結縁奸計







「それじゃあ、行って来るね。」
「気を付けて…行ってらっしゃい♪」


大学から戻ってくると、ちょうどツッキーが玄関に居た。
これから晩御飯のお買い物に行って来るよ、と言いながら、
まずは「おかえり、山口。」と…キスをくれる。

これから事務所で業務の俺は、玄関で靴を脱いで上がってから、
クルリと振り返り…今度は俺の方から、ツッキーの首に腕を回した。

「いつも晩御飯…ありがと。」
「山口も、お仕事頑張って。」

玄関の段差が、身長差を上手くカバーしてくれるから、
無理なくツッキーを引き寄せ、目を閉じて…キスを贈る。

この家に住み始めた頃は、俺からツッキーにキスするのが恥かしかった。
俺からできるようになったら、今度はツッキーが恥かしがってしまい、
なかなか「おかえり」「いってらっしゃい」のキスができなかった。

そんな同棲生活も、早9か月。
キスするのも、されるのも…すっかり習慣になってしまった。
むしろ、コレがないとしっくり来ないというか、
帰ったような気もしないし、出る時もいまいちテンションが上がらない。
ほんの小さな『習慣』だけど、凄く大切で…凄く幸せな時間なのだ。


とは言うものの。
これは『ほんの小さな』とは、とても言えないような…

腰に添えられていただけのツッキーの片手が、いつの間にか背を固く抱き、
もう片方の手は、腰から下へと、徐々に撫で下ろされてくる。
触れるだけだったキスも、角度を変えながら深くなり、
漏れ出た熱い呼気が、ツッキーの眼鏡を曇らせる。

「ねぇツッキー。これ、『いってらっしゃい』のキスだったんだけど…」
こんなキスしたら、行きにくくなっちゃうんじゃない?
そう茶化して言ってみたら、「逆にイきやすいかもね…」と、
更に茶目っ気たっぷりな答えが返ってきた。


「人生、何があるかわからない。次にいつ山口と逢えるかも…」
だから僕は、『今を大切に』生きようと思うんだ。
イチャイチャできる時には、精一杯イチャイチャしまくるべし…でしょ?

「どこまでイく気なの?ただの買い物じゃなかったっけ?」
そんな大層な『人生訓』みたいなので誤魔化しても…ダメだよ。
イチャイチャは…買い物から帰ってきてから、いっぱいでも…いいよね?

どんな小さなチャンスでも、逃してなるものかという気概は、
非常に高く見上げた志…と言えるかもしれないけれど、
ちょっとお買い物に出る程度で、何を大げさな。
帰って来たら、二人きりの時間なんて、たくさんあるんだから。

このままだと、いきたくて、いきたくなくなってしまうじゃん。
っていうか、いつからツッキーは、こんなにデレ甘さんになったんだろ?
たった9か月でこの激変っぷりは、全然『小さな変化』とは言えないと思う。


そして、『甘ったるいツッキー』なんて無理無理無理…
そう言っていた自分が、随分大昔に感じるぐらいには、俺自身も変わったかも。
あんなに強く『ずっと一緒に居たい!』と、長年願い続けていたのに、
今やそれが『当たり前』の日常になっているのだ。
なかなか一歩を踏み出せず、待って待って、待ち続けて。
あの焦れに焦れた数年間は、一体何だったんだろうって思ってしまう。

ほんの小さなことに喜び、何不自由ない日々の生活に満たされ、
本当に幸せだなぁと、常々しみじみ重々ほわほわ~っと感じている。
この幸せな毎日という『現状』を、できるだけ長く維持できるように…
やっぱり、この辺でちゃんと切り上げて、仕事に行かなければ。

「一緒にお買い物に行く赤葦さん…お待たせしてるんでしょ?」
「アッチはアッチで、デレデレしてるんじゃない?」

それはまぁ、そうだろう。
ウチなんか比べ物にならないぐらい、アチラはデレッデレの新婚さん。
見てらんない程…こっちまで溶けそうな熱々さ。
あ、溶けると言えば、今日は冷食半額デー…ロックアイス大量購入の日じゃん。
『酒屋談義』必須アイテムだから、やっぱり買い物には行ってもらわなきゃ。

