結意之夜







「次は…和室10畳。天井は竿縁、壁はビニクロ。天井高2350。」
「床の間と押入、天袋付…OKです。」
「1階はあと、リビングと台所、給排水衛生設備…ちょっと休憩しよっか?」
「了解致しました。」


荷物の搬出を終え、文字通りの『がらんどう』になった山口家。
山口母と息子が、家中の掃除をしている間、父と赤葦は何やら調査中だった。
4人全員がお揃いの作業服…『山口研究室』のつなぎを着ており、
しかも業界用語で会話…パッと見は完全に『業者さん』スタイルである。

「ねぇ、父さんと赤葦さん…何やってんだろ?」
「この家の図面を取っているらしい。」

『山口家』の記念として、家の写真も撮っとこうかな~という山口父の呟きに、
「それならば、ついでに図面も残しましょう。」と、赤葦が提案…
二人は張り切って『建物調査』を開始したのだ。

「この家のエアコン、全部僕がダクトまでやったんだよ~」
「さすがパパさんです。無駄のない、実に美しい配管ですね!」
「京治クンの図面も、すごい綺麗~♪」
「ありがとうございます♪」

もうすっかり『仲良しさん』…
何もない部屋をパタパタと走り回りながら、楽しそうに遊んでいた。

「なんか、微笑ましいね~いつの間にか『パパさん』『京治クン』だし。」
「あぁ見えて、プロの物件調査だ。」
ここから眺めて居ると、メジャー振り回して遊んでいるようにしか見えんが、
手元の方眼紙には、緻密な平面図…写真だって、調査専用の撮り方だ。

「赤葦君が撮った、新婚旅行の写真…意味不明に見えただろう?」
「うん。全然人が写ってないし、部屋もざっくり?ってカンジで…」

変わった形の消火栓だとかは、まだ理解できる方だった。
あとは、何にピントを合わせているのかもわからない、全体像?っぽい写真…
同じ場所を撮ったはずなのに、山口と赤葦が撮ったものがあまりに違い、
お互いに首を傾げていたのだ。

「あれは、工事写真…建物の現況を記録する、専門的な撮影方法だ。
   天井・壁・床の仕上が全て入り、照明やエアコン等の設備も写っている。」
その代わり、人が入るのは厳禁…だから赤葦君の撮った写真には、人は居ない。

「そっか…赤葦さんには、『記録写真』を撮って貰うには最適だけど、
  『記念写真』は不適なんだね~なるほど納得!だよ。」
じゃぁ、あの『仲良しさん』の楽しそうな姿は、俺が撮っとこう♪

山口がスマホを構え、二人の注意を引こうとしたら、横から母が止めた。
「撮ることを宣言したら、あの建築二人組は、ごく自然な仕種で、
  『写らない場所』へ避けるという習性がある。だから…」

母は襖の影に隠れながら、二人に気付かれないように息を殺し…パシャリ。
その音を聞いた二人は、サっ!と飛び退き、部屋の隅へと張り付いた。

「父さんの写真は…常に隠し撮りだ。」
「ウチのアルバムに、『家族写真』がごく少ない理由…今やっとわかったよ。」

母と息子は、顔を見合わせて笑った。
建築組は不思議そうに首を傾げ、襖の裏からじっととこちらを窺っていた。
二人の頭をガシガシ撫でると、母は「よし、お茶にするぞ!」と、
上機嫌でクーラーボックスを開け、全員に冷たいお茶を配った。


「そうそう、京治クンに聞きたいことがあったんだよね~」
っていうか、実はコレが京治クンを『指名』した、ホントの理由なんだけど…

「黒尾くんと京治クンは、どんなイベントとか儀式で『結婚』したの?
   ご両親は、その…二人のコト、反対したりしなかった?」
「あっ!それ…俺もすっごい気になってたんですよ~
   どんな風に、両家に『ご挨拶』して、了解を貰ったのか…超知りたいです!」
「我が家も、息子を嫁?に出すのは、初めてだから…
   是非『先達』の話を聞かせて欲しかったんだ。」

好奇心に輝く瞳に囲まれ、赤葦はたじたじになった。
だが、その瞳の中には、好奇心だけではなく、隠し切れない不安の色…
それを感じ取った赤葦は、少し頬を染めながら深呼吸し、コクリと頷いた。

