「おぉ…これは…っ!!」
目の前に並ぶ、実に美味しそうな和食達。
本日のメニューは、以下の通りである。
・牡蠣の炊き込みご飯
・蓮根饅頭と秋刀魚の揚げ出し
・豆腐のきのこあんかけ
・さつま芋の筑前煮
・かぼちゃの茶巾
「俺のリクエスト通り…『純和風』の献立だ…」
本日は、特殊酒屋談義第三弾・黒尾の誕生日会だ。
ここに至ってようやく、『お誕生日会』の基本に立ち返り、
主役たる黒尾の食べたいものを、ご馳走しよう…とのことで、
黒尾のリクエスト『ザ・和食!!』が用意された。
「僕達三人の力作…味の方は、保証書付ですよ。」
「あ、買って来たお惣菜に付いてた保証書…じゃないですから!」
その保証書については、後ほど黒尾さんに差し上げます。
月島と山口は、自信満々に「美味しさは問題なし!」と豪語した。
見るからに手の込んだ、割烹だか料亭だかのような料理…
こんな和食には、さぞや旨い日本酒が合うだろう。
黒尾・月島・山口が、期待の籠った目で赤葦を見ると、
赤葦は冷蔵庫から、全く予想していなかった酒を取り出して来た。
「え…ワイン、ですか!?」
「しかも、白じゃなくて、赤…っ!?」
「おい赤葦、何で今日に限って、ワインなんか…」
若干の非難の籠った目で赤葦を見る三人…
だが赤葦は、心外だと言わんばかりの表情で、仁王立ちした。
「あなた達こそ、何を言ってるんですか。
一体今日が何の日か…まさか、知らないとでも?」
今日は、一年に一度のフェスティバル…大事な大事な日でしょう?
俺は、この日が来るのを…このお祝いを、心待ちにしていました。
「赤葦、そんなに俺の誕生日を…っ!」
「いきなり惚気とは…驚きました。」
「よっ!黒尾さん、幸せ者~!!」
感涙に咽ぶ黒尾。やんやと囃し立てる月島達…だったが、
赤葦は先程と同義のセリフ…「わけのわからないことを…」と言い、
全員を一瞬で黙らせた。
「今日は、11月の第3木曜日…世界中のワイン愛好家待望の日。
『ボジョレー・ヌーヴォー』の解禁日でしょう?」
こんなにオメデタイ日…なかなかありませんよ!
今日こそワインを飲むべき…いえ、飲まなければいけない日です!!
赤葦はポカンとする面々の前にグラスを置き、
実に嬉しそうに『解禁♪』とコルクを抜いて、注いで回った。
それでは、皆さん…ご唱和ください。
「ボジョレー解禁、おめでとうございます!!」
「お…おめでとう、ございます…」
戸惑いながらも、グラスに口を付ける三人。
飲めない赤葦は、メモを片手に、心底わくわくした表情で、
三人から出てくるコメントを待ち構えていた。
「どうです!?今年のボジョレーは?」
「そうですね…って俺、今年が『初ボジョレー』なんですけど。」
「普通の赤ワインよりも、随分スッキリ…飲みやすいですね。」
「思ったよりもフルーティ…なかなか美味いぞ?」
当たり障りのない、どうでもいいコメント。
赤葦は『期待外れ』な面々に、ガックリと肩を落とした。
そして、「全員…注目!!」と号令を掛け、説教を始めた。
「まず、ボジョレー・ヌーヴォーとは、
フランスのボジョレー地区で生産される、その年の『新酒』で…」
これは…話が超絶長くなるパターンだ。
飲んでもいないのに、いきなりクダを巻きそうな赤葦…
三人は目配せし合い、『酒談義』を止めにかかった。
「赤葦さんっ、折角のご高説ですが…料理が冷めてしまいます!」
「この日のために、一生懸命頑張った料理でしょう?」
それは、そうですけど…ですが、ボジョレーの素晴らしさを…
尚も引き下がろうとする赤葦だったが、黒尾の一言でピタリと止まった。
「俺は、お前らが作ってくれた料理…一番美味い状態で食いたい。」
これを頂きながら、『何故お前がボジョレーを選んだか?』について、
じっくり聞かせてもらいたいんだが…食べてもいいか?
