億劫組織③







どんなに面倒でも、きちんと考察対象の用語や定義の確認は怠らない…
それが『酒屋談義』のスタンスであり、融通の利かないところでもある。

「これぞ『きおくそうしつ』ならぬ…『億劫組織(おっくうそしき)』だね~」
「『即応気質(そくおうきしつ)』…状況に応じて省略でもいいのにね。」


目の前に美味しそうな『ミニシアター』のネタが見えているにも関わらず、
それでもなお、ルールに則って考察を愉しむ理由には、いくつかある。

旨いモノこそ、じっくり丁寧に調理したり、炙る等の『ひと手間』加えると、
元々の素材を生かしつつ、新たな発見に繋がることがある…
『知っているつもり』のものでも、ちゃんと調べたら知らないことだらけで、
この発見こそが実にオイシイと、熟知しているからだ。


「というわけで、まず押さえておくべき言葉は『記憶』ですよね。」
「簡単に言えば…過去に体験したことや覚えたことを、
   忘れずに心にとどめておいて…あとで思い出せること、だよね?」

『記憶』には、歩いたり泳いだり、自転車に乗ったりという、技能やノウハウ…
意識しなくても使うことができる『手続的記憶』というものがある。
これは端的にいうと『体が覚えている』記憶で、言葉にするのが難しいものだ。

そして、『事実』や『経験』に基づく記憶を『宣言的記憶』と言う。
事実や経験は、言葉で表現できる記憶であることから、陳述記憶とも言われ、
宣言的記憶のうち、言葉の意味に関するものが『意味記憶』で、
体験や出来事に関するものを、『エピソード記憶』と分類している。

<『記憶』とは>
①『手続的記憶』
   →体が覚えている記憶
②『宣言的記憶』
   →事実や経験に基づく記憶
      (A)意味記憶→言葉の意味
      (B)エピソード記憶→個人的経験

オメガバースとは何か?という、言葉の意味や定義に関するものが意味記憶で、
オメガバースについて研磨先生も含めて語り合い、予想以上に大フィーバー…
物凄く楽しい考察になったという『思い出』が、エピソード記憶になる。


「『賢者タイム』を引き起こすホルモンは…何でしたか?」
「答えはプロラクチン…この『暗記』も意味記憶だよな。」
「イクメン以前にまず勃つべし!って…ムードを破壊し尽したんだよね~」
「あの時のゲンナリ感とやり場のない怒りが…エピソード記憶になるね。」

黒尾と赤葦はガツンと喰らった『鉄拳制裁』を思い出し、同時に頭を押さえた。
これはできるだけ早いうちに、忘却の彼方へ飛ばしてしまいたい記憶である。
余計なことを思い出さないように、黒尾は早々に考察を再開させた。


「記憶したことを思い出せねぇ、または新たなことを覚えられねぇ状態が…」
「『記憶障害』…短期記憶障害と、長期記憶障害の2種類に分けられます。」

短期記憶障害は、一時的に思い出せないもの…『もの忘れ』等であり、
長期記憶障害の代表が、認知症…長期間思い出せない状態である。

「短期記憶障害のうち、宣言的記憶が障害されたものが…『健忘』ですね。」

ちなみに、健忘の『健』は、『甚だ・非常に』という意味である。
健忘は英語で『Amnesia』…同名のタイトルが付いた超有名乙女ゲームも、
主人公が甚だ非常にすっかり綺麗さっぱり…自分のことを忘れていた。


「えーっと、『朝勃ち』って…正式な医学用語で何だったっけ?」
「…という、一時的な『もの忘れ』が、短期記憶障害だよね。」
「答えは『夜間陰茎勃起現象』…意味記憶に関する、短期記憶障害です。」
「朝勃ち…最近いつしたっけ?が、エピソード記憶の短期記憶障害だな。」

小難しい考察ほど、例題は解り易く…これも、『酒屋談義』の流儀である。
三徹明けで久々に寝られる今夜~翌朝、当現象が観測される可能性が高い。


「この『健忘』のうち、生まれてから障害発症までの、
   自分に関する全ての記憶を思い出せないのが、『全生活史健忘』ですね。」
「これがまさに『ココはどこ?ワタシはだれ?』な状況…
   一般的に『記憶喪失』と言われる症状だよね~」

<『記憶障害』とは>
①短期記憶障害 →一時的なもの忘れ
    (A)『健忘』…宣言的記憶障害
         a.全生活史健忘…『記憶喪失
②長期記憶障害 →認知症等


さらに『健忘』は、いくつかの観点から分類することができる。
①原因による分類
   →心因性、外傷性、薬剤性、症候性等
②時間による分類
   (A)前向性…受傷後に記憶できない
   (B)逆向性…受傷前の記憶を喪失
③思い出せない記憶の内容による分類
   (A)全健忘…健忘期間内の全て
   (B)部分健忘…一部思い出せない


