※黒尾・大学2年、赤葦・大学1年。11月末頃の話。(ごく近未来酒屋談義・補足)




    王子覚醒







「おいおい…冗談だろ。」


事の発端は、何気なく入れた1本の電話だった。

バイトでたまたま近くに来る仕事があり、早い時間に現地解散。
そう言えば、あいつの家、近かったよな…と、不意に思い出し、
「飯でもどうだ?」と電話してみたのだ。

俺からあいつに電話を掛けることなど、ほとんどない。
メールでさえ、年に数回…特別な用事がある時だけだ。
直接会うのも、夏にツッキー達が大学のオープンキャンパスに…
アチコチの大学見学の案内役として、振り回された時以来になる。

同じ梟谷グループで、切磋琢磨し合った仲とは言え、
学校も違えば学年も違う…本来なら、引退後は会うこともない相手。
だが様々な偶然から、ツッキー&山口を含めた4人で、
しょーもないネタで、グダグダとダベる…そんな関係が続いていた。

とは言え、仙台在住でまだ高校生のツッキー達が、
そうそう頻繁に上京してくるわけでもない。
夏までは梟谷グループの合宿で、秋以降は進学がらみのイベントで。
…ん?数えてみれば…結構な頻度で振り回されてんな。
意外な事実に、ちょっと驚いてしまった。

まぁ、今回それはいいとして。
2~3カ月に1度ぐらいで会っているにも関わらず、
あいつとは『ほとんど会ってない』と思ってしまうのは…
『仙台組上京』という特別な用事がある時以外では、
二人で連絡を取り合ったり、会ったりすることがないからだろう。
いつでも会える距離というのは、往々にしてこういうもんだ。

こういった事情もあり、俺からの電話に、赤葦はかなり驚いていた。
驚いてはいたが、俺の誘いには快諾…駅前の居酒屋を指定してきた。
電話から30分後には合流し、掘り炬燵の個室で、向かい合っていた。



「黒尾さんお久しぶりです。お待たせして…すみません。」
「いや、こっちこそ急に呼び出しちまって…悪かったな。」

コート…お掛けしましょうか?
ハンガーを手にしながら、気を利かせてくれる赤葦。
おう、頼むわ…と脱いで手渡すと、赤葦はそこで少々固まった。

「何だか凄く…新鮮ですね。スーツ姿なんて、初めて見ました。」
「あぁ、バイト帰りだからな…お?スーツの俺に惚れ直したか?」

「えぇ。まるで立派な社会人みたいです。素敵ですよ…?」
「お前なぁ…『御馳走様です』ポーズしながら言うなよ。」
こいつ絶対、今日が給料日だったこと…わかってんな。
だからこそ、俺も赤葦を飯に誘えたのは事実なんだが。

アウトドアメーカーの、しっかりしたジャンパーをハンガーに掛け、
赤葦はとりあえず…と、ウーロン茶を2杯注文しようとした。
いつも飲み物は赤葦に任せきり(というより、俺に選択権はない)…
だが今日は、それにストップを掛けた。

「今日俺は…生ビールを貰おうかな。」

俺の言葉に、赤葦は完全に凝固した。
大きく目を見開き、パクパクと口を開閉…
そして、物凄い勢いで睨まれ、轟々と責め立てられてしまった。

「いつ、ですかっ!!?」
「10日ぐらい前、だな。」
「何で…何で言ってくれなかったんですかっ!?」
「何でって…別に言うほどのことでもないだろ。」

考えてもみてほしい。
イベント好きで社交性の高い女性同士ならばともかく、
他校の『何となく部活繋がり』で、『特別なカンケー』でもないのに、
自分の誕生日など…教え合うだろうか?
勿論、聞かれたら答えるが、自分から言うものでもない。
そもそも俺だって、赤葦の誕生日なんか知らねぇぞ…

