優柔甘声







「これからもずっと…僕の隣に居て下さい。」


  目の前に差し出された、真紅の薔薇の花束。
  鼻を擽る甘い香りと、脳を痺れさせる甘い声。

あまりに突然の出来事に、俺の頭は真っ白になった。
真っ赤な薔薇の向こうで、柔らかく揺れる黄色の髪。

俺は、おずおずと手を伸ばし、その花束を受け取り…


「…玄関先で、何やってんの。邪魔だからどいてよね。」

横から花束を引ったくったツッキーは、大きな足音を立てながらリビングへと入って行った。



「二人とも、お帰りなさい~」
「おばさんただいま!お邪魔します!!」
「…ただいま。」

土曜の休日練習後、今日も俺は月島家にお邪魔している。
先週は仙台の明光君のとこ、その前々週も月島家…
今月は、75%の確率で『月島家で週末』ということになる。
実際は、先月もその前の月も同じぐらいの頻度だったから…
高校入学以降、週末の俺は、実態として『月島家の子』だ。

何か申し訳ないような、嬉しいやら、気恥ずかしいやら。
俺はヘラヘラ弛んだ顔をツッキーに見られないように、後ろを振り返って、ペコリと頭を下げた。

「先週はいろいろありがとう、明光君!!」
「いえいえ、どういたしまして~♪」

今日は(今週も)、明光君が帰省していた。
…楽しい週末になりそうだ。



「ところで、何で兄ちゃんがここにいるの?」

いつものように、入浴と洗濯、晩御飯を食べ終わると、
リビングのソファーに座り、『一家団欒』の時間が始まった。
熱いお茶を啜る明光君に、ツッキーがまず質問した。

「今日、地元の友達の結婚式だったんだ。その帰りなの。」

会場に飾られていた、たくさんの薔薇…『お土産』として、来場者にそれが配られたらしい。

「結婚式の…『幸せのお裾分け』らしいわよ。嬉しいわねぇ。
   さっきの花束は、忠ちゃんの分…山口家にもお裾分け♪」
「おばさん、ありがとう!ウチの母さんも、絶対喜ぶよ。」

女性は大抵、花が好きだ。花を貰って怒る人はあまりいないだろう。
男でも、花を貰って困惑することはあっても、怒りはしない。
それにしても…


「俺、花なんて貰ったの…生まれて初めてだよ。しかも、薔薇の花束なんて…
   明光君の『悪ふざけ』だとしても、一生忘れないかも。」
「それは光栄だね~!ちなみに、『悪ふざけ』でもプロポーズしたの…俺も初めて。」
「あらぁ、妬けるわねぇ~。薔薇の花束と共にプロポーズなんて、忠ちゃんが羨ましいわ~」

明光君の甘い声と、おばさんの暢気な笑い声。
そして、ツッキーからの…無言の圧力。
三者三様の『声』に、何だか居た堪れなくなり、俺は話題を変えるべく、カバンを取り出した。

「あ、あのさ、これ…ウチの親から、明光君へって。
   頂き物らしいけど…『先週はお世話になりました』って。」
「お、わざわざ悪いね!サンキュー!!」

「それから、こっちは…おばさんに頼まれてた、例のもの。
   嶋田さんに割引シールつけてもらったから、おつりが…」
「忠ちゃん、ありがとう~助かったわぁ。おつりは『お駄賃』だから、蛍と二人で使いなさい。」
「いいの!?それじゃ、遠慮なく…」

明光君に渡したのは、包装紙に包まれた箱(たぶんお酒)。
おばさんには、この間来た時に頼まれた『お遣い』の品…
この辺では嶋田マートにしか売っていない、紅茶だった。

