永田町の国会図書館から南下すると、左手に国会議事堂。
衆議院会館前の信号を右に曲がると、緑に囲まれた小高い場所が見えてくる。
その坂を上るとすぐに、上部に三角形の破風(屋根)が付いた、
白く大きな山王鳥居が現れる。
「ここは、江戸城の鎮守…山王日枝神社だよ。」
「江戸三大祭・山王祭が行われるとこだよね。」
今日の黒尾法務事務所は、二班に分かれての外回りだった。
場所は、永田町から霞ヶ関にかけて…国会と官庁街だ。
黒尾・赤葦班は、霞ヶ関の法務省から、財務省内の国税庁へ、
月島・山口班は、国会議事堂から特許庁へ向かい、
双方がそれぞれの仕事を終えたら、虎ノ門駅前で待ち合わせだった。
月島と山口は休憩がてら、特許庁へ向かう途中にある、
赤坂の山王日枝神社へ足を運んだ。
「ここは、太田道灌が江戸城築城の際に、
川越日枝神社を勧請したのが始まりなんだって。」
「山王さん…比叡山の日吉大社が総本山だったよね。」
山王信仰は、大山咋神(おおやまくいのかみ)と、大物主の二神を祀る、
日本を代表する神道のひとつである。
『山王』『日枝』『日吉』といった名の付く神社を始めとして、
全国各地に約3800社もあるそうだ。
大山咋神は、素戔嗚尊の孫…お正月に各家庭にやって来る、大歳神の子だ。
『くい』は『杭』、大きな山に杭を打つ神…『山の所有者(地主神)』である。
大物主は、三輪山の大蛇…『運命の赤い糸』の神だったから、
山王さんは文字通り、山を治める神様ということになる。
国の中心・永田町や霞ヶ関に隣接する場所ではあるが、
さすがに皇城の鎮というだけあって、神社の空は高く開け、広々としている。
日陰のベンチに腰掛けていると、赤い矢を持った女性をちらほら見かけた。
「確かここ、都内有数の『縁結び神社』だって…赤葦さんが言ってたよ。」
黒尾と赤葦は、やたらと『縁結び』に御利益がある社寺仏閣に詳しい。
どんな理由で詳しくなったのかは、あえて聞かないが…実にほほえましい。
「山王さんの使いは猿…『えん』だからね。」
それに、猿は多産でお産も軽く、子どもを大事にするため、
良縁だけでなく、夫婦円満や子育てにも御利益があると言われている。
いや、それ以上に重要なのは…『赤い矢』の方だろう。
あれこそが、縁結びと子宝の象徴である。
「赤い矢…『丹塗り矢』と、玉依姫の話だよね。」
山口の確認に、月島はコクリと頷いた。
「玉依姫は、神と結ばれて子を成す巫女…」
三輪山の大物主と結ばれた『運命の赤い糸』とは別の、玉依姫と神の話…
それが、『丹塗り矢』の伝説である。
玉依姫が鴨川で遊んでいると、川上から丹塗りの矢が流れてきた。
それを持ち帰って寝床に置いていたところ、姫は懐妊…
賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)が生まれた。
この丹塗り矢の正体こそ、大山咋神だと言われているのだ。
賀茂別雷命は、葵祭で有名な、京都・上賀茂神社の祭神であり、
この山王日枝神社にも祀られている。
そして、江戸三大祭でもあり、日本三大祭でもある『山王祭』は、
大山咋神と玉依姫の婚姻を模しているそうだ。
「ちなみに、賀茂別雷命は、『記紀に登場しない』神なんだよ。」
「山の神の子で、雷を別ける程の力を持つ…紛れもなく『蛇』だね。」
そもそも、『丹塗り』という時点で、鉱山を支配する神である。
丹とは朱砂…貴重な硫化水銀だ。
鉱山を治めていた蛇…『元々いた神』の運命については、
これまで何度も、『酒屋談義』で語り合ってきたのだが、
『記紀に登場しない』という事実が、賀茂別雷命の出自を暗喩している。
悲しみを振り払うように二人は立ち上がると、社務所へ向かった。
月島が御朱印を頂いている間に、山口はお守りコーナーへ…
玉依姫の『丹塗り矢』を二本、握り締めていた。
「せっかくだから、ウチと…赤葦さん達にもお土産。」
これが一番…俺達の『酒屋談義』に相応しいお土産かなって。
穏やかに微笑む山口に、月島も「その通りだね。」と微笑み返した。
だが、『丹塗り矢』が入った箱を見て、その笑顔にパっと朱が差した。
「渡す時には、この『のし』は…外しとこうか。」
当然と言えば当然なのだが、のしには…『子授矢』の文字。
