三畳趣味







いつも本当にすみません。
今日も…お借り致します。

梟谷の副主将は申し訳なさそうに頭を下げ、丁寧に謝辞を述べた。


「いえ、ウチの方こそ!
   なかなか『難儀』な奴らだと思うんですけど、
   そちらさんにご迷惑お掛けしてないか心配で…」

澤村と菅原は恐縮しつつ、深々と頭を下げた。
主将共々、梟谷の方々には大変お世話になっている。
申し訳ないのは、こちらの方だった。

「迷惑だなんて、とんでもないです。
   二人とも本当に可愛くて…癒されてますよ。」

それでは、失礼します。
笑顔でそう言い、赤葦は再度頭を下げ、去って行った。


「あの梟谷の参謀だけあって…タダモノじゃないな。」
「山口はともかく、月島を『可愛い』って言い切った…
   まったく、『とんでもない奴』だよね。」

梟谷グループでは、あの木兎と黒尾に対して、
臆することなく突っ掛かる烏野の一年…
月島に一目置き始める空気が醸成されつつあった。

だが、月島をよく知る烏野の面々からすれば、
あの月島を指先で振り回す木兎・黒尾のW主将と、
それらの猛者達を、総て掌の上で転がす赤葦に対し、
尊敬というよりは『畏怖の念』を抱きつつあった。

「俺、同じセッターとしてだけじゃなくて、
   人間としても…彼がちょっと怖いかも。」
「あの木兎を操り、黒尾とツルみ、月島に癒される…
   もしかしてあいつ…『ドM』か?」

バレー以外では、絶対に敵にしたくない相手だった。


「ねぇ大地…あの人達に預けて、本当に大丈夫かな?」
「自分より『底知れない』奴らに揉まれることで、
   月島が人間的にちょっとは丸くなってくれれば…」

澤村は笑って言ったが、菅原は深刻な表情を崩さなかった。

「そっちじゃないよ。 俺が心配してんのは、
   あの中でもケロっとしてる…山口だよ。
   もし山口が『赤葦の弟子』なんかになっちゃったら…」

一瞬その姿を想像しかけて、澤村は身震いしてしまった。
ウチの一年3人を束ねるには、山口が鍵になることは間違いない。
だとしても…この止まらない肝の震えは何だ。

澤村は何とか笑顔を作り、上擦る声で言った。

「まぁ…山口が『ドM』になる程度なら、『良し』としよう。」

山口が『免許皆伝』の頃には、3年生はもう卒業してるはずだ。
俺達には、直接的影響は…たぶんない、はずだ。

烏野の未来のために、澤村と菅原は目を瞑ることにした。



今日も練習後、それぞれ黒尾と赤葦に捕獲された月島と山口。

特に抵抗もせず、付いて行った先は、
最寄駅の構内を抜けた反対側…『深夜の繁華街』だった。

駅の裏側に近づくにつれて、人通りの『カップル』率が上昇する。
周りの人間も皆が『同類』と思っているのか、
人目を憚ることなく、イチャイチャとじゃれあいながら、
付近にある『宿泊(またはご休憩)』施設の、『空室』を待っているようだった。

『目に毒』な『目抜き通り』を、目を逸らしながら抜け、
雑居ビル3階にある鍋料理店にたどり着いた。
通された個室は、三畳ほどの座敷の部屋だった。

障子の外…窓の下には、暗闇に蠢く数組のカップルが見える。
月島は忌々しげに、音を立てて障子を閉めた。


「公衆の面前でイチャつくとは…一体どういう神経してるんだろうね。」
「は、恥ずかしくないのかな…?東京って…ホントにスゴいトコ…だよね。」

月島と山口も、仙台の繁華街を歩くことはある。
堂々とイチャイチャするカップルも、もちろん存在する。

だが、東京ほどの数はいないし、
横を通る一般人が『見て見ぬふり』をするのではなく『普通にスルー』…
という風景も、なかなか衝撃的だった。

「あんなのいちいち気にしてちゃ、どこにも行けねぇぞ?」
「若干イライラしますが、あれも東京という街の…
   『景色』や『オブジェ』の一部ですから。」

黒尾達の言い分は最もだ。
だが、多少の文句を言いたくなるのも致し方ない。

「それじゃあ、鍋が煮える間に、東京の風景…
   『いちゃいちゃ』について考察してみるとするか。」

黒尾の提案に、皆はグラスをぶつけ合って賛成した。



「そもそも、『いちゃ』っていうのは、擬態語の一種だ。
   本来は音のしないもの…状態や感情なんかを、
   音みたいに表現する言葉、だな。」
「音や声を真似て表現するのが、擬音語ですね。
   この擬音語と擬態語を合わせて、擬声語…
   オノマトペ(onomatopee)といいます。」

