姫昇天結







   神様、願いを叶えて…だと?
   残念。大変申し訳ねぇけど…
   そんな神様…いねぇんだよ。


今年の七夕も、例年通り雨だった。
『季節の行事』を大切にする盃九学園では、毎年大講堂に大きな笹を設置し、
生徒ならびに学園関係者達が、五色の短冊に願い事を書いて飾っている。
<※お一人様1枚かぎり。>

まるで保育園か幼稚園、もしくは商店街のイベントみてぇな年中行事だが、
七夕だって、立派な神事…学園内に勤める神職の俺にとっては、重要な仕事だ。


だがウチの七夕は、商店街のやつみたいな『ご自由にお書き下さい』とは違い、
願い事を書くための五色の短冊を授与してもらうには、当然『御布施』が必要…
願い事の『大事(おおごと)』度合に応じた色のものを、『相応の額』で授かり、
確実に叶えられるものについては、俺が各神様宛にきっちりお届けしている。

   (期末試験前にヤるとか…卑怯だな。)

家業が忙しいボンボンが多い、当学園…学業に割く時間は限られてしまう。
そのため、主に不足点数や単位数を補うべく、七夕システムが利用されている。

「『太宰の想ひ 我に届かず』…昭和初期は、『現代』国語の枠内でいいのか?
   『さしすせそのせ 瀬戸内レモン』…醤油の代わりにレモンも悪くねぇな。」

ただ一方的に願いを書くだけでは、面白くも何ともない。
だから七夕にちなんで、『下の句』風に『七・七』で書くのがウチのルールだ。
これらの短冊を現国宛やら家庭科宛やらに分類し、各教科担当に配達していく。
<※良作ほど、迅速にお届けします。>


尚、こうした『実現可能』な願いばかりが、短冊に書かれているわけではない。
『輪廻転生 今生で斬る』(今生と根性をかけた…巧いな、岩泉!)とか、
『心願一徹 岩まで通る』(徹の想いは、岩には…通らなそうだな、及川。)等、
どこにヤればいいか不明なモノは、古来からのしきたり通り、川へ流…せない。
<※相手方に届ける『赤い糸サービス』に関しては、別途ご相談下さい。>

「河川法施行令と、廃棄物の処理及び清掃に関する法律…不法投棄は禁止だ。」

では、笹もろとも焼却処理…実は、これも結構難しくなっている。
いつの間にか学校から焼却炉が消え(ダイオキシン抑制…文科省通達だとか)、
学園敷地内の山林で野焼き(火入れ)も、市町村長の許可がなければ不可…

残る方法は、『宗教上の行事』つまり、七夕を『神事』として執り行い、
笹や短冊を『お焚き上げ』するしか、祭の後始末をする方法がないのだ。

   (試験前に、仕事を増やすなっての。)


ちなみに、今年一番の傑作は、『牽牛織女 ずっと一緒に』だった。
何のヒネリも変哲もない、七夕の定番っぽいものに見えるかもしれないが、
これこそ、最も七夕に願うに相応しいもの…七夕の真実を知る者にとっては。

   (俺以外にも、居たんだな…)

そう言えば、所属と氏名が入っていない短冊は、この一枚だけだった。
自分のためではなく、彦星と織姫の幸せをストレートに願う『七・七』は、
間違いなく『七夕』を知っている者が書いたもの…心優しい誰かさんの作だ。
(しかも、最高価格の短冊を御利用して下さった、懐も広い上客だ。)

俺にできることならば、こいつの願いだけは何としてでも叶えてやりてぇが…
ほぼ同じ願いを詠んだ俺のと一緒に、『詠み人知らず』の一枚を懐に仕舞い、
『どこにも届かない願い』として、お焚き上げの束にも入れなかった。

   (これだけは…流せねぇ、な。)


そんなこんなで、七夕後も連日雨続き。
なかなか『お焚き上げ』できないまま、梅雨も明けずに十日以上が過ぎた。
ようやくその機会が訪れたのは、期末試験も終わり、夏休みに入る直前だった。

校舎裏に勧請された、ウチの神社の別棟(出張所みたいなとこ)の庭で、
笹と短冊を祓い清め、丁寧にその煤を集めて箱に納め、山へと分け入った。
これも全部、彦星と織姫…饒速日尊と瀬織津姫のためだと自らに言い聞かせ、
滴る汗を拭いつつ、雨上がりでズブズブな竹林を、仕事着(装束)で歩き続けた。

   (暑…っ、しんど…っ)


目的地の渓流まで、あと少し。涼しげなせせらぎ音が聞こえてきた。
このままドボンと、冷たい川の中に飛び込んでしまいたい気分だが…

   (…ん?誰か…居る?)

