紅顔可憐








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   足元には、花韮や鈴蘭水仙が風に揺れ。
   頭上では、白木蓮が青空に手を伸ばす。
   早い春の到来に、染井吉野も綻び始め。

「このような美しい花々と共に、皆さんをお送りできることを、心から嬉しく思います。」


盃九学園、卒業式。
卒業生を送る言葉…送辞を読むのは、代々、執事学科主席と決まっているそうだ。
俺は学園史上初の転籍だったが、創業家に連なる一族かつ、成績も出席番号もトップ…
特に何の異論もなく、俺が『在校生代表』として選ばれ、壇上から祝辞を述べている。

   我らが盃九学園は、全寮制の男子校。
   卒業後も、結束は注連縄の如き強さ。
   皆さんとの御縁は、永遠に続きます。

パタパタと、折り畳んだ紙をずらしながら、ありきたりな送辞を淡々と読んでいく。
この紙は『奉書紙』と言うらしく、祝詞にも使われる…部屋に大量にあったものを拝借した。
白土や黄蜀葵(トロロアオイ)の根が混ぜてある分、普通の和紙より強く破れにくいのだとか。

   (黄蜀葵…ラブローションの原料ですね。)


…我ながら、呆れるほどの平常心だ。
紙の隙間から卒業生達を眺めると、家業(年度末)と退寮の準備に追われ、疲れ切った表情。
どうせこの先も仕事絡みで顔を合わせるし、主人&執事の繋がりが切れることもない…
あそこの歴史的名家のボンボン共は、あ~&う~ん…と、堂々とあくびをかましているし、
在校生の最後列では、退屈なのを隠しもしない月山コンビが、のんびりあやとりしていたり。

保護者は世界中を飛び回っており、式典に出席していないため(ネット配信はされているが)、
卒業式も『ちょっと畏まった全校集会』程度の、単なる形式的なセレモニーでしかない。
とは言え、あまりにもダラけすぎ…送辞を書くのに一週間も悩んだ身としては、面白くない。

   (どいつもこいつも…クソ腹立たしい。)

奉書紙から少しずつ目を離し、大講堂の隅々へと視線を巡らせる。
俺の雰囲気が変わったことに目敏く気付いた奴らから、あくびを飲み込み、毛糸をしまい、
背筋をピンと伸ばして壇上に注目…ざわめきは消え、緊張感漂う式典らしい空気に包まれた。


   この学園を、御卒業しようがしまいが。
   主人&執事という名称でなくなろうが。
   カタチが変われど、我らの絆は不変…

「…だと思ったら、大間違いですからね。」


   いつまでも、あると思うな、親と金。
   明日もまた、日常がくる、保障なし。
   時は無常に過ぎ、花も散り逝く定め。
   縁も絆も、結び続けていかなければ、
   花々と同じく、解れ散っていくのみ。

「盃九学園の同窓生同士だから。輪廻転生を共に繰り返す腐れ縁だから。家業が同じだから。
   そうやって、生まれや育ち、経歴に甘んじているだけでは、時の流れに消え逝きますよ?」

   主人と執事。幼馴染。阿と吽。親子と夫婦。
   セットが当たり前なんて、ただの幻想です。
   近所の個人商店や、長期連載漫画と同じく、
   『終了』と聞いて惜しむのでは、遅すぎる。
   いつまでも、『いつも』が続くわけがない。

「一年に一夜しか逢えない彦星と織姫。30年コンビを組む主人と執事。半世紀連れ添う伴侶…
   共に過ごす時間は違えど、『いつか必ず別れが来る』という点では、全く同じです。」


手元でパタパタ開閉していただけの奉書紙を、バン!と演台に叩きつける。
静まり返る大講堂の天井に向かって、俺は思いの丈を吐き出した。

「俺は、彦星の行く先を…知りません。」

元々、何の縁もゆかりもない。彦星とは、裏山の川沿いで、七夕的に偶然出逢っただけ。
一年近く策を弄し続け、苦心の末この学園の基本となる『主人&執事』の関係を作出。
ようやく正式な契約…『執事申請書』を出し、共に歩み始めて…まだ、たったの一年です。

「人と人の縁を結ぶのは、そんなに簡単なことではありません。それなのに…」

一年前の年度末、『執事申請書』の提出期限間際、彦星は織姫に対し、こう言いました。
『彦星』を置いて天に還ったり、天漢(天の川)を渡ったりしないなら、執事にしてやる…と。
でも一年後、その彦星自身が、何も告げずに…今日、織姫の元から去ろうとしているんです。

「固く結ばれたはずの彦星と織姫にも、こんな風にあっけなく、悲しい別れが来る。
   どうか皆さんは、盃九学園の『七夕伝説』を心に留め…全力で御縁を紡いで下さいませ。」

   卒業生の皆様の、今後の更なる御活躍を、
   在校生一同、心よりお祈り申し上げます。
   彦星と織姫の分も、どうか、お幸せに…っ


「…在校生代表 赤葦京治…っ。」


平常心。平常心だ…織姫。
そう自らに言い聞かせながら、卒業生達から目を逸らし、天井を睨み続けていたけれど、
豪雨後の天漢の如く、滔々と溢れ流れ落ちてくるものを、堪えきれなくなり…
俺は深々とお辞儀をすることで、紅く染まる顔を隠すしかなかった。