それに気付いた山口も、頬を朱に染め、掌でその文字を隠した。
**********
霞ヶ関の官庁街を抜け、虎ノ門へ。
高層ビルに囲まれたオフィス街の一角…いや、高層ビルの一部として、
鉄筋コンクリート造・銅板葺の社殿を持つ神社が鎮座していた。
ここは、『虎ノ門のこんぴらさま』として親しまれている、金刀比羅宮だ。
少し早く仕事が終わった黒尾と赤葦は、待ち合わせまでの時間を利用し、
虎ノ門駅からほど近い、金刀比羅宮へとやって来た。
「高層ビルと一体化した社務所…都心ならではの、壮観さだよな。」
「ここまでしても、残したかった…信仰の篤さがうかがえますね。」
金刀比羅宮はその名の通り、香川県の金刀比羅宮を総本山とする神社である。
海上交通の守り神として、古くから船乗り達の崇敬を集めている。
元は讃岐丸亀藩の江戸藩邸の邸内社だったのだが、
江戸で金毘羅信仰が流行すると、熱烈な要望に応え、町民に一般開放された。
この粋な計らいに、江戸町民たちは大感激…大変な人気を誇ったそうだ。
歌川広重の浮世絵にも、門付近が大行列になっている様子が描かれている。
「それにしても、この鳥居…珍しいな。」
「こんな鳥居、俺も…初めて見ました。」
鳥居の右の柱には、朱雀と白虎。左には青龍と玄武。
四方を守護する神獣が、鳥居と神社を守っているのだ。
広重の浮世絵を見ると、江戸時代には金色に彩色されていたようだ。
四獣に頭を下げ、本殿へ向かう。
祭神は、三輪山の大蛇・大物主と、崇徳天皇。
大物主は仏教のクンビーラ(宮比羅)と習合され、金比羅大権現となったが、
この神はガンジス川に棲む鰐…日本では『蛇身』をしている、水の守り神だ。
「金刀比羅大権現は、蛇神クンビーラ…神無月の『お留守番』組でしたね。」
「それに、合祀されてる崇徳天皇と言えば…日本代表の『大怨霊』だよな。」
崇徳天皇は、平安末期の『保元の乱』で都を追われ、讃岐に配流された。
爪や髪を伸ばし続け、夜叉のような姿に…生きながら天狗になったそうだ。
雨月物語の『白峯』や、落語の『崇徳院』、馬琴&北斎の『椿説弓張月』等、
様々な文学作品を通し、大怨霊として恐れられてきた。
後世、鎮魂のために天皇の御霊を京都へ帰還させ、白峯神宮を創建したのだが、
この白峯神宮創建は、1868年…明治天皇が自身の即位に合わせて行ったものだ。
保元の乱は1156年、崇徳天皇崩御は1164年なので、
崇徳天皇は京への帰還に、700年以上もかかったことになる。
「白峯神宮の社地は、蹴鞠の宗家・飛鳥井家の屋敷跡地なんだそうです。」
「あっ!それってサッカーを始めとする、球技全般の守護神じゃねぇか!」
聞いたことがある名前だと思ったら…スポーツ関係で超有名な神社だった。
実際には、境内社の地主社・精大明神が、蹴鞠の神様なのだが、
白峯神宮自体が、『スポーツの守護神』を前面に掲げている。
それで本当にいいのだろうか…と、黒尾は少し複雑な気持ちになった。
本殿よりも、摂社や境内社の方が有名…実はここも、当てはまるかもしれない。
「金刀比羅宮が江戸町民に大人気だった理由…あちらにもあります。」
参拝を終えると、赤葦は本殿右奥に黒尾をいざなった。
そこには、小さなお社が二つ…右側が喜代住稲荷神社で、
左側は結神社(むすびじんじゃ)だった。
「結神社…古くから縁結びで超有名な神社だよな。ここだったのか。」
かつて縁結び神社について調べまくった際、よく見かけた名前だった。
縁起は定かではないらしいが、『良縁祈願!』にピッタリな名前ではある。
女性達は、この結神社の前で自らの黒髪を切り、
社殿の格子や周りの樹々にそれを結わい付け、良縁を願ったそうだ。
現在は、社務所で『良縁祈願セット』を授かり、その中に入っている、
『赤い糸』を結び付けて祈願するそうなのだが…
『瀬を早み岩にせかるる滝川の われても末にあはむとぞ思ふ』
現世では障害があって叶わなかったが、来世で結ばれましょう…と歌い、
黒髪を伸ばして振り乱して舌を噛み切り、大怨霊となった崇徳天皇の姿が、
どうしても脳内イメージとして…結びついてしまう。
「神社縁起は『定かではない』…か。」
「正直、良かったな…と思いますよ。」
由緒や縁起が『定かではない』のは何故なのか?