「いつの間に、山口にそんな『お遣い』頼んでたの…」
「あら、蛍はいなかったかしら?…丁度良いわ。引出物のお菓子と一緒に頂きましょうね~」

おばさんはそう言うと、紅茶を持って台所へと向かった。
俺も手伝おうとソファーから立ち上がると、
正面に座っていた明光君が、真剣な顔で俺の手を引いた。


「なぁ、忠…『これ』が、お前の『答え』…と、受け取ってもいいのか?」
明光君は、箱から取り出したお酒をゆっくりと回し、そのラベルを俺たちに見せた。

「『Four Roses』…フォアローゼズ…4本の薔薇…?」

偶然にも『薔薇』の名前がついているお酒だったが、
明光君の『神妙な顔つき』の意味は、俺には全くわからなかった。
ツッキーの方もそれは同じらしく(詳しかったら逆に問題がある)
ツッキーと俺は、明光君の話を聞くべく、黙って座り直した。

「これは、バーボン…アメリカのウィスキーなんだ。
   トウモロコシとライ麦を原料とした蒸留酒だよ。」

明光君は、息を大きく吸うと、一度目を瞑り…「むかしむかし…」と語り始めた。


    このウィスキーの生みの親である男性が、とある舞踏会に出席しました。
    そこで、ある美しい女性に一目惚れしてしまい、男性は迷わずその女性にプロポーズしました。
    驚いた女性は、「次の舞踏会まで、返事は待って下さい。
    もしお受けするなら、薔薇のコサージュをつけて参ります。」…と言いました。

    そして、待ちに待った舞踏会の夜…女性は、その胸に4輪の真紅の薔薇を付けて現れました。
    男性の愛が実った瞬間でした。
    この出来事から、彼の造ったお酒は『フォアローゼズ』と名付けられ、
    ラベルには二人を結んだ真紅の薔薇が描かれました。



「だから、俺は忠に確認したんだよ…『これがお前の答えか?』ってね。」

「そんなの、ただの『偶然』に決まってるでしょ。そもそもこれは『頂き物』だって言ってたし、
   未成年の僕らが、そのお酒の『由来』なんてわかりっこないよ。」
俺の代わりに、ツッキーが全部答えてくれた。

「あら、『偶然』を『運命』だって『錯覚』する…それが『恋愛』ってものなんじゃないかしら?」

おばさんがお盆に乗せて来たお菓子と紅茶を、意味深な言葉と共に、みんなの前に配った。

「愛がたっぷり詰まった…『愛す(アイス)最中』ですって。引出物には最適なネーミングよね~。
   忠ちゃんのお遣いの紅茶は…偶然にもローズティーよ。」

もなか…これも、偶然にもつい最近話題に上っていた。
明光君とは驚きの視線を交わしたが、ツッキーは顔を背け、無言でバリバリと最中を咀嚼していた。

あ、この『無言』は…『ツッキー不機嫌警報』のサインだ。
危険水域…『ガマンの限界』が来る前に、話題を変えなければ。

明光君に再度視線を送ると、明光君も小さく頷いた。
先週と同じ失敗をするわけにはいかない。


「そ、そう言えば、さっき玄関で明光君が花束くれた時の声…
   この最中と紅茶に負けないぐらいの『甘さ』だったね!」
「『甘い声』…か。声は耳で知覚するのに、甘い…味覚の表現って、面白いよな。」

「常用してるけど、『甘い香り』は…嗅覚の表現だよ。
   声を視覚で表現したのが…『黄色い声』だったね。」
前回の月島家本宅宿泊時に、『考察』したテーマの一つだ。
偶然出てきた『ごく近い』テーマに、ツッキーが素早く反応した。

「それじゃあ、今日は『甘い声』に関する話をしようか。二人は先に、俺の部屋で待っててよ。
   俺は母さんと一緒に、これ片付けて上がるから。」


はーい!と『よいお返事』をした蛍と忠は、洗面所で歯を磨いた後、
俺の部屋へと上がって行った。

「…ねぇ明光、あんまり蛍をからかいすぎちゃダメよ?あの子はあなたほど器用じゃないんだから。
   『悪ふざけ』でさえ…『甘いセリフ』が言えないぐらいにね。」
横でカップを洗う母さんが、苦笑しながら小声で言った。

