音駒、梟谷、生川、森然、そして烏野。
この5校のバレー部員及び指導者を合わせると、
男子だけでも60人程の大所帯になる。
いくら梟谷学園高校の施設が整っているとはいえ、
この人数が入浴するには、トータルで相当な時間が必要となる。
大体、各校あたり1時間が割り当てられてはいるが、
遅くまで自主練をする者もおり、就寝時間直前は大変混み合う。
入浴順は日毎に学校ごとのローテーション。
烏野高校は、本日最後の順番となっていた。
順番待ちをしている間、どこかで静かに夕涼みしようと、
月島は山口を誘い、校舎の裏手へとやってきた。
昼寝に最適な場所を教えて下さい…という月島の希望に、
赤葦が指定したのは、主たる校舎ではない『別棟』だった。
その裏は北側に面し、日中でもほとんど日が差さない。
表側はまだ西日が赤々と当たっていたが、
こちらはもう夕闇に近く、
植栽の奥…校舎の外壁に沿って打たれたコンクリート叩きも、
既にひんやりとしていた。
水道で顔と手脚を軽く洗い、少しはサッパリしていたが、
靴を脱ぎ、そこに寝そべると、コンクリートの冷気と土の香りで、
随分と涼しく感じた。
「ここ…本当に気持ちいい場所だね。」
「ウチの学校にも、こういうところが是非とも欲しいね。」
そのまま静かに、風の音を聞く。
こうしてゆったりとした時間を共に過ごせることが、
いかに貴重で、得難いものであるか…
多忙な日々を送る中で、月島が知った『大切なこと』の一つだった。
少しの間、寝ていたようだ。
どこからか響いてきた賑やかな声に、月島はふと目を覚ました。
真横を向くと、同じように寝ていたらしい山口も、
薄く目を開き、まだぼぅっとしている様子だった。
今なら…少しだけなら、触れてもいいのでは…
風に揺れる植栽の、木の葉ずれの音に促されるように、
月島はゆっくりと山口に顔を近付ける。
その大胆な行動に、一瞬驚いたかのうような顔をしたが、
すぐに山口は微笑み、静かに瞼を下ろし始めた。
あと少し…もう少し…
その時、突如山口は目を大きく見開いた。
間近にあった月島の顔に一瞬赤面したものの、
今度は真っ青になって、月島を突き飛ばして立ち上がった。
「あっ…あああああぁぁっっ!!?
お、おおおおおつかれさまっ、です!!」
ビシっと直立し、最敬礼…真上に向かって。
飛ばされて尻もちをついた月島が、山口の視線の先を追うと、
校舎の3階の窓から、卵色のタオルを頭に掛けた…
赤葦が、手を振っていた。
「俺オススメのお昼寝スポット…気に入ってくれたみたいだね。」
「…おかげ様で。」
窓から身を乗り出し、こちらを見下ろしながら、
赤葦は何事もなかったかのように、淡々と述べた。
オロオロする山口に、「まだ何事もなかったでしょ。」と小声で言い、
月島も努めて淡々と赤葦に返答した。
梟谷は本日、入浴一巡目だったらしい。
赤葦は濡れた髪をタオルで拭きながら、風に当たっていた。
だいぶ暗くなったせいか、その卵色だけが明るく光って…
赤葦がブロンドの長髪になったようにも見えた。
「…そこの非常階段、3階まで上がっておいで。
非常口のすぐ隣…化学準備室に居るから。」
「…了解です。」
真上からこちらを見下ろす赤葦。
その眼光に、月島達は『Yes』以外の選択肢は取り得なかった。
まるで、上空から猛禽類に狙われているかのような…
そんな錯覚に、二人の背筋はピンとなった。
几帳面にノックをしながら、失礼します…と山口は言った。
「いらっしゃい。」
「オツカレさん。」
出迎えてくれたのは、赤葦と…
「…黒尾さん?」
山口が困惑するのも、致し方ないことだった。
二巡目の入浴だった音駒…当然黒尾も、入浴を済ませていた。
そのため、いつもの『無重力系』ツンツン寝癖ヘアではなく、
濡れた長めの前髪を、オールバックにしていたのだ。
あまりの変わりっぷりに、息を飲んで立ち竦む。
「く…黒尾さんって…実はカッコ良かったんです…ね。」
「おいおい…『実は』は余計だろ。
ま、それに気付いただけでも良しとするか!」
文句のつけようがない『キメ顔』を見ないように、
月島は化学準備室の中を見回した。