こんな山の中に、人の気配。
ぱしゃん、ぱしゃんと、川辺を歩く足音と…微かに声が聞こえてきた。

「渓流の、香り…」

息を殺し、竹藪に身を隠しながら、そっと川の方を覗き込む。
すると川向うに、白い…羽衣?を纏った誰かが岩陰に座り、脚を浸していた。

   (まっ、まさか、天女…織姫っ!?)


透け感のある真っ白な羽衣が、キラキラと水面の光を反射する。
川を揺蕩う長い脚は、清流に溶けてしまいそうなほど、白く滑らか。
姿は岩に隠れてほとんど見えないが、羽衣の隙間から覗く、艶やかな肌色…

   (なんて、美しい…)

あまりに浮世離れした光景に、息をするのを忘れて魅入っていた。
この時期に、こんな所で禊をしているなんて…織姫としか思えなかった。


「綺麗な、流れ…あっ」

暫く茫然と眺めていたら、織姫?の腕から、するり…と羽衣が滑り落ちた。
すぐに織姫は手を伸ばしたが、羽衣はそのまま速い川の流れに乗ってゆき、
織姫もそれを追いかけるように、羽衣の方へと身を傾けた。

「冷たっ!?ま、待って…あっ!」
「馬鹿っ!!危ねぇ…捕まれっ!」

長く続いた雨。川の水量も多く、水温もかなり低い。見た目以上の激流だ。
織姫は流れに足を取られ、濡れた岩でツルリと転び…ドボン!と落ちた。
俺は手に持っていたものを投げ捨て、冷たい川へ半身を乗り出し、
流されかけていた織姫を腕に抱き留め…すんでのところで岸に引き上げた。

「あ…ぁ…あり、がと…っ」
「無事で、よ、かった…っ」

カタカタ震える織姫のカラダを見ないように、胸に強く押し付けて埋めながら、
織姫以上にゼェゼェ喘ぐ呼吸と、バクバク跳ねる心臓を必死に整える。
今頃になって湧き上がる恐怖も一緒に抑えようと、俺は早口でまくしたてた。

「いくら竜神の瀬織津姫でも、この流れだと溺れちまう…『大祓』コースだろ!
   しかも俺、泳げねぇんだから…冗談抜きで『根の国』に逝くかと思ったぞ!」

羽衣は凄ぇ大事だろうが、そんなもんよりも…まずは自分の身を守れよ?
天に帰れなくなっちまっても、とりあえず生きてりゃ何とかなるから…な!
行く場所がねぇなら、暫く俺んとこか、ウチの神社に置いてやってもいいぞ?

「よし。それじゃあ、早々に山を下りて温もろうぜ。歩ける…か?」


水に濡れてはいるが、裸よりはマシ…
浅葱色の狩衣を外し、羽衣の代わりに織姫にかけて、肌を包み隠そうとしたが、
夏用狩衣は生地が薄く紗になっていて、さらにそれが濡れているせいで、
ピタっと貼り付いて肌の白さを透かせ、余計にカラダのラインを強調した。

   (ぅ、わわわぁっっ!!)

艶っぽい織姫を、これ以上見てはいけない…そうか、見るなのタブーだなっ!?
本能でそれを悟った俺は再度織姫をきつく腕に包み込み、白衣の袖で覆い隠し、
ぐるりと首を回して空を見上げ、視線を思いっきり織姫から逸らせまくった。

「こっ、このままじゃ、風邪引いちまうし、また一雨来そうだから…っ」

早く、オレんとこに、来い…
あっ!べべべっ、別に、織姫を連れ込んで、イカガワシイことしようとか…
そそそっ、そういうんじゃねぇから、安心しろっ!俺は、人畜無害な神職だぞ!
この学園内で、誰よりも清らかでおカタくて清廉潔白な存在だからな!!