非常に気にはなるが、熱心に祈りを捧げる女性達の想いも大切だと思う。
あえて『定か』にしないのも、あり…なのかもしれない。
赤葦は社務所で『良縁セット』を2つ頂くと、鞄の奥にしまった。
「1つはあちらの家庭に、お土産です。」
「あいつらには、『お馴染み』だしな。」
ここの祭神は、大物主…そしてこれは、まさに『運命の赤い糸』である。
用途は違うが、良縁に心から感謝したくなる『お土産』だ。
良縁…大切にしますね。
誰にというわけではないが、赤葦は小さく呟いた。
傍で聞いていた黒尾は、同じセリフを大きな声で宣誓した。
***************
黒尾達が虎ノ門駅に到着すると、向かい側の文部科学省から、
月島と山口が手を振っているのが見えた。
駅で合流してからは、そこから東へ…新橋駅に向けて歩を進めた。
この辺りは飲み屋街…予約しておいた、個室付の焼鳥屋へ4人で入った。
久々に外出先での『酒屋談義』…乾杯の音が鳴りやまないうちに、
月島が我先にと話題を振ってきた。
「どうしてここは…『虎ノ門』という地名なんでしょう?」
本日最初のテーマは、実に単純明快なものになった。
「新橋のオヤジ共が、『虎になるまで飲むもん♪』…じゃねぇよな。」
「虎になる…泥酔して大騒ぎするには、まだ全然足りませんよね~♪」
いくら飲んでも虎にはならない、我らが大蛇様・山口は、もう2杯目が空…
どんなに望んでも猫にしかなれない赤葦が、呆れながら追加を注文した。
「さっき文科省の脇に、門跡の一部と碑がありました。」
四神思想の下、江戸城の『虎の方向』を守護する門だったのでは…?と、
その碑には書いてあったのだが、月島はそこで困惑してしまった。
「虎の方向を守るから、虎ノ門。何か問題でもあるか?」
枝豆を口に放りつつ黒尾が首を傾げると、月島は疑問を端的に答えた。
「虎ノ門って、地図上も路線図でも、『南』にありますけど?」
「さっきの碑にも、『江戸城の南端を守る門』って書いてあったよね。」
東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武を配する四神思想。
これによると、『虎』は西側に置かれるはずである。
東京の地理に明るくない月島達は、今日も地図を片手に『南下』しながら、
この『単純な』不一致が、不思議でたまらなかったのだ。
この『単純な』疑問に、黒尾と赤葦は目と口を真ん丸に開けた。
東京生まれ・東京育ちの二人にとって、
虎ノ門は路線図でも皇居の『真下の方』…ごく単純な事実だ。
そして、虎の方向は西…これも実に常識的で当たり前のことなのに。
「言われるまで…気にも止めていませんでした!」
「マジかよ…ツッキー、その地図貸してくれっ!」
慌てて地図を広げ、間違いなく虎ノ門が皇居…江戸城の南だと確認。
他にも『門』と付く地名を探しているうちに、あっ!と黒尾が声を上げた。
「東京駅前…ここが『大手門』じゃねぇか!」
「大手門は、その城の…『正門』ですよね?」
大手門の位置は、現在の東京駅・大手町駅近く…江戸城の『東』だ。
つまり、江戸城は『東を正面』にして建てられている、ということになる。
「『虎の方向』とは、『正面を向いたときの右手側』のことだ。」
「東を向いた時の、右手側は…『南』ですね!」
だから、江戸城南端を守る門が、『虎ノ門』になったのだ。
「『天子南面す』…正面は『南』で、地図は『北上』だと思い込んでたな。」
「東に正門を置く…仏教寺院には結構ありますよね?」
太陽が昇る東から、西方浄土へ…寺院の多い京都の古地図等は、
