※『予定調和』直後のクロ赤。(近未来酒屋談義)



    蜜月祈願







窓の外、月の下。
月明りに照らされながら、しっかりと手を取り合い、
一歩一歩、確かめるように、天の川を渡る二人。


「これで、あの二人も…少しは前に進めるといいですね。」
「そうだな。俺達が、その一助になったなら…本望だな。」

ベランダに出る窓の、カーテンを少しだけ捲り、
その隙間から、橋をゆっくりと越えて行く二人を、
黒尾と赤葦は、静かに見守っていた。

「何だか…二人の願いを叶えてあげた、織姫と彦星の気分です。」
「確かにな。『本物』に代わって…俺らが叶えてやった気分だ。」

あいつらには、せいぜい『感謝』してもらわねぇとな。
黒尾は偉そうにそう宣ったが…
過去にも同じように、『お膳立てしてやった』と言いながら、
二人でこっそり『のぞき見』した記憶が、あるような…ないような。

「全く…『のぞき見』なんて、ホントにイイ趣味してますね?」
「お前だって『ガン見』してんじゃねぇかって…言ったよな?」

高校時代、合宿中の体育館裏で『酒屋談義』をした後…
朽ち果てた物置に隠れながら言ったのと、ほぼ変わらないセリフだ。

「あれからあっという間に数年経ったが…」
「実際、ほとんど変わらない…ですよね。」

苦笑いを溢しながら、赤葦は窓から顔を離し、カーテンを閉めた。


高校時代のほぼ全てをかけた部活。
引退後の黒尾は、同じかそれ以上の勢いで大学受験へ突入。
3年の抜けた穴を埋めるべく、赤葦は更に部活に粉骨砕身し、
一年後、黒尾と同じように、受験戦争へと身を投じた。

大学へ入ったら入ったで、意外とやることが山積しており、
『楽しいキャンパスライフ』を大して満喫しないまま、数年…
自分達を取り巻く環境は大きく変化したが、
その中心にある『自分』が同じくらい変わったのかといえば、答えはノーだ。
むしろ、環境が変わりすぎて、自分がその変化のスピードに追い付けず、
気付いたら数年経っていた…というのが、実際のところだろう。

それは、黒尾・赤葦の更に一年後に、同じルートを辿った、
月島と山口にも、同じことが言える。

忙しすぎて、変わろうにも変われず、そのままズルズル…今に至る。
特に上京・単身生活という『激変』を経験せざるを得なかった二人は、
黒尾や赤葦以上に、良くも悪くも…『そのままズルズル』だった。

「ツッキーにはイロイロと厳しいコトを、結構言ったけど…」
「変われなくても…しょうがなかった部分はありますよね。」

ほんの少しだけ、彼らよりも人生の『一歩先』を歩いていた二人は、
『環境』が大きく変化しても、『自分』が変わるにはタイムラグがある…
人生は思い通りにはいかないことを、ちょっとだけ多めに理解していた。


だが、『なかなか変われない』というのは、悪いことだけではない。
一度結ばれた『人の縁』も、たった数年では簡単に消えなかった。

引退・卒業しても、梟谷グループがなくなるわけではなく、
幼馴染の研磨を通し、赤葦や月島達のことは伝わってきた。
合同合宿の機会を狙い、何度か顔を合わせたり、
『酒屋談義』をする程ではないが、一緒に食事をしたり。
互いの近況を『顔を見ながら』話す時間も、何度か設けることができた。

そうこうしているうちに、今度はすぐに、やれオープンキャンパスだの、
やれ受験の宿だの、一人暮らしの拠点探しだの、引越手伝いだの…
『縁』を『便利なツテ』ぐらいにしか思ってない月島達の無遠慮さで、
散々呼び出され、コキ使われ、飲み潰されて…気付いたら『腐れ縁』だ。