「も…勿論です!!是非とも召し上がって下さい!!」
見事な人タラシ(兼・赤葦操縦)…月島達は心の中で拍手喝采しながら、
全員でいただきます!と、綺麗に手を合わせた。
待ちに待った『御馳走』を口にする黒尾。
皆が固唾を飲んで見守る中、料理に一通り口を付け…静かに箸を置いた。
「ど…どうです?」
「お口に…合いましたか?」
心配そうに訊く月島と山口。
黒尾は黙って頭を下げ、暫く固まっていたが、
ふるふると背を震わせ、がばりと顔を上げた。
「超絶美味ぇっ!」
濃すぎず薄すぎず、素材の味を引き立てる、実に深みのある出汁の薫り。
日本の秋…実りへを感謝を思わせる、繊細かつ優しさに溢れる温もり。
本当に、日本人で良かった…心からそう思える、素晴らしい料理だ。
「今すぐ俺の嫁に来てくれ…そう願わずにはいられないぐらいだ。」
最高の誕生日プレゼント…本当にありがとうな?
心からの称賛と感謝に、月島と山口ですら、感激してしまった。
まさかここまで手放しで褒められるとは…
「そんなに喜んで頂けると…僕も、本望です。」
「黒尾さんのお嫁さんなら…なってもいいかな。」
これぞ、人タラシの真骨頂…
そうだとわかっていても、二人は嬉しくて仕方なかった。
その様子を黙って見ていた赤葦。
もの言いたげに黒尾を見つめ…黒尾はその視線を受けながら、
今度はワインと一緒に、ゆっくり料理を食べ始めた。
「…っ!?
な…なんで、この純和風の料理に…合うんだっ!?」
上品なお出汁に、芳醇なワインの薫りがプラスされ、
しっかりしたコクを持つ味わいに変化している。
どちらも『邪魔をしない』ではなく、どちらも『引き立てる』…
「まさに相乗効果と言うに相応しい…絶妙なカップリングだ。」
まるで料理番組か、ソムリエのような華々しい感想。
どんな考察でも、冷静かつ公平な評価を下す黒尾が、
珍妙に思える『和食+赤ワイン』に、ここまで感涙するとは…
月島達も慌てて料理とワインを同時に含み…そして驚愕の表情を見せた。
「さっきワインだけ飲んだ時より…断然美味しい!」
「本当に、和食にワイン…合うんですねっ!」
競うように飲み、食べ続ける三人。
その姿に、赤葦は心底嬉しそうに微笑んだ。
「そもそもワインは、料理と一緒に頂くことが…大前提なんです。」
ワインだけではなく、共に食べる料理を合わせて提供する…
一流のソムリエは、一流の料理人でなければいけないんです。
「一般的な赤ワインと違い、フレッシュでライトなボジョレーは、
薄味の和食と、非常に相性の良いワインなんですよ。」
今年、偶然にも二つのアニバーサリーが重なりました。
今日という日こそ、『ワインと和食』の組み合わせを、
黒尾さんに楽しんで頂くべき時…
そう思った俺は、この季節の食材に合う料理を、必死に探しました。
「ワインと料理を最高の形で組み合わせる…
これを、『マリアージュ(mariage)』と言うんです。」
マリアージュとは、二つの調和…即ち『結婚』である。
「黒尾さん好みの味付け…お出汁のきいた純和食。」
「それと完璧に合うお酒まで…胃袋ガッチリですね。」
ここで言うべきことは、一つだけ…そうですよね?
ほら、さっき僕達に言ったアレ…もう一度、どうぞ?
