福利厚生①







「はぁ、まぁ…わかりました。一応検討してみます…それじゃあ…」


今日も特にやることがない、年度末修羅場明けの黒尾法務事務所。
大学も実質的には春休みに突入し、4人はのんびりと残務整理や片付け、
新年度の学業や資格取得プランを練ったり、気になる事項を調査…
と言えば聞こえはいいが、要するにボケ~っとヒマを持て余しつつ、
かといって何かをヤる気にもならない、所謂『燃え尽き症候群』に陥っていた。

そんな中、仙台本社…明光から黒尾へ、大したことなさそうな電話がかかってきた。

  無事生還おめでとう!納期守ってくれて、超助かったよ~♪
  こっちも修羅場明けて、半数が屍…有給使って撃沈してるよ。

…等、時候のご挨拶が受話器越しに聞こえて来た辺りで、
黒尾以外の3人は、その電話から興味を失い、ネットサーフィンを始めた。

若干面倒臭い明光のグダグダ(おそらく暇つぶし)に、黒尾は話半分付き合い、
はぁ…へぇ…そうっすか…と、ストローを噛みながら流していたが、
途中からその相槌に、マジっすか?はぁ?いや、でも…という困惑が入り混じった。

こういう電話は、今までも何度かあった。
ほぼ間違いなく明光からの『ムチャ振り』要請…嫌な予感しかしない。
漏れ聞こえる「遠いけど」「悪くはないと思うよ?」「金額は弾むからさ!」
…もはや定型句の『悪魔の囁き』に、3人は固唾を飲んで聞き耳を立てた。

「返事は今日中!?ちょっ、ちょっと待っ…あ、切りやがった!!」
どうやら(いつも通り)明光は言いたい放題言って、電話を切ったらしい。
黒尾はグッタリした表情でため息をつき、やや乱暴に受話器を置いた。


「せっかく修羅場が明けたっていうのに、もう次の…ムチャ振りですか?」
イライラ防止策か、赤葦はアーモンドチョコを黒尾の口に放り込みながら、
気になってしょうがない電話の内容について、冷静に説明を求めた。
黒尾は「その通り。」と苦笑いしながら首肯し、カレンダーを指差した。
「今週末から一週間ほど…3月末まで、ちょっと遠征して欲しいってさ。」

仕事自体は、本当に大したことない…一人で半日もあれば十分。
でも、割と距離があるから、最短でも1泊2日の出張になるだろうな。

それなら、僕達にはカンケーない…さっさと黒尾さんが行ってくればいいだけ。
早々に『無関係』と割り切った月島と山口は、再びパソコン画面に向かった。
黒尾と出張するのが大好きな赤葦だけは、ワクワクした目で真剣に続きを促した。

「いいじゃないですか、出張。ヒマですし…旅行がてら行きましょう♪」
「観光するトコがあんのか、パっと思いつかねぇ…山ん中らしいんだ。」
行先は、福井の…勝山だったかな?えちぜん鉄道とかいうので…
そこまで黒尾が言った瞬間、ガタン!と大きな音が事務所内に響き渡った。
その音…イスが倒れる音が鳴りやむ前に、倒した本人の大声。

「その仕事…僕にやらせて下さい!」


ずんずんと大股で黒尾の机に近づくやいなや、月島は深々と頭を下げた。
あまりの剣幕に、黒尾が何も言えないまま固まっていると、
月島は更に腰を折り…ついに膝も額も床に付け、再度心の底から懇願した。
「お願いしますっ!!どうかその福井行き…僕をご指名下さい!」

しん…と、静まり返る事務所。
月島の行動と切実な絶叫に、全員が度肝を抜かれてしまった。
まさか月島が、黒尾に土下座…自分が目にしているものが、信じられなかった。

「つっ、月島君っ!やめなさい、そんな屈辱的な格好…」
「福井に行かせて貰えるなら、土下座なんて安いもんです。」
こんなしょーもないパフォーマンスで騙されてくれるなら、何度でもしますよ。
僕の土下座なんて、福井に比べたら何の価値もありませんからね。

「ツッキー、本音がダダ漏れだよっ!せっかくの土下座が台無し!」
「あぁ、そうだった。じゃあ、どうしようか…」
今日から3日間、毎晩黒尾さんの肩もみか…何ならお背中お流ししましょうか?
ついでに寝落ちするまで、枕元で『ステキなお伽噺(R-18)』を語ってあげます。

「い、いや、それはエンリョする…」
「じゃあ、そういう特殊サービスはナシで、僕をイかせて下さい!」
はい、そういうことですから…
「可愛い弟の蛍がキッチリ仕事してきますから、ご安心下さい♪」って、
今すぐ兄ちゃんに電話して、仕事請けて下さい。

