全員留守







10月、実りの秋。
爽やかな涼風の元、黒尾・赤葦・月島・山口の4人は、
文字通り『実りの秋』を体感すべく…土まみれになっていた。

「あだだだだだ…腰、痛ぇっ!!!」
「これは、かなりの…重労働です。」
「何で僕が、芋掘りなんか…」
「ツッキー見て見て!すごいでっかいの、とれたよ!」


先日、事務所に襲来した台風…もとい、研磨と木兎。
梟谷の皆様から開業祝にと贈呈された梟時計…の目録は、
研磨を真似て、駅にあった旅行業者の広告の裏側に、
木兎がその場で殴り書きしたものだった。

台風達が去った後、再度その目録を見ていると、表側…
『家族で芋掘りツアー』に、『黒尾様(他3名)』で予約されていた。
慌てて研磨に確認を取ると、「たまには家から出れば?」の一言。
木兎に至っては、自分の言いたいことだけ言いまくり、
シメには「メアリー、可愛がってくれよ!」…話にならなかった。

メアリーとは、『障子にメアリー』…例の梟時計の名前だそうだ。
「木兎に見張られてるみたいで嫌だ。」という黒尾の主張により、
「ほぅほぅ…」と、やけに『したり顔』風に鳴く時報機能は、
飾られた初日すぐに、容赦なく停止されたのだが。

突然押し付けられた芋掘りツアーだったが、キャンセルも面倒だし、
夏からバタバタと多忙を極め、全然遊んでいなかったこともあり、
4人は木兎達の好意?を、ありがたく受けることにした。


「腰は痛ぇが…アウトドアも、たまには悪くねぇな。」
「俺達は体育会系ですけど…超インドアですからね。」
「収穫したものは持ち帰りOK…食費節約になるね。」
「ツッキー!!今度は『子だくさん』がとれたよ~!!」

つまるところ、4人共…『秋の行楽』を満喫していた。


『収穫』があったのは、サツマイモだけではなかった。

平日日中のツアー参加者の半数は、4人の4分の1ぐらい若い方々。
意外と子煩悩なのか、月島と山口はおチビさん達に大人気…
臨時『保育士さん』として活躍し、先生方から大いに感謝された。
特に月島は、おませなレディ達から『けいおにいちゃん』と呼ばれ、
「この僕が『お兄ちゃん』…」と、感激した様子まで見せていた。

もう半数は、4人の4倍ぐらい人生経験豊富な方々…
明らかに『浮きまくり』な黒尾達は、格好の『ネタ』であり、
黒尾と赤葦は、臨時『介護士さん』かのように、お相手を務めた。

「俺は芋掘りに来たんであって、ヘルパーになった覚えは…」
黒尾はそう歎息していたが、赤葦は満足気に微笑んだ。
「ですが、さすがの『人タラシ』…芋以外も大収穫ですね。」
芋よりも、黒尾達のことを『根掘り葉掘り』するご婦人たち…
サムライ業だと知るや否や、「ウチの嫁が…」「相続税が…」等、
勝手に臨時相談会のような雰囲気になってしまったのだ。

それにいちいち、黒尾が親身に応えるものだから…
「先生、今度本当にウチの施設で…」と、介護施設の所長さんから、
正式な『相談会』の依頼を受ける結果となった。

「まさに『芋づる式』…来年のウチの仕事は、安泰です。」
「偶然の産物とはいえ…まさに『ほくほく』ですよね~!」
文字通り、『実りの秋』を実感するイベントとなったのだ。



「今日は皆さん…大変お疲れさまでした。」
「それじゃあ…乾杯!!」

ツアー自体は日帰りのものだったが、4人は急遽現地に留まり、
駅近くのビジネスホテルに一泊することにした。
十分日帰り可能な首都圏近郊に来て、あえて泊まってしまう…
遠出したわけではないのに、それだけで『旅行気分』を味わえる。

久々の旅行…4人で雑魚寝も悪くないな~!と、暢気に語る黒尾。
『他3名』は呆気にとられた表情を見合わせ…苦笑いした。

「黒尾さん…今日は久々の『旅行』なんですけど…」
「山口、この人に『旅情』なんてものは…通用しないよ。」
「ご安心を。俺が身を挺して…月島君達の邪魔はさせませんよ。」
ちゃんと、ツイン×2部屋を取っておきましたから。
黒尾さんはさっさと、フロントで会計してきてください。

赤葦の(当然と言えば当然の)采配により、2部屋にチェックイン後、
4人は地元の居酒屋に繰り出し、旅先での『酒屋談義』を始めた。


「乾杯のビールの後は…」
「今日はやっぱり、コレしかありませんよね~」

この4人で外食した際、黒尾達に『ドリンク注文権』はない。
全て赤葦が勝手に注文…それを、3人は楽しみに待っているのだ。
本日は芋掘りツアー…飲むべきものは勿論、芋焼酎である。

2000年代初頭の『焼酎ブーム』により、全国で芋焼酎が入手可能になり、
銘酒と呼ばれるもの以外も、たくさん出回るようになった。
それまでは「匂いがキツくて苦手」という人も多かった芋焼酎だが、
実はスッキリしており、特にお湯割りをすると絶品だということも、
全国規模で認知されるようになってきた。

「偽物まで出回った『森伊蔵』をはじめ、『佐藤』『村尾』『魔王』…
   『赤兎馬』や『一刻者』も、酒屋の定番になってきたよな。」
「それらの逸品も美味しいですが、お手軽価格のものもオススメが…」
特にオススメなのが、『古秘(こひ)』という銘柄なんですが、
実にクリアで薫り高く…旅行から帰ったら、皆で飲みましょうね。
『古(いにしえ)の秘密』…酒屋談義の肴には、ピッタリでしょう?
…と、赤葦は嬉しそうに語り、自分はジャスミン茶を飲み干した。