猫のニャーニャー、梟のホーホー、烏のカーカー…これらが『擬音語』で、
そわそわ、じんじん、ドキドキ、ムラムラが、『擬態語』だ。

黒尾と赤葦の概説に、月島はふと思い当たった。
「そう言えば…『いちゃ』が付く言葉には、
   『いちゃつく』や『いちゃいちゃ』だけじゃなくて、
   『いちゃもん』っていうのもありますね。」
「『いちゃもん』は、言いがかりとか、文句っていう意味だよね。」

他人の『いちゃいちゃ』に対して言いたくなるのが、『いちゃもん』…
これはなかなか、面白いではないか。


「元々『いちゃ』は『ぐずぐず争う』って意味だったらしいぜ。
   『いちゃもん』は、この意味が残っている例だろうな。」
「その後、戯れている男女を揶揄する言葉として、
   『いちゃつく』が登場したようです。漢字で…『淫戯』です。」

時代を経るに従い、ぐずぐずした男女の色事から、
徐々に軽めの『お戯れ』にも使われるようになったそうだ。

「『いちゃいちゃ』もそうだけど、『ちゃ』が繰り返す言葉って、
   ちょっとしつこくて粘着質なイメージもあるよね。」
「『べちゃべちゃ』や『くちゃくちゃ』…纏わりついて、不快だ。」

語源や表現を見ていくと、他人の『いちゃいちゃ』に不快感を覚え、
それに対して文句の一つも言いたくなる理由が、よく解った。


だが、結局解らないのは、最初の疑問である。

「どうして公衆の面前でイチャイチャできるのか?
   僕からしてみれば、ただの公開処刑…市中引き回しです。」

いい具合に鍋が茹だってきた。
山口は蓋を開けると、張り切って灰汁を取り始めた。


「その疑問に答えるには、『後続』『都会』『慣れ』っていう、
   3つのキーワードが必要だと、俺は思うんだ。」

黒尾は、まず一つ目…と、人差し指を立てた。

「人間誰しも、『最初の一人』になるのは苦手だ。特に日本人はな。
   だが、既に誰かがやっていて、自分は『後続』である場合は…」
「自分も大丈夫だって安心して…随分やりやすいですね。」

言われてみると、『いちゃつき中のカップル×1組』というよりは、
『どいつもこいつも…』と、あちこちで数組見かけることが多い。

「特に『都会』の駅などでよく見かける理由は、
   既に先駆者がいる確率が高く、『後続』しやすいという点、
   それから、膨大な数の『赤の他人』の波…身元バレし難いこと、
   そして、駅の構造や喧騒も、イチャイチャを誘発します。」
「周りの音がうるさくて、お互いの声が聞こえにくいから…
   自然と耳を寄せて、近づいちゃうんだね。」
「太い柱、広い壁面…『もたれかかって親密な話』をするには、
   非常に適している構造とも言えますね。」

『赤の他人』という存在も、掲示物等の『駅の附属品』か、
もしくは『風景の一部』といった感覚になるのかもしれない。


「でもさ、『都会』では、『慣れ』たはずの『風景』なのに、
   何でこんなに『いちゃいちゃカップル』が…浮いて見えるんだろ?」

程よく煮えた具材を小皿に取り分けながら、山口は首を捻った。

「例えば、駅で美男美女が、熱い抱擁を交わしているとしよう。
   …お前はそれを見て、『イライラ』したり、不快に思うか?」
「それは…むしろ『絵になるなぁ~』って、見惚れるかも…です。」