ぐいっと受話器を黒尾の手に握らせ、早く早く!と急かす月島。
その勢いに圧され、黒尾は思わず電話をしそうになったが、
横から割り込んだ赤葦が受話器を取り上げ、「落ち着きなさい。」と諭した。
山口が引っ張ってきた椅子に座らせ、強引に口の中にチョコ…
黙らせたところで、赤葦はゆっくりと月島に質問した。


「では月島君。なぜそんなに福井に行きたいのか…」
「なぜ…?驚く程の愚問ですね。」
いきなりの不躾な答えに、赤葦は眉の端をピンと吊り上げたが、
慌てて山口が二人の間に入り、月島の口を手で抑え込んでフォローした。

「福井は、幼い頃からの…ツッキーの憧れの地なんですよ!」
『オトナになったら、僕は福井に新婚旅行へ行くんだ。』
出会ってから今までに、このセリフを聞いた回数は、4桁に迫る勢い…
『僕の遺骨は勝山に埋めて下さい。』って、遺言に書いちゃうぐらい、
ツッキーは福井を心から愛しているんですよ。

山口は「僕に語らせて!」ともがく月島を、全身で抑えながら、早口で告げた。
「福井には…福井県立恐竜博物館があるんです!」

「…は?」
予想外の答えに呆気に取られ、ポカンと口を開ける黒尾と赤葦。
その二人にも、余計なことを言ってツッキーを煽らないで!と目で訴え、
山口は皆に気を使いながら、丁寧に説明を続けた。


「福井の恐竜博物館は、日本中の恐竜ファンにとって、まさに『聖地』…」
上野の国立科学博物館で、「ぼくはしーらかんすとけっこんする!」と…
科博の子になる!!と、蛍君(5才)は駄々を捏ねたそうです。
蛍君は、つい最近まで反抗期でしたが、親兄弟が引き摺って帰る程の駄々は、
これが最初で最後なんです(明光君・談)。

そんな古生物ファンの蛍君は、そのままオトナになり…
新婚旅行先に福井恐竜博物館を!と言った時に、
「いいよ~」と答えてくれた人と結婚すると、心に決めていました(月島母・談)。

こうした中、長年の夢が叶いそう…しかも出張なら旅費も全て経費♪ってことで、
ツッキーはらしくなく錯乱しちゃったみたいで…どうか許してやって下さい!
その上で、俺からもお願いします…
「ツッキーを…ツッキーと俺を、福井へ行かせて下さい!」

おそらく、ツッキーは最低3日間は博物館に篭りきりなんで、
仕事なんて6億5千万%ムリ…俺が一緒に行って仕事をこなして、
ツッキーが博物館に永住しないよう、責任持って連れて帰りますから!

深々~と頭を下げる山口(と、山口が抑えつけた月島)に、
黒尾と赤葦は大困惑…あまりに突飛な話に、返す言葉がなかなか見つからない。


「お前さん達の熱意は、すっげぇ伝わってきたんだが…」
この仕事、サムライ資格者が必須らしくて、俺が行くのは確定なんだ。
お前らに譲ってやれる仕事ならいいんだが…
どうしたものかと考えあぐねていると、山口がさらなるプレゼンを開始した。

「福井駅から、えちぜん鉄道で勝山まで…その途中に、永平寺があります。」
「永平寺って、曹洞宗の大本山ですか?それは…是非観たいですね!」
寺院全体が国宝級の建築…社寺仏閣巡りが好きなら、一度は行きたい場所です。

元々出張に前向きだった赤葦の心は、簡単に揺らぎ…黒尾には見えないように、
山口に「もうひと押し!」と視線を送った。

「えちぜん鉄道には、勝山永平寺線の他に、日本海側へ向かう路線も…」
そちらは、三国芦原線…名湯・あわら温泉も非常に魅力的ですが、
その近くに、あの有名な『東尋坊』があるんです。

「な…何だって…!?」
東尋坊と言やあ、二時間サスペンス定番の『崖っぷち』…
残り15分ぐらいに、犯人が探偵に自供して、逮捕される場所じゃねぇか!
ミステリマニアは、絶対一度は訪れたい場所…まさか福井だったとはな。

黒尾の心も、ぐらぐらと揺らぎ始めた。
月島は山口の拘束から抜け出すと、『最後のひと押し』を放った。

「この時期、日本海の魚介類は最高ですよ?」
中でも、『のど黒』こと『赤むつ』は絶品…今が食べ頃です。
この『クロ赤』な高級魚…皆で味わいたいと思いませんか?


