引越見積⑩ (中編)







   交渉は論点を複数提示せよ。
   困難は分割して考察すべし。


「どんなに厄介な問題に見えても、一つずつ分解し、論理立てて考えていけば、
   自ずと道は開けてくる…地味で面倒な作業を厭い怠るべからず、だよ。」
「壁をぶち壊して先に進めるのは、ファンタジーの世界だけだよね〜
   現実の魔女は、どこからどうやって垣根を越えるか…必死に考えてるもん。」

こう見えても、実年齢の分だけ経験を積んでいる人外二人の発言は…重い。
若人には検証不能な、年寄りの懐古的苦労自慢(自慰)話といった雰囲気はなく、
自戒の念がこもった苦笑いこそが、発言の真実味をズッシリ増していた。

年長者の箴言…先人達の叡智(黒歴史)には、素直に従っておこう。
若輩者の赤葦と月島は、心の中では従順に頷きメモをしっかり取っていたが、
ヘソ以上にひん曲がった反抗的なおクチは、反射的にスルスル滑っていた。


「確か、こういうの…『亀の甲より亀の頭』って言うんでしたっけ?」
「類語は…『腐っても女子』という、ありがたい尊称だったはずですよ。」

「最近は『貴腐人』とも言うらしいね!何か貴腐ワインっぽくて…素敵だね~」
「貴腐ワイン…一度でいいから飲んでみたい、高級ワインだよな!」

白ワイン品種のブドウ果皮が、灰色カビ病の原因となる糸状菌に感染すると、
水分を外に出して糖分を濃縮し、独特の芳香を纏う…これを使って醸造すると、
はちみつのようにトロリとした、黄金に輝く極甘口のワインが出来上がる。

17世紀、ハンガリー産の貴腐ワイン(トカイワイン)を贈られたルイ14世も、
『ワインの王者にして王者のワイン』だと、大絶賛したほどの逸品である。

「外見からは想像できない芳醇さ…貴腐とは『高貴なる腐敗』の意味です。
   『腐』という字から、僕は内部に秘める甘美な熟成を想起してしまいます。」
「貴重な時間とお金とエネルギーを、妄想という名の熟成と醸造に費やす…
   『腐』という生き方は、贅沢の極致かもしれませんよね。」


そういえば、機械による自動発言(小鳥の呟き)システムが『BOT』…
どうやらロボットの略らしいですが、俺は『ボツリヌス菌』だと思ってました。
ちなみに、貴腐化させるのはボトリティス・シネレア菌…これもBOTです。

毒のある『腐』と謙遜しつつ、医療等の『元気』にも活用されている点が、
ボツリヌス菌も貴腐ワインも、そして腐向けBOTも…似ていますよね。

「ついでに言いますと、ボツリヌスの語源はラテン語で『ソーセージ』です。」
「うっわぁ~『BOT=ソーセージ』…見事なまでに『腐』なオチがついたね♪」


しょーもないプチ考察が繋がり、全員でハイタッチして大喜び…話が進まない。
最年長者の黒尾は、亀が頭等を出すようにググーっと伸びをし、話を戻した。

「愛のために贅を尽くす貴腐人…『寄付人』に、最大限の敬意を表したいな。」

あぁ…俺らにも、改装費をポン♪と出してくれるような尊い方が、いねぇかな。
ワガママを全て通すとなると、レッドムーンのある地階以外の全フロアを、
改装しなきゃいけねぇことに…引越本体より、まず見積を貰うのが怖いよな。

もし寄付してくれるなら、俺は悦んで貴腐ワインでもBOTでもお出しする…
何なら、最近覚えた『ドンペリコール』を絶叫しながら、な。


「黒尾さん…そういうコトは、あまり軽々しく言わない方がいいですよ?」

天を仰ぎながら乾いた笑いを立てていた黒尾に、月島が淡々と注意喚起した。
そして携えていたリュックから、緑色の物体…トンベリのぬいぐるみを出した。

「そう言えば、ハンガリーの貴腐ワイン『トカイ・エッセンシア』こそが、
   FFシリーズ定番のレアアイテム『エリクサー』のモデルなんですよ。」
「HP&MP全回復…じゃあさ、最高位の『ラストエリクサー』だったら、
   貴腐ワインは『竜血』と同じ、『不老不死の妙薬』ってことになるよね~」