月島と山口の問い掛けに、黒尾は深々と頷いた。
「できるなら、毎日この味付けの料理を、俺は一生食べ続けたい。
だから、赤葦…」
黒尾は赤葦の手をそっと握り、再度深く頭を下げた。
「俺にもこの料理の味付け…教えてくれないか?」
こんなすげぇ料理技術、俺も是非修得したい。
毎日こんな美味い飯が食えるように…頑張りたいんだ。
「成程、そうきましたか…」
「自分でも料理しようという心構えは、大変素晴らしいんですが…」
「黒尾さん…ここは赤葦さんに甘えていい場面ですよ。。。」
あと一歩で、『肝心の一言』を言って貰えるところだったのに…
あまりにも黒尾が『(家事も)デキる男』だったのは、計算外だ。
ガックリと項垂れる赤葦を、月島と山口は涙ながらに慰めた。
「ところで、確認なんだが…これ、本当にお前らだけで作ったのか?」
とてもじゃないが…ネットのレシピを見ただけじゃ、無理だろ?
昨日までの『いつものご飯』と、えらい違うぞ…
ご飯のお代わりを山盛りよそってもらいながら、黒尾は尋ねた。
それに対し、三人は「作ったのは事実なんですが…」と苦笑いし、
赤葦が『種明かし』を始めた。
「献立とワインを選んだのは俺ですが、それを作る技術はさすがに…」
仕方なく、主婦業の大先輩…母に聞いてみたんです。
しかし、分量等を訊いても『適当』『だいたい』『お鍋にちょろっと』
…全く意味不明な説明に、電話口で喧嘩になる始末です。
それなら、実際に見に来いと言われ…
「先週末、月島君と山口君にもご同行願い…習ってきたんです。」
「三人で『お料理教室』…ならぬ、『花嫁修業』してきました!」
「というわけで、この料理は全て…『赤葦家の味』です。」
月島は食器棚から封筒を取り出し、黒尾に手渡した。
封筒の表書きには、『保証書』としたためてあった。
「赤葦さんのお母様から、預かってきました。」
そこそこの味は保証致します。
我が家の味が、黒尾さんのお口に合えば幸いです。
「保証書に偽りなし…最高に俺好みでした。ご馳走様です!!」
黒尾は『保証書』に恭しくお辞儀をし、大事に大事にしまった。
そして、大真面目な顔で…月島達に向き直った。
「赤葦母に会ったのか…どうだった?」
こんな表現はおかしいかもしれませんが…と前置きし、
月島はごくごく大マジな顔で即答した。
「赤葦さんの色気を2割増して、『奥様』にしたカンジ…ですね。」
「ツッキーそれ…普通は『ソックリ』って言うんじゃ…」
高校生の頃、赤葦母と初めて会った黒尾。
その時とほぼ同じ感想を月島達が抱いたことに、黒尾は満足した。
「赤葦さんが発する、妙な艶っぽさ…納得しましたよ。」
「美人エロ人妻風フェロモン…ですよね~」
「だろ?お前らもわかってくれたか…最高だよな!?」
俺の気のせいかもしれないが、
赤葦が最近、益々母に似てきたような…まぁ、それは置いといて。
「あの母から料理を教わるとは…冗談抜きで羨ましいぞ!