「引っ付きすぎて、熱くなっちゃったから…アイスも買ってきて貰える?」
「お安い御用だよ。だけど、もうちょっとだけ…ね。」


背を撫でていたはずの手が、何かの拍子にズボンに引っかかった…
風を装って、大胆な動きに変わりつつある。これは本当にマズい。

だってもう…3階から階段を降りてくる音と、廊下を歩く音、
そして、その音が玄関に近づいてくる音が聞こえきてるじゃん。

「玄関で調子に乗り過ぎてたら…また痛い目見るかもよ?」
「っ!?い、嫌なこと思い出させないでよ。」

ここに住み始めてすぐ…『おかえり』『いってらっしゃい』のキスを、
我が家の『習慣』にすべく、家族会議(理屈捏ねまくり)をした。
その際玄関ですったもんだしていたら…月島家のお家芸・乱入を喰らったのだ。
(あれ以来、ツッキーは玄関の鍵を厳重チェックするようになった。)

トントン…と、控えめなノックが響く。
いつまで待たせる気ですか?という、赤葦さんからの催促だろう。
俺は「はーい!お待ちください!」と叫び、シャツをズボンに入れようとする。
その手をツッキーに再び捕まれ、また…これでもか、とキスをされる。

トントントン…あ、だいぶペースが早くなってきた。
赤葦さんの導火線の短さたるや、当事務所随一…これは本当にヤバい。
次のノックが鳴る前に、俺はツッキーを引き剥がし、玄関の鍵を開け…
その瞬間、イライラを見事に表現した勢いで、玄関扉が開かれた。

扉の取っ手を握っていた俺は、その勢いに引き摺られてしまった。
ぅわっ!と玄関外に飛び出すと、上質なスーツの腕に、抱き止められていた。


「いつまで待たせる気だ。」
「んなっ!!?」

頭上から振ってくる、ハスキーな美声。
後ろから響いてくる、イライラの怒号。

あぁ、このカンジ…思いっきり既視感たっぷりだ。
さっきまで引っ付いてたのとは少し違うけど、よく似た胸の中。
俺はもぞもぞとそこから顔を出し、ニッコリ笑ってしっかり抱き付いた。

「お久しぶりです!そしていらっしゃい…おじさん♪」
「元気そうで何よりだよ、忠君…相変わらず驚く程の可愛いさだね。」




***************





月島父・襲来。
今回も何の前触れもなく、突然襲撃してきたが、
前回と大きく違うのは、『乱入』しなかったこと…これは天地の差である。

月島父の後ろから、息を飲んで見守っていた黒尾と赤葦は、
父の成長ぶり(?)に、大変失礼ながら心底驚いていた。

スラっとした長身、遠目にも品の良さがわかるスーツ。
整った顔立ちにロマンスグレーの髪、痺れるようなハスキーボイス…
自称・面食いの赤葦ではなくとも、「おじ様♪」と呼びたくなってしまう。
ただし、黙って立っていれば…という限定付ではあるが。

超絶可愛い忠君を、その腕に抱き締めるという僥倖に恵まれた月島父は、
音がする程「デレ~」っと溶け…ダンディが台無しである。

この、ツンがデレる瞬間…さすが親子、といった激似っぷりだ。
ソックリ月島親子に、黒尾と赤葦が笑いを堪えていると、
その忠君を引っ張り合う、醜い姿…
慌てて二人から山口を引き剥がし、「では、事務所で家族会議ですね!」と、
山口を抱えるようにして、黒尾達は1階事務所へと駆け降りて行った。


事務所の応接室に集合し、赤葦が全員にお茶を配り終えると、
月島父が前回同様、厳かに『家族会議』の開催を宣言し…
そして、いきなり雷を息子へ落とした。

「いつまで…待たせるつもりだっ!?」
「なっ、何の話…」

「蛍、お前…忠君と『福井』へ行ったそうじゃないか。」
あぁ忠君、わざわざおじさんにもお土産を送ってくれてありがとう。
可愛い恐竜の絵葉書…おじさんは一生大切にするからね?

山口にはデレデレとお土産の礼を言い、
すぐに父はキリっと表情を引き締め、息子に向き直った。

「二人で『福井』に行った…つまりそれは、『新婚旅行』だろう?」

まだ多少は可愛かった頃から、蛍は「新婚旅行には福井」と言い張っていた。
その福井に、忠君と行ったということは…ついに、という意味だろう!?
お土産を受け取った月島・山口両家では、すぐさま二家族会議を開催…
きっと5月の連休に、『ご挨拶』に戻って来るはず!との結論に至り、
今か今かと、ずっと待ち構えていたというのに…

「待てども待てども、お前からは一切連絡がない。
   おかげで、ただ『待つ』だけのゴールデンウイークになってしまった。」
「勝手に『来るはず!』って思い込んどいて、勝手に待ち構えて…
   それで僕に逆ギレとか、冗談じゃないよっ!」

「それだけじゃない!お土産に同封されていた写真も、意味不明な骨ばかり…
   全然忠君が写ってなかったじゃないか!」
「旅先で自分達を写す方が、僕には意味不明だね!
   福井では、山口どころか…人間が写った写真はほとんど撮ってないし。」

