福利厚生⑤







「いつか…こんな日が来るんじゃないかって、思っていました。」
「諸行無常…ずっと今の状態が続くなんて、ありえねぇからな。」

二人の心中を表すかのように、空には重く暗い雲がかかり、
吹き荒ぶ冷たい風が、すぐ後ろの断崖の下へ…
空の暗さをそのまま写し取った、黒く冷たい海へと、
二人を引き摺り込んでしまいそうだった。

「どこで…俺達は、間違ってしまったんでしょう?」
「さぁな。今更そんなこと…俺にはわかんねぇよ。」

わかるのは、もう…後戻りなんて、できないこと。
一歩、一歩…風ではなく、自分の意思で、赤葦は崖へと後退る。
二人の距離を保つべく、黒尾も一歩、また一歩…崖へと前進。

「なぁ赤葦…」
「駄目です…」

強い口調で黒尾の言葉を遮り、未練を断ち切ろうとする。
だが、それが強がりだと暴露するように、二人の頬を雨が濡らす。
声に出せない想いを、空と風が代わりに絶叫し、海が飲み込んでいく。

「貴方と共に居られて…俺は幸せでした。」
「本当にこんな結末で…お前はいいのか?」

固い決意だったのに、自分を見つめる強い瞳に…
別の結末へといざなう声に、足元がグラリと揺らいだ。
こっちへ来いと差し出される腕を、掴みたくなってしまった。

「赤葦。俺はお前を、永遠に愛し…」
その言葉が、最後までこの耳に届いていたならば、
俺はきっと、その腕の方へと飛び込んでいただろう。

だけど、世界の終わりを知らせる音が、遠くから鳴り響き…
言葉も何もかも、掻き消してしまった。

「黒尾さん。俺も貴方を、永遠に…」
もし叶うのならば、来世も貴方と共に歩みたい…
それが叶わぬのならば、地の果てで貴方が来るのを、待っています。


頬から零れた滴が、冷たく暗い海へと堕ちて行った。



*****


「ねぇツッキー…あの二人、何ヤってんだろ。」
「恥ずかしいから、そろそろ回収しに行こうか。」


黒尾法務事務所の4人で、福井行こうぜ…福利厚生の旅行。
昨日午前は全員で恐竜博物館を見学、午後からは永平寺を拝観して福井駅へ。
午前の『大騒ぎ』と、午後の『静謐さ』のギャップの激しさと、
結構な強行軍だったこともあり、夜は大して談義することもなく爆睡…
(道中に語りっぱなしだった気もするが。)

今日は早朝より、えちぜん鉄道の三国芦原線に乗り、
名勝地・東尋坊へとやって来た。

冷たい風が少々強いとは言え、うららかな春の青空はまさに行楽日和。
深い青が特徴的な形状の崖に当たり、白い波飛沫を上げる絶景に、
「これが世界でもここを含め3ヶ所でしか見られない『柱状節理』で…」と、
月島が地質学について、嬉しそうに語り始めた…その時。

黒尾と赤葦による『ミニシアター』が、突然始まってしまったのだ。


「これが、チラホラ耳にしてた…二人の『ごっこ遊び』かな?」
「意外とノリが良いとは思ってたけど…ここまで『本格派』だったとはね。」

通り過ぎる観光客の視線が、チクチクと突き刺さってくる。
『ごっこ』の内容と『場所』がマッチしすぎなため、あらぬ誤解を生み、
正義感に溢れる良識派の人に、通報されてしまうかもしれない。

そうなる前に、月島と山口は二人を止めるべく、
山口は「3,2,1…」と指を立て、両手で『カチンコ!』のアクション。
そして月島は、パンフレットを丸めて、『世界の終わり』をコールした。

「はい、オッケー!二人とも、いい演技でしたよ。」
「お疲れさまです~!これでクランクアップです♪」

監督と助監督の声に、主演と助演は『はっ!?』という顔をした。
役にどっぷりハマりすぎ、忘我の境地へ至っていたのかもしれない。
茫然と佇ずむ二人の手を、月島と山口はそれぞれ引っ張り、
崖から離れた所へ連行…熱いコーヒーを渡して、ロケ終了を労った。


「全く、僕らまで『ごっこ遊び』に巻き込まないで下さい。」
「そういうステキな遊びは、二人きりの時にして下さいよ!」

いくら東尋坊…日本有数の『名所』だからって、
ココで『心中ごっこ』なんて…心中穏やかじゃないですよ。
「世界の終わりを告げる雷鳴に導かれ、二人はその涙と共に海へ…」
だなんて、あまりに定番すぎて…映画にしても売れませんから。

