※4人全員が『お酒の飲める年齢』になっています。(近未来酒屋談義)



    予定調和







人生とは、なかなか思い描いた通りにはいかないものである。

まだハタチ過ぎたばかりの、大学生である僕は、
成人したとはいえ未だに親の養育・庇護下にあり、
学生という身分も相まって、『思い通り』にできることは、
まだまだ少ない…と言えるだろう。

だが、実家暮らしだった高校時代と大きく違う点は、
大学進学と共に上京し、一人暮らしを始めたことで、
『自由』になった部分が格段に広がったことだろう。
…その分、今まで感じたことのないような苦労や責任もあるが。

しかし、 思い描いた通りにはいかないからこそ、
人生は面白いとも言える。

ほんの僅かな時間を共にした、『袖すり合う』程度だった人間と、
ひょんなことから、長い時間ツルむような仲になったりする…
そういった偶然や奇縁が、人生の面白味を増すのだろう。


「…何そんなトコで一人浸ってんだ?」
「氷はまだですか?あと…布巾もお願いします。」

どうしてこんなことになったのだろうか…

高校時代の『ひと夏の思い出』だったはずのメンツ。
別れ際には、確かに「また会おう」とは言ったが…
そんなもの、当然『社交辞令』だと思っていた。

それが今や、結構な頻度で僕の部屋へと集まってくるのだ。
本当に…人の縁は、全く予定通りにはいかないものだ。


「いつ来ても思うけど、この部屋…
   相変わらず『生活感』がねぇよな。ほとんど『書庫』だろ。」
「あなたが置いてった本も、たくさんあるでしょ…黒尾さん。」

「冷蔵庫なんて、飲料しか入ってないですよね。」
「それは、赤葦さんが持って来たのが大半です。」

僕は進学と共に一人暮らしを『せざるを得ない』状況だった。
だが、もともと都内に住んでいた人間は、
余程の理由でもない限り、実家から通うのが通常である。
自分で稼ぎのない、首都圏出身の学生にとって、
『都内の一人暮らし』は憧れ…贅沢の極みである。

「俺もさっさと実家出て、自分の『書庫』が欲しいぜ。」
「もうすぐ就職じゃないですか。職場近くに2LDKぐらいを…」
「このご時世、大卒初任給でそんな家賃…払えるわけねぇだろ。」
「その際は、ここよりも大きな冷蔵庫を買って下さいね。」
「赤葦は、『酒コレクション』をもうちょっと控えろや。」

どこかの体育館裏で、赤葦達とやった…『バーテンと客ごっこ』。
あれは紛れもなく『赤葦の夢』だったらしく、
ここに来るたびに色々な酒を持参しては、シェイカーを振っていた。
おかげで、僕達は年齢不相応な酒知識と舌、
そして、念願だった『酒屋談義』の場を得ることができた。

だた、本人含めて大いなる誤算だったのが…
「『飲む』のを控えろ…と言えないのが、残念ですよね。」

赤葦は絶望的に…酒に弱かったのだ。
これもまた、『上手くいかない人生』の、実に面白い所だ。


「思い通りになってないのは、月島君だってそうでしょ?
   上京と共に、てっきり『二人暮らし』すると思ってましたが。」
「今は、そのための『データ蓄積期間』なんです!…だったっけ?」

ニヤニヤと笑う二人に、僕は「そうです!」と力強く言い返した。

初めて実家から出て、東京へ行く…
決して安くない学費と、首都圏の高い生活費を賄う仕送り。
それらの負担と不安の中、『広い部屋で(一緒に)住みたい』など、
高校卒業時点の僕は、口が裂けても言えなかった。

それを願い出るには、ちゃんとしたプレゼンテーションが必須である。

そのために、まずは初年度、普通に『一人暮らし』をしてみた。
一年間に掛かった諸々の経費等を、全て複式簿記にて帳簿を作成。
そして二期目の今年は、住居費は二部屋分のまま、
できる限り食費・水道光熱費を『共有』している最中なのだ。
この2年分の帳簿データを元に、いかに『二人暮らし』が有効であるか、
きちんとした数字で証明しよう…という、誠意ある目論見である。

