下積厳禁⑥ (後編)







ソファよりも黒尾の方へ、やや多めに身体を預けた赤葦は、
濃厚梅酒のお湯割のような、芳醇でトロリとした空気を醸し始めた。

黒尾はゴクリ…と喉を鳴らしながら、赤葦のおでこに鼻先を付けて深呼吸。
まるで芳しい薫りを喫するかのように、前髪の際に唇を沿わせた。


「俺も一つ、疑問があるんだ。
   『酔う』の定義…具体的にはどういう状態を言うのか?ってことなんだ。」

黒尾は左手で赤葦の左手人差し指を捕まえると、ペンのようにそれを持ち、
赤葦の太腿全体に、大きく大きく『酔』という字を爪の先で書いた。

利き手ではない方で、自分の意思によらずにそろりそろりと動かされた赤葦は、
『くすぐったさ』と『ままならなさ』から、ゾクゾクと大きく背を震わせた。
その揺れに引き摺られないよう、努めて声を張って黒尾の質問に答えた。

「『酔う』を辞書で引くと…」


まずは、アルコールが体内にまわり、正常な判断や行動ができなくなること。
そして、乗物に揺られたり、人ごみの熱気にあてられて気分が悪くなること。
他には、何かに心を奪われたり、理性や自制心を失う…『心酔』することや、
『麻酔』のように、薬物の影響で感覚を失うことを、『酔う』と表現する。

「共通のイメージは…『クラクラ』『フワフワ』でしょうか。」
「アルコールも薬物の一種…感覚が鈍くなるのも同じだよな。」

また、気持ち良く酔いウットリし、心を奪われることを『陶酔』というが、
そんな風に心を奪われた対象に、ドップリ夢中になることを『心酔』と言う。
お酒や自分に『陶酔』することはあっても、普通それらには『心酔』はしない…
似ているようで、少し違う表現だ。

「お姫様は王子様の優しいキスに、ウットリ陶酔してしまい…トリップ。」
「王子様はそんな可愛いお姫様に、ウッカリ心酔して…ドップリ、だな。」

セリフを忠実に再現するかの如く、王子様は優しいキスをお姫様にそっと贈る。
お姫様はそのキスにトロリとした表情を浮かべ、更に王子様との距離を狭めた。


果たして『二丁目のお姫様』は、一体何にクラクラ酔ったのか…?
その答えが漏れ出てくるように、一画ずつ『酔』を太腿に書き続ける黒尾。
赤葦はその動きに酔わないよう、酔い醒ましのチェイサーを入れた。

「酒器を表す『酉』。それを『八分目』を越えて『九』も『十』も…
   調子に乗って最後まで飲んで『酔』っ払った、という漢字ではなく…」

『酔』は元々『醉』と書き、『卒』は『衣服の襟元の下に一を付した』文字…
これは神職者や、天寿を全うした人が死んだ時に着る服を表しているそうだ。
そこから『終わる・終える』という意味を持ち、『卒業』という言葉ができた。

「つまり『醉』は、酒器が空っぽになるまで飲み終えたから…酔っ払った。」
「実は『八分目以上→九+十』と同じ意味だった、ということなんですが…」


『卒』の字には当然、その語源から『死ぬ』という意味も含まれるだけでなく、
下僕(しもべ)や下級兵も『卒』…一兵卒という言葉が、それを表している。

「神職者が神に酒を捧げ、その神は…死者ってことになるのか。」
「下僕や一兵卒も、既に死者扱い…人間扱いには程遠いですよ。」

   正常な判断や行動ができないから、
   愚かでまつろわぬ者達なのだ。
   理性的な『生きた人間』であれば、
   上に従うのが当然じゃないか…

酒に酔う者…『醉』達を、為政者達がどう見ていたか、はっきりわかる。
あまりに『あからさま』な語源に、グラグラと足元が揺らぐような感覚に陥り、
その禍々しい悪意にあてられ、気分が悪くなる…文字通りに酔いそうになる。