「特に面白い話ではありませんが、ご参考になるのであれば…」






***************





昨年末、月島君と山口君が帰省する際、駅までお見送りに出て…
その足で、俺達はまずウチの実家へ…赤葦家へと向かいました。

同棲開始時にも、ある程度の『当たり障りのない』説明をしてましたけど、
どうやらそれ以前から、俺達のコトはバレバレだったみたいで…
月島のおじ様のように、「いつまで待たせる気だ!」とまでは言わないものの、
「長かった…焦れったかった!!」と、むしろ安堵されてしまいました。

「本当に…バレてないと思ってたんですかっ!?あんなデレデレで?」
「それはもう…弁解の余地はないと言いますか…お恥ずかしい限りです。」
山口君達にも、それはそれは焦れったい思いをさせ、申し訳なかったです。

そんなわけで、黒尾さんの『人タラシ』の威力炸裂?で、
こちらがドン引きするぐらい、両親揃って『黒尾さんLOVE♪』っぷり…
若干イラっとしましたが、俺の幸せを心から喜んでくれましたし、
黒尾さんのことも、やや過剰気味に受け入れてくれて…感謝の気持ちです。

「京治クンの幸せが第一…僕にもその気持ち、凄くわかるよ。」
「あれだけデレデレ…幸せそうにされたら、ノーとは言えんだろうな。」

黒尾君が、誠実に筋を通した結果だ。
小細工や背伸び等もせず、嘘も偽りもなく、正々堂々と真正面から…
そんな黒尾君の誠意ある姿勢にこそ、赤葦君のご両親は安心し、
可愛い我が子を任せても良いと、思われたことだろう。

「上手くいって…素敵な結婚ができて、本当に良かったな。おめでとう。」

山口母は、優しく赤葦の頭を撫で、我が子のことのように喜び、微笑んだ。
赤葦はその笑顔に驚いたが、ふわりと表情を和らげ…嬉しそうに頷いた。


「俺達は、夏の月島・山口家のゴタゴタを見習って、
   婚姻届の証人欄に『両親の署名』を貰う…これを結婚の儀式としました。」

年末は赤葦家で数日過ごし、大晦日に、今度は揃って黒尾家へ向かいました。
一度遊びに行って、お母様やおば様達にはお会いしてはいるものの、
大切な『ご挨拶』を前に、俺は生まれて初めて、
『緊張でご飯が喉を通らない』という状態を経験しました。

「赤葦さんでも…緊張するんだ。」
「何気に失礼ですね。ですが…記憶にある限り、これが『人生初緊張』です。」
「私もそうだったな。唯一の緊張だ。」
「えっ!?先生あの時…緊張してたのっ!?」
「母さん、緊張って言葉…知ってたのっ!?」
心底驚く旦那と息子に、山口先生は軽く咳払い…赤葦に続きを促した。

「それで、黒尾家は…どうだった?お父上には、無事了解を貰えたのか?」
母の問いに、赤葦は目を静かに閉じて下を向き…一息ついて顔を上げた。


「最寄駅から、黒尾家に向かう途中に、小さいながらも鐘楼が付いたお寺が…
   大晦日当日で、檀家さんやご近所の方が、忙しそうにされていました。」

今晩はバタバタして、年越しには来れないだろうから…と、
少し早めに、二人でお参りをしました。
ついでにこっちも…と、黒尾家のお墓にもお参りさせて貰ったんです。

   紹介が遅くなってごめんな…親父。
   俺、この人と結婚するから。

「何の前触れもなく、涙が零れたのは…これが人生初でした。」

長らく闘病されていたそうですが、高校卒業後すぐに、亡くなられたそうです。
黒尾さんの面倒見の良さと、年齢不相応な泰然自若さ、
そして、『家族』を物凄く大事にされる理由が…やっとわかりました。

高校時代は、そういった家庭状況から、『ワガママ』なんて言えなかった。
自分の気持ちを押し殺し続けた、不器用な人…そうせざるを得なかったんです。

それでも、きちんと自分の気持ちから目を逸らさずに、正直になっていれば…
俺達が『ごっこ遊び』にかまけず、もっと早く素直になっていれば、
黒尾さんの…俺達の幸せな姿を、お見せできたかもしれないんです。

「親父に赤葦を、会わせたかった。」

この黒尾さんの言葉を聞いて、俺は決意しました。
絶対に、俺がこの人を幸せにする…と。
結婚の了解を頂く代わりに、俺はお父様の墓前に、固く誓ってきました。


「月島のおじ様が、今回の仕事を持って来た時、やけにあっさり請けたのも、
   おじ様の一言が、黒尾さんにガツンと響いたからだと思います。」

『いつまでも、親が居るとは…思わないでくれ。』

実際には、山口家のご両親が海外へ…という意味でしたが、
俺達には、そう聞こえなかったんです。
だから、多少月島君がごねたとしても、 月島父があからさまに怪しくとも、
黒尾さんは山口家のために、全力を尽くしたい…そう思われたんでしょうね。