東を上にして書かれたものも、多く残っているのだが…
「江戸城は、仏教の考えを元に、築城された…?」
家康の側近・南光坊天海は、天台宗の僧…その影響も少なからずあるだろう。
「いや、むしろ…もっと『差し迫った問題』じゃないかな。」
月島は広域地図を開き、東京から更に東へ、指を滑らせた。
江戸城は、山王日枝神社を勧請した、扇谷上杉氏の家臣・太田道灌が、
麹町台地の『東端』に築城…房総の千葉氏を牽制するために建てた平山城だ。
家康が入城し、自らの居城としたのは、それよりも後の話だ。
「房総の千葉氏…だから、『東』を向いてないきゃいけなかったんだ!」
「江戸城は、徳川幕府が築城したんじゃなくて、元々あった城…」
俺達、本当に…何も考えずに生きてんだな。
どうしてこんなに単純なことに気付かないままだったのか。
いや、当たり前の『地元』だからこそ、見えなかったのか。
黒尾と赤葦は天を仰ぎ、『今更ながらの大発見』に歎息した。
ガックリとショックを受ける黒尾達。
その雰囲気を変えようと、山口は「次の単純な質問です!」と明るい声を上げた。
「何でここら辺には…やたらと『焼鳥屋』が多いんでしょう?」
今日予約した店に辿り着くまで、実は結構迷ったのだ。
虎ノ門~新橋間には、あっちもこっちも焼鳥屋だらけ。
新橋のオヤジ共は、こんなにも焼鳥を愛しているのか!?と、笑ってしまう程だ。
山口の質問に、黒尾と赤葦はホっとした顔を見せた。
この疑問には、ちゃんと答えてやれそうだ…と、再び近郊図を広げた。
「新橋駅の西にある出口…ここは、『烏森口』って言うんだ。」
「出口から西へ少し歩いた所…『烏森神社』があるんですよ。」
古くは江戸三森の一つとして、烏森稲荷社は篤く信仰されていたが、
現在は小さな社殿と、新橋駅の出口にその名前を残すのみである。
「烏森神社…確か、カラフルな御朱印を下さる所ですよね?」
「烏なのに?見てみたいね~」
御朱印集めが趣味で、しかも烏…月島達も興味津々だ。
黒尾はモモ串を手に取り、「烏だけど…烏じゃねぇんだよな。」と笑った。
「同じ具材がズラ~っと並んだ串焼を、『雀焼』って言うんだが…」
まるで雀が電線に並んでいるみたいだから、こう呼ばれるそうだが、
実は正真正銘の『雀焼』…雀の焼鳥が存在していた。
「この付近は、烏森神社の参道…『雀焼』が名物だったそうです。」
江戸時代、焼鳥と言えば雀焼。祭の名物として、神社の参道に軒を連ね…
その名残が、新橋周辺の『あっちもこっちも焼鳥屋』なのだ。
焼鳥屋の多さから、江戸の歴史が見えてくるなんて。
ちょっとした疑問が解決し、嬉しくなった山口は、
ハツの串に食い付きながら、茶目っ気たっぷりに笑った。
「もしかして、『雀』って漢字は…『食べるところが少ない鳥』って意味?」
「まさか。『少ない』じゃなくて、『小さい鳥』でしょ。」
月島が呆れながらも、笑って答える。
それを見ていた赤葦も、柔らかく微笑みながら、黒尾に日本酒の杯を渡した。
「この雀…『虎』にも繋がるんですよ。」
***************
「雀と虎…?どうやってこの二つが繋がるんだ?」
「答えはこれ…黒尾さんが握っているモノです。」
『雀』という漢字は、『爵』同じく、『雀の形をした杯』を表す。
爵は古代中国の温酒器…『三本足』に支えられた祭祀用の青銅器のことで、
『酒を飲む容器』の総称でもある。
なお、皇帝が臣下に対し、位と共に爵を下賜していたことから、
『爵位』が地位や身分を表す言葉にもなったそうだ。
「そして、雀の古語は『笹』…笹とは『竹葉』です。」