「実績と数値がなければ、親も自分も納得できないでしょ。」

このために、僕は独学で簿記3級も取得した。
僕なりのケジメはちゃんとつけたい…そう思ったから。


「…って、カッコつけてるけど、実態としては、
   ほとんど『あっち』で『半同棲』してんじゃねぇか。」
「『こっち』とは行政区分上は別の自治体…『市外』です。」
「市の境界は、幅20mもない、小さな川…
   川に掛かる橋の『こっち』と『あっち』だなんて、彦星と織姫ですか。」
「年1回どころか、徒歩1分の距離だしな。」

市外だが、互いの実家よりも近い場所に住んでいる。
それでも、『一人暮らし×2』には変わりない。

「そんでもって、『本当の』実態は…
   卒業時にちゃんと『ケジメ』をつけてこなかっただけ、だな。」
「自分と相手の親どころか、当の『相手』にすら、
   『僕と一緒に…』って言えなかっただけ、ですよね。」

どんなに僕が色々方策を練って、理屈と筋を通そうとしても、
それを容赦なく、粉々に打ち砕いてしまう…
そんな人達とツルむようになったことも、全くの予定外だった。


「そんな僕のおかげで…ここが『たまり場』になり得てるんですが。」
「次の『二人暮らし』部屋は…2LDK以上ないとマズいってことだな。」
「当然、大きな冷蔵庫と…ワインセラーもあると、非常に便利です。」

一番の予定外は、「これも悪くないな…」と思っている、
自分自身の変化…かもしれない。




***************





「遅くなってすみませんっ!!
   そこのコンビニ、ロックアイスが売り切れで…」

バタバタと入ってきた山口は、スーパーの袋を黒尾に手渡すと、
黒尾はその中のチーズを、吊戸棚から出した大皿に盛りつけた。
その間、月島は切り分けておいたバケットをトースターで焼き、
山口は自宅でボイルしてきたソーセージを、テーブルに並べた。

料理の準備ができたところで、赤葦が冷蔵庫から冷えたグラスと、
緑色をしたリキュールの瓶を取り出した。

「お、『本日の一本』は…『アブサン』か。」


赤葦はレシピを見ながら、シェイカーに数種類の液体を入れていく。

「アブサンは、元は透明な緑色をしているんですが、
   こうして、水と混ぜることで…」
静かに、シェイカーの中身を小さなカクテルグラスに注ぐ。

「…白濁するんですよ。」

「ホントだ…すごく綺麗ですね。」
蠱惑的な光と、独特の香りを放つカクテルに、
山口と月島は興味津々に魅入っていた。

だが、黒尾は心配そうに赤葦に尋ねた。
「アブサンって、確かアルコール度数70ぐらいあったよな?
   お前には、ほんの一口、舐めるだけでも…危なくねぇか?」
「もちろん、俺にとっては『ノックアウト』確定です。
   ですから、俺はこちらで…」

赤葦が自分用に振るったシェイカーから、
同じように白濁した液体を、丁寧に注いだ。
「ほぼノンアルコールの…甘酒カクテルです。」

全員の手にグラスが渡った。
山口がキャンドルに火を灯すと、月島が部屋の照明を消した。

「それじゃあ…乾杯。」

チン、と澄んだ音をたてて…『酒屋談義』がスタートした。



「予想はしてたが…これ、結構な強さだぜ。」
「クセはあるけど、俺は割と好きな味ですね。」
「赤葦さん…僕にも甘酒を、お願いします。」

早々に自分の限界を察知した月島は、
バケットにガーリックバターを塗りながらリクエストした。


「月島君は、以前俺と『7』について考察したこと…覚えてる?」
「えぇ。確か、井の頭公園の弁財天…『七福神』がらみでしたね。」

月島は、『7』に繋がるアレコレを井の頭公園で探した件を、
黒尾達にざっと説明した。

「その時には、あえて出さなかったんですが…
   『7』と言えばやっぱり、『七夕』は外せませんよね。」
「ダブルで7ですし…俺らの地元・仙台七夕まつりでは、
   短冊、紙衣、折鶴、巾着、投網、くずかご、そして吹き流し…
   『7種類』の飾りを飾ります。」

