福利厚生④







24日金曜の晩、月島と山口は一足先に福井入り。
25日土曜(昨日)と、今日の2日間、福井恐竜博物館を満喫した。
一方の黒尾と赤葦は、昨日黒尾の卒業式に出席し、
今朝福井へ…午後の数時間で、きっちり『出張』業務を終えた。

只今、26日(日曜)の、午後7時。勝山市内のホテルのラウンジで、
4人は3日ぶりに再会し、楽しく福井での『酒屋談義』を開始…
するはずだった。

「お前ら一体、どうしたんだよ?」
「もしかして、喧嘩しましたか?」


幼い頃からの夢だった、福井恐竜博物館へ。
出発前から飛んで行きそうな程の上機嫌…超ハイテンションの月島と、
そんな月島と旅行~♪と、こちらも浮かれ回っていた山口だったのに。

4人で久々の『酒屋談義』は、考察そっちのけで月島の恐竜語りもしくは、
二人の惚気三昧だと、黒尾達は覚悟の上で福井入りしていた。
だが、再会した二人は、真冬の日本海のようなどんよりした空気を纏い、
お互いに目を合わせようとしない…当然、口もほとんどきかないのだ。

「喧嘩は…してませんけど。」
「喧嘩なんか…したことないですし。」

これのどこが、喧嘩じゃないのだろうか。
いや、今まで喧嘩したことないというのも、どうかと思うが。
とにかく、はっきり『喧嘩した!』というわけではないけれども、
お互いに何かしらの『モヤモヤ』したわだかまりを抱え、
豪雨寸前の曇天…ここから程近い白山辺りで、雷鳴が轟いているような状態だ。

困惑した黒尾と赤葦は顔を見合わせ、とりあえず場を和ませようと、
冗談交じりにカマをかけてみた。

「ツッキーに、肉食恐竜のような激しいプレイを強要された…とか?」
「その逆で、草食恐竜風の焦らしプレイに…我慢の限界でしょうか?」

「どちらも半分正解で、半分不正解ですね。」
「『強要』じゃないし、その程度じゃ『限界』は来ないです。」

惚気なんだか愚痴なんだか、判断不能(おそらくどちらも正解)な解答に、
赤葦はスっと温度を下げ、「付き合ってられませんね。」と切り捨て、
俺達はさっさとご飯食べて寝ましょう!と、黒尾の腕を引いた。

だが黒尾は、手を顎に当てて暫く思案…
そして、真面目な表情で「よし!」と頷くと、御食事処へ視線を向けた。

「今日は『酒屋談義』じゃなくて…『調停』をするぞ。」


「黒尾さん、『調停』って…一体どういうことですか?」

ホテルの御食事処は、完全個室風になっており、
4人は掘り炬燵に足を突っ込むと、乾杯もそこそこに赤葦が尋ねた。

『調停』の意味がわからないわけではない。
自分達は、仕事で何度もそれを経験しており、むしろ『お馴染み』だが…

「あの、俺達そこまで『どん詰まり』なわけじゃ…」
「僕は山口と…離婚したいわけじゃないんですが。」

協議離婚…当事者の話し合いによる離婚が上手くいかなかった場合に、
家庭裁判所に離婚調停を申し立て、調停委員同席の下で協議を進めていく。
これが決裂した場合には、離婚裁判となるのだが、
行政書士は裁判の代理人とはなれないため、そこは自分達の『門外』であり、
裁判に到る前の調停で、何とか解決を図るのが、行政書士の仕事となる。

まさか黒尾は、新婚旅行(の予行演習)の場で、離婚調停をするというのか…?
さすがにそこまでの『予行演習』は、行き過ぎのような気がする。
赤葦が黒尾に『待った』を掛ける前に、黒尾はその真意を説明した。

