白馬王子







「今日は皆さんで、美女を愛でたいと思います。」
「じゃあ、美味しく頂こうとするか…乾杯!」


連休前夜の、月島宅。
今夜も他愛ない話を肴に、赤葦の振る舞う酒を味わおうと、
黒尾、赤葦、月島、山口の4人は、『酒屋談義』に集合した。

大学進学とともに上京した月島の生活拠点は、9割方山口宅…
徒歩1分、20m弱の橋の…向こう側にある。
未だ同居せず、『一人暮らし×2』という体裁を保っており、
ここ月島宅は、書庫兼『酒屋談義』の場と化していた。

人生で一番時間に余裕を持てる大学時代…
この『猶予期間』を存分に楽しもうと、4人は結構な頻度で集まり、
些細なネタをこねくり回し、のんびりと『癒しの時間』を満喫していた。

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「今日の一杯は、綺麗な青緑色…薄めのターコイズ・ブルー?」
「青はブルー・キュラソーだな。香りは…金木犀っぽいな。」
「味は…ライチとグレープフルーツですね。」

「桂花陳酒…金木犀を漬け込んだ白ワインに、ライチのリキュール、
   そしてグレープフルーツジュースと、ブルー・キュラソー…
   世界三大美女の一人、『楊貴妃』というカクテルです。」

常連客の3人にグラスを配ると、絶望的に酒に弱いバーテン赤葦は、
自分用に全く違う色のグラスを用意した。

「赤葦さんのは…黄色とオレンジの中間の色ですね。」
「柑橘系の香りだな…レモンとオレンジか?」
「あとは…パイナップルの甘い香りもしますね。」

様々な酒を散々飲まされてきた常連客達は、味を見ずとも当てて見せた。

「大正解です。その3つのジュースをシェイクして作る美女…
   『サンドリヨン』です。勿論、ノンアルコールカクテルです。」

本当は、『女性限定』のカクテルらしいですけどね、と言いながら、
赤葦は実に美味そうに、静かにグラスを傾けた。

「楊貴妃にサンドリヨン(Cendrillon)…
   ってことは、今日のテーマは『シンデレラ(Cinderella)』だな。」

楊貴妃も、歴史上で1,2を争う超玉の輿婚…
3000名以上もいる後宮の女性達中から、玄宗皇帝に選ばれた寵姫である。
楊貴妃がシンデレラのモデルではないか、という説も存在する。


「シンデレラ…昔、明光君に読んでもらったね。」
懐かしいなぁ~と、山口は2杯目の楊貴妃を口にしながら微笑んだ。

「どうせ月島君のことですから…さぞお兄さんを困らせたんでしょう?」
「一目惚れで次期王妃を決めるのか?とか、可愛くない質問したんだろ?」

赤葦と黒尾の言葉に、山口は苦笑いして答えた。

「それ以前…『入口付近』でごねたんですよ。
   『正体不明の人物を城に入れるなんて…衛兵は何やってたの?』って。」

呆気にとられる黒尾達に、月島は当然といった顔で説明した。

「『シンデレラストーリー』の大きなポイントの一つは、
   住む世界が全然違う王子様との、超玉の輿婚です。だとすると…
   『どうやって二人は出逢ったのか』は、かなり重要な論点のはずです。」
「まぁ…本来なら出逢うはずもない相手だしな。」

確かに、『入口付近』…二人の出逢いを語らずして、物語は始まらない。


「シンデレラは、後の捜索活動から見ても、『正体不明』の人間だった…
   衛兵は彼女が来城した際、誰何しなかったんでしょうか。」
「それは…考えにくいでしょうね。『世継ぎの母』を選ぶ舞踏会…
   当然、厳重な警備と身元調査が行われるはずです。」
「でもよ、来城者全員の調査なんてしてたら…城門へ続く道は大渋滞だ。
   馬車の駐車スペースへの誘導も、すっげぇ大変だったろうしな。」