僕のはまだマシな方だよ。化石に、東尋坊の柱状節理…美しいものばかり。
赤葦さんが撮ったのなんて、消火栓だの雨樋だの、本当に意味不明で…

あれの美しさがわからないんですか?と、割り込みそうになった赤葦を、
黒尾はグっと抑え込み…月島父に話の続きを促した。


「あの、それで…来訪のご用件は?」
「いつまで待たせる気だ?…これが私の用件だ。」

月島父は、胸ポケットから手書きの紙を取り出し、テーブルに広げた。

・1週間以内…5.4%
・1週間~1か月以内…10.9%
・1か月~3か月以内…18.9%
・3か月~5か月以内…7.9%
・約6カ月…26.8%
・約1年…19.1%
・1年以上…10.9%

「何ですか、このデータは。ソースも明示してませんが?」
「これは2014年の、とあるニュースサイトのデータだ。
   タイトルは、『プロポーズから入籍までの期間』となっている。」

無断利用だから、詳細なデータとソースは明かせないが…と、
父は免責事項の如く但書を付けたが、
要するにこれは、『婚約期間の長さはどのくらいか?』というデータであろう。


「京治君。この家に住むようになって、どれぐらいになる?」
「去年の8月半ば過ぎから…ちょうど9か月ですね。」

「黒尾君。君達が婚約して、実際に結婚するまでは?」
「12月初めと、1月初め…一月程ですね。」

実際には、100日程(3か月半)の同棲を経て、プロポーズだ。
付き合うまでの長大さと、付き合ってから同棲までの極短さに比べると、
実に適正かつ平均的な同棲期間及び婚約期間である。
性急すぎず、待たせ過ぎず…腹黒策士の名に相応しい、滞りのなさだ。

「それに比べて、お前はどうした?」

高校卒業後、上京して『なんちゃって同棲』を1年半。
去年の夏、やっと皆様のお手を煩わせながら、婚約と正式同棲。
それから9か月…とても『お試し期間』とは言えない長さの、同棲期間だ。
しかも、挨拶もなく新婚旅行に行っておきながら、
実はまだ結婚していないなど…冗談ではないぞ。

「この『ぬるま湯』に…いつまで浸かっている気だ?」


「なっ…父さんにだけは、言われたくないっ!
   母さんを25年も待たせ続けた、あなたにだけは…っ」
「お、おじさん達のことはともかく、俺もツッキーも、まだ学生だし…」

月島と山口の言い分も、ごもっともだ。
だが、それはただの言い訳にすぎないことは、誰よりも二人がわかっていた。

確かに、未だ自立できていない大学生…
仕送りは終わったとは言え、山口もまだ学費は両親に出して貰っている。
月島に至っては、学費も生活費も、月島父からの仕送りが主体。
こんな状態で結婚という方が、本来は『御門違い』なのだが…

だとしたら余計に、こんな状態でズルズル『ぬるま湯』に浸っているのは、
あまり褒められたことではない…とんでもない贅沢かつ、甘やかしである。

「この同棲に当たっては、『婚姻届』というケジメは付けさせた。
   本来なら、卒業までは待ってやりたかったのだが…」

いつまでも、『現状』が続くとは限らないんだ。
いつまでも、我々も待っててやれない。

相変わらず蛍は忠君を待たせ続けるし、我々は急かしてしまって、
忠君には本当に申し訳ないのだが…

「いつまでも、親が居るとは…思わないでくれ。」


月島父の静かな声に、全員息を飲んだ。
言葉の端々に含まれる、ずっしりとくる『重み』に、口を閉ざすしかなかった。

それはわかっていても、息子は素直にイエスとは言えなかった。
不穏な空気を感じ取り、掠れる声を必死に隠しながら、
父に向かって毅然と言い放った。

「そんな試すような真似しても、無駄だから。」

そうやって深刻なフリをして、僕達を脅かして…
僕がどう出るか、試してるんでしょ?
本当はただ単に、『忠君を一刻も早く私の子に』したいだけなのに。
僕達には僕達なりの考えもあるし、準備だってあるんだ。
もうちょっと、黙って待っててよ!