おい赤葦、俺も来週『花嫁修業』をお願いしたいんだが…」
「この味が知りたいのであれば、俺がお教えします。」
赤葦は別の封筒をポケットから取り出し、黒尾の目の前に突き付けた。
そちらの表書きには、『修了証』の文字…
「僕達三人共、『花嫁修業・赤葦家の味コース』の修了証…
血の滲むような努力の末、ようやく頂けました。」
「赤葦さんのお母さんだけあって、物凄~~~く厳しい修業でした…」
どうやら、容赦なく『ミッチリ』しごかれたらしい。
修業三人組は顔を見合わせ、力なく苦笑いした。
「まぁ、こういうわけですので、『花嫁修業』で手一杯で…」
「前回の『山口誕生日』から、一週間しかなかったですし。」
「全然『面白いネタ』を事前準備する余裕が…すみません。」
祝う側の三人は、申し訳なさそうに頭を下げた。
だが黒尾は、「何言ってんだよ!」と朗らかな声を出した。
「お前らが『お料理上手』になって帰って来た…
これほど嬉しいプレゼント、他には考えられねぇぐらいだぞ!」
本当にありがとうな…すっげぇ、嬉しい。
心から喜んでくれた黒尾に、三人も素直に喜びを表現し、
「よかった…!」とハイタッチし合った。
***************
デザートの茶巾を肴に、何種類目かのボジョレーを開ける。
たった一種類だけなんて、考えられないでしょ…?と、
赤葦は様々なメーカーの物を用意しておいたようだ。
飲みやすさもあり、次々出される瓶が、あっという間に空いていく…
料理と相性が良いと、いつも以上にペースが早くなってしまう。
少しペースを落ち着けるべく、月島は『小ネタ』を出してきた。
「11月17日について、一応僕達も調査はしたんですが…」
一言で言えば、ものすごくライトなネタか、とんでもなく深いか…
両極端なネタが多くて、考察し辛かったんですよ。
「ちなみに、定番の『誕生日すし』は『コハダ』…初の魚類です!」
コハダは漢字で、『魚+祭』…秋祭りの鮨によく使われたから。
出世すると『コノシロ(鮗)』と呼ばれる、冬を代表する魚である。
なお、出世後よりも、出世前の方が価値が高いというレアケースだ。
「それから、今日は『蓮根の日』だそうです。」
1994年のこの日に開催された『蓮根サミット』を記念して制定された。
「献立の『蓮根饅頭と秋刀魚の揚げ出し』は、ここからです。」
蓮根はハスの地下茎で、食用にするのは日本と中国南部だけらしい。
また、ハスとよく似たものに、花を愛でるスイレンがあるが、
こちらはスイレン目スイレン科…塊根は食用に適さないそうだ。
(ハスはヤマモガシ目ハス科で、完全に別種の植物。)
「この蓮根を練り込んだ麺で有名なのが、
茨城のご当地ラーメン、『水戸藩らーめん』です。」
日本で初めてラーメンを食べたのが、水戸藩主の徳川光圀…
時代劇でお馴染みの、水戸黄門である。
黄門様が食べたラーメンを再現したのが、このラーメンだそうだ。
「光圀は、中国・明から亡命してきた儒学者の朱舜水に師事していて、
その人からラーメンを食べさせてもらったそうですが…」
「この朱舜水の誕生日が、今日11月17日でした。」
蓮根らしく、『先を見通す』…そういうネタとオチを狙ったが、
これ以外に上手く『繋がり』を見つけることができず…時間切れだった。
「俺もツッキーと山口のネタ探しをやったからわかるが…
上手く『繋がる』ネタを発見するのは、至難の業だよな。」
喜ばせたい一心で、色々と頭を使うのだが…
苦労の割に報われないのが、この『雑学考察』でもある。
誕生日会の『余興』として、ライトなネタをたくさん楽しむよりも、
一つのネタをじっくり深く…の方が、実は楽だったりするのだ。
「ここにきて、『お誕生日会』趣旨の『設定ミス』に気付く…
ホントに馬鹿だよな、俺達。」
普通に「二人で旅行でも行って来いよ~!」って、
『温泉旅行ペア宿泊券』でも贈っとけばよかった…
今更ながらの後悔に、四人は揃ってため息をついた。
「…ということで、黒尾さんには大変申し訳ないんですが、