「さつま芋には、色んな面白い『別名』がありますよね?」
月島は『さつま芋のかき揚げ』を頬張りながら、話題を振った。

「『八里半(はちりはん)』…味が栗(九里)に近くて美味しいって意味で、
   焼き芋屋さんの看板に書いてあったらしいよね。」
「似たような言い方で、『十三里(じゅうさんり)』…
   九里四里(栗より)美味いって語呂合わせだよな。」
さつま芋の名産地・川越が、江戸から約十三里だったことに因み、
九里+四里=十三里…洒落の効いた名称である。


「あとは…『丸十(まるじゅう)』というのがあります。
   よく日本料理屋さんの献立に書かれているんですが…」
これは、さつま芋の故郷…薩摩藩主・島津家の家紋が、
『丸に十字』であることが、由来だそうだ。




「さつま芋を関東に普及させたのが、青木昆陽…
   五色不動の黒・目黒不動尊には、昆陽の墓所があったな。」
「昆陽の命日・10月28日には、『甘藷祭り』が開催されてますよ。」
命日は偶然だろうが、この時期にさつま芋のお祭り…ピッタリである。


「祭と言えば、さっき駅裏に…提灯がたくさんぶら下がってたよね。」
「この時期は、あちこちで『秋祭り』だな。例大祭のシーズンで…」
黒尾はそこまで言うと、急に真面目な表情になった。

「なぁ、旧暦の10月って…」
「『神無月』ですね。神様が出雲旅行…あそこだけ『神在月』です。」
日本の神様達は、10月に出雲大社へ大集合…
そのため、『神様がいない月』と言われているのだ。


「神様が留守でいない時に、お祭りしても…いいもんなのか?」

黒尾の疑問に、『他3名』は完全に虚を突かれた。




***************





「旧暦・新暦のズレは多少ありますが、
   『神無月』に秋祭りが多いのは、紛れもない事実です。」
「収穫祭の時期…神道最大の祭事・神嘗祭も10月だよ。」

神嘗祭(かんなめさい)は、五穀豊穣を感謝する宮中祭祀である。
毎年10月17日に、その年最初に収穫された稲穂(初穂)を、
伊勢神宮の天照大神にお供えする祭だ。

似たような名称の祭祀に、『新嘗祭(にいなめさい)』もある。
こちらは五穀豊穣の収穫祭で、天照大神だけでなく、天神地祇…
日本中の全ての神々に初穂を供え、天皇自らもそれを食すという、
宮中祭祀の中では最も重要な祭典である。
この新嘗祭は古くから祝日であったが、戦後は国家神道の色を排し、
新たに『勤労感謝の日』という祝日が制定された。

「神嘗祭は伊勢神宮、新嘗祭は宮中三殿…皇居での祭事だな。」
「新嘗祭は毎年11月23日ですから、神無月ではありませんが…」
伊勢神宮で天照大神にお供えする神嘗祭は、神無月だ。
もし本当に日本中の神々が出雲に大集合しているとすれば、
天照大神不在の伊勢神宮で、こんな重要な祭りをすることになるが…


「この『神無月』という名称、神が『無い』月…ではなく、
   神『の』月、という説もありますよね。」
「梅雨時の6月が『水無月』…『水の月』と同じだね。」
『な』は『の』を意味する助詞で、『無』は当て字であるというものだ。
この説だと、10月は『神の月』…神に収穫を感謝する月となる。

「他には、新穀で新酒を醸す月…『醸成月(かみなんづき)』が、
   神無月になったという説もありましたね。」
「それら様々な説から、『神無月』という表記されるようになった後に、
   その字面から『神様がいなくなる』と考えられるようになった…?」
その結果、いなくなった神々の行先として、『出雲大社参集』…
逆説的に出雲が『神在月』とされた、という考え方である。

「つまりは…神様はいなくなっていない?全員…留守番?」
「それなら、この時期に例大祭してもいいでしょうが…
   今度は出雲大社で執り行われる『神在祭』の説明がつきません。」
神在祭は、出雲に集まる神々が行う『会議』である。
神々をお迎えする『神迎神事』を皮切りに、様々な神事が斎行される。

山口は慌ただしくポケットから真新しいメモ帳…
『ツッキーと行ってみたいとこリスト』なるものを取り出し、頁を捲った。


「その『神迎神事』なんですけど…正式名称は『龍蛇神構大祭』です!
   出雲の『稲佐の浜』に到着した全国の神々は、『龍蛇神』を先導に、
   出雲大社に御神幸…集まって来るってことです。」
「成程ね…出雲はやっぱり、地祇…『蛇』の神様ってことだな。」

天照大神の『天孫降臨』より前から日本にいた神々を地祇…国津神、
天照以降の神と、高天原に住む神々を天神…天津神と分類している。
この国津神…『元々いた神』は、その多くが『蛇』と呼ばれていた。
これは日本だけではなく、なぜか世界的に見られる神話体系である。

「ってことは、蛇神に先導され、出雲に集合するのは…国津神か。」
「だとすると、天津神である天照大神は…『お留守番』ですよね。」
天照大神は、出雲の神々から芦原中津国(日本)を奪った神だ。
出雲には…かなり『行き辛い』立場とも言える。
神無月であっても、天照大神は伊勢神宮には残っているだろうから、
ここで神嘗祭を執り行っても、問題ないだろう。

「神在祭に集まるのは、日本に元々いた神だけ…という説ですね。
   これだと、天津神は勿論、外国から来た神々も『留守番組』です。」
七福神の面々で言えば、道教の神である寿老人や福禄寿、
仏教の禅僧・布袋、ヒンドゥー教の神である毘沙門天・弁才天、
大国主と習合される前の大黒天も、元は外国の神である。