「毎度のことながら…全然割に合わない振り回されっぷりですけどね。」
ホント、馬鹿がつく程の『お人よし』なんですから…
まぁ、そこが黒尾さんの『ステキ♪』なトコなんですけどね。

赤葦は困ったような表情で照れ笑いし、重々しくなった空気を和らげた。


「そんなこんなで、黒尾家にも無事挨拶を済ませ、
   三が日明けに両家揃って食事会…署名入りの婚姻届を、交換し合いました。」

赤葦家側が受け取った、黒尾家の署名入り婚姻届…それを見た瞬間、
俺は人生二度目の『前触れのない涙』を経験しました。
お父様の代わりに、ご署名下さった方…『孤爪研磨』と書かれていました。

ずっと見て見ぬフリをしていた、誰よりもあの人の傍に居た…幼馴染。
どうやっても敵わない存在だった人に、俺のことを認めて貰えた…
他の誰よりも、『孤爪研磨』から承認を得られたことが、俺は嬉しかった。

この婚姻届には、婚姻契約公正証書や、遺言書、養子縁組のような、
法的な効力など、全くない…ただの『紙切れ』でしかありません。
それでも、これほど重くて、これほど大切な『紙切れ』は…俺にはありません。

「これが、黒尾鉄朗と赤葦京治の結婚…『儀式』の概略です。」
ご参考になったとは思えませんが…と、赤葦は申し訳なさそうに言った。


「け…京治クンっ!!!」
「あ…赤葦さんっ!!!」
「わっ…!!?」

話を聴き終えた山口父と息子は、号泣しながら赤葦に抱き付いた。

「僕…日本を出る前に、家族みんなで、必ずお墓参りして行くから…っ!
   ウチと、先生のとこと、それから月島家のお墓にも…挨拶して行くから!」

子どものようにわんわんと泣きじゃくる父を、赤葦はポンポンと撫でた。
そのまま、横に居た山口母に引き渡し…母はあやすように、父の背を撫でた。

未だ赤葦から離れようとしない山口。
母と同じように、赤葦はその背をゆっくり撫で続けていると、
ようやく山口は口を開き、声を震わせながら、胸の内を曝した。


「俺、結婚するのが…怖かった。」

相手は、お互いのことを隅々まで知り尽くした、幼馴染。
同棲期間も長いし、二人での『新生活』への不安とも、無縁。
特殊なカンケーなのに、反対されることもなく、むしろ両親の方が乗り気。
双方の実家も仲良しで、既に『家族』だし、物凄く可愛がって貰ってて、
嫁姑問題なんてのも、全く心配ない。

現状は『宙ぶらりん』の婚約だけど、確定しても、実質は大して変わらない…
世間一般よりも、ずっとずっと『懸案事項』が少ないはずだし、変化もない。
間違いなく俺は、幸せな結婚生活を送れる…その自信もある。

「それでも…怖くて、不安だった。」

上手く言えないけど、自分が『山口忠』じゃなくなるみたいな…
『今までの自分』が、消えてしまうような、不思議な気分だったんだ。

漠然とした『気分』だったのに、養子縁組と海外赴任…実家処分の話で、
それが一気に『現実』のものとして、目の前に突き付けられて…怖くなった。
実家がなくなっても、海外へ行っても、『山口家』はなくならない…
そう言ったけど、ただの強がりだった。
本当は、全部消えそうで、怖くて怖くて…泣きそうだったんだ。


「でも、やっとわかった。不安で、怖くて…当たり前なんだって。」

今回はただの海外赴任だったけど、いつまでも親がいるわけじゃない。
山口家の子だろうと、月島家の子だろうと、『子ども』のままじゃいられない。
オトナになったら、一人の『自分』として…全て受け止めなきゃいけないんだ。
そんなの、誰だって怖いに決まってる。

「だから、不安や恐怖を無理に抑えたり隠したりせずに、
  こうやって誰かに曝け出して、しがみついて…甘えちゃえばいいんだ。」

ツッキーや黒尾さん、両親達には言い辛いことでも、赤葦さんになら…言える。
俺と同じ立場の赤葦さんとなら、不安とか怖さも、一緒に分かち合える。

赤葦さんが、山口家の仲介人として、傍についててくれて、本当によかった。
俺の『家族』に、赤葦さんが居てくれて…よかった。
赤葦さんが傍に居るから、俺…結婚するのが、怖くなくなったよ。