俺が冷静にそう言い返そうとしたが、赤葦はそれを許さなかった。
声を震わせながら、猛然と何かに対して不満大爆発のご様子だ。


「黒尾さんは、俺が『お酒大好き♪』なの…ご存知ですよね?」
「高校時代から、あれだけ『酒ウンチク』を語ってれば、な…」

今までは、未成年という『どうしようもない縛り』があったため、
涙を飲んで『バーテンごっこ』等に甘んじてきました。
オトナになったら、正真正銘の『酒屋談義』をしたい…
黒尾さん達に、俺がセレクトしたお酒を振る舞いたいって、
ずっとずーーーーーっと、思っていました。

「黒尾さんがオトナになった『お祝』に、
   ぜひとも飲んで頂きたいお酒だって、あったのに…っ!!」
駅裏のシックなバーに入ってみたいという、長年の夢…のついでに、
そこで祝杯をあげてしまえっていう極秘計画も、全部パーです…

俺の成人祝をしたいというよりは、バーに入ってみたい方が…優先か。
本音を隠さず暴露し、子どものように頬を膨らせる赤葦。
下級生のツッキー達がいない分、いつもよりずっと素直な気がする。
『駄々を捏ねる赤葦』という、珍しい姿を目の当たりにした俺は、
怒る気もツッコミを入れる気も失せ…笑ってしまった。

手を伸ばし、ポンポンと赤葦の頭を撫で…ひとつ提案をした。
「俺はいいが、未成年のお前は…まだバーには入れねぇだろ?」
「たっ…確かに!俺としたことが、すっかり失念してました。」
駅裏のバーは来年…お前の成人祝に、俺がご馳走してやるよ。
その代わり、今日はお前が俺に…お酌してくれないか?

「っ!!喜んで!では…生ではなく、瓶ビールを注文しますね。」
「あぁ。あとは刺身盛り合わせと…赤葦京治の誕生日も、頼む。」

俺のオーダーに、赤葦は一瞬キョトンとした表情を見せたが、
すぐに顔を綻ばせ、「10日ぐらい後、ですね。」と答えた。


その後は、いつも通り他愛ない雑学をダベり合った。
2杯目に頼んだウーロンハイ…この『ハイ』は本来ハイボールの略で、
厳密に言えば『炭酸割り』だが、炭酸水が入っていることは稀である。
『焼酎のウーロン茶割り』だと長ったらしいため、チューハイに倣って、
『ウーロンハイ』と呼ばれるようになった…というような、
本当に些細なネタで、笑い合っていた。

無事に成人したとは言え、俺もまだ酒に慣れているわけではない。
話のキリが良い所でトイレに立ち…ちょうどその時、
注文していた『2杯目』を、店員さんが持って来てくれた。

数分後、トイレから戻って来ると…予想外の光景。
個室の障子を開けると、そこに赤葦が寝転がっていたのだ。
頬を少し赤く染め、固く目を閉じ…動かない。

「お、おい、赤葦…?」
先程まで、あれだけ笑っていた…急病というわけではなさそうだ。
念のために手首を取り、口元に耳を近付けてみるが、
脈も呼吸も正常…むしろ、実に穏やかな寝息である。
これは確実に…寝ている。深い眠りに落ちている…らしい。

テーブルの上には、手の付いてないグラスと、一口分減ったグラス。
どちらも茶色の液体…ウーロン茶と、ウーロンハイだろう。
俺は一口だけ減ったグラスに口を付け、すぐに答えがわかった。
赤葦は、ウーロン茶とウーロンハイを間違えて飲んだ…以上。

答えがわかったとはいえ、俺は困惑するしかなかった。
赤葦の先程の説明では、ウーロンハイは低アルコール飲料…
ビールの4%よりも低い、3%程度のはずだ。
それをたった一口で…こんなに昏睡するだろうか?