「普段は言いたい放題のくせに、肝心な事は『無言』だよね。
   全く…『真紅の薔薇』がピッタリだよ。」

薔薇の花言葉は、その花弁の色等によって意味が様々に変化する。
例のコサージュ…『真紅』は、『恥ずかしさ、内気』だ。


「照れくさくて言えない…『今更』言えない、のかな?」

「『照れくさくて言えないというのは、つまり自分を大事にしているからだ。』…太宰治よ。
   『自分じゃない誰か』を、大切にしたいと思う日が、蛍にもいつかは来るわ。
   …母さんは、そう信じてる。」

あの蛍に…本当にそんな日が来るだろうか。
その日が来る頃には…蛍自身が『化石』になってそうだ。

「絶対来るわよ。だって…貴方達のお父さんにも来たんだから。」

とんでもない『偶然の産物』だったけどね…と、母さんは柔らかく微笑んで断言した。




***************





兄の部屋のベッドに、山口と並んで座る。
その前に椅子を反対向きに置いた兄は、背もたれに両腕を乗せて、一つ目の質問を発した。

「まず最初に…『声』とは何か。
   今回は、『名声』といった『名誉や評価』とか、『銃声』『鐘の声』みたいな『物』が出す音、
   そして、『お客様の声』みたいな…『意見』っていうのは除外しよう。」

お客様の声は…あまり『甘い声』ではなさそうだ。


「声とは、ヒトや動物の発声器官から発せられる音、だよね。」
「ヒトの場合、喉の奥にある声帯を震わせることで、発声する。」

正確に言えば、肺から押し出される空気が、声帯を通過する際に、
そこが狭まることによって、空気が振動される。
この時点では、『声』と認識できるものはなく…

「声帯で震えた空気は、鼻腔や口腔、歯や舌、唇を動かすことで調音され…『声』になる。
   それでは、『声』にはどんな種類があるか?」

僕と山口は、『声』がつく熟語を思い浮かべながら、ざっくりとその種類を分類してみた。

「声の『質』で分けてみると…高声、低声、男声、女声。
   地声や裏声、風邪声、鼻声も、発声法での質の違いかな。」
「発声法以外で声質の表現としては…
   だみ声、嗄れ声、甲声、美声…『形容詞+声』のものだね。」

「感情や、発声状況を表す声の種類として…
   涙声、嘆声、癇声、叫声、叱声、掛声…『形容動詞+声』かな。」
「そのうち、『良い』感情や状況で出される声の種類ならば…
   嬌声、歓声、鬨の声や千歳の声…善がり声に喘ぎ声も…だよね。」

こうしてみると、『声』といっても様々である。
今回のテーマである『甘い声』は、『形容詞+声』…すなわち、『甘い』という状態を表す声、だ。

「ま、結局の所、この『甘い』ってのは味覚表現じゃなくて、
   それ以外の感覚に転じた表現ってことになるんだけどね。
   俺が思うに、『甘い声』の『甘い』とは…『心地よくうっとりさせる』…『甘いマスク』と同じ、だね。」
兄はそう言うと、意味不明なウィンクをして見せた。


「切り口を変えて…『心地よくうっとりさせる』ような声とは?」
これは、『甘い声』に近いものや、別の表現を探せ…という質問だ。

「『心地よい』のは…高いよりは低くて、深く響く声…かな。
   優しくて、もの柔らかな声も、雰囲気としては『甘い』よね。」

山口の解答に、僕は「待った」の声を掛けた。


「前々から思ってたんだけど…『優しい』と『柔らかい』…両方とも、穏やかで甘い雰囲気なんだけど、
   二つ併せて『優柔』っていうと、ガラリと雰囲気が変わるよね?」
「優柔…不断。ぐずぐずして、決断できないこと。煮え切らなくて、はっきりしない状態…」

「『優柔』には、印象がプラスマイナス、逆の意味がある。
   それ…実は『甘い』にも当てはまるんだよね。」
相手を甘く見る、甘い採点、甘い考え、甘い言葉で誑かす…
兄の列挙する言葉には、心地よさもうっとり感もない。