「七夕以外の五節句には、それぞれ飲む酒が決まってたよな。
   人日(じんじつ)の1/7には屠蘇、上巳(じょうし)の3/3には桃酒、
   端午(たんご)の5/5が菖蒲酒、重陽(ちょうよう)の9/9が菊酒。」

「高温多湿の真夏にあたる7/7の七夕は、お酒の保存状態に問題が…
   そこで、一晩で作れる『一夜酒』が飲まれたそうです。」

赤葦は月島に新しいグラスを手渡しながら言った。
「それが、この…『甘酒』です。」

時期は合わないが、今日のテーマは『七夕』に決定した。



「ただ『七夕』って言っても、ざっくりしすぎだから…
   俺達が井の頭公園で行った、『流刑地』がらみのネタを提供するぜ。」
「流刑地で発見すると、なぜか放免状が届く花が…
   テキーラの原料となる、竜舌蘭でしたよね。」

「その流刑地で、流人達の世話をする女性がいたんだ。
   彼女達のことを…『機織女』って言ったらしいぜ。」
「機織女、すなわち『織姫』ですね。」
…いきなり、七夕とダイレクトに話が繋がった。

赤葦は、チーズを口に放り込みながら、早くも唸った。

「『流人』とは、流れてくる…『漂着神』のことですよね。」
「あ…特に無実の罪で流された人なんかは、後世、 御霊となり…
   『祟る神』として、手厚く祀られるケースがありますよね。」

葵祭を執り行う、賀茂神社…賀茂氏の祖となる役小角や、
藤原種継暗殺の疑いをかけられた、早良親王などだ。
早良親王の祟りを恐れた結果が、平安京遷都である。

「そして、その『漂着神』とは蛭子…『えびす』です。」
「…『七福神』ってことだな。」


『ちょっとした繋がり』を楽しむはずの『酒屋談義』…
今までは、冗談半分の『お遊び』だったが、
今回は最初から、繋がりも内容も…深い。

月島は、本棚から数冊取り出すと、頁を捲りながら言った。

「織姫は、別名を棚機津女(たなはたつめ)と言います。
   これは個人名ではなく、七夕の夜に、
   『神に捧げられる巫女』を表す名称なんですが…」
「それって…玉依姫(たまよりひめ)と同じっ!!?」

三輪山の神・大物主と、赤い糸で結ばれた巫女…玉依姫。
玉依姫は、賀茂神社の主祭神である。

「早良親王を祀った崇道神社にも、境内社に玉依姫がいます。
   また、賀茂氏が祀っていた事代主(ことしろぬし)は、
   漂着神…『えびす』と同一神なんだ。」

神に捧げられる巫女と、水の神。
どうやら、両者は深く関係しているようである。


「神に捧げられる…『神に斎く(いつく)島の姫』という名の神がいます。
   市杵嶋姫(いちきしまひめ)…宗像三女神、水の神の一人です。」
「いちきしま…いつくしま…もしかして、水に浮かぶ…厳島神社?」

その通り、と頷く月島の横で、ミネラルウォーターを飲む黒尾が、喉を鳴らした。

「厳島神社っていやぁ、瀬戸内じゃ有名な話があるぜ。
   ちゃんと結婚するまで…カップルのうちは男女で参拝するな。
   厳島の女神様が嫉妬するから…って。」

どこかで、聞いた話である。
黒尾と共にスワンボートに乗った山口も、唾を飲み込んだ。
「それって、完全に…弁財天ですよね。」

「市杵嶋姫…聞き覚えがあると思ったら、やはり弁財天ですか。
   弁財天のことを調べていると、必ず出て来た名前ですよ。
   市杵嶋姫は弁財天と習合…同一神とされてますね。」