もう一度、脈と呼吸を確認する。多分、大丈夫…なのか?
もしかすると、本当に何かの『アクシデント』かもしれない。

ほろ酔い気分も一瞬で吹っ飛んだ俺は、急いで会計を済ませ、
眠りこける赤葦を背中に担ぎ…早足で赤葦宅へと向かった。




***************





「はいはい、どちらさま…えっ、く、黒尾さんっ!!?」
「お久しぶりです…夜分、突然お邪魔してすみません。」

夕食後、のんびりお茶を飲みながら読書をしていると、
来客を知らせるインターホン…
洗い物の手を止め、応対した奥様は、驚いた声を上げた。
慌てて玄関に走る奥様…何故か髪型をキレイに直しながら。
ちょっと気になって一緒に玄関に出てみると、
僕よりもいつの間にかデカくなっていた息子…よりも、
更にデカくガッチリした青年が、頭を下げていた。

どうやら、僕の奥様とは面識があるらしい青年は、
僕に気付くと、改めて深々と頭を下げた。

「すみません。俺…僕のせいで、その…」
「まぁまぁ!京治…どうしちゃったのっ!?」

よく見ると、青年はその大きな背中に、息子の京治を背負っていた。
何があったかは知らないが、とにかく…重そうだ。
どうぞ中へ…と奥様が言うと、「お邪魔します。」と丁寧に挨拶し、
そこで青年は一旦止まり…背中の京治を軽々と前に抱え直した。

普通に入ったら、玄関扉に頭をぶつけてしまいそう…
そのぐらいの高身長の青年は、京治もそこにぶつけないようにと、
わざわざ抱え直して、玄関扉を潜ってくれたようだ。

その小さな気遣いに、僕は感心してしまった。
相当ガッチリ…いいカラダをしているのは間違いないが、
180を超す息子を、平然とお姫様抱っこ…何という体力だろうか。
さすがの奥様も、このパワフルなエスコートに、度肝を抜かれた様子だ。


「ど、どうしましょう…居間に布団敷いて…」
すみませんすみません!と頭を下げながら、奥様は慌て始めた。
早く京治を、どこかに置かないと…青年に申し訳がない。
僕も慌てて「布団、布団は…」とバタバタし始めると、
「このまま部屋へ…運びましょうか?」と、青年は申し出てくれた。

え、このままって…2階まで?階段上がれるのか?
青年の言葉が信じられず、僕は暫し呆然としてしまった。
奥様が「ぜひお願いします!…お父さん、戸を…」と言い、
その言葉で僕は急いで階段を駆け上がり、京治の部屋の戸を開けた。

全く危なげのない足取りで、青年は階段を上がって来る。
その後ろを、奥様がキラキラした瞳でウットリしながら上がって来たが、
僕自身も、全く同じ表情だったと思う。
スマートにお姫様抱っこなんて…カッコ良すぎだろう。

夫婦揃って、惚けた様にその姿を眺めていると、
「あの…靴、脱がせてやってもらえませんか?」との声。
僕は我に返り、固く結ばれた靴紐を解き、ようやく脱がせることに成功。
ありがとうございます…と、青年は丁寧に礼を言いながら、
ゆっくりとベットに京治を降ろす…途中で停止した。

「赤葦、着いたから…」
青年が何度か京治に声を掛けるも、京治は青年にしがみ付いたまま、
首に回した腕を、離そうとしなかった。

「ちょっと京治、もう離しなさい…」
奥様が京治の体を揺するも、さらにギュっと抱き着いてしまった。

さすがに中腰で抱えたままは、キツくなったのだろう。
青年は再び京治を抱え上げると、「お邪魔…します。」とこちらに言い、
京治を抱いたまま、ベッドに腰掛けた。

京治を横抱きにし、毛布をしっかり肩まで掛ける。
まるで幼子をあやすように、緩やかに肩をポンポンとしていると、
京治は少しずつ、しがみ付いていた腕の力を抜き…
それでも完全に全体重を青年に預け、穏やかな寝息を立て続けた。

もう大丈夫か…?と、青年が京治から離れようとしたが、
京治はイヤイヤをするように青年の胸に顔を埋め、
コートの合わせ目をギュっと握り締めしめてしまう。
心底困惑する青年…だが、少し照れたように苦笑いし、
「わかったよ…」と、しっかり京治を抱き直した。


こんな京治の姿を見たのは…いつ以来だろうか?
きっとこの子が幼稚園だとか、それぐらい前じゃないかな。
無垢で安心しきった寝顔に、僕と奥様は顔を見合わせて微笑んだ。