「人生の一大事を決断する場面において、優しく柔らかな…
   『甘い』声が、はたして相応しいと言えるのか?
   …これが、僕の疑問だよ。」


言われてみると、それもそうだな。
とするならば…

兄は、鞄からメモ帳を取り出し、何かを確認した。


「蛍の疑問について考えるために、『甘い声』のもう一面…
   今度は『うっとりする』方について、考えてみようか。」
ガラリと雰囲気を変え、兄はひそひそ声で提案した。


「二人は、『鄭衛之音(ていえいのおん)』とか、
   『桑間濮上(そうかんぼくじょう)』っていう言葉…知ってる?」

僕は山口と顔を見合わせ、首を横に振った。
全く聞き覚えのない四字熟語だった。

「中国の春秋時代、衛という国に霊公っていう君子がいたんだけど、
   その人が、濮水っていう川のほとりで聞いた音楽が気に入り、
   別の国…晋の平公の前でその音楽を披露させたんだ。
   でも、それを聞いた晋の楽官が、『これは殷を滅亡させた、淫靡な音楽だ』と言って、
   音楽の演奏を止めさせました。
   …っていう故事からできた言葉なんだって。」
『桑間』は、濮水が流れている土地の名前で、『鄭』も『衛』も国の名前だよ。

「…つまり、鄭衛之音・桑間濮上は、
   『国を亡ぼすような淫乱な音楽』…亡国の音、っていう意味。」

殷を滅亡させた王…即ち、紂王のために作られた音楽だ。
紂王は、『酒池肉林』を実行した、淫乱放蕩の代名詞であり、
その紂王を周の武王が討つ『殷周革命』を題材にしたのが、
あの太公望が登場する『封神演義』という小説だ。

「俺、漢文の授業で、『衛霊公』って名前…聞き覚えがあるよ。
   多分…孔子の『論語』だったと思うんだけど。」

山口の言葉に、兄は「その通り」と頷いた。
『論語』には、そのものずばり、『衛霊公』という章があるのだ。

「孔子と同時代の人で、この人もまぁ…紂王に負けず劣らず。
   彌子瑕(びしか)って美男子を寵愛してたのも有名だけど、
   そのせいで夫人の南子を放置して…それを咎められたら、
   今度は南子の元カレ・子朝を呼んで、南子にあてがったんだ。
   結局息子がぶち切れちゃって、クーデター起こすんだけどね。」

紂王や衛霊公が好んだ音楽は、国を亡ぼす。
「音曲や色に溺れることを、中国語で『耽于声色』っていうんだ。」
ようやく…『声』がでてきた。

では、『淫らな声』の意義を調べてみると…
兄は一呼吸置き、鼻に掛かる低い声で言った。

「『性的な快楽により洩らす声』…善がり声、あえぎ声等。又は、
   『性的興奮を感じさせるような声』…艶かしい声や、『甘い声』。」
「『うっとりする』方の『甘い声』は…国を亡ぼす、淫らな声…ってこと、だね。」

先程の僕の疑問に、こちらも追加だ。
「人生の一大事を決断する場面において、『甘い声』…
   淫らな声は、はたして相応しいと言えるのか。」


僕の言葉に、兄はメモ帳を取り出し、何やら書いた。
そのページを一枚破ると、僕たちに見せた。

「中国語で、『声色場所』ってのがあるんだけど…ここ、一体どんな場所だと思う?」

今までの話の流れからすると、大体の雰囲気は掴める。
「それ、間違いなく、『R-18』的なトコ…だよね?」

山口の解答に、兄は紙の裏側をめくった。
「『声色場所』を英語で表すと、『red-light district』…『赤線』区域なんだ。」


話が…『赤い糸』に繋がった。





***************





実はこのネタ、この間の『運命の赤い糸』の時に、
調べてたけどボツにした、5番目の選択肢だったんだよ。
まさか、こんなに早くネタ回収できるとは思わなかったよ…


あの時は、魅力的な4つのテーマから一つを選べという、
苦渋の選択を迫られたのだが…まだこんなネタを隠していたのか。
リビングで披露した『フォアローゼズ』の話も、
きっと薔薇絡みで準備していたものだったのだろうが…