「俺達が、どんな想いで『酒屋談義』の場を残そうとしたか…」
「アイツら全然わかってねぇ…というか、フツーに続いたな。」


これが最後かもしれない…そう危機感を抱き、
何とかこの『縁』を残そうとした、井の頭公園の帰路。

本を貸し借りしたり、歌合戦の約束をしたりと、
あの時思いつく限りの『策』を、涙ぐましい努力で練った黒尾と赤葦だったが、
自分達が思っていた以上に、梟谷グループの結び付きは強く…世間も狭かった。

特に何もすることなく、変化することもなく、
ただ巻き込まれる形で…フツーに続いてしまった。

「人生、本当に思い通りにいかねぇもんだな。」
「たまたま、良い方に転がりはしましたけど。」

やっぱり、若さというか、『ひと夏の思い出』の勢いは…恐ろしい。
ちょっとおセンチになっていた、若かりし頃の自分達…封印したいものだ。


赤葦は冷蔵庫から新しい氷を出し、『飲み直しの一杯』を作り始めた。
シェイカーに『本日の一本』…アブサンを少しだけ加え、
今度は緑色ではない色のカクテルを、グラスに入れた。

「黒尾さんと一緒に行こうと…縁結びの神様のネタばかり、たまってます。」
「結局、縁結び神社にも、五色不動にも巡れず…俺もネタが発酵しそうだ。」


それじゃあ、『酒屋談義・二次会』のネタに…『縁結び』の話でもするか。
黒尾の提案に、赤葦はグラスを軽く触れさせ、歓迎の意を表した。




***************






「都内で有名な『縁結び神社』、今日のテーマに関係ありそうな所ですと…」
「天照大神を祭神とする、東京大神宮だろうが…神田明神も外せねぇよな。」

赤葦は出したままになっていた『神々事典』を開きながら、
よく冷えたミネラルウォーターを口に含んだ。

東京大神宮は、都内有数の縁結びスポットだが、
それは主祭神が天照大神だから…というよりは、
あわせて祀られている、造化三神…天地万物を創造した神、
つまり『結び』を司る三柱の神々によるものだろう。

自分達が今まで考察した内容と、今日のテーマからすると、
注目すべきは造化三神ではなく、黒尾の言う神田明神や、赤坂氷川神社だ。

「神田明神と赤坂氷川神社…その祭神には、大国主がいる。」
「瀬織津姫…玉依姫と赤い糸で結ばれた、出雲の神ですね。」

先程までの『酒屋談義・一次会』では、瀬織津姫の方に主眼を置いた。
今度注目すべきは、大国主の方だ。


「大国主は、『だいこく』…『大黒天』と習合されています。」
「神田明神の大きな大黒天像こそ…縁結びの神様なんだよな。」

大黒天は、『七福神』の一角をなす神様である。
五穀豊穣と商売繁盛の神様として、特に経営者達に大人気だ。
縁結び神社と言われる所には、この大黒様がいらっしゃる場合が多い。

「五穀豊穣とは、即ち…子孫繁栄。」
「子孫繁栄とは、即ち…子宝の縁。」

『神々事典』に描かれている大黒天は、丸い焙烙(ほうろく)頭巾を被り、
白い福袋を背負い、二俵の米俵に乗り、打ち出の小槌を手にした姿だ。


「この姿こそ…見たまんま『子孫繁栄』なんですよね。」
「大黒像を見る度に…『後ろ』へ回っちまうんだよな。」

黒尾と赤葦は、ムフフと笑いながら顔を見合わせた。

「二つの米俵は陰嚢、体は男性器本体…」
「あの頭巾が…いわゆる先端部分です。」

日本神話でも、大黒天は好色神としてたくさんの子がおり、
また、その背負った袋の中にも、様々な植物の『種』が入っている。
わざと後姿が『ソレ』にしか見えないように、作られた像もあるくらいだ。


「『打ち出の小槌』自体が、男性器を表す…って説もあるよな。」
「それだけじゃないんです。小槌『側面』の模様…見て下さい。」

下が球状、上部が山なりに湾曲して尖っている文様…
先のとがった稲田桃や、スライムに似た形をしている。
同じマークが、大黒天の着物の胸部や、米俵にも描かれている。

「これは…宝珠か。ってことは、つまり…」
「宝珠…如意宝珠は、ヨニ…女陰ですね。」

如意宝珠は、意のままに願いを叶える宝である。
そして、この形は『生み出すもの』…女性器を表すと言われている。
宝珠に似せたのが、擬宝珠(ぎぼし)…橋の欄干に取りつけられた飾りだ。

