帰省緩和④







ついさっき…『黒猫魔女』から戻る時には、焼けつくような日射しだったのに、
『レッドムーン』に帰り開店準備を始めた頃には、遠くから雷鳴が轟いてきた。
地階に降りる階段脇…1階新事務所入口の横に、店名入の黒板を出しに行くと、
バタバタと大粒の雨が、バケツをひっくり返したかのように降り出した。

「ゲリラ…いえ、台風接近でしたか。」

台風は非常にのんびりしたペースで関東地方に接近中…今週はずっと雨らしい。
常連客さんの多くが、お盆休みの前の駆け込みで多忙とのことだったし、
今週は『レッドムーン』も、久しぶりにの~んびり営業になりそうだ。


時計を確認…5時前、か。
この時間なら、山口君の魔女急便(夕方の分)も終わっているだろう。
雨風が強い中、ずぶ濡れになって飛び回るのは危ないし…生足が冷えてしまう。

そういえば先日、もう結構ないいお歳なんですから、少しは節制なさい…と、
『夏用ひんやり冷感ストッキング』なるものを、山口君にプレゼントしたけど…
冷え冷え事務所で働くOLさんは、夏場こそ冷え防止系が良いのでは?

「もしかして、飛行系魔女も…?今度、使用感を聞いてみましょう。」


そんなことよりも、隣の月島君宅のベランダ…その洗濯物の中に、
ひらひら風に舞うストッキングがぶら下がっていると、いまだにドキっとする。
自分のもの…白雪姫衣装の付属品には、特に何も感想を抱くことはないけど。
(洗濯物を干してくれる黒尾さんが、ソレをどう思っているかは、全く不明。)

よく知っている人のオミアシを包み、もっとよく知っている人が愛でたモノ…
そんな妄想(事実)が脳内をひらひらと過ぎり、俺はいつも目を逸らしてしまう。

「もしかすると、月島君は脚フェチかもしれない…実にどうでもいいですが。」


…と、よしなしごと(良し脚ごと?)を、徒然なるままに考えていると、
大きな足音が…何気なく顔を上げ、俺はヒッ!と、喉を引き攣らせてしまった。
隣のビルの壁が、こちらに迫ってくる…このままだと、プチっと潰されるっ!?

…と思ったら、ほぼ間違ってなかった。
突然の雷雨の中、青緑色の作業服を着た『壁』…青根さんが、走って来たのだ。
どうやら、外回りの帰りに降られたらしく…近場だったこちらへ来たのだろう。

入口付近で固まっていた俺に気付くと、青根さんは律儀にその場で立ち止まり、
雨に濡れながら丁寧にペコリ…俺は慌てて青根さんを廊下に引き込んだ。

「あっ、雨の中、御苦労さまです!月島君は今、留守ですから…こちらへ。」

有無を言う暇も与えず、(与えたら『ウム。』ぐらいは言うのだろうか…?)
青根さんの手を引いて階段を降り、『レッドムーン』に強制連行…
奥から大きめのバスタオルを出し、呆然と佇む青根さんの頭から被せた。


「青根さん、お時間は大丈夫ですか?」
「…直帰、予定。」

「それなら、雨が少し落ち着くまで…ココで雨宿りして行って下さい。」
「…いいのか?」

勿論、いいに決まっている。
開店までまだ時間があるし、この雨だと更に客足が遠のく…暫くヒマだろう。
濡れそぼった青根さんが冷えすぎないように、冷房の設定を緩めに変更した。

俺の服は明らかに無理…黒尾さんのでもキツいだろうからお貸しできないけど、
せめてそのズブ濡れの上着だけでも、脱いで干しておけば、少しは乾くかも?
そう考えた俺は、おもむろに青根さんの上着のチャックを下げ…

「っ!!?な、なに、を…っ!!??」
「ぅわっ!?すっ、すみま…あっ!!」


説明もなしに、突然脱がそうとした俺の行為に、青根さんは驚きの声を上げ、
俺はその『突然の声』に驚き、勢いよく上着から手を離したのはいいが、
今度はその勢いで、濡れた床面で足を滑らせ…咄嗟に青根さんの上着を掴んだ。

青根さんは青根さんで、俺を支えようと背に腕を回したが、同じく足をツルリ。
お互いにしがみ付きながら、慣性の法則に従い、俺の真後ろの壁にドンと激突…

   (痛っ…くない?潰されて…ない?)