「『竹葉』って、お酒のことですよね?だから、酒器が雀ですか!」
「女房言葉でも、『ささ』は『酒』を重ねた言葉です。」
雀と笹(竹)は、『酒』の上で綺麗に繋がった。
このセットは吉祥紋として、様々な美術作品にも用いられている。
そして、同じく『竹』とセットで描かれるのが…虎である。
「雀と虎が、竹と酒で繋がりましたね!」
「凄く『酒屋談義』っぽいネタで、素晴らしいですね。」
…と、月島と山口は上機嫌で乾杯し、それに黒尾と赤葦が『待った』を掛けた。
「『雀と竹』って…お前らにとっちゃ『お馴染み』じゃねぇのか?」
「仙台藩主・伊達家の家紋が…確か『雀と竹』ではありませんか?」
当たり前の『地元』のことは、見えていない…
今度は月島達が、ポカンと口を開けて固まった。
「この伊達家にとって、仇敵の鳥に…先日、俺達は会いましたよね。」
赤葦は山口から貰った『丹塗り矢』を手に取り、上から下へと素早く動かした。
「矢のように降下し、獲物を捕らえる…東尋坊で会った『鳶』だな。」
烏から雀へ、そして鳶へ。
虎ノ門から仙台、そして福井へと…話が繋がったようだ。
「記紀神話に登場する鳶…『金鵄(きんし)』を知ってるか?」
金鵄は、神武東征を導いたと言われる、金色の鳶である。
日本書紀では、日本建国を導いた霊鳥として、
後世からは無血勝利のシンボルとして、崇められてきた。
天皇の『即位の礼』で使用される、二本の大錦旛(だいきんばん)の一つが、
この金鵄をあしらった霊鵄形大錦旛だ。
「金鵄に導かれて、神武天皇が討ったのが、長髄彦(ながすねひこ)です。」
そして、この長髄彦こそ、伊達家の祖先だと言われているのだ。
雀にとって、鳶は天敵であり…仇敵でもあった。
驚く月島達に、黒尾は更に言葉を続けた。
「長髄彦の妹・鳥見屋媛は、饒速日尊(にぎはやひ)の妻となった人だよ。」
「饒速日尊っ!?あの、七夕の…瀬織津姫の旦那様っ!?」
瀬織津姫は、『運命の赤い糸』や『丹塗り矢』の…玉依姫でもある。
そして、饒速日尊・瀬織津姫と言えば、日本に『元々いた神』の代表だ。
「元々いた長髄彦や鳥見屋媛達を、金鵄に導かれた神武が、征服する…」
「全く同じじゃないですか!熊野の…八咫烏と!」
八咫烏は、神武東征の際に道案内をしたと言われており、
金鵄と八咫烏は、対もしくは同一視される存在である。
大錦旛のもう一本こそ、頭八咫烏形大錦旛(やたがらすだいきんばん)である。
「長髄彦の『なが』も、鳥見屋媛の『とび』も…蛇の古語ですよ。」
「間違いなく、元々いた蛇の神…!」
「鳶も、蛇の使いってことか。」
そして、鳥見屋媛は別名、櫛玉姫命とも言う。
『櫛』の神と言えば…熊野大社の主祭神『櫛御気野命(くしみけぬの)』で、
これは素戔嗚尊の別名だったはずだ。
長髄彦達はどう見ても、『まつろわぬ者』を示す名前である。
そして日本書紀に登場する大物・長髄彦も、瀬織津姫と同じく、
彼を主祭神とする神社は、表向きには存在していない。
「そう言えば、伊達正宗は『天照大神』の名が入った牛王符の受領を拒んだ…」
「熊野牛王符…同じ『まつろわぬ者』だった長髄彦の子孫なら、当然だよね…」
今まで語り合ってきたこと…鳶と烏が繋がった。
そして山口は、ある点に気付き、息を飲んだ。
震える手で杯を握り締め、雀のような小さい声で呟いた。
「ねぇ、八咫烏って…『熊野の神の使い』だったよね?」
それに、金鵄に導かれた神武天皇によって、長髄彦は無血敗戦を強いられた。
この金鵄…鳶も長髄彦の使いだった。
これは実におかしな話ではないのか?