「可愛いなぁ~、ウチの京治は。」
「えぇ。ホントに、天使みたいね~」
すっかり15年ぐらいタイムスリップしてしまった僕達。
京治のあどけない寝顔を覗き込み、二人でデレデレ…
ポカンとした顔の青年と目が合い、僕は慌てて顔を引き締めた。

「すっ、すいません!おおおお母さん、お茶でも…」
「あっ、そそそそうね!すぐに入れてくるわっ!」
京治を起こさないように(本当は起こすべき?)、奥様は声と足音を殺し、
脱がせた靴を持って、バタバタと階段を駆け降りて行った。

僕は気を取り直し、改めて青年と京治を見た。
我が子ながら、何を考えているか全くわからない…冷静で隙のない京治。
部活を頑張っていたのは知っているが、その分、近年は殆ど交流もなく、
『何だか底知れない息子』といった存在になっていた。
まぁ、この年頃の父と息子なんて、大体そんなもんだろう。
こんなにしっかり、京治の顔を見たのも…随分久しぶりだ。
何というか…若かりし頃の奥様に、恐ろしく似てきた…ような。

「本当に、幸せそうな寝顔…」
「そ、そう…ですか?」

あまりに近すぎて、青年からは京治の顔がよく見えないようだ。
何と勿体無い…じゃなかった。親馬鹿で申し訳ない。
奥様が部屋に戻って来たタイミングで、僕は声を落として尋ねた。

「えっと、それで…君は…?」
「申し遅れました。黒尾鉄朗と申します。」
「何年振りかしらねぇ?随分ご立派になられて…」
まだ高校生の時に一度、遊びに来て下さったことがあるのよ。
それで、京治はどうしちゃったのかしら?

「実は、その…」
青年…黒尾君は、一瞬物凄く言いにくそうな表情をしたが、
すぐにこちらをまっすぐ見て、理路整然と語ってくれた。


「…というわけなんです。
   非常に分かりにくかったとは言え、未成年に飲酒させてしまいました。
   挙句、こんな状態に…本当に申し訳ありませんでした。」

話を聞いた僕達は、呆気に取られてしまった。
「いやいやいやっ!それ、黒尾君は全然悪くないでしょっ!」
「こちらこそ、京治がご迷惑をお掛けして…すみませんっ!」

アルコールが出る店に一緒に行ったとはいえ(指定したのは京治)、
席を立った間に、誤ってお酒を口にしてしまったのは、ただの事故…
悪いのは京治(もしくはお店)だし、黒尾君には全く非はない。
それに、たった一口で昏睡してしまうなんて…それこそ計算外だろう。

普通なら、呆れ返って放置してもおかしくないというのに、
黒尾君は(図体と態度が)デカい京治を抱きかかえ、連れて帰ってくれた。
それだけではなく、自分の管理責任だと正直に話し、頭まで下げた。
何という…誠実な好青年だろうか。

「それで、あの…大丈夫、なんでしょうか…?」
京治を抱き締め、心配そうに聞いてくる黒尾君。何て良い子なんだ…っ!

「もう全っっっ然、心配ないから!ただ酔って、爆睡してるだけだし。
   これはもう、赤葦家の宿命というか…遺伝だから!」
「京治には内緒にしてたけど…絶望的に下戸の家系なんです…」
お父さんなんて、歯の治療の麻酔で酔っちゃうぐらいだし。
全身麻酔なんてしちゃった日には、急性アルコール中毒確定よね~
暢気に笑う僕達の姿に、黒尾君は目を見開いたが、
すぐに大きく息を吐き、「よかった…っ!」と、心底安堵の表情を見せた。

ようやく緊張から解放されたのか、黒尾君は柔らかく頬を緩め、
無意識のうちに、再びゆっくりと…京治の背を撫で始めた。
黒尾君の安堵が伝わったのか、京治も更に穏やかな表情になり、
本当に気持ちよさそうに力を抜き、黒尾君に身を預けた。