「大黒天は、全身で『子孫繁栄』って…大絶叫してんな。」
「あの白い袋も…子宮を表すという説もありますからね。」


赤葦は小槌を振る様に、思いっきりシェイカーを上下させると、
やや勢いよく…トロリとグラスに白濁した甘酒を注ぎ入れた。
手渡されたグラスに黒尾が口を付けると、赤葦がポソリと呟いた。

「如意宝珠…サンスクリット語で『チンターマニ』です。」
チンターは『思考』、マニは『珠』という意味らしいですが。

「頼むから…コレ飲んでるタイミングで、ソレ言うなよ。」
黒尾が盛大に吹き出した甘酒を、赤葦は淡々と布巾で拭き清めた。

…こうしたネタを、酒と共に堂々と楽しめるようになったことが、
オトナになって良かったなぁ~と黒尾が思うことの、一つである。
真顔で堂々と下方向のネタを投下する…赤葦のオトナ度も上がっているが。


「擬宝珠…宝珠と、橋の男女二神『饒速日尊・瀬織津姫』が繋がったな。」
「白い福袋には、『七宝枕』…織姫・彦星の逢引用枕も、入ってますよ。」

そして…と、赤葦は『七福神』が全員集合した絵を開いた。

「七福神が乗った『宝船』の帆…ここにも、宝珠の絵が描かれています。」
「『獏』の文字が入ってる帆は見たことあるが…あ、そういうことか!!」

獏(ばく)は、夢を食べると言われる、想像上の動物だ。
宝船の絵を、正月二日に枕の下に入れて眠ると、良い初夢が見られると言うが、
もし悪夢だった場合には、獏に夢を食べてもらい…その絵を水に『流す』のだ。

「宝船の原型は、悪夢を船で流す…『夢祓え』だな。」
「瀬織津姫の『大祓え』と、全く同じ発想です…ね。」

一次会で話した、『宝船は本当におめでたい存在なのか』という疑問…
それに対する答えが、少し見えてきた。


ここまで考察し、黒尾と赤葦は表情を曇らせた。

玉依姫(瀬織津姫)と、その夫の大国主(大黒天)は、
赤い糸で結ばれたはずなのに、権力者の意向により、引き離されてしまった。
それが、七夕物語に隠された意味では…?と、一次会で語り合った。

だが、その引き離されたはずの大黒天が『子孫繁栄』を表し、
『縁結び』の神様とされているのは…何故だろうか。
『縁起物』と思われていた七福神と宝船が、『夢祓え』…
実際は『穢れを背負わされて流される』ものとは…一体どういうことか。

「そう言えば、大国主だって、五穀豊穣の神だって言われてますが…」
「出雲国を『譲った』…つまり、自分の子孫繁栄は叶ってねぇよな。」


黒尾は静かにグラスを置くと、ちょっと気になってることが…と口を開いた。

「俺も、『縁結び神社』を調べてて、行きついたのが…高尾稲荷だった。」
「そこは確か…ご本尊が頭蓋骨という、非常に珍しいお稲荷さんですね。」

ツッキーと山口が、引越手伝いのお礼に持って来た『最中』…覚えてるか?
黒尾の問い掛けに、赤葦は数秒首を傾げ、あぁ!と手を打った。

「『最中の月』…山口君曰く、腐向け同人誌っぽい名前でしたよね。」
「今まさに『さいちゅうのツッキー』かもしれねぇな…じゃなくて。」

吉原の名妓・高尾太夫は、馴染客達に最中を振る舞い、もてなしていた。
高尾には心に決めた相手がいたが、そんな高尾に横恋慕し、フラれた挙句、
逆ギレして彼女を惨殺したのが、陸奥仙台藩三代藩主・伊達綱宗…という、
なかなか興味深い逸話を添えて、月島達が御馳走してくれた最中だ。