部屋は意外と狭く、6畳程度しかなかった。
両壁面は薬品や器具が置かれた棚。窓際に二槽シンクと冷蔵庫。
部屋の真ん中には、楕円形のテーブル…作業台があった。
赤葦はカーテンを閉めると、棚からアルコールランプを出し、
マッチで火をつけて、テーブルの下に置いた。
「部屋の灯りを付けたら、バレちゃいますからね。」
…というセリフで、ここが赤葦の『秘密基地』であることがわかった。
赤葦はさらにトールビーカーを4つ取り出して並べると、
そこにペットボトルの炭酸水を入れ、全員に配った。
その手慣れた仕種から、普段からここで赤葦が寛いでいる姿が、
容易に目に浮かんできた。
ほの暗い間接照明と、アルコールのにおい。
もう少し照度が高ければ、『酒屋談義』にピッタリな雰囲気だが…
「ちょっと暗すぎか?
これじゃあ、百物語…『怪談話』の方が似合いそうだよな。」
真夏の合宿の、『ド定番』だ。
『ド定番』ゆえに…既にどの学校もやってしまい、聞き飽きていた。
「それでは、今日は僕からテーマを提供しましょう。
…『かいだん』がないことで成立する話、なんですが。」
月島の言葉に興味を引かれ、3人は身を乗り出した。
***************
「皆さんは、『ラプンツェル』というグリム童話をご存知ですか?」
月島の問いに、3人は顔を見合わせた。
「『塔の上に囚われたお姫様』の話…という程度しか知りませんね。」
「俺は、ツッキーの口から『童話』が出てくることを知らなかった。」
「今日の『ラプンツェル』は、野菜じゃない方…なんだね。」
先日『ある人』から出された5冊の課題図書…
その3冊目が、『ラプンツェルの飼育法』という園芸書だった。
この本の担当は月島だったが、家庭菜園にあまり興味を持てず、
結局童話の方の研究をしていたのだ。
「グリム童話等、『昔話』の原作は、かなり残酷な描写がありますよね。
この『ラプンツェル』も、実は『怪談話』に近いんですか?」
赤葦の質問に、月島は苦笑した。
「残酷表現というよりは…『閲覧制限』を『性的な表現(R-18)』から、
『全年齢(一般)』に改変してある、でしょうか。」
所説ありますが、ざっとした話のポイントはこうです。
と、月島は指折りながら概要を説明した。
・ラプンツェルという名の娘が、魔女によって塔に幽閉されている。
・窓から垂らした娘の長い髪を伝って、魔女は塔に出入りしている。
・ある日その塔の存在を知った王子が、魔女と同じ方法で塔に入る。
・二人は恋に落ち、逢瀬を重ねるようになる。娘はやがて妊娠する。
・事実を知って激怒した魔女は、娘の髪を切り落とし、荒野へ放逐。
・それを知った王子は絶望し、塔から身を投げ、その結果失明する。
・盲目のまま7年森を彷徨った王子は、双子の子と暮らす娘と再会。
・再会を喜ぶ娘の涙が王子の目に落ちると、王子は視力を回復する。
・娘と二人の子供を連れて、王子は帰国。幸せに暮らしましたとさ。
・(版を重ねるごとに、性的要素が徐々に消されていっています。)
最後の備考を含め、30文字×10行…きっちり300文字で概説した月島に、
3人は『めでたしめでたし!!』と拍手を贈った。
まるで王子が姫にするかのように、深々とお辞儀をした月島。
再び上げた顔は、王子には程遠い『学者顔』だった。
「ここは『化学準備室』ですから、科学的考察から始めましょう。」
「それは勿論…『髪の毛を伝って塔を上ることが可能か』だね!」
「ならば、まずは…『基本的データ』を貰おうか。」
黒尾の言葉に、月島は頷いた。
「これからお出しする数値は、この童話そのものではなく、
これを元にしたアニメ映画の設定…ということをご了承下さい。」
併せて、このアニメ映画のストーリーは、先程概説した『原作』とは、
全く違うという点…こちらもご了承願います。
そう付け加えた月島は、『基本データ』を列挙し始めた。
「姫の年齢は18歳。身長160cmで、髪の長さは70フィート…約21m。
囚われていた塔の高さは、約10mだそうです。」
まずは、検証しやすい部分から見ていくことにする。
「塔の高さが10m…バレーのコートの横幅が、9mだよね?