「家裁に申し立てる夫婦関係の調停には、『離婚』以外にもあるんだ。」
それが、夫婦『円満』調停…仲直りを前提にした調停である。

当事者双方から、夫婦関係が上手くいかなくなった原因を聞き取り、
お互いにどのような努力をすれば、夫婦仲が改善していくのか、
その解決策を提示したり、必要な助言をしてくれる場である。
これは、離婚するかどうか迷っている場合にも利用できるシステムで、
たった1200円の収入印紙を納めれば、申立てることができる。

「離婚させるだけが、仕事じゃなかったんですね。」
「当たり前だ。問題解決には『元さや』って結論が相応しいこともある。」

当事者だけだと、感情的になってしまい、話し合いは平行線のまま…
どんどん意固地になり、適切な判断を下せなくなってしまう。
そんな時には、親しい友人や専門家等の『冷静な第三者』に間に入ってもらい、
解決の道を探る…誰もがやっている『仲直りのプロセス』である。
それを、家裁のシステムを利用して行うだけの話だ。


先付…前菜として出された『菜の花の辛子和え』に、赤葦は一人で大感激。
自分のを赤葦の口に「ほらよ。」と入れてやりながら、黒尾は話を進めた。

「成田離婚…新婚旅行で夫婦仲に亀裂が入り易い理由…わかるか?」
結婚後、初めて『二人きり』での旅行…しかも、海外だ。
非日常の場で、戸惑うことも失敗することも多いだろう。
ただでさえ、浮かれている状態…その確率も、『日常』よりは高くなる。

「ポイントは…『二人きり』ですか。」
「問題が起こった時に、間に入ってくれる『第三者』が…居ない。」
月島と山口の答えに、黒尾は「その通り。」と頷いた。
お吸い物いに入っていた蛤を、赤葦から一つ「あ~ん。」と分けてもらい、
更にはおしぼりで口元まで拭いて貰い、説明を続けた。

結婚後の大事なイベント…新婚旅行。
幸せの絶頂のはずなのに、『非日常のアクシデント』から、気が立っている。
ちょっとしたことにイラっとしたり、幻滅してしまったり。

「ここでお互いに、ちょっと言い合うぐらいなら、イチャイチャの一種だ。」
アクシデントがあまりに大きければ、破滅的な言い争い…極端な場合は離婚だ。
問題は、お互いに何も言い出せないまま、内に抱えてしまうケースである。

大事なイベントだからこそ、嫌なことがあっても我慢してしまう…
『話し合いでの解決』ではなく、『自分が耐える』ことを選んでしまいがちだ。
だが、今後の長い結婚生活でも、この『我慢グセ』が身についてしまうと、
小さなイライラが鬱積し続けてしまい…数年後に『ドカン!』ときたりする。

「雰囲気を大事にして、我慢したら…将来的にツケがくるかも?」
「面倒な話し合いを回避すると、より面倒な事態に陥る…?」

手間のかかっていそうな、ホタルイカの酒盗焼きに舌鼓を打ちながら、
黒尾と赤葦は互いにお酌し合い…盛大に「美味い♪」を連呼する。


さっきから、何なんだこのデレデレっぷりは…
ド真面目に円満調停の話をしながら、円満っぷりを見せつけられ、
月島と山口は、怒りの矛先が調停委員達に向きそうだった。

「つまるところ、黒尾さん達は何が言いたいんですか!?」
若干キレ気味に月島が尋ねると、黒尾はごく真剣に答えた。

「だから、俺と赤葦で『円満調停ごっこ』をしてやるってことだ。」
「俺達が二人の話を聞いてあげますから、愚痴ってごらんなさい。」




***************





円満調停は通常、夫婦それぞれから個別に、30分程度の聞き取り調査を行う。
要するに、別々にお互いの言い分…愚痴を聞いてくれるのだ。

本当は、調停委員二人が待つ部屋に、一人ずつ呼んで聞くのだが、
今回のケースは、お互いの言い分をお互いが聞いた方が良いだろう。
経験豊富な黒尾先生の見立てでは、これは『酒の肴』程度の話…
専門用語で『犬も喰わねぇ』系に分類される、しょーもない話だ。