僕達が繋がりに驚く以上に、ネタを温めておいた兄自身が、
『ネタ早期回収』の『偶然』に驚いているようだった。


「改めて確認しておこう。中国語の『声色場所』が示すのは、
   『赤線=公娼街』…遊郭や色町、風俗街のこと。」
「つまり、『声』という言葉には、『甘い』部分…
   淫らで猥褻(わいせつ)な雰囲気が付き纏うってことだね。」

だからこそ、古代からそういった『声』は亡国へ導くものとして、
赤い線…境界で囲い、規制してきたのだろう。

「あ、あのさ…ちょっと基本的な質問してもいい?
   ツッキーは今、『淫ら』で『猥褻』って言ったけど、この二つ…本当に同じものなのかな?」

何気なく使った言葉に、山口が疑義を差し挿んだ。
その質問の意図を説明するよう、兄が促した。

「よくニュースで、『女子高生に猥褻な行為をして逮捕』…って。
   でも、『淫らな行為をして逮捕』って言ってることもあるし、
   『児童に淫行した疑い』っていう表現も使ってる。
   …俺、何でこう使い分けてるのか、ちょっと不思議だったんだ。」

「忠…お前、すごくいいところに気が付いたな~!
   それ、一般人にとっては『ヤラしいこと』で済んじゃう話でも、実はかなり重要な『違い』なんだよ。」
そう言うと、本棚から六法全書(数年前の年度版)を取り出した。


「『わいせつな行為』『みだらな行為』『淫行』については、それぞれ別の法律で規定されているんだ。」
『猥褻』は刑法、『淫ら』は各都道府県青少年育成条例、『淫行』は児童福祉法である。

「『わいせつ』の定義は、昔から賢い人たちが延々議論してて…
   判例で『徒に性欲を興奮または刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、
   善良な性的道義観念に反すること』…って。」
「ごめん明光君…『ヤラしいのダメ』ぐらいにしか、わかんない。」
これこそまさに、『難しい言葉にしすぎて逆にヤラしい法律用語』だ。
結局、どんな行為が猥褻に該当するのか…モザイクがかかっている。

「すっごい簡単に言っちゃうと、『体を触る』『キスをする』とか、『服を脱がす』等だね。
   ちなみに、『性交』については、別の条文で強姦罪の適用になるから…」
「『性交』を含まない『ヤラしい行為』…痴漢とかってことかな。」

痴漢行為はまさに強制わいせつ罪に該当するのだが、実務上、
『下着の中に手を入れて体に触れた』時は強制わいせつ罪に、
『下着の上から体に触れた』時は、迷惑防止条例違反が適用される。


「『みだらな行為』は、『性交』のこと。
   『淫行』も『みだらな行為』と基本的には同じ『性交』なんだけど、
   児童福祉法でいう『淫行』には、性交類似行為も含まれるよ。」

「『ナニをヤるか』…プレイ内容によって、罪が変わる…?」
「プレイだけじゃなくて、相手もだよ。例を挙げちゃえば…」

    ・同意の上でも、18歳未満女子が相手だと、
       強姦罪にはならないが、青少年保護育成条例違反
    ・13歳未満女子だと、暴行脅迫がなく同意の上でも強姦罪
    ・女性による強姦、男性に対する強姦罪は成立しない
    ・男性による淫具を用いた暴力や、女性器以外への挿入も、
       強姦罪ではなく、暴行罪か強制わいせつ罪
    ・薬や飲酒で抵抗できない状態の相手だと、準強姦罪

「児童福祉法と都道府県淫行条例の線引きも曖昧だから、
   プレイ内容と、どの都道府県かによっても、変わってくるんだ。」

一体、これらの法律は、『誰』の『何』を守ろうとしているのか…
もっと体系立てて、再編成し直した方が良いのではなかろうか。


「じゃあ、僕から質問。『もしも』の話だけど…
   月島容疑者(22)が、16歳の少年Yに淫行した場合は…?」
「双方『真摯なお付き合い』でも、もし少年Yの親権者が告発すれば、
   淫行条例違反で逮捕されちゃうね。宮城県の場合だと…
   『2年以下の懲役または50万円以下の罰金』かな。」