水平方向だと、垂直…高さって実感湧かないね。」
「バレーができる体育館の天井高の施行基準が、最低10.05m…
これは、カマボコ型の天井の、一番低い所です。」
「電信柱の平均的な高さが12m…そのうち1/6は地中埋設部分だから、
ちょうど地上高が10mぐらいになるな。」
色々と『10m』の具体例を挙げてみる。
だが、高さを『実感』するのは、これが意外と難しい。
「学校校舎の天井高施行基準が、確か3m以上ですので…
3~4階ということになりますね。」
これは、一般的なマンションやビルでもほぼ同じだ。
「お姫様は、高さ10mの塔の『てっぺん』じゃなくて、
最上階の部屋の、窓から髪を垂らしたんだよな?」
「だとすると、先程俺が下を見ていた、この部屋…
3階の窓が、ちょうど『お姫様』の位置になりますね。」
「真下から赤葦さんを見上げていた、ツッキーと俺の位置が、
まさに『王子様』ポジションだった…ってことですね!」
偶然にも、ついさっき自分達で、
『ラプンツェル』的ポジショニングを、実践していたというわけだ。
黒尾はチラリとカーテンを開け、高さを確認した。
もし上の4階だと、高すぎて登るのは諦めるだろうし、
下の2階だと、髪の毛を使わずとも自力で上がれそうだ。
大胆な方法とは言え、物語が成立する『絶妙な高さ』かもしれない。
「お姫様の髪の長さは21mだから、三つ編みにしたとしても、
十分足りるけど…ちょっと長すぎな気もするね。」
ちなみに、21mと言えば、7階建のビルに相当する。
また、JRの普通車両の1両分の長さが、20mである。
「確か髪の毛って、かなり強度が高いんだよな?」
「1本あたりの耐荷重は100~150g、全体で約12tだそうです。
これは、アルミニウムに匹敵する強度ですよ。」
「王子様の体重…多く見積もって80㎏だったとしても、
800本程度あれば十分耐えられるってことになるね。」
「実際には、壁に足を掛けながらよじ登るでしょうから、
それより少なくてすみますね。」
つまり、髪の毛をロープ代わりに塔へ登ることは、物理的に十分可能だ。
「問題は、その髪の毛の付け根…お姫様の首、だよね。」
山口の言葉に、月島は新たな数値を提示した。
「人間の頭部の重さは、だいたい5㎏…500mlペットボトル10本。
でも、お姫様の場合、長大な毛髪の重さが加わるんだ。
これがなんと…36㎏程度にもなるらしいよ。」
頭部と王子の体重を加えると、首には約120㎏もの重さが掛かることになる。
「でもそれは、あくまでも『正面』を向いていた場合、ですよね?」
「首を傾げれば傾げるほど、首への負担は大きくなるからな。
真下を見るために、60度弱曲げると、正面の約5倍…600kgだ。」
長時間『俯く』姿勢を取らざるを得ない、デスクワークを思い出す。
終業時間には、首も肩も腰も、ガチガチである。
「お姫様は、慢性的な首痛と肩こり、腰痛に悩まされていた…
あとは、猫背だった可能性も高いってことになるよね。」
「できるだけ体への負担を少なくするならば…」
赤葦は窓のすぐ下に、ちょこんと体育座りをした。
「このように壁に背を付け、髪を膝やお尻で固定します。
この時、首から背骨のラインは、なるべく真っ直ぐに。」
「そこから窓枠まで、上半身と壁で髪を固定しつつ垂らす。
髪の先は、下の地面に着地させ、髪自体の重さを分散。」
「こうすれば、お姫様の負担はかなり軽減されるはずです。」
塔の高さよりもはるかに長い髪が必要だった理由は、これで納得できた。
だが、赤葦の提案したお姫様の格好は…
「童話の美しい『絵』とは、ちょっと…合わないな。」
できれば、王子と見つめあいながら、激しい逢瀬を重ねて欲しいものだ。
