流行之話







「もう、ダメ、だ…っ」
「さすがに、ムリ…っ」


吸血鬼の黒猫&空飛ぶ魔女が経営する、特殊宅配業者『黒猫魔女』営業所。
例年通り、年度末と引越が重なるこの時期は、タフな人外と言えども疲労困憊の極致…
だが今年は、例年とは全く違う『特段の事情』により、精気も正気も喪う程の惨状だった。

「ちょっと、気持ち悪ぃ…」
「俺、ノドが痛くて…寒気がするよ~」

「まさか、お二人共…流行りの新型コロナとかじゃないですよね?」
「外から帰ったら、手洗いうがいと…全身着替えて来て下ざいよ。」

仕事を終えて営業所に帰還した、黒尾(吸血鬼)と山口(魔女)を、おこたから出ず迎えたのは、
同じビルでバー『レッドムーン』を経営している、赤葦(女王)と月島(下僕)の二人。
こちらは歓送迎会が全て吹っ飛び、臨時休業を余儀なくされ…アレやコレを持て余していた。

「観光客激減…こんなに閑散とした新宿&歌舞伎町なんて、考えられませんよ。
   常連さん達も自粛&テレワークだとかで、遊びにいらしてくれませんし…大損害です。」
「僕だって、年度末修羅場を見越して、早々に確定申告の提出を終えたというのに、
   この騒ぎで申告期限延長…年明けから頑張った徹夜分も加算し、還付して欲しいでずよ。」


今のところ休職補償が出るのは、大手企業に勤める人と、お子さんがいらっしゃる方々のみ。
しかも、出ると言っても、個人に直接出るわけではなく、働く人が属する企業に対してだし、
そもそもこの補償も、ただの見込み…拘束力のある法律や命令、通達が出たわけじゃない。
(令和2年3月8日現在)

法的根拠のない要請に従い自粛しても、保険金支払の対象にならない可能性が高いだろうし、
『弱きを助ける』『手厚い保護』なんていう各種補助からは、個人事業主は大抵除外される…
『子どもがいない』『勤め人じゃない』人は、社会保障の枠から無視され続けているのだ。

「たとえ補償(保障)制度が法制化されても、黙ってて助けて貰えるわけじゃありませんし。」
「何かを得るためには、煩雑な書類提出等、膨大な時間や手間がかかる…確定申告も然り。」
「還付がありますよ~だなんて、むこうから御親切に教えてくれるわけないもん。」
「法律家でもややこしい手続の山…楽して金が入るなんてことは、有り得ねぇよな。」

自分の身を守るための情報や知恵を得るには、それ相応の努力が必要なのが、当たり前だ。
自ら必死に探してもいないのに、儲け話の方がこちらにひょこっと転がって来ることはなく、
タダでダダ漏れ…目の前をツイ~っと流れ過ぎて行く情報等にも、それ相応の価値しかない。

「見方によれば、詐欺『する側』も努力…リスクを負って金儲けしようとしてるんだよな。」
「タダの情報も、『流す側』にとってはタダじゃない…宣伝広告費を使った金儲けの道具。」
「テレビやスマホをぼ~っと見て、それを鵜呑みにして、不安になっちゃった挙句、
   行き過ぎた自己防衛本能…自分だけは損しないようにって、買いだめに走るんだよね~」
「楽して儲け、他人様よりも得をする…これを世間では『賢い』と表現するようですが、
   それならば、お馬鹿さんと罵られて結構…質実剛健に努力を続ける道を選びますよ。」


   はぁぁぁ~、熱い茶が美味ぇ~
   体の隅々に、染み渡るぅぅぅ~

大手の元請サンは、自粛モードで担当者不在。それなのに、下請の納期は延ばしてくれない…
それどころか、大手が身動き取れない分、小さいところに仕事が流れ、押し寄せる始末。
何の保障もないちっぽけな個人事業主に、それらがすべて圧し掛かり…
『人より丈夫だから』という理由だけで、小規模人外事業主は酷使されているのが、現状だ。

「吸血鬼の血が新型コロナの特効薬になったとしても、この状態じゃ協力してやれねぇぞ…
   弱き人を助けるのも、もちろん大事だが、助ける側をもっと大切に扱うべきだろ。」
「年寄り具合で言ったら、魔女の方がはるかに危険…あの世との境界を浮遊してるんだし。
   このクッソ寒い中、飛びまくって…足腰冷え固まってガッチガチ。湿布が手放せないよ~」

   赤葦、お膝枕で労わってくれよ~
   じゃあ俺は肩もみね、ツッキー!

