既往疾速②







「二人共、お帰りなさ~い♪」
「よく帰ってきたな、京治君!!」
「蛍も長旅お疲れさ~ん♪」


俺探しの旅へ…と、月島君に連れて行かれたのは、病院の最寄駅を経て東京駅。
そして、そのまま東北新幹線に乗り、あっという間に仙台まで来てしまった。
タクシーに乗って着いた場所は、『ザ☆地主』なデカいお宅…月島家だった。

高い外壁、頑丈な門扉、増改築したらしい日本家屋に、松の木もある広い庭…
仙台駅からの距離も考えると、土地建物の固定資産税はとんでもない額になる。

「月島君と結婚したら…玉の輿バンザイですね。かなり高評価ですよ?」
「玄関開けたら、きっとその評価…ガラリと変わると思いますけどね。」

この家に嫁ぐと、有望株の僕と、月島家の(そこそこな)資産以外にも、
もれなく(莫大な)オマケが付いてくる…負債とまでは言いませんけどね。


月島君は遠~~~い目をしながら、重々しく玄関扉を開くと、
俺達を待ち構えていたらしい『オマケ』の方々から、熱烈な大歓待を受けた。

   英国紳士のように渋くダンディな父。
   月見草のように可愛らしく優美な母。
   明るい満月の光のように理知的な兄。

ここは月の宮殿か?と錯覚してしまいそうな程に、キラキラ目映い方々…が、
一斉に俺に飛び付き、引っ張り回し、好き放題喋り始めてしまった。

「俺は明光!黒尾法務事務所の『ウエ』にあたる、頼れるお兄ちゃんだよ~♪」
「そして私が、明光の更に『ウエ』のサムライ…京治君の素敵なおじ様☆だ。」
「そんな月島家の野郎共を、私はもっと『ウエ』…月から見下ろしてるのよ♪」

さぁさぁ、こんなコトで突っ立ってないで、リビングに入りなさいよ~
ここ月島家はあなたにとっても『実家』なんだから、遠慮なんてしないでね!


…等々、何やかんや一方的に捲し立てながら、3人に手を引かれてリビングへ。
月島母は『ムーンライト』という名の紅茶をカップに注ぎ入れ、
兄の明光さんは、冬季限定の『名月』という桃をむいてくれて、
その横で月島父は、俺に『ひっつき(月)もっつき(月)』しまくる歓迎ぶりだ。

「わかりました。ウチの事務所を…俺達を振り回す元請(元凶)の方々ですね?」
「えぇ、その通りです。これが月島家…赤葦さんの『実家』ですよ。」

のっけから…めまいがしそうだ。
それでも、不思議と嫌な気は全くせず、俺は自然と頬が緩むのを感じていた。


リビングで月島父母兄から説明を受けたことを、ざっくりまとめると、
月島兄に唆され、すったもんだの挙句、4人で開業&同棲するに至った…
つまり俺は、月島家のヤりたい放題に巻き込まれ続けている、ということだ。

昨日までの納品修羅場を思い出し、俺は苦々しい顔を全く隠さないまま、
冬の桃・名月にプスリと爪楊枝を突き刺し、『ウエ』の方々を見据えた。

「要するに、黒尾さんは『鬼退治して来い!』とコキ使われる桃太郎…
   俺と月島君と山口君は、その桃太郎の下で働く御供…猿雉犬なんですね。」


桃太郎は誰かから強制されたわけではなく、自らの意思で鬼退治に行ったはず…
なんていう細事は、今はとりあえず放っておくとして。
俺はあまり深く考えず、誰でも知っている昔話に喩えて言ってみただけだった。
だがそれを聞いた月島父母兄は、キョトンとした顔を見合わせ…苦笑いした。

「桃太郎、ね…多分黒尾君は、物凄〜く嫌がると思うよ〜?」
「蛍が雉、忠ちゃんが犬っていうのは、まだいいかもしれないけど…」
「京治君が猿というのは、断固拒否するんじゃないだろうか。」

父母兄の言葉は、月島君にとっても意外だったようだ。
今度は俺達二人が、キョトンとした顔を見合わせ…興味津々に瞳を輝かせた。

「兄ちゃん、それ…どういうこと?」
「黒尾さんは、桃太郎がお嫌い…?」


イメージ的には、『黒尾先生と3人の部下達』は、『桃太郎と猿雉犬』に近い。
御供達は力を合わせて上司に尽くし、仕事(鬼退治)をする…ピッタリである。
何なら、4人で『ウエ』という鬼達を退治してやりたい…と妄想していると、
明光がス…と目を瞑り、「むかし、むかし…」と語り始めた。