「『心中』は『忠』に通ずる。」とか言いますけど、
そういう『来世で結ばれましょう』的なの…『忠』の俺、苦手なんですよ。
そんなに来世でも結ばれたいんなら、仏前結婚式しちゃって下さい。
一度結婚した相手とは、来世でも結ばれる…それが因果だそうですから。

月島と山口の(げんなりした)ツッコミに、黒尾と赤葦はキョトンとした顔。
そして、ごくごく真剣な表情で、二人に異議を申し立てた。


「違う。これは『二時間サスペンスごっこ』だ。」
捜査一課の黒尾刑事と、その恋人・赤葦京治(こちらは一般人)。
いつも難事件の解決にコッソリ助力してくれていた、同棲中の恋人が、
実は一連の事件を裏で操る『真犯人』だった。

ファンファンファン…世界の終わりを告げるパトカーのサイレン音。
お前が罪を償うまで、地の果て…ムショから戻るまで、俺は待ってる。
だから、こっちへ…さぁ、戻って来るんだ。

「Wケイジシリーズ『黒龍伝説殺人事件』です。」
本作は大人気シリーズの第一章最終話…残り15分は、こうなる予定でした。


*****


…黒尾刑事の部下・山口刑事と、鑑識の月島が到着すると、
崖淵に犯行を自供する赤葦の手記と、黒尾の警察手帳と拳銃が置かれていた。

「まさか、黒尾さんと赤葦さん…そんなの、嫌だ…っ」
「あの二人に限って…僕は絶対、認めない!」
二人の慟哭もまた、白い波飛沫に当たって、小さく砕け散った。


あの事件から5年。
数々の古刹を舞台に、世間を震撼させた一連の『龍神事件』は、
担当刑事と容疑者が心中…等と発表することはできず、
容疑者死亡かつ黒尾刑事は殉職扱いとされ、真相は闇に葬られた。

だが、そんなウエの発表に納得しない山口刑事と月島鑑識官だけは、
極秘裏に事件の真相と二人の行方…友人達を追い続けていた。
そんな中、あの事件を彷彿とさせる、新たな事件が発生し、
現場に急行した山口達は、二人が生きていることを確信した。

「Wケイジシリーズ・第二章は…安芸の宮島・厳島神社が舞台だ。」
「四大明神の『西』…厳島の女神達より前から、元々いた神の謎。」
日本の歴史と国家権力の闇を暴く、大人気ミステリ…ご期待下さいませ!!


*****


ビシっとポーズまでキメて、次回予告をした、自称Wケイジ達。
その姿を、新米刑事と鑑識官は、呆然と眺めることしかできなかった。

先日は散々、自分達の惚気を聞き、円満調停をして貰った恩もある。
ほんのちょっとだけ、Wケイジシリーズが面白そうだな~とも思う。
自分達もエキストラとして、『ごっこ』の協力をしてあげたいが…
頼むから、ココでヤるのは勘弁して欲しい。周りの視線が…痛すぎる。


「わかりました。『黒龍伝説殺人事件』の話…旅館でお願いします。」
「事件の鍵を握る『龍と竜の違い』『鳶が産むのは鷹』について、考察です!」

ピーヒョロロロ…という、無常観溢れる鳶の鳴き声に見送られながら、
月島と山口は「さあ、こっちだ。」と、黒尾達を車に連行した。




***************





「鳶は、タカ目タカ科の猛禽類なので…集合論的には、鳶が産むのは鷹です。」
「『鳶』は、『矢+鳥』…矢のように急降下して獲物を捕らえる鳥、です。」


今宵の宿は、名湯・あわら温泉の旅館。
何と部屋に露天風呂が付いており、その贅沢さに4人は感激…
ここからのお月見がお勧めですよ、という仲居さんの助言に従い、
まずは夕方、日本庭園の中にある大浴場を楽しみ、部屋で早めの晩御飯。
布団を敷いた後、チビチビ飲み直しながら、月が出るのを待つことにした。

『酒の肴』にと、月島と山口が小ネタを提供したところで、
お待ちかねの『酒屋談義』がスタートした。


「矢のように急降下する鳥、か。だからあんなに『注意書』があったんだな。」
東尋坊では、土産物屋や食堂等で、海産物の串焼が売られていたのだが、
『危険!外で食べると鳶に取られます!』といった貼紙が、至る所にあった。
油揚げは勿論、イカ焼や菓子パン、果ては柿ピーまで奪っていくそうだ。

「寂しそうに鳴きながら、なかなか強欲な鳥なんですね。知りませんでした。」
残飯や死骸を狙ったりと、他のタカ類に比べ、狩猟に頼らないことから、
鳶に勇猛な印象は少なく、それが『鳶が鷹を産む』という言葉になったそうだ。
まあ、人などにタカるあたりは、紛れもなくタカ類の証拠かもしれないが。