11月17日ネタはこの辺で終了…本当にすみません。」
「その代わりと言っては語弊がありますが、
僕と山口が、こっそり預かってきたものを…お渡しします。」
月島はそう言うと、今度は冷凍庫から別の封筒を取り出し、
その中身を朗々と読み上げた。
そこそこの味は保証致します。
我が家の味が、黒尾さんのお口に合えば幸いです。
「それ、さっきのと全く同じ文面…だよな?」
「表書きも全く同じ…『保証書』ですよね?」
首を捻る黒尾と赤葦に、山口が『二枚目』を取り出した。
そして、何とも言えない表情で、それを朗読した。
丹精込めて作った、赤葦家の最高傑作です。
大切に味わって頂けますようお願い申し上げます。
「おい、まさかそれ…『何』の保証書なんだ!?」
「ちょっと月島君、『一枚目』…見せて下さい!」
慌てる二人に、月島は一枚目を翻し、その『表題』を見せた。
予想はしていたが、予想通りの言葉に…黒尾達は絶句した。
「あっ、『赤葦京治保証書』…マジかよ!」
「息子の保証書…あの人、何考えて…っ!」
確かに、『製造元』であれば、発行可能な保証書ではあるが、
ここに書かれた内容が意味することは、つまり…
「『追伸。年末もしくは年始に、
二人揃って遊びに来て(帰省して)下さいませ。』…以上です!」
「完全にバレてるみたいですね、お二人のこと。」
おやおや、これは大変ですね~♪
月島と山口の(実に嬉しそうな)言葉に、二人は呆然と立ち竦んだ。
***************
年末もしくは年始に、二人揃って来い…
「行くのは構わねぇんだが…どういう趣旨の、その…」
「えーっと、つまり…いわゆるアレなのか、という…」
ただ単に『顔を見せに帰って(遊びに)来い』なのか、
それとも、主目的は『アノ話』なのか…判断に悩む。
「こんなこともあろうかと、僕達の方で…調査しておきました。」
「ずばり、『相手の実家に行く時のマナー』です!」
今度は山口がシンクの下から紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
「まず第一は…手土産についてですね。これは…
『わざわざ時間を設けて下さったことへのお礼』だそうです。」
「金額は3000円程度、ご両親が好きなものを事前にリサーチすべし!」
おい、赤葦のご両親…な、何が好きなんだ?
駅前の団子屋のは…あ、日持ちするもの方がいいか?
洋菓子は、こないだの修業の際に持って行ったので…
今度は和菓子の方が良いかもしれませんね。
「できれば、最低限家族の人数分が入っている、個別包装のもの…
切り分ける手間がないものがオススメだそうですよ~」
真剣に考え始めた黒尾と赤葦。
手土産の選択…意外とこれも、悩ましい問題である。
こんな些細なもので下手を打っては、元も子もない。
これについては、じっくり決めることにして…とりあえずは保留だ。
「次は服装についてですが…やっぱりスーツが無難みたいですね。」
ヘアスタイルも含め、清潔感のある格好が良い。
既に相手の両親を知っていても、カジュアルすぎるのはNG。
また、家に上がることを考え、靴下にも気を配ること。
そして、緊張で汗をかく可能性も多々あるため、
きちんとアイロンをかけたハンカチも持参すべき…
「靴もちゃんと…忘れずに磨いとおかないとな。」
「スーツで実家に帰省…俺も緊張してきました。」
「そして、ご両親の呼び方ですが…」
まだ『お許し』を頂いていないうちは、
いきなり『お義父さん・お義母さん』…これはダメです。
『京治君のお父さん・お母さん』…でしょうか。
「えーっと、けっ…けいじ、君…???」
「えっ、はっはい…鉄朗、さん…???」
慣れない(初めて呼んだ)呼び方に、二人は盛大に疑問符を飛ばしたが、
横で聞いていた月島達の方が、不慣れさに大赤面してしまった。
「きっ…聞いてるこっちが、何か恥ずかしいんですけど…」
「ちょっと僕まで…緊張してきたよ。」