「今の段階なら、お前らのはまだ『イチャイチャの一種』だろ。」
「『痴話喧嘩』未満のうちに、スッキリ出しちゃって下さいね。」
楽しい旅先…業務外で、『専門家』に無料で相談できるんですからね?
この貴重な機会と黒尾さんの厚意を無駄にしないよう…素直に白状なさい。

桜ますの酒粕煮…最高に美味しいですけど、酔っちゃいそうですね~
赤葦は黒尾にだけ甘ったるい表情で微笑むと、月島達には冷やかな視線…

「では山口君。恐竜博物館で月島君は、何やらかしたんです?」

話すことを許可された山口は、一瞬だけ遠慮しかけたが、
ごくごくとビールを煽ると、「聞いて下さいよ~!」と、ぶちまけた。


「恐竜博物館は、本当に素晴らしい場所で…俺も大満足でした。」

俺でさえ興奮しちゃうぐらいで、明日4人でもう一回行けるのが楽しみです。
ツッキーの喜びっぷりと言ったら、もう筆舌尽くし難いレベルで…
感激のあまり、入ってすぐに声を失って泣いちゃったんですよ!

「それはまた…山口はそんなツッキーにドン引き、と。」
「そんなわけないですよ。むしろ俺は、悶絶キュン死しそうでした!」

ツッキーが感涙に咽ぶいたのは、俺達を出迎えてくれたティラノサウルスの前。
本当に『生きている』ように咆哮し、こちらに襲い掛かってくるんですよ!
そこでは、生命の危機すら感じさせる程の、阿鼻叫喚が飛び交っていました。
遠足に来ていたおチビさん達も、ツッキーとは違う意味で大号泣です。

そんな中、たった一人だけ…魂が抜けたように恐竜を見つめ、
その場から一歩も動かない子が居たんです。
まさに科博シーラカンス前の蛍君(5才)の再来…恐竜博士候補です。

幼稚園の先生が引っ張って行こうとするも、断固拒否。
「ぼくはここにいる!」と駄々…そこに、ツッキーが割って入ったんです。
「僕が彼と一緒に、見て回りますから。」…先生も俺もビックリですよ。

いつの間にか、『同士!』って空気を感じ取っていたのか、
そのおチビさん…ひで君と固く手を繋ぎ、心も通わせてしまってました。
先生は大喜びでツッキーにひで君を任せ、他の園児さんの所へ。
そして、茫然とする俺を置いて、二人は館内へ…

「山口君を放置したとはいえ、月島君は子守…感心ですね。」
「確かに、それはそうなんです。優しいお兄さんなんですけど…」

俺も最初は、微笑ましいなぁ~と思いながら、
恐竜だけじゃなくて、熱心な二人の写真を撮ったりして楽しんでました。
でも、それにも『限度』ってもんがあると思うんですよ。
完全に二人だけの世界…6億5千万年前にタイムスリップして、
二人で延々語り合うやら、何も言わずに感涙し合うやら。
挙句の果てに、二人はいつの間にか…
『けいちゃん』『ひでちゃん』と呼び合う仲になってるんですよっ!

「俺、それだけは絶対に…嫌だったのに…」
俺がこっそり下書きしている、ツッキーとの婚姻契約公正証書…
その条項の一つに、『婚姻後の呼び名は○○/□□とする』って入れてるぐらい、
身内以外がツッキーを特別な名前で呼ぶこと…俺には耐えられないんです!