「もうちょっとこのまま…寝させましょうか。」
あと少ししたら、きっと手の力も抜けて…離して貰えそうですし。

「ぜひ、お願いします。」
黒尾君の提案に、珍しく奥様は即答した。
そして、黒尾君には見えないように、こっそり僕のシャツを引いた。
僕達は黒尾君に再度頭を下げ…灯りを燈色に落とし、部屋を出た。





***************





「いやはや…ビックリしたね。まさかのお姫様抱っこだよ。」
「えぇ…あんな大きな子を、軽々と…惚れ惚れしちゃうわ。」

居間に降りて来た僕達は、内緒話をするように、
膝と顔を突き合わせ、コソコソと感歎し合った。

「黒尾君は…京治のお友達?成人してるみたいだから…先輩かな?」
「バレー部関係の先輩だけど…ライバル校の人らしいわよ。」
部活で多忙を極め、殆ど家にいなかった京治。
そんな京治が、高校時代に一度だけ、たった一人、家に連れて来たのが、
彼…黒尾君だったそうだ。

確かに、そんな話を聞いたような…朧げな記憶がある。
奥様が興奮して、「ステキな先輩を連れて来た!」と騒いでいたっけ…?
(世の旦那様諸君、奥様の話は…ちゃんと聞いておこう。)

「あの京治と気が合うなんて、随分変わった人だとは思ってたけど…」
卒業してからも、ずっと仲良くして下さってて、嬉しいわ~
…という奥様の言葉に、僕も全面的に同意した。

実の親が言うのも何だが、京治は本当に風変りで、扱いが難しい。
年齢不相応にしっかりしているから、凄く頼りにはなるだろうけども、
『対等のお友達』になるには、難儀するタイプだろう。
僕でさえ、部下には欲しいが…飲み友達としては、かなり面倒だ。

とにかく好奇心が旺盛で、細事までしつこく説明を求めてくるのだ。
「お父さん、それじゃあわからない。もっと詳しく。」
「さっきの説明と、ムジュンしてる。お父さん、もう一回最初から。」
小さな頃から、京治の質問攻めに、どれだけ泣かされたことやら…
結局観念した僕達は、辞書や図鑑を与え、その使い方だけを教えた。
小学6年生の誕生日に、『世界のお酒大辞典』をプレゼントしたのは、
赤葦家の教育で、唯一のミステイク…かもしれないが。


そんな京治に、学校や学年を越えて、卒業後も仲良くしてくれる人が…
どんな変わり者かと思いきや、キラキラ眩しい程の好青年だ。
奥様の言う通り、本当に誠実で、ステキな先輩…
と言うよりも、お姫様抱っこがめちゃくちゃ似合う『王子様』だった。

「京治が娘だったら、絶対黒尾君を離すなよ!って…言うとこだけどね。」
微笑みと共に、すんなり出てきた自分のセリフに…自分で固まった。

意味深な視線で、こちらをじっと見つめる奥様。
僕は『ある可能性』について、さらに小声で奥様に確認した。

「ねぇお母さん、もしかして黒尾君と京治は、その…」
いわゆる『王子様』と『お姫様』的なカンケー…なのかな?
聞いていて、何だかこっちがドキドキしてしまう。
聞かれた奥様の方は、至って平然(ロマンチストの割には、珍しい)。
わからない…と、首を横に小さく振りながら、冷静に答えた。

「さっきの説明では、たまにしか連絡取り合ってないみたい…
   今日だって、急遽会うことになったって言ってたでしょう?」
緊密に連絡を取り合って、逢瀬を重ねるような…
そんなカンケーでは、ないようだ…今のところ。
とは言うものの、『何となく部活繋がり』にしては、えらく親密。
非常に中途半端で、どっちつかずのカンケー…ということか。

「中高生によくありがちな、『身近な先輩への憧れ』的なやつ…かな?」
自分でそう言いながらも、それは違うな、と確信していた。
あの京治が、あそこまで身を預け、安心しきっている相手だ。
そして、無意識に黒尾君を掴み、離そうとしなかった。
無意識だからこそ、京治の親だからこそ、僕達にははっきりとわかった。