確実な身元調査を担保しつつ、円滑な入城を図るためには…

「予め、身分の保証されたお嬢さん方に…『招待状』を送っておいた。
   それならば、城門では招待状の確認のみで済みますね。」

「赤葦さんの言う通り、その時の結論もそうなりました。
   ただ、絵本には『招待状が来た』という記述がなかったんで…
   『魔法で招待状も用意した』ということで落ち着きました。」

月島兄の、その時の苦悶が目に浮かぶ。
だが月島は、憮然とした表情で「ここからが本題です」と意気込んだ。


「あの頃の僕は、まだ純真な子どもだったので…それで納得しました。
   ですが、その招待状こそが大問題だと…最近気付いたんです。」

「馬車やドレスも魔法で作ったんだから、招待状ぐらい…」
カボチャから車体を、ネズミから御者を作るよりは、
ただの『紙切れ』を作るのは…ずっと『チョロい』魔法であるはずだ。

「どんな手段であれ、招待状という『文書』を偽造・行使することは…
   『文書偽造の罪』に該当するんですよ。」

免許証や契約書、診断書…これらの重要な『文書』は、
それが『本物である』という信用のもとで、様々な社会生活が営まれる。
もしこれが偽物であれば、社会は大混乱に陥ってしまう。
そのため、文書偽造は刑法で厳しく取り締まる必要があるのだ。

「シンデレラの住む国が、『王政』だとすると、
   その王の名の下に作られた『招待状』は、『詔書』の可能性が高い…
   その国にとっては、最高ランクの『重要文書』になりますね。」
「当然ながら、御璽や国璽なんかの『印章』も付いてるだろうな。
   詔書偽造等罪は…日本ですら、『無期または3年以上の懲役』になる。」
「王政だったら…下手すると極刑かも…?」

一般人が作った契約書などよりも、公的機関が作った戸籍等を偽造した方が、
信頼性…『守るべき利益』が大きい分、偽造に対する罪は重くなる。


「ちなみに黒尾さん…もし俺が月島君宛に、
   『未だに<好きだ><愛してる>といった言葉を一度も言ってくれない…
   そんなツッキーの気持ちがわからなくなりました。云々』って、
   山口君を装って『お手紙』をしたためた場合には…?」

赤葦の『喩え話』に、月島と山口は同時にカクテルを吹き出した。

「その場合は、条文に当てはまったとしても、せいぜい『私文書偽造』…
   山口忠の署名入の『有印』でも『3月以上5年以下の懲役』で、
   署名無の『無印』だと、『1年以下の懲役又は10万円以下の罰金』だ。」
裁判費用の方が、高くつくかもな…と、黒尾は真面目な顔で六法を捲った。

「た…たとえ不起訴になっても、僕の『ガラスの心』は粉々ですから…
   赤葦さんと黒尾さん双方に、損害賠償を請求しますからねっ!!」

ゲホゲホと咳き込みながら反論する月島。
その背を撫でながら、山口はシンデレラに話を戻した。


「消えたシンデレラを探すために、捜索担当者はまず、
   『招待者名簿』と『招待状』を照らし合わせたはず…ですよね。」
「その時点で…担当者は、『事の重大性』に気付いただろうな。」

魔法で『見た目』を良くし、王子を魅惑したことは、
強いて言うなら、『お姫様』だと錯誤たらしめた…詐欺かもしれない。
だが、そんなことよりも、詔書偽造によって国王の権威を傷つけたことは、
比較にならないほど深刻かつ、重罪にあたるのだ。

「確かに、王子が一目惚れしたお嬢さんだけど…
   国の威信を汚した大罪人を、次期王妃にしていいのか…モメただろうね。」
「『それでも彼女がいい!』と、王子が皆を説き伏せたのなら、
   それはそれで『愛』のある話…かもしれませんが。」