「どうして『熊野の使い』だった八咫烏が、熊野の征服者を導いてるの…?」
***************
山口の問いには、誰も答えなかった。
全員がその答えに…もう気付いてしまったからだ。
直接答える代わりに、月島は『烏』という文字を書いた。
「『烏』は、『鳥』という字から、真ん中の点が抜けた漢字だ。
この部分は、象形文字『鳥』の…『目』に当たる所なんだよ。」
目を抜かれる存在…つまり、反逆という罪を犯した奴隷達のことだ。
目を失った烏は、もはや鳥でもない…だから『烏』という漢字は、
『鳥』ではなく『烈火』の部…『火』はタタラの象徴だ。
「おそらく『鳥』自体が、元々蛇に連なる存在なんだろうな。」
「鳥は酉、そして酒。酒は蛇のために捧げられるものでした。」
笹と酒の繋がりからも、笹や竹も、元々いた神…
鉱山やタタラに関わるものと思われる。
製鉄時に、火の温度を炎の色から判断するために、竹筒で炉内を覗いていた。
その仕事をしていた『火男』は、強い光と熱で、やがて片目を失ってしまう…
「火男…『ひょっとこ』の片目が小さいのは、それが理由!」
「お正月の門松が、素戔嗚尊にソックリな姿…『簀巻き』だったのも…?」
「門松の竹が、素戔嗚尊…『朱砂の王』だからでしょうね。」
烏と鳶。
元々は蛇の使いが、神武天皇を導いた。
そして蛇達は、国を譲り…国を失った。
「烏と鳶は、蛇を…裏切った。」
裏切者の末路も、歴史が証明している。
神武天皇についた八咫烏は、その後…処刑されたのではなかったか?
月島と山口…烏達は、悲痛な面持ちで杯をあおった。
「まさか、今日の『酒屋談義』が、こんな結末になるなんて…」
山王日枝神社の『丹塗り矢』と、金刀比羅宮の『赤い糸』…玉依姫を介して、
その父・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)…八咫烏に繋がった。
崇徳天皇を祀った白峯神宮も、サッカーを通じて、八咫烏とリンクした。
また、虎と雀は笹と酒で結ばれ、酒と蛇から鳶と烏に着地した。
稀に見る、美しい考察…だったはずなのに。
「烏って、不吉なイメージは多少あったけど、熊野の神の鳥だし…」
「牛王符にもなってる凄い鳥…あっ、そうか!」
熊野の烏に誓う…牛王符を誓約書に使うの本当の理由は、
誓約違反は『八咫烏のような末路を辿るぞ』…という警告かもしれない。
信を裏切り、約束を違えた時…熊野の烏が、三羽死ぬのだから。
「僕達烏や鳶に比べると、赤葦さん…『梟』が羨ましいですよ。」
「木の頂上に止まる、勇猛な姿…漢字もカッコ良いですよね…」
それに、『不苦労』で…凄いおめでたいですし。
力を失った烏達が、鳥の王・猛禽類に羨望の眼差しを向けると、
梟はぐっと険しい顔をし、「梟こそ、最も蛇に近い鳥です。」と、声を絞った。
『梟』は、確かに『木の上の鳥』ですが、その姿は『勇猛』とは無縁…
「木の上に晒された梟の死骸…これが、この漢字の由来です。」
鳥の王たる梟を、高い木の上に晒しておけば、
他の小さな鳥達が恐れて、寄って来なくなる…
稲作の大敵である、雀や烏、鳶等を追い払うために、死骸を晒されたんです。
「あ…!晒し首のことを『梟首』って言うのは、ここからか!」
愕然とする黒尾達に、赤葦は言葉を畳み掛けた。
「『梟雄』とは、荒々しく強く、残忍な者のことです。」
そして、記紀神話には、八十梟師(やそたける)という人物が登場します。
熊野や長髄彦と同じく、神武東征を阻み、神武に撃ち斬られた梟雄で、
たくさんの梟達を統べる者…荒々しく残忍な、天皇に反逆した者達の王です。
「梟こそ、『まつろわぬ者』の代表…蛇そのものです。」
『おめでたい』『縁起物』というのは、後世からのイメージで、
元々中国や仏教では、親殺し…下剋上をする『不幸鳥』とされています。
唐の則天武后は、政敵の遺族の姓を『蟒(うわばみ)』と『梟』に変えさせた…
梟は大蛇と同じ、為政者にとっては忌むべき反逆者なんです。
鳥達の王…梟首を晒しておけば、小さな鳥も恐れ、刃向かわなくなる…