月島、山口、更には赤葦からの、期待に満ち溢れた視線を一身に浴びながら、
黒尾は「う~ん。。。」とカレンダーを手に取り、暫し黙考…
「よし!」と小さく呟くと、ニカっと笑って顔を上げた。

「この仕事…請けよう。」
ただし、俺は今週土曜…25日に外せない用事があるから、行くのは日曜から。

ツッキーと山口は、明日金曜の夕方に現地入り、土日は2人で博物館見学だ。
日曜に俺と赤葦も現地へ…仕事を終えてから合流、翌月曜は4人全員で博物館。
その後は、永平寺と東尋坊は必須…上手い具合にプランを立てて、
宿や新幹線等の各種手続と、行先に関する『事前調査』…二人に頼めるか?

「お…お任せ下さい!」
「や…やったね、ツッキー!」
もろ手を上げて大喜びする月島達に、黒尾は『待った』をかけた。

「勘違いするな。これは…仕事だ。」
ツッキー念願の『新婚旅行』じゃねぇ…お前さん方はまだ、結婚してねぇだろ?
今回は黒尾法務事務所の『福利厚生』…年度末修羅場脱出祝いの、慰安旅行だ。

「これなら、全部経費でイケるだろ?」
心ん中だけで、新婚旅行の『予行演習』だって…コッソリ思っとけよ。

パチリとウィンクした黒尾に、月島達は思わず抱き着いた。
「黒尾さん…貴方は最高の上司です!」
「もう…黒尾さん大好き~!」
「俺も、惚れ直しましたよ…」

おいおい、大げさだな…と、3人を受け止めた黒尾は、朗らかに笑った。
「それじゃあ、早速…準備開始だ!」

黒尾の号令に、月島と山口は満面の笑みで「イエッサー!」と叫び、
事務所から全力疾走で飛び出した。




***************





「さすが黒尾さん…実にお見事です。」
事務所に残った赤葦は、黒尾に賞賛の言葉を贈った。

褒める程じゃねぇよ…と黒尾は言いながら、種明かしをした。
「元々『4人』で…って話なんだよ。」

  この仕事、初めての年度末を見事に乗り切った君達への…ご褒美だから。
  一応、仕事って体裁だけど、要は慰安旅行…4人でゆっくりしといでよ!
  こっちからも、少し補助も出すから、スタッフ皆を労ってあげてよね~!

「…ってのが、明光さんからの電話の全貌だったんだ。」
どうやって出不精のツッキー達を、福井にまで連れ出せばいいのか判らず、
電話口では即答を渋ったんだが…

「可愛い弟の、福井ラブを熟知…なかなかの策士です。」
本当に、腹立たしい程の策士っぷりだが…ありがたい話でもある。
こんな『ムチャ振り』でもなければ、旅行の機会など、そうそう取れない。
ここは素直に、明光に感謝しておきたいと思う。


赤葦はカレンダーに『福井出張』と記入しながら、黒尾に尋ねた。
「ところで、25日に外せない用事って…何かありましたっけ?」

「そんな大層なもんじゃないんだが…その日は卒業式なんだ。」
黒尾の返答に、赤葦はペンを握ったままフリーズ…
そしてようやく、ある『事実』を思い出した。

「黒尾さん…まだ大学生だったんですね!?」
単位も3年で取り終え、最近は仕事ばかりしていたから、
赤葦ですら、黒尾の『本来の肩書』を、すっかり忘れていたのだ。
ということは、今回の出張は黒尾にとっては『卒業旅行』でもあるのか…

おめでとうございます、と赤葦が言いかけ…更に重要なことに気付き、
持っていたペンをポトリと落としてしまった。

コロコロと足元に転がってきたペン。
椅子から降り、腰を屈めてそれを拾いながら、黒尾は頬を掻いた。
「俺達にとって…これが『新婚旅行』だな。」

今年の正月、双方の実家にご挨拶…事実上の『結婚』をした二人。
直後から年度末修羅場…新婚どころか、日常生活もままならない状況だった。
あまりに忙しすぎて、これもすっかり…忘れてしまっていた。

「おっ俺達、学生結婚だったんですね…」
「しかも…事業経費で『新婚旅行』だ。」

あぁ、体面上は『出張』だから…
こっちも二人だけでコッソリ、心の中でそう思いながら…だけどな?

拾ったペンを赤葦に差し出す。
赤葦は茫然としたまま、机の下に屈んで腰を下ろし…
受け取ろうと伸ばした手を、黒尾はグイっと引き寄せた。


「旅行…楽しもうな?」
僅かに触れる唇。囁かれる言葉。

赤葦は頬を真っ赤に染め、コクリと静かに頷いた。



- 続 -





**************************************************


2017/03/23

 

NOVELS