息子の発言に、父は一切表情を変えなかった。
そして、息子より遥かに厳然たる口調で、正面から切り返した。

「親には親の考えもあり、準備もある。
   今の『宙ぶらりん』のままでは…山口家に申し訳がない。」

いくら仲が良いとは言え、月島家と山口家は『別』の家族。
そして、月島家の我儘により、山口家の未来を奪ってしまうのも…事実。

「黒尾君と京治君にはわかると思うが…
   結婚は『本人同士』だけでするものではないのだ。」

家制度や家督相続、跡取問題…そういう話をしているのではない。
どんなカタチであれ、結婚すると相手の『両親』とも強固に結ばれるのだ。

「蛍が本当に誠意を見せるべき相手は…忠君ではない。
   忠君を産み育てた、山口家のご両親に対して、だ。」

そしてそれは、我々月島家も同じ…
蛍以上に私達両親が、山口家に誠意を見せなければならないのだ。


父の厳粛な言葉に、今度は息子も完全に沈黙した。
結婚は当人同士だけの問題ではない…それは月島達も、十分わかっていた。
毎日毎日、家族関係の紛争…離婚や相続を見続けていれば、痛い程よくわかる。

どんなに愛し合っていても、どんなに仲が良くても、
人生何が起こるかわからない…
全身全霊で努力し続けたとしても、『現状維持』は極めて難しいのだ。


「黒尾君。」
「はい。」

重々しい空気の中、月島父は黒尾に向き直り、白い封筒を差し出した。

「黒尾君に…いや、黒尾先生に、仕事を依頼したい。
   依頼内容は、『仲介』だ。」

月島家としては、できる限りの誠意を山口家に示したいと思っている。
そのためにはまず、山口家の意向を知らなければならない。

これは、『仲良し月島&山口家』で済む話ではない。
きちんとした体裁を必要とする、極めて重要なプロセス…
だからこそ、家族関係専門の黒尾先生に、仲介をお願いしたい。

月島父はそう言うと、これは委任状と手付金だ…と言い、
黒尾に対して深々と頭を下げた。


「ちょっ、ちょっと待って下さい!」

確かに、父の言うことは正論…いつまでもズルズルはできません。
ですが、当事者である僕達の意思を無視してまで、
黒尾さんに仕事を依頼するだなんて、さすがにやり過ぎです。
この仕事…請けないで下さい!

月島と山口は、黒尾にそう訴えたが、黒尾は首を横に振った。
そして、月島父から封筒を受け取り、「お請けします。」と断言した。

抗議の声を上げそうになった月島達に、黒尾は「すまねぇな。」と言い、
それでもはっきりもう一度、「仕事は請ける。」と言い切った。

「本来なら、俺もツッキー達の気持ちを一番大事にしてやりたい。
   せめて卒業するまでは…ゆっくりさせてやりたいのが、本心だ。」

この『現状』を作り出した原因の一部は、俺にもあるから、
俺はできる限り、お前らの力になってやりたい…その気持ちに嘘はない。
だが、結婚は本人だけの話じゃないことも、十分承知しているし、
月島さんのお気持ちも、俺にはよくわかるんだ。それに…

「いつまでも、自分を守ってくれる親が居るとは…限らねぇんだ。」

だから俺は、お前らのためになると信じて、この仕事を請ける。

黒尾はそう呟くと、背筋を伸ばして『仕事モード』の顔に切り替え、
月島父に正面から向き直った。


「では月島さん。詳しいお話をお聞かせ下さい。
   今回の仕事…何か『特別な事情』が、おありですね?」





***************





「月島家は、山口家に対して最大限の誠意を見せたい…
   つまり、忠君との養子縁組をお考えなんでしょうか?」
「その通りだ。話が早くて助かる。」

黒尾と月島父のやりとりに、山口本人が「えっ!?」と声を上げ、
珍しく慌てて話に割って入った。

「待っておじさん!それはちょっと…話がいきなりすぎるよ!」
山口はサムライ補助者…相続を専門とする実務法務者だ。
資格は未取得だが、実務経験は黒尾よりも長いため、
二人が言っていることの意味を即時に理解し、動揺を隠し切れなかった。

法務とは畑違いの月島と赤葦は、話の流れがいまいち掴めず、
顔を見合わせ首を傾げ…説明を求めた。

「養子縁組って…『山口が月島家の子になる』ってことですよね?」
「実質的には、『現状』とほとんど変わらないように思えますが…?」

「端的に言えば、それで間違いはないが…正確じゃねぇ。」
黒尾はそう言うと、二人に対して丁寧に解説を始めた。


「養子縁組とは、『親子』の血の繋がりがない者同士の間に、
   血の繋がった 『親子』と同じ関係を、法的に結ぶ制度だ。」

月島父母と山口忠が養子縁組する場合、
月島父の戸籍に、『忠』が養子として入り…忠は月島家の子になる。
即ち、月島家は『明光』『蛍』そして『忠』の三兄弟になるのだ。