現実的な大問題に、黒尾は重いため息を付いた。

「もし結婚できたとしても、シンデレラへの風当たりは強いままだろうな。
   偽造までして『玉の輿』に乗ったって、ロクなことねぇぞ…」

シンデレラの本当の苦難は、むしろ結婚後から始まるのだ。


月島は赤葦から『サンドリヨン』を受け取ると、
それを一気に飲み干し、呼吸を整えて言った。

「というわけで、次のテーマは…『玉の輿は本当に幸せなのか?』です。」




***************





一般女性が苦労の末、見違える程の成功と幸福を手にし、
資産家の『王子様』と結ばれる…シンデレラ・ストーリー。

「いつか、白馬に乗った王子様が…」と、女性なら誰しも一度は見る夢…
それが、『玉の輿』である。


「『玉の輿』って…『お玉さん』が乗った輿、なんだよね?」

身分の低い八百屋の娘・お玉が、徳川家光に見初められ、
西陣の大棚・本庄家の養子になった後、そこから豪華な輿に乗って嫁いだ。
この出来事から、『玉の輿』という言葉が生まれた…という説だ。
本庄家の持つ『菊の御紋』入りの鉾が納められていた今宮神社は、
別名『玉の輿神社』と呼ばれている。

「お玉は家光に嫁いだ後、5代将軍綱吉の生母・桂昌院となり、
   従一位の官位を賜った…これは、家光の母・春日局の従二位を超える、
   女性としては最高位ですから…日本史上最高のシンデレラですね。」

赤葦は、楊貴妃に使ったボトル…『桂』花陳酒を手にしながら、
お玉こと『桂』昌院の概説を語った。


「僕の結論を先に言ってしまうと…
   玉の輿なんて、『ロクなことはない』ですね。」

月島は本棚から『司法統計年報』を取り出し、家事事件の頁を開いた。
「データは数年前のものですが、裁判所への離婚申立事由の第一位は、
   男女ともに『性格の不一致』…つまり、『価値観の違い』です。」

大体、女性からの申立の44%、男性では64%にも上る。

「片や超絶金持ちの『王子様』、片や虐げられた『不遇の娘』…
   本来であれば、絶対に出逢うはずのない『別世界の人間』です。」
「同じ『価値観』を持つことなど、ほとんど…有り得ないよね。」
「一般人同士でも、『価値観の違い』を見抜けなかったことが、
   こんなにも多くの離婚原因になってしまうんですから…」
「見抜く間もない『一目惚れ』なんて、実に厳しい状況だよな…」

日本のシンデレラ物語ともいえる『落窪物語』でも、
主人公・落窪の君は、あまりの『格差』に戸惑うばかり…
結ばれるまでも、結ばれてからも、相当な苦労を強いられた。


シンデレラの『今後』が不幸になり易い理由…まだあるぜ。
黒尾も赤葦に『サンドリヨン』を所望し、ゆっくりグラスを揺らした。

「一番の問題は、シンデレラ自身の『気質』にある。
   被虐嗜好…『自己犠牲』と『逆境』への親和性だ。」

私さえ我慢すれば…自分にも非があるかも…
この苦難を乗り越えれば、いつか王子様が…

「苦しい思いをしても、健気に耐えて、ポジティブに…
   まさに『悲劇のヒロイン』は、シンデレラの気質ですね。」
だからこそ、玉の輿という『大成功』がカタルシスを生むのだが…

「そのシンデレラ的発想…DV被害者と、よく似た部分がありますよね。」
「あぁ。だから、結婚後のシンデレラは、埋め難い価値観の違いや、
   周囲の冷たい視線に耐え…精神的に厳しい状況にならざるを得ない。」

黙って聞いていた山口も、ターコイズブルーのグラスを傾けながら、
辛そうな表情で言葉を紡いだ。

「一般人でも、DVから抜け出すのは大変なのに…
   次期王妃ともなれば、離婚なんて…困難の極みだよね。」

司法統計年報にあった『裁判による離婚』は、全離婚のうちごく僅か。
大多数は、『話し合い』すなわち協議離婚を行う。

「協議離婚が認められている日本は、世界的に見ても『例外』です。
   多くの国では、離婚そのものを認めてないか、裁判が必須です。」

法制度上も、立場上も、離婚はほぼ不可能と思われるシンデレラ。
一緒に生活すればするほど明らかになる、夫との『価値観の違い』…
冷める夫婦仲。次第に冷遇されるようになり、夫は側室を設ける場合も。