まるで、映画のようなワンシーン…
銀杏臭漂う、駅前のイチョウ並木でさえ、
パリのマロニエ通りに見えてくるかもしれない。

「『絵にならない』即ち、『風景に溶け込まない』から違和感を感じ、
   その違和感故に不快感を覚える…というわけですね。」

「えーっと、ツッキーの言いたいことって、つまり…
   美男美女は何をやっても『様になる』けど…」
「見目麗しくない方々が公衆の面前で大胆な行為を行うと、
   風景から浮いてしまい、通行人の記憶に残りやすいんですね。」
絹豆腐のように『優しい口当たり』の表現を探していた山口だったが、
丁寧かつ容赦ない赤葦の言葉が、それを打ち砕いた。

「付き合い『慣れ』てる美男美女は、人前でいちゃつくのが
   マナー違反だと十分知っているし、見せびらかす必要もない。
   美しい人々は、『他人から自分がどう見えているか』も熟知…
   人前での『イチャイチャ』は美しくないと知ってるんだな。」
「逆に、注目されることに『慣れ』てない『普通の人々』は、
   周囲の視線に対しても鈍感ですし、自己を客観視することも不慣れ…
   『慣れ』ない恋愛に自己陶酔している、という面もあります。」

赤葦の説は、一理ある。概ね納得できる内容である。だが…

「僕が言うのも何ですけど…赤葦さん、なかなか辛辣ですね。」
「ツッキー『慣れ』してる俺が言うのも何ですけど、
   赤葦さんもかなり…『お口が達者』ですよね。
   やっぱり赤葦さんも、『いちゃいちゃ』は苦手なんですか?」


赤葦は器が真っ赤になるほど紅葉おろしを投入しながら、
笑顔で「とんでもない。」と返答した。

「苦手どころか、『いちゃいちゃ』自体は大好きですよ。
   ですが、どうせ他人様にお見せするのなら、
   もっと『素敵なプレイ』があるのになぁ…と思っています。」

例えば、そうですね…
きつく縛られた糸こんにゃくを引っ張りながら、
『素敵なプレイ』の例示をしようとする赤葦。
黒尾はその糸こんにゃくを取り上げることで、黙らせた。


「ま、そんなわけで、この話の結論はこうだ。
   …イチャイチャにいちゃもんつけるべからず。
   淫戯(いちゃ)を赤葦に語らせるべからず…だな。」




***************





鍋の火を弱めにし、ゆっくりと味わいながら食べる。

お酒を飲めない席で、のんびり『談議』をしたいならば、
ペース配分をスローに設定しやすい鍋料理は、うってつけだ。


ぎっしりと重なり合う具材から、苦手なものを除けながら、
黒尾は新たな話題の口火を切った。

「さっきの『いちゃいちゃ』は、擬音語であるとともに、
  単語を反復して作られた言葉だな。これを…」
ポンポンと、黒尾は座面の畳を軽く叩いた。

「…『畳語(じょうご)』と言う。
   この畳語を作ることは…『重畳(ちょうじょう)』だな。」

「『我々』は『熱々』の鍋を『食べ食べ』、
   『後々』のコトに興味『津々』…という感じですね。」
「その『わくわく』な話の『仔々細々』は、
   畳に重なって『イチャイチャ』…ですか?」
月島と山口はイキイキとした表情で、スラスラと畳語を使った文章を作成した。

「単語ではなく、同じ意味を重ねる表現を、二重表現…
   または『重言(じゅうげん)』と言います。
   一般的には好ましくないとされていますが、慣用表現もありますし、
   これを使った有名な『言葉遊び』もありますよね。」
「『古の昔 武士の侍が 山の中の山中で…』ですね。」
『言葉遊び』という言葉に、月島が早々と反応した。

「『鑓の権三重帷子(やりのごんざかさねかたびら)』っていう、
   近松門左衛門作の浄瑠璃に出てくる『馬から落ちて落馬』が、
   重言の例題として有名だな。」

鑓の権三とは、『伊達なイイ男』の代名詞である。
鑓は矛に似た、長い柄の先に刃物が付いた武器で、
重ね帷子は、脱ぎ散らかされ、折り重なった二枚の衣服…
何とも『畳の上のヤリ』を想像させる、ドキドキなタイトルである。

「そう言えば、将棋の香車を『鑓』っていうけど、
   それは鑓みたいに一直線に進むから…だよね?」
「日光・輪王寺の観音堂には、たくさんの香車が安置されています。
   ここは、『安産祈願』で有名なところなんですよ。」
「香車のごとく産道を一直線に出て…将来は『金』に成る、か。
   鑓…矛だって、要はアレの隠語だしな。」