「黒尾さんがどう思っているかは、わからないけど…
   京治の方は、黒尾さんのことを、本当に『大切に』想ってる。」

『大切に』想う…か。
それは、黒尾君の方にも、当てはまると思う。
これは『京治の親としての希望』というよりは、
僕自身も男だから…わかってしまったのだ。

黒尾君は本当に優しく、面倒見が良い子なんだろう。
でもそれだけでは、あんなに自然に…宝物のように扱うことはできない。
無意識のうちに、京治をしっかり抱き、大事に大事に背を撫でるなんて、
本当に『大切に』想ってないと、絶対にできないはずなのだ。
打算や格好だけで、あんなに愛情に満ち溢れた表情なんて…到底無理だ。

無意識ながら、あの二人が醸す空気…
僕と奥様(自称・万年新婚夫婦)に、本当に良く似ている。
そのことに気付いてしまったからこそ、僕は一つ、解せないことがあった。

「あんな空気醸しといて、本当に『何もない』の…?」
「そうなのよ…私もそれが、物凄く不思議なのよね~」
文字通りに二人とも『無意識』…ということか。
だとすると、二人ともがとんでもない…鈍チンさんじゃないか!!


「おおおっお母さん、どうしよう…凄いドキドキするね。」
「お父さんも、二人の今後が…気になってしょうがないでしょ?」



**********



暑い…

コートを着たまま赤葦を抱え、毛布に包まっていると、
さすがに暑くなってきた。
薄手ながらもガッチリ防寒なアウトドアジャケットを着ている赤葦も、
それは同じ…体にかかる体温が、高くなってきた気がする。

このまま汗をかいたら、風邪を引いてしまうかもしれない。
とりあえず、ジャケットだけでも脱がせた方が良さそうだ。

少しだけ身動ぎをすると、それに気付いた赤葦は、
またしても俺のコートをギュっと掴もうとしてきた。

「俺はここに居るから…上着を脱ぐだけだから…な?」
言い聞かせるように耳元にそっと囁きながら、慎重にコートを脱ぐ。
気持ちよさそうな眠りを妨げないよう、片膝を立てて赤葦を支え、
静かにジャケットも脱がせ、再び毛布を掛けた。

暑さから解放され、ホッとしたのだろうか。
赤葦は深く胸を上下させ、こてん…と胸に頭を預けてきた。
その姿に、俺の方もホッと…体の力が抜けた。


それにしても、だ。
「お前の両親…すげぇ可愛い人達だな。」
夫婦とは、こんなに似るもんだろうか。
顔カタチがどうこうというのではなく、仕種や表情、雰囲気が…激似だ。
今の仕事では、赤葦夫婦と『真逆』なケースばかりを見続けているせいか、
仲睦まじい赤葦夫婦に触れ、心にじんわりと温もりを感じることができた。
『夫婦』というものに、荒んだ印象を持ち始めていた俺にとって、
赤葦家の『ほわほわ感』は新鮮…心から癒された気分だ。


「全く…幸せそうな寝息立てやがって…」
髪を撫でてやると、ふわり…と、周りの空気が緩んだ。
本当にリラックスして、熟睡しているのが、その空気でよくわかった。

    (まさか、赤葦がこんな姿を見せるとは…)

高校時代から、『ごっこあそび』をしながら互いの腹を探り合い、
時折僅かに顔を覗かせる『本心』を見たいと…かけ引きし続けてきた。
そのギリギリのやりとりが、楽しくてたまらなかった。

昏睡状態の今、赤葦の本心を覆い隠すような『ガード』は…存在しない。
今こそ、赤葦の本心を探る、絶好のチャンスだ。
こんな滅多にない機会、逃す手はない…と思う反面、
今だけは、絶対に探ってはいけない…という、強い自制心が働いていた。

不測の事態によって、赤葦は昏睡状態を俺に晒すことになった。
これは赤葦も予想しておらず、回避不能の『災害』だ。
その状態につけ込んでまで、本心を探るなど…アンフェア極まりない。
それに、心から愛している酒に、完全にソッポを向かれてしまったのが、
物凄く不憫で…運命とは残酷だなぁと、同情を禁じえなかった。

    (お前の分まで、俺が…利酒できるように、なってやるからな。)