「七福神のうち、日本由来の神は唯一…恵比寿だけです。
   恵比寿は、イザナギ・イザナミ夫婦の子…『蛭子神』ですから。」
「出雲の神在祭は、イザナミの命日…10月16日に、
   神々が彼女に捧げるお酒を造るお祭り、という面もあります。」
「イザナミの美称は『稜威母(いずも)』…出雲の語源ですし。」
「自分の母親のための祭…七福神では恵比寿だけは出雲旅行組だな。」


壁に貼られたビールのポスター…ヱビスを眺める。
ポスター横の窓から、駅裏で今まさに開催中の、秋祭りの灯りが見えた。
その秋祭りの提灯に書かれた文字を見て…4人同時に絶句した。

「なっ!!?」
「え…えびす祭っ!!?」
ヱビスビールのポスターの横に貼ってあるのも、『えびす祭』のもの。
完全に『出雲旅行組』かと思われた恵比寿のための、例大祭である。

「関東で、この時期の祭りと言えば『酉の市』だが…」
「西の方では、圧倒的に『おいべっさん』…えびす祭です!」
酉の市は、日本武尊が『東征』の戦勝祈願をしたことに由来するため、
『西』にその祭がないことは、十分納得できる。
そして、日本武尊は天津神…『お留守番』で問題なかろう。

だが、母であるイザナミの大事な行事が執り行われる神在祭に、
息子の恵比寿は、まさかの『お留守番組』なのだ。
出雲旅行(帰省)しないどころか、大々的に例大祭まで行っているのだ。

一体なぜ、恵比寿は帰省しないのか…
思い当るのは、恵比寿の出自に関するエピソードである。

「恵比寿…蛭子(ひるこ)神は、ヒルのような子…『不具の子』として、
   イザナギ・イザナミは、蛭子を船に乗せて、流してしまった…」
「だから、『漂着神』を『えびす』と呼ぶんですよね。」
蛭子神は、自分を捨てた母には会いたくなかった…
だから、母のための祭には、出席しないのかもしれない。

「恵比寿以外に、『かまど神』も留守番と言われていますが、
   この『かまど神』もイザナミの子…火の神・カグツチです。」
「この神を産んだことで、イザナミは火傷を負い死亡…
   怒ったイザナギは、彼を『天之尾羽張(アメノオハバリ)』で殺害。」
「家から『かまど神』が居なくなったら、すっごい困るんだけど…
   だとしても、こっちもなかなか…帰省し辛い息子、だね。」

神がいないはずの神無月に行われる、えびす祭。
恵比寿とカグツチは、日本を代表する『お留守番』の神様…
神々の『複雑な家庭事情』が、提灯の間から垣間見えた気がした。


「今の話からすると、『国津神は出雲へ、それ以外はお留守番』説も、
   どうやら…あやしいと言わざるを得ませんね。」
恵比寿以外で有名な『留守神』には、琴平神社の金毘羅権現がいるが、
こちらは『蛇神』のクンビーラ…出雲旅行組でもいいはずだ。
また、『元々いた神』代表格の道祖神も、実際はお留守番組だ。
もっとも、かまど神と同様に、庶民生活直結…『結界』や『道案内』、
そして『和合』が主な仕事である道祖神が一月も不在だと、
社会は大混乱に陥ってしまうのだが。

「そもそも論だが…『国津神』『天津神』の線引きも、難しいよな。」
赤葦が新たに注文した芋焼酎を傾けながら、黒尾は眉間に皺を寄せた。

「高天原の住人であるイザナギ・イザナミ夫婦は、『天津神』になる。
   だが、イザナミは黄泉の国へと逝き、夫イザナギと離縁…
   『黄泉津大神』という、『あの世の女王』になったんだ。」
「出雲は別名『根の国』…『あの世』なんですよね。」
天津神ではなくなったイザナミ。出雲はイザナミの地…黄泉の国。
そして、天照大神に敗れた大国主達『国津神』の故郷だ。

「恵比寿は『天津神』だったイザナギ・イザナミ夫婦の子ですが、
   高天原から『流されて』しまった…似た話があったよね?」
「同じ夫婦の子で、高天原から『追放された』神様…
   素戔嗚尊も、血筋的には天津神でも、国津神の代表だった!」
単純に神々の『居住地』や『血筋』だけで、
天津神・国津神を分けることはできない…ということになる。

結局のところ、『国津神』に共通するものと言えば…
「天照大神…『朝廷』に逆らった者達、か。」
「彼らの象徴が出雲や熊野…朝廷側が『あの世』と言ってるんですね。」
「つまり…自分達に逆らった者達は、『死者』という扱いですか…」
「七夕の『饒速日尊・瀬織津姫』が封印され続けたのと、同じ構図だ…」

『神無月』と『神在月』の由来には様々あったが、
それらの説が生まれて来た背景には、こうした『複雑な事情』…
権力者達にとって『都合の良い物語』が、騙られてきたという歴史が、
関係しているのかもしれない。


誰もが知っている昔話や童話、おめでたいはずの縁起物。
そして、皆が楽しみにしている、大イベントであるお祭り…
当たり前のように『古から存在しているもの』なのに、
ほんの少しの疑問から、歴史の『秘密』が垣間見えてくることがある。
この4人で、『酒屋談義』の肴として語り合ってきたものの中にも、
こうした『歴史の深淵』が片鱗を現したことが、何度もあるのだ。