『終わり』を強く感じさせる断崖絶壁に、悲しげな鳶の鳴き声。
そして、もっと生きたいと…西方浄土ではなく『東を尋ねる』名前。
海の藻屑となった者達の呻きが、波間から聞こえてきそうだった。

「そのイメージ…半分だけ正解です。」
しんみりとした二時間サスペンス風エンディングに浸っていると、
月島は容赦なくその『しんみり』を、矢のように掻っ攫っていった。

「『東尋坊』の名前の由来こそが、二時間サスペンスです。」


かつて、勝山の平泉寺に、東尋坊という名の僧がいました。
怪力を頼りに悪行の限りを尽くし、平泉寺の僧侶達は困り果てていました。
また、ある美しい姫君をめぐり、真柄覚念(まがらかくねん)と恋敵になり、
二人の僧は激しく争っていました。

寿永元年(1182年)4月5日、平泉寺の僧侶達は海辺見学に東尋坊を誘います。
断崖絶壁の上で酒盛り…いつしか東尋坊は酔って寝てしまいます。
僧侶達は真柄覚念に合図を送り、彼は恋敵を海へ突き落としました。
気付いた東尋坊は、その怨念で真柄覚念も海へと引き摺り込みました。

以来、毎年4月5日頃には、海は激しく荒れ、雷雲は西に起こり、
平泉寺がある東を尋ねていくそうです。


「東尋坊って僧が殺された場所…それが、名前の由来なんだ!」
「平泉寺って言うと、今は…平泉寺『白山神社』になるよな?」
「黒龍大明神の坐す場所…本物の『黒龍伝説殺人事件』です!」

冗談半分だった『二時間サスペンスごっこ』が、真相ドンピシャだったとは。
『名前』や『漢字』の由来を辿るだけで、ごく簡単に明るみに出てくる闇…
難しい考察や推理など経ずとも、真相はすぐそこにあるのかもしれない。


「そう言えば、『龍』と『竜』の違いについてですが…」
山口はお気に入りになった銘酒『九頭龍』を、赤葦以外に注ぎ、
肴として『黒龍シフォンケーキ』を皆に配った。

「『龍』は『竜』の旧字体…『龍』を省略した文字じゃなかったか?」
「どちらも全身鱗に、角と爪…雷雲を呼ぶ『巨大な蛇』の象形です。」
「古代中国では、『竜』の方が本来の姿を象形した、元々の字だった気が…」

月島の言葉に、山口は深く頷いた。
「おそらく、ツッキーの言うように…『竜』が先のような気がするんです。」

文字の形だけをみると、『龍』の方がカッコ良くて、龍っぽいカタチですが…
この字が、どんな『龍(竜)』を象形しているのかが、非常に重要なんです。

「どちらも、『頭部に入墨をするための針をつけた龍(竜)』の象形です。」
「頭部に入墨…それって、『鐘』の…『童』と同じ構造だ!」
かつて奴隷達は、目の上に入墨をされていた。
この奴隷とは、『朝廷にまつろわなかった』という罪を犯した者達…
『元々そこに居た』人達のことだった。

「『元々いた神』を、蛇や龍と言っていましたが…」
「漢字にもちゃんと…その痕跡が残ってたんだな。」

口に入れたシフォンケーキから染み出した露が、
4人には何だか、黒龍の涙のように思えてならなかった。


「漢字と言えば…『こっちが先!?』って話が、もう一つあるんですよ。」
雷雲を退けるかのように、月島は明るい声で『とっておきの話です♪』と、
きちんと座禅を組んでから話し始めた。

「『色』という漢字…実は象形文字なんですよ。」
「『色』なのに、カタチを表してる…ってコト?」

今まで4人でも、様々な『色』に関する考察をしてきた。
五輪塔のそれぞれに対応する色や、黒と赤の対比について、
また月島と山口は高校時代に、黄色について語り合っていた。
こうした『色彩』という意味では、『色』はカタチを表すとは言い難い。

「昨日行った永平寺さん等、仏教の教えでは、色界はカタチですね。」
「世界を3つに分けた時に、欲望を離れた物質の世界が、色界だな。」
仏教では、カタチに現れた全てのものを『色』と言う。
般若心経にある『色即是空』という有名な言葉は、
『この世の全ての物は、永久不変ではない』という、諸行無常を表すものだ。

今日のテーマにも、そして永久の平和を願う永平寺の考察としても、
こちらの『色』は実に相応しいネタだが…『とっておき♪』とは言い難い。

「残る可能性は、もう一つの『色』…ですよね?」
「赤葦がムンムンと立ち上らせる『色』…だな。」
即ち、『色気』や『好色』、『色欲』といった…修行で絶つべき『色』の方だ。


