運命赤糸







山口と二人で、プロ野球観戦に来たのが、今日夕方。
諸々の事情により途中退場、某所で幾ばくかの時を過ごし…
さて帰ろうかと駅に向かうと、丁度試合終了と重なってしまい、
駅周辺はとんでもない人だかりだった。

人の波が落ち着くまで待とうと、ファミレスで甘味を食べつつ、
某所で話題に上った、非常口の緑色の人…『ピクトさん』の考察を楽しんだ。

再び駅に向かうと、今度は何かしらのライブイベント帰りの波。
二人で途方に暮れていたところ、メールの着信。
内容は、住所のみ…駅から徒歩10分程の場所だった。


全て見透かされているようで不愉快極まりないが、
あの濁流の中に飛び込む勇気や気力は、僕に装備されていない。

僕は山口を従え、渋々その場所…兄の部屋へと向かった。



「は~い、いらっしゃい!」
「お…お邪魔します。」

インターホンを鳴らすと、上機嫌の兄が出迎えた。
初めて来た兄の部屋は、典型的な『単身者用ワンルーム』で、
玄関から続く廊下の右手に洗濯機、流し台、冷蔵庫。
左側には浴室、洗面脱衣所、そして便所が並んでいた。
廊下の奥が、フローリングの居室(約7.5帖)と押入だった。

調度品といった類のものはなく、飾り的要素のあるものは…
バレーボールとユニフォーム、ダンベルと赤い縄跳ぐらいだ。

「意外と綺麗…というよりは、色気も生活感もないね。」
「『寝に帰る』だけの部屋だしな。20代独身男性の部屋なんて、こんなもんだよ。」

兄の『一人暮らし生活』には、正直あまり興味がない。
それよりも、僕が一番気になるのは…やはり本棚だ。

蔵書は、その持ち主の『人となり』を表す。
壁の一面に並べられた、高さ1m弱の本棚の前に陣取り、
僕はそのラインナップをじっくりと眺めた。


「蛍はしばらく、本棚に張り付いてるだろうから…忠、先にお風呂入っておいでよ。」
「え、先に頂いていいの?でも俺…外泊届を母さんに出してないけど…大丈夫かな。」

山口家は、基本的に息子の外泊には寛容である。
しかし、それは母に対し、事前に『外泊届』を提出することが、前提となっている。

「『僕と仙台に出掛ける』って言って来たんでしょ?
   それイコール『月島家に泊まる』って…了承済なんじゃない?」

本棚から目を離さず、僕が『大丈夫』と言ってみたが、
山口は律儀に「でも、ルールだし…」と下を向く。

「大丈夫!球場出る前に、ウチと山口家の両方に電話しといたから。
   『二人とも、今日は月島家別宅に泊まりますよ~』ってね!」
「何ソレ。何で兄ちゃんが勝手に決めてんの。そんな前に。」

全くもって…面白くない。
僕は無理やりにでも『本宅』に帰ってやろうかと一瞬思ったが、
現実的ではないと判断し、『遠慮なく』泊まることにした。


「兄ちゃんからの電話…おばさんに『偽装』だと疑われなかった?」

つまり、信頼のおける『明光君』を利用しての、
『やましい理由』での外泊を隠す、『アリバイ工作』では…と。
山口に限ってそれはないと、僕なら全力で断言できるが、
一応世間的には『お年頃の高校生』…十分有り得る話だ。

「俺もさ、おばさんに冗談で『恋人と外泊』の偽証じゃないよ~
   …って言ってみたんだけどさ、おばさん…何て言ったと思う?」
「え…母さん、怒ってた…?な、何て言ってたのっ!!?」

本気で慌てふためく山口。
やましくないなら(現時点では)、そんなに慌てなくても良いのに。

「おばさんはなぁ…」
山口の両肩に手を添えると、低く暗い声で言い始めた。
そしてすぐに、破顔一笑した。

「『蛍君から卒業できないうちは、それはないわ!』って爆笑だよ。
   忠も蛍も…もうちょっと『色気』があっても良くない?」
ま、そんなわけだから、心配いらないよ~