「その高尾の遺体が流れ着いた場所が…高尾稲荷だ。」
「ということは、あの頭蓋骨は、高尾大夫の…!!?」

赤葦は話の繋がりに驚いたが、すぐに黒尾の困惑の理由に気が付いた。

「高尾の恋は、実ってませんよね?なのに、縁結び…ですか?」
「良縁どころか、最悪の縁で殺されて…すっげぇ不思議だろ?」

もう一つ、気になる繋がりと言えば…

「お稲荷さんに掛かってる赤い垂れ幕?にも…『宝珠』が描かれてる。」
「稲荷神…荼吉尼(だきに)が乗る白狐の尾にも…ぶら下がってますね。」

赤葦は慌てたように鞄を引き寄せ、メモ帳…『ネタ帳』を取り出した。
一枚切とられた次の頁を開くと、やっぱり…と声を漏らした。

これは、井の頭公園…七福神についての事前調査のメモなんですが…と前置きし、
七福神のメンバーが吉祥天から弁財天に入れ替わったことを、黒尾に概説した。


「ちょっと待て。大人気の大黒天像と言えば、『三面大黒』があるだろ?」
「えぇ。豊臣秀吉が篤く信仰し、その出世を助けたと言われる…あっ!!」

赤葦は三面大黒天の姿を思い出し、驚愕の声を上げた。
「三面大黒天…大黒天と毘沙門天、それに『弁財天』が合体した像です!」

大黒天の富、毘沙門天の武、弁財天の芸が備わった、超強力タッグなのだが…
「吉祥天っていう奥さんがいた毘沙門天に、よその女…弁財天はアリか?」

「もしかして、毘沙門天と弁財天を引き合わせたのは…大黒天だった?」
「これがきっかけで、七福神は入れ替わり…とんだ『縁結び』だよな。」


国を奪われた大国主が、五穀豊穣と子孫繁栄。
ストーカー殺人の犠牲者・高尾が、縁結び。
そして、全身で『結合』を叫ぶ大黒天は、あらぬ仲を結び付ける…

黒尾と赤葦は、呆然と互いの顔を見つめ、歎息した。


「七夕の織姫・彦星の真相しかり、縁結びの神様しかり…」
「今まで俺達は、どんな神様に祈っていたんでしょうね…」





***************





赤葦は再び黒尾のグラスに、アブサンを垂らしたカクテルを入れた。
宝珠に似た果実…桃の香りがする、ピーチ・ブランデーのカクテルだ。

「このカクテル…『ムーン・セイル』だったよな?」

黒尾の問いに、赤葦は首を縦に振った。

「えぇ。残念ながら…『赤い月』なんですけどね。」


五色不動に倣い、青・赤・黒・白の4色の月に関する話題を、
二人で考察してきたが…最後に『黄色』が残っていた。

本来であれば、今回は『黄色い月』をイメージしたカクテルを用意したかったが、
赤葦はあえて、それを出さなかった。

「ま、アブサンと、moon sail …『sail』は船の『帆』で、ドンピシャだよな。」
船の帆に、桃のようなマーク…まさに『宝船』なカクテルだ。

「ムーン・セイルの別名、実は『ムーン・レイカー(moon raker)』なんです。」
『rake』は熊手のことであり、カクテル名は『熊手で月を集める人』となる。

「熊手って武具で月を捕らえる…まるで毘沙門天みてぇな武人だな。」
「『お馬鹿さん』という古典的隠語でもありますが…意味深ですね。」


赤い色をした月を飲み干すと、黒尾はわざとらしくうそぶいた。

「俺はてっきり、黄色い月…『蜜月』が出てくると思ったんだが?」
「蜜月…ミード、つまり蜂蜜から作る、人類最古のお酒ですよね。」

水と蜂蜜を混ぜて放置しておくと、自然とアルコール発酵がおこる。
そのため、ミードは人類がホップやブドウに出会うより前…
旧石器時代から愛されている、最も原始的な発酵飲料である。
今でも、ブドウの栽培が難しい北欧やロシアでは、蜂蜜酒がよく飲まれている。