長い柄の先についた矛…きりたんぽを頬張りながら、
黒尾は視線で『下』を見遣った。


「と、ところで、今日のお鍋…ホントに美味しいですね!
   赤葦さんが予約して下さってたんですか?」

下方向の話題を逸らすべく、山口は話題を変えようとした。
だが、赤葦は首を横に振り、「テーマに沿って言い直して。」と、
山口に発言の修正を求めた。

「えっと…じゃぁ…今夜の『晩餐のディナー』は、
   赤葦さんが『あらかじめ予約』をして下さったんですか?」

「何事にも、『事前準備』は『必ず必要』です。
   こうした手続は、黒尾さんから『全て一任』されていますから。
   『慎重に熟慮』を重ね、『一番ベスト』と思われる所を…
   『便利のいい』場所を選択したつもりですよ。」
赤葦はコクコクと頷くと、滔々と重言だらけの『返事を返し』た。

「いつも俺は、『期待して待つ』んだけど、時々『後で後悔』する…
   『思いがけないハプニング』が起こることがあるからな。
   お前らも、あんまりコイツを『過信しすぎる』なよ?」
「食べ過ぎて『余分な贅肉』がつくという『被害を被り』、
   『不快指数80%』…とかですか?」
「この問題は、『いま現在』も、『まだ未解決』…
   『古来より』『永久に不滅』なテーマですね。」

畳み掛けるかのように、ポンポンと『重言』を返す面々。
「皆さん、『非凡な"言葉遊びの才"に長けて』いますね。」と、
赤葦はニコニコと微笑んだ。


具材の少なくなってきた鍋。
月島は山口に、ご飯と卵を注文してほしいと頼んだ。

「同じ意味を重ねる言葉を、熟語にまで広げると、大変ですね。
   恋愛、自己、欲望、解放…」
「その後に連続するのは、歓喜、満足…睡眠だろうな。」
「これらの言語から解釈される、明白な想像は?
   山口君、これも『今日のテーマ』で記述して下さい。」
結び昆布をちらつかせながら、赤葦は再び山口に質問した。

「それは勿論…羞恥、緊縛、拘束、調教…ですよね!」

ご飯と具材を溶き卵で絡めた山口は、
まさに『ご満悦!』といった顔で、鍋に蓋をした。


「そもそも、緊縛術は、公開処刑に必要な捕縄術に端を発し…」

淡々と説明を始める山口に、黒尾は度肝を抜かれた。

「お、おい、ちょっと待て待て待て!
   なんでお前さんが、そんなことに詳しいんだ…?」
「何でって…必要に駆られて、かな?」

山口の答えに、月島が慌てて修正を入れた。

「先日、ある人から『課題図書』が5冊出されたんですが、
   それについて、僕と山口で分担して研究しているんです。
   それで、『縛りと締り~捕縄術入門』が、山口の担当に…」
「『ある人』とやら…とんでもねぇ奴だな。顔が見てみたいぜ。」

鍋の蓋を開けると、もうもうとした湯気が立ち上った。
その湯気のせいで、蓋を開けた月島の顔が隠れ、
眼鏡には白々としたモザイクがかかってしまった。


「皆さんは、『PDA』という言葉をご存知ですか?
   ある英語の頭文字を省略した言葉なんですが…」

赤葦の質問に、3人は虚空を見つめて考えた。
「一般的には、Personal Digital Assistant…携帯情報端末ですね。」
「Potato dextrose agar medium…ポテトデキストロース寒天培地。
   カビの培養に使われる培地、だった気がするな。」
「えっと、『今日のテーマ』的に勝手に作ってみるなら…
   Pair Double Avec…ペアでダブルでアベックな二人?」

三者三様の解答だったが、赤葦は「山口君が一番近いです」と言った。

「海外のゴシップ誌には頻出する言葉らしいのですが、
   Public Displays of Affection…人前でイチャつくこと、です。
   そして、そのPDAに対する『いちゃもん』が、『Get a room!』…」
「部屋取っとけよ!…余所でやってくれ、という意味ですね。」