「俺…月島家の養子縁組、受けるよ。」

赤葦の胸から顔を上げた山口は、澄んだ瞳と笑顔で、そう告げた。
そして、両親に向き直ると、畳に手をついて、深く頭を下げた。

「父さん、母さん…今までありがとう。俺は明日、『月島忠』になります。」

でも、俺はずっと父さんと母さんの子…『山口家』なのも、変わらない。
仙台と東京よりは、ちょっと遠くに住むことになるけど、同じ地球上だし。
嫁ぎ先?は、ほぼ実家の月島家…嫁いだ感?も、実際あんまりないしね。
冷静に考えると、これ以上ないぐらい恵まれてて、不安要素なんてないよ。

   だから…心配しないで。
   俺はもう、大丈夫だから。

「今の家族…ツッキーと、黒尾さんと赤葦さんの4人で、幸せになります!」

深々と下げた息子の頭を、両親は何も言わずに優しく撫でた。
何も言わずとも、温かい掌から、想いはしっかり伝わってきた。


「山口君、そろそろ…お出掛けの時間じゃないですか?」
月島君のお迎え…行くんですよね?

赤葦がそう促すと、「マズい!」と山口は慌てて立ち上がり、玄関へ向かった。
「先に服、買わないと…いいいっ、行ってきますっ!!」

バタバタと走り去る音。
赤葦はそっと台所から出て、静かに扉を閉め…へたりと座り込んだ。


「まさか、新婚早々…『娘を嫁にやる気持ち』を、味わってしまうなんて…っ」

嗚咽を噛み殺していると、背を預けた扉の向こうからも、
喜びと寂しさが混じった、二人分の涙の音が、聞こえてきた。






***************





「山口家の方…養子縁組の話、了承してくれるそうだ。」
「そうか…よかった。」


仙台行きの新幹線の中、グリーン車の2列席を向かい合わせて座っていた、
月島父兄弟と黒尾の4人…その黒尾の元に、赤葦から連絡が入った。

   山口家側、明日の準備完了です。
   養子縁組も、受けて下さるそうです。

黒尾が赤葦からのメールを全員に見せると、はぁ~~~っと安堵のため息…
全員がグッタリと、座席に深々とカラダを沈めた。

「正直…疲れたね。黒尾君、なんか甘いモノちょうだい。」
「それよりも、水をくれたまえ。疲れ故か、新幹線に酔ってしまったようだ。」
「違ぇよ。そりゃただの二日酔いだろうが…ほら、これ飲んどけ!」

黒尾は月島父に水と頭痛薬を渡し、明光にはコーヒー牛乳とチョコを与えた。
黙ったまま動かない弟には、苺味の飴を口に突っ込んでおいた。

「ったく、だらけるのは新幹線までだからな?着いたらシャキっとしろよ!?」
お前らはまだ、かなり楽な方だぞ?
月島母は、一人であのデカい家の掃除やら、山口夫妻が泊まる準備やら…
その山口家は、家中丸ごと引越作業で、ヘロヘロになってんだからな。

「俺達だって、あっちこっち駆けずり回ったじゃん。」
「目が回りそうな多忙ぶりだったぞ。」
「半分は自業自得だろうが!」

今朝から4人で手分けして、二日酔いで回る頭を抑えながら、
赤葦の『とっておき』…明日の結納で必要なお酒を探し回った。
明光は仙台に先行する予定だったが、同じ銘柄の別の酒を近所で見つけたこと、
そして、サイズは小さいものの、目的の酒をネットで注文…
明日朝、明光事務所に届けてもらうよう、(泣きついて)手配できたため、
明光も一緒に行動し、目的の一升瓶を都内で大捜索したが…撃沈だった。

「ネットじゃあ、一升瓶は入手不可だった…4合瓶で、赦して貰えるかな?」
「別の酒の4合瓶…こちらはさらにランクが上だろう?問題あるまい。」
「ランクとか関係ねぇよ。最低限は用意できたけど…謝罪準備はしとけよ。」

ほとんど貸切状態のグリーン車なのをいいことに、
ぐでぐでと大文句を垂れ、だらけ放題の父と兄…
それに対し、硬い表情のまま車窓を眺める弟に、黒尾は明るい声で尋ねた。


「ツッキーの方は、準備できたか?」

今の内に、明日の手順とか口上を、しっかり暗記しといた方がいいぞ?
バッチリ撮影される…下手打ったら北欧まで恥を曝されることになるからな。

「えっ!?撮影って…山口先生?」
「あちらに持って行く『話のネタ』としては、最高の素材だろうな。」
「だから、今の内にその緩んだ顔…しっかり引き締めとけよ。」

明光の口の周りのチョコを、黒尾がティッシュで拭いてやっていると、
今まで黙っていた弟が、ごく真剣な表情と声で、全員に向き直った。

「皆に、お願いがある…あります。」
ちょっとこれを、見て頂けますか?