「前段は省略。今日のテーマは『なぜ桃太郎の御供は猿雉犬なのか?』だよ。」
「その前に、『なぜ桃なのか?』だ。」

明光の出した考察テーマに対し、まずその前提条件を月島父が示した。
桃から生まれたから桃太郎…リンゴやミカンではなく『桃』である理由だ。


「桃が出てくる話…蛍達が何度も『酒屋談義』した中にも、あったでしょう?」
「うん。イザナギ・イザナミ夫婦が黄泉平坂に行った時の話だね。」

死んでしまった妻を、黄泉の国まで追いかけていった、夫のイザナギ。
だが、死の世界で再会したイザナミは、変わり果てた姿になっていた…
恐れをなした夫は、妻&雷神&黄泉軍に追われつつ脱出を図るのだが、
その時、『この世』と『あの世』の境界の黄泉平坂に生えていた桃の木から、
イザナギが桃の実を3つ取って投げつけると、あの世の者達は逃げて行った…

この功績により、イザナギは桃の実に、
『意富加牟豆美命(おおかむづみ)』という神名を授けたそうだ。


「古代中国から、桃は生命力の源…崑崙山の女仙・西王母が持つ果物だわ。」
「生命力と言えば、如意宝珠…女陰を表すカタチも、桃にソックリだよね。」
「桃は不老長寿の仙果。生と死の境にある桃の木は、病魔や邪気、鬼を祓う。」

平安時代から行われている、大晦日の宮中行事『追儺(ついな)』も、
桃弓や桃杖で鬼を追い祓う儀式…これが節分の起源であると言われている。

「生命力の象徴たる桃から生まれた子…鬼退治には最もふさわしい存在だね。」
「確か陰陽五行説では、桃は『陽』の気を持つ…陽気で陰気を払うんですね。」

陰(死)と陽(生)の境界に生える桃…桃の巨木の枝の間にあるのが、
万鬼がやってくる『鬼門』だという神話も、古代中国にはあるそうだ。


「鬼門の逆…裏鬼門にいるから、猿雉犬だって説を、聞いたことがあるけど…」
「干支で方位を表す考えですね。俺もその話は知っていますよ。」

鬼を祓う桃の呪力を持つ子が、御供として裏鬼門にいる動物を連れて行った…
一般的には、これが『桃』太郎と『御供が猿雉犬』である理由と言われている。
この説は一応納得できると思い、それ以上深く考えたことはなかったのだが…
明光は本棚から冊子を出して広げ、その『常識』と言われる説を一刀両断した。

「それ、おかしいでしょ。鬼門の艮(丑寅)の反対は…坤(未申)じゃん。」





「あ…っ!?ちゃんと見てみれば…」
「一目瞭然…気付きませんでした!」

鬼を裏鬼門の動物で祓うというのなら、ヒツジとサルを連れて行くべき…
干支の方位なんて調べればすぐわかるのに、それすらせずに鵜呑みにしていた。

「江戸城の『南』に『虎ノ門』…これに疑問を持ってなかったのと同じです。」
「『虎』は『西』なのに…以前4人で語り合いましたね。」

また一つ…思い出してくれましたね。
月島君は嬉しそうに微笑むと、すぐに表情を引き締めて考察に戻った。


「『裏鬼門の動物説』は明らかにおかしい…次に考えるべきは、『金』ね。」
「桃は陰陽五行説において、『金』の気を持つ果実とされている。」

金気は『木火土金水』の五気のうち、最も強く堅固であり、
この金気の方角を形成する動物こそ、申酉戌の三匹なのだ。

「金の陽気を持つ桃から生まれた子が、金の動物を御供としたから…強い。」
「この説だと、方位にズレもなく納得できそうなんですけど…」
「申(猿)と戌(犬)はいいけど、酉が雉である理由が説明できないんだよね~」

酉ならば鳥…ダイレクトに『鶏』でもいいはずだ。
それなのに、『雉』に限定されているのには、何か別の理由があるのだろう。


チラリ…と、明光さんに視線を送る。
全く同じタイミングで、月島君も『ヒント寄越せ』と目で兄に訴えていた。
明光さんはニッコリ微笑むと、方位図の『西』を指し示した。

「西は、西方浄土…あの世への入口。」

『西』を構成する申酉戌と、桃に共通する言葉は…『境界』だよ。
詳しい話は省くけど、夜の世界(あの世)から太陽(この世)を迎え入れる猿。
あの世とこの世の扉を開ける雉、そしてその境界を通る人々を導く犬…