そう言うと、兄は真新しい下着と、寝間着代わりの練習着を渡し、
タオルと歯ブラシは脱衣所に新品があるからね~と、山口を浴室へと送り出した。


「ホント、何でここまで『準備万端』なの。」
「全ては予定調和。神が思召すまま。お前らは今晩、ココに泊まる『運命』だったってコト…」

押入を開けた兄は、自分用と思われる布団を出し、
もう一組の『来客用』を並べて敷くように、僕に命じた。

「何が『運命』だよ、大げさな。言っとくけど、僕に『バーナム効果』は通用しないから。」
本棚から、一般向け『認知心理学』の本を取り出し、僕は兄に牽制球を投げた。


「何、その『バーナム効果』って?」

普段は『烏の行水族』である山口が、あっという間に出て来た。
僕は兄に説明を任せ、のんびりと風呂を楽しむことにした。



「忠…ちょっとココに座ってごらん。」

常になく真剣な表情の明光君。
その気迫に圧され、俺は敷かれた布団の上に正座した。

「俺、最近のお前を見てて、わかったことがある。
   お前もしかして…『好きな人』か、『他の人とは明らかに違う人』…
   そういう『特別な相手』がいるんじゃないのか?」

風呂で温もったはずの体が、一瞬で冷えた気がした。

「え…何で、そんな…」
誤魔化そうとしても、明光君は質問を畳み掛けた。

「その相手…割と身近な人なんじゃない?例えばそう…蛍もよく知ってるような、ね。」

よく知っているどころか、『熟知』レベルだろう。
背中を、滝のように冷たい汗が滴り落ちていく。

「忠は時々、真剣にこう考えることがある…
   『自分の判断は、本当に正しかったのだろうか』と。
   そして、『このままでいいのだろうか』…と。」

それは…事あるごとに、頭を過ぎる言葉だった。
本当に、この『関係』を選んでもよかったのか。
ずっと『このまま』を望んでもいいのだろうか。

「お前の『願望』には、『非現実的』な部分がある…そうなんじゃないのか?」

明光君は、全てわかっているというのだろうか。
いや、わかっているからこそ、ここまで言えるのだろう。

昔からそうだった。
どんな時でも、明光君は俺らを助け、見守っててくれた。

「どうして…それを…俺は、どうすれば…」

震える唇を噛みしめ、助けを求めるように呟いた。
明光君は、俺の手を両手で握り締め、神々しく微笑んだ。

「これが…『バーナム効果』だよ。」
「は…はい?」


忠お前、素直過ぎだろー!!と、明光君は腹を抱えて笑っている。
訳が分からず、俺はただ茫然と間抜け面を曝していた。

「やっぱり山口は引っ掛かったんだ。」
風呂から出て来たツッキーが、呆れ顔で隣に座った。

「どうせ、『忠には、運命の相手だと思う人がいる』…みたいに、
   占い師っぽく『ズバズバ』と言い当てられたんでしょ?」

そうっ!!そうなんです!!
明光君に、全部バレバレっぽいんです!!

俺はそれを伝えようと、ぶんぶんと首を上下に振った。
ツッキーは両頬をバチンと掌で挟み、その頭を止めた。

「よく考えてごらん。この『エセ占い師』…何ひとつ『具体的』なことは言わなかったでしょ。」

確かに…『ふんわり』とした、含みのある物言いではあった。
明光君を見遣ると、目尻の涙を拭きながら、ツッキーとともに解説してくれた。


「忠には『特別な人』がいる…」
「どう『特別』なのか不明。
   『赤の他人』以外であれば、誰にだって『特別な人』ぐらい居て当然だよ。」

「その人は、割と身近で、蛍も知ってる人かもしれない…」
「山口の交友関係なんて、ほとんど僕と重なってるんだから。
   むしろ、『僕の知らない山口の親しい人』なんて、皆無。」