「僕と山口が…兄弟?」
「山口君が、『月島忠』になる…ってことですね。」
「そして、忠君は蛍達と同じく、おじさんと『親子』になるんだ。」

苗字が『月島』に変わる…同じ姓を名乗る『家族』になれることから、
同性婚の場合にも、養子縁組が利用されることもある。

「まぁ、どうしても『月島蛍・忠』になりたいっていうのなら、
   ツッキーを養親・山口を養子にするっていう手もあるんだがな。」

その際には、月島と山口の関係は、兄弟ではなく『親子』になる。
そして、自分より年上の者を養子にすることはできないため、
誕生日の遅い山口が養親・月島が養子…『山口忠・蛍』は不可能である。
そのため二人の関係性によっては、
『カップル同士で養子縁組』が、「しっくりこない」こともあり、
この方法は利用が難しいケースが多い。

「っていうか、僕が山口の親って…妙な気分だよ。」
「ツッキーのこと…パパって呼んじゃおうか?」
「それだと、おじさんは忠君の、おおおっおじいちゃん…却下だっ!」

話も横に逸れ始め、別のゴタゴタも引き起こしそうな予感がしたため、
黒尾は早々に議題を本筋に戻し、場を引き締めた。


「養子縁組すると、『忠』は確かに『月島家の子』になるが、
  『山口家の子』でなくなるわけじゃないんだ。」

山口父母との親子関係はなくならず、そのまま継続…
忠は『山口父母』と『月島父母』の両方と、二重に親子関係を持つことになる。

「仮に、ウチの父さんや母さんに何かあって、相続が発生した場合…
   俺は本来の『山口家の子』として、相続を受けることになる。」
「そして同時に、月島家に相続が発生した場合にも、
   明光・蛍と同じように、忠も『月島家の子』として、相続を受けるんだ。」

養子の忠は、山口・月島双方の親から、相続を受けることができる…
つまり、月島家の財産を、忠も『子』として引き継ぐということだ。

「月島さんが、山口家に示す誠意とは…
   月島家の財産を、相続という形で忠にも分配する、ってことだ。」
「それはかなり思い切った…誠意としては『莫大』ですね。」

勿論、月島家側にメリットがないわけではない。
『子』が増えることで、相続税の基礎控除分が増えたり、
生命保険金や死亡退職手当金の非課税額が増えるため、
『相続税を軽くする』という、税制上の大きな利点がある。

だが、メリットがあれば、当然デメリットもある。
実子と養子が同じ権利を持つため、相続時にモメる可能性があるのだ。

「まぁ、明光さんとツッキー、それに山口の3人だったら、
   ぎくしゃくしたり、相続で『争族』になったりはしねぇだろうが…」
こんなに仲の良い家族は、例外中の例外だからな。
実際は、きちんとした遺言書を残すことが必須になるんだ。

「それに、苗字が変わることで、困る場合もあるんだよ。」
結婚当時、既に論文を『Yamaguchi』の名で発表していた母さん…
審査申請中のものもあったし、各種免許も全て『山口』名義だったから、
その変更手続が物凄い大変だってことで…父さんが婿養子に入ってるんだ。
まぁ、俺は今のところ、サムライ資格があるわけじゃないし、
苗字が変わっても、特別困ることもないんだけど…


「今の話を聞いていると…山口君に不利益はないのでは?」

実子である明光さん・月島君とモメることも、おそらくないでしょう。
養親である月島父母からも、ちょっと異常なぐらい溺愛されていますし、
月島・山口両家の関係も、すこぶる良好ですよね?
『山口』忠が『月島』忠になったとしても、普通に結婚した時の煩雑さ…
運転免許証や健康保険証、預金通帳の名義変更程度で済みます。

「そして、ゆくゆくは、月島・山口両家の相続を受けられる…
   こんなにオイシイ話、そうそうないと思うんですが。」

赤葦のごく一般的な感想に、月島もコクコクと同意した。
だが、山口は厳しい表情を変えず…黒尾がその理由を説明した。

「相続ってのは『プラス』だけじゃない。『マイナス』も引き継ぐんだ。」

もし月島父に、莫大な借金があったら。
誰かと訴訟になり、損害賠償を負うことになったら。
…それらの支払義務も、子である忠に引き継がれてしまうのだ。

「それに、相続云々以前に、『親子』としての義務がある。」

親には、子を扶養する義務があるが、
子の側にも、同じ扶養義務…『親の面倒をみる義務』がある。
歳を取るに従い、親の介護等は、子にとって現実的かつ切実な問題となる。

「もし父さんが下手打って、ケタ違いの借金を抱えたり、
   打ちどころが悪くて、寝たきりになった場合とかには…」
「山口君も『子』として…月島父の面倒をみなければいけないんですね。」

