再配希望⑧







「お邪魔致します。赤葦ですが…?」
「おぅ!お疲れさん。よく来た…?」


魔女の山口君に指定された場所は、『レッドムーン』からさほど遠くもないが、
行きつけのバッティングセンターよりは遠い…徒歩10分ピッタリだった。

飲み屋が軒を連ねるメイン通りから、たった一本小道を入っただけなのに、
長年暮らしている歌舞伎町とは、全然違う場所に来たように感じてしまう…
それぐらいひっそりとし、目にも気にも止まらない不思議な空間だった。

   (これも…『人外』の力?)


もしそうだったらワクワクするが、わからないうちから安易な妄想は禁物だ。
悪気の無い一方的な思い込み…勝手に期待され、勝手に幻滅されることが、
どれほど重い枷となり、息を詰まらせ歩みを止めるものになるのか…
『二丁目のお姫様』の名に振り回され続ける自分自身が、痛い程わかっている。

わかっていたはずなのに…昨夜はらしくなく、月島君と妄想大フィーバー。
運命的な出逢いに、二人共それだけ浮かれていたということだろうが、
『名前設定』程度の妄想が早々に崩れてくれて、本当に良かったと思う。

もし相手を大して知りもしない内から、一目惚れの勢いが暴走していたら、
自分がやられて嫌なこと…『勝手に期待し幻滅する』という思い込みを、
黒尾さんや山口君に対して、自分達も無邪気にしていたかもしれないのだ。

   (そうならなくて…正直助かった。)


吸血鬼の王子様…黒尾さん。
まだほんの数分しか顔を合わせていないのに、心臓を鷲掴みにされた…
そんな存在は、ペットショップの仔猫ぐらいにしか、出逢ったことがなかった。

アチラは普通の人間ではないらしいし、名前すら伝聞でしか知らないけれども、
『魔に魅入られた』と言っていい程、自分が誰かに心惹かれたことに驚く反面、
どんな人?だろうが、自分の直感をまっすぐ受け止め、信じてみたくなった。
へそ曲がりな自分がそう思ってしまう程に、衝撃的な出逢いだったのだ。

だから、勝手に思い込んで無闇に怖がったり、傷付けたりしないように、
わからないことはわからない、知りたいことは知りたいと素直に言って、
まずはお互いのことを理解し合いたい…この縁を大切にしたいと思っている。

というわけで、俺は自分を良く見せたい、良い印象を持たれ、好かれたい…
そんな見栄や欲望を必死に抑え、俺の『ありのままの姿』を知って貰おうと、
あえて普段着のパーカー&ジーンズで、黒猫魔女さんのインターホンを押した。


玄関で出迎えてくれたのは、昨夜とは全く雰囲気の違う長身の男性…
当然ながら漆黒の燕尾服ではなく、俺以上に普段着な、黒いジャージ姿だった。
衣装が違うだけで、こんなにも印象が違う…『ん』が入っただけとは思えない。

そう思っているのは、向こうも同じ。
むしろ、可憐な?白雪姫がいきなり普通の地味な野郎に変わったのだから…

   (だっ…大丈夫、かな?)

俺を迎え入れるセリフの途中で固まり、頭の先からつま先まで凝視される。
衣装は関係ないとは言っていたが、あまりの激変ぶりにさすがにドン引きか…?
今頃になって不安を覚えていると、ニカッ!と明るい笑顔が返ってきた。

「やっぱ…何着ても似合うな。」


昨夜の『白雪姫』も、声を失う程に美しかったけど、俺はこっちの方…
自然体でリラックスしてる今の方が、ずっとイイと思うぜ?
姫様衣装の締め付けもあっただろうが、今日は昨日より血行が良さそうだしな。

「赤みの差したほっぺとか、凄ぇ可愛いぞ…って、ちょっと熱いか?」
「は、はいっ!ダッシュして来たんで…今日は熱い、ですよねっ!?」

ぶら下げていたコンビニ袋を持ってくれた上に、手を引いてエスコートだとか、
吸血鬼の正装なんかしてなくても、この人…素のままで『王子様』じゃないか!
いや、何でもない普段着ジャージだからこそ、逆に破壊力抜群…クラクラする。

   (とんでもない…人タラシ!)