…ということを、何とか言外に伝えようと、優しく頭を撫でて水気を吸い取る。
そうしているうちに、織姫のカラダから徐々に強張りが抜けてきて、
最初はやや躊躇いがちに袴の袖を握り、そのうちおずおずと背に腕を回し、
終にはしっかりと俺を抱き着き返して、自分からピトリと胸に頭を預けてきた。

   (うっわ…かっ、可愛ぃ…っ)


えーっと、ウチの学園の…九品往生のときに唱えるのは、南無阿弥陀仏だっけ?
俺、畑違いでわかんねーよ!だ、誰か、心頭滅すれば~的な呪文…教えてくれ!
落ち着け…落ち着け。俺は清く正しい神職・黒尾鉄朗。神に仕える身だ!
臨兵闘者皆陣列在前、月月火水木金金、水金地火木どってんカープ…

    (いや待てよ。織姫も…『神』か?)

太陽系が巡るように、頭の中で思考がぐるぐる…自分の修業不足を猛反省。
何にせよ、今は俺にできる限り、神にお仕えする…織姫に尽くすのみ、だ。

思い付く限りの呪文を唱え、何とか脳内の自転速度を緩め、深呼吸。。。
息やらナニやらを吐ききった瞬間…織姫に力一杯抱き締められ、息が止まった。


「お願いします!どうか貴方のお傍に、俺を置いて…
   貴方のために、お仕えさせて下さい…彦星様っ!!」




********************




   流れる水。災厄をもたらす…川。
   川のほとりで祈りを捧げる巫女。
   その姿を表した漢字が…『漢』。


その日、俺が学園の裏山に登ったのは、ただの偶然…いや、必然だった。
不運なことに、期末試験と突発的な納品が、いくつか重なってしまい、
どちらも手を抜けないという、キャパシティ大幅超過状態に陥っていた。
気を抜けない日々に疲労困憊し、全てが片付いた直後…『現実』から逃亡した。

俺にとっての『現実』は、『匂い』だ。
極度に敏感な嗅覚を持つ、調香師の一族・赤葦家に生まれた俺からすると、
世界は様々な『匂い』が渦巻く混沌…鼻の休まる時間など、無に等しい。
あらゆる匂いを嗅ぎ分け、無意識の内に分析してしまう日常は、過酷の一言だ。
周りの音を全て音階に変換する、絶対音感の持ち主に近い感覚かもしれない。

柑橘系のシャンプー。フローラルな柔軟剤。満員電車で蒸れる汗と、制汗剤。
生乾きのシャツで、飲み帰り…手にはファーストフードのポテトをお持ち帰り。
それらの『逃れられない匂い』が交じり合う都会は、もはや地獄に等しい場所。
だから俺は、人の数=匂いの絶対数が少ない、山奥の学園へと逃げ込んだ。

しかし、たとえ浮世離れした場所に移住しても、家業からは逃れられないし、
思春期の男子高校生ばかりが集合する空間には、独特の『男子校臭』もある。
俺は、それらの『現実』から少しでも遠ざかるために、ひと気のない山へ入り、
匂いや疲れ等、あらゆるモノを清め流してくれる渓流へと、逃亡したのだ。

   (川なら、きっと…助けてくれる。)


雨続きの竹林は、濃厚な土の気配に包まれていたが、これは鼻に心地好い香り。
まるで『ちまき』か『笹大福』になった気分…笹の葉になら、俺も包まれたい。

「…よし。今生を全うした後は、ぷるっぷるの笹大福に生まれ変わろう。」

笹の葉さ~らさら。沙羅はお釈迦様の、涅槃の木?色々としずめてくれそうだ。
おほしさまきらきら…金銀砂子?その川は、紛れもなく『鉱山』じゃないか。
やっぱり、七夕と…瀬織津姫と製鉄は、切っても切り離せないということだ。
『川のほとりで災厄を流す巫女』は、大祓の瀬織津姫の姿に重なるが…

「その象形が、まさかの『漢』…」


それだけじゃない。
『漢』は中国・長江最大の支流である、『漢水』という川の名だが、
(その川が流れる地に建てられたのが、中国史上に何度も登場する漢王朝。)
もう一つ、漢水とは別の大きな川にも、同じ『漢』の名がつけられている。

「天漢…すなわち、『天の川』。」

『漢』は直接、七夕に流れ着くのだ。
この漢字一文字だけでも、七夕と瀬織津姫の関係がはっきり現れているし、
『漢(おとこ)』と読む時も、『男』とは違うニュアンスを含んでいるのだろう。