「それじゃあ、俺からも質問!これも『もしも』だけど…
   双方とも16歳の少年TとYが淫行した場合は…どうなるの?」
「その場合は、条例違反だけど罰則はなし、だね。
   親権者としては…『真摯なお付き合い』であることを望む、かな。」

アンタは僕の親権者じゃないデショ、というツッコミを、僕はすんでのところで飲み込んだ。


「ホント、こういう『性』と『法律』って『複雑な関係』だよね。
   法律だけじゃなくて、各種業界規制もあるから…ややこしい。」

これは、とあるイラスト等が投稿できるSNSの規約なんだけど…と、
兄はサイトのページを印刷したものを提示した。

「当然のことながら、法律・条例・規定等に反するような、
   わいせつ・児童ポルノ又は児童虐待に相当するものは禁止。
   そして、ガイドライン…ルール細則には、性器の表現・露出、
   接合部等を異物にて表現・露出、性表現を徒に歪んだ状態で表現…
   これらの作品は、投稿禁止であり、削除対象となってるよ。」

「対象年齢指定作品…いわゆる『R-18』の規定も、難しそうだね。
   『性に関連したもの、あるいはそれを表現しており、性器の結・接合、
   あるいは性行為を想起させるものを表現してあるもの』…?」
「この規定によると、俺らが今話している『学術的』なものでも、
   『性に関連したもの』として、『R-18』指定が必要かもしれない。」
「直接的な表現はなく、オブラートや布団で包み隠したとしても、
   『性行為を想起させるもの』に該当する可能性があるね。」

だが、この規定やガイドラインに抵触せずに、尚且つ『腐向け』や『性』を表現するとなると…

「『R-18』指定をするのであれば、もう『ガッツリ』と表現しないと、
   閲覧者の『声』はシビア…『指定しといてこの程度かよ』と。
   ただしこの場合も、法律等の猥褻に触れてはマズい。」
「逆に、指定しないままで『そこその関係の二人』を描くとなると、
   『どこまでがセーフか』っていう『赤い線』ギリギリを見極めつつ、
   それでいて、ある程度の『ドキドキ・ムラムラ感』というか、
   『素敵タイム』を演出していかなきゃいけないってことになる。」
「何というか…投稿者にとっては、全然『甘くない』世界、だね。」

俺、『さいちゅうのツッキー』を書くの…諦めようかな。

山口のぼやきに、首を傾げる兄。
僕は、「気にしなくていいから」と、努めて冷静に応対した。



「えっと…結局、何の話だったっけ?」
「『甘い』話が作られる裏に、『甘くない』赤い線がある…でしょ。」

あ~ぁ、本来の予定とは、全然違う話になっちゃったよ…

本当は、『甘い声』と『淫ら』の関係から、
『歌垣』…男女双方が『境界線』で求愛の歌を歌う儀式の話とか、
その歌垣が盛んに行われていたのが、玉依姫でみた『三輪山』だとか、
三輪山の大神神社が、日本酒発祥の地…『新酒(みわ)』の語源で、
それで『酒』から戻っての『フォアローゼズ』…っていうのが、
俺が最初に描いてた『美しい話の流れ』だったんだよね。

苦笑いしながら、俺はネタ帳の『フローチャート』を暴露した。

「ま、そういうわけだから、蛍の…人類共通の疑問である、
   『どんな声やセリフが恋愛には相応しいのか』の答えは、今後の考察結果を待て…かな。」

「恋愛の成功率を高める…恋愛にも『クラッチヒット』があるのか?
   こっちは野球と違って、待ってるだけじゃ『好機』は来ないし…」
「そもそも、恋愛が『チャンス』かどうかも不明だね。
   往々にして、それは…当事者の『意思』次第かもしれないし。」

早速、今までの『考察』を踏まえて研究を開始した弟達に、俺は『宿題』を出すことにした。


「じゃぁ、兄ちゃんからの、今日最後の問題。
   『愛されたいなら、口を慎みなさい。愛の心を開く鍵、それは…秘密です。』
   蛍の疑問とは正反対のこの箴言…二人はどう見るかな?」