別に日本人だけが『恥の文化』というわけではなく、
洋の東西を問わず、PDAに対する感情は同じようだった。

「先程、俺は『いちゃいちゃするのは大好き』と言いましたが、
   勿論それは、『非公開』の場所であることが大前提です。
   誰かに見られるおそれがない、ガッチリした『密室』のような場所あれば、
   ギッチリした『素敵なプレイ』も…やぶさかではありませんよ?」
「『密室』と『縄・紐』は、相性もいいですよね!」

それは、『家』という名の探偵の…まだら模様の『紐』のことか。
本格ミステリの密室談義であれば、大歓迎なのだが…
赤葦と山口は、『密室』よりも『縄』談義をしそうな勢いだった。


「それじゃあ、次のテーマはこれにしようぜ。
   人前以外…『半密室』でのイチャイチャだ。」

月島はホッとした表情、赤葦と山口はやや不満気に…黒尾の提案に首肯した。





***************





「さて、不運や年齢等の理由で『Get a room』できなかった場合…
   イチャイチャしたいカップルは、どこへ行くのか?」

「高校生でも入れそうな場所は…ネットカフェや漫画喫茶、
   あとは、カラオケボックスですね。」

ネットカフェや漫画喫茶には、カップルシートといった席があり、
2名以上で利用できるように、大きめのソファーが置いてあったり、
座面がフラットなマットレス仕様や、畳の部屋の場合もある。

公衆の面前では躊躇われる『ちょっとしたイチャイチャ』であれば、
十分に可能な場所とも言える。


「少し前のネットカフェであれば、『普通のプレイ』程度であれば…
   『声』や『音』さえ漏れなければ、他は『ダせそう』でしたね。」
「最近は扉も下半分がなかったり、小窓があったりして、
   とてもそこまでは…ちょっと無理そうですけどね。」

二人きりの空間ではあるが、中途半端な…『半密室』である。
以前のように、きっちりとした『個室感』のある部屋にしておけば、
若年層の利用も増え、もっと『いい商売』になりそうなものだが…

「ネットカフェや漫画喫茶の扉が『密室』になってない理由には、
   そこで『いかがわしいコト』をさせないっていうものあるんだが、
   それ以前の問題として…業界側が自主規制してるんだよ。」

黒尾は卵雑炊をサラサラかき込むと、自主規制の内容について説明を始めた。

「『喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、
   他から見通すことが困難であり、かつ、
   その広さが5㎡以下の客室を設けて営むもの』
   …ネットカフェや漫画喫茶って、この文言に当てはまると思わねぇ?」

「5㎡…だいたい、この部屋と同じ、三畳ぐらいですね。」
「字面だけを見ると、まさにネットカフェは該当しますね。」

カップルシートはせいぜい二畳程度…
共に高身長の月島と山口が利用した際も、窮屈な思いをした。


「これ、風営法の条文なんだ。『区画席飲食店』っていう形態で、
   もしこれに該当するとなると、風営法の許可が必要になる。」
「…許可取って、堂々と営業すればいいのでは?」
「風営法に該当すると、深夜0時以降の営業は不可だ。
   これじゃあ、全くネットカフェの意味がねぇだろ?」

終電を逃した人間にとって、漫画喫茶等は、なくてはならない存在である。
終電前に閉店してしまうなど…以ての外である。

「つまりは、その条文に当たらないように、中途半端な扉にして、
   『見通し可能』という逃げ道を作ったんですね。」
「あ…最近、『個室内でのご飲食はお控え下さい』って、
   飲食スペースが別に設けられている漫画喫茶があるのも、
   取締りの対象から外れるため…ってことだね。」

当然、個室での飲食で粗相をした場合の故障や汚れ、
匂いがそこら中に漂うことを防止する、という目的もあるだろう。
だがそれよりも、『風営法の許可不要』というメリットは、かなり大きい。

「ちなみに、貸してくれる毛布を『ブランケット』と言ったり、
   深夜から朝までのプランを『宿泊パック』じゃなくて、
   『ナイトタイム』と言い換えてるのも、似た理由…『オトナの事情』だ。」
「宿泊施設…『旅館業法』に抵触しないように、ですね。」

もし旅館業法に該当してしまうと、今度は消防法の厳しい基準や、
保健所の衛生チェックが入ってしまうのだ。
こちらも、店側にとってはかなりの『負担』となる規制である。