弟は3人に、一枚の紙を配った。タイトルは『月島・山口家収支報告書』…
現在同棲中の、ツッキー&山口宅の家計簿のようだった。

報告書を受け取った3人は、先程までのグダグダが嘘のように、
シャキっと仕事モード…真面目な表情で次男坊の話に傾注した。


「パッと見でわかると思いますが、現在我が家の家計は、
   父さ…月島家からの仕送りがなければ収支が成り立たない状況です。」
これは、学費を除いた支出…実際には2人分の学費が、さらに加算されます。
現状では、どう考えても僕達二人だけでは、生活できません。

「忠の学費は…山口家の売却益から、卒業までの全額を納付予定だよ。」
その手続は、俺が山口家から請けているから、忠の方は心配いらない。
単純に経費折半とすると…忠の方は、俺と黒尾君からの収入で、十分賄える。

明光の話に、弟は安堵の表情を見せ、すぐにそれを引き締め、父に向かった。

「まずは父さんに、お願いがあります。僕の分の学費についてですが…」
結婚後は自立したものとみなされるのであれば、未納付の来年1年分の学費は、
支払の立替及び、返済の猶予をお願い致します。
当然、借用書も用意して、卒業後からの返済計画も、後日お示しします。

「…わかった。但し、学費を低金利で融資するか、無償で投資するかは…
   我が家の財務大臣兼税務長官と協議の上、こちらの裁量にて決定する。」
つまり、月島家の財布を握る母に相談して、学費を『貸し』にするか、
親の務めとして、学費は全部払ってやるかを決める…ということだ。

「知っての通り、私に決定権はない。だが、お前自身がそれを申し出たことを、
   私は高く評価し…決定権者にその旨『口添え』することを、約束する。」
「あ…ありがとうございます。」

とりあえず、明日の儀式の時に使う、綺麗なハンカチでも…賄賂しておけ。
私には…忠君の寝顔写真でも贈ってくれれば、共に土下座をしてやろう。

「謹んでお断りします。賄賂だの土下座だの…父さんにプライドはないの?」
「母さんのご機嫌を取るためなら、そんなプライドは…邪魔なだけだ。」

   蛍よ、よく覚えておけ。
   夫婦間にプライドは不要だ。

人生の先輩として…旦那となるお前へ、私から餞別の言葉だ。

言っていることはおそらく正しいし、言い方も実に堂々としているのだが…
何故だか、全くカッコ良くない。情けなさだけが響き渡るのは…気のせいか。


「では次に、黒尾さん。こちらを…」
月島が黒尾に渡したのは、白い封筒。中身は…履歴書だった。

「僕は現在、家賃減免の代わりに事務所の経理を担い、修羅場に別途手伝い…
   忙しい時にだけピンチヒッターとして呼ばれる、臨時バイトです。」
これでは、とても生活費を賄えない…ですから、僕を正式なバイトとして、
黒尾法務事務所で雇って頂けませんでしょうか?

「ちなみに、時給がコレぐらいまでであれば、当事務所で十分回せますし、
   僕の方も、きっちり生活できるだけの収入となる…」
黒尾だけに、チラリと事務所の収支報告書を見せ、採用可能であることを示す。
経理部長という立場を利用した、若干卑怯な手ではあるが、見事な交渉術だ。

黒尾は両手を上げて降参のポーズを取ると、胸ポケットから茶封筒を出した。
受け取った月島が中を開くと…採用通知書と、雇用契約書だった。

「これを準備してるなら、さっさと僕に渡して下さいよ。プレゼン損です。」
「あのなぁ…ツッキーから言い出すまでは、俺はこれを出す気はなかった。」
ツッキーにはツッキーの考えもあるし、やりたいこともあるはず…
俺以外の所で働くという選択肢だって、十分あり得るんだ。
ツッキーが望まないのに、こっちから採用!なんて、言えねぇだろうが。

「何言ってんの!蛍みたいな面倒臭い奴を雇ってくれるトコ…ないでしょ。」
「他に選択肢などない…黒尾君、どうか蛍を…宜しくお願いします。」
父と兄は、弟の頭を掴み、お世話になります…と、揃って頭を下げた。