「シンデレラは、結婚前よりももっと『逃げられない』状況に。
   さらには、妾の子が生まれようものなら、シンデレラの子は…」
「若かりし頃の、シンデレラと…同じ境遇、だね。」
「『シンデレラ』が…遺伝する、ということになりますね。」

折角、白馬の王子様が迎えに来てくれたはずなのに。
やっとのことで、不幸な境遇から抜け出せたはずなのに。
ずっと苦労して、魔法まで使って、更には詔書偽造罪まで犯して、
たどり着く先は…『シンデレラ』のループかもしれないのだ。

「結局、シンデレラの幸せは…『王子様』に全てかかっているんです。
   王子様の愛が、『異次元の価値観』を乗り越える程強くなければ…」

シンデレラは、自立できないまま…王子様に依存し続けることになる。


シェイカーを振り、赤葦は遠くを見ながら口を開いた。

「男性に高い理想を追い求め続け、その理想の『王子様』が、
   自分を幸福にしてくれるのを待つ…心理学用語で、
   『シンデレラ症候群(コンプレックス/シンドローム)』と呼ばれる状態ですね。」

「実際は…『似た者同士』じゃないと、上手くいかないのに…」
「これ、女性に限った話じゃなぇよな。
   『逆境に打ち克つ』とか言って、ホントは会社にコキ使われてんのに、
   いつか『俺の真価をわかってくれる人が…』って言ってる男も、
   悲劇のヒーローに浸って『待ってる』だけの…シンデレラだ。」

誰もが憧れた『玉の輿』…だからこそ、
誰もが『シンデレラ』に陥る可能性があるのだ。

「現実は、そんなに甘くない…ってことですね。」
「だからこそ、歴史的稀少成功例が…『愛の物語』になるんですね。」


『愛の物語』にそぐわない『しんみり』した雰囲気を打ち破ろうと、
山口は『楊貴妃』をグイグイとあおり、明るい声で話題転換した。

「そういえば、ちゃんと履ける『ガラスの靴』…実在するんですよ!」
「それは吉報だな。一つぐらい、シンデレラの夢を叶えてやりてぇよ。」

黒尾は新しいグラスを手に取ると、山口と共に『乾杯!』をした。
だが、そんな二人に、月島と赤葦は冷静にコメントを入れた。

「シンデレラのガラスの靴…ってことは、『片足』分なんじゃないの?」
「それに、『履ける』といっても…『歩ける』とは言ってませんよね。」

ガラスの靴を履き、『真っ直ぐ』立つことは…強度的には可能である。
だが、歩くとなると、かかと部分には『斜め』方向から力がかかる。

「安全確保の面から考えると…かなり『曲げ』に耐える力が必要だな。
   しかも、ダンスをしたり、走って逃げるとなると…」

シンデレラの体重を仮に50kgとすると、最低でも引張(曲げ)強さは、
150MPa以上なければならない計算になるそうだ。

「とすれば、素材として、200MPaはある安全ガラス…
   熱強化ガラス製のものが考えられますね。」

熱強化ガラスとは、普通のガラスに熱処理を加え、急冷却したもので、
普通のものよりも強度が高く、また『粉々に』砕け散るため、
尖った破片で足を傷つけることもなく…安全な素材と言える。

しかし、そうだとしても、『走って逃げる』には、
ヒールの高さは『1.15cm未満』でなければならないらしい。

「極太ローヒールなガラスの靴は…似合いません。」
「ダンスが下手でも…物語は成立しませんよね。」
残念そうにため息をつく、月島と赤葦の二人。
そんな二人に、山口はニッコリと笑って見せた。


「もしかしたら、将来…本当の『ガラスの靴』ができるかも…
   この『楊貴妃』が、何とかしれくれるかも…なんですよ。」


杯を重ね、澄み切った瞳をした山口。
酒が入れば入るほど、脳内がクリアになっていく…

その瞳に、楊貴妃のターコイズブルーが映り、淡い光を放った。





***************





「皆さんは、白楽天の有名な漢詩…『長恨歌』をご存知ですよね?」

山口の問いに3人は同時に頷き、赤葦が代表して答えた。
「玄宗皇帝と楊貴妃の物語を題材にして作った、長編の漢詩…
   二人の『永遠の愛の誓い』を謳い上げたものですね。」