ちょっと面倒見てやったぐらいで、いきなり『俺専用』だった『ツッキー』を…
木兎さん『等』がアッサリ使ったことだって、俺は未だに納得してませんから。
何なら俺が先に『京治さん♪』って呼んじゃおうかって思うぐらい、
実はめちゃくちゃイラっとしてる…積年の恨みってやつです。

山口の暴露に、黒尾はグっと喉を詰まらせ、スンマセン…とビールを注いだ。
自分はツッキーをからかうつもりで呼び始めただけなのに、
山口をこんなにも傷付けていたとは…本当に申し訳なかった。

「山口君にとっては、月島君を特別な名前で呼ぶことが…赦せなかった、と。」
そう言えば乙女ゲーム開発会議の時も、『月島』攻略の『大正解の選択肢』を、
「『月島君』『ツッキー』以外の名前で…呼んでいい?」と、山口は示していた。
そのぐらい、『月島蛍の呼び方』について、山口は拘っているのだ。


山口は揚げ鮎の小鍋を、盛大に「ふーふー!」しながら、
なおもグチグチと溜まりに溜まったアレコレを吹き出した。

「俺は、何とか怒りを抑えて…ツッキーに話しかけました。」
ひでちゃん…本当に可愛いね。まさに『ミニツッキー』ってカンジ。
ツッキーがおチビさんだった頃、きっとひでちゃんみたいだったんだろうね~
っていうか、ツッキーにもし子どもが居たら、ひでちゃんみたいな子…かな?

「…さてここで問題です。ツッキーは俺の言葉に、何と返したでしょう?」

突然のクイズに、黒尾と赤葦は面喰った。
よもぎ麩の入った汁物を啜りながら、慎重に答えを選んだ。

「『こんな可愛い子なら、僕も…欲しいかな。』だったとしたら…」
「これが…『オメガバース』分岐の選択肢…かもしれませんよね。」

俺も、そういう『ステキな選択肢』っぽい解答を期待しました。
そういうのが返ってきたら、チャラにしよう…そう思ったのに。
あろうことかツッキーは、俺じゃなくて…ひでちゃんに対してこう言ったんです。

「ひでちゃんと一緒なら、楽しい人生間違いなし。僕の所へ…来ない?」
幸いなことに、養子縁組の手続とかが得意なおじさんが、もうすぐ来るから。
その人に頼んで、僕達が上手く縁組できるよう、口八丁手八丁してもらえば、
僕とひでちゃんは一生恐竜語りを続けられるけど…どうする?

「山口君を月島家の養子に…じゃなくて、そっちですか!」
「ちょっと待て!その『おじさん』って…誰のことだ!?」

山菜ご飯を口一杯に詰め込みながら、山口は目に涙を浮かべて愚痴り続ける。
そのあまりに不憫な姿に、赤葦は熱いお茶を山口にそっと差し出した。


「ツッキーが老若男女問わずにモテモテなのは、わかってるんですけど…」
高校時代だって、いつの間にか明光君とこの社会人チームの人だとか、
東京の強豪校の凄い人達とか、何か妙なのにも可愛がられちゃって、
『大分間に合ってます。』って自分で言っちゃうぐらい…全く腹立たしいです!

ま、そんな妙なのに好かれたおかげで、俺達の『今』があるんですが、
今回のおチビさんは、ちょっとあんまりでしょ。許容範囲外です。
俺より先に縁組なんて…ほとんどプロポーズにしか聞こえません!

怒り心頭な山口に、黒尾はデザートの抹茶ムースを献上。
自分は黙って赤葦と半分こ…匙で口に、一口ずつ運んで貰った。


「黙って聞いていれば…僕にだって、言い分はある。」

本当にずっと大人しく聞いていた月島は、おもむろに発言の許可を求めた。
聞き取りは双方から…赤葦は山口に「しー、です。」と黙るように指示を出し、
月島にも熱いお茶を差し出し、話を促した。

「山口目線から見た僕の姿…実に新鮮だったよ。」
『冷静な第三者』に間を取り持って貰うのって、大事ですね。
きっと僕と二人きりだったら、山口は絶対に内心を暴露できなかった…
この欝々をずっと溜め続け、いずれ『ドカン!』だったかもしれません。