「ところで、髪の毛は1ヶ月で1cm程度伸びるそうです。」
「1年で12㎝、18年で2.16m…姫の場合は、通常の10倍だな。」
髪の毛の伸びる速さと言えば、気になるのは…あの『俗説』だ。
「エッチな人は、髪が伸びるのが速いって言うけど…」
「たとえ身体は囚われていたとしても、『頭の中』は誰しも自由だ。」
「もしその『俗説』が正しいとすれば…
お姫様はとてつもなく『想像力豊か』な方でしょうね。」
「外界から遮断された『缶詰』状態ですし、
イロイロな『創作活動』には…うってつけですね。」
お姫様の作品…見てみたいような、恐いような。
「男性ホルモンが髪の成長を促すので、
お姫様が『男性』ならば、俗説は当てはまるかもしれませんが…」
「その場合でも、本人がエッチかどうかより、
『エッチできるかも…?』という期待が、発毛を促進させるらしいぜ。」
やはり、モノを言うのは…妄想力なのか。
「髪の成長を左右するのは、やはり食事内容みたいだよ。
必要なのは、たんぱく質とミネラル、そして亜鉛だね。」
「要するに…ガッツリと『肉食』ってことだね!
亜鉛も必要なら、レバーも一緒に摂るといいね。」
この他にも、規則正しい生活や禁煙、十分な睡眠等、
『無理をしないきちんとした生活』が必要となってくる。
「…この辺りで皆さんに、髪の状態から見る『お姫様の姿』を、
次の中から選択して頂きたいと思います。」
月島は指折りながら、3つの選択肢を示した。
①常人の10倍エッチ(もしくは数倍エッチな男性)だった。
②過剰な肉食及び軟禁生活による運動不足で、
かなり『恰幅が良く』、かつ猫背だった。
③魔女の『魔法の効力』がかかった髪の所有者だった。
黒尾、赤葦、山口の3人は顔を見合わせ、すぐに頷いた。
「世の中には、科学よりも大切なものもある…
それが、俺達の答えだ。」
3人の答えに、「僕も全く異論ありません。」と、
月島は安堵の表情を見せた。
***************
「髪が長い人って言うと、平安時代の女性達もそうだよね?」
源氏物語絵巻や、百人一首に描かれた貴族の女性達…
確かに、床に引き摺るほどの長さである。
「『ラプンツェル』の邦題は、ずばり『髪長姫』です。
そして、日本にも『髪長姫伝説』が存在します。」
「『髪長姫』と言えば…宮子姫のことでしょうか?」
宮子姫は、藤原宮子…藤原不比等(鎌足の息子)の娘(養女)で、
奈良の大仏を創建した、聖武天皇の母である。
「この姫の髪は、七尺…2.1mだったそうです。」
「同じ18歳だとすると、速度は…『普通』だね。」
その髪が生える話が『普通』じゃないんですけど、
今回は割愛させてもらいます…と、月島は続けた。
「伝説によると、元は海女だった宮子姫ですが、
ある時その美しい髪を雀が咥えて奈良の宮廷へ…
その髪があまりに美しかったので、不比等は養女に迎え、
時の帝・文武天皇の后としたそうです。」
長く美しい髪は、女性の『美の象徴』である。
『髪が長いお姫様』ではなく、『髪が長かったから』お姫様になった…
というのが、宮子姫だ。
「…ちょい待ち。俺、それにすっげぇ似た話…知ってるぜ。
『ツバメが運んできた美しい金髪』の女性を后にする…
『トリスタンとイゾルデ』って話だ。」
黒尾は赤葦の頭から卵色のタオルをひったくると、
楕円のテーブルに静かに置いた。
「この話、後に『アーサー王物語』の中に含まれる。
トリスタンは…アーサー王の『円卓の騎士』の一人だ。」
円卓を囲む4人は、騎士よろしく背筋を伸ばした。
「俺、よく知らないんですけど…
『アーサー王物語』って、王を護る円卓の騎士の一人が、
王妃と不倫関係になっちゃって…っていう話でしたよね?」