当然ながら、山口家の両親に対する扶養義務も消えないし、
更には兄弟間にも扶養義務があるため、
月島父だけでなく、明光や蛍といった『超絶面倒臭い面々』の面倒も、
忠は一生見続けなければならないのだ。

「…月島家の財産貰っても、割に合わない面倒さですね。」
「俺だったら…ソッコーで養子縁組なんて拒否るけどな。」
なかなか失礼なことを、本人達を目の前にして言い放つ、赤葦と黒尾。
だが、世の中には『財産貰うより不利』な話など、いくらでもあるのだ。

「念のために申し添えておくが、私が抱える負債はない…今の所は。」
「嘘だね。母さんに内緒で買った車のローンが、あと3年残ってる。」
「なっ、なぜ蛍がそれを…」
「母さんから愚痴の電話が来たからね。バレバレだよ。」

それに、所有する不動産や、有価証券(株式)が大暴落する等の、
『不測の事態』が発生した場合も…資産は一気に負債になるんだから。
父さんがボケる前に、ちゃんと財産整理と遺言書の準備、しといてよ?
それが、可愛い子どもたちへの…『愛』ってもんでしょ。

正論ではあるが、正論故に容赦ない実子の言葉に、
月島父はグっと喉を詰まらせ…可愛い忠君に救助要請の視線を送った。


「おじさんが、俺を養子にしてくれるって話…凄い嬉しいよ。」
山口は「ありがとう、おじさん。」と、月島父に笑顔でお礼を言うと、
すぐに真剣な表情に戻り、自分の考えを伝えた。

「でも、すぐに『はい!』とは…答えられないよ。」

別に、おじさん達の面倒を見るのが嫌とか、借金怖いとか…そんなんじゃない。
っていうか、おじさんや明光君、それにツッキーの面倒を見られるのは、
月島のおばさん以外じゃあ、多分この世で俺ぐらいしかいないだろうし。

見たまんま我儘でヤりたい放題な、月島家の面々を、
上手くまとめて『争族』にならないようにできるのも、多分俺だけ…

でもそれは、別に法的な親子関係…養子縁組をしなくても、
俺は月島家にとって、役に立つ存在だと思うんだ。
こう見えても、俺…相続のプロだから。

「月島家の皆に、俺が必要とされることは…本当に嬉しい。
   でも俺は、山口家の子でもあるから…俺の一存じゃ決められない。」

ツッキーは勿論一番だけど、月島家の皆も、俺にとっては大事な家族。
そして、山口家の父さん母さんも、かけがえのない家族なんだ。

それだけじゃなくて、結婚や離婚、養子縁組や相続がどれだけ大変か、
俺は仕事柄、身に染みてわかってるつもりだから…
そう簡単には、養子縁組に『はい!』なんて、とても言えないよ。

これにはしっかりとした準備が必要だし、俺自身の心の整理も必要。
はっきりさせなきゃいけない『根本』だって、まだ残ってる。

だから…少し時間を下さい。
それから、黒尾先生…俺からも、お願いします。

「俺の…俺とツッキー、山口家と月島家の未来を構築するために、
   仲介者として、どうかご助力をお願い致します。」

深々と頭を下げる山口。
真摯で実直、そして優しさに溢れる山口の姿に、全員が心を打たれた。


「任せろ!お前が一番幸せになれるように…万策尽くしてやるからな!」
「山口君…いっそ黒尾さんか、俺の養子になって欲しいくらいですよ!」
「いやいや、むしろおじさんと忠君で…新たな家庭を築こう!」
「なっ、何勝手なことを…っ!?僕を差し置いて…」

いきなり初っ端から、このてんでバラバラ具合…
山口は呆れながらも嬉しそうに笑い、そしてパンパン!と手を叩いた。

「はいっ!それじゃあ…早速仕事だね!
   というわけで…おじさん。黒尾さんの質問に答えて。」

話が恐ろしく飛躍しまくり…最終到達点すら超えそうな、
『養子縁組』から始まっちゃったなんて、順序が明らかにおかしいでしょ。

今回のおじさんの依頼…その『理由』を未だ聞いてないよ。
黒尾さんの最初の質問にあったけど、『特別な事情』って何?