「まさか、芋掘りに来た旅先で…祭の提灯でそれに気付くとはな。」
「全く…俺達4人共、『旅情』とは無縁ってことになりますよね。」
帰宅したら必ず、4人で『古秘』を飲みましょうね。
物悲しい表情で赤葦が呟くと、皆もしんみりと首を縦に振った。


「ところで、出雲に大集合した神々は、『ナニ』をヤってるか…」
面白い話があるんですよ!と、山口は朗らかな声で話題転換をした。

「確か、年に一度の神様超会議…『神議(かむはかり)』だったね。」
「イザナミのための酒造り…だけじゃないんですね。」
「来年の天候や、農作物の出来を話し合う…って聞いたことあるな。」
出雲大社の祭神は、大国主…大地を象徴する『五穀豊穣』の神だ。
収穫の時期に、来年の実りについて話し合う…実に重要な会議だ。

これも、『実り』に深く関係するんですが…
山口は少しだけ頬を染めながら、やや小さな声で告げた。
「この『神在祭』の別名は『縁結大祭』です。
   神々は、人の運命や縁…結婚について話し合っているそうです。」

五穀豊穣とは、即ち…『子孫繁栄』である。
「出雲大社は…『縁結び』の総本山!」
「まさに『実りの秋』ってコトだな…」
4人は顔を見合わせ、今度は穏やかな表情で微笑み合った。


黒尾は焼酎のグラスを飲み干すと、『えびす祭』の提灯を見遣った。
そして、月島と山口に「頼みがあるんだが…」と切り出した。

「俺の予想では、あそこの神社はこの近辺の氏神だと思う。
   だとすると、恵比寿が祭神の『本社』とは別に、地主神…
   『元々いた神』が、摂社か末社にいる可能性が高い。」
摂社・末社は、神社本社とは別に、その神社の管理に属するものの、
境内または境外にある、『別の神社』である。
主祭神と縁故の深い神や、主祭神より前からいた神が祀られている。

「袖すり合うも多少の縁…今から二人で行って、
   地主神が誰かを調べて、神様に『ご挨拶』してきてくれないか?」
「きっと、祭の賑わいとは離れた場所にいらっしゃるでしょうから…
   『お留守番』されている労を、ねぎらって来て下さいね。」

黒尾達の『頼み』とは、つまり…
「二人でお祭りを楽しんで来い」というものだ。

その真意を正確に受け止めた月島達は、満面の笑みを見せた。


「万事了解です。僕達はゆっくり…『現地調査』をして帰ります。」
「ついでといってはアレですけど、来年以降の『実り』…
   『縁結び』も、ガッチリ祈願してきますね!!」





***************





「いきなり願いが叶って…よかったね。」
拝殿で恵比寿に手を合わせた後、ツッキーはそう微笑んだ。

「うん…今、そのことをお礼してたんだ。」
俺は本殿にもう一度振り返り、深々と頭を下げた。


ポケットに入っている、真新しいメモ帳。
最近書き始めた、『ツッキーと行ってみたいとこリスト』だ。
このリストの内容は、誰にも見せていないけれど、
どんなことが書いてあるかは…皆にはバレバレみたいだった。

つい先日、我が家に直撃した『台風』達…
その置土産が、今回の『芋掘りツアー』だったのだが、
旅行以外にも、台風が残していったものが、たくさんあった。
その一番大きなものが、4人の心境の変化だ。

不器用ながらも、少しずつ相互理解を深め、歩み寄る…
そんな黒尾さんと赤葦さんの姿を見ていると、ハラハラする反面、
初々しさといじらしさに…俺は無性に羨ましくなった。

    (俺もツッキーと…もっと仲良くなりたい。)

ずっと胸に抱いたまま、口に出せなかった、小さな願いの数々。
それを、勇気を出して…俺もツッキーに伝え、実現したいと思った。

    (ツッキーと…いろんな場所に行ってみたいな。)

この願いは、台風自体がアッサリと叶えてくれた。
日帰りできる距離とは言え、家を飛び出し、旅行できたのだ。
勿論、今の家は本当に落ち着いて、大好きな場所だけど、
たまには全員揃って『留守』してみたいなぁと、密かに考えていた。

    (社寺仏閣に史跡。考察がてら…)

旅先の居酒屋で始まった、恒例の『酒屋談義』。
毎週末には4人で集まって、食事しつつ考察していたものの、
どうしても自宅だと、内容が実務的かつ実用的な話に偏りがちだった。
こうしてじっくり、日常生活には全く役立たないネタ…
『非日常』を愉しめたのは、本当に久しぶりだった。

旅行に行きたいと思ったのも、この『非日常』を味わいたかったから。
家事や仕事から離れ、自分を縛る『自分自身』を『留守番』させて、
素直な気持ちを、ツッキーと共有できればいいなぁと…


少し離れた所に立つツッキーは、暗い中必死に目を凝らしながら、
この神社の『縁起』が書いてある看板を、熟読していた。

「予想通り、恵比寿は中世に勧請…摂社に地主神のお社があるよ。」
本殿前の参道は、この通りすごい人ごみだから…
裏手にあるお稲荷さんにお参りしてから、そっちに回ろうか。

ツッキーはそう計画を立て、じゃあ行こう…と歩き始めたけれど、
すぐに立ち止まり、くるりと俺の方に振り返った。
「…折角だから、『お祭り』も楽しもうか。」

「え…っ!?」
ツッキーの言葉に、俺は心底驚いた。
あんな人ごみ…絶対に入り込みたくないはずなのに。
俺の『ビックリ顔』に、ツッキーは少し苦笑い…

「『僕と行きたいとこリスト』に…『お祭り』ってあるんでしょ?」
その通り…だ。
まぁ、あれだけ出雲大社の神在祭のことをメモっていたのだから、
俺が『お祭り』に行きたいことなど、火を見るより明らかだ。
それが判っていたから、黒尾さん達は『調査』を依頼してくれたのだ。