***************





明光君の部屋から、隣のツッキーの部屋へと戻る。

後から部屋に入ったツッキーは、扉を後ろ手で閉めると、
扉に背を付けたまま、俺を引き寄せ、抱き込んだ。

部屋の電気は、まだ点いていない。
まだ暗闇に慣れない視覚では、ツッキーの朧気な輪郭と、
扉と壁の僅かな隙間から漏れる、廊下の灯り…
『閉ざされた扉』と、『囚われた自分』だけが、はっきり認識できた。


ツッキーの頬が、俺の頬を撫でる。
少しひんやりした、なめらかな触感に、
くすぐったさと同時に、心地よさを感じる。

両腕を上げ、緩くツッキーの腰に回す。
扉に付けていた背を少し浮かせてくれたから、
掌で温めるように、ゆっくりと背中を包み込んだ。

ツッキーは、頬に頬を引っ付けたまま、
片腕で俺の肩を抱き、もう片方の大きな掌で、
背中から腰を、ゆっくりゆっくりと撫でてくれた。


繭の中に包まれているかのような、ぬくぬくとした、安らぎの空間。
リラックスするとともに、深くスローになる呼吸。
大きく吸い込んだ空気には、ほっとするツッキーの匂いと、
思考を溶かすような、甘い甘い…薔薇の香り。

確か、机の上の、ガラスの花瓶に生けてあった薔薇は…
紅色と、赤い蕾の…2本だったはずだ。

紅色と、蕾と、2本…それぞれ、どういう意味だろうか。
ぼんやりとした頭でそう考えていると、余所見は許さないとばかりに、
背を撫でていたツッキーの掌が、俺の頭をポンポンと優しくタッチしてきた。


ツッキーの合図に、俺は少しだけ頬を逸らした。
片手を伸ばし、傾ぐツッキーの顔から、静かに眼鏡を抜き取った。

眼鏡をすぐ横の机…花瓶の前に置くと、ツッキーはおでことおでこを引っ付け、
髪、耳、頬、そして顎へ…滑らせるように掌を動かし続けた。

蕩めくような感覚に、俺は息の塊をそっと吐いた。
その熱い呼気にあてられ、ツッキーは何度か瞬きをする。
いつもは眼鏡の奥にある長い睫毛が、俺の目元を擽る。

睫毛さえ触れ合う距離…それを意識した瞬間に、
ツッキーに掴まれていた肩が、ピクリと小さく跳ねた。


睫毛だけじゃない。
互いの熱い吐息が、互いの唇を掠め、震わせている。

あとほんのわずかに残る、二人の間の距離に反比例して、
触れて欲しいのに、触れられないという、もどかしさと焦れったさが、どんどん募っていく。

待ってるだけじゃぁ、『好機』は来ない…
自分のセリフを不意に思い出し、
初めて自分からツッキーの唇に触れてみようか…そう決意しかけた時だった。


隣の部屋の扉が、ガチャリと開く音。
そのまま、足音が近づいてきて…トントン、と、控えめなノックがした。

焦りと緊張で、反射的に返事をしそうになった俺の口を、
頬を撫でていたツッキーの掌が、覆い隠した。


もう寝ちゃった…のかな。

扉の向こうで、小さな声。そしてもう一度、トントンというノック。
ノックの振動は、ツッキーの背を抱いていた俺の両腕に伝わり、
抱擁する力を奪い去ってしまいそうだった。

俺が力を抜きそうになる瞬間。
俺の口を覆っていたツッキーの掌が、スっと下げられた。

その代わりに…間髪入れず、間近にあったツッキーの唇が触れた。


渇望していた感触のはずだったのに…まさかのタイミング。
俺は抜きかけた以上の力で、ツッキーの背をわしづかみし、
驚愕の声をなんとか飲み込んだ。


静かに去り、階下へと降りてゆく足音。
ようやくついた「ホっ」というため息すら、ツッキーの唇に拭い取られていく。

突然の来訪者にも、全く動じることもなく、
ツッキーは優しく柔らかく…その唇で、俺の唇を食む。
    下唇を、右から左へ。
    上唇を、左から右へ。
決して深くはない、丁寧に啄むだけの触れ合いだが、
それが余計に、体の奥から『甘い』何かを引き出していく。