赤葦の言葉を補足するように、月島は『日本の神々』事典を見せた。

「市杵嶋姫を含む宗像三女神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の剣…
   十拳剣(とつかのつるぎ)から生まれたとされています。
   この剣は、別名『天羽々斬(あめのはばきり)』と呼ばれています。」
「八岐大蛇(やまたのおろち)を斬った剣…だな。」
「えぇ。『羽々』はそのまま、『大蛇』のことです。」

水の神は、『大蛇』と繋がりがある…
いや、水の神が、すなわち大蛇のことではないのか。

「月島君…井の頭公園の弁天堂にお参りした時、不思議な像を見たよね。
   とぐろを巻く大蛇の体に、老人の顔…あれは、宇賀神(うかのかみ)。
   宇賀神も、弁財天と習合されている…大蛇の神様だよ。」
「あそこの絵馬も、巳年でもないのに…大蛇の柄でした。」

「いや、そもそも、『水神様』っていやぁ…竜か蛇だろ。
   真夏の七夕だって、元々は雨乞の儀式…
   あ、織姫は…『水神』に捧げられた巫女ってことか!」
「それ…玉依姫も同じですよ!
   彼女が結ばれた三輪山の神も、その正体は『大蛇』でした…」

七夕は、水神…大蛇と巫女が交わる日、ということだ。
織姫-棚機津女-市杵嶋姫-玉依姫…は、全て大蛇に捧げられた巫女。
そして、同じ大蛇の神として、弁財天と習合されたのだ。


淡い緑色に白濁するグラスを飲み干すと、山口は静かに言った。

「大蛇の神様と織姫達は、赤い糸で結ばれる運命…なんだよね?
   それなのに、どうして七夕は…七夕以外では、
   結ばれたはずの二人は『逢えない』ようにされてるんだろう?」


山口の疑問は、『七夕』の持つ本質的な『おかしさ』…
複雑に『もつれた事情』を指摘するものだった。






***************





赤葦は全員に新しいグラスを配った。

脳内の糖分補給に最適…と、月島は冷えた甘酒を一口飲むと、
再び『神々事典』の弁財天の頁を開いた。


「弁財天と同一神とみなされている女神が、実はもう一人…
   彼女の名は、瀬織津姫(せおりつひめ)と言います。」
「瀬…水辺で、機を織る姫、か。ドンピシャだな。」

瀬織津姫は、6月と12月の末日に唱えられる祝詞…
大祓詞(おはらえのことば)に登場する、災厄抜除の女神である。
諸々の禍事、罪、穢れを、川から海へ流してくれる神だ。

「すっごい『ありがたい』神様だね…結構な『大物』なの?」

山口の真っ当な感想に、月島は困惑した表情を見せた。
「それが…古事記にも、日本書紀にも出てこないんだ。
   いや、正確に言うと…記紀から意図的に消されてるみたいだ。」

これは、歴史的な事実なんですが…と前置きし、月島は説明を続けた。


「かつて、日本中に瀬織津姫を祭る神社がありました。
   ですが、ある時、その祭神を変更するように、という命令が出ます。
   その命令に抵抗した神社は、迫害を受けたり、殺害されたり…
   その瀬織津姫封印作業は、なんと明治まで続いています。」
「あぁ…それで、各地の神社は、瀬織津姫に『代えて』、
   『同じ神』とされる…弁財天を祭るようになったんですね。」