今度こそは、プチっとヤられてしまう…そう覚悟し、ギュっと目を閉じたけど、
壁に打ったはずの背中も、『壁』に圧迫されたはずの腹も、全く痛くなかった。


恐る恐る目を開けると…真っ暗。分厚い『壁』に顔を埋めているようだ。
そして、太くて温かい腕が、俺と後ろの壁との間で衝撃を和らげてくれていた。

   (凄っ…た、逞し…っ!!)

黒尾さんもかなりガッチリ…均整の取れた実に美しいカラダツキをしていて、
その造形美たるや、ギリシャだかローマだかの彫刻の如く(以下、自制)…だが、
青根さんは、まさに『壁』…圧倒的な質量を誇る、『筋骨隆々』のお見本だ。

   (こちらは、こちらで…悪く、ない♪)

そうか…俺は、筋肉フェチだったのか。
だから、山口君のド真ん中ストレートな「黒尾さんのどこが一番好き~?」に、
「カラダです!!」と、全力フルスイングで答えそうになったのか…納得だ。


「大丈夫…か?」
「えぇ…お陰様で。」

「すぐに、退く…っっ!?」
「そんな、慌てずとも…?」

つい先日も思ったが、青根さんには何故だか寄り掛かりたくなってしまう。
逞しくて厚い胸板に…『壁』に身も心も全て、預けたくなってしまうのだ。
この事故的なチャンスに、もうちょっとだけ大胸筋にピトっ♪とさせて頂こう。

再度目を閉じ、ピトリと頭を傾げようとした瞬間、冷房の強風が頬を撫でた。
パワフル設定は止めているはずなのに、『青い壁』の向こうから、冷気の塊が…

おかしいな?と顔を上げると、俺を壁との間に閉じ込めていた青根さんが、
その名の通り真っ青な顔で、ガチガチに固まっていた。


「ほぅ…これが、本家本元の『壁ドン』ってやつか。」

『青い壁』を突き抜けて聞こえてきた絶対零度の声に、心臓が止まりかけた。
よく知っているはずの声。でも、聞いたことのない声に…全身の血が凍り付く。

「これは『事故』だよな?大方、雨に濡れた床で、足を滑らせて…そうだろ?
   もしそれで正しければ、3秒以内に離れ…『事故』だと言ってくれないか?」

冷気が3秒数え始める前に、消滅と表現すべき速さで『壁』は目の前から退き…
その代わり、『青い壁』に押された冷気の主が、凝固する俺を『壁ドン』した。

「事故っ!…証拠っ!」
「えっ…あ、はいっ!」


青根さんの大声に、俺は凍結解除。
すぐに冷え切った頬を両手でふんわり包み込み、背伸びをしながら引き寄せて、
きっちりと3つ数える間、先日目撃した『証拠』を…唇で示した。

触れた時は、痛い程に冷たかった唇も、触れた瞬間から徐々に熱を取り戻し、
唇を合わせたまま、「事故です。」と何度も言い聞かせていると、
3つ?数え終わる頃には、いつもの柔らかい感触と雰囲気に…復活した。

「ご納得して…いただけましたよね?」
「あぁ…俺の思った通り、事故だな。」


熱い唇が静かに離れると、黒尾さんは照れ臭そうに俺にコッソリ耳打ちした。

「モスコミュールを2つ…頼めるか?」

『モスコミュール』は、氷を入れたグラスにライムを絞り、
ウォッカとジンジャエールを注いで、絞った後のライムを乗せて作る。
『喧嘩をしたらその日のうちに仲直り』という意味を持つ、友情のカクテルだ。

冷たく当たってしまった旧友…青根さんへのゴメンを示すオーダーを入れると、
「お前はこっちに…もう1回。」と、唇を小さく尖らせて『オーダー』した。

全くもう、仕方ありませんね…と、俺が『おかわり』をお出ししようとすると、
青かった顔がほんのり赤くなった青根さんが、俺達の間に割り入って来た。


「…閉店後。それに…長過ぎだ。」
「3『秒』だなんて…誰が言った?」

赤葦は俺達『人外の時間感覚』で3つ…3秒の10倍、『証拠』を見せただけ。
どうだ、参ったか!!と、子どものように胸を張る…黒尾さん。
そのあまりに必死な姿に、俺と青根さんは顔を見合わせてプっ!と吹き出した。


「お前ら…俺のいない所で、二人きりで逢うの、絶対禁止だからなっ!」




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「なるほど…そうだったんですか。」
「思い返せば…長い付き合いだな。」


青根さんの濡れた服を、自宅の乾燥機で乾かしている間、
これならお前でも入るだろ?と、黒尾さんが持って来たのは、浴衣だった。
先日、常連客から貢ぎ…じゃなかった、プレゼントして頂いたものだ。