「自分の判断は正しかったのか。このままでいいのか…」
「そう考えたことがない人間が、果たして存在するだろうか…」

「お前の願望は、非現実的…」
「実現困難だからこそ『願望』なんでしょ。」

ツッキーの冷静なツッコミは、至極真っ当なものだ。
一つ一つ検証するまでもなく、俺は自分で勝手に思い込んだのだ…
『明光君は、すべてを知っている』、と。


「誰にでも当てはまるような『一般的な』ことを、
   さも『自分にだけ』に当てはまると錯覚してしまう…
   これを、心理学で『バーナム効果』っていうんだよ。」
「精神的に参っている時や、相手の権威等を信じている場合、
   特に陥り易い錯覚なんだ。気を付けなよ?」

血液型占いや、星座占いが『当たる』理由。
俺は、身をもってそれを理解した。

「明光君と、ツッキーの言う通りだね。
   運命の相手…目には見えない『運命の赤い糸』…
   見えないのに、何で『赤い』ってわかるんだ?…って話だよね。」

本棚の横にかけてあった赤い縄跳を取り、
俺は「もう騙されない」の決意表明として、それを放り投げた。





***************





隙間なく並べて敷いた布団に、3人並んで寝そべった。
部屋の入口側に僕、奥のベランダ側に兄、真ん中が山口だ。

「こうやって、『川の字』になって寝るの…久しぶりだな。」
「昔はよく、明光君に絵本とか読んでもらったよね~」

僕は、山口が加わる遥か以前から、寝る前の『考察』…
兄から色々な話を聞く時間を、楽しみにしていた。
兄が自立し、家を出てからは、普段は一人で『研究』し、
今は時折山口と二人で、その時間を楽しんでいた。

「それじゃあ、久しぶりに3人でやりますか!
   そうだね、今日のテーマはやっぱり…『運命の赤い糸』かな。」
そう言うと、兄は本棚から数冊取り出して並べた。


「まず、何にテーマを絞るかを決めよう。候補は4つ…
   ①物理・光分学コース、②音楽・クラシックコース、
   ③生物学・花コース、そして…④民俗学・昔話コースだよ。」

なっ…なんという魅力的ラインナップだろうか。
僕は悔しさと好奇心のせめぎ合いを何とか抑え、
「それぞれの概要は?」と、静かな声で聞いた。


「まず①は、『見えない赤』に焦点を当てて、赤外線について考えてみるコースだよ。」
「赤外線…『熱源』っていう意味でも、雰囲気ピッタリだね。」

人の目には見えないが、医療や防犯の分野等でも利用されている。
赤外線で星や銀河を観測…赤外線天文学も、非常に興味深い。
先日考察した、音と色の関係を、『赤』で掘り下げるのも良い。


「次の②は勿論…ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』だよ。」
「出だしが『ダダダダーン!!』っていう、超有名な曲だよね。」
「そのリズム、モールス符号で表すと『・・・-』で、これはアルファベットの『V』なんだ。
   それを『victry』の頭文字と捉え、戦勝祈願の曲として利用…等、
   この曲にまつわるアレコレを考えるコース。」

そう言えば以前、『木星』について考察したことがある。
この星は太陽系の第5(ローマ数字で『V』)番目の惑星であり、
『運命』を司るものだった…ここに絡めるのも、面白い。


「そして③は、『運命の相手』に贈る花として、『薔薇』に関する話に花を咲かせるコース。」
「『under the rose』…慣用表現で、『秘密』だったよね。」
「色や本数による『花言葉』の違いや、各種慣用表現から、
   薔薇の生態や歴史を見ていくのもいいね。」