「好漢…『弱きを助ける』漢ですね。」

短冊に書かれた願いを叶え、人々を助ける七夕の神様は、男というよりは漢…
人々の罪穢れをかか呑みし、その身と共に『根の国(あの世)』へ持って逝く、
彦星と織姫…饒速日尊と瀬織津姫の姿に、ぴたりと重なりはしないだろうか。


…なんてことを漫然と考えながら、竹藪に隠れて制服を脱いだ。
予め履いていた水着に、白い透け素材のパーカーを肩に掛け、いざ川へ。

「渓流の、香り…」

…うん。ほとんど、しない。
土や樹々、笹や苔の優しい香りはするけれど、清流はそれらも清め流していく。

類稀な才能と技術を持つ調香師でも、『無臭』を作ることはできない…
科学的に『香りで香りを中和』できても、それは本当の意味で無臭ではなく、
調香師達の鼻を休ませ、心身ともに和ませてくれるものではない。

だが、それをいとも簡単にやってのけるのが、漢…清き川だ。
この流れに身を任せているだけで、調香師はこの上ない極楽を感じる…
安らぎの場所を与えて下さった神に、感謝の祈りを捧げたくなるはずだ。


少し冷たいけれど、もうちょっとだけ、この流れに浸ってみたい。
その欲求に流されるように、川の中へと一歩ずつ足を進めてみる。

「綺麗な、流れ…あっ」

キラキラ輝く水面に魅入っていると、するりとパーカーが滑り落ちてしまった。
瞬く間もなく、白いパーカーはまるで羽衣のように川へと溶け込み…
咄嗟に捕まえようともう一歩踏み出したところ、予想以上の深さと冷たさ。
それにビクリと身体が反射的に跳ねた勢いで…つるり。
足を岩から踏み外し、川の中へ向かってドボンと転けてしまった。

「冷たっ!?ま、待って…あっ!」
「馬鹿っ!!危ねぇ…捕まれっ!」

深みに落ちたことや、水の冷たさより、転んだ瞬間に響いてきた怒号の方に、
俺は心臓がキュンと縮こまってしまい、もがくこともできなかった。
川面からは全く窺えなかったが、深い所は物凄く水流が激しくて…
白いパーカーのように、俺のカラダも川の中へ引き摺り込まれそうになった。

   (だ、誰…っ!?ど、どうし…っ!?)


どうすべきか?と考えたり、身体が動くよりも先に、強い力に引き寄せられた。
わけのわからないうちに、誰かの腕の中に抱き込まれ…
何かを言っているようだったけど、俺にはほとんど聞こえていなかった。

   (え、こ、この人…『人』?)

温かい腕で、俺を優しく抱き締めてくれる、大きな大きな包容力。
うっすらと竹林の香りが付いた…奈良だか平安だかの貴族みたいな、衣装。
調香師の俺が全く存在を検知できなかった、この人?自身の…あれ、匂いが…?
断片的に聞こえてくる、『羽衣』や『織姫』といった…この場に相応しい言葉。

   (もしかして、この人?って…)

おずおずと手を伸ばし、胸に鼻をぴたりと付けて、ゆ~っくり何度も深呼吸。
全神経を鼻に集中させ、この人?の存在を確かめようとするけれど…

   (匂いが…ない?)


いくら清流で身を潔斎したとしても、その人固有の匂いが消えることはない。
現に、水浸しの衣装からは、今も微かに笹と土、何かを焼いた煤の香りがする。
それなのに、この人?自身からは、全く匂いを感じられないのだ。

   (人、じゃない…?)

俺にとっては、匂いこそ現実。
自分自身を除き、匂いを感知できない存在など、この世のものとは思えない。
『非現実的』という言葉を3D化し、貴族風衣装を着せて『織姫』を連呼…
時期的にも、この人?だとしか、考えられないじゃないか。

   (ひっ…彦星さんっ!!!)

いやもう、この人?の正体が何だろうと、どうでもよかった。
俺にとって重要なのは、まるで『自分自身と居るような』存在であること…
嗅覚を刺激せず、鼻を休めることができる…『落ち着ける』相手という点のみ!

   (彦星さんの、傍に…居たいっ!!)