「一方のカラオケボックスだが、こちらはモロに風俗営業だ。
   だから、きっちりとした『個室』になっている。」
「密室度はネットカフェよりも高いですが、
   どの店舗も、個室の入口は大きなガラス貼ですよね。」

防音面を考えると、密室でなければならない。
入口がガラス貼なのは、やはり防犯上の理由からだろう。

「こっちは、青少年育成条例等で、設置基準が設けられてるんだ。
   『窓等の開口部の材質は透明なガラス等であること』
   『視認性を妨げるカーテン等』や『内側から施錠できる鍵』
   …本格的な『密室』を作る設備の設置は、禁止されている。」

視認性ゼロの『完璧な密室』を、お手軽なカラオケで作れるとすれば、
青少年にとっては、『店舗型性風俗特殊営業』の偽装店よりも、
はるかに危険な場所になりうる。

「ネットカフェよりは『声』や『音』もダしていいので、
   カラオケでは、より緊密な『イチャイチャ』が可能です。
   しかし…入口はスケスケ、大抵部屋には防犯カメラもありますよね。」

こちらも、そこまで大胆な行為は…難しいだろう。


「密室度が高まるとともに、カップルの緊密度も上がる。
   同時に、法的な緊縛度…締め付けも高まるんですね!」
「堂々と『イチャイチャ』してOKなとこだと、
   『カップル喫茶』っていう風俗産業があるけど…
   こちらは『密室』というよりは、『他人に見て欲しい』人々用だよ。」
「緊縛度MAXが可能な店舗は…『ハプニングバー』になりますね。
   こちらはカップルでなくとも入室可能…既に『趣味』の領域です。」

密室度と密着度、そして、法的締付度と性的緊縛度は…正比例だ。
閉まれば絞まる程、締められ縛られる。

「面白いのは、最上級の緊縛…ボンデージを行う際のルールです。
   安全性確保のため、『人の目の届く所』で行うことが、絶対に必要です。
   まさに逆転現象…イきすぎて逝ってしまわないように。」

縛った上で、密室に放置プレイ…これは、大変危険です。
安全あってこその楽しみ…嗜みです。よく覚えておくように。

赤葦の指導に、山口は真剣な表情で「勉強になります!」と答えた。


「おいツッキーよ。可愛い山口は…どこ行ったんだ?
   大事な『お姫様』として、ツッキーが囲ってたんじゃないのか?」
「僕だって、こんなのは『予期しない不測』の事態ですよ。
   大体、『そもそもの発端』は、黒尾さんがこんな会を主催するから…」

まさか、赤葦と山口がここまで意気投合してしまうとは。
『わきで傍観』していても、人畜無害そうな二人が緊縛談義など…
なかなか『壮観な眺め』である。

もし山口が、本当に『赤葦の弟子』に…ドSになってしまったら、
黒尾にどうケジメをつけて貰うべきだろうか。

月島が本気で考えていると、黒尾が引きつった声を出した。


「ツッキー…俺、とんでもないことに気付いちまったわ。
   『お姫様』は成長すると…『女王様』になる場合もあるんだよな。」
「だ…断固阻止、です!!」

黒尾と月島はガッチリと握手を交わすと、
赤葦と山口を引き離し、それぞれ別々のルートで猛然と帰路に付いた。





***************





まるで抱きかかえて運搬するかのように、
ツッキーは足早に宿屋街を抜け、人通りの全くない高架下…
コンクリートの柱と壁の隙間に、俺を押し付けた。

そして、『最後の切り札』とばかりに、
『後ろから羽交い絞め』にしてきた。

暗い高架下の隙間。
ツッキーは背中にピッタリと張り付き、全身で俺を磔にする。
絶対に逃さないと…指に指を、脚に脚を絡め、壁に縫い付ける。
囚われたのは俺の方なのに…
捕らえた方が、固縛されたかのように、動かない。