僕が全く意識せずにしていた、数々の言動…冷静に俯瞰してみると、酷いね。
これじゃあ山口がブチ切れて当然だよ。本当に…申し訳なく思ってる。

「おや月島君…素直にごめんなさいが言えましたね。」
「偉いぞツッキー…ちょっとだけ、俺は見直したぞ。」

黒尾と赤葦の驚愕(フォロー)はガン無視…月島は「ごめん。」と山口に頭を下げ…
その頭を上げた途端、今度は猛然と『僕の言い分』を捲し立てた。

「僕がモテモテって言うけど、あんなのは『お笑い要員』じゃないか。」
欲求不満なオッサン達が、僕をからかって遊んでただけ…気にする必要ないよ。
木兎さんはともかく、自分が悶々片想い中なのを、羨ましさの反動でイジってた…
それどころか、僕達をダシにして自分も美味しい思いをしようと、
何か小難しいコト言いながら、『酒屋で考察』って、誤魔化してただけだから。

「おいツッキー…それ以上言ったら、殴るぞ。」
「黒尾さん落ち着いて…本当のことですから。」

黒尾のツッコミも、赤葦のフォロー(とどめ?)も、やはり無視。
月島は抹茶ムースを上唇に付けたまま、弾丸トークを続ける。

「僕のはただのネタ。でも山口の方は…マジでしょ。」

高校時代だって、いつの間にかどっかの商店主に弟子入り…
地味なオッサンなのに、地味にしっかりした人間関係を構築しちゃって、
その地味さの分…シャレにならないぐらいの『マジ』な空気だったよね!?

今日だって、『発掘調査体験』コーナーで、僕が発掘に熱中してた隙に、
いつの間にか講師のお兄さんと、隅で親し気に話しこんじゃってるし…
それどころか、控室に連れ込まれて、何か飲まされてたでしょ!?
いくら『メガネ』『白衣』『強引』が山口のツボでも、笑えないよ。

「なっ…や、山口は、そのお兄さんと、その…」
「なっナニを、飲まされ…えっ、マジですか…」


「ひっ、人聞き悪い言い方、止めてよっ!」
山口は黙っていられず、猛然と抗議…してくれないと非常にマズイため、
赤葦は慌てて山口の発言を許可した。

「ツッキーがあまりに待たせるから…」
発掘体験は一時間なのに、お兄さんの話も全然聞かず、延々掘り続けて…
俺が謝り倒して、その後二時間も好き放題ヤらせてもらったんだよ!?
寒い夕方、待ちぼうけの俺を見かねて、お兄さんは控室で…
俺にちょっと、お茶等を入れてくれただけだから。
そりゃあ、お兄さんは俺の好みにドンピシャだし、優しくて親切だったけど…

「やましい気持ちが100%なかったと、山口は言い切れるのっ!?」
「かっ科学の世界には、100%なんて…あああっあり得ない、でしょっ!?」

「ちょっ、何その…動揺はっ!?」
山口はそんなつもりなかったけど、何となくイイ雰囲気に…とか?
全く、山口は誰彼構わず信用して、ガード緩すぎなんだよ!
無自覚で相手をマジにさせるなんて、とんでもない『特技』だね。
まるでどこかの…ドEROい参謀だよ!

「俺を猥褻物みたいに言わないで!」
俺にはそんな『人妻エロス』なんか…備わってないでしょっ!?
あんな危険物クラスの淫猥オーラ、俺のどこ掘ったって、湧いてこないじゃん。
俺を『発掘』し尽くしたツッキーなら…アレが異常だってわかるよね!?

「二人とも…歯、食いしばって。」
「待て赤葦っ!それも…事実だ。」

握り締めた拳を、赤葦は何とか抑えた…ように見せかけ、
座卓の下で黒尾の脇腹にガツンと肘を入れた。


このままだと、こっちまで飛び火する。いや、既に甚大な被害が…痛ぇよ。
黒尾はパンパン!と手を叩いて、場に静寂を取り戻した。

「お前らの言い分はわかった。」
聞き取り調査はこれで終わり…こっからは解決策を考えよう。

「とは言え、やるべきことはもう…ないんだがな。」
お前らのは『犬も喰わねぇ』どころか、犬の食い残しすらメシのタネになる、
行政書士の食指も動かねぇ…惚気過多の愚痴だからな。
こんなんで円満調停申し立てたら、家裁にどやされちまう。

黒尾は笑いながらビールを飲み、グラスを空にしてから、静かに続けた。


「今回、俺は初めて…お前らがお互いの不満を口にしたのを聞いた。」
井の頭公園でも、いばら姫の旅館でも、自分の非を責めるばかりで、
相手への不満や愚痴を、一切言わなかっただろ?