黒尾は横に居た赤葦と肩を組んで、有名な一節を諳んじた。
「『天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん』…
   『比翼連理』って言葉は、『非常に仲の良い夫婦』のことだ。」

『比翼の鳥』は、雌雄それぞれが片目片翼のため、
常に二羽一体となって飛ばなければならない、伝説上の鳥だ。
『連理の枝』は、二つの木の枝と根がつながって一つになり、
木肌や木目が連なることを言う。

「この『比翼連理』と同じ意味の言葉が、『偕老同穴』…
   共に暮らして老い、死んだ後は同じ墓穴に葬られる…なんです。」
結婚披露宴での、定番中の定番スピーチである。

「かいろう、どうけつ…その名前、どこかで聞いたことあるんだけど。」

かなり酔いが回ってきた月島は、思い出そうと首を捻る。
月島に『サンドリヨン』を飲ませながら、山口は説明を続けた。


「カイロウドウケツは、深海に生息する海綿の一種です。
   二酸化珪素の骨格を持つ、円筒形の美しい生き物で…
   別名が、『ガラス海綿』もしくは『ヴィーナスの花かご』です。」

グラスファイバーに似た細いガラス繊維が、美しい網目を形成し、
その美しさから、観賞用としても愛されている。

「グラスファイバー…すっげぇ強度、だったよな?」

グラスファイバーの引張強さは、3430MPa…ケタが違う。
だが、それを作るには、1000度ぐらいまで熱しなければならないため、
作成には時間もコストも、相応の技術も必要となる。

「カイロウドウケツは、10~20度の低温…体内でそれを生成できるんです。
   しかも、光ファイバーと同様の性質で、更に曲げに強く…しなやかです。」
「もしそのプロセスを技術として確立できれば、
   グラスファイバー並の強度を持つ『ガラスの靴』も…」
「作れるかもしれねぇってことか。」

新機能光ファイバーによる、更なる高速通信への期待も寄せられており、
カイロウドウケツの研究は、今まさに進められているところである。

本当に近い将来…『ガラスの靴』は、実現可能かもしれないのだ。


「思い出したよ。カイロウドウケツ…その体内に、
   一組の『ドウケツエビ』が棲んでるんだ。」

月島は『深海生物図鑑』を取り出し、美しい網目の花かご…
カイロウドウケツの中にいる、透明なエビの写真を皆に見せた。

「このエビは、幼生の頃に体内に入ると、そのままそこで成長します。
   面白いのは…雌雄2匹の『つがい』で入る所です。」

正確には、2匹で入った後に、成長してオスとメスに性分化する。


「写真で見ると、カイロウドウケツの入口よりも、
   ドウケツエビの方が大きく見えますが…」

赤葦の疑問に、月島は頭を縦に振った。

「そうなんです。ドウケツエビはそこで成長し…一生を終えます。」
「ずっと夫婦二人きり…なんですか?」
「まさに『偕老同穴』に相応しいな。」

驚きを隠せない赤葦と黒尾に、山口は嬉しそうに微笑んだ。

「このカイロウドウケツが、『ガラスの靴』の鍵になる…
   そうなるといいなぁって、期待しちゃいますよね。」

シンデレラのモデルとなった楊貴妃の愛が、
シンデレラと王子様の愛を繋ぐ…これこそ、美しい愛の物語ではないか。


山口の頭を『可愛いなぁ、おい…』とかき回していた黒尾は、
何かを思い出したように立ち上がり、棚から電卓を持ってきた。

「最近、10代のお嬢さん方の間で、
   『シンデレラ体重』ってのが流行ってるらしいんだが…」

どんなにガラスが強化されても、シンデレラの体重は…軽い方が良い。

「シンデレラっていうぐらいですから…お嬢さん達の『理想体重』ですか?」
「あぁ。『身長(m)×身長(m)×20×0.9』っていう計算式らしいぜ。」
「健康で、生活習慣病の発症リスクが一番低いとされる『適正体重』…
   こちらの計算式は、『身長(m)×身長(m)×22』ですから…」
「かなりというか、めちゃめちゃ『スリム』だよね。」