「おじさんは、まだ俺達に何か隠してる…そうだよね?」

山口は月島父の手を握り、ニッコリ微笑みながら問い掛けた。
柔らかな物腰と表情で脅迫…ではなく、『お尋ね』するという、
当事務所参謀直伝のテクニックにより、
月島父が思わず口を割りそうになった瞬間…爆音が鳴り響いた。


「やっほ~!みんな久しぶりだね~♪元気してた?」





***************





「東京は暑いね~もうすっかり夏じゃん。」

あ、黒尾君に赤葦君…結婚おめでと~♪これ…俺からのお祝いね!
新婚旅行のお土産もありがと!事務所の皆で美味しく頂いたよ~

お土産と言えば、忠もありがとね!
永平寺のお札だなんて…センス良すぎでしょ。さっすが俺の可愛い忠♪
蛍からのお土産だけは、なぜか値札とレシートが付いてたけど、
それでも蛍が俺にくれただけ、成長したってことだから…今回は許す!

それから、父さんにはコレ…とりあえず3日分だって。
どういう意味か…わかるでしょ?

「っていうか、めちゃくちゃ暑いんだけど。忠~!冷たい麦茶ちょうだい。」
「もうここにあるよ、明光君。それ飲んだら、口開けて…はい、どうぞ。」


毎度お馴染みの、月島家長男・明光の乱入…実の父と弟も絶句する中、
すっかり慣れ切った山口は、兄登場と同時に給湯室で麦茶を準備し…
ひたすら喋りまくる明光の口に、アイスを突っ込んで黙らせた(参謀直伝)。

この場は、山口に任せた方が得策…
瞬時にそう判断した黒尾は、とりあえず『御祝』のお礼だけを言うと、
「頼んだ。」と山口に視線を送り、先を促した。


「明光君、久しぶりだね。突然どうしたの?黒尾さんに仕事?」
「そうだよ~って、親父はどこまで話した?養子縁組は…あ、終わったんだ。」

それじゃあ、話は早いね。
俺は俺の方で、準備をしてきたから…
早速だけど、今後の行動について、皆に説明しちゃうね~

「養子縁組については、今日俺が山口家に出向いて、ざっと話してきたんだ。」

山口先生たちも、ビックリしてたけど…話し合いには前向きなカンジだよ。
その上で、山口家からの返答は…

「仲介者として、赤葦京治君に来てほしいってさ。」
「えっ!?お、俺が、ですかっ!?」

突然の指名に、赤葦だけでなく、全員が驚愕した。
なぜ、専門家ではない赤葦を指名したのか…その意図が、全くわからない。

「俺もビックリしたけど、どうしても赤葦君がいいんだって。」
ってなわけで、赤葦君はこれからすぐに、山口家へGO!しちゃってね。

「当然ながら、忠も赤葦君と一緒に実家へ帰省だよ。」
はい、これ…新幹線チケット。
忠は今回の件について…ご両親からしっかり話を聞いて、
またとない『親子水入らず』の時間を、じっくり楽しんでね。

忠にとって、今回の帰省は『特別』だから…気をしっかり持ってね。
赤葦君、どうか忠のこと…宜しくね。忠の傍に…付いててもらえるかな。

明光のらしくない真剣さに、どういう意味ですか?と赤葦は尋ねようとしたが、
すぐにいつもの飄々とした雰囲気に戻ってしまい、話を躱された。


「次は黒尾君…君も仙台だけど、まずは月島家の方を頼むよ~」
ホンット、こんな時にこんな面倒な仕事をお願いしちゃって…ゴメンね~?
ド天然の母さんの相手は、結構大変かもしれないけど…

「最悪、円満調停ぐらいで。離婚は回避の方向で…だよね、父さん?」
「………あぁ。」

明光と月島父の話が…全く見えない。
バツが悪そうに目を逸らす父に、黒尾はある可能性に思い当たり、
先程受け取った封筒を、慌てて開いた。
中には、委任状が…2通。

ひとつは『月島・山口両家の仲介』で、もうひとつは…『月島夫妻の仲介』だ。

「やられたっ!月島さん、これは…どういうことですかっ!?」
「私は『仲介』を依頼したが、一度たりとも『両家の』とは明言していない。」
「まさか黒尾君、委任状もちゃんと見ずに仕事請けちゃったの?」

相変わらずお人好しなんだから~ダメだよ?そんな甘ちゃんじゃあ。
相手は口八丁でメシ食ってるサムライ…用心しないと痛い思いしちゃうよ~?