宮城が誇る日本三景・松島にある、円通院の別称が『バラ寺』。
陸奥仙台藩第2代藩主の次男・伊達光宗の菩提寺であり、
その寺院には、有名な…『縁結び観音』があったはずだ。
ちなみに、光宗は伊達正宗の孫で、3代将軍徳川家光の従兄弟…
戦国時代の錯綜した『赤い意図(糸)』という視点も捨て難い。


「最後の④は、そのものズバリ、『運命の赤い糸』の由来となった、
   中国と日本の昔話に関連するお話になるね。」

さあ、どれにする?
ニコニコと笑いながら、兄は選択を迫る。
これを僕に…この中から『たった一つだけ』選べと言うのか。
この選択こそが『運命』だと言うのなら…あまりに酷だ。

ここはもう…最後の手段しかない。
「山口…お前が決めてくれ。頼む…っ!」

「え、いいの?それじゃぁ俺は…」

僕は断腸の思いで山口に託したのに、当の本人はごくアッサリした理由で、即決した。

「明光君と言えば、絵本。絵本と言えば…昔話。
   久しぶりに、明光君の『むかしむかし…』が聞きたいな!」

あの頃と全く変わらない、キラキラした瞳。
兄は心底嬉しそうに笑い、『了解!』と言った。



期待で逸る僕たちを落ち着かせるように、
兄は山口と僕を寝かせると、肩まで布団を掛けた。
そして、大きく息を吸うと、懐かしい口調で『むかしむかし…』と語り始めた。


    中国の唐の時代に、韋固(いこ)という若者がいました。
    ある月夜の晩に、大きな袋を持った老人と出会いました。
    その袋の中には、赤い縄がたくさん入っていて、
    決して切れないその赤い縄で男女の足首を結ぶと、
    その男女は、遠くに居ても、敵同士でも、必ず結ばれて夫婦になる、というのです。
    若者は『私の妻は誰でしょうか』と、老人に尋ねました。
    老人は若者の足首と繋がっている『運命の相手』を教えました。
    そしてその予言通り、14年後に若者はその女性と結婚しました。


「…この話から、将来夫婦となる男女の足首は、赤い縄で結ばれ、
   その運命は定められていると言われるようになりました。
   …めでたし、めでたし。」

一気に話し終えた兄は、一息つくと、
これもまた懐かしい口調で『じゃあ…質問はあるかい?』と尋ねた。

「「はいっ!!」」
僕と山口は、揃って挙手し、大きな声で発言の許可を求めた。

こういう時は、大抵僕が代表して質問し、山口が所々補足する。


「とりあえずの確認だけど…話、かなり端折ったよね?
   『よいこの童話集』じゃあるまいに…細部が不明すぎる。」

その上で、僕は主だった疑問点を列挙した。
「まずは、①その老人は、一体誰なのか。
   そして、②なぜ若者は、運命の相手を聞いたのか。
   さらに、③運命の女性は、どんな人だったのか。
   最後は、④なぜ14年後、その『女性』だと判ったのか。
   …以上について、詳細な説明を求めたいね。」

僕らの質問に、兄は再度『了解!』と言った。


「この話は、小説の『類書』…一種の図書目録(百科事典)である、
   『太平広記』の中の奇談『定婚店』っていう話なんだ。
   あ、もともとの出典は『続幽怪録』って小説だけどね。
   この老人は、人々の婚姻を司る冥界の神…『月下老人』だった。」
「あ…もしかして、仲人さんのことを『月下老』って言うのは…この話が元になってるんだね!」

その通りだよ、と兄は山口に『いい子いい子』をし、①はこれでOKかな?と確認した。


「では、なぜ若者…韋固は『運命の相手』を聞いたのか。
   答えは切実…何度やっても、縁談が纏まらなかったから。」
「度重なる婚活失敗で…かなり切羽詰まってたんだね。
   だから、『神様に聞いちゃう』なんて裏技使ったんだ。」