山口の確認に、赤葦が答えた。
「ランスロットと、アーサー王妃グィネヴィアですね。
実はトリスタンも、マルク王妃イゾルデとの不倫関係ですよ。」
同じ円卓を囲む騎士メンツに、二組も不倫…
「中世ヨーロッパ…不倫がブームだったのかな?」と、頬を染め俯く山口に、
黒尾は「そりゃ違うぜ。」とすかさず突っ込んだ。
「こないだちょっと出た、『畳の上でヤリ』の話…覚えてるか?」
「二重表現の例…『馬から落ちて落馬』の、浄瑠璃ですよね。」
「近松門左衛門の『鑓の権三重帷子』だ。
これ、『近松三大姦通物』のうちの一つなんだよ。」
「姦通…不義密通…すなわち、『不倫』ですね。」
いけないことをしているという葛藤や罪悪感。
だが、どうしても抑えきれない、相手への激情…
双方の対立が、ドラマチックな展開を生む。
それ故に、世界中に不倫を扱った文学が存在するのだ。
黒尾は正面にいた赤葦の頭を引き寄せ、
心から愛おしそうに…生乾きの髪を撫でた。
「これだって、世界的名著の不倫モノ…だぜ?」
「スタンダール作…『赤と黒』」
巧いっ!!と、名作不倫コントに、感嘆の声を上げる山口。
だが月島は、ひとり表情を硬化させ、
偶然かもしれませんが…と、真面目な顔で呟いた。
「『ラプンツェル』のアニメ映画があると言いましたよね?」
「原作とはかなり違う…美しい話なんでしょ?」
「その映画に出てくる『王子様』的ポジションの男性…
彼の名前が、『フリン』…フリン・ライダー氏です。」
月島の発言に、3人は絶句した。
「『フリー・ライダー』の間違い…とかではないんです…よね?」
「フリー・ライダー…ただ乗り、不労所得者のことですね。
それもあながち間違ってないかもしれません。
フリン氏の職業は…『泥棒』ですから。」
「窃盗は、間違いなく…不労所得ですね。」
「ま、まさか、『不倫モノ』になってねぇ…よな?」
「二人とも未婚ですので、法的にはそうではないでしょう。
ですが、不義『密通』という言葉には…該当しそうですね。」
「密かに通う…塔への不法侵入も、不義っちゃ不義だよな。」
「本当に、美しい話…なんだよね!?
不倫してなくても、髪の毛以外は『もつれ』てないよね!?」
「この映画、世界中で高い評価を受けたんだけど、
興行収入が予想より低かった…お姫様を強調しすぎたらしいんだ。
そこで、男性ファン獲得を狙って、タイトルを変更したんだ。
…『ラプンツェル(Rapunzel)』から『タングルド(Tangled)』へ。」
「Tangled…もつれた、絡んだ、込み入った…っ!!?」
髪の毛も、人間関係も、興行主の思惑も…
いろんなものが絡み合い、複雑に縺れ合っている。
『塔の上』の、『囚われ』の姫君。
『密室度』と『緊縛度』が高く、がんじがらめな『Tangled』だ。
そう言えば、『姦通罪』の公開処刑に使われたのが、
『緊縛術』のはじまり…ではなかったか。
二重表現、いちゃいちゃ、公開処刑、緊縛。
鑓の権三、トリスタンとイゾルデ、髪長姫。
今まで4人で話した『なんでもない雑談』が、
少しずつ絡み合い…円卓を囲んだ。
「こんな風に話が繋がるとは…正直ビビったわ。」
「『百物語』よりも、ゾクゾクしますね…」
妙な寒気を振り払うように、月島は『美しい話』で締め括ることにした。
「ら、ラプンツェルのモデルになった塔があるお城が、
ドイツ・メルヘン街道の古城…『トレンデンブルグ城』です。
有名な『ラインハルトの森』のすぐ西…とても素敵な場所だそうです。」
文字通り『メルヘン』な、美しい『おとぎ話』の森…
特に人気の高い『ザーバブルク城』もありますよ。
月島の『美しい話』に、山口は泣きそうな顔をした。
「そのお城って…『いばら姫』のモデルだよね?