おこたに伏せり、呪いと甘えの声を漏らす、約300歳の御長寿さん方。
世間に対するジジィのボヤきに深々と同意しつつも、伴侶に対する要求には完全スルー…
赤葦と月島は、ウトウトしはじめた二人の寝物語代わりに、流行りの話題を垂れ流した。


「新型コロナの特効薬…仮にできたとしても、インフルエンザのものと同様でしょうね。」
「ウィルスを『殺す』ものではなく、増殖を『抑える』もの…それしか作れませんから。」

抗インフルエンザ薬は、感染初期に使用して体内での増殖を抑え、症状を軽くする仕組みだ。
つまり、ウィルス自体を薬で殺すわけでなく、ウィルスの数を少ない状態に抑えるだけ…
実際にウィルスに対抗するのは、自分のカラダが持つ『免疫』機能だ。

「『免疫』とは、疫…人を苦しめるつとめ(役・流行病)から、免…まのがれること。
   ちなみに免は、開かれた股から新生児が生まれる象形…ある状態を抜け出すことでず。」

体内に入ってきた病原菌や毒素等、自分ではない異物(非自己)を識別し、
それらに抵抗する抗体を作り、殺滅して打ち勝つ自己防衛システムが、免疫機能である。
この免疫を担うのが、骨髄で作られる免疫細胞で、細胞たちが仕事をする場所がリンパ系だ。

リンパ液は、血液と同じように全身の隅々に行き渡る、『水液』と呼ばれる流れで、
血液と違い『一方通行』のため、リンパ管は河水と同じように『水脈』とも言われている。

「リンパを漢字で書くと『淋巴』だが、淋は豊かな水で土地を潤すことで、巴は渦巻きだ。」
「水流がぐるりと渦巻く姿でもあり…一説によると、『象を食べる蛇』の名前なんだって。」
「なるほど!河川…水脈は『竜脈』でずし、罪穢を蛇のように呑み込み、常世へ流す姿は…」
「まるっきり『大祓』であると共に、免疫細胞がウィルス等を殺滅する姿に他なりません。」

体を疫病等から守り、栄養を行き渡らせる機能が、文字通りに『淋巴』だった…
WHOや各国医師会、薬局の看板等に描かれる医療のシンボル『アスクレピオスの杖』には、
蛇が絡み付いている…『蛇=医療(薬)』というつながりも、淋巴及び免疫からも納得できる。

「僕達の体の中にも、水竜…蛇が棲んでいるんでずね。」
「まさに、蛇は生命の象徴…六月末と大晦日だけじゃなく、毎日が大祓だったんですよ。」

そうかっ!
俺達は蛇がぶら下がっている自覚はありましたが、男性じゃなくても全員が蛇をっ!!…と、
思考が邪道ではなく↓でもなく、横道に逸れそうになったのを、赤葦は視線だけ真横に移し、
寝そべる黒尾の腹を撫でながら、先の見通せない『流れ行く話』の方に、話題を引き戻した。


「吸血鬼が血を吸っても、各種感染症に罹らずご健勝な理由ですが…」

多くの感染症は、血液を媒介に伝染するため、他人の血に安易に触れることは御法度だが、
吸血鬼は直接血を啜っても病気にはならず、結構ピンピンなご長寿さんでいられるのは、
体内に棲む水竜すなわち、免疫機能が『人外』レベルで強力なおかげだと考えられる。

「全ての非自己なるもの…異物を喰い殺す『鉄壁の防御』こそが、吸血鬼最大の強味です。」
「なるほどね~!名前が『鉄朗』なのも、陰陽五行説で水竜が黒いのも、ドンピシャだね!」
「吸血鬼がバイオハザードの切り札となる…嫌味なほどにガードが堅いのも、納得でずね。」


そう言えば…
日本の医学部は、金と血の流れ的な理由から、開業医の嫡流達が大多数だから、
医学部の生徒のほとんどが、患者さんと接する臨床医の道を目指すのが、当然の流れだよね〜
だから、死んだ人を視る法医学や、病気に罹る前の防疫なんかの『基礎医療』には、
人も予算も流れてこない…金の流れを生まないものには、価値を見出さない政策が続いてる。

東京都の検視制度に現役で携わって(いて、解剖直後に大学の講義に来て)いた監察医の先生が、
疫病対策を怠り、基礎医療(科学)を大事にしない国は、滅亡するわよ~って、笑ってたんだ。