再会初っ端から、心臓が『危うくエンストしそうなドキドキ(AED)』に…
相互理解どころか、相手のラフな普段着を知っただけだというのに、
いきなり自分のキモチについて、はっきりと自覚することになってしまった。



*****



時節柄ちょっと散らかってるし、バタついてるが…との言葉通りに、
デスクもコタツも、雑多なものや書類で埋め尽くされていた。

仕事は相当デキるようだが、とにかく物量が膨大で雑務まで手が回らない…
年末の配達業界の惨状を垣間見た俺は、コーヒーをドリップしてくれている間、
とりあえず部屋を軽く片付け、伝票を日付順にサッとまとめておいた。

キッチンで台拭きを借り、コタツの上をまっさらにしていると、
黒尾さんは目をまん丸くしながら、淹れたてのコーヒーを持って戻って来た。


「いつの間に、こんな…凄ぇな!」

さすがは客商売…いや、違うな。
赤葦は元々、こういうサポート業務に長けているんだろう?
今は自分の店で『トップ』をやってるけど、本当は表に出ることよりも、
裏で自由に動き回る…参謀こそが、赤葦の本領なのかもしれねぇな。
パッと見ただけですべき事を判断し、こともなくやり遂げるとは、恐れ入った。

「本当に助かった…ありがとな。」
「いえ、そんな大したことじゃ…」

謙遜でも何でもなく、本当に大したことない『お片付け』をしただけなのに。
それを心から喜んでくれて、なおかつ俺の本分を見抜き、褒めてくれた…
そのことが嬉しくてたまらず、思わず前のめりでまくし立てていた。

「あの、俺にできることなら…お手伝いしますっ!」

俺がお邪魔して、お仕事の手を止めさせるのも申し訳ないですし、
二人で手分けして早く終われば、その分ゆっくりお話できて、一石二鳥です!
お察しの通り、俺は雑務をこなすのが大好き…むしろ放っておけない性分です。
差し出がましいかもしれませんが、手出ししちゃいたいのが本心ですから。

「もしご迷惑でなければ…俺にやらせて下さいませんか?」
「迷惑だなんて、とんでもない!ぜひ…手を貸してくれ。」


それから1時間半程、お互い業務関係以外の会話は一切せずに、集中して仕事。
『昼過ぎ』の時間帯の内に、あらかたの雑務を片付けることができた。
我ながら上出来…やっぱり客商売より、裏方の方が向いているかもしれない。

そんなこんなで、スッキリ軽くなった部屋と業務と心的負担にハイタッチ…
俺が持って来た駄菓子と温かい緑茶で、マッタリおやつタイムに突入した。



「今更だが、改めてまして…黒猫魔女の宅Q便・歌舞伎町営業所へようこそ。
   俺は所長の黒尾鉄朗。おそらく見た目の10倍程生きている…吸血鬼だ。」
「こちらこそ、はじめまして…二丁目でバーを経営している、赤葦京治です。
   おそらくそちらの見た目とほぼ変わらない、20代後半…多分人間です。」

いきなりサラリと、とんでもないことを言われたような気もするが、
どうせ驚くなら、いろいろ聞きまくってからまとめて驚くことにしよう。
いっぱい質問してもいいですか?と尋ねると、勿論いいぜ!と快諾…
俺は『まずは相互理解』という当初の目的を果たすべく、質問を開始した。

「一番最初にお聞きしたいのは、『吸血鬼』についてです。
   伝説や創作等の知識しかないので、実際どういう存在なのか、教え下さい。」

ど真ん中どストレートの質問に、黒尾さんは気を悪くした様子もなく、
軽く頷いてから、明朗な声で説明してくれた。


「『吸血鬼』と人間の違いを一言で言えば…『食性の違い』だろうな。」

『吸血』鬼という名の通り、俺達は血液を自身の栄養とすることができる。
だがそれは、血が『主食』というわけではなく、『食べられる』という意味だ。
吸血動物の『蚊』は、普段は他の昆虫と同じく、植物の蜜や果汁が主食だが、
メスが卵の生育・発達のために、高タンパクの血液を吸血する…これに近い。