酔い醒ましにと選んだネタだったのに、余計に悪酔いしてしまう結果に…
赤葦は話題選択ミスを黒尾に詫びようとしたが、黒尾はそれを微笑みで遮った。

「『神』と崇められてきた…祟るなと忌避されてきた俺達『人外』のことに、
   『酔(醉)』というたった一文字から想いを馳せてくれて…ありがとな。」

いたずらに怖がるでもなく、無関係だと見て見ぬフリをするわけでもなく、
同じ人間として対等に接し、理解しようとしてくれるのが、嬉しくて堪らない。
俺の目に狂いはなかった…やっぱり赤葦しかいねぇな~って改めて思ったよ。

「出逢ってまだ日は浅いが、俺はすっかり…赤葦に心酔しちまった。」

それに、なんだか今日はやたらとお前が可愛く見える…
黒尾はそう言いながら、もっとよく見せてくれと、赤葦の顔を覗き込んできた。


「やっぱり黒尾さん…かなり酔いが回っていらっしゃるようですよ?」

面と向かって『可愛い』と言われた赤葦は、さすがに恥ずかしくなってしまい、
黒尾のスーツの上着を開き、そこに潜り込むように、紅が差した顔を隠した。
そして、頬を擽るネクタイに指を絡ませて解きながら、ぽそぽそ喋った。


「酒に強い・弱いは、アルコールの『処理速度』の違いなので、
   飲んだ人は酔う…脳がアルコールで麻痺するのは、変わりません。」

そして、酔った時に傍に居る人が可愛く見えるのも、ちゃんとした理由がある…
『歪み』や『差異』を、正確に認識できなくなるからです。
人は、左右対象の顔を『美しい』と感じる生き物ですが、
酔うと左右の違いが曖昧に…それで、脳が『美しい』と誤認してしまうんです。

「この脳の麻痺を最大限利用したのが…キャバクラやスナックってことだな。」
「えぇ。そしてもう一つ見逃せないポイントに、たった今気付いたんですが…」


ウチのようなバーとは違って、キャストが『お酌』をしてくれるタイプの店は、
キャストとゲストは横並び、もしくはL字ソファで斜め前に座るのが普通です。
意見を交わす『対面』ではなく、相手に『同意』をするポジションなので、
より親密度が上がりやすく、個人間の距離も近くなりやすいんです。

「『横』もしくは『斜め前』に座るもう一つの利点こそ…」
「相手の顔を『正面』から見ない…ってことになるよな。」

正面から見なければ、左右の歪みや違いは正確に把握できないことに加え、
脳には『見えない部分』を勝手に補って認識する、『空間補完効果』もある。

これにより、相手の『横顔』から『全体像』を脳内で作り上げるため、
酔ってファジーになった脳は、より曖昧で自分好みの補完をテキトーに行い、
それを自分もザックリ都合よく解釈…ステキな相手とのステキな時間という、
誰にとっても幸せな『夢の世界』を満喫できる…実にありがたい仕組みである。


「俺の上着の中で、赤葦はきっと…恥ずかしそうに頬を染めているはずだ!」
「…と、見えない部分を補完。本当は舌なめずりしてるかもしれませんが。」

「いや、それがまた…可愛いな、と。」
「これが、脳の麻痺…『酔う』です。」

「ワイシャツの中に手を突っ込みつつ…
   『王子様みたいでステキです』って、指先で書いたよな?」
「どうやら、感覚もかなりあやふやに…
   『さっさと狼になっちまえよ』って、書いたんですけど?」

「テレパシーがない方が…面白ぇな。」
「そこに関しては…全くの同感です。」


二人でじゃれ合いながら、他愛ない『酔っ払い話』に花を咲かせる。
その間にも、黒尾は赤葦のシャツから深紅の蝶ネクタイを器用に外し、
カマーベストとシャツのボタンを半分だけ開けて、中のボタンを探り出した。

ここに来てようやく、ほど良く酔いが全身に回りきったようで、
『お戯れ』から『前戯』に、動きが緩やかに変わり始めた。
お喋りに費やしていた饒舌さを、今度は声にならない声を引き出すために使う…
黒尾の胸元に隠れていた赤葦も、艶を含んだ視線を上げ、紅い舌を覗かせた。