せめて赤葦の愛が、無駄にならないように。
『酒屋談義の場でお酒を振る舞う』という赤葦の夢が、叶うように。
俺にできることがあれば…何でも協力してやりたい。

慰めるように頬を撫でると、赤葦は胸から顔を出し、少し上を向いた。
俺は慌ててその手を離し、赤葦から目も離した。


きっと今、隠すものが何もない赤葦を見てしまうと、
全部…何もかも全部、わかってしまう気がした。
赤葦のことも…自分のことも。

赤葦が知らないうちに、俺だけが知ってしまう…
それが申し訳なくもあり、同時に怖くもあった。

赤葦とは、フェアな『探り合い』を、二人で一緒に楽しみたかった。
誘惑に駆られて『据え膳』を食ってしまえば、その楽しみが失われる。
それどころか、今の二人の関係すら、壊してしまいかねないのだ。
これ以上に恐ろしいことは、今の俺には…思い付かないぐらいだ。

本当は、赤葦の本心を…俺のことをどう思っているのか、
知りたくて知りたくて、たまらない。たまらない、けども…

    (今はまだ、その『時』じゃねぇ…そんな、気がする。)


ぱたり…と、赤葦の手が落ちた。
俺は赤葦を一度抱きかかえて立ち上がり、そっとベットに降ろした。
肩までしっかり布団を掛け、顔を隠すように前髪を撫でた。


「おやすみ、赤葦…近いうちに、またな。」





***************





「あっ…黒尾さん…」

奥様と楽しく『京治の幸せを勝手に妄想ごっこ』していると、
居間の入口をノックする音…慌てて離れ、奥様が黒尾君を出迎えた。

コートと鞄を携え、律儀に「失礼します。」と腰を折る。
立ち上がってソファーをすすめると、再度目礼し、僕の正面に座った。
超体育会系出身に加え、今のバイトも影響しているのだろうか…
本当にハタチか?と疑ってしまう程、きちんとした好青年だ。

一体どんなバイトをしてるのか?大学では何を勉強してるのか?
京治とはどうなってんのか?…聞きたいことは山積みだったが、
僕はその誘惑をグッと堪え、『親としての責務』を遂行した。


「この度は、京治が本当にお世話になりました。」
「近いうちに必ず、京治にはお詫びとお礼をさせますから…」

お茶を出した奥様も、僕の隣に座りながら、黒尾君に頭を下げた。
だが黒尾君は、「そのことなんですが…」と、口を開いた。
「今日のことは、あいつには…言わないでおいてもらえませんか?」

予想外の言葉に、僕も奥様も驚いてしまった。
どう返していいか困惑しているうちに、黒尾君が静かに説明を始めた。

「あいつは、本当にお酒が好きで…オトナになって堂々と飲める日を、
   今か今かと、心待ちにしています。」
高校時代から、お酒に関する雑学をたくさん披露してくれ、
気の合う仲間と『酒屋談義』をすることを、ずっと夢見ています。
それなのに、絶望的なまでに手酷く…酒に振られてしまいました。
「ハタチまであと1年以上あるのに、その残酷な事実を知ってしまう…
   それはあまりにも不憫で…可哀想すぎます。」

きっと、周りから言われたとしても、本人が自分で納得しない限り、
その事実を絶対に受け入れないはずです。
だから、ハタチになって、ちゃんと『お酒を飲んだ』とわかった上で、
自分がどういう状態になってしまうか…自覚させるしかないと思います。
「あいつが『お酒からは愛されない』と自覚する、その日まで…
   今日のことは、内緒にしておいてやってほしいんです。」


黒尾君の話に、僕達は言葉を失ってしまった。
この人は、本当に京治のことを考え…『大切に』想ってくれている。
親である自分達でさえ、そこまで京治のことを考えていなかったのに…

「あの厄介で生意気な京治に、一泡吹かせるチャンス、なのに…?」
「そうよ、黒尾さん!ちょっとぐらい『貸し』を作っといた方が…」
親としてはサイテーな発言だが、紛れもない本心だ。
せいぜい恩に着せて、チャーシュー麺特盛を奢らせるぐらいは、
黒尾君は『当然の権利』として、受け取っていいはずである。