「いや~よかったよかった!俺のとこで蛍を使わないで済んだよ~」
「優秀な奴だが、私の手には負えんからな。貰い手が見つかって安心だ。」

父と兄からの散々な言われ様に、弟は『真面目モード』を即時解除…
スナック菓子を頬張る兄に、ビシっ!と指を突き付けた。


「兄ちゃんは、黒尾さんにもっと割のイイ仕事を寄越してよねっ!」
いつもいつも、面倒で安い仕事ばっかり押し付けて…おかしいでしょ。
まぁ、面倒なのは黒尾さんがヤればいいんだけど、もうちょっと金額上げて。
これからは僕を雇う金もいるし…僕を押し付けた分ぐらい、上乗せしてよ。

「じゃないと、黒尾さんのとこ辞めて…兄ちゃんのとこに勤めるから。」
「わかった!今後は『中抜き』分をちょっとだけ減らすから…ね?」
「待て待て待てっ!アンタ今、とんでもねぇこと暴露しなかったかっ!?」
「何を言っている。黒尾君は『下(孫)請け業者』…ヌかれて当然だろう?」

元請けから下請け、更に孫請けになると、どんどん『上』からヌかれていく…
そんなことは、当然の話。それは、十分わかってはいるのだが、
実際に『上』と、『更に上』からあっけらかんと言われると…泣きたくなる。

「頼むから、それは黙っとけよっ!デリカシーなさすぎるぞっ!
   間違ってもこの話…赤葦には絶対するんじゃねぇぞっ!?」

あと1年ちょっとは、黒尾は明光事務所の所属で、明光の部下である。
営業も不要、開業資金も出して貰い、仕事の修行もさせて貰っているため、
絶対的に『ノー』とは言えない立場だ。

「言ったよね?俺の無茶ぶりに…月島家に振り回される人生だよ~って。」
「そこまで言ってねぇだろ!弟はまだしも、親父まで…酷すぎるだろ!」


いつの間に俺は、月島父兄弟の『お守』なんていう、とんでもない仕事を…
今回のゴタゴタで、それが既成事実化されそうな予感に、喉を引き攣らせた。

「諦めたまえ、黒尾君。私は君を、本当の息子のように…コキ使うつもりだ。」
「俺だって、可愛い弟ができたなぁ~って…ほくそ笑んでるんだから。」
「僕も、黒尾さんみたいな使い勝手のいい兄ができて…嬉しい限りですよ。」

すっかり酔いは醒めたはずなのに、黒尾は目が回りそうな気分だった。
山口家との結納及び養子縁組という、一大プロジェクト完遂のために、
月島家の男連中を黒尾に押し付け、事態を上手く回した黒幕は…あの人だ。

  (完敗だ…月島母っ…!)

月島家で一番厄介かつ、絶対に逆らってはならない人を見抜いた黒尾は、
賄賂に花でも贈っておこうと決意し、深呼吸…強引に気分を切り替えた。


「何にせよ、ツッキーが家計のことをしっかり考えて、親兄弟に頭を下げた…
   これは凄ぇ成長だし、結婚生活の準備は整った…よく頑張ったな。」

黒尾の言葉に、弟はパチクリと目を見開き…嬉しそうに頷いた。
父と兄も、我儘放題だった弟の成長ぶりを、笑顔で喜んだ。

「あとは、ツッキーと山口…本人同士の話だな。」
そっちの方は…大丈夫か?

「うん。僕はもう…大丈夫。」
僕には、父さんも兄ちゃんも、黒尾さんもついてるから…大丈夫。

澄み切った瞳。力強い言葉。
それを聞いた3人は、思いっきり末っ子の頭をぐりぐり撫で回した。

「ガッチリと決めて来い。プライドを捨てて…スマートに土下座だ。」
「何なら、泣きついてでもいいんだよ?忠は蛍の涙に弱いんだから。」
「お前ら、もうちょっとマシなアドバイスしろよ…
   ま、ダメだったら、また円満調停してやるから…当たって砕けろよ!」

デリカシーなさすぎな、月島父兄兄の熱烈応援を受けた末弟は、
げんなりとしたため息と共に、ずっと張り詰めていた緊張も…全部吐き出した。


「安心してよ。万が一のために…ちゃんと『コレ』を準備してるから。」

ポケットからチラリと見せた、ピンク色の封筒…表書きは『反省文』だ。
3人は一斉に吹き出し…健闘を祈って笑顔でハイタッチし合った。





***************





「本当に、全部なくなったんだ…」
「すっごい大変だったんだよ~」


駅で待ち合わせをし、数日振りに再会した、月島と山口。
バタバタと方々を走り回り、明日の結納で必要なモノを準備…
『恋人として最後のデート』とは名ばかりの、慌ただしい『買い出し』だった。