「一体何に酔えば、そんな蠱惑的な雰囲気に激変するんだろうな…?」

そう言う黒尾も、先程までとはまるで違う色をした瞳で赤葦を捕らえながら、
太腿にもう一度…今度は利き手でしっかり押すように『醉』と書いた。
最後の一画を、じわじわと鼠蹊部の方へと上げ…ベルトにその指を引っ掛ける。

「アルコールよりもずっと甘美なモノ…もう、ご存知なんでしょう?」

赤葦は黒尾の腹部から上へと指を這わせて、その指で唇に触れ…口内を弄った。
コレが俺を酔わせました…と教え込むように、黒尾の舌に指を絡ませた。


赤葦がアルコールを一滴も摂取していないことなど、黒尾にはバレバレだ。
成分検査をしなくても『良い血』かどうかがわかる、吸血鬼の黒尾…
当然ながら、血中アルコール濃度だってカンタンに検知してしまうだろう。

「警察の道路交通課も、黒尾さんを欲しがるんじゃないですか?」
「それは勿論だが、薬物専門の組対5課からもスカウトされた。」

東京オリンピックでのドーピング検査…実はお呼びがかかってるんだよな。
『裏』と呼ばれてきた俺達も、『おもてなし』要員としてフル活用だとよ。

「おや、ピッタリじゃないですか。裏、即ち『表ナシ』…」


しょーもないことを言ってしまった。
赤葦は黒尾がツッコミを入れる前に、黒尾の腿に乗り上げながらキス…
もっと酔ってしまおうと、自分を溶かす蜜を啜るように、激しく吸い上げた。

吸血鬼の唾液には、蚊と似た血行促進効果があるそうだが、
触れるとフワリと緩み、じわじわと熱を感じるところは、お酒にも似ている。

「バーテンなのにお酒を飲めない俺は、酒類販売不適合者…呆れますよね?」
「おケイにも貼っとくか?『上積厳禁』ならぬ『上澄(すら)厳禁』シール。」

ま、こんな風に俺に乗ってくれるのは、むしろ『上積(のおかげで)元気♪』…
という黒尾のしょーもないセリフにも、赤葦はツッコミではなくキスを返した。


不愛想な黒服や、方向音痴の宅配業者以上に、上澄厳禁なバーテンは笑えない…
これが『おケイ』のトップシークレットであり、赤葦のコンプレックスだった。
だが黒尾は、それを一瞬でしょーもないギャグ…愛のある淫戯に変え、
イチャイチャしたくてたまらない、フワフワした気分にしてくれたのだ。

「俺の方こそ、あなたに…心酔です。」

中身なんて何もない、ただのイチャでしかない戯言なのに、カッコ良く見える…
裏表のない黒尾さんの言葉に、じんじん痺れてきちゃいました。

「お酒には酔えませんが、コッチには…俺も気持ちヨく酔えるみたいです。」


両腕で黒尾の頭を包み込み、赤葦は吸血鬼の唾液を貪り尽くすようにキス…
それに応えるべく、黒尾が赤葦の背を強く掻き抱く前に、
赤葦はカラダを下方へ滑らせ、ソファの下…黒尾の両脚の間に膝をついた。
そして、スラックスのボタンを指で外すと、唇でチャックを下ろしていった。

「あ、おい…っ!!?」

驚きの声を上げた黒尾を視線で制し、その視線を絡めたまま赤葦は舌なめずり…
下着から引き摺り出した黒尾の熱を、おもむろに口内へ招き入れた。

「ーーーっ!!」
「んっ………っ」

吸血鬼特有の体液効果も相まって、熱が集まりぷっくり艶を含む紅い唇と舌で、
赤葦は黒尾から滲み出る上澄を、じゅるり、じゅるり…音を立てて吸い上げる。
その間も、赤葦は真下から目を逸らさずに、じっと黒尾を見上げ続けた。

深く浅く、咥え込む角度を変えながら、それでもチラチラと視線は外さない。
黒尾をチビチビと飲み続ける赤葦は、酔いが回り…視線が蕩け始めてきた。
こっちを見ているのに、その瞳は熱に浮かされて潤み、なにも見えていない…
徐々に色に染まりゆく瞳を見ているだけで、黒尾は熱を抑えきれなくなった。