それが今回、やっと自分の中から外へ出せた…これは凄い成長なんだよ。
お互いへの遠慮をやめ、対等な立場で関係構築し始めた証拠だからな。

「俺らに言いたい放題ぶちまけて…もうスッキリしたんだろ?」
「それは、確かに…」
「むしろ楽しかった、かな。」

こんなもん、専門家もいらねぇ…気の置けない友人に愚痴って終わりだ。

このレベルのイチャイチャを、溜め込まずに発散する訓練…新婚のうちに積むといい。
ちょっとイラついた時は、素直に拗ねるなりヤキモチ焼くなりするんだ。
そういうのも『可愛い♪』って思えるのも、新婚期間だけだからな。

ちなみに、息子も結婚したと言うのに、まだ『新婚』だと言い張る、某A夫妻…
その夫婦も、いい歳して拗ねたりヤキモチ焼いたりしながら、
『こうして欲しい』を堂々と言い合ってますからね。
だからこそ、自他共に認める万年新婚夫婦…なんでしょうけど。

「その某A夫妻直伝の解決方法は…『イライラはその日のうちに』です。」
入浴や就寝時等、お互いが何もかも晒し合える時間に、
改善して欲しい点は指摘…ではなく、『オネダリ』するんです。
素直に『イイよ♪』が言える時に、アレもコレも出してしまえ、だそうです。

「ツッキーは、山口を放置しまくったこと…ちゃんと謝った。」
「山口君は、もうちょっと警戒心を持つこと…わかりますね?」
黒尾と赤葦の言葉に、二人は素直に頷いて、お互いに「ゴメン」と言った。
そして、促されるまま、素直に『オネダリ』の練習をしてみた。

「ツッキー…俺を置いて行かないでほしいな?」
「山口も…僕以外にあんまりついて行かないでくれる?」

あーはいはい。ゴチソウサマでした。
これにて、一件落着…ホッと息をついた黒尾達にも、二人は頭を下げた。

「あの、今回は…ありがとうございました。」
「話、聞いてもらえて…凄く嬉しかったです!」
こんな旅先に来てまで、金にならない仕事をさせてしまって…すみません。

恐縮する月島達に、黒尾は照れ笑い…「これも『福利厚生』だ。」と言った。


福利厚生とは、人々の生活を健康で豊かなものにする…幸福と利益だ。
大切な従業員に対し、冷静な第三者として助言し、
理性でもって問題解決…ココロのケアに尽力したのは、紛れもなく福利厚生だ。

「ふくりこうせい…アナグラムで『りせいこうふく』だ。」
理性でもって幸福をもたらす…これも雇い主の大事な仕事だからな。

「お前らが仲直りできて、雇い主としても、友人としても…一安心だ。」
黒尾は穏やかな表情で微笑むと、一転して真剣な顔を見せた。


実は、俺が円満調停をやった理由は、それだけじゃない…
旅先が『この場所』ってのも、重要な位置を占めてるんだ。

「ここ勝山は…白山から近いんだ。」

黒尾の話題転換に、三人はゴクリと喉を鳴らし…期待の眼差しで注目した。





***************





白山は、福井・石川・岐阜にまたがる秀麗な峰で、
古くからこの地域では、この山そのものを御神体とする白山信仰が盛んだ。
元々原始的な山岳信仰だったが、奈良時代からは修験道の霊山となり、
禅定道(修業登山ルート)の一つが、勝山の平泉寺白山神社を起点としている。