「お願いします!どうか貴方のお傍に、俺を置いて…
   貴方のために、お仕えさせて下さい…彦星様っ!!」

考えるより先に、言葉が出ていた。
本能が求めるままに懇願していた自分の絶叫に、俺自身が驚きながらも、
絶対離すもんかと、俺の手は彦星さんの裾をギュっと握り締め続けていた。



…というのが、俺と彦星さんの出逢い。

あの時は気が動転していて、とにかく傍に居たい一心で叫んでしまったが、
彦星さんの自室で、温かいお味噌汁とお結びを頂きながら冷静さを取り戻し…
このお結びセットを毎日食べるための策略を、その場で編み出した。

ここは天上界もとい、寮の最上階。俺の自室と同じ、『上の上』にあたる部屋。
執務用のデスクには、白い紙(紙垂?)やら木の札やら、正体不明の雑多なもの…
膨大な『家業』に埋もれ、俺と同じぐらい多忙な日々を送っているご様子。
そして、他に人の匂いはない…彦星さん以外はここに居ないのは、確実だ。

   俺が唯一落ち着ける場所…
   彦星さんの傍に居座り続けるには?
   そんなの、至って簡単じゃないか。
   合法的に実現可能な制度が…ある。

「散らかってて悪ぃな。ここに客なんて来たことねぇから…」
「どうやら…雑務一般が不得手であるとお見受け致します。」

「あー、いつもこうじゃねぇからな?試験と七夕が重なって…たまたまだ。
   普段は毎日ちゃんと整理整頓&掃除洗濯&家事育児…は、流石にないが。」
「育児なし…ですが、意気地がないわけではない、ということでしょうか?
   言い訳しなくても、清潔な生活をなさっていること…俺にはわかります。」

「織姫さん。もし行くあてがないんだったら…」
「遂に育児デビューしてみますか?それとも…」

不測の事態とは言え、許可なく誰かを連れ込むのは『上の上』でも醜聞です。
それに、俺もただ一方的に庇護…育児されるほど、子どもじゃありませんし、
もしお傍に置いて頂けるのであれば、俺も何か貴方のお役に立ちたいですから。
まぁ、何よりも今すぐ、そこの机の上を何とかしたいんですけどね。
というわけですので、誰にも文句を言わせず、堂々と俺を置く許可を得るため…

「俺を、貴方の…執事にしませんか?」


策略とはとても言えない程、チョロい提案だ。ここが盃九学園でよかった。
これで、俺は晴れて彦星さんのお傍にずっと居ることができるじゃないか。
その間に、全調香師垂涎の『無臭』を叶える手がかりを掴める可能性もあるし、
どうしても叶えてあげたかったあの願いも…代わりに成就できるかもしれない。

   (形式上でも、叶ったことになる…?)

では早速、俺は各種手続及び、ここに引っ越してくる準備をしてきますね。
不慣れゆえ、至らぬばかりのフツツカモノですが…末永く宜しくお願いします。

お皿とお椀を台所にさげ、一時帰宅を申し出ながら部屋の出口へ向かうと、
聴覚も効かなくなったとしか思えない、予想外のセリフが投げ掛けられた。

「それは…謹んでお断りさせて頂く。」



…ここからの出来事は、『中略』だ。

俺があらゆる手段を用い、努力を重ね、仕事に貢献しまくっていても、
彦星こと黒尾さんは、織姫こと俺を執事にするつもりはない!の、一点張り。
執事学科全員の協力の下、俺の全てを以って籠絡…じゃなくて説得を試みるも、
『起つ』そぶりも『承る』気配もなく、巧く話を『転がし』て躱され続けた。

このままでは、一族きっての策士・赤葦京治の名折れ…絶対に負けられない。
盃九学園(執事学科)の存亡をかけた『七夕闘争』は、苛烈を極めたが、
8カ月に及ぶその長き戦いも、年度末の『執事移籍期限』で閉幕。
『結』論を言えば、俺は負けを認めざるを得なかった…執事にはなれなかった。