もし未来を知ることができたら…
『知りたいけど、知りたくない未来』の筆頭である結婚相手を、
躊躇いもなく聞いた理由は…現実的かつシビアなものだった。


「さて、その『運命の相手』は、どんな女性だったのか!?
   それは、市場で野菜を売っている老婆…」
「えっ!?お婆さんだったの!!?」
「…が背負っていた、見るからに醜い女の子。当時3歳。」
「それは…どっちにしても、とんでもない相手だね。」

若者が何歳かは分からないが、老婆でも幼女でも…怒るだろう。

「それを聞いて当然のように激怒した韋固は、老人に聞いた…
   『あのガキ…殺しちゃってもいいッスか?』…と。」
「だっ…ダメダメ!!神様、止めなきゃ…!!」

よいこの童話としては、不適切極まりない展開だ。
事実、高校一年生男児が、涙目になっている。

「勿論、月下老は止めたよ。『あの子は富貴の運があるから、幸せになれるぞ…』って。
   …そして、老人はフっと消え、いなくなった。」
「えぇぇぇ~、結局『金』なの!?そして消えちゃうの?」

「老人がいなくなった後、韋固は召使に刀を渡し、
   『あのガキを殺ったら、銭一万やろう。』と言いました。
   市場の人ごみに紛れ、召使は幼女を一突…
   『心臓をやろうと思ったけど、外れて眉間刺しちゃいました。』…と、
   雇い主である韋固に報告しました。」
「ひ、酷いよ…あんまりだ…」

嗚咽する山口の鼻を、僕はティッシュで拭いてやった。
童話や昔話は、残酷なものが多いけれど…これは結構な酷さだ。


「韋固の縁談はその後も纏まらず、14年が過ぎていました。
   転職を経て、『罪人の尋問』という役職に就いていた韋固は、
   上司に気に入られ…その娘と結婚することになりました。」
「あえて言うよ…お前がその仕事やるの!?しかも役人…!」

「上司…州の長官(金持ち)の娘は、美人で可愛い!
   しかもピチピチの17歳・幼妻…オッサン韋固、大満足!!」
「僕もあえて言おう…親父さんも、月下老も、鬼だね。」

僕も心なしか、怒りがこみ上げてきた。
某ゲームの少年『イコ』は、運命の少女と手を繋ぎ続けた。
『この人の手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから』
…同じ『いこ』でも、この差は一体どういうことだろうか。


「可愛い可愛い妻は、いつも眉間に小さな造花を付けていました。
   韋固がそのことを問い詰めると、妻は泣きながら白状します…
   実は(中略)…3歳の時、市場で無法者に刺されたんです、と。」

眉間の傷により、14年前の少女と判明…疑問④も、これで解った。

「『おぉ、なんと不思議なことよ。お前を刺したのは、私が遣わした者なんだよ。』と、
   韋固は妻に、ことのいきさつを全て話しました。
   この時より、夫婦はますます互いを敬い、愛するようになりました。
   …めでたし、めでたし。」

「…え、終わり、なの?」
「終わり、なの。この話から生まれた『赤縄を結ぶ』って言葉が、
   『夫婦の縁を結ぶ』という意味になりましたとさ。」

別に僕は、『運命の赤い糸』に相応しい、ロマンチックな話をしてほしかったわけじゃない。
でも、これはさすがに…納得できない。

「妻は自分の足から繋がった赤い縄を手繰り寄せ、ようやく犯人を探しだしましたとさ…とか、
   ならば予言通り『冥界で』夫婦となりましょう…と、
   赤い縄に重い石を縛り、韋固と共に海へ飛び込みましたとさ。
   …とか言う方が、破滅的でもまだ納得できるんだけど。」
「しかも、ブサイクだからって刺したんだよね?なんで『美人』に成長しちゃってんの…ズルいよ!」