たとえ上司命令とは言え、ツッキーに無理をさせてしまうのは…
俺が二の足を踏んでいると、ふぅ…と、ため息が間近から聞こえた。
そのため息に、思わずビクリと背を震わせると、更に深いため息…

「あのね山口…」
「ご、ごめんツッキー!俺、調子に乗って、勝手にリストなんか…」
ほとんど条件反射で、『ごめん』が口を突いて出た。
旅行できて、『酒屋談義』を楽しめて、祭の雰囲気を味わえて…
もう十分、俺の願いは叶った。だから、もう…帰ろう。

今度は俺がくるりと踵を返し、裏出口に向かおうとした。
それを止めたのは、ツッキーの静かな声だった。


「山口が、僕に遠慮しませんように。」
「…え、な、何?」
「僕がさっき、恵比寿に願ったこと。」

お願いだから、もう…僕に遠慮するのは、やめてよ。
いつも先に謝られて、山口からシャットアウトされて…
それ以上、僕から何も言えなくなってしまうんだ。
そんな山口にしてしまったのは、僕に責任の一端がある。
それは十分わかってはいるけど、でも…

「僕らは、こ、恋人…なんだから…」
恋人のお願いとか、ワガママを聞いてあげたいって思うのは、
ごく自然なことじゃないかなって、僕は最近…気付いたんだ。

「僕は、自分の恋人が…山口が喜ぶ顔を、見たいんだ。
   だから、山口の願いを、ちゃんと言って欲しい。」
とんでもなく『度を超した』お願いなんて、山口はしないだろうし、
きっと山口と一緒なら、人ごみもお祭りも、僕は楽しめると思う。

「神社で考察がてら…『お祭りデート』しようよ。」


ほら…と、差し出される手。
俺は、困惑と喜びで、どんな顔をすればいいのか、わからなかった。
わかったのは、ツッキーが物凄く勇気を出してくれていること、
そして、俺自身が…『お祭りデート』したいという、正直な気持ち。

もしツッキーに無理をさせてしまったら…
そう考えると、申し訳なくて怯んでしまいそうだ。
でも、ここは非日常…『旅先』だ。
少しなら、ワガママを言っても…許されるんじゃないか?

祭囃子のリズムと、旅行の開放感に背を押され、
俺は差し出されたツッキーの手…袖口を、少しだけ握った。

「俺…りんご飴、食べたいな。ご馳走して…くれる?」

思い切って、俺の願いを口にしてみた。
返ってきたのは、キョトンとした顔…そして、満面の笑みだった。



「あ~、食べた食べた!さすがにお腹いっぱいだよ!」
「居酒屋でも結構食べてたのに、よくこれだけ入るよね…」

りんご飴に、焼きそば、イカ焼きにタコ焼き…
デザートのベビーカステラを食べながら、二人で本殿の裏に来た。

最初は、人ごみに飛び込むことを、やや躊躇したものの、
実際に入ってしまうと、屋台の匂いや灯りに気分が高揚し、
全く気にならなくなった。

何よりも、キラキラした目で出店を見て回ったり、
嬉しそうな顔でりんご飴を頬張る山口…心から楽しんでいる姿に、
見ているこっちの方が、ずっとずっと幸せな気分になった。

その顔をもっと見たくて、いろいろと買い与えてしまった…
実は僕…物凄く山口に甘いんじゃないかと、少々反省している。

    (今日は非日常…旅先のお祭りだし、いいよね。)

大変遅ればせながら、恋人達がお祭りデートをしたがる理由が、
実感とともによくわかった次第である。
食わず嫌い同様に、ヤらずに避けていた自分自身…
今まで随分と、損してきたような気すらしてきた。


「あっ!あそこ…小さく灯りが…」
きっと、あそこが調査対象…地主神のいる摂社だね。

食べきったカステラの袋を丁寧に畳みながら、
山口は杜の奥を指差した。
そうだった…ここに来た本来の目的(という名の建前)は、それだ。
祭の楽しさに浮かれ、すっかり忘れていた。

本殿から離れるにつれて、祭の灯りも届かなくなり、
ほとんど真っ暗な中を、山口と連れ立って歩いた。
石畳のわずかな段差に躓き、ほんの少しだけ体を傾げると、
横を歩く山口の手の甲に、自分の手の甲が触れた。

互いの甲と甲と触れ合わせたまま…ゆっくりと歩を進める。
稲荷神社を抜け、境内を通り過ぎ、境外摂社に近づく頃には、
周りには誰もいなくなっていた。
本殿裏から見えた小さな灯りは、途中の稲荷神社のもの…
宵闇を照らす石灯籠の灯りだけを頼りに、細い参道を歩いた。

    (ここまで来たら…いいかな?)

触れていた甲を少しだけずらし、山口の指の間に、
自分の指を合わせてみた。
山口は一瞬びくりとしたが、すぐにその指を反らせて、
指先だけをキュっと挟み込むように、力を入れた。

周りには誰もいないのに。居たとしても、見えないのに。
誰にもバレないように、慎ましく触れ合わせた手…
普通に手を繋ぐよりも、ずっと『秘密のコト』をしているようで、
なんだか妙に…くすぐったい気分になってきた。


摂社は、岩を1.2m程積んだ土台に、小さなお社があるだけだった。
本当はこっちの摂社の方が、この土地に『元々いた神』…
今は、ほとんど誰も見向きもしない場所に、黙って鎮座している。

「どんな神様なのか…全然わからないね。」
携帯の光でお社に掛かる額を照らすも、古く掠れて読めない。
お供え物はあるが、賽銭箱や幟もなく、実に簡素だった。
これでは、『どんな神様なのか?』という調査は不可能…
そう諦めかけた時、山口が小さく「あっ!」と声を上げた。