やっぱり…『がんじがらめ』の緊縛状態だよ…」
***************
話題転換に大失敗した月島の背をポンポンと撫でると、
赤葦はやや明るい声で、「皆さん、こちらへ。」と、
シンクの前に全員を集めた。
「山口君、ちょっといいですか。
ここに…膝を立てて、仰向けに寝て下さい。」
赤葦に促されるまま、山口は指示通りに寝転がった。
「では、月島君…山口君の前に座って、太腿の裏を持って…
山口君の脚を、高く上げて下さい。」
「…こう、ですか?」
「自分の腰を、もっと近付けて…
鼠蹊部に山口君の臀部を乗せて、抱え上げるように…」
赤葦の取らせた体勢に、月島と山口は、
心当たりだけでなく…『身に覚え』があった。
ニヤニヤと見下ろす黒尾の視線から逃れるように、
山口は腕を上げ、恥ずかしそうに顔を隠した。
その仕種こそまさに『よく見る光景』だった月島は、
精一杯眉間に皺を寄せながら、振り返って赤葦を仰ぎ見た。
「こ…この体勢が、何か…?」
動揺を隠しきれない月島に、赤葦は淡々と説明を始めた。
「注目して頂きたいのは、山口君の…ココです。」
半ば宙に浮いた山口の腰を、赤葦はスルスルと撫でた。
漏れそうになる声を、山口は必死に耐える。
「頭部より腰部を高く保つ体位…
これを、『トレンデンブルグ体位』と言います。」
まさかのネーミングに、黒尾はニヤニヤをピタリと止め、
マジかよ…と小さく喉を鳴らした。
「骨盤高位とも呼ばれるこの体位は、出産時の臍帯脱出…
胎児より先に『へその緒』が出るのを防ぐために、
取られる体位です。
トレンデンブルグという名称は、外科医の名前に由来するそうですよ。」
『へその緒』という『命綱』が、絡み縺れるのを防ぐ…
それが『トレンデンブルグ』だということだ。
「いろんな話がぐちゃぐちゃに絡んで…もう俺には…ワケがわからん。
わかるのは、これが…『深山』ってことぐらいだな。」
黒尾は指を『4』本、次に両手で『8』本立て、『別の体位』の名を表した。
「深(~く、)山(口と。)」…と、駄洒落付で。
しょうもない駄洒落に、居たたまれなくなった山口は、
やや涙目になりながら、投げヤリに言った。
「わ、ワケがわからないのは、俺の方ですよっ!