子どもの頃から、家族ぐるみのお付き合い…
月島と山口にとって、『お互いの家に行く』ことは、
特別でも何でもなく…緊張とは無縁である。
だからこそ、黒尾達の動揺が新鮮であると同時に、
二人の『らしくない』姿に、こっちまで緊張が伝染してしまった。
「さっ、最後は、『報告』と『お許し』を願うのですが…」
「俺達が『京治君のお父さん・お母さん』役をしますから、
実践練習…やってみましょう!」
山口の掛け声で、黒尾と赤葦は慌てて立ち上がり、服装を正した。
月島(赤葦父)は坐ったまま無言で腕を組み…
山口(赤葦母)は、「こちらへどうぞ。」と席を進めた。
失礼します…と目礼しながら、黒尾達は静かに席に着いた。
お茶を出した母に頭を下げ、その母が着席してから…
「ここで、この場を設けて下さったことへのお礼です。」
…と、小声で指示を出した。
「はっ初めまして。私、黒尾鉄朗と申します。」
「鉄朗さん、『初めまして』じゃないですよ。」
黒尾は、開業及び同居を始める際、赤葦家に挨拶に行っている。
それ以前にも、何度か赤葦母とは会っており…『初めて』ではない。
ここは『マニュアル』通りは不可…黒尾は改めて言い直した。
「お久しぶりです。いつも京治君には大変お世話になっております。
本日はお時間をお作り頂き、ありがとうございます。」
ハキハキとした声で、キッチリと頭を下げる…
さすがは人タラシ…なかなかの好印象である。
月島は右手で『OK!』サインを出し、続きを促した。
「ここで、手土産を渡しますが…
『つまらないものですが』という定型句はアウトですよ!」
つまらないと思っているものを差し上げる…と思われてはマズい。
ためになるアドバイスに、黒尾は小さく「了解!」と目配せした。
「和菓子がお好きとうかがいましたので…
僕達も大好きなどら焼きです。是非召し上がって下さい。」
「まぁ、嬉しい…お父さん、餡子大好きなのよね~」
「しかも餅入りか…有り難く頂戴しよう。」
事前リサーチは重要…どうやら気に入ってもらえたようだ。
一段階目を無事にクリアし、黒尾と赤葦は内心ホっとした。
「お茶を頂いたりしながら、場を和ませる会話を続けましょう。
趣味や家族、スポーツ等…きっかけを掴みやすい話題ですよ。」
避けた方が良い話題は、宗教・自慢話・お世辞・ギャグ、
それに、当然ながら…下ネタもダメですからね。
「黒尾君、仕事の方は…上手く行ってるのかね?」
「はい。京治君をはじめ、優秀なスタッフに支えられ…
お陰様で、途切れることなく仕事を頂けております。」
「そうか…それは良かった。安心したよ。」
「ありがとうございます。」
仕事が安泰…特に個人事業主の場合、これはかなりの高評価である。
父の表情が、一気に明るくなった。
「ウチの子、ちゃんと家事…できてるのかしら?
家では全くやったことがなかったから…ご迷惑かけてない?」
「僕自身も、ずっと実家暮らしでしたから…
二人で協力しながら、家事も楽しくやっています。」
「あらあら、一緒にやってるの?京治…よかったわねぇ~」
「…うん。むしろ、鉄朗さんの方が器用なぐらい。」
おいおい京治、それは父さん…ちょっと恥ずかしいぞ。
父と母が笑い、場が明るく和やかな雰囲気に包まれる。
黒尾と赤葦も顔を見合わせ、ふわりと微笑み合う。
場が和んだところを見計らって…ついに『本題』だ。
山口が小さく親指を立てて『GO!』のサインを出す。
ゴクリ…と喉を鳴らし、黒尾は背筋を伸ばして座り直した。
同じように赤葦も座り直し…腿の上でギュっと手を握り締めた。
「京治君の…お父さん、お母さん。」
しっかりと両親の目を見て、話を切り出す黒尾。
その雰囲気に、父と母も居ずまいを正し…静かに言葉を待つ。
「京治君と、けっ…
…って、ちょっと待て待て待て!!」
そもそも、『普通に遊びに行く』のか、『コレ』なのか、
まだわかんねぇ状態なのに…いつの間にか『予行演習』って…
ちょっと気が早すぎというか、俺ら全員…ノリが良すぎだろ!