それを命じた人物は、どうして瀬織津姫を、
そこまで徹底して抹殺しなければならなかったのだろうか。

「ツッキーよ…その命令、誰が出した?
   もしくは…その疑いが強いのは誰だ?」

やや怒りの籠った黒尾の言葉に、月島はゆっくりと答えた。
「みなさんもよくご存じの…持統天皇ではないか、と。」

「じ…持統天皇って、父親が天智天皇…中大兄皇子だよね?
   そんな大昔から、瀬織津姫は…封印され続けてきたの?」

茫然とする山口に、赤葦は新しいカクテルを渡し、
持統天皇についての概説を語り始めた。


「夫である天武天皇が崩御した後、
   彼女は息子の草壁皇子を跡継ぎにしようとしますが…
   その矢先に、皇子は病死。
   彼女は次に、草壁の子…彼女の孫にあたる軽皇子(かるのみこ)を、
   次代天皇にしようと画策するものの、まだ孫は…『7歳』でした。」
「だから彼女は、自分が即位した…持統天皇として。」

この軽皇子は、後の文武天皇…髪長姫・藤原宮子の夫である。



「持統天皇は、孫への皇位継承を正当化するために、
   『時の権力者』でしか成し得ないことを行います。
   それが…『歴史の編纂』です。」

女帝から、孫への皇位継承。
これは、ある有名な『昔話』に…非常に似ているのではないか。

「『日本書紀』の…『天孫降臨』神話か…!」

女神アマテラスが、孫のニニギノミコトへ、
芦原中津国(日本)の統治権を委譲する…という物語だ。
アマテラスは持統天皇、ニニギは軽皇子にオーバーラップする。


「持統天皇よりも前…縄文時代、日本には男女一対の神がいました。
   そのうちの女神が、龍神…『瀬織津姫』なんです。」

だんだんと、話が見えて来た。
「瀬織津姫のダンナさんの名前…聞かせてくれ。」

緊張した黒尾の声。答える月島の声も…硬い。
「旦那様はニギハヤヒ…正式名称は『天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊』
   …あまてる・くにてる・ひこ・あめのほあかり・くしたま・
   にぎはやひのみこと…です。」
「あ…アマテラス、じゃなくて、アマテル?だ…男性っ!?」

驚愕する山口。やっぱりそうか…と天を仰ぐ黒尾。

「俺、ずっとおかしいな…?と思ってたんだ。
   世界を見渡しても、『太陽』の神は、男神が圧倒的に多いだろ?」
エジプト神話のラー、ギリシャ神話のアポロンにヘリオス…みな男性だ。

「そして、その対になるのは…『月の女神』です。」
だから、織姫は…『月の舟』で逢いに行ったのだ。


赤葦は、指折りながら要点をまとめ始めた。

「つまり、こういうことでしょうか…
    ・日本には、古来から『饒速日尊・瀬織津姫』という、夫婦神がいた。
    ・もともと、『天照大神』から孫への権力委譲…という神話があった。
    ・女帝持統天皇は、孫の軽皇子への皇位継承を正当化するため、
      『天照』を女神『アマテラス』と読み替え、記紀を編纂させた。
    ・邪魔になった瀬織津姫は、記紀という『歴史書』から抹殺された。
    ・同時に、瀬織津姫を各地の神社から排除させていった。」

七夕と、『饒速日尊・瀬織津姫』の関係を端的に表すもの…
福岡にある『七夕神社』の祭神が、饒速日尊である。


「この『瀬織津姫封印』によって、得をした人物…
   孫を文武天皇にした、持統天皇だけじゃないよな。」
「その文武天皇に自分の養女・宮子姫をあてがい、
   自分の孫を聖武天皇にした、藤原不比等も…」
「ここから、藤原氏の権勢が始まる…
   『この世をば 我が世とぞ思う 望月の』…だよ。」

酷すぎる…ポツリと呟いた山口に、
まだまだ、こんなものじゃすまないよ…と月島は続けた。

「瀬織津姫を貶める計画は、この後もどんどん続いていくんだ。
   それがよくわかるのが…『橋姫伝説』だよ。」

古くから、大きな橋の袂には、水と橋の守護神として、
男女二神を祀っていた。その女神が、橋姫である。
「モロに…饒速日尊・瀬織津姫だな。」
「宇治の橋姫神社に祀られているのが、瀬織津姫ですからね。
   この二人も、『同一神』とみなされています。」