「そのミードを使ったカクテルが…『ハネムーン』だろ?」

新婚旅行をハネムーン(honey moon)というのは、この蜂蜜酒に由来する。
古代~中世ヨーロッパでは、結婚後一か月間、新婦は外出せずに蜂蜜酒を作り続け、
それを新郎に飲ませて子作りに励む…『蜂蜜の一か月=蜜月』である。

「まだ…『ハネムーン』を出せる状態じゃないでしょう?」

俺は一日も早く、月島君達にお出ししたくて堪らないんですが。
赤葦はニッコリと微笑んで、天にグラスを掲げた。

「黒尾さんと俺…『織姫・彦星代理』が、彼らの願いを叶えた日に…」
何なら、俺達『お得意』の『ごっこ』をしながら…振る舞いますか?

おどけながら言った赤葦のセリフ。
だが黒尾は、神妙な面持ちで、大きくかぶりを振った。


「だめだ。それは…絶対に駄目なんだよ。俺らが…救われねぇんだ。」

黒尾の痛切な声に、赤葦は驚き、目を見開いた。
どういう意味かと視線で問うと、やっとわかったんだ…と、黒尾は呟いた。


引き離された饒速日尊・瀬織津姫…七夕の織姫・彦星に、恋愛成就を願う。
国を奪われた大国主に五穀豊穣を願い、悪縁の犠牲者・高尾に縁結びを願う。
そして、悪夢と穢れを乗せられ流される宝船に、良夢を運んでくれと願う…

「どれもこれも、神様自身は、叶えたくても叶えられなかった願いばかり…」
「神様は、自分ができなかったことを、代わりに叶えてくれる存在なんだ…」

これは、安産と子育ての守り神である、鬼子母神にも当てはまる。
鬼子母神は、自分の子どもを『奪われ』て…鬼になった女性である。

自分はこんなに酷い思いをした。だから、自分以外はこんな目に遭わないように…
そんな無念を抱いて神になり…または、神に祀り上げられ、
自分が成就し得なかった他人の願いを、神として叶える存在になったのだ。

勿論、全ての神々がこうした性格を持つわけではない。
だが、『おめでたい』と言われるものや、『ありがたい』神様の中には、
こうした出自を持つ場合が少なからずあるのでは…という可能性である。


『今まで俺達は、どんな神様に祈っていたんでしょうね…』
先程の自分のセリフを思い出し、赤葦は愕然とした。

「俺達は、何も知らないまま…勝手に自分の願いを、押し付けて…」
「どうして『神様』になったか…もっと俺達は知るべき…だよな。」

ただの好奇心。ちょっと面白い酒の肴。
文字通りに『雑学』として、話のネタに考察していたはずだった。
だが、思いもよらない『真相』を垣間見ることになるとは…

『日常生活に全く役に立たないネタ』と、やや自嘲気味に雑学を愉しんでいたが、
ほんの少し深く考察するだけで、世の中の見方がガラリと変わることがある…
これこそまさに『雑学考察』の醍醐味であり、恐ろしい一面でもある。

「こういう事があるから、雑学考察が…」
「酒屋談義が、やめられねぇんだよな…」

黒尾と赤葦は、大きくため息をつくと、目を閉じ…
願い叶わず苦しんだであろう、神々のことを想った。


「俺達が、『織姫・彦星代理』になってはいけない理由…よくわかりました。」
「願いを『叶えてやる』側…それ自身の願いは、叶わなくなっちまうからな。」

だからと言って、自分達の願いを、今更神様に願うのも…心苦しい。
しかしながら、かつて計算したように、良縁は神頼みクラスの奇跡である。


「結局のところ…自分でなんとかするしかねぇってことか。」
「やっぱり…そういう結論にしか、なりようがないですね。」





***************





「そう言えば、『宝船』がらみで、ため込んでるネタ…あるだろ?」
「えぇ…大事に大事に、『いつか来る日』のために、熟成中です。」

正月に、良き初夢を見るために、枕元に入れる『宝船』の絵。
その絵には、ある和歌が添えられている。

『長き夜の 遠の睡りの 皆目醒めざめ 波乗り船の 音の良きかな』

この和歌は、最初から読んでも、最後から読んでも同じ…回文になっている。
『回文こそ、言葉遊びの大本命』と、月島と山口も時間をかけて『歌合戦』をし、
その勝敗で、「僕達を『左右(もしくは上下)』する重要事項」を決した…そうだ。