「公共事業に欠かせない境界神…道俣神(みちまたのかみ)は、猿田彦だ。」
「葬儀の時、大声で哭き喚いて死者をあの世に送り出す…鳴女(なきめ)が雉。」
「子どもは女性の体を通って、あの世からこの世へ回帰…出産を守るのは犬。」

古来より、猿雉犬はあの世とこの世の境界で、二つの世界を繋ぐ動物だった。
『生』の象徴たる桃太郎が、境界を司る動物達に導かれ、『死』の鬼を祓う…
だから、桃太郎の御供にはこの三匹が選ばれたのだ、という説である。


明光さんのくれたヒントに、「成程!」と膝を叩きかけたが、
その言葉を出す前に、納得するにはまだ不十分だと気が付いた。

「この説では、酉が『雉でもいい』理由は説明できますけど…」
「『鶏じゃダメ』な理由には、なってない気がする…」

鶏すなわち長鳴鳥(ながなきどり)は、雉以上に太陽を呼ぶ鳥…
天岩戸に籠った太陽神・天照大神を引き摺り出すために呼ばれたのも鶏だし、
神域との境界に立つ鳥居も、長鳴鳥が止まって太陽を呼ぶためのものだった。
太陽を呼ぶ猿が選ばれたのなら、同じ理由で鶏でもいいはずである。


「これは、思ったよりも難題ですね…実に奥深く、面白い考察です。」

そう…この感じ。
今まで『当たり前』だと思っていたことが、実はそうじゃない…
ほんの少し調べてみただけで、宵闇が空を覆うように、疑問がじわじわ広がり、
気付いた時には、世界が全く別のものに見えているという…不思議な感覚。

足元が崩れ去り、深い闇に吸い込まれそうになる時も多々あるが、
一度その闇に気付いてしまうと、見て見ぬ振りなど到底できないのだ。
知的好奇心の趣くままに、じっくりと考察を愉しむ場…

「これこそ、『酒屋談義』の快感…思い出しましたよ。」


いろいろな種類の『ゾクゾク』に身を震わせていると、
四方から月島一家に包囲され…全員から『ひっつきもっつき』を喰らった。
俺が驚き固まっているのをいいことに、猛烈にヤりたい放題×4…
もみくちゃにされたけれど、四方から感じたのは、やはり深い愛情だった。

黙って温もりに浸っていると、月島家の方々はようやく満足したのか、
月光のように優しい微笑みを湛え、静かに俺に向き直った。


「御供が猿雉犬の理由…これについての考察は、ウチではここまでだよ♪」
「この続きは、『黄泉の国』で…別の視点から答えを探ってみてね~」
「我々月島家が、京治君に示すことができる『道』は…これだ。」

月島父がそう言うと、月島家の面々は身を正し…テーブルに一枚の紙を乗せた。
その紙を見た俺も、息の塊を呑み込み…同じく背筋をピンと伸ばした。

「これは…婚姻届、ですよね。」

茶色の文字で印字されたこの紙には、見覚えがあったし、
この紙にかつて自分が署名したことも…この手がはっきりと覚えていた。


「蛍、これを…」

明光さんが渡した万年筆を、月島君は目を閉じて握り締めて深呼吸…
瞼を上げた時には、その瞳に迷いの色は全くなく、
丁寧な字で『夫となる人』の欄に『月島蛍』と署名をした。

「もう一度これを書くことになるとは…思いもしませんでしたよ。」

『むかし、むかし…』じゃなく、ほんの少し前に、僕はここに署名しました。
そして同じ婚姻届に、赤葦さんも署名して下さいました。

「この紙を…赤葦さんに預けます。」
「えっ…それは、どういう…」

戸惑う俺の手に、月島君は折り畳んだ婚姻届をギュっと握らせながら、
ごくごく真剣な表情で、その真意を説明してくれた。


「赤葦さんの結婚指環に刻まれた『T』が、誰を示すかわかった時に…」

この紙の『どこか』に『赤葦京治』と署名して、僕に返して下さい。
僕の隣…『妻となる人』の欄か、もしくは『証人』の欄に、お願いします。

「我々月島家は、京治君がこの紙のどこに署名しても、全力で大歓迎だよ。」
「どこに書いてあったとしても、あなたは大事な私達の『家族』だからね?」
「蛍を含め月島家側は、その『準備』もできているから…安心していいよ。」


月島家から示された『道』に、俺は言葉を発することができなかった。
記憶を失った俺に、こんなにも深い愛情を注いでくれるなんて…

   (この人達は、俺を心から大切に…!)