「ツッキー、わかったよ…」
こっち、来て。
裏側に回っていた山口が、携帯で何かを照らしていた。

「円筒状の、石柱…?いや、これは…」
お社に隠されるようにあったのは、高さ30cm、直径10cm弱の石柱…
随分と『御立派!』な、アレのカタチをしたモノだった。

「賽の神…道祖神だね。」
「聞いてはいたけど…コレのカタチをしてる実物、初めて見た…」
道祖神は、『和合』の神…『子孫繁栄』の神だ。
『和合』をこれ以上なく如実に表す…天を仰ぐ陽茎だ。

「サイズはともかく、先端部分のハリといい、浮き出た血管といい…」
吃驚するぐらい、リアルにできてるよね。
見えない分、おずおずと触って『調査』をする山口。
その何とも言えない手付きに、無意識の内に生唾を嚥下していた。

「ソレを撫でることで、子宝に恵まれる…そういう伝承が多いよね。」
「あぁ、だから…こんなに先っぽが、ツヤツヤしてるんだ…」
それだけみんなが、『和合』と『実り』を願ってきたんだね。

じゃあ、せっかくだから俺も…と、山口は道祖神に手を合わせた。
…来年以降も、ウチの事務所に『実り』が続きますように。

そして、チラリとこちらに視線を寄越しながら、小さく呟いた。
「ツッキーと…『ずっと仲良く』が、続きますように…」


両手で大事に包み込み、神の頭に額を付けて、願いを込める山口。
その手の上から、僕も両手を添える。
驚いて顔を上げた山口…その唇に、自分の唇を添えた。

「っ…!ツッキー、こ、こんなとこ、で…」
「こんなとこ…だからこそ、だよ。」
道祖神は、『和合』の神…これ以上相応しい場所なんて、ないでしょ?
道祖神から離した手を、今度は掌を合わせ、しっかりと指を絡める。
なおも戸惑う山口…繋いだ手で一緒に道祖神に触れる。

「神様には、まず『お礼』をするのが、礼儀だよ?
   …この場所に導いて下さり、ありがとうございます。」
ありがとう、ございます…と復唱する山口に、
よくできました…と、再度口付ける。

「次に、自分の願い…『お願い』するんじゃなくて、『誓う』んだ。
   …『ずっと仲良く』を続けていけるように、お互い努力します。」
俺も、ツッキーと仲良しでいられるよう…頑張ります。

先日、突如乱入してきた父。
自営業者に必要不可欠な要素は、家族が仲良くあること…
一番身近な人を、大事にすることだと言っていた。

いくら幼馴染で、気が合う二人とは言え、やはり『他人』なのだ。
誰かと生活していくのは、多かれ少なかれ、困難を伴うことがある。
だが、それにちゃんと寄り添い、分かり合おうと努力し続けること…
互いに想い合うことが、仲良しの秘訣…必須条件かもしれない。

そして、一緒に長く生活することで、『身近な人を大切に』は、
慣れや惰性から、最も忘れがちなことでもあるのだ。
それこそ、散歩がてら社寺仏閣に来て、神々に誓っておかなければ、
思い出せない程…日常に埋没してしまう。

    自分にとって、何が一番大切なものか。
    自分は『元々』何のために…

こうした『元々はどうだったか』という初心を思い出すためにも、
社寺仏閣の由来や縁起を考察し、訪れるのも、良いかもしれない。


きっと、同じようなことを考えていたのだろう。
澄み切った穏やかな瞳の山口と、静かに見つめ合う。

「最後に、神様にはこう『お願い』するんだよ。
   …こんな僕達を、『見守ってて下さい』って。」

神様から手を離し、両腕で山口を柔らかく包み込む。
山口は、僕の両頬を両手で包み込み、そっと引き寄せた。


「俺とツッキーの『和合』を…見守ってて下さい…」
ごくごく小さな声でそう呟くと、山口は目を閉じ、僕にキスをした。


山口から僕への、初めてのキスだった。





***************





「風呂…上がったぞ。お先にサンキューな。」
「いえ…これだけ整理したら、入りますね。」


居酒屋での飲みは早々に切り上げ、ホテルに帰ってきた。
赤葦と同棲し始めてから、毎日一緒に入浴していたが、
さすがにビジネスホテルのユニットバスは狭すぎ(特に天井が低い)、
久々に『一人でシャワー』のみだった。

芋掘りの疲労を、ゆっくり湯船に浸かって解消したかったが…
突然宿泊することになったから、ビジネスしか取れなかった。
まぁ、明日帰宅したら、二人でのんびり浸かればいいか。

…折角旅行に来たのに、早くも家が恋しくなっている。
まだ住み始めて2月程度…よっぽどあの家が居心地良いんだな。
いつの間にか俺は、『おウチ大好き』な家猫になっているようだ。

浴衣(これも丈が短い)を羽織り、ユニットバスから出ると、
赤葦はベッドの上に手帳やらを広げ、作業をしていた。
芋掘りツアーで知り合った、介護施設所長の名刺等…
本日掘り当てた、一番の『収穫』を、まとめてくれていた。

「所長さんには、お礼メールを入れておきました。」
休み明けに、改めて仕事の打ち合わせになりそうですよ。
近々…このホテルには、また出張で泊まるかもしれませんね。
明日にでも、系列ホテルの会員登録をしておきましょうか。

「いやホントに…恐ろしくデキる参謀で、助かるぜ。」
「俺も風呂入って来ますから…受取をお願いします。」
小腹が減ったので、ルームサービスを取っておきました。
もうそろそろ来るでしょうから…黒尾さん、ご馳走さまです。