僕と山口の怒気に、兄は「そうだよなぁ…」と苦笑いした。

「俺だって、これが『運命の赤い糸』の由来って言われても…なぁ。
   韋固が幸せになっちゃってんのも、男として許せないし。」

だから、今度はこっち…
兄は枕元に重ねてあった、記紀神話…『古事記』を手に取った。

「もう一つの『赤い糸』…『三輪山伝説』を見てみようよ。」





***************





明光君がしてくれる『昔話』は、どれもこれも面白い。
ツッキーや俺が出す質問にも、一生懸命答えてくれる。

昔はただ、「明光君スゲェ!」の一言だったが、
今は俺もツッキーと一緒に調べたり、考えたりするようになり、
明光君がどんなに苦労していたかが、少し解った。

だから俺も、漫然と聞き流すのではなく、自分の頭でしっかり考えながら、
本当の意味で『楽しむ』ことを…一生懸命がんばろうと思っている。


それでは、次のお話…はじめます。
『むかしむかし…』
明光君の声に、わくわく感が止まらない。


    活玉依媛(イクタマヨリヒメ)という美しい娘が、未婚のまま妊娠してしました。
    両親が娘を問い詰めると、見知らぬ男が、
    毎晩部屋に通っていたことを打ち明けました。
    両親は一計を案じ、寝床の周りに赤土を撒きました。
    そして、その男が来たら、衣服の裾に、糸を通した針を刺すようにと言いました。
    翌朝、娘の部屋から出ている赤い糸を手繰ってみると、
    三輪山の神の社に続いていました。
    男は、三輪山の神…大物主(オオモノヌシ)だったのです。


「大物主を主祭神としているのが、大神(おおみわ)神社。
   日本最古の神社の一つで、御神体は『三輪山』そのもの。
   だから、御神体を収める本殿がないんだよ。」

それでは、質問タイム…どうぞ。
その声に、俺はおずおずと手を挙げた。

ツッキーは、何やら考え込んでいる。
俺は、話を概観するための質問をすることにした。


「大物主って、大国主命(オオクニヌシノミコト)に協力して、
   出雲の国を造った神様…だったよね?
   その大国主命と『同じ神様』っていう説も聞いたことあるけど。」
「荒魂(あらみたま)と和魂(にぎみたま)のことだね。
   神の霊魂には、二つの側面があって、荒ぶる魂…神の祟りが荒魂、
   優しく平和…神の加護を表すのが、和魂だよ。
   大神神社の由緒には、大国主命が自分の和魂として、
   大物主を祀った…って書いてあるみたいだよ。」

記紀神話に登場する神々は、書物により名前が違うものもあり、
また、別の神同士が習合…同一視されることがある。

「僕もそれに関連して…活玉依媛の方だけど。
   『タマヨリヒメ』っていう名前の女性も、他でよく聞くよね。」
「蛍の言うように、『玉依姫』は日本各地の神社に祀られてるね。
   こちらは『コノハナサクヤヒメ』みたいな特定の人物じゃなく、
   『玉依=霊憑(たまより)』即ち、『神霊が依り憑く』女性…」
「つまり、『神様と結ばれて子どもを造る』…
   『巫女さん』を表す象徴的な名前ってこと…かな?」

一番有名な『玉依姫』は、山幸・海幸神話に出てくる女性で、
姉の豊玉姫(トヨタマヒメ)とともに、海神の娘として登場する。
豊玉姫が生み、玉依姫が育てたのが、カムヤマトイワレビコ…初代天皇の、神武天皇だ。

「大物主と活玉依媛の子が櫛御方神(クシミカタノカミ)、
   その孫が建御雷神(タケミカヅチノカミ)だよ。
   建御雷神は、鹿島神宮や春日大社の主祭神…結構な大物だね。」

建御雷神は、地震を引き起こす大鯰を、『要石』で抑えている絵の…あの神様でもある。


「僕の記憶によれば…『葵祭』で有名な賀茂神社の、
   下鴨神社の主祭神が、玉依姫命だったと思うんだけど。」

葵祭は、平安貴族の衣装を纏った人々や、牛車等が練り歩く、京都三大祭の一つである。
源氏物語の中で、葵の上と六条御息所が場所取り争いしたのも、この『葵祭』である。

「賀茂神社…上賀茂神社と下鴨神社のうち、上賀茂神社の主祭神が、
   玉依姫の息子・賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)だよ。」
「鹿島神宮の建御雷神と同じ、『雷』の…恵みの雨の神様だね。」


それじゃぁ、まとめに入ろうか。
各地に伝わる『玉依姫』の伝説に、共通する言葉は…?