俺達も蚊と同じで、通常は普通の人間と変わらない食生活を送っているが、
血液という高タンパクの物質から、直接栄養を補給することができるんだよ。

「血を飲んでも、そのまま血として使うわけじゃないんですね。」
「当然ながら、消化吸収の際、タンパク質に分解されるからな。」

コラーゲンたっぷり鍋を食べても、そのまま肌ツヤに効くコラーゲンにならず、
まずはタンパク質(アミノ酸)に分解されてしまうのと、全く同じである。


では、血液を『血』として利用するのではなく、成分として摂取する場合は…?
タンパク質以外の血液成分の代表は、やはり鉄分だ。

「貧血の人間が、鉄分補給しようと血液を直接飲んだ場合…どうなる?」
「人間は鉄分を体外に排出できない…鉄過剰症に陥ってしまいますね。」

過剰な鉄分は様々な臓器に蓄積され、特に肝臓へ大きなダメージを与える。
その他に胃腸障害や脳、血液疾患や皮膚への色素沈着も起こることがあり、
鉄欠乏症も困るが、多過ぎる方が身体にははるかに毒となる物質なのだ。

「成程。吸血鬼はその鉄分を上手く処理できる…腹だけが黒くなるんですね。」
「おうよ!俺なんて名前からして鉄分で真っ黒だ…って、余計なお世話だよ。」

人間の中にも、牛乳やそば等を受け付けない食物アレルギーの人がいるが、
吸血鬼はその逆で、鉄分を受け付ける特異体質…ということだろう。


また、人間が血液を直接飲むと危険なのは、鉄過剰摂取によるものだけでなく、
血液を媒介して感染する、様々な疾病リスクが激増するためであり、
おそらく吸血鬼は、それらの病原菌への耐性も人間に比べて強いと考えられる。
高タンパクな血液から、効率よく栄養とエネルギーを摂取かつ耐病性も高い…
それが、吸血鬼が『結構なご長寿』な理由ではないだろうか。

だとすると、吸血鬼は『ちょっとした偏食の人間』でしかない。
さほど人間とは遠くない存在…人間の進化の『一形態』なだけかもしれない。

「メタンを食べるバクテリアが、深海で大繁栄…みたいなカンジでしょうか?」
「せめて笹を食べられるようになった熊が、パンダに…ぐらいにしてくれよ。」

ちなみに、好メタン性(嫌気性)生物の方が、地球の歴史では古参の部類で、
人間含む好酸素性(好気性)生物の方がずっと新参者…超偏食の末に進化した。
熊よりもパンダが人気なのも、これに似ている…わけないか。


では、どういった場合に人間が吸血鬼的な特異体質を獲得するのだろうか。
生物の進化に『食性』が大きく関わるのは、『それしかない』ようなケース…
つまり、『血から得るしかなかった』ような状況に追い込まれた場合である。

「肉はおろか、皮や臓物すら貰えない…そんな境遇におかれたんだろうな。」

ホルモンの語源が『放る(捨てる)もの』であることからもわかるが、
『まつろわぬ者』に対し、為政者達が歴史的に行ってきたことを考えると、
使い道のない血液ぐらいしか、食べられるものがなかった存在がいたことも…
彼らを『鬼』と呼んだであろうことも、ごく簡単に想像が付く。
その中の一部が『吸血鬼』へと進化…全く有り得ない話とは言い切れない。

『吸血鬼』なんて、ただの空想上のバケモノだと思っていたが、
ほんの少し丁寧にその食性を考察し、歴史的事実をそれに加味するだけで、
途端に自分と『近い』存在に感じる…これも『相互理解』と言えるだろう。
本当のところはどうかはわからない。でも、俺にとってはこれで…十分だ。


「俺と黒尾さんは、同じ『人間』…食の好みがほんの少~し違うだけですね。」

ちなみに俺は、トマトもキノコ類も納豆も甘い物も大嫌いですし、
生卵も半熟卵も温泉卵もお断り…目玉焼きは固焼きかつ、醤油派です。
ですが、たとえ愛する人が半熟の目玉焼きにソースをかけても、気にしません。
納豆以外なら、トマトソースのパスタを食べた後でも…キ、キス、できますよ?