これが、『梟』という漢字の本当の意味ではないでしょうか。
烏だけでなく、梟も…蛇だった。
思いもよらない話の流れに、鳥達は声を失い、沈黙の重さに飛べなくなった。
森閑とする中、悠然と現れたのは、鳥ではなく…黒猫だった。
「烏も梟も…お前らは3人共、蛇なんだな。」
『猫』は『苗を守る獣』だが、俺自身は間違いなく…蛇だ。
静かにそう語り始めた黒尾を、3人は黙って見つめた。
「金烏玉兎…太陽と月を表す言葉だ。」
月には兎が、太陽には金烏という『三本足の鳥』が住んでいる…
この金烏こそが八咫烏、もしくは『三本足の金鵄と八咫烏』だという伝説だ。
「そして、太陽は『天照大神』…」
元々は天照(あまてる)…すなわち、饒速日尊のことだ。
この太陽・饒速日尊の使いが、金鵄と八咫烏…金烏は蛇の使いだ。
神武東征で、侵略者達を導いたのが、烏や鳶だったのも、
それらが太陽の使いだったからだ。
彼らに導かれた(認められた)ことで、自分達の『正当性』を権威付ける…
『天照大神』を乗っ取ったのと、全く同じ手法である。
「次に、何故『三本足』か?の答えは、太陽が『sun』だから…じゃない。」
中国の陰陽五行説で、3は陽の聖数だからだそうだ。
鳥…酉…酒器『爵』が三本足なのも、ここからかきている。
「実は、太陽に住む金烏は、『太陽黒点』のことなんだ。」
肉眼でも確認できる太陽黒点は、観測する度に移動している。
そのため、太陽には鳥が住んでいるという伝説が、世界各地に残っている。
ギリシャ神話の太陽神アポロンが使役した烏に至っては、
それを象る星座の烏座が、『三本足』で描かれている。
「『黒』点が…太陽の使いっ!?」
「鳥と黒が、太陽で繋がった…」
「また『黒』は、モロに『鉄』を表す…タタラを表す色だ。」
『丹』が朱砂ならば、『黒』は砂鉄…『黒尾鉄朗』は、二重に『蛇』だ。
そして、砂鉄は砂々…『笹』と呼ばれ、『酒』に繋がる。
今日は『鳥』にまつわる話で、黒尾だけは関係ないと思っていた。
だが実際は、誰よりも蛇…まさかの帰結だった。
「俺だけ『仲間外れ』じゃなくて、ホッとしたぜ。」
そういやあ、キメラの『尾』は蛇だな。
名前も腹も『黒』けりゃあ、前にも後ろにも超御立派な『蛇』が付いてて、
しかも朗々と輝く『鉄』…むしろ俺こそが、4人の中じゃ『蛇の王』だ。
そう言うと、黒尾はニヤリと笑って踏ん反り返り…粛々と宣った。
「蛇の王は…配下の烏と梟に命じる。」
今日は久々の外回りで、『二本の足』が疲れちまった。
歩いた距離は大したことないが、都心のド真ん中・たった1km四方の中で、
あっちこっち飛び回りながら、まさに雀焼的な考察の連続だったから、
羽も脳もはち切れそう…もう飛ぶのは無理だよな?
それに、『蛇』にまつわる考察の後は、何だかその…誰かに絡みたくなる。
切ない気分を埋めるために、『三本目の足』を使いたくなる…そうだろ?
さらにここは、烏森…元々は『枯州(空州)の森』と呼ばれていた場所だ。
「以上により、今日は『空の巣』…俺らの巣には戻らないことにする。」
王は広い懐から、財布を取り出した。
月島にはクレジットカード…ここのお会計を命じ、
山口と赤葦には、別のカードを2枚ずつ…
新橋駅前・『太陽』という名を持つ、ホテルのカードキーを下賜した。
「『酒』屋談義の王を、3人で支えて行くように。」
太陽のように朗々とした、我らが王の声と笑顔に、
配下達も同じぐらい輝く声と笑顔で忠誠を誓い…
三方向から支えるように腕を絡め、王と共に森へと飛び立った。
- 完 -
**************************************************
※大歳神について →『愛理我答(年始編)』
※運命の赤い糸・賀茂建角身命 →『運命赤糸』
※丹塗り矢はイザナミの子・火雷神という説もありますが、
どちらにしても竜神…蛇に連なる神になります。
※神無月のお留守番組
→『全員留守』
※櫛の神 →『忘年呆然』
※熊野牛王符と伊達正宗 →『団形之空』
2017/04/19