コッチでも考察が繋がりましたね~と、赤葦と山口は手を取り合ってニッコリ♪
その二人の間に、月島はトンベリ様をずい!と割り込ませ、全員を注目させた。


「このトンベリ様こそが、起死回生のアイテム…『寄付人』なんですよ。」

そう言うと、月島はおもむろにトンベリ様のお召物…スカートに手を突っ込み、
ゴソゴソとナカを探り…赤いソーセージっぽいモノを引き摺り出した。

「うわっ!!?痛ぇ…っ」
「なんてコトを…っ!!」
「いやぁ~ん、ツッキーのエッチ!!」

各々が目や股間やスカートを抑え、小さく悲鳴を上げる中、
今度はスカートをペロンと捲り上げ、胴体に縛ってあった腹巻?を外した。


その中から出てきたのは、いざという時のドス…ではなく、預金通帳だった。
そして、赤いソーセージに見えたのは、印鑑ケース…中身は勿論、銀行印だ。

「『黒猫』の子は、鼠算式に増え…てはいませんでしたけど、
   『虎の子』として、大きく成長していたみたいですよ。」

通帳名義人は『コヅメ ケンマ』さん。印鑑は『孤爪』と彫られています。
通帳には毎月末、『クロオ テツロウ』さんと『ヤマグチ タダシ』さんから、
一定額のお振込…どうやら、パパとママからの仕送り口座のようですね。
先日、僕は研磨先生から、トンベリ様と共にこれらを預かっていました。

「『パパとママをよろしく。』…だそうです。素敵なムスメさんですね。」
「仕送りをずっと使わず、ここぞという時に…さすがは孤爪師匠ですっ!」


尊い方からの思いがけない贈物に、月島と赤葦は心から感激し、
愛娘からのまさかの『寄付』に、パパとママは抱き合いながら感涙した。

「ウチのムスメは、こんなに可愛い奴…俺達の教育、間違ってなかったな!」
「我が子のためなら、今後も喜んで…電動BOTのモデル&テスターするよ!」

引越&改装費には十分すぎる額…おつりがくるほどの巨大な『虎の子』だ。
これだけあれば、ワガママも全部叶えられ…『極楽楼閣』なビル誕生である。
4人は「ワッショ~イ♪」と、トンベリ様を御神輿のように高々と掲げ、
全員でドンペリコールを大合唱…事務所の神棚に捧げて、深々と頭を下げた。



*****



「最大の難関…金銭問題がアッサリ片付いて、大きく前進だな!それじゃあ…」
「ちょっと待って!俺、さっきからすっごい気になってることが…」

歌って踊って燃え滾った4人は、冷たい麦茶でクールダウン。
さて、話を進めよう…と、気を取り直したところで、山口が待ったをかけた。

「あのさ、極楽ビルの改装場所なんだけど…『事務所×2』って言ってたよね?
   地下のレッドムーンはそのままで、黒猫魔女は4階だけなのに…?」
「確かに、先程黒尾さんは『レッドムーン以外の全フロア』を改装する、と…
   2階と3階の居住部以外に、1階も改装するということ…でしょうか?」


山口の疑問に、赤葦も一緒に首を傾げ…黒尾と月島も逆方向に首を傾げた。
だが、こちらの方は「あれ、言ってなかったっけ?」という、キョトン顔…

「1階は、月島不動産の新しい営業所…『人外』専用の仲介窓口になるんだ。」
「『黒猫魔女』に破格で貸す代わりに、僕がその窓口担当に…なるんだよ。」

父さん達が、タダで僕達のワガママを…『極楽』を実現してくれるわけない。
その『代償』として、僕は家業の一部を継ぐことになったんだ。
『レッドムーン』で、のんびり黒服&経理の下積修業を許してくれていたのも、
いずれは僕にも、不動産投資部門をやらせるためだったから…既定路線、かな。