ギリギリのところで我に返った黒尾。
完全に『場』に飲まれていた三人は、突然の幕切れに驚いた一方、
とてつもない緊張感から解放され、はぁ~~~っとため息をついた。
「きっ…緊張した…っ!!心臓飛び出しそうだった!」
「これが、娘を嫁にやる父の気持ち…僕も、手が震えてるよ。」
というよりも、さすがは伝家の宝刀・『人タラシ』ですね。
あまりに迫真の演技…この僕ですら『我が子の旅立ち』に、
幼い頃からの思い出が走馬灯のように…見えてしまいました。
「こ、この『予行演習』で、わかったことが、一つあります…
『母親』を味方に付けること…これが、成功の鍵ですね。」
ゴクゴクと水を飲みながら、赤葦が超重要なポイントを示した。
今回も、母…山口が間を上手く取り持ってくれたから、
話が実にスムースに進んだ…間違いなく、母こそが鍵だ。
「母が鍵、か…これ、きっと『逆』にも言えるな。
早いうちに、ウチの母親と赤葦を会わせとくべき…かもな。」
黒尾は真剣な表情でそう呟くと、相好を崩して三人を見た。
「今日は、貴重な『予行演習』…サンキューな。
できれば『本番!』直前にも…もう一回、頼んでもいいか?」
手を合わせながら、バチリとウィンクする黒尾。
そのお茶目な表情に、三人も一気に肩の力を抜き、
満面の笑みで「勿論です!」と快諾した。
***************
後片付けを月島達に任せ、黒尾と赤葦は自宅…3階へ戻って来た。
結構飲んだはずだが、酔いはすっかり醒めていた。
ごろりと居間に寝転がり、ポケットから2通の『保証書』を出し、
天に翳すように、ぼぅっと眺めた。
「まさか…赤葦母に、バレてるとはな。」
同居前のゴタゴタの際、赤葦が『妻となる人』の欄に署名した、
書き損じの婚姻届を、赤葦母にはチラリと見せてはいた。
だがそれは『間違い』だったと、その後ちゃんと説明し、
きちんと納得してもらっていたはずだったのだが…
「あれが、俺の仕組んだ『罠』だと…母にはわかってたんですね。
その上で、俺達の出方を見ていた…そういうことだと思います。」
何故俺が、あんな『罠』を張ったのか。
『誰』に対し、どういう意図で仕組んだのか…全部わかっていたのだ。
本当に、母親とは…恐ろしい生き物だ。
赤葦は熱いお茶を入れ、座卓の上に置いた。
黒尾はそれに礼を言い、ゆっくり起き上がると、
熱い湯呑を冷ましながら、そっとため息をついた。
「この『赤葦京治保証書』を見る限りでは、
赤葦母は俺達のこと、少しは認めてくれている…のか?」
文面通りに文意を受け止めると、二人を祝福しているように見えるが、
そこは『赤葦』の母…油断は全くできない。
いや、一般的とは言えない関係である以上、殴られても…仕方がない。
きちんと顔を合わせて話してみないと、真意は謎のままだ。
黒尾が悶々と考えていることが、赤葦には手に取るようにわかった。
きっと、ウチの母親は…全て見通した上で、
あの『保証書』を、黒尾さん宛に寄越したのだ。
あれは、母の偽りない気持ち…このまま母を味方に付ければ、
赤葦家の方は、『伝家の宝刀』もある分、上手くいくと思われる。
問題は、未だ直接的な面識がない、俺と…黒尾家の方だ。
俺には黒尾さんのような『人タラシ』という特殊技能もないから、
こちらはウチよりもずっと…難儀するのではないだろうか。
だが、望みがない…わけでもない。
俺は居間を出て、廊下の納戸を開けた。
その一番下…大きめの段ボールの中から、茶封筒を取り出す。
中身をそっと確認し、それを持って居間へ戻った。
「黒尾さん、これ…見て頂けますか?」
「何だ?これは…『取扱説明書』か。」
以前、研磨がここに突撃して来た際、音駒OB会一同からの目録と共に、
黒尾母から赤葦へ…『マタタビ酒』の目録も持参していた。
赤葦のために、急いで漬けたマタタビ酒…その利用方法については、
別紙の『取説』を参照のこと…とあったが、それがこの紙だろう。
一枚目には、半年は寝かせること、その後の飲み方や効能等、
ごく一般的な『取説』が記されていた。
二枚目を捲り…黒尾は我が目を疑った。
『黒尾鉄朗取扱説明書』