昼間の月のように、『酒屋談義』の場が消えてしまわないように…
連絡を取り合う『口実』として、『歌合戦』をしようと言っていた黒尾達だったが、
今日までそれを披露し合う場が、幸か不幸か訪れなかった。


「今日のテーマにドンピシャだし、そろそろ…やっとくか?」
「是非。数年越しの『歌合戦ごっこ』…望むところですよ。」

実際に、月島達がどのような手順と審査で『歌合戦』をしたか不明だが、
『勝敗は、審査するまでもなく…判りますから。』と、山口が断言していたから、
温めておいたネタ…3作を書いた紙を同時に出し、即時判定で良いだろう。

「折角だ。負けた方は、勝った方の望みを1つだけ聞く…ってのはどうだ?」
「いいですよ。言っときますけど、俺の望みは…かなりスゴいですからね?」

赤葦は、先程の『ネタ帳』の1頁を破り、黒尾は財布から紙を取り出した。
お互い、あれからずっと…
『いつか来る日』に備えていたのが、存分に伝わってきた。

「それでは…いざ尋常に勝負!」
「よろしく…お願い致します!」

正座をし、互いに深々と頭を下げ…手にした紙を並べた。


「まずは、俺から披露します…題して、『酒と黒猫三部作』」

    ・『今朝の恋しい子の酒』
        (けさのこいしいこのさけ)

    ・『旨し酒 猫がこね 今朝しまう』
        (うましさけねこがこねけさしまう)

    ・『捏ねるねクロ とろく寝る猫』
        (こねるねくろとろくねるねこ)

「おまけにもう一つ…『迂闊!音駒コネ使う』
   (うかつねこまこねつかう)…です。」

赤葦は『おまけ』まで言い終え、満足気に『勝利の微笑み』を魅せた。


「なかなか…やるじゃねぇか。次は俺…『赤葦三部作』だ。」
黒尾は無表情で紙を広げ、淡々と作品を読み上げた。

    ・『叶う恋 京治イけ 憩う仲』
        (かなうこいけいじいけいこうなか)

    ・『悪足掻きのキスする京治 行けるススキノ 気があるわ』
        (わるあがきのきすするけいじいけるすすきのきがあるわ)

    ・『イケないわ 卑猥な自慰警戒京治 ないわ卑猥な刑』
        (いけないわひわいなじいけいかいけいじないわひわいなけい)



「………。。。」
「間違いなく、俺の圧勝だな。何か言いたい事は?」

勝ち誇った黒尾に、赤葦はたった一言しか返せなかった。

「俺の名前…知っていらしたんですね。」
「お前なぁ…言うに事欠いてソレかよ。」


俺は、全く『黒尾鉄朗』という人間の恐ろしさを…解っていなかった。
連絡し続ける『口実』…ちょっとした『歌合戦ごっこ』のつもりだった。
だが黒尾は、全然『ごっこ』ではなく、『本気』で勝ちを取りに来た。