「ようやく『記憶』『記憶障害』『記憶喪失』の定義が、見えてきたね~」
「今までの用語確認から、『記憶喪失』とは何かをまとめてみると…」

<『記憶喪失』とは>
・一時的なもの(短期記憶障害)である
・事実や経験に関する記憶(宣言的記憶)を思い出せない
・自分に関係する記憶を思い出せない(全生活史健忘)


「これらを踏まえて『記憶喪失』を考えてみると…次のようなことが言える。」

・記憶は次第に戻ることが多い(一時的)
・宣言的記憶を喪失 →日常生活は可能
・社会的な記憶(事件等)は覚えている
・一部思い出せるものもある(部分健忘)

「先程の『例題』は、薬剤性健忘…アルコールによる一時的な記憶喪失です。」
「認知症等の長期記憶障害と違って、失った記憶が戻って来ることが多いし、
   歩いたり運転したり、日常生活に必要な基本的動作技能は失われていない…」
「だからこそ、『記憶喪失』ネタは、比較的ライトな『創作』として定番に…
   ハッピーエンドも可能だし、何ならラブコメでも楽しめるってことだね。」


この面倒だが丁寧な定義の確認により、ひとつの重要なことがわかった。
それは、回復困難な記憶障害…認知症等について、考察から除外できることだ。

たとえ山口が八岐大蛇でも、赤葦が一滴も酒を飲まなかったとしても、
50年後に『現実』となり得る…誰もが関係する可能性がある問題である。
特に、医療や法律に関わる仕事をしていれば、絶対に避けて通れないはずの、
深刻かつ重大な考察テーマ…これに触れなくてすむのだ。

「『記憶障害』っつーと、どうしてもこっちが気になっちまってたが…」
「今は楽しむだけでいいと、許された気分…安心材料になりましたね。」

気付いているのに、都合の悪いことはスルーしてしまうというのは、
心に引っ掛かりを覚え、心の底から考察を楽しむことができない。
だが、こうしてきちんと『除外可能』だとわかったことで、
思いっきり考察と…『創作』に全力投球できるようになった。


「というわけで、面倒な考察はここまで…そうですよね?」

赤葦の確認に、黒尾は深々と頷いた。
そして、「考察…お疲れさん。」と全員の頭を撫でると、ニカっと笑った。

「今の考察で、こういうのもアリだって…わかったよな?」


*****


「ん…ここ、は…?」
「保健室だよ。」


保健室…?
ぼんやりと薄暗い天井、白く波打つカーテン…確かに、保健室っぽい。
どうやら俺は、何かしらの理由で保健室のベッドに…寝ているみたいだ。


「頭、大丈夫?」
「どういう、意味…?」

「そのまんまの意味。痛くない?」
「えっと…多分?」

やっと部活が(延長込みで)終わって、さっさと片付けろって言ってんのに、
あのド下手が、入口付近でサーブ練習なんかするから…迷惑な話だよ。
山口も山口だよ。僕を庇って自分の後頭部に当てちゃうなんて…馬鹿でしょ。

「ごっ、ごめん…」
「何で謝るの。ま、山口らしいけど…」

山口が余計なことしなかったら、僕の顔にボールが掠る程度で済んだのに。
でも、まぁ、僕なんかのために、身を挺してくれたのは…嬉しかった、かな。

「…アリガト。」
「いやいや、そんな…っ!!?」


ふわり…と、前髪を掻き上げられる。
ひんやりして…気持ちいい。身体から緊張が抜けた俺は、声がする方を向き、
そこで…今度は頭の中がフリーズしてしまった。

   (うっわ、すっごい…イケメン!!)

何が起こったか、いまいちよくわかってないんだけど、
とりあえずこの超~綺麗な顔に、ボールが当たらなくて…ホントによかった~!
この顔を守ろうとした俺…超ナイス!咄嗟に庇いたくなる顔だよね~♪

…じゃなくて。そもそも論だけど。

   (どっ、どちら…さま??)


さっきの話の内容から、多分俺と同じ部活?の人…なんだろう。
そして、運悪くボールが後頭部直撃し、保健室に運び込まれた俺…
自分の責任で俺が負傷し、意識を失ったと思ったらしいイケメン殿は、
俺が目覚めるまで、ここで看病なり付き添いなりをしてくれてたんだろう。

おそらく俺が勝手に庇っただけなのに、はにかみながらお礼を言ってくれたり、
ずっと頭を撫でてくれてたり…とんでもなく優しいイケメン殿だ。

こんなキラキラした人と俺が知り合いだなんて…ちょっと信じられない。
同じ部活だっていう偶然でもなければ、絶対に近づけないタイプだ。


「起きられそう?もう少し…休む?」
「だ、いじょう、ぶ…っ」

無理しなくてもいいから。今、保健の先生に連絡と…兄ちゃんに電話してくる。
山口が起きたら、車で迎えに来てって頼んどいたから。
今日明日はおじさん達も出張だし、ウチに連れて帰るって言っといたよ。
だから安心して、兄ちゃんが来るまで、ここでゆっくり休んでなよ。
それじゃあ…

スっと立ち上がり、どこかへ行こうとするイケメン殿。
俺はその手を…咄嗟に掴んでいた。


「うわぁっ、ご、ゴメンっ!!」

自分がしたことに驚き、俺は手を慌てて離し、冷や汗を垂らしながら謝罪した。
そんな俺の無礼に、イケメン殿は怒るどころか…蕩けそうな甘い顔で微笑んだ。

「大丈夫。すぐ戻って来るから。」

直視できないぐらい、眩しくて優しい顔が間近に迫って、それから…

   (え…、えっ!!?)