「ちょっと待って下さい。『宇治の橋姫』と言えば…
   あの『丑の刻参り』をした、『嫉妬深い神様』の代表です!」
「頼光四天王のイケメン・渡辺綱が、一条戻橋で斬った鬼…
   それも、『宇治の橋姫』だったんじゃねぇか!?」
その斬った刀が、髭切…通称『鬼切』である。

赤葦と黒尾の慟哭に、月島は悲痛な面持ちで頷いた。

「橋姫は、本来『愛し(はし)姫』だった…
   それなのに、『嫉妬深い神』という汚名を着せられ、
   さらには『鬼』として、退治されてしまうんですよ。」

「瀬織津姫が『大祓詞』に出てくる意味も変わってくるね。
   人々の罪や穢れを『背負わされて』、水に『流され』てしまうんだ…」

意味が変わってくるのは、それだけではない。
「『流される神』達…『七福神』もそうだな。
   そもそも、舟は『あの世』への乗り物だろ?それに乗せられて…」
「しかも、『回文』の和歌まで付いてます。
   回文は永遠のループ…そこから『抜けられない』んです。」
「『七福神』は本当に、『おめでたい』存在なのでしょうか…?」


緑色のグラスを勢いよく飲み干し、山口は新たな杯を要求する。

「どうして…こんな酷いことが…相手は『神』なのに…」

搾り出すような声に、月島ははっきりと答えた。
「そんなの、権力者達が断言してるじゃないか。
   『殿上人(てんじょうびと)にあらずは人にあらず』…って。」
「殿上人以外…朝廷に昇殿できないような、冠位のないモノは、
   『人間』ではない…ということですね。」
「人間じゃない『モノ』には、人間扱いは不要…ってことだろ。」

冠位のないモノ、すなわち、権力者の言うことを聞かない人々は、
『人間ではない』として、ずっと迫害してきたのだ。
それがあまりに酷すぎ、大きな恨みを抱いて亡くなった場合には、
『後から』その人を、『祟る神』として…
『さわらぬ神』として、祀り上げてしまうのだ。

「朝廷に逆らって…『流人』が『神』として扱われるのも…」
「『人間じゃない』という意味では、『神』も同じだよな。」

日本中に、『人間ではないモノ』の話…
妖怪や鬼、怨霊達が溢れ、八百万の神々が存在するのは、
もしかしたら、こうした『迫害の歴史』を示唆しているのかもしれない。


山口は、何杯目になるかわからないグラスを一気にあおり、
凪いだ水面のように、冷静沈着な声を放った。

「俺…やっとわかったよ。七夕の二人が…引き裂かれた理由。」





***************





人生には、思い描いてたのとは全く違う結果が起こることがある。
その『予定外』の最たる例が…山口かもしれない。

山口は、飲めば飲むほど冷静になり…思考が冴え渡る。

高校時代を含め、山口は3人の『聞き役』になることが多かったが、
今ではその澄み切った思考で、『酒屋談義』を主導する存在になっていた。


「今日の話は、『甘酒』と『七夕』の繋がりからスタートしました。」
黒尾が言っていた、『節句に飲む酒は決まっている』…という話だ。

「以前、俺は明光君…ツッキーのお兄さんから、
   大蛇・大物主と、玉依姫の赤い糸…『三輪山伝説』を教わりました。
   神と結ばれた玉依姫の子孫達が、名だたる豪族達の由来になった…と。」
中臣氏、藤原氏、賀茂氏、そして天皇家…皆、神と玉依姫の子孫だ。

「でも、この『三輪山伝説』には、実は2つのパターンがあるんです。
   大蛇が『良い神様』の場合が、さっきの『○○氏の祖になりました』
   そして、『悪い神様』だった場合の話が…こうです。」

玉依姫が赤い糸をつけた針…その針に仕組まれた毒で、蛇は瀕死。
だが、姫には自分の子どもが宿っている、と告げる。

「この子どもは、桃の節句の桃酒、端午の節句の菖蒲酒、
   そして重陽の節句の菊酒を飲まない限り死なない…と。
   これを聞いた玉依姫は、それらの節句酒を全て飲み…
   『悪神の子』を…殺害してしまうんです。」