クタクタの足を引き摺りながら、二人は真っ暗な山口家へと帰って来た。
話には聞いていたし、ある程度の覚悟はしてはいたものの、
実際に何もなくなった家を目の前にすると、受ける衝撃は生半可ではない…
自分にとって『もう一つの実家』だった場所が、なくなりつつある現実に、
月島は買物袋をギュっと握り締め…込み上げるモノを必死に飲み込んだ。


「まだガスは通ってるから、シャワーなら浴びられるよ。」
はい、これ…旅行用のお風呂グッズと、タオル。着替えはあるよね?
ツッキー、先に入っておいでよ~

山口に促されるまま、浴室へと向かう。
玄関も、廊下も、台所も、浴室も…見慣れたものが、全てなくなっている。
まるで、知らない場所に来てしまったかのような…寒々しさを感じる。

いくら作業で忙しく、心から信頼する赤葦が傍についていたとしても、
この現実を受け入れた山口の強さに、月島は驚嘆するしかなかった。

  (もし僕だったら…耐えられない。)

しかも、両親はこの後すぐ、遠く北欧の地へ旅立ってしまうのだ。
そんなに頻繁に帰省しているわけでもなく、せいぜい盆と正月の年2回…
ネットも電話も通じるし、欧州の中では日本から近い国でもある。
二度と会えなくなるわけじゃないのに、それでもやはり…寂しくて堪らない。

  (ダメだ…僕がしっかりしなきゃ。)

自分よりも、山口の方がもっと辛いはずなのだ。落ち込んでいる場合ではない。
山口家の分まで、月島家が…僕が山口を支えてあげなければ。

最後に冷たい水で顔を流し、よし!と声に出して、弱音を振り払う。
それでも、できるだけ周りを見ないようにしながら、山口の部屋へと上がった。


部屋に戻ると、ちょうど山口が雨戸を閉めているところだった。
カーテンも取り払ってしまったため、こうするしかなかったのだろうが…

「カーテンって、実は一番存在感のある家具?なのかもしれないね。」
「カーテンがないと、『何もない』感が強調されるよね~」
これだけは、最後まで残しとけばよかったかも…と山口は苦笑いしながら、
お風呂行ってきま~す!と階下へ降りて行った。

部屋の真ん中付近には、布団が1組。
どうしても今晩は、ここで過ごしたい…『山口忠』最後の夜は、ここがいい。
山口の強い希望により、僕と二人だけでここに泊まることになった。

布団の上にゴロンと寝転がると、今までと変わらない、見慣れた天井が見えた。
律儀なことに、机やベッド等の家具があった位置を避けて、
僕が泊まる時に、いつも布団を敷いていた場所に、陣取っているのだ。

「何笑ってんの?」
「いや、広々としてるのに、わざわざここに敷いたんだなぁって。」

いつの間にか風呂から上がってきた山口は、タオルでガシガシ頭を拭きながら、
ストンと隣に座り、いつも通りの明るい声で答えた。

「何となく、布団敷くならここかなぁ~って。」
元々家具がない天井だけは、見える景色が変わらない…
最後の晩は、見慣れた天井を眺めて寝たかったからね。

そう言うと、半乾きの髪のまま、山口は僕の真横に寝転び、
部屋の灯りを落とし、オレンジの常夜灯だけにした。

「こうしてると、ここにツッキーと俺しか居ないのが…嘘みたいだね。」
「視線を天井から逸らさなければ、『何もない』状態も…見えないしね。」

この部屋に泊まる時は、ベッドがあっても、二人並んで一つの布団に寝ていた。
今と同じように…狭い布団の中で、ピッタリと引っ付いて。
自分達以外は誰も居なくて、布団以外に何もないとは、とても思えない…
あの頃と何かが変わったようには、全く見えなかった。