「白山修験道開創の由来は、白山明神・妙理大菩薩が顕現したこと…」
「あっ!それ…九頭龍王のことですよね!」

月島が声を上げ、黒尾と赤葦に九頭龍伝説をざっと説明した。
地理的には近いとは言え、九頭龍と白山…話が繋がった。


「白山を仰ぎ見る遥拝所として創建されたのが、白山比咩(ひめ)神社だ。」
ここの主祭神は白山比咩大神…菊理媛神(くくりひめ)と同一神とされている。
この二神が同一神とされる理由も、菊理媛神が一体どういう神かという点も、
未だにはっきりしていないそうだ。

また菊理媛神は、白山信仰という大きな山岳信仰の中心に居るにも関わらず、
記紀には全く登場しない女神でもある。
登場するのは、日本書紀の『一書(あるふみ)』…異伝に、たった8文字のみ。

「『菊理媛神亦有白事』…この時、菊理媛神は何か仰いました。」
「え…それだけ、ですか?」
「それ、一体どういうシーンなんです?」

黒尾は「皆もよ~く知ってる話だよ。」と前置きし、
月島達オススメの日本酒『九頭龍』を傾けながら、話を続けた。
「火の神・カグツチを産んだことで、黄泉の国へ逝ったイザナミ…」

彼女を追いかけて行ったイザナギは、『見るな』と言われたのに振り返り、
醜い姿となったイザナミを見て…逃げてしまった。
追いついたイザナミは、泉平坂(よもつひらざか)でイザナギと言い争う。
そこに泉守道者(よもつちもりびと)が現れ、イザナミは黄泉の国に留まりますと、
彼女の言葉をイザナギに取り次ぐのだが、
次に現れたに菊理媛神がイザナギに対し、『何かを言った』ところ、
イザナギは菊理媛神を大変褒めて、素直に従って帰った…という話だ。

「このことから、菊理媛神はイザナギ・イザナミ夫婦を『仲直り』させた神…」
「縁結びと、和合の神…ということですね。」
「まさに、国と神を産んだ夫婦の…『調停委員』だった!」

俺が白山の近くで円満調停をやった理由は…これでわかっただろ?
『夫婦仲良く』に、これほど相応しい場所は、なかなかないからな。
「『くくりひめ』は『括り』…仲を取り持つって意味だ。」

黒尾の話に、一同は感嘆…だが、これで終わる『酒屋談義』ではない。
すぐに今の話から、別の話へと繋がりを見出してきた。


「日本を代表する信仰の中核でありながら、主祭神の正体がはっきりしない…
   月島君と夏に話した『あの場所』と…ソックリですよね。」
「熊野…あそこの主祭神も、誰だかよくわかってない…あっ!?」
月島はポケットから慌ててメモ帳を取り出し、愕然…そのページを開いて見せた。

「熊野本宮大社の主祭神・家都美御子大神の正体の一説が、菊理媛神です!」
「『くくりひめ』は『潜り』…水の神って説もあったぞ。」
「日本の四方を守る『四大明神』にも、熊野と九頭竜がいました!」

生者イザナギと、死者イザナミを取り持った…『死者の言葉を伝えた』ことから、
菊理媛神は『聞く』…イタコの先祖ともされている。
イタコとは『巫女』、すなわち『神に捧げられる女性』のことだ。
更に、イザナギを黄泉から返した…『ケガレ』を祓った女神とも言われている。

「水の神・龍神。記紀に登場しない…『ケガレ』を祓う巫女神。」
「瀬織津姫に、ソックリですよね。」

菊理媛神の正体は『不明』とされているが、熊野と同じように、
彼女がどういった性格の神なのかは、これで見えてきた気がする。
そして、白山比咩大神が菊理媛神と同一神とされる理由も…だ。