「1/7は人日…『人間の日』だから置いておくとして、
   なんでそこに、『神様の日』の7/7…『七夕』がねぇんだ?」
「その日に飲む『甘酒』は、『酒』じゃないから…ですか?」

山口は、静かに首を横に振った。

「保存状態に問題があるから、『甘酒』…というのは後世の後付けで、
   本当は…『七夕には酒を飲んではならない』
   つまり、この日には『蛇と関係を持ってはならない』
   …だったんじゃないでしょうか。」

蛇と、酒。
この二つにも関係があるのだろうか。


「ツッキーは覚えてる?明光君がちょろっと言ってたこと…
   『三輪山の大神神社は、日本酒発祥の地…新酒(みわ)の語源』だって。
   『お神酒』も、本来は『お巳酒』で、大蛇に捧げるものと読めるよ。」

蛇と酒…関係大アリだよ、と黒尾は力なく笑う。
「山口みたいな、異常に酒が強い奴…『うわばみ』は、
   そのまんま『大蛇』っていう意味じゃねぇか。」

あの八岐大蛇も、大酒飲みだったからこそ…罠に嵌ったのだ。


「饒速日尊と瀬織津姫に、どうしても一緒にいて欲しくなかった人達は、
   彼女達を引き離した上で、一年に一度の逢瀬すら、封じようとした。
   …蛇の力となる、酒を与えないように。
   与えてしまうと…『悪神の子』が生まれてしまうから。」

「この場合の『悪神』は、『時の権力者』から見て…ってことだね。
   自分達の権勢を脅かすような『神の子孫』は…居てはならない。」
「和歌にも七夕を詠ったものが沢山ありますが、その多くが悲恋です。
   しつこい程に『逢えない』と詠われ続け…まるで『呪い』ですよ。」
「毎年のように、『今年の七夕も、時期的に雨の確率が高いです』…
   実際俺も、『今年もやっぱり雨か』って思ってたぜ。」

古来から、ずっと愛し合い、水と豊穣を守ってきた二人。
饒速日尊と瀬織津姫は、時の権力者の思惑で、無残にも引き裂かれ、
瀬織津姫は明治に至るまで、徹底して『存在しないモノ』とされてきた。

「昔の人達は、そんな瀬織津姫のことを密かに慰めるために、
   お酒…どぶろくに似た『甘酒』を、彼女達に捧げてきた…
   そうであって欲しいな、と思います。」

甘酒は、一夜酒。織姫の別名が…一夜妻だ。


「俺、今まで七夕は、『年に一度の逢引で忙しいだろ!』って…
   短冊の願い事なんて叶えてるヒマはねぇよな~、ぐらいに思ってた。」
「新婚の二人は仕事もせずヤりまくりで、それで引き離された…
   そういう俗説もあるんで、雨だと『おや残念。』って、
   若干意地悪な気持ちで…『気の毒がってる風』を装ってました。」
「僕も今になって、井の頭弁天に『しょーもない願い事』をしたことを、
   心の底から…恥じ入っているところです。」

今日4人で考察した『酒屋談義』は、ただの妄想かもしれない。
だが、もしその可能性が僅かでもあり、自分達がそれに気付いたのなら…

次の七夕から、星々に願うことは決まった。


「饒速日尊と瀬織津姫が、どうかこの日だけでも結ばれますように…」

4人は白濁した杯を、月に向かって捧げた。





「『本日の一本』…偶然ですが、これも『ドンピシャ』なんです。」

捧げた杯を飲み干した赤葦は、『本日の一本』…アブサンを取り出した。


「アブサンは、熱狂的愛好家も多く、中毒患者も続出しました。
   そのため、『禁断の酒』として、一時は製造販売が禁止されました。」
「『absence』は…『不在』って意味だな。名前が未来を予言してた…」
「主原料のニガヨモギ自体も、花言葉は『不在』…
   アブサンも、瀬織津姫と同じく、『存在を抹消された』お酒だったんです。」