真横に、山口。ぼんやりした、天井。
二人並んで、同じ景色を見る。
今までと変わらない…いつもの二人。


しばらく茫然としていると、山口が穏やかな声で話し始めた。
寝落ちする前の、他愛ないおしゃべりの時間…これも、いつも通りだ。

「今日さ、父さんと赤葦さんが、この家の調査をしてくれたんだよ。」
「調査?もう…何もないのに?」

あ、やっぱツッキーもそう思う?と、山口は笑うと、
『建築組』の工事写真についての話を、聞かせてくれた。

「成程ね。だから赤葦さんは、あんな意味不明な写真ばっかり…」
もしかして、あの人には、僕達には見えてない『何か』を見て、
それを撮りまくってるのかと…興味津々(戦々恐々?)だったんだけど。

「百鬼夜行とか、地球外生命体とか、無駄にカッコイイ黒尾さんとか…?」
「僕達には全く見えてない存在を、あの人なら検知してそうだしね。」

もしや、『恋は盲目』とは、その人にしか見えてない…
その人以外には見えない、という意味なのかもしれない。
どちらにせよ、失礼極まりない例示に、二人で顔を見合わせて笑った。


「見えてないもの…それ、合ってるかもしれないよ?」

何もない部屋…だからこそ、建物調査にはもってこい!なんだって。
家具がない分、図面が描きやすいです♪って、赤葦さんは喜んでたんだよ。
父さんは、今なら自由に配管できるのにね~って、エアコン取り外してたし、
母さんは母さんで、床下覗きこんで、基礎コンクリートの写真撮ってた。

「俺はその横で、登記費用の計算してたんだけどね。」
「僕はすぐに…更地にした方が、良い値で売れそうだなって思ったよ。」

全員が同じ『何もない部屋』を見ていたはずなのに、
これだけ『見えているもの』が違う…家族でさえ、こんなにも違うのだ。


「俺、昨日の晩までは、徐々にものがなくなっていく部屋を見るのが、
   凄くツラくて…できるだけ目を逸らしてたんだ。」
ツッキーと電話した時も、部屋の電気を消して、わざと見えないように…
『なくなる』って現実を、受け入れられないでいたんだ。

でも今日、皆が見えているものが違うことを知ってから、
『何もない部屋』の見え方が、ガラリと変わったんだ。
周りから全部なくなった時に、最後に見えるもの…
俺が最後まで見ていたいものは何か?っていうのが、はっきり見えたんだ。

山口はそう言うと、布団の中で僕の手をギュっと握った。
これが答えだよ…と伝えてくる手の温もりが、僕の心をいっぱいに満たした。


「何もなくなったけど、ツッキーが居るだけで、景色が違って見える。」
この家は今、二人だけ…実家暮らしだったら、『超絶ラッキー』な状況だよ。
音とか声とか気にせずに、今ならアレもコレもムフフ♪…ってね!

楽しそうに笑う山口に、僕もつられて笑い、二人の頭から布団を被せた。
前はこうやって、布団に篭って…周りなんて全く見えてなかった。
周りに何があろうとなかろうと、ただただ…お互いしか見てなかった。

「逆に、山口が居ないだけで、『いつもの部屋』も…景色が激変だったよ。」
二人で同棲している、幸せな我が家。
昨夜も一昨日も、『独り』になったその家が、あまりに冷たくて…
何もないこの部屋よりも、ずっと『空っぽ』に感じていたのだ。

自分にとって、最後までなければならないものは何か…?
僕も同じ答えに辿り着いていたことを、ギュっと手を握り返し、山口に伝えた。


「僕達は幼馴染で、ずっと一緒に…同じモノを見てきたつもりだった。」
「でも、俺とツッキーがそれぞれ『見ていたもの』は、きっと違う…」

同じモノを見ていても、見え方は人によって違うし、捉え方も違う。
そのことが、意見の食い違いを生み、喧嘩の原因になることもあるだろう。

けれども、『違う』ことが当たり前だとわかっていれば、
『違う』こと自体を無闇に怒ったり、嘆いたりすることは、少なくなるはずだ。
それに、見え方が違うからこそ、新しい世界を知ることができる…
驚きと発見を分かち合う『酒屋談義』を、共に楽しめるのだ。

「僕と山口が見ている世界は、違う。これからも、それは変わらない。」

同じ場所に居ても、同じモノを見ていないこともあれば、
同じモノを見ても、同じように見えているとは限らない。
だとしても、僕は山口と一緒に…ずっと山口の傍で、同じ世界を見続けたい。


もう一度、山口の手を強く握る。
この温もりが、僕の一番大切なもの…


「これからもずっと、僕の隣に…居て下さい。」




- 続 -




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※月島&山口の帰省 →『愛理我答
※赤葦、初の黒尾家訪問 →『得意忘言
※婚姻契約公正証書 →『泡沫王子
※円満調停 →『福利厚生④




2017/06/09

 

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