その『甘い』ものは…『声』、じゃない。

二人きりの部屋とはいえ、この家には…家族がいる。
大きな『声』や『音』を、この部屋から出すわけにはいかない。
出さなくとも…ノックもなしに乱入してくる可能性だって…十分にある。

いつも俺たちは、極力音を立てないように…
お互いの唇や、布団で覆い隠しながら、『秘め事』を続ける。
だから、俺もツッキーも、お互いの『甘い声』を…知らない。
知っているのは、声帯を震わせない…『声にならない声』だけだ。

『甘い言葉』や『甘い声』など、存在しない。
それでも、お互いの『甘さ』だけは、体中が…知っている。


ツッキーの『甘さ』を求めるかのように、俺は唇を少し開けた。
熱く潤んだツッキーの舌が、さっきと同じルートを辿る。
くるりと一周回ったあと、今度は俺が上唇と舌で、
ツッキーの唇を、同じルートでゆっくりと食んだ。

これ以上…もう『甘さ』を押し止めてはいられないない。
俺はツッキーの腕を軽く引き、床に敷かれた布団へと誘った。


以前より少し大きくなった、真新しい布団…
ツッキーが販促し、明光君が俺達のために買ってくれた、セミダブル。

これなら、溢れてきそうなものを…もう少しだけ、隠しておけるかもしれない。





階段を下り、リビングに入ると、まだ母さんはのんびりと紅茶を啜っていた。

「あら、『むかしむかし…』は、終わったの?今日もお疲れさま~だったわね。」
「ホント、あいつらの好奇心、底なしなんだもんな…」

母さんはソファーから立ち上がり、台所へ向かった。
俺の分の紅茶を、入れ直してくれるみたいだ。


俺は冗談めかした声で、母さんに尋ねてみた。
「ねぇ、もし忠が、『ウチの子』になるとしたら…どうする?」

「どうって…もしかして忠ちゃん、さっきの明光のプロポーズ…受けてくれちゃったのかしら?」
穏やかに笑いながら、母さんは紅茶を注ぐ。
リビング中が、甘い薔薇の香りに染まっていく。

「忠ちゃんが『ウチの子』…一言で言えば、『今更?』よね。」

熱い紅茶…母さんが、実の息子の蛍じゃなくて、忠に頼んで買ってきてもらったものだ。

そう言えば、今日出席した結婚式で、新郎の母親が言っていた。
『息子は話し辛いけど、お嫁ちゃんは可愛いの』…と。
お遣いや用事も、お嫁ちゃんを通じて連絡する…らしい。

月島家における、現在の忠の『立ち位置』は、
実態としては、まさに『コレ』…というのが、母さんの認識らしい。


「私だけじゃないでしょ?明光だって、そう思ってるから…
   新しい布団の『送り先』に、『月島蛍・忠様』って、無意識に書いちゃったんじゃない?」

母さんの指摘に、俺は『目からウロコ』だった。
自分がそう書いたことすら覚えてない…そのくらい、『自然』な『送り先』だったのだ。


「あーぁ、忠のやつ…『月島家』に完全包囲されちゃってるわ。」

俺はカップの紅茶を、できるだけゆっくりと飲み、
母さんと他愛ない話をしながら…リビングで『長居』をすることにした。



- 完 -



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※紅色の薔薇→『死ぬほど恋い焦がれています』
   赤い蕾→『あなたに尽くします』
   2本の薔薇→『この世界は2人だけ』

※2017/07/13より、改正刑法が施行されました。
   改正後の内容につきましては、こちらをご参照下さいませ →『同床!?研磨先生⑥


※ラブコメ20題『10.声が優しいのはずるいと思います』

2016/03/20(P)  :  2016/09/11 加筆修正

 

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