元々が長身の黒尾さん用に贈られたものだし、浴衣に厳密なサイズはないため、
青根さんも無理なく着られたが…これまた、似合うこと似合うこと。
少し青みがかった灰色(灰青とか湊鼠とかいう伝統色?)が…やたら似合う。
まさに『虚無僧』だとか『山伏』、もしくは『トトロ』といった雰囲気だった。

「俺でも寄り掛かりたくなるほど…イイ男だな、お前。」
「箒じゃなくて、青根さんに引っ付いて空を飛びたい…」

今日は絶対に、トトロ青根さんには黒い蝙蝠傘を貸してあげよう。
そして、冬にはぜひ、似たような色のモフモフしたフリースを着て貰いたい…


「黒尾さんは…『(腹の中まで)まっくろくろすけ』の役ですからね?」
「いいのか?腹の中はまっしろ…『ネコバス』に乗りたくねぇのか?」

究極の選択を迫る黒尾さんと、苦悶の表情で真剣に悩む俺。
両脇に俺達を抱えたまま、しょーもない話を黙って聞いていた青根さんは、
俺達を左右の椅子に座らせて自分は真ん中に陣取り、「隣の…」と呟いた。

「っ!!!?青根さん…ステキです♪」
「だろ?実は凄ぇ…お茶目なんだよ。」

そんなこんなで、俺達は真夏にも関わらず、左右から青根さんにベッタリ…
今日は臨時休業にして、のんびりお喋りの時間を楽しむことにした。



*****



「俺がトトロと遭遇したのは、井の頭公園に隣接する、三鷹の森…」
「違う。内藤新宿の旅籠前だ。」


迷子になった森で…と言いたいところだが、実際は迷子探しの途中に出会った。
両親が引き取って育てていた研磨が、脱引き籠りのため江戸へ出て来ることに…
内藤新宿(現在の歌舞伎町付近)の、花園神社で待ち合わせてたんだが、
人ごみの多さにビビっちまったのか、どこかに逃走…迷子になったんだよ。

んで、アチコチ探し回ってたら、どこからともなく鼻をズビズビする音…
ふと見てみると、旅籠前で箒を握り締めたガキが、目を潤ませて突っ立ってた。

「それが、田舎から出て来たばかりの…山口だったんだ。」

お互いに、一目で『人外』だと解った。
同類の俺に出会って安心したのか、山口はボロボロと涙を零して…大泣きだ。
困り果てた俺は、おんぶして風車買ってやったり、団子食わせてやったり…
やっと泣き止んだ頃、『助さん格さん』的な奴らが、猛然と突っ込んで来た。

「テメェが忠の誘拐犯だな…死罪!!」
「無事でよかったぁぁぁぁぁぁ~~っ」

…って、山口以上にわんわん泣きじゃくりながら、な。
その時、同時に研磨も発見…泣いてなかった方にしがみついてたんだ。

「つまり…迷子の保護者同士ですか。」
「その節は…世話になった。」
「いやいや…こちらこそ、助かった。」


話を聞いてみりゃあ、似たような境遇…人外仲間だし、初の子育て?だし。
それなら、3人で協力して2人を一緒に育てようぜ!ってことになったんだ。

お互いにとって、本当に良い出会い…大騒ぎの5人暮らしだったよな。
んで、そろそろ巣立ち…の前に、子離れできねぇ親の方をどうにかすべし…と、
それぞれの養い子を徒弟にする形で引き離し、親がオトナになるのを待った…

「…そして、今に到る。」
「まさかの…二口さん巣立ち準備期間真っ只中だったんですね!」
「実質的には…俺ら2人でガキ3人を育てたようなもんだよな。」

大トトロとネコバスが、中トトロと小トトロ2匹を育てる姿…ホッコリだ。
それに、黒尾さんにはスカウトされただとか、研磨先生は税法上の娘だとか、
威勢のイイことを言っていた山口君も…親に似て可愛いトコがあるじゃないか。

   (皆さん全員が…可愛いっ!!)


俺は名残惜しくも青根さんから離れ、お二人のために『おかわり』を作った。
このあったかい気持ちをくれた、ステキな家族にお贈りしたいのは…これだ。


「『リコール・デ・ベリョータ』…どんぐりのリキュールです。」




これをミルクで割った『どんぐりラテ』こそ…子育て中のお二人に相応しい。
いや、夏休み&お盆のイベントで休むに休めない、全てのお父さんお母さんへ…


「暑い中、毎日…御苦労さまです♪」




- ⑤へGO! -




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※白雪姫衣装 →『再配希望⑤


おねがいキスして10題(2)
『02.もう一度キスして』


2018/08/08

 

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