「イタ飯屋でのデートは難しいですが、こんな俺でも宜しければ、その…」

何だかお食事デートの催促みたいだし、交際の申込にしても色気がない…
それでも黒尾さんは、物凄く嬉しそうに微笑み、こちらに手を差し出した。

「今度の休みに、ニンニクたっぷりの担々麺を…一緒に食いに行こうぜ。」

吸血鬼のはずなんだが、俺はステーキも焼肉もレアよりウェルダン派なんだ。
世間のイメージを壊して大変申し訳ねぇけど…末永く宜しく頼むな。


差し出された手を、俺はしっかり握り…血色の良い頬で微笑み返した。



*****



「ところで、吸血鬼ならではの『便利な特技』って…何かありますか?」

交際成立(多分おそらくきっと間違いないはず…)の照れ臭さを誤魔化すため、
俺はズズズ…と茶柱ごとお茶を啜り、話題を転換してみた。
黒尾さんはそうだな…と言いながら俺をじっと見つめ、俺の肩を指差した。

「血の状態がわかるから、血行の悪さも一目瞭然…酷い肩凝りだろう?」

バーテンという職業柄、姿勢をピシッ!と正しての立ち仕事だし、
シェイカーを高い位置で振り続けるために、慢性的な肩凝りに悩まされている。
時々月島君に揉んでもらうが、ガチガチで指が疲れると大文句…全く使えない。
俺は指を押し込めない程に凝り固まった肩を触りながら、『ご明察』と示した。


「こっち…来てみろよ。」

黒尾さんは俺を手招きし、胡座をかいた腿の上をポンポンと叩いた。
一旦コタツを出て傍に行くと、二人羽織のように俺を全身で抱え込みながら、
胡座の中にすっぽり座らせ、後ろから大きな手で優しく肩を撫でてくれた。

「これも、蚊と似てるんだが…」

蚊は吸血前に、血が凝固するのを防ぐ活性物質を含む、唾液を注入するんだ。
この唾液には血行促進効果があり、これによりスムースに吸血できるんだよ。
吸血鬼の唾液も、これと同じ…血行を良くし、血を集める作用がある。
吸血したり体内に直接唾液を注入しなくても、効果はある程度発揮されるから…

「こういう使い方も、できるんだぜ?」


そう囁くと、黒尾さんはパーカーの襟元を指でほんの少しだけ開いた。
そして、囁いた耳元に唇を落とすと、露わになったうなじから頸筋へ、
覆い被さりながら徐々に鎖骨の方まで…柔らかくキスし、舌を這わせて舐めた。

   唇と吐息の熱で、温めながら。
   素肌の上から、血管を弄って。
   舌先で捏ねる様に、揉み解す。

突然始まった濃密な行為に、「もしかして吸血されるのか!?」と、
最初は飛び上がるぐらい驚いたが…実際に跳ねたのは心臓だけだった。
赤外線治療器で温められたような、じんわりとした熱さに包まれ…
ほどなく唇が触れた部分がポカポカし、凝りも強張りも緩み、消えていった。

「あっ…凄い、気持ち、イイ…」

あまりの心地良さに、全体重を黒尾さんに預け、ふんわり脱力してしまう。
カラダもココロも、全部トロリと蕩けてしまいそうな…まさに夢見心地だった。

   (吸血鬼マッサージ…贅沢の極み…)

どんなに高級なマッサージ器や、お店の『1時間全身フルコース』でも、
これほどまでに気持ち良いものはない…極上の『マッサージ椅子』だ。
このままナニをされても…たとえ血を吸われても、ゴクラク確定じゃないか。


「吸いやすいように、血流量も上がるから、吸血後も傷口の治りが早いんだ。」

成分献血程度なら、傷口なんてほぼ残らない…せいぜい蚊に刺された痕か、
もしくはキスマークみたいな、わずかな鬱血が残るぐらいなんだよ。
まあ、だからといって『吸わせてくれ』とは、簡単に言えないんだがな…

…等、何やら色々と解説してくれていたが、俺はほとんど聞いていなかった。
とにかく気持ちイイ…痛みも全くなく、あるのは温もりと幸福感だけ。

   (この椅子…もう、手放せない…)


「俺、毎日お手伝いに来ますから…ご褒美にコレ…して欲しい、です…」

パーカーのチャックを下ろしながら、頸を大きく逸らし、黒尾さんを仰ぎ見る。
自ら襟を開いて唇を尖らせ、何かを吸うような仕種をして魅せ…懇願する。

   お願い、もっと…
   俺を、溶かして?


本能のままに求めた『オネダリ』に、黒尾さんから返ってきたのは、
蕩けるような笑顔と…俺の全てを吸い尽くす、熱い熱いキスだった。




- ⑨へGO! -




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※コラーゲンたっぷり鍋 →コンドロイチン、グルコサミン、ヒアルロン酸も…(以下略)


2017/12/21 (2017/12/19分 MEMO小咄より移設)

 

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