染めながら黒尾と視線を交わし、小さくはにかんだ。

「やっと俺達の『原点』に帰った辺り…まだスタートラインです。」

これから黒尾家にお伺いして、まずは弧爪師匠達にご挨拶等をしてから、
『元々の俺』が残した記録で、喪失した記憶を埋め…確信を確証にしてきます。

「その上で…これからどうするのか、じっくり考えさせて頂きますね。」


赤葦の『今後の予定』に、月島達は頬を桃色に…ホッとした表情を見せたが、
何故か黒尾は真逆の真っ青に…途端に焦り始め、慌てて赤葦に詰め寄った。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ!お前はウチに帰って来るんじゃ…」
「えぇ。ウチには帰りますよ…帰って来いって言われましたから。」

「それはつまり、その…俺と元に戻るってことなんじゃねぇのかっ!?」
「戻りましたよ?俺達のスタートラインに…お付き合い開始時点にね。」

この先を取り戻すには、まだまだ色々アレもソレもコレも足りない…
お付き合い&同棲し始めたばかりですから、判断するには時期尚早ですよね?

「それに、黒尾さんからは未だ…求婚された記憶はありませんから。」
「んなっ!?まさか、またアレをヤれって言うつもりなんじゃ…!?」


…というわけですので、臨時会議はこれにて終了致します。
俺達はこれからお出掛けするので、あとはテキトーによろしくお願いしますね。

一方的に閉会宣言をした赤葦は、黒尾としっかり腕を組むと、
「さあ、行きましょう♪」と嬉しそうに微笑みながら、事務所から出て行った。



「記憶喪失を逆手に取って、『ラブラブ恋人期間』をやり直すつもり…だね。」
「恐るべし狡猾参謀…これはかなり、羨ましい話だよね〜」

記憶が戻ろうが戻るまいが、あの二人のデレデレっぷりを見せつけられるだけ…
以前と全く変わらない幸せいっぱいの日常が、ようやく戻ってきただけの話だ。

「ホントーに、手間のかかる!」
「傍迷惑にも程があるよね〜♪」

セリフとは裏腹に、二人は喜びと安堵の涙をお互いに拭い合った。
そして月島は、あることを思い付き…山口に提案した。


「僕達も一度は離婚届を書いた…これを『有効利用』してみようか?」

黒尾さんと赤葦さんが、記憶喪失を目一杯楽しむのと同じように、
僕達も『ラブラブ恋人期間』に戻ったということにして…

「これから二人で、その…おデート、しない?」


もじもじと恥ずかしそうに『お誘い』をする月島につられたかのように、
山口もポポポっと頬を赤らめ…月島の腕にそっと手を添え、小さく頷いた。




- 完 -




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※赤葦、人生初の飲酒 →『王子覚醒
※事務所の玄関庇の下で… →『撚線伝線
※『赤ずきん』の夜 →『王子不在』『姫様豹変
※『フォアローゼス』と倍返し →『優柔甘声』『薔薇王子



それは甘い20題 『20.足りない』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2018/02/03   

 

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