唇に触れる、柔らかくあったかい感触。

その正体に気付く前に、両手で頬を包まれ、思考を完全に止められた。

   それなのに。
   それなのに、俺は…

息が止まってしまわないようにと、無意識のうちに口を開き、
布団から出した左手で、鼻に当たる眼鏡を引っ掛けてずらし、右手を首に回し…
顔の角度を変えながら唇を合わせ、深く舌を絡ませ…俺はキスに応えていた。

   (あ…気持ち、イイ…)

もうちょっと…と言わんばかりに、左腕も首にかけようとしていたところで、
その左手をほんわり包まれ、握ったままだった眼鏡を、そっと引き上げられた。

「続きは…ウチに帰ってから、だね。」

そう言って太めの黒縁眼鏡を掛け直すと、少し崩れた襟元を整えた指で、
俺の濡れた唇の端を、微笑みながら拭い…カーテンの向こうに消えて行った。



「な…なっ、なななっ!!!?」

いっ、今のって…アレ、だよねっ!?
何でっ、俺が、あんな、イケメン殿と…キキキっ、キスしてんのっ!!?

何かの間違い…ってレベルじゃない。
そりゃぁもう、ファーストキスの記憶すらない俺がするようなモンじゃなくて、
呼吸の方法どころか、眼鏡取ったり顔をずらしたり、それはそれは…熟練の技。
こうするのがさも『当たり前。』みたいな、自然で無意識の動作だった。

イケメン殿がどちら様なのか、頭の方は全っ然わかってないというのに、
俺のカラダの方は、どう見ても『慣れてますから。』と…落ち着き払っている。


しかもしかもっ!
どうやら家族ぐるみのお付き合い…?
イケメン殿のお兄様まで、わざわざ俺をお迎えに来てくれるみたいだし、
俺の親も、息子が倒れたというのに、イケメン殿のご家族に…任せっきりっ!?

俺達は一体、どんな『お付き合い(家族含む)』をしているのか…
どんなに軽く見積もっても、ただの部活仲間とか…幼馴染?ではあり得ない。

あんなスペシャルキラキラ超絶優しいイケメン殿と、知り合いってことが、
キスしたって事実云々よりも…まずそのスタート時点が、全く信じられない。


あのイケメン殿は、一体誰なのか。
そんなキラキラな人と、タダゴトではないカンケーな俺(多分『山口』)って…


「俺って…ナニモノ???」


*****


「『記憶喪失』で失われるのは、宣言的記憶…事実や経験のみでした。」
「つまり、手続的記憶は残ったまま…カラダはちゃ~んと、覚えてる。」

さすがは黒尾さん。『考察対象外』の方を使って『ミニシアター』とは…
面倒な考察を経たからこそヤれる、見事な『サービスタイム』ですね。

「こういう小さな設定や可能性を発見できるのが、考察の利点だよな。」
「どこに旨味があるのか?は、真面目に探さないと、出てきませんね。」


こうしてみると、『幼馴染』という関係は、宣言的記憶の多くを共有しており、
場合によっては手続的記憶…『カラダに馴染む』記憶でさえも、
一般的な人間(友人)関係よりも、はるかに膨大かつ濃密に持ち合っているのだ。

この『幼馴染』のうち、どちらかから宣言的記憶のみが失われると、
特殊な関係性が根底から覆り…人格形成にすら、影響を与えてしまうのだろう。
しかも、濃密な手続的記憶だけが残ってしまうと…大混乱必至だ。


「ツンデレじゃない、優しいだけのイケメンって…???」
「えっ、この後僕は…どういう態度で、接したら…???」

オイシイはずの『ミニシアター』だったのに、月島と山口は本気で困惑…
単純に2人を喜ばせようとしていた黒尾自身も、頭を抱えてしまった。

「さっきの『酔っちゃいました☆』程度なら、笑い話ですむんだが…」
「本気の『記憶喪失』は、『幼馴染』にとって…存続の危機ですね。」


幼馴染から、見知らぬ他人へ。
世界がひっくり返る程の衝撃に、2人は耐えられるのだろうか。

   無事に元の関係に戻れるのか?
   全く新たな関係を築くのか…?


「やっぱり『幼馴染』って…ナマでも炙っても、オイシイばっかりですね。」

赤葦は真剣に考え込む幼馴染達に聞こえないように、ボソっと呟いた。




- ④へGO! -




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※賢者タイムの… →『αβΩ!研磨先生⑧
※朝勃ちって… →『同床!?研磨先生⑤*』


2017/09/20    (2017/09/18分 MEMO小咄より移設)

 

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