婚姻届を握り締めたまま、言うべき言葉を見つけられない俺の手を、
月島の家族達は温かい手で包み込み…


「京治君!黒尾君のとこなんか辞めて、私の事務所で身を削ってくれたまえ!」
「あ~、ズルい父さんっ!赤葦君は俺の右腕としてこき使うつもりなのにっ!」
「何言ってんのよ~この逸材は、私が女帝として育て上げる予定なんだから♪」

方々から俺を引っ張り合い、勝手に俺の『道』をめぐって大騒ぎ…
俺は慌てて月島君に飛び付き、月島家包囲網から抜け出した。


唖然とする俺を抱き止めた月島君は、だから言ったでしょ…と呟くと、
頬をほんのり染めながらも、俺の目を真っ直ぐ見て、はっきりと告げた。

こんな『オマケ』がもれなく付いてきますけど、それでも宜しければ…


「京治さん。僕と…結婚して下さい。」




********************




「ちょっと黒尾さん…起きて下さい!」
「んぁ…どうした〜?あかあ…痛っ!」


大声で呼ばれ、後頭部を叩かれ…寝ぼけ眼を擦ると、またしても事務所だった。
どうやら、昨夜はあのまま机に突っ伏して、力尽きてしまったらしい。
頸も背中も腰もガチガチ…カラダ中の至る所が、悲鳴を上げている。

「全く、いくら修羅場明けでヘロヘロだったからって…無精すぎですよ!」
「悪い…申し訳ないが、熱〜い茶を…」
「自分で入れて下さい。あ、俺のも!」
「…了解だ。」

手厳しい部下…山口は、ぎゅう詰めになっていた事務所内のゴミ箱を集め、
修羅場の片付けを開始…俺はその間に給湯室で軽く顔を洗い、お茶を入れた。


「山口、ツッキーは休みか?」
「当然ですよ。やっと修羅場脱出…3日程休ませて下さいね〜って。」

俺もゴミ捨てだけ済ませたら、休ませて貰ってもいいですよね?
応接テーブルの上に、ツッキーと俺の分の休暇申請があるんで、サイン下さい。
あと、そこにおにぎりもあるんで…よかったらどうぞ〜

ゴミ袋を持って通用口から出ながら、山口はテキパキと俺に指示した。
ホントーに俺の部下はデキる奴ばかり…頭が下がる一方だ。

お盆に二人分の湯呑みを乗せて応接室へ向かうと、ホカホカと温かいおにぎり。
久々に触れた『あったかいもの』が、じんわりと中に沁み渡る気がした。


「山口…サンキューな。」
「どういたしまして〜♪」

ソファの正面に座った山口は、熱いお茶をズズズ〜っと啜りながら微笑んだ。
だが、その目は充血して腫れぼったくなっていて、濃いクマもできていた。

山口も相当疲れてる…
明るく振る舞ってはいるが、痛々しい程に憔悴しきっているのが明らかだった。
これは単に修羅場の疲れだけじゃない…それが十分わかっていたから、
俺は二人の休暇申請を『5日』に書き直し、承認欄にサインをした。


「ついでにコレにも、サイン下さい。」
「おう、わかった。」

山口が出した紙を確認せずに、俺は呆けた頭のまま、なあなあで返事…
その『見慣れた紙』を手元に引き寄せてから、ペンを取り落とした。

「なっ…これ、は…おい!どういう…」
「いつも仕事で書き慣れてますよね?」

見慣れているし、書き慣れてもいる。
もう見飽きたと言ってもいいぐらいの、お馴染みな緑色…『離婚届』である。
だが、届出人に署名してあった名前は、『月島蛍』と『山口忠』…

「じょ、冗談じゃねぇぞっ!何で、お前らが、り、離婚…っ!?」
「冗談でこんな書類、書くわけないでしょ。俺達は…本気です。」

婚姻届の時と同じように、右側の証人欄に…黒尾さんの署名押印お願いします。
あ、安心して下さい。離婚しても俺達、事務所はそのまま続けますからね。


淡々と語る山口。
俺はその冷たい態度にカッとなり、テーブルを叩いて離婚届を突き返した。

「俺は絶対に認めない…署名もしない!どういうことか、説明しろっ!」

声を荒げて詰問するが、山口はこちらに目を合わせようとしない。
ただただ…乾いた口調で事実を述べた。

「朝起きたら、食卓に置いてあったんですよ。ツッキーの署名入りのコレが。」

側には、小さなメモにたった一言だけ…『愛してる』って書いてありました。
だから俺は…コレにサインしたんです。


「言ってる意味が、わかんねぇよ…」

目の前が真っ暗に…強烈な眩暈を覚え、意識すら失ってしまいそうだった。
だが、それを遮ったのは、身を切るような山口の慟哭だった。

「何で…わかんないんですかっ!」


ツッキーがコレを置いて行った理由は、たった一つ…赤葦さんのためですよ!
黒尾さんが赤葦さんを幸せにできないのなら、ツッキーか俺がするしかない…
記憶を失った赤葦さんが、もうこれ以上苦しみ、悲しまないように…
赤葦さんを守りたい一心で、ツッキーはコレを書き、俺も署名したんですっ!