山口は苦笑いしながら、引き出しから紙とペンを取り出した。

「『20×0.9』とは『18』のことだ。でも、いきなり『18』と言われたら、
   『22』に比べて、とてもじゃないけど『ムリそう』に感じるが…」
「同じ『20台』にしつつ、それにちょっとだけ少ない『0.9』を掛け、
   パっと見の『無理さ』を緩和し、さらには『それっぽい』数式に仕上げ…
   実に涙ぐましいというか、巧いテクニックですね。」
「では…僕達4人の数値を、実際にあてはめてみましょう。」

月島はそう言うと、各々に身長と体重を聞き、電卓を叩いた。
その数値を、山口は紙に記していった。


<黒尾> 187.7cm/75.3kg、S体重63.41kg(+11.89)、適正体重77.50kg(-2.20)
<赤葦> 182.3cm/70.7kg、S体重59.81kg(+10.89)、適正体重73.11kg(-2.41)
<月島> 188.3cm/68.4kg、S体重63.82kg(+4.58)、適正体重78.00kg(-9.60)
<山口> 179.5cm/63.0kg、S体重57.99kg(+5.01)、適正体重70.88kg(-7.88)
(※S体重はシンデレラ体重、カッコ内は実際の体重との差を表す)


「こうしてみると…シンデレラ体重は、本当に『激やせ』ですね。
   ダイエットに憧れる時期とはいえ…お嬢さん方の体調が心配です。」

4人とも、適正体重よりは軽い『引き締ったカラダ』だが、
それでも、シンデレラ体重よりは随分と重い。

「この数値からわかることは…」
「俺が一番、『均整の取れたイイカラダ』ってことになるな。」
黒尾は踏ん反り返り、Tシャツを捲って見事な腹筋を披露した。

「意外にも『ガッチリ』してたんですね…赤葦さん。」
「実は、『脱いだらスゴい』…隠れ巨乳タイプなんですよ。」
赤葦はYシャツの胸襟を少し開き、チラリと見せる振りをした。

「そして、№1シンデレラは…ツッキーだね。」
「ちょっと月島君…痩せすぎじゃないですか?」
「顔も体も『モデル仕様』…かなり許せねぇな。」
「ちょ、ちょっと、勝手に脱がさない!触らない!!」

無遠慮に『体型確認』を始めた赤葦と黒尾から逃げるように、
月島は『可もなく不可もない』山口の後ろに隠れた。


だが、黒尾と赤葦は、そんな月島を無視し、
山口の左右の手を、それぞれが取った。

「そんな『ヘソ曲がりなシンデレラ』は置いといて…
   お前さんもそろそろ、『カイロウドウケツ』から出たらどうだ?」





***************





「は…はい?」

月島から引き離され、黒尾と赤葦に左右から包囲された山口は、
目を瞬いて間抜けな返事をした。

「どういう意味ですか、それは…」

山口を引き戻すように襟首を掴んだ月島は、
不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、黒尾達に問うた。


「今までは、お互いしかいない…『ドウケツエビ』な状況でしょうが、
   本当はそこから抜け出せないわけじゃない…山口君は、自由です。」
「綺麗なカイロウドウケツに守られてるなんて…錯覚だぞ?」

気付いた時には、二人きり。
同じ空間、同じ価値観で育ち、お互いしか見えてなかった。

「世の中には、『幼馴染』の関係なんて…腐るほどある。
   『幼馴染』でも、ずっと『ドウケツエビ』で居続ける理由は…ねぇよ。」
「二人の価値観が近いのも、お互いしか居ないように見えていたのも、
   ただの偶然…というよりは、『稀少なケース』です。」