しん…と、静まり返る大講堂。
本来なら、拍手に包まれながら壇上から降り、次の式次第へ移らなければならないのだが、
俺は顔を上げることも、そこから動くこともできず、演台の後ろで首を垂れ続けていた。

   (大失態だ…っ)

『卒業式』が重大な意味を持つのは、この場では俺独りだけなんだという絶望感に飲まれ、
卒業生へのはなむけの言葉も、在校生代表としての責任も、全てぶち壊してしまった。
今頃になってその事実に気付き、自分のしでかしたことを悔いても…もう、遅い。

   (皆さんに、謝らなければ…っ)


なけなしの勇気を振り絞り、顔を上げようとした瞬間。
ガタン!とパイプ椅子が倒れる音と、誰かが颯爽と壇上に飛び上がる風の音、
そして、ふわり…と、音も香りもない風が、頭上から俺を包み込んでいた。

   (これは…制服の、ジャケット?)




*****




正式なルート…舞台脇の階段からではなく、最短距離で壇上に飛び乗ったのは、黒尾だった。
演台の後ろまでほんの数歩で辿り着くと、胸ポケットから白い紙束を取り出した。
その紙束を唇に挟んでジャケットを脱ぐと、それを赤葦の頭に被せて自分の背の裏に隠した。

「…答辞。」

   名も知らない小さな花々が、道端を彩り。
   青々とした芝生に転がり、上着を脱いで。
   温かい春の日差しと風に、守られながら。
   私達は今、新たなる門出を迎えています。

「先生方をはじめ、保護者の皆様、そして在校生の仲間達…
   本日は御多忙の中、私達のためにありがとうございます。」


何事もなかったかのように、奉書紙を捲りながら答辞を読み上げる黒尾。
そのあまりにも『恙ない式進行』ぶりに、全員が唖然…声も出せずに壇上を見つめていた。

   思えば3年前、不安と期待に胸を膨らませ…
   ここから定型文のため、『中略』とします。

   この学園で得た全てを、私達は忘れません。
   皆様、今日まで本当にお世話になりました。
   盃九学園の今後の御発展を心よりお祈りし、
   卒業生を代表して、答辞とさせて頂きます。

「…卒業生総代 黒尾鉄朗。」

祝詞を上げる時と同じ、大講堂全体に響き渡る声で、朗々と答辞を(端折って)述べた黒尾は、
演台上でくしゃくしゃになっていた送辞と一緒に、自分の答辞をぴったり重ねて置き直した。
そして、一瞬だけチラリと背後に視線を流してから、ガラリと雰囲気を転換させ…
あ~とも、う~んともつかぬ声を漏らし、やや紅く染まった頬を掻き、声を小さく落とした。


「えーっと、その…私事ではございますが…」

在学中より、私は本学園内にある神社(別棟)の臨時宮司として、お仕えしておりましたが、
この度、校舎裏山の天漢…天の川のほとりに、新たな社殿(本殿)を建築することになり、
私が正式な宮司として、盃九神社(仮称)にお仕えする運びとなりました。

「当社の御利益は、今まで通り『商売繁盛』と『学業成就』に加えまして、
   成仏も校則も捻じ曲げる良縁…『恋愛結実』に効果絶大と、この場で証明してみせます。」

   七夕の悲恋を覆し、永遠に結ばれる二人が、
   天の川にて、皆様の良縁をお祈り致します。
   私達と同じく、皆様にも幸多からんことを…

「なお、祈願のお申込みにつきましては、新社殿及び社務所(兼・彦星織姫自宅)建設に対し、
   心ばかりの『御協力』をお納め下さった方から順に、お受けさせて頂きたく存じます。」


黒尾は『私事』を言い終えると、一歩下がって皆様に向けて深々と頭を下げた。
そして、真横に佇む赤葦の頭上から、目元までそっとヴェールを捲り上げると、
涙に濡れる紅い頬を手のひらで包み、今度は目の前の赤葦に向けて、静かに傾いだ。

   今日まで、執事として仕えてくれて、
   ホントにありがとな。
   それから、卒業後の行き先について、
   黙ってて…悪かった。

「これからは、俺の『執事』じゃなくて、
   俺だけの『織姫』として、ずっと『彦星』の傍に…居てくれないか?」


赤葦を隠すヴェールの内側から、黒尾は『奉書紙』でも『執事申請書』でもない、
二人の『結び』を誓う紙を抜き出すと、震える手で赤葦に恭しく差し出した。

「赤葦、俺と…っ………」
「黒尾、さん…っ………」


天が割れるほどの拍手と大喝采が、二人の声を飲み込み…天の川へと送り出した。




- クロ赤編・完 -




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※黄蜀葵について →『無限之識
※七夕的な黒尾と赤葦の出逢い →『姫昇天結


2020/03/22
(2018/06/29分 Twitter投稿)

 

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