まさか本製品を上手く扱えるユーザーが現れるとは、
製造元は全く想定しておりませんでした。
ユーザーが本製品をいかに操縦していくのか、
そのお手並みをじっくり拝見させて頂きたく存じます。
なお、本製品は意外と脆い部分がございますので、
取扱には十分ご注意の上、大切にお使い下さいませ。
「な…何考えてんだ、あの人は…っ!」
「ウチの母と…全く同じ…でしょう?」
ちゃんと紹介していなかったのに、黒尾母は赤葦のことを知っていた。
これは、月島兄を通じて連絡を取り合ったことがわかっているが、
いつの間にか、母親同士の『見守りネットワーク』ができていたのだ。
そのことにも驚いたが、まさかここまでとは…思ってもみなかった。
「これを頂いた時には、いまいち意味がわからなかったんですが…」
今日の『保証書』を見て、確信しました。
俺達のことは、完全に母親連中には、バレてます。そして…
「そんな俺達を見守りつつ、二人で面白がって…楽しんでるよな。」
二人のことは、一緒に開業&同居という『既成事実』を積み上げる…
『外堀』をガッチリ埋めて、徐々に認めてもらうという、
数年がかりの長期計画…策を練っていた。
だが母親達は、まるで蓮根のように、地下で繋がり合い、
二人よりも遥かに『先を見通して』いた…ということになる。
外堀を埋められていたのは、こちらの方だったのだ。
「さすが、狡猾参謀の母…恐るべし。」
「腹黒策士の、生みの親…完敗です。」
全面降伏…とでも言うように、黒尾は両手を上に投げ、
そのままゴロンと、再び床に寝そべった。
「今朝、母親からメールが来たんだ…
『年末か年始には、帰って来ること。できれば一緒に。』って。」
「それも、ウチの母親と、全く同じ…
『年末か年始、どちらの家にも揃って来い』という意味ですね。」
両家から、同じように言われた…ということは、
どう考えても、ただ単に『遊びに来い』というものではないだろう。
そろそろきちんと、『けじめをつけに来い』というサインだ。
だとすると、俺達が取るべき次の策は…?
黒尾は腕を伸ばし、横に座る赤葦の膝を、ポンポンと叩いた。
「近いうちに…ウチに一緒に、行ってくれるか?」
「えぇ…早いうちに、ぜひ一緒に行きましょう。」
できるだけ早い段階で、黒尾母と赤葦の面通しをしておき、
双方の母親を、ガッチリと味方に付けるべきだろう。
そして、自分達がやるべきことには、もう一つ…
根幹とも言うべき、大きなものが残っている。
「俺達自身も、自分達のこと…ちゃんと考えねぇとな。」
「はい…のんびりしては、いられないってことですね。」
もう少し、のんびりゆったり、ぬるま湯に浸かっていたかったが…
同棲生活も、もう3カ月。『試用期間』としては、十分だろう。
周りに急かされる形ではあるが、いつまでもズルズルするよりは、
一旦きちんと『けじめ』を付ける…それも、必要かもしれない。
腹を据えるように、黒尾は勢いよく「ふぅっ」と息を吐いた。
すると、赤葦が「あっ!」と声を上げた。
「大事なこと…もう一つ、忘れていました。」
「なっ、何だっ?…今度は何の○○書だ!?」
本気で戦々恐々とする黒尾…
だが、赤葦はその緊張を吹き飛ばすように、柔らかく微笑んだ。
「黒尾さん、お誕生日…おめでとうございます。」
実は今日、一度も言ってなかったんですよね。
お祝いの言葉が遅くなってしまい…申し訳ありませんでした。
寝転がったままの黒尾を、横上から覗き込むように、
赤葦はそっと顔を近付け、キスを落とした。
「赤葦家の品質保証付。美味しくお召し上がり下さい…鉄朗さん?」
「最高傑作らしいからな。心ゆくまで大事に頂こうか…な、京治?」
不慣れな呼び方に、二人同時に吹き出しながら、
黒尾は腕を真上に伸ばし、赤葦を抱き寄せた。
- 完 -
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※黒尾と赤葦母、初顔合わせ →『諸恋確率』
※黒尾、赤葦の『罠』に嵌る →『団形之空』
※黒尾母、赤葦へマタタビ酒 →『撚線伝線』
2016/11/15