実際は、こうです…と、赤葦は山口を再度引き寄せた。


「山口君の周りには、『閉じ込める殻』など存在しません。
   月島君以外にも、『選択肢』は存在するんですよ。例えば…」

黒尾は山口を腕の中に力強く抱き込むと、背を撫でた。
「山口を救い出す王子様…『策士な泥棒猫』は、
   『年下の引っ込み思案な幼馴染』の扱いには長けてるから、
   お前さんを思いっきり『猫可愛がり』してやれるぞ?」

今度は赤葦が山口を、背後から優しく抱擁した。
「『狡猾な猛禽類』である王子様ならば…
   君のどんなワガママも完璧にサポートして、支えてあげられます。
   将来に渡ってフクロウ…『不苦労』をお約束しますよ?」

唖然とし、硬直する山口。
月島は自分の立場も忘れ、「どっちも幸せそうだ…」と思ってしまい、
慌ててかぶりを振って、抗議の声を上げた。


「ま、待ってください。ぼ、僕にだって『選択権』は…」

「恵まれた環境に甘えて、『入口付近』を疎かにしてきた…
   そんな月島君に、『選択権』なんてあるわけないでしょ。」
「全く、<好きだ>も<愛してる>も言えねぇようなヘタレが、
   よくもまぁ、ラブ・ストーリーの『入口』を語れたもんだぜ。」

容赦ない『正論』に、ぐうの音も出なかった。
花かごの中に、山口を閉じ込めて来たのは…間違いなく、自分だ。

「か…完敗、です。」


「…何か言ったか?聴こえねぇな。」
「か、乾杯っ!!って、言ったんです。」

月島は残っていた『楊貴妃』に手を伸ばすと、一気に流し込み…
その場に突っ伏した。



「あーあ、黒尾さん…虐めすぎですよ。」
「辛辣さじゃあ、お前にゃ敵わねぇよ。」

酔いつぶれた月島の髪を撫でながら、黒尾は山口に振り返った。

「さっきのは半分冗談だが…半分は『本当のこと』だ。
   お前さんも、いつまでも『花かご』の中で安穏としてらんねぇだろ。」
「シンデレラよろしく、このまま『待ち続ける』つもり…ですか?」

先程とは打って変わった優しい口調。
だが、言っている内容は同じ…実に厳しいものである。

山口は新しい『楊貴妃』に口を付けながら、苦笑した。

「結局俺も、居心地の良いカイロウドウケツに浸って、
   ツッキーという『王子様』のアクションを待つだけ…
   ツッキーに『依存』している、ズルいシンデレラ…なんですよね。」

お互いしか居ない。お互いがいないと、成立しない。
それが、月島と山口…『稀有な幼馴染』という、共依存の関係だ。


「ま、お互いに『自立』を目指すも良しだが…別の『選択肢』もある。」
「自立できないなら、ちゃんと愛のある『共依存』…
   二人で『偕老同穴』を目指すのも、アリだと思いますよ?」

「!!…はいっ!!」

頼もしい『王子様』達の激励に、山口は深く頭を下げた。


半分寝ている月島を、『比翼連理』の如く肩に担ぐと、
山口は軽々と立ち上がり、危なげない足取りで玄関に向かった。

「あ…」
月島にサンダルを履かせながら、山口はふと思い立った。

「どうしました?」

「いえ、大したことじゃないんですけど…
   『この人がいなきゃダメだ』っていう『相手任せ』と、
   『この人は私がいないとダメなんだから』っていう『カゴの鳥』は、
   本質は同じ『依存』…『シンデレラ気質』なんだろうなぁって。」

それじゃあ…おやすみなさい。

そう言うと、山口は静かに玄関から出て行った。




「…参ったな。」
「えぇ…完敗です。」

残された黒尾と赤葦は、深くため息を付き、座り込んだ。

「酒が入った山口の洞察力…勝ち目はねぇな。」

苦笑いする黒尾のグラスに、赤葦は『楊貴妃』を注ぎ直した。
こちらも大分酔いが回った黒尾…ポツポツと言葉を溢し始めた。


「引っ込み思案な年下の幼馴染…ずっと『俺が守ってやらなきゃ』って。
   コイツは、俺がいなくなったら、どうなっちまうんだろうか…
   中学を出る時、滅茶苦茶心配したんだけど、な。」

