福利厚生⑥ (月山編)







「月…綺麗だね。」


逃げるようにして部屋付の露天風呂に入ると、
目に飛び込んできたのは、澄んだ夜空に…月。
まだ満月には至っていないけれども、ほぼ『完成』に近い形…
街灯も周りにほとんどなく、階層も高い分、月の光が余計に近く感じる。

暗い夜空…月の光に当たった場所が、いつもより明るく、輝いて見える。


風呂の縁に両腕を置き、外に半分身を乗り出すように、
二人並んで、静かに月を眺める。
木製の格子窓から下を覗くと、仄かにライトアップされた日本庭園…
おそらく、夕方入った大浴場から見えた場所だろう。
回遊式庭園の池にも月が映り、鯉が近くを泳ぐ度にその月が揺らめいている。
本当に贅沢で…この世のものとは思えない光景だ。

「今回の旅行…楽しかったね。」

月の瞬きと同じくらい、穏やかな声。
月を見上げたままそう言った山口に、僕も月を見上げたまま答えた。

「最高に楽しい、福井旅行だったよ。」

今回の仕事は、本来なら僕達は不要だった。
行先が聖地・福井だという理由で、無理を言って連れて来て貰ったのだ。
本当は、最初から『福利厚生』として4人で来るつもりだったかもしれない。
そうだとしても、長年の夢…福井恐竜博物館観覧の機会を得られたことに、
僕は心から…素直に感謝している。(兄ちゃんにもお土産を買ったぐらい。)

福利厚生は、従業員のケアのためのもの…だけど、
こんなに楽しい時間を過ごせたのは、雇主の黒尾さんと…兄ちゃんのおかげ。
これからも精一杯努力して、僕はこの人達と共に働き、尽していきたい…
僕にさえそう思わせたんだから、むしろ雇主にとっての『福利』だと思う。


「ねぇ、ツッキーは…俺と『二人きり』で来たかった?」

この福井旅行は、名目上は出張でも、実質は『新婚旅行の予行演習』だった。
本来なら、上司と同僚も一緒に…だなんて、その場で離婚されてもおかしくない。
今だって、部下の目の前で淫猥な空気を醸されてしまい、
(かつて考察した定義に従えば、あれは紛れもなく前戯に該当する。)
露天風呂からおいそれとは部屋に戻れない…思い通りにはいかない状態なのだ。
全く、とんでもない上司達…普通なら退職勧告、もしくは離婚協議モノだ。
それでも僕は、はっきりと断言した。

「僕は…『4人』で良かったと、思ってる。」

勿論、山口と二人きりの時間は大切だし、
二人きりでの新婚旅行『本番』には、必ずまた福井に来る予定だ。
でも、種類は違うけれども、僕にとって『山口との時間』と同じぐらい、
黒尾さんと赤葦さん…4人での『酒屋談義』は、かけがえのない時間なのだ。

4人でふざけ合いながら。時折本気で考察しながら。
素のままの自分と、僕と山口の『自然な姿』を認め、受け入れてくれる…
そんな大切な人達と共に、楽しい時間を過ごせたことが、僕は嬉しかった。

「俺も…皆で来れて、本当に嬉しかった。4人で…良かった。」
山口も、僕と全く同じように感じていたことに、僕はまた嬉しくなった。
ほらやっぱり…僕の相手は、山口しか有り得ないじゃないか。


湯船の中で、そっと山口の手を握る。
そう言えば、高校時代の合宿中にも、こんなことがあった気がする。
4人で『酒屋談義』…暴走した赤葦さんから逃げるように、大浴場へ。
いつ誰が来るかわからない、合宿所の大浴場…『公開された場所』で、
理非をわきまえた上で、ほんのちょっとだけ触れ合った。

年数にすると、あの頃からそんなに時間は経っていない。
でも、あの頃の僕達とは、全く違う環境に居る。

僕達はずっと、カイロウドウケツに守られたドウケツエビのように、
『二人きり』の世界に閉じこもっていた。
だけど、僕達を守っていた殻は黒尾さん達に壊され…『外の世界』を知った。
知った上で、僕達はずっと二人一緒が良いと強く願うようになり、
今もこうして…二人並んで、一緒に月を眺めているのだ。