悔しくて堪らないが…黒尾の本気を見誤った、自分の完敗である。


「『くろお』も『てつろう』も…回文にはしづらい名前です!!」
「八つ当たりかよ!お前の『あかあし』だって…相当曲者だぞ!」

「どうして俺のは、卑猥だの何だの…下ネタばっかりなんです!?」
「『けいじ』って言葉を使うには…そういうのしか出て来ねえよ!」

黒尾の言う通り、完全に八つ当たりである。
こんなネタをぶち込んでくる黒尾の『望み』…『警戒』必須ではないか。
もしかしたら…『あるわ 卑猥な刑』かもしれない。

赤葦が負けた悔しさと、聞かなければいけない『望み』に慄いていると、
黒尾は静かな声で、「じゃあ、俺の『望み』は…」と告げた。

「今日限りで、『ごっこ』は…やめようぜ。」

聞こえてきた言葉に、赤葦は耳を疑った。


「え…?それが、黒尾さんの、『望み』…?」

ポカンと口を開き、黒尾の目を見つめる。
その視線を真っ直ぐに捉え、黒尾ははっきりと言い切った。

「お前とは、実にイロイロな『ごっこ』をしたが…もう、やめだ。」

バーテンと常連客ごっこ。ホステスと馴染客ごっこ。
キャバ嬢と指名客に、配達員と人妻…
自分達の『本当の関係』とそぐわない『状況』に、なんとか合わせようと、
苦し紛れに編み出した手段…それが、『ごっこあそび』だったはずだ。
それをやめるとは…どういうことだろうか。

考えられる可能性は…これしかない。

「もう、そんなことしなくても…『酒屋談義』は大丈夫…ですね。」

無理矢理『ない』ものを『ある』ように装わなくても、
ちゃんと『酒屋談義』の場は、消えずに残すことができたのだ。
黒尾と赤葦が『ごっこあそび』を続ける理由は…もう、ない。


それはわかっている。
だが、何故かそれが、別の『何か』を消してしまいそうに感じ、
赤葦は自分でもわからない『虚無』…喪失感を覚えてしまった。

目の前が真っ暗に…足元が崩れ、堕ちていくような感覚。
それを止めたのは、黒尾の力強い声だった。

「勘違いすんなよ。『ごっこ』やめるってことは…『素』になるってだけだ。」
「『素』…って、どういうこと、ですか?」
「そのまんまだよ。これからは…『黒尾鉄朗と赤葦京治』でやってく。」

もう俺達は、そんな『ごっこ』に頼らないで…そろそろ本当の『素の自分』で、
『黒尾鉄朗と赤葦京治の関係』を、構築し始めてもいいんじゃないか…?
黒尾が言っているのは、つまりそういうことだったのだ。

「っ!!?い、今更、ですか…っ!?」
「今更、じゃねぇだろ。今から…だ。」

環境も整い、ようやく自分達のことを考える余裕もできた。
あの月島と山口も、ほんの小さな一歩だが…前に踏み出したのだ。

「『ごっこ』も必要ない。『神頼み』も無理…なら、自力しかねぇよ…」
「自力で、一歩を踏み出す…『黒尾さんと俺』の関係を、作り始める…」

自分で言って、物凄く…恥ずかしくなった。
赤葦は染まった頬を隠すように、深く俯いた。

「『ごっこ』なしって…どう接すればいいか、全然わかりません…っ」
「確かに…『逃げ道』も『言い訳』もできねぇから…恥ずかしいな。」

黒尾も赤葦の羞恥がうつったのか、火照る顔を手で扇いで誤魔化した。


「とは言え、俺らがどんな『関係』になるか…現段階では未知数だ。」

互いに『好意』を抱いていることは、間違いない。
それならば、月島や山口だって、大事な『酒屋談義』仲間…『好意たっぷり』だ。
この『好意』が、特別な『何か』に変わるかどうかは、全て『今後次第』なのだ。

赤葦は『今後』に対する動揺と期待で、逸る動悸を抑えるように、
深く深く、ゆっくりと深呼吸し…挑戦的な笑顔で笑った。

「『卑猥な京治』に、案外コロっとヤられても…俺は知りませんよ?」

赤葦の照れ笑いに、黒尾は嬉しそうに笑顔で返した。


「それは…『願ったり叶ったり』かもしれねぇぞ?」
「その時は…『ハネムーン』で乾杯しましょうか?」


捧げ合ったグラスをぶつけ、二人は『新たな一歩』を踏み出した。



- 完 -



**************************************************

※アルコール度数1%以上の蜂蜜酒を自作すると、酒税法違反となります。
   (5年以下の懲役または50万円以下の罰金)
※『回文歌合戦』について →『苦楽落落

  
※微妙な距離のふたりに5題『5.一歩を踏み出す勇気』

2016/07/06(P)  :  2016/09/13 加筆修正

 

NOVELS