明光君の問いに、俺は小さな声で答えた。
「『子孫繁栄』…とか?」

もっと大きな声で、自信持って言いなよ。
ツッキーは呆れながらも、「僕も同じ意見だ」と言ってくれた。

「三輪山伝説等に見られる、神と人間の結婚…
   『神婚説話』の物語の結末は、『これが、○○氏の祖となりました』…なんだよ。」
「鹿島神宮は中臣氏、春日大社は藤原氏、賀茂神社は賀茂氏…
   天皇家だって、みんな神様と玉依姫の子孫なんだね。」
「要は、『ウチは神様の子孫だぞ!』って箔を付けるための話であり、
   その定番中の定番が…『運命の赤い糸』ってコトだね。」

『赤い糸』は、神が定めた…『神』と『人間』の婚姻の証。
その糸で結ばれることで、子孫繁栄が約束されるのだ。
こういう由来であるのならば…

「『運命の赤い糸』の話…納得、だね。」


納得してもらえて、よかったよ~。
明光君はホッとした表情で、記紀神話の本を閉じた。

「余談だけどさ、下鴨神社には玉依姫の父である、
   賀茂建角身命(カモタケツヌミノミコト)も一緒に祀られてるんだけど、
   この人が、神武東征…神武天皇即位の時に、天皇を導いた…
   『八咫烏(ヤタガラス)』なんだよ。」

「カ…カラスに繋がったっ!!」
「っ!!!」


これで、今日は…『めでたし、めでたし。』かな。

明光君は優しく微笑むと、興奮冷めやらぬ雛烏達をなだめ、
「今日はもうお休み」と、静かに電気を消した。





***************





ふと目が覚めたのは、まだ夜も明けやらない時間だった。

カーテンの隙間から差し込むのは、仄かな朝の光だったが、妙にスッキリと覚醒していた。


昨夜は…大変だった。
いや、昔から、蛍たちに『昔話』を聞かせるのは、俺にとっては物凄く大変なイベントだった。

シンデレラを読めば、「衛兵の、招待者管理ミスでは?」と詰り、
白雪姫を読めば、「姫の死因と、毒物の種類は?」と問う。
桃太郎では、「何故鬼は退治されなければならなかったのか?」…

とても『その場しのぎ』や『子供騙し』が通用しない質問に、
俺は右往左往、四苦八苦しながら、それらの答えを探しまくった。
『期待には全力で応える』…長男の、悲しい性である。

だが、あんなにキラキラした瞳で楽しんでくれると…『お兄ちゃん冥利』に尽きるじゃないか。

本人は隠していたつもりだろうが、好奇心に輝く蛍の澄んだ瞳を見たのも、久し振りだった。
それだけでもう、ここ数日の膨大な事前調査…努力が全て報われた気がした。



こちらに背を向けて寝る忠を起こさないように、そっと上体を引き起こし、布団に座った。

まだ薄暗い室内で、あまりよく見えなかったが、
蛍と忠は、あの頃のまま…猫が寄り添うように、ピッタリと引っ付いて寝ていた。

    (お前ら、全然変わんないな…)

慣れ親しんだお互いの体温に、心から安心しきっているのだろう。
初めて来たこの部屋でも、二人は穏やかな寝息を立てている。

    (ホント、寝てれば可愛いんだよな…)

自然と、頬が緩む。


しばらく二人を眺めていると、布団の隙間から入った冷たい空気に、
忠がぶるりと身震いし…小さなくしゃみをした。

その音に無意識に反応した蛍は、布団から腕を出し、
大事な宝物を扱うかのように、忠をギュっと抱き込んだ。
抱き込まれた忠は、甘えるかのように蛍の胸に額を擦り寄せ、嬉しそうに微笑んだ。

    (か…可愛いなぁ~もぅ!)