「『色』という漢字の構成は、『ひざまずく人の上に、人』です。」
篆書の字形を見ると、それがナニを象形しているのか…よくわかりますよ。




「これは…ひざまずく人を後ろから抱き、背後から覆い被さって…?」
「草食肉食の別なく、恐竜も同じ…生物の基本的なアレのスタイル…」
要するに、こういうコトです…と、座禅を崩した月島は、
山口に『恐竜スタイル!』と号令…『色』の『元々』を二人で表現した。

「なっ、なるほど…これ以上なく、よ~くわかる『実演』だ。」
「カタカナで書くと何かエロい説…この『色』は例外ですね。」

『行為』をダイレクトに表す文字が、その後『そういうカンケー』という意味…
つまり『ヤってみたい相手』から、『美しいもの』という意味に拡大した。
ちなみに、子供向けの漢字辞典には、『男女の愛する気持ち』や、
『男の人と女の人が仲良くする様子』と、涙ぐましい説明が書かれている。


「ねぇ黒尾さん。エロい漢字繋がりで、もう一つ…『とっておき♪』を。」

トロリとした表情…まさに『艶色』を湛えた顔色で、
赤葦は真横に座る黒尾にしなだれかかり、色っぽい声色で囁いた。

その淫靡な空気感に、残る3人はゾクリと背を震わせ、赤葦に注目…
しようとしたが、イロイロとアレなソレで、直視できなかった。

「黒尾さんは、おサムライ様…『士業』に携わる方、ですよね?」
この『士』という文字も、象形文字なんだそうですよ。

ズルズルと預けた身を滑らせながら、赤葦は胡坐をかく黒尾の腿に頭を乗せ、
浴衣の合わせ目に手を這わせ…ふふふ、と色を迸らせて微笑んだ。

「『士』は、『一人前の男』を表す文字です。」
今から三千年以上前の金文…青銅器の銘文に使われた文字ですが、
『ナニ』の『どういう状態』が、『一人前の男』か…おわかりですよね?

「俺が黒尾さんを、一人前の『士』に…してあげます。」
「あああ、赤葦っ!ここは…ウチじゃねぇぞっ!外だ!」

「外…?あぁ、『エクスタシー(ecstasy)』ですね。」
『ecstasy』は、『外に(ex)』+『立つ(stand)』…恍惚や忘我、そして脱魂…
外にアレとかが飛び出しちゃうってことです。
字面的には仏教の『解脱』と似てますけど…『色々と』大間違いですね。
そう言えば、俺達の『新婚旅行』一発目も、この『ecstasy』でしたね~
こんなトコにも、ズッポリ…繋がりました!


一人だけ楽しそうに笑いながら、色を振り撒く赤葦。
ビクリとカラダが跳ね、グっと声を詰まらせる黒尾。
その黒尾以上に、真っ赤に頬を染める、月島と山口。

何とも言い難い『色』に包まれ、沈黙する3人…
しばらくして、クスクスという微笑みが、スースーという寝息に変わった。





***************





「おい山口、その『黒龍シフォンケーキ』って…」
「『黒龍』をふんだんにつかった…なんじゃないの?」

芳醇な香りと、染み出すまろやかな露は、銘酒『黒龍』…
酒の肴は、日本酒シフォンケーキだったようだ。
成分表示を確認しなくとも、赤葦の色を見れば、一目瞭然だ。
絶望的レベルの下戸には、どうやら許容『外』だったらしい。

「すっ、すみません…その、イロイロと、あの…」
恐縮と赤面が混じった複雑な顔色で、肴を出した山口は頭を下げた。

初めて赤葦の『マジで卑猥な色』を目の当たりにした月島達は、
『解脱!』を全力で希望し始めた『士』をどうすべきか、
色々と思考を巡らせ、視線を彷徨わせる。


「お、俺はコイツらを落ち着かせて…寝させるから。」
黒尾は視線を↓に…赤葦『等』をチラリと見やり、
ははは…と乾いた笑いを立てながら、二人にスマンと詫びた。

「お前らは先に、外の露天風呂で…ゆ~っくり、な?」
「あ、はいっ!お言葉に甘えて…お先に頂きますっ!」
「えっと、その…おおおおっ、おやすみなさいっ!!」

月島と山口は裏返った声のまま、いそいそと露天風呂へと向かった。
そして、室内とを隔てるガラスに張り付き、黒尾の方に向かって合図…
黒尾はそれに従い、露天風呂から死角になる一番隅の布団へと、
赤葦を抱きかかえて運んでいった。




- 続 -






**************************************************

※『鐘』『童』という漢字について →『愛理我答(年末編)
※赤と黒の対比 →『王子不在
※黄色について →『黄色反則


2017/04/05

 

NOVELS