「こうしてみると、日本中のあちこちに、『元々いた神』の痕跡がありますね。」
「特に『根幹』と言うべき部分…今回の『四大明神』なんかに、強く残ってる。」

旅先の『名所』は、古くから人々の信仰を集めてきた場所でもある。
こういう場所にこそ、日本の歴史の『本当の姿』が眠っているのかもしれない。


刺身の皿に乗っていた、食用菊を指で摘みながら、黒尾は静かに語り掛けた。

「俺、昔から思ってたんだが…どうして墓前や仏前に『菊』なんだろうって。」
防腐作用があるから。長持ちするから等、様々な説があるが、
どれもこれも、いまいちピンとこなかった。
だが、この菊が『菊理媛神』を表している可能性は、ないのだろうか。

「生者と死者を取り次ぐ花…俺には、相応しい気がするな。」




***************





イザナギ・イザナミ夫婦だって、あの世まで逝って大喧嘩した。
でも、菊理媛神の円満調停によって仲直り…その後で、天照大神や素戔嗚尊等、
たくさんの神々を産み、日本という国を形作った。

「あの夫婦の痴話喧嘩に比べたら、僕達のはただの…イチャイチャですね。」
「身近なプロ…当事務所の『菊理媛神』にも、助けてもらいましたしね!」
「これでもう、月島君達は大丈夫…アレもコレも払えましたね。」

すっかり元通りに落ち着いた月島達に、黒尾は穏やかな微笑みを見せると、
俺は便所と会計してくる…と、個室を出て行った。


「今回は…黒尾さんの独演会だったね。」
「文字通りに『福利厚生』してもらっちゃったよ。」

月島達は、冗談半分で「福利厚生って『福井行こうぜ!』に聞こえるね。」と、
この福井旅行を『ダジャレ』だとちょっと思っていたのだが…もっと深かった。
出張が決まったのは偶然だが、黒尾の策の深さに、三人は感服した。

「あの人の凄さ…俺達が思っている以上、かもしれません。」
赤葦はそう呟くと、何かの証書を映した写真を二人に見せた。

「黒尾さん…成績優秀者として、表彰されてたんですよ。」

「…は?」
「なっ、えっ、はぁっ!?」

司法試験狙いでもないし、公務員試験程の難関を目指したわけじゃないから、
純粋に『大学の授業』に掛けられる時間が、他の奴より多かっただけ。
俺は運が単に良かった…運だけは良いんだよな~と、笑ってましたが…

「黒尾さんの大学、そんな甘くないですよっ!」
俺は同じ法学部だからわかりますが…あそこは『別格』です。
純粋に『大学の授業』だけでも、日本屈指…いや、最高峰です。
そこで成績優秀者だなんて、とんでもない話ですから!

「それに、国家資格と学業の両立って、言う程簡単じゃないですよ。」
司法試験と違って、行政書士は『きちんと勉強』すれば取れるかもしれません。
でも、この『きちんと』が実は一番難しい…なかなか続けられません。
まだ資格試験の方は、モチベーションも保てますが、
どうしても『ノルマ』と思いがちな学校の授業を『きちんと』なんて…
『地味にコツコツ』やり通すのが、一体どれだけ大変で苦痛なことか。


高校時代から、特に秀でた能力があるわけではないのに、
地味にブロッカー、地味に雑務をこなす主将業務を、きっちりこなしていた。
あの頃は、ただ単に『世話焼き』『貧乏くじ』だと半分茶化していたが、
『地味にコツコツ』が持つ本当の力を、三人はようやく思い知らされた。

「これが、俺達が知らなかった、黒尾さんの本当の姿…」
「僕達は、とんでもない人の部下だったんですね。」
「主役として目立つことはなくても、絶対に必要な存在です。」
そう、まるで菊理媛神や…瀬織津姫のように。


あの人の…黒尾さんのために、自分の力を尽くしたい。
口には出さなかったが、三人は心の中で強くそう誓った。




- 続 -






**************************************************

※婚姻契約公正証書 →『泡沫王子
※井の頭公園 →『他言無用
※いばら姫の旅館 →『昏睡王子
※熊野について →『三角之火
※瀬織津姫について →『雲霞之交』など


2017/03/31

 

NOVELS