アブサンの淡い光が、瀬織津姫の悲しみを映しているかに見えた。

「それだけじゃありません。
   ニガヨモギは英名『worm wood(ワームウッド)』…ワームは、『蛇』のことです。
   エデンの園から追放された蛇が、這った跡に生えた草…なんです。」


4人は痛切な表情で、静かに嘆息した。

「切ない…ですね。」
「やりきれねぇよ…」






***************





黒尾と赤葦を置いて、僕と山口は部屋を出た。
4人で『酒屋談義』をした時は、いつも2人は僕の部屋に泊まるのだ。
そして僕は、いつも通り…山口の部屋へと帰る。


強くはあったが、少ししか飲んでいない僕よりも、
ずっと飲み続けていた山口の方が、しっかりした足取りで先を行く。
どうしてこんな『大蛇』なのか…全く予想外。本当に不思議で仕方ない。

山口の足が、目の前の橋に差し掛かる直前。

山口が、一人でこの川の向こうへ行ってしまうのでは…
饒速日尊と瀬織津姫のように、引き裂かれてしまったら…
僕はとてつもない恐怖感に包まれ、慌ててその手を掴んだ。


「…ツッキー、大丈夫?酔っちゃった?」

立ち止まって振り返り、優しく尋ねる声。
その声に安心した僕は、掴んだ手を、しっかりと握り直した。

「少しだけ、酔ったかも。」

いつもより、ずっと素直な僕の言葉。
アルコールが入ると、いつもとは別の意味で、舌がスムースに動く…
これも、全く予定していなかった人生の一部だ。

柔らかく微笑んだ山口は、繋いでいた手を離した。
再度不安に駆られた僕を安心させるように、山口はもう一度微笑み、
今度は指と指をしっかり絡めて、手を繋ぎ直した。


普段であれば、1分もかからない距離。
何があっても離れないように、ゆっくりと、ゆっくりと…慎重に橋を渡る。

倍以上の時間をかけて橋を渡り終えると、
僕はやっと緊張を解き、安堵のため息をついた。


手を繋いだまま、部屋へ戻る。
開いたままだったカーテンから、煌々と月明りが差し込み、
部屋の中は薄青い光で、随分と明るく感じた。

橋を渡っている時には、この月明りすら気付いていなかったのか…
そんな自分に、僕は苦笑いするしかなかった。

僕の手を引いたまま、山口は廊下を抜け、居室へ向かう。
廊下との間には、10cm程度の段差がある。
山口がその段差を下りようとする瞬間、僕は山口の手を引き、
僕だけがその段差の下へ降り、山口の方へ振り返った。

    身長差を埋める、10cmの段差。
    真っ直ぐの視線が、真正面から山口の視線にぶつかる。

この『真っ直ぐ』を、山口はいつも恥ずかしがる。
僕自身も、あまり『真っ直ぐ』に山口を見ることはない…
むしろ、色んなものから『直視』を避けてきた自覚がある。

お互いに、『真っ直ぐ』の視線を動かさず、見つめ合う。
こんなことができるのも、酒の成せる業…だろう。


    「僕には、山口が必要だ。」


あの日、弁財天に祈り、賜った言葉。

あの時は、『だろうな…』という不確定な予測の形で、
しかも、『寝言』だと騙り…『封印』し続けてきた言葉だ。

大蛇と、織姫達の力を借りて、
僕はようやく、自分の本心をはっきり伝えることができた。



山口の瞳から、一筋の涙が零れ落ちる。

ずっと『封印』されてきたその涙が、
願いを叶える流れ星のように見えた。



- 完 -



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※『三輪山伝説』について →『運命赤糸
※七福神(宝船)の回文について →『苦楽落落

※この直後のクロ赤 →『蜜月祈願
  
※ラブコメ20題『15.予定と違うけど案外しあわせです』

2016/04/18(P)  :  2016/09/13 加筆修正

 

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