こうしてみると、『重言』は身の回りにたくさんある。
この格好だって、『後ろからバック』風に見える…かもしれない。

そう言えば、運搬するは『carry on』で、
今いるような場所は、『make out』に持ってこい…
両方とも、『イチャイチャする』という意味を持つ表現だ。

俺自分の冷静さと、余計なことだけは、
はっきりと記憶している脳に、静かに驚いていた。

「誰かが見たら、これ…ただの『イチャイチャ』だよ?」

人通りはなく、人目もない。
だが、紛れもなく、公開された場所だ。

たとえ二人きりの『密室』であったとしても、
ツッキーは甘い雰囲気…『イチャイチャ』を避けていた。
緊縛よりもずっとずっと恥ずかしい…『究極の羞恥プレイ』だと。

そのツッキーが…
『公衆の面前でのイチャイチャは公開処刑』と言っていた張本人が、
こんな『イチャイチャ』な格好とは…一体どういうコトなんだろう。


「僕は…自分の言葉に猛毒が含まれてる自覚もあるし、
   甘ったるい『真っ向コミュニケーション』は嫌だとか…
   散々、山口にはワガママを赦して貰ってる…と、思う。」

耳元と頸筋に、ツッキーの熱い息が掛かる。
ツッキー自身は、何やら葛藤して真剣そのもののようだが、
今度は俺の方が、その吐息にゾクゾクと…恥ずかしくなってきた。

「つ、ツッキーは、『イチャイチャ』は苦手なんじゃ…」
「苦手も苦手、大の苦手だよ。
   でも、それを封印しすぎたせいで、山口の思考までも抑圧…
   『 嗜好』まで縛られてしまったら、元も子もないよ。」

『イチャイチャ』をガマンさせすぎて…限界を突破。
その抑圧状態までも『快感』と感じる…という形で。

冗談半分で赤葦さんと話していただけだったのに、
ツッキーはそれに、妙な危機感を覚えてしまったらしい。


「あのさ、ツッキー…別に俺、
   そういう『お縛りプレイ』がしたいわけじゃないんだけど…」
「今は、でしょ?でも、もしかしたら、
   成長とともに…そう思っちゃうかもしれないし。
   だから僕は、精一杯山口を大切にして…
   ずっと『可愛いお姫様』でいてもらおうって、決めたんだ。」

実はこれ…物凄いことを言われているんじゃないか。
ツッキーが、俺を甘やかすと…宣言しているのだ。


俺を甘やかすツッキー…
その姿をほんのちょっとだけ想像して、顔から火を噴きそうになった。

「そ、そんな恥ずかしいこと…むむむむ無理無理無理!!
   『甘ったるいツッキー』なんて、存在自体が『猥褻物』だよ!
   むしろ俺の方が…耐えられそうにないよ…」

酷い物言いに、ツッキーはムっとしたらしい。
くるりと俺を反転させると、眉間に皺を寄せて睨んできた。

「…じゃあ僕は、どうすればいいのさ?」
どうすれば…山口は僕に満足してくれるの?

至近距離から瞳を覗き込まれ、付け足された…糖度の高いセリフ。
まだ『後ろから羽交い絞め』の方が、ずっとマシだった。
真正面からそんな言葉を言われるなんて…羞恥心の限界だ。


俺はツッキーの視線から逃げるように、
ツッキーの首に腕を回し、抱き着いた。

「ご、ごくごく稀にある、二人っきりの『密室』っていう機会の時…
   その時だけでいいからっ!そのぐらいが、丁度いい…かな。」

首に手を回す…『necking』も、『イチャイチャする』って意味だったっけ。
こんな状況でも、どうでもいい雑学だけは思い出す…
そんな冷静な脳とは裏腹に、俺の頬は羞恥で発火寸前だった。


俺とツッキーの、初めての『公開の場でのイチャイチャ』は、
緊張と焦燥に満ち溢れた…『がんじがらめ』なものになった。



- 完 -



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※三畳趣味→造語。三畳間で語り合う趣味の話。元は四畳半趣味という言葉です。
 (待合等の粋な小部屋で、芸者等を相手にお酒を嗜む趣味)

※ある人から出された『課題図書』について →『縄目之恥
※『店舗型性風俗特殊営業』の偽装店 →『苦楽落落
   (『ご宿泊』及び『ご休憩』ができる施設です)

※この直後のクロ赤 →『事後同伴
  
※ラブコメ20題『12.人前でイチャつく趣味はありません』

2016/04/01(P)  :  2016/09/11 加筆修正

 

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