わかるのは、これが…腰痛持ちの『お姫様』には、
かなり『不向き』な体位…ってことぐらいです!!」
あぁ…無理をさせてしまい、申し訳ありあせん。
そう微笑むと、赤葦は山口を労わるように、月島に言った。
「月島君、もうちょっと足を下ろしてあげて下さい。
両足を揃えて、膝を曲げて…」
先程よりは、山口も楽な体勢のようで、ホッとした表情を見せた。
だが月島は、山口の臀部を抱えていることには変わりなく、
イロイロと『居たたまれない』気分になっていた。
人前で大胆なポーズを取らされているという『羞恥心』と、
『赤葦の指示だから』という口実の元、禁欲続きの合宿中に、
堂々と山口と触れ合えたことを密かに『僥倖』と感じる…
その相反する感情に、月島自身もワケがわからなくなってきた。
困惑する3人を尻目に、赤葦は黒尾に、
円卓の上の卵色のタオルを取って欲しいと願った。
「今回のテーマはまさに『くんずほぐれつ』…
アレやらコレやら絡みあって、『ワケわからん』状態ですね。」
赤葦は、寝転がる山口の頭を優しく撫で、
短パンの裾から露わになっていた太腿に、卵色のタオルを掛けた。
そして、山口の両手首を取ると、ギュっと握り締めた。
「両手と両腿を縛るこの体位を、『理非知らず』…
別名『ワケしらず』と言うんですよ。」
…おや、話がキレイに『締まり』ましたね。
『淫戯(いちゃ)』を語り終えた赤葦は、一人だけ満足そうに微笑んた。
お前らはそろそろ風呂に行ってこい…
黒尾の助け舟に乗って、月島と山口は『赤葦の塔』から脱出した。
宿泊部屋に戻ると、最後の日向・影山組が風呂から出た所で、
月島たちは残りの20分程、二人きりで入浴できるようだった。
ザっと体を洗い、広い湯船に並んで座る。
何らかの理由でガチガチになった体を解きほぐすかのように、
のんびりと手足を伸ばし、緩めていく。
「今日の話の、例の王子様なんだけど…」
「とってもドキドキなモノに乗ってた…ライダー氏?」
そうだよ、と月島は天井を見ながら頷いた。
「その映画を見る時間はなかったんだけど、彼の画像を見て…
『美しい人は大胆なことをしても赦される』という言葉を、実感しただ。」
「そ…そんなにイケメンだったのっ!?
まぁ、不法侵入してきた怪しい奴なのに、姫は恋仲になっちゃうし…」
普通であれば、職業・泥棒の男が部屋に突入してきたら、
どんな世間知らずのお姫様であっても…
「映画のライダー氏もイケメンだったよ。でも、それ以上に、
実写版…
テーマパークにいるライダー氏は、相当な美形だったね。
この僕でさえ、彼が公衆の面前でナニをヤらかしても、
いちゃもん付けることなく…見惚れてしまうんじゃないかな。」
イケメン無罪…現行法には存在しない制度だが、
現実的には…存在しているような気もする。
この超法規的無罪判決についての考察も、面白いかもしれない。
「その映画…合宿から帰ったら、一緒に見ようよ。」
「テーマパークでデートしよ?とは言わないんだ。」
そういう場所は、苦手なくせに。
山口の笑い声が、広い浴室に響く。
「俺らには、『大胆』は…似合わないよ。」
口を閉ざすと、浴室に静寂が包み込む。
合宿最終盤…『月が満ちる』時期にあたる今日も、
入浴時間には自発的にタイムラグが設けられていた。
脱衣所に誰かが入って来る様子もないし、次の入浴順…
『指導者組』の時間にも、まだ余裕がある。
少しであれば、『大胆な行為』も…可能である。
湯船の中で、月島は手を伸ばし、
すぐ横の山口の指に、自身の指をそっと絡めた。
「大胆は似合わない…その点については、僕も同意見だ。
公開されたこの場では…『理非』は知っておくべきだと思う。
だから、ほんのちょっとだけ…『ブランデンブルグ』はどう?」
月島の『仕方なく譲歩してやった感』満載な発言に、
山口は思いっきり吹出してしまった。
「それのどこが『大胆じゃない』認定なのか、
俺にはさっぱり…『ワケがわからない』んだけど。」
呆れた声を出しながら、山口は腰を上げた。
そして…月島の腿に乗り、首に腕を回した。
「せめて『necking』…軽めにイチャイチャか、
イケメン無罪の…『ライダー』スタイルにしない?」
どちらが大胆なのか、そもそも大胆とは何か…
その理非等についての考察も、なかなか面白そうだ。
…実行の方が、なお面白いが。
- 完 -
**************************************************
※大胆不適→造語。大胆は似合わないということ。(誤字ではありません)
※この直後のクロ赤 →『朔月有無』
※ラブコメ20題『13.意外と大胆なのはお互い様です』
2016/04/07(P)
: 2016/09/12 加筆修正