僕達の発言に、黒尾君は頬を緩め、穏やかに笑った。
「確かに、とんでもなく厄介で生意気ですが…
   あいつとは、『貸し』や『借り』を作りたくないんです。」

今回のことを知れば、赤葦は俺に迷惑を掛けてしまった…と、
相当な負い目を感じてしまうはずだ。
それが妙な『遠慮』となり、正々堂々と『かけ引き』できなくなる…
そんなつまらない事態に陥るのは、絶対に嫌だった。

「あいつとは、ずっと…『対等』の立場で、居続けたいんです。」


「…わかった。今日のことは…僕達3人の秘密にしよう。」
京治がハタチになる日…僕達家族で盛大にお祝いして、
きっとその時に、赤葦家の真実を知って…京治はオトナになる。
自宅で飲むのだから、そのまま昏睡しても『安全』だ。

しばらくはそうして、『宅飲み』で徐々に気付かせ…自覚させる。
時期的には『外』で飲む機会も多いシーズンだから、その時は…
「黒尾君に京治のことを…お願いしてもいいかな?」
「京治が皆様にご迷惑を掛けたり、危険な目に遭わないように、
   あの子を…守ってやってもらえませんでしょうか。」
ご無理を言って本当に申し訳ありませんが…宜しくお願いします。

図々しいお願いだったが、黒尾君は明朗な声で、
「お安い御用です。お任せください。」と言ってくれた。
本当に頼もしい…僕達を心から安心させてくれる声だった。



その後すぐに、黒尾君は帰って行った。
僕と奥様は、黒尾君を見送った玄関から、しばらくの間、動けなかった。

「黒尾さん、本当にステキな人…だったでしょ?」
「あぁ…お母さんがメロメロになっちゃうのも、納得だよ。」
この僕だって、黒尾君に惚れてしまいそうだった。
そのぐらいの魅力と、包容力に溢れる人物だった。

ちょっとだけ話した僕達でさえ、そうなのだ。
ずっと近くに居た京治…黒尾君に惹かれて当然だろう。
無意識でも離したくないと思ってしまう気持ちも、よくわかる。

京治は、心から愛するお酒からは、その愛を絶対に返してもらえない。
でも、彼のような人から『大切に』してもらえるのであれば…
我が子が誰かから愛してもらえるなんて、親にとって最高の幸せじゃないか。


「ねぇお父さん。もし近い将来、あの子達が…」
「今の状態じゃあ、まだかなり『先』…時間がかかりそうだけど?」
僕の言葉に、奥様は「ホントにもう…じれったい!」と笑った。
朗らかに笑い合い、そして僕は真面目に答えた。

「もしその日が来たら…」
僕は一体、どんな反応をするだろうか。
大事な娘に手を出した!と、古式ゆかしいシキタリ通り、一発殴るか?
一時代前の『世間体』とやらを重んじ、絶縁を言い渡してしまうか?

    あんなにお互いを『大切に』想い合っていること。
    ずっと『対等』で居たいと願ってくれていること。

それを知っている僕が、あの子達に殴るだの絶縁だの…言えるわけがない。
我が子の幸せ以上に、親にとって大切なことなど、有り得ないのだ。


僕は奥様の肩を抱き、居間へといざなった。

「その時には、黒尾君にこう言ってみようかな。
   『僕と奥様も…お姫様抱っこして下さい!』ってね!」

僕の提案に、奥様は「お父さん、それ…最高!!」と、
満面の笑みで喜びながら、僕の腕に寄り添ってくれた。


これを言った時の黒尾君と京治が、どんな顔をするのやら…

今からその日が、僕は楽しみだ。



- 完 -



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※赤葦夫婦に関しては、完全にフィクションです。
   ご容赦頂けますと幸いです。
※一度だけ赤葦家に来た黒尾 →『諸恋確率

※この後の二人は、『予定調和』及び『蜜月祈願』、
   そして『王子様シリーズ』以降へと続きます。


2016/11/24

 

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