「献血も大事だけど、日本の監察医・法検視制度にこそ、神…吸血鬼を招聘すべき!って、
   俺…法医学のレポートに書いて、真面目に提案すればよかったな~」

山口は暢気に大あくび…だがその瞳には、哀しみの色が濃く滲んでいた。
平均的な人よりも、特に『秀でた人』に対し、人は『神(鬼)』と恐れ奉り、迫害してきた。
吸血鬼が切り札になると知った人々は歓喜し、神頼み…人の行く未来は朗々と輝く反面、
自らの血肉を捧げ、人の世に尽くしたはずの吸血鬼は蔑まれる…暗い道が待っているのだ。

「俺らに拒否権は…ねぇだろうな。戸籍じゃなくて鬼籍に入る鬼には、人権も無関係だな。」
「弱き人々を見捨てた、人でなし…だから『人外』という扱いをされてしまうでしょうね。」

これは、何度も繰り返された、歴史の流れ。
身を以って熟知している神々が、表に出ない…贄となるのを拒むのも、必然の流れだろう。


重くなりかけた、場の空気。
その流れを吹き飛ばすように、今度は黒尾が大あくび…
四肢を思いっきり伸ばして壁際の箱ティッシュを掴み、ポーンと対面に向かって放り投げた。

「自己防衛機能が強すぎるのも、大問題…俺ら吸血鬼に限った話じゃないだろ?」

自分を害するものに過剰反応して、買いだめに走る~ってのは、スケールの小っせぇ話だ。
ミクロな話だが、とんでもなくデカい問題が、今まさに吹き飛んで来てるよな?

「非自己だけを攻撃するはずの免疫機能が過剰反応し、守るべき自分まで攻撃してしまう…」
「腹黒吸血鬼よりも、はるかに人類にとって危険で、実害甚だしいミクロの脅威…」
「医療教育制度と共に、こちらも大失敗な政策が引き起こした惨劇…」
「それが…花粉症、でず…ックション!」


僕は『全国花粉症じゃないと言い張る会』の名誉会長(自称)を、20年近くやってまずけど、
マスク絶滅と運命を共にずるかの如く、僕の行く先も真っ暗…もうネタにしていられません。
ウィルスは防げなくても花粉は防げまずから、僕達には吸血鬼の血よりも、マスクを…っ!!

「花粉症と認定されてもいいでずから、薬と一緒にマスクも処方箋で出して下さい!」

とは言え、聞くところによりますと、今や医療現場での支給も滞る日があるとのこと。
まずはそちらを最優先にし、その後で、花粉症等の薬を買いに行くためのマスクぐらいは…
せめてせめてっ、僕の唯一の強みであるイケメンが台無しにならないよう、ティッシュをば!
おセレブ仕様なふわふわ優しい潤う高級ティッシュではなく、トイレ紙でもいいでずから、
硬いシングルのトイレットペーパーぐらいは…花粉症患者のために…お、ねが、い…ずずずっ

「僕の検死報告書は『魔女の尻に敷かれて腹上死』が理想…『鼻水による溺死』は嫌で…ず」

涙と鼻水交じりの絶唱に、月島以外の三人は心から涙…天を仰いで『紙』頼み。
強烈なくしゃみで脇腹と腰を痛めた月島は、そのままグッタリ寝転んでしまった。


コロナ騒ぎで自粛。花粉症で引き籠り。
アレやらコレやらが欝々と溜まりまくり、そう遠くないうちに押し潰されてしまうだろう。

「このストレスこそが、免疫機能を害する最大の要因です。」
「特効薬は抑えるだけ…免疫が弱ってたら、結局ウィルスには勝てないんだよね~」
「感染症も花粉症も、手洗いうがいの予防と、免疫機能を正常に保つことが、最重要だ。」
「そのために必要なのは、ズトレズを溜めないこと…ガマンしずぎないこと、でずね。」

動きの停まった都心部で粛々と固まるより、人も少なく空気も澄んだ場所に流れて行き、
美味しいものを食べ、好きなことをしてリラックス、心も体もリフレッシュ…免疫機能向上!
そういう手段を選択することも十分有益だろうし、真剣に考慮すべきではないだろうか。

「一所に溜め込まず、適切に分散して流す。」
「人の数もストレスも、それは同じですね。」
「本当に自分を強くし、防御ずる方法とは…」
「引き籠り、買い溜めすることじゃないね♪」


つまるところ、この話が流れ行く先は…

期待の目を込めて、事態打開の切り札・吸血鬼を仰ぎ見る。
黒尾はその名の通り、朗々と輝く笑顔で憂いを吹き飛ばしてみせた。

「ストレスを流す、水竜の坐す場所へ…
   いざ温泉!いざ…『濃厚接触』だっ!」




- 温泉へGO??? -




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※大祓について →『予定調和』『夏越鳥和
※アスクレピオスの杖 →『空室襲着③
※吸血鬼の生態 →『再配希望⑧



2020/03/08 

 

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