僕達自身も環境も、随分変わった。
それでも僕の隣には、山口がいる。

一番大切な部分が変わっていないことが、こんなにも…嬉しいなんて。
握った手に力を入れ、反対の手で山口の頬に触れ…静かに口付けた。




***************





息も上がらないぐらい、緩やかなペースで。
柔らかく触れ、ほんの僅かに啄むだけのキスを続ける。
檜造りの湯船に向かって、黒龍が熱い湯を注ぐ音だけが、月夜にこだまする。

キスをしながら、腿の上に山口を乗せる。
スルリと背に腕を回し、首に腕を回され、固く抱き合いながらキス…
そのキスが離れ、閉じていた目を開き、お互いに焦点が合った瞬間、
こちらにもその音が聞こえるぐらい…山口は顔を朱に染めた。

「どうしたの?急に…恥ずかしくなった?」

冗談半分でそう茶化してみたら、「あ…」とも「う…」ともつかない声を出し、
僕の視線から逃げるように、ギュっとしがみ付いてきた。
肩口に埋められた顔。頸筋にかかる熱い吐息。
耳元で囁かれる…声にならない声。

その全てが僕を煽り、一気に膨張した熱が、密着した山口に強く当たる。
それがまた山口の羞恥を煽り、山口自身の熱が、僕を圧迫する。

「ここはほとんど『外』だから…恥ずかしい?」
黒龍の水音に隠れるぐらいの小声で、わざとらしく訊ねてみる。
そして、『外』を意識させるように、月が綺麗だね…と、もう一度言った。

山口は僕の声にビクリとカラダを震わせ、その振動が触れ合う部分を刺激する。
僕の質問に答えて?と、波が立たない程ゆるゆると、背を上下に撫でる。

微妙な動きで余計に肌が敏感になったのだろうか…
僕の鎖骨を上下の唇で挟みながら、必死に甘い声を堪えている。
歯を立てないように、大きく口を開け…吐息と共に、僕の弱い部分に舌が触れる。

「そんなトコ、そんな風にされたら…僕の方が、声…」
「だ、ダメっ…」

少し大きな声を出してみると、山口は慌てて鎖骨から唇を離し、
僕の声を飲み込むようにキス…そして、ようやくぽそぽそ話し始めた。


「すぐ、そこに…黒尾さん達が、居るから…」
「コッチに気を回す余裕なんて、ないと思うけど?」

外のひんやりした空気のおかげで、あの淫靡な色を薄められたコッチと違い、
アッチは濃厚な『色』に包まれたまま…お互いしか見えてないはずだ。
逆に、あの昏睡…すっかり寝入っている可能性だって、十分あり得るのだ。
それに、コッチとアッチを隔てているのは、透明なガラスだけだとしても、
それぞれが死角になる位置を、さっき十分確認したじゃないか。

「直線距離にしたら…結構離れてるよ。」

泊まっている部屋は、12畳の和室。
その端っこの布団に寝ているアッチと、反対側から更に外のコッチでは、
少なく見積もっても5m以上の距離があるのだ。
透明だけど、防音防湿効果の高い二重ガラス(赤葦さん談)…
相当大きな声を出さない限り、互いの『色』は届かないはずだ。

「いつもはもっと近いし…昨日はもっと、近かったでしょ?」

僕達が住む部屋と、黒尾さん達の部屋は、同じ建物の2階と3階。
寝室の位置も同じだから、いつも僕達の『真上』で、あの二人も…
天井高+αと考えても、3mちょっとしか離れていない。

更に言えば、昨夜だけでなく、今まで何度も出張や旅先のビジネスホテルで、
僕達は隣室に泊まっている…こういう場所は左右反転の間取りが多いから、
20cm程度の『壁一枚』隔てた場所に、アッチとコッチが…という距離なのだ。
それらに比べたら、今の状況は…数値的にはかなり『遠い』のだが。


ほら、ちゃんと冷静に数字にしてみれば、そんなに恥かしくないよね?
そう言い聞かせるように、今度は僕が山口の鎖骨にキスをすると、
山口は盛大な水音を立て…その音に自分で驚き、更に頬を染めた。

「数字の問題じゃ、ない…」

距離はあっても、アッチとコッチは『同じ』部屋の中…
同じ空間に、あの二人が居るなんて、恥かしくて堪らないよ。
実家に居た時は、同じ家に家族が居ても、俺達は、その…だけど、
すぐ傍に、あれだけ愛し合ってる二人が居るのとは、全然違うから…