昔から仲良しだったが、今も相変わらず、本当に…

…ここまで仲良しだったっけ?


頭を過った、ごく小さな疑問。

少しずつ明るくなってきたおかげで、さっきよりも室内が…表情が良く見える。


隙間なく寄り添う二人。
その顔は、『安心』と言うよりは…

    (すごい…『幸せ』そう…だな。)


蛍が可愛くないのは、体のサイズ以上にデカい態度と、
変電所クラスの高圧的な物言いだからだと思っていた。
勿論、それも間違ってはいない。

だが、蛍が可愛くないのは、『若者らしくない』冷静さ…
『年齢不相応』に落ち着いているからだろう。
この『落ち着きぶり』は、可愛い忠にも…当てはまる。

この年頃にあるべく『ギラギラ』したものがないのは、
『覇気がない』だとか『色気がない』から…ではなく、
単純にギラギラする『必要がない』のではないか。

これはそう…会社の先輩達の雰囲気に、近い気がする。
既に結婚したり、子どもがいたりする先輩達は、
『モテたい』だとか『恋人欲しい』といった欲望から解放され、
その分、穏やかさと安定感…ある種の『余裕』を持っている。

『自分には、忠(ツッキー)がいる』…という、
絶対的な安心感があるから、この落ち着きっぷりではないのか。

    (羨ましいような、先が思いやられるような…)


蛍と忠が、各々どんな相手と『赤い糸』で結ばれているのかは、
月下老でも占い師でもない俺には、到底分からない。

でも、暫くはお互いにお互いから『卒業』できそうにないことだけは、俺にもはっきりと解った。

    (二人がこんなに幸せなら…それでもいいかもね。)





部屋に射し込む朝日で、僕は目が覚めた。
半分開いたカーテンから覗く太陽の位置を見ると、
朝食というよりは、既にブランチに近い時間だろう。
昨日一日の疲れと夜更かしのせいか、かなり熟睡し、寝過ごしてしまったようだ。

真横を見ると、山口は僕にしがみついたまま、未だに起きる気配がない。
その向こうに…兄の姿はなかった。

そう言えば、今日は昼前から仕事だと言っていた。
もう先に出て行ったのかもしれない。


とりあえず喉を潤そう。
布団から起き上がり、流し台へと一歩踏み出すと、
何かに足を取られ、危うく転倒しそうになった。

僕が驚くより先に、山口が驚きの声を上げて飛び起きた。


「うわっ!な、何っ!?」

飛び起きた山口に引っ張られるかのように、
僕は足元を掬われ、結局布団の上に倒れ込んでしまった。

「…っ!!?」


訳もわからず、お互いに目を瞬かせる。
そして同時に、その『訳』がわかった。


「これ…どういうこと?」
「こんなことしそうなのは…」


僕の足首には、『赤い糸』ならぬ、赤い縄跳が結わえてあった。
その先には…山口の足首。
これのせいで、僕らは引き合っていたのだ。


繋がれた赤い糸と、互いの顔を見合わせる。

「ただの『いたずら』…だよね?」
「多分…ね。」


『いたずら』を働いたのは、運命か、神か、はたまた『月』と名のつく者なのか…

その答えは、出さないでおくことにした。



- 完 -



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※『音と色の関係』について →『黄色反則
※『木星』について →『歳月不待
 

※ラブコメ20題『08.運命を感じちゃってください』

2016/03/13(P)  :  2016/09/10 加筆修正

 

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