「なんたる屈辱!この俺が、まさか勝負に負けてしまうだなんて…っ」
「俺だって、質実剛健・清廉潔白で食ってる神職…負けらんねぇよ!」

「この学園始まって以来の、超有能執事学科生だというのに…勿体無い。」
「確かに、お前の『押しかけ執事』ぶりには助かってんだが…別問題だ。」

「自分で言うのもアレですけど、俺の色仕掛けに転ばないなんて…不能です?」
「馬鹿言うな。お前の色香は神をも堕とすレベル…神職者でもキツかったぞ。」

「さっさと手とかおクチとかに、落ちればよかったのに…お代わり下さーい。」
「むしろお前の方が…おクチに合う俺の手料理に、胃袋落とされちまったな。」

「黒尾さんの出してくれた『お結び』…あれに『転がされて』しまいました。」
「執事云々はここに転がり込む口実…真の目的は、このお結びだったんだろ?」

『主人と執事』にはなれなかったが、出逢った日から俺はこの部屋に入り浸り、
心から落ち着ける人の傍に寄り添い、安寧(と、満腹)の日々を送っている。
『七夕闘争』には負けたが、世間的には『公認
』扱い…実質的には勝利かも?

でも、明日からは…どうだろう。
執事になれなかった以上、新年度が始まっても俺がここに居座る口実は…無い。
結実しなかった願いは、もう、結びを解いてしまうしかないのだろうか。

   (そんな結末…嫌だっ!)


「ねぇ黒尾さん。俺が明日以降もずっとここに居る『口実』として、
   『漢』で巡り逢った二人の縁を結び…『真の願い』を、叶えて欲しいです。」

デザートの笹大福を頬張りながら、黒尾さんの懐から手帖を抜き取り、
そこに『しおり』風に挟まれていた、二枚の細長い紙を取り出した。

   『牽牛織女 ずっと一緒に』
   『彦星の元 織姫来たりて』

この短冊の願い事は、貴方ならば『確実に叶えられるもの』ですよね?
『詠み人知らず』に該当するのは、『壱年上→下組・赤葦京治』たった一人。
貴方の執事になりたいという、『仮初めの願い』ではなく、
七夕の短冊に願った、俺の『真の願い』を、どうか…

「黒尾さんの『織姫』として…俺をずっと、お傍に置いて下さいませんか?」

深々と頭を下げ、震える手で短冊を差し出す。
出逢った日とは真逆で、自信も確信もない、ごくごくか細い声。
聞き流されてしまいそうな程、あまりにも小さく弱々しい『願い事』のせいか、
黒尾さんからは全く返事がなく…時だけが静かに流れていった。

   (やっぱり七夕の願いは、届かない…)


最後の最後に伝えた、俺の本心。
淡い期待も、願いも、全部川に流され…これでもう、終わりだ。
自ら結幕を下ろすべく、胸に残ったものを深呼吸と共に吐き出そうとした瞬間、
差し出した短冊を取られ…大きな何かを込めた深呼吸の音が聞こえてきた。

   手のひらに戻される、折畳まれた紙。
   二度目の『お断り』に、涙が零れる。

「『彦星』を置いて天に還ったり、天漢を渡ったりしない…それが条件だ。」

響いてきた言葉に、驚いて顔を上げる。
手に乗せられていたのは、二枚の短冊ではなく…短冊状に畳まれた、A4紙。

   (これは…『執事申請書』っ!!?)

思わぬ形で叶った願いに、声にならない声を上げ、黒尾さんにしがみついた。
この人は、ホントにもう…なんという『漢』なんだろうっ!!

   (俺の完敗…完落ちですっ!)


仮初めの願いと真の願いが同時に叶った俺の瞳から、温かい漢が流れ続けた。
黒尾さんはその雫を丁寧に掬い取ると、俺の背を優しくポンッと押した。

「まだ間に合う…提出、頼めるか?」
「も、ちろん…お任せ、下さいっ!」

全力疾走で部屋の入口へ向かい、扉に手をかけ…俺はくるりと振り返った。
ほんのり頬を染め、照れ臭そうにはにかむ黒尾さんに、大きな声で約束した。

「すぐにここへ戻ります…彦星さん!」
「待ってるぞ、織姫…俺の負けだよ。」



   神様。俺達の願い…叶いましたっ!
   しかし、大変申し訳ないのですが…
   これからも見守ってて下さいませ。



- 終 -




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※七夕について →『予定調和』『七夕君想
※水金地火木どってん~ →恋…鯉な球団の、2019年キャッチコピー。



2019/07/29    (2019/07/18,28分 MEMO小咄より移設)

 

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