それに、同じ『部屋』に居るはずなのに、ここは『外』でしょ?
『中』なのに、『外』っていう恥かしさもあって…

「そのギャップに…燃えちゃってるんだ。」
「あっ…やっ…」


山口は、こういう『ギャップ』に弱い。
弱いというのは勿論、苦手という意味ではなく…その『逆』の意味で、だ。

正月に帰省した時も、実家の僕の部屋で…こたつの『外』で課題に取り組み、
『中』では互いに組み合い…という倒錯した状況に、
山口は常になく…まあ、その、サイコーにアレだった。

今の状況は、その時以上の倒錯っぷりだ。
『外』ではあるが、他人に見られる恐れはない、部屋の『中』にある。
でも、その『中』には、よく見知った友人達…いつ見られるかわからない。

ここは『外』なのか、『中』なのか。
見られたら恥ずかしい第三者は、『外』の他人なのか、『中』の知人なのか。

こうした倒錯した状況の『中』に置かれると、『外』から与えられた刺激に、
ことごとく羞恥心を掻き立てられ…快楽に直結してしまうのだ。


「ねぇ、もう…このまま、ダメ?」
「や、ダメっ!」

湯の滑らかさと温かさで、スルリと僕の指を飲み込んでいく。
大して解さなくとも、このまま…すんなり『中』へ入れそうなぐらいだ。
でも、山口が『このまま』はダメというのならば…

僕は山口から指を引き抜くと、抱き締めたまま湯から上がり、縁に座らせた。
「え?なんで?」という顔を隠しもしない山口に、僕はコッソリ微笑みながら、
浴室の床…畳(防水仕様)の上にバスタオルを敷いた。

「湯船がダメなら…コッチ。」
「そ、そういう意味じゃ…っ!?」

つい大きめの声で反論した山口に、僕は指先で「しー。」とジェスチャー。
バッと山口が手で口を抑えたところで、
僕は山口を引き寄せてバスタオルに寝かせ、上から覆い被さった。

「ちょっ、ツッキーっ!?」
「湯船だと、僕らの動きで…凄い波音が立っちゃうでしょ?」

それに、きっとこの後、あの二人だって露天風呂に入るだろうから、
僕達が愛し合った痕跡…湯船に残すわけにはいかないよね?
ここはウチじゃない…外なんだから。

「それは、そう、だけど…っ」
「安心して。この体位だと、山口は誰からも…見えないよ。」

こんな山口の姿、たとえ黒尾さん達であっても…絶対見せたくないから。
山口の『色』を見ていいのは、僕だけ…だから、僕がしっかり隠しておくよ。

普段の僕なら、絶対に言わないような、甘い甘い本心…心の『中』を晒すと、
息をするのも忘れたように固まり、元々赤かった頬を、更に紅く染め上げた。
ホントに山口は…ギャップに弱いんだから。


「ねぇ、月…見える?」
少しでも声を出したら、抑えが効かなくなってしまうのか、
僕の問いには、目も口も閉じたまま、コクコクと頷くだけだ。
そんな山口にお構いなし…むしろ狙いすまして、僕は耳元に囁き続ける。

「普通、『外』だと立位だし、お風呂の『中』なら、座位が多いよね?」
でも僕達は今、『外』のお風呂に居るのに、『中』でしかあまりできない…
畳の上で、正常位で繋がってるんだよ。

いつもは、黒尾さん達が愛し合っている場所…『中』の天井が見えるのに、
今の山口には、澄み切った夜空と月…『外』の世界が見えてるんだ。

「ねぇ…月、綺麗?」

僕の言葉ひとつひとつに全身を震わせ、覆い尽くせない程の色を醸しているのに、
目に涙を浮かべながら、『外』に出すまいと、必死に声を飲み込み続ける。
それでいて、繋がっている部分は、もっと『中』へと僕を誘い込んでくる…

この倒錯した『ギャップ』に、僕は…弱いのだ。


もし誘われるがままに、激しく『中』へ入ったら、
山口の声は『外』に押し出されてくるのだろうか?

上体を少しだけ起こし、それを確かめるかのように動き始めると、
その意図を察した山口は、慌てて僕を引き寄せてキスし…一言だけ呟いた。


「月は…俺が見てる月は、ずっと…綺麗、だよ。」

声や吐息、そして想い…
『外』に溢れ出てきたものは、触れ合った部分を通し、
互いの『中』に、全部入っていった。




- 月山編・完 -




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※『前戯』の定義 →『無限之識
※合宿中の大浴場で →『大胆不適
※カイロウドウケツ →『白馬王子
※正月の帰省 →『同意足増(月山編)


2017/04/07

 

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