「黒尾さん…」
心配そうに見つめる部下達に、黒尾は天を仰ぎながらため息をついた。

「恐らく、こういうことだ。」

月島父の本当の依頼は、ケンカした月島夫妻の仲介…仲直りの手助けだ。
俺の予想では、月島父が勝手に先走って、山口との養子縁組を企て、
「忠ちゃんや蛍、山口さん達の意見も聞かないなんて…ダメじゃない!」と、
月島母が激怒したんだろうな。
そんでもって、「ちゃんと筋を通して準備するまで…反省!」とか言われて、
家を追い出されてしまった…ってとこじゃねぇのかな。

「おぉ!さすが黒尾君、ビンゴだよ~」
そんなわけで、追い出された父さんは、慌ててこっちに泣きついたの。
そして俺は、母さんから3日分の下着類を預かって持ってきた…

「最低3日は、帰って来るな…と。」
「おばさんを怒らせちゃったの!?それ、すっごいマズいじゃん…
  そんなの、おじさんに勝ち目なんて、ほぼゼロだよ。」

山口の断定に、月島父は「その通りだよ。」とアッサリ認めた。
「母さんに捨てられたら、私は生きていけないからな。全力で謝罪するのみ!」

…というわけで、黒尾君。
私はマゴコロを込めて『反省文』をしたためたから、これを母さんに渡して…
何とか上手いこと、月島家の危機を救ってくれたまえ!

月島父は、ピンクの可愛いらしい封筒を取り出して、黒尾の手に握らせた。
黒尾は封を開け、中身を確認…
直後、『反省文』を机に叩きつつけた。


おかあさんへ。ごめんなさい。
もうしません。ゆるしてね。


「こんなんで、仲直りできるわけないだろうがっ!幼稚園児かっ!?」
「失敬な!私は出逢ってこの方…この文言で謝罪し続けてきたんだぞ!?」

つまりそれは、月島父が母と出逢った、幼稚園時代から変わってない…
黒尾は絶望的な表情で溜息を付くと、
目上の人に対する諸々のオプションを全て解除し、猛然と捲し立てた。

「人に謝って、仲直りしたいなら…」

・自分の何がいけなかったのか?
・なぜ怒らせてしまったのか?
・どういう点を謝りたいのか?
・具体的にどうすれば改善できるのか?
・自分は今後どうするのか?

…これらをちゃんと示さないと、全然反省にも謝罪にもならないだろ!
全く、「いつまでも親がいるとは限らない」ってのは、このことだったんだな。
こんなんじゃあ、月島母が離婚を言い出しても、文句言えねぇからな!?

黒尾の厳しい言葉に、月島父はぐうの音も出せず…ちーん、と項垂れた。
そのらしくない姿に、次男坊はニヤニヤとほくそ笑み…
黒尾は怒気をはらんだ冷たい視線で、父子双方を射抜いた。

「他人事じゃねぇぞ、ツッキーも。」

月島夫妻の問題を解決しないと、ツッキーと山口の件もウヤムヤに…
山口家に対して誠意を見せるどころか、このしょーもないケンカに巻き込んで、
せっかくの良縁をズタズタにしかねないんだぞ!?

「月島母もなく、山口もなく…
   明光さんとツッキー、そして月島父の『3人家族』になるってことだぞ。」
「絶対嫌だっ!黒尾さん…何とかして下さいっ!!お願いします!」

顔を真っ青にし、目を潤ませながら懇願する月島に、
「それなら俺の言う通りにしろよ。」と黒尾は言い、月島は激しく頷いた。


「今後の行動指針は…こうだ。」

月島母を納得させ、両家及びツッキー達の仲を上手くまとめるには、
きちんと月島家側の準備をすることが、必須条件になる。

「月島父は、これから反省文の書き直し…まずはそこからだ。
   俺は少し遅れて仙台に向かう…赤葦、山口を任せたぞ。」
「万事了解致しました。クソ面倒な仕事…頑張って下さいね。
   では山口君…俺達は今からすぐに支度して、出発です。」

その言葉に、山口は頷いて立ち上がる。
じゃあ僕も山口と一緒に…と、当たり前のように月島も立ち上がろうとしたが、
「蛍はこっち。」と、明光にガッチリ腕を掴まれてしまった。

「は、離してよ。僕は…」
「ダ~メ。蛍には蛍で、大事な仕事があるんだから。」
「父と明光さん、それにツッキーの3人で、月島家側の『準備』をするんだ。」

若干卑怯な手に引っかかったのは、間違いなく俺に落ち度がある。
だが俺は、一度請けると決めた仕事は、最後まで責任持ってやり通す。


「甘えは許さない。一切容赦しねぇ。
   月島家の『誠意』とやら…しっかり見させて貰うからな。」




- 続 -




**************************************************

※甘ったるいツッキーは無理 →『三畳趣味
※月島家のお家芸・乱入 →『家族計画
※福井に新婚旅行 →『福利厚生
※黒尾のプロポーズ →『得意忘言
※25年待たせた月島父 →『掌中之珠

※養子縁組には、普通養子縁組と特別養子縁組がありますが、
   特別の方は、養子が満6歳未満に限定されるため、
   今回の説明からは除外させて頂きました。



2017/05/20

 

NOVELS