コレに法的な効力なんてない…俺達の婚姻届にもなかったのと同じでね。
でも、法的拘束力はなくとも、俺達にとって大きな意味のあるものだった…
俺達がどんな思いでコレに署名したか、黒尾さんにはわかりますかっ!?

「こんなの、見たくなかった…俺、ショックで死ぬかと思いましたよ。」

大切な赤葦さんを守り、幸せにするためには、どうしてもコレが必要なんです。
ツッキーと離婚してからじゃないと、赤葦さんにプロポーズできませんからね。
ツラくてツラくて…こんなの、書きたくなかった!でも、書くしかなかった…

「こうするしか、俺達が赤葦さんを守る方法を、思いつかなかったから…っ!」


今頃ツッキーは、赤葦さんにプロポーズしてるはずです。
だけど、ツッキーが赤葦さんに選ばれるかどうかは、まだわからない…
だから今度は俺が、赤葦さんにプロポーズしに行きますから。

「黒尾さんができないなら…俺かツッキーが、必ず赤葦さんを幸せにします!」


ぼたぼたと大粒の涙を零しながら、山口は再度離婚届を俺に突き付けた。
愕然と固まる俺の手の中に、強引にそれを差し込むと、
涙に濡れた頬を袖口で拭い、嗚咽を噛み殺しながら声を震わせた。

「これが、俺とツッキーの覚悟です…」

これから赤葦さんに何が起こったとしても、俺達はそれを受け止めます。
たとえ再び記憶を失ったとしても、赤葦さんと…4人でずっと一緒に居たい。
そのためには、『形式上』ツッキーと離婚したって構わない…
どんなにツラくても、こんな紙切れに法的な意味なんてないんですから。

「コレを書いても、俺はツッキーを…ずっとずっと愛し続けます。」


コレは、黒尾さんに預けます。
もしツッキーか俺が選ばれた場合には、速やかに署名をお願いします。
そして当然ながら、黒尾さんと赤葦さんの離婚届にも…ね。

「これ以上失いたくなかったら…黒尾さんも覚悟を決めて下さい。」

山口は最後にそう呟くと、静かに事務所から出て行った。



「馬鹿野郎…っ!」

誰も居なくなった冷たい応接室の床に、俺は力なく崩れ落ちた。

馬鹿野郎は、俺自身だ。
俺がズルズルと逃げていたせいで、二人に酷なことをさせてしまった。

アイツらが、どれだけお互いを想い合ってきたか…
高校時代からずっと、二人が結ばれるまで、俺は傍で見続けてきたじゃないか。
『ずっと一緒に居たい』と望み、やっとのことでそれを実現したというのに、
たとえ形式上とは言え、俺のせいで二人に『離別』を選択させてしまうなんて…

「本当に…すまねぇ…」


俺が皆を率いて行く…だなんて偉そうに言ってたが、現実はこの有様だ。
実際はいつだって、優秀な部下達に支えられ、先へと導いて貰っているのに。

自分の過去…親父のことに囚われ、その恐怖に怯え、『今』から目を逸らした…
その結果、本当に俺が守るべきものを見失い、大切な二人を泣かせてしまった。

   (とんでもない…大馬鹿野郎だよ。)


「動け…動くんだ。」

昨夜と同じように、激しい後悔と出口のない苦悩で、動かない…俺の脚。
まだその出口は見えないし、後悔はさらに深く深くなっている。
今以上に失うことに対する恐怖だって、減るどころか増える一方だ。

それでも俺は、力が抜けて小さく震え続ける脚を、動かさなければいけない。
あんなに辛く悲しい涙を、もう二度と流させるわけにはいかないから。


山口から預かった紙を大きく広げ、二人の『覚悟』を目に焼き付ける。
涙の染みで掠れる名前に指を這わせ、紙を折り畳んでポケットに捩じ込んだ。

「絶対に、コレには…署名しない!」

応接室に響き渡る声でそう宣言し、俺はようやく立ち上がった。




- ③へGO! -




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※如意宝珠について →『蜜月祈願
※『虎ノ門』について →『鳥酉之宴
※長鳴鳥と鳥居について →『夜想愛夢③


それは甘い20題 『17.めまい』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2018/01/08   

 

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