「あかあ、し…もう、離…っ」

下から突き上がって来る情動を必死に堪えつつ、赤葦の目を掌で覆い隠した。
本当はその頭を掴み、引き剥がさなければいけないとはわかっているのに、
快感に正直なカラダは、赤葦の視線を遮ることしかできなかった。

赤葦は口を『マイク』に付けたまま、邪魔な黒尾の指を掴んで手繰り寄せると、
それをペンのように持ち、マイクが拾った声を文字にして、太腿に書きとった。

   『絶対嫌です。離しません。』

「お前…画数、多すぎだろ…っ!ひらがなかカタカナで…んっ!!」

赤葦が最後まで書き終えるのを、律儀に待った黒尾。
字を読み取るため、全神経を腿に集中…そのせいで、腰に力が入らなくなった。
ぬるぬると舌が滑り、敏感な部分を刺激する度に、ビクリと腰が跳ねてしまう。

   『もしも~し、聞こえてますか?』

「馬鹿…っ、笑わせ、ん、な…っ!」

   快楽を笑いで誤魔化そうとする黒尾。
   恍惚とした表情で熱を蹂躙する赤葦。

自分のモノを、こんなにも愛おしそうに味わいながらも、
全力でイチャイチャ…淫戯を楽しむ赤葦の姿に、黒尾は眩暈がしてきた。

   (やっぱ、凄ぇ…可愛い、な…)

たとえ酔っていなくても、真正面から顔をはっきり見ていても、
恋人のこんな健気な姿を可愛いと思わない奴は、この世に存在しないだろう。


   『気持ち良いですか?』

「イイに、決まって…ぅあ、もう…」

   (これ以上は、本当にダメだ…っ!)


黒尾が赤葦の頭を引き剥がすよりも、ほんのわずかに早く、
赤葦は黒尾の腰を抱き込むと、奥深くまで熱を咥え込み…強烈に吸い上げた。

そして、喉が焼けそうなほどの熱い潤いを、ゴクリと音を立てて飲み干し…
陶酔しきった妖艶な目で、黒尾をウットリと見つめ上げた。

「あなたを呑み込み、あなたに酔って…
   俺も少しだけ、黒尾さんに…吸血鬼に近付けた気がします…ね?」

完全に酔いが回った赤葦。
素面でも『歌舞伎町の女王』の名に相応しい、馨しい色香を纏っているのに、
初めて見る『酔った赤葦』が醸す淫猥な色気は、その比ではなかった。
『魔』に属する者さえ囚われ堕ちてしまう程の、滴るような濃艶さ…
ココロもカラダもトロトロに酔わせ、蕩けさせる…『魔性』を漂わせていた。

   (酔った赤葦に…溺れ、ちまう…っ)


グラリ…と傾ぐカラダ。
その勢いで黒尾は赤葦を床に押し倒し、上から完全に積み重なった。

「俺ので、悪酔い…してねぇか?」
「全然。酔うって…幸せですね。」

俺も気持ちヨく酔っ払って、悦楽に浸りたい…その夢が、やっと叶いました。
それもこれも、全て吸血鬼の…黒尾さんのおかげです。
あとはもう、どこまで酔えるか…どのくらい吸血鬼に強いか、試したいですね。
お酒と同じなら、少しずつ耐性が付いてきて、憧れの酒豪になれるかも…?

「赤葦京治酒豪化計画…ご協力、お願いできますよね?」


どうやら俺は、吸血鬼ならぬ『求結姫』に…捕まっちまったようだ。
下から四肢を絡め、更なる結合を求めるお姫様に、王子様は深くキスを返した。

「二日酔いにはならねぇが、きっと腰痛にはなるはず…」

明日は誠心誠意…全身でマッサージさせてもらうから、赦してくれるよな?


ここに至っても優しい気遣いを見せる王子様に、お姫様は満面の笑みを魅せた。

「たった二日じゃなくて…一生酔い続けてしまったら?」
「その時は一生マッサージし続ける…それでいいだろ?」




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※座る位置と個人間の距離(パーソナルスペース) →『隣席接客
※空間補完効果 →『心悸亢進
※『裏』と呼ばれた存在 →『既往疾速④


2018/03/01    (2018/02/27分 MEMO小咄より移設)

 

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