赤葦は笑顔で手を合わせながら、ユニットバスへ消えた。
「ホント…何から何まで、デキすぎだ。」
至れり尽くせりで有り難い気持ちと、
旅先まで仕事をさせてしまったことへの、申し訳ない気持ち…
その二つが混じったため息を、俺はこっそりとタオルに溢した。


先日、予告なく上陸した台風達。
ずっと隠してきたものも、隠していた自覚すらなかったものも、
全てを洗いざらい…暴露して行った。

    クロだって、誰かに背中を預けていいんだから。
    甘えたい時は甘えていい…

研磨はそう言って、俺の背中を押してくれた。
この言葉で、腹の中に溜まっていた澱が、流されたのは間違いない。
だが、だからこそ思うのだ。

    (これ以上、赤葦に甘えても…いいのだろうか。)

今だって十分、いや、俺が与えてやれる以上のことを、
赤葦は俺に、惜しみなく与えてくれている。
仕事のことだけでも、俺には分不相応な程の、デキる参謀なのだ。
月島父にも言われたが、俺が赤葦の才能を120%生かせてやれるか…
自信がないどころか、その才能を殺してないかと、不安すら感じる。

激流に翻弄されるまま、開業と同棲を始めてしまった。
その勢いで赤葦を巻き込み…ずるずると甘えてしまっている。

    (ここら辺で、はっきりさせといた方が…いいよな。)

自宅では、仕事と日常生活で精一杯…
なかなか改めて『大事なコト』を話す時間も、きっかけもない。
台風上陸後も結局バタバタして、台風が残していったものについて、
結局まだ…ちゃんと赤葦と話していないのだ。

だが、ここは『旅先』の『非日常』…いい機会だ。
そう肚を決めると、小腹が減った音と、インターホンの音。
やってきたルームサービスは、温かいおにぎりと味噌汁だった。

「全く…デキすぎにも程があるだろ…」
込み上げてくる熱い何かを、俺はぐっと堪えた。



「やっぱり飲んだ後は、米と味噌汁が無性に食いたくなるな。」
「飲まない俺でも、やっぱり米と味噌汁が欲しくなりますよ。」
特に『酒屋談義』で頭を使うと、ご飯のエネルギーが必要ですし。
居酒屋は宅飲みと違って、『ご飯物』が少ないのが、難点ですね。

一つのベッドに並んで座り、ペロリと夜食を平らげた。
我が家は和室に布団…ベッドに座ることも、久しぶりだ。
食べ終わった皿を、扉の外…廊下に出して部屋に戻り、
俺は一瞬、戸惑ってしまった。

    (ツインのベッド…どちらに座るべき、でしょうか。)

布団だと、別々に寝ていようとも、『何となく』お互いにはみ出し、
特に意識をしないまま、距離を詰めることができる。
だが、ツインのベッドの間には、溝がある…
距離を詰めるには、一度ベッドから降り、改めて相手の方へ乗る…
布団のような『何となく』という流れが通用しないのだ。

    (以前も、寝る場所…『適正距離』で、悩みましたね。)

あれは、初めて黒尾さんと…の時だ。
少し朱に染まった『思い出しニヤけ顔』を見られないように、
俺はあえて黒尾さんが座っている方のベッドの、真横に腰かけた。

    (ここは旅先…日常を忘れて、思いっきり…)

木兎さん達の暴露によって、自分だけじゃなく、
黒尾さんの方も、初対面で『落ちて』いた…
指摘されるまで全く自覚はなかったけれども、
互いにずっと、『特別な存在』だった…その事実が露わになった。

    (皆さんにバレバレだったのは、羞恥の極みですが。)

だとしても、想い合っていたという事実は喜び以外の何物でもなく、
皆さんから温かく見守ってもらえていたことも…また嬉しかった。
更には、まさか黒尾さんが、木兎さんに嫉妬までしてくれたのだ。

    (俺ばっかりが、想っていたわけじゃ、なかった…)

台風襲撃から、日常生活に追われてしまい、
この喜びを黒尾さんに伝える機会が、全く取れなかった。
非日常の今日こそ、それをはっきり伝え合いたい…

すぐ傍に置かれた黒尾さんの手に触れようと、
そっと腕を伸ばしかけた所で…思いがけない言葉が降ってきた。


「なぁ赤葦…お前はこれで、本当に良かったのか?」

頭上から注がれた言葉は、真剣で…身を切るような掠れ声だった。
そのあまりに痛々しい響きに、俺は声も熱も失ってしまった。

「そ、れは…一体、どういう意味、なんでしょう?」
ようやく出てきた声も、掠れ震えていた。
黙って待っていると、黒尾さんは言葉を選びながら語り始めた。

「この夏のゴタゴタから、流されるまま…こうなっちまった。」
お前程優秀な奴を、俺なんかの参謀にして、
さらには同棲まで…勢いで巻き込んじまった。
貴重な20代…もしかしたら、『若いうち』全てを俺が振り回して、
お前がやりたかったことが、できなくなる可能性もあるんだ。
本当に、このまま俺に付いて来て…お前は後悔しないか?