実際に離れてみると、案外アイツは『普通』に生活を送り、
特に困ることもなく、『普通』に同じ高校・部活に入ってきた。
そして、多少の人見知りはあるものの、部員や他校の奴らとも、
それなりに上手くやっていった。

「俺がいなくても、別に何の問題もなかった。
   むしろ俺の方が、喪失感というか…置いてかれた気分だった。」

そんな時に現れたのが…自分に『よく似た』状況の奴だった。


「自由奔放で、破天荒…型破りの代名詞のような人の『参謀』…
   この猛獣をしつけられるのは、俺ぐらいでしょうねって…
   心の中では、密かに…自己陶酔していました。」

この人は、俺がいなかったら…どうなってしまうのか。
だが、先に引退したあの人は、持ち前の魅力溢れるカリスマ性で、
何処でも、誰とでも…楽しく上手くやれていた。
残された自分の方が、言いようのない虚脱感に陥ってしまった。

「別に俺は、あの人に『必要不可欠』な存在じゃなかった。
   俺は、自分の存在意義が…わからなくなっていました。」

そんな状況でも、自己を見失わないで済んだのは、
職務や立場に関係なく、ただ趣味の『雑学考察』を楽しむ同好の士…
この『酒屋談義』のおかげだった。

「お前見てると、放っとけなかった。
   このままじゃ…俺と同じ『虚無感』に囚われてしまうって。」
「最初は、何で俺なんかを『酒屋談義』に誘うのか、謎でしたが…
   今では、黒尾さんの『無遠慮な強引さ』に、感謝してますよ。」


きっと黒尾と赤葦の二人だけでは、お互いの性格上、
ここまで『心休まる』関係にはなれなかっただろう。

「偶然の産物とは言え…ツッキーと山口を引き入れたのは、
   大正解というか…やっぱり俺の『慧眼』だな。」

満足そうに喉を鳴らすと、黒尾は赤葦のグラスを取り、
酔いを醒ますように『サンドリヨン』を口に含んだ。

「あの二人…観察対象としては最高に面白いですよね。
   度を越して『のんびり屋さん』なのは驚くばかりですが、
   他者の付け入る隙もない強固な関係…正直、羨ましいです。」

赤葦はポロリと、素直な心情を吐露した。

「俺にも、いつか、『王子様』が現れる…でしょうか。」


赤葦の言葉に、黒尾は再び自分のグラスを手に取り、
一呼吸置いてから、静かな声で答えた。

「随分前から…『王子様』は手を差し伸べてるかもしれないぜ?」
「残念ながら…『泥棒猫』にしか、心当たりがないんですよね…」

「哺乳類ネコ科と、鳥類フクロウ科…別の『分類』に属すが、
   趣味も同じ、似た者同士…『不一致』で悩む相手じゃないな。」
「カクテルは、『+(足す)』と『÷(割る)』で作りますが…
   こちらは、『×(掛け)』『-(引き)』が楽しめそう…ですね。」

策士と参謀。一筋縄ではいかない、腹の探り合い…
心置きなく『かけ引き』を楽しめる関係が、この上なく心地良い。


「まだ待ち続けるのか…シンデレラさん?」
「あの二人をあれだけ煽っておきながら…?」

赤葦はグラスを持つ黒尾の手首を掴み、
そのまま自分に引き寄せ…『楊貴妃』を飲み干した。


「あとは『王子様』に…お任せします。」

そう言うと、赤葦はほんのり頬を染め…瞳を閉じた。



- 完 -



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※カイロウドウケツの中に、稀に3匹のドウケツエビが居る場合もあり、
   また、オスが外で捕食している可能性についての研究もあるそうです。
※シンデレラ体重の計算には、公式発表のプロフィールを使用しました。

※崩壊する童話5題『1.M気質のシンデレラ』


2016/05/14(P)  :  2016/09/16 加筆修正

 

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