「本当に、俺なんかで…良かったのか?」


力なく震える声で、小さく訊ねてくる。
その姿と内容に…熱いものが瞬時に突き上げてきた。
気付いた時には、ベッドに押し倒し…腰上に乗り上げていた。

「『俺なんか』…ですって?ご冗談を!」

どうしてこの人は…こんなにも自己評価が低いのか。
才能も知識も、包容力も優しさも、全て持っているというのに。
これだけのハイスペックなのに、謙虚なのは美徳かもしれない。
だが、相手のことばかり慮り、自分を抑え続けたせいで…
ここに至ってもまだ、自分ではなく、俺のことを案じているのだ。

「あなたは本当に、優しすぎです…」
「俺が?そんなことは…ねぇだろ。」

お前を俺が独り占めしてる時点で…かなりワガママだ。
もしお前が別にやりたいことがあるなら、
俺もちゃんと、お前を飛び立たせてやるから…その時は…


それ以上は、聞きたくなかった。
絶対に言わせないよう…口を塞いだ。

「俺はあなたほど優しくない…絶対に、あなたを逃がしません。」
ベッドに押し付けたまま、激しく口付ける。
呆然とされるがままの黒尾さんを煽るように、何度も何度も。

「もっと、自分に自信を持って下さいよ!
   この俺が、出逢った瞬間に落ちた相手…そうでしょう!?」
俺のことを想って、俺を飛び立たせるなんて…馬鹿ですか。
そんな『優しさ』なんて、俺は真っ平御免です!
そこまで俺を想って下さってるのなら、絶対に俺を離さないように…
ずっと捕まえておくことの方に、全精力をつぎ込んで下さい!
お願いですから…もっとワガママに、なって下さいよ。

「もっと俺のことを…求めて下さ…」

言い終わらないうちに、今度は下から強く抱き締められ、
言葉も呼吸も、全てを激しく吸い取られてしまった。
息苦しくなって、唇を離そうとするも、
吸い込んだ息とともに、執拗に舌で捕らえられてしまう…

    (そう…それで、いいんです…)

全体重を預けながら、俺も欲しいだけ、黒尾さんを求め続けた。
抑え込んだものを全て引きずり出すかのように、激しく吸い上げる。

    (これが、『本心』…隠すのは、もうやめましょう…)


「馬鹿だな…俺から逃げる、最後のチャンスだったのに。」
もう絶対に…逃がしてやれねぇからな…?

腕を緩め、静かに俺の背を撫で…それでもしっかり離さない。
吐息と共に、俺の耳元で囁く声…
さっきまでとは違う、熱く力強い声だった。

「俺に逃げられないように…せいぜい頑張って下さいね?」
今度また、同じようなことを言ったら…
俺は月島のおじ様の所へ、行っちゃうかもしれませんよ?

何故か俺のことを高く評価してくれた、月島のおじ様。
ぜひ私の所へ来なさい…と、ヘッドハンティングしてくれている。
そのことを匂わすと、黒尾さんは慌てて俺を引き寄せ、
駄目だ…と呟きながら、素直に頭を横に振った。
その仕種が何だか妙に可愛くて…ちょっとした悪戯心が沸いた。

俺は黒尾さんを上から見据え、意味ありげに微笑んだ。
「そうですね…『俺の黒猫』がもう迷ってしまわないように…
   いっそのこと、ここに『首輪』でも…付けておきましょうか?」
かぶり、と頸筋に噛み付く…振りをして、そこにキスを落とした。


「首輪、ねぇ…それも、悪くねぇよな。」

ニヤリと笑った黒尾さんは、俺を抱きかかえたまま起き上がると、
ちょっと待ってろ…と、クローゼットから鞄を出してきた。
その中から、薄い小冊子を取り出し、俺の真横に戻ってきた。

「俺はそんなデキた人間じゃねぇし、独占欲も家猫並に強い。」
自分の…飼主?が、自分以外のモノになるなんて、耐えられねぇ。
だから、『お前は俺のもんだ!』っていう、『証』が欲しい。
モノっていうカタチに拘るのは、小っせぇことだろうけど…

「俺と揃いの…指環をしてくれねぇか?」

手渡されたのは、以前取り寄せていた…結婚指環のパンフレット。
仕事上に必要な『装備品』として、準備しようとしていたものだ。
色々あって、その話はどこかに消え…すっかり忘れていた。


緊張気味にそれを受け取り、念のために確認した。
「これは、『仕事専用』ですか?それとも…」
「仕事はついで。俺とお前の繋がりとして…」
ここに、同じのを付けて欲しい。

左手の薬指を、そっと撫でられる。
答える代わりに、その手を捕まえ…ぎゅっと握り締めた。

ホッとした表情を見せた後、視線をあさってに向けながら、
黒尾さんはやや上擦った声で付け足した。
「とりあえずこれは、『ちょっと高価なペアリング』ということで…」
「そうですね。今はまだ、『本物』を頂くには…少々早いですよね。」

俺達は、つい最近…『恋人』になったばかりだ。
もう少し、この『甘酸っぱい』関係を楽しみたい…
それを楽しめる精神的な環境が、やっと整ったところなのだ。


「気付いてるとは思うが…俺には『センス』がない。」
「その点に関しては…俺も甚だ怪しいと思いますが。」
このパンフレットの中から、どんなものを選べばいいのか…
実際のところ、途方に暮れそうだった。
だが、これだけは…二人だけで決めたかった。

「まあ、華美すぎず地味すぎず、ジャージにも合うような…」
「えぇ。俺もそれがいいと思うんですが…ありますかねぇ?」

顔を見合わせて、柔らかく微笑み合う。

「一晩かけて…ゆっくり選ぶとするか。」
「そうですね。一緒に…決めましょう。」


照れ臭いような、嬉しいような…甘酸っぱい気持ちに満たされる。

それを伝え合うように、静かに口付けを交わした。



- 完 -



**************************************************

※『国津神・天津神』『蛇』について →『五輪』シリーズ
※『饒速日尊・瀬織津姫』について →予定調和
※五穀豊穣=子孫繁栄について →蜜月祈願
※寝る場所の適正距離について →姫様豹変

※熱く甘いキスを5題『5.甘い熱だけ残して』


2016/10/27

 

NOVELS