「あんなに継ぐのを嫌がっていたのに…やっと決意したんですね?」
「『人』と『人外』を繋ぐ存在に、僕もなれるのなら…むしろ本望ですよ。」


結局、あの人達の思い通りの展開…悔しくて堪らないですけどね。
でも、これで極楽が達成できるなら、喜んで父と兄の『下積』になりますよ。

「今だって、歌舞伎町の女王に加え、吸血鬼と魔女の『下積』してますから、
   あと二人ぐらい増えても大差ない…一応は僕の『身内』ですしね。」
「ここは、月島父にとっての『極楽』…タックスヘイブンでもありますからね。
   その内、相続税対策として…ご長寿の『身内』を増やすかもしれませんよ。」

手のかかる次男坊の躾け&御守のため、先輩である俺を引き込み開業させる…
しかも開業資金と家賃と自由の代償として、俺まで『身内』にしましたからね。

「気付かない間に、孤爪師匠あたりが月島君のママ?になってる可能性も…?」
「やっ、やめて下さいよ。本当にヤりかねない…全然笑えない話ですからっ!」


楽しそうに笑いながらの、赤葦と月島の『身内トーク』に、黒尾と山口は呆然…
そして黒尾は、ようやく合点がいったという表情で、ボソリと呟いた。

「あっ、赤葦の本名が『月島京治』なのは…そういうこと、か。」


「…え?い、いま、なんて…?」

ガタン!と、コタツの天板を大きく揺らしながら、真っ青な顔で訊ねる…山口。
そのらしくない様子に違和感を覚えながらも、月島達はごく端的に説明した。

「おケイさんが対外的に『月島』を名乗っているのは、実は本名だから…
   各種税金対策の一環として、開業時に月島家に入ってもらっただけだよ。」
「俺は月島家の養子…月島君とは、戸籍上では『兄弟』にあたります。
   あくまでも書類の上だけの話…そういう『契約』というだけのことですが。」

黒尾さんの扶養家族や、山口君の別宅問題…ムスメ登場の衝撃に比べたら、
実に味気なく、本当にどうでもいい話ですから、どうかお気になさらずに。

…と、月島と赤葦の二人は『月島京治』話をアッサリ流そうと微笑んだ。
だが、それを聞いた山口は、ガクガクと膝を震わせながら立ち上がった。


「そ、んな…っ」
「ま、待て、山口っ!!」

ベランダに向かって走り出した山口の腕を、黒尾は掴んで止めようとしたが、
山口はその手を振り切り…箒と共に窓から飛び出してしまった。



「や、山口…いきなりどうしたの…?」
「山口君らしくない様子、でしたが…」

突然の魔女逃走を、月島と赤葦はただただ見送ることしかできず、
窓辺に残された赤いリボンが風でひらひら揺れる様を、ポカンと見つめていた。

『月島京治』の件は、驚かせてしまったかもしれないが、たかが書類上の話…
税金対策のために仕組んだ『契約』で、『名前』が変わったというだけなのに。

どういうことですか?と、二人は赤いリボンから黒尾に視線を移すと、
黒尾は見たこともないような悲痛な表情で、言葉を絞り出した。

「『契約』と『名前』…それこそが、魔女にとって最大の『タブー』だよ。」


俺自身も魔女じゃないから、詳しいことはよくわからないんだが、
『本名を知られる=契約=主従関係』等の、ファンタジー的名前設定じゃなく、
もっと本質的な部分で、魔女にとっては『契約』が重要な意味を持つらしい…

「魔女は、異種と交わる存在。交わるとは即ち…相手と契約を結ぶことだ。
   契約成立の『証』が、同じ『名前』を名乗ること…俺はそう予想してる。」

『人』と『悪魔』がサバトで『契約』すると、人は魔女になると言われている。
魔女にとって『契約』とは、存在そのものを変えてしまうほど重要なもの…
だとすると、『契約』によって同じ名前を名乗っているツッキーと赤葦は、
魔女の山口から見れば、どういうカンケーをイミするか…わかるだろう?


「つ…月島君!急いで…山口君を追いかけて下さいっ!
   山口君は、俺達が『契約』している…俺達が『交わった』と感じて…っ」
「はぁっ!?そんなの、完全な誤解…まるっきり『蜃気楼』じゃないですか!
   たかが養子縁組が、タブー級の一大事になるだなんて…っ!?」

口ではそう言いつつも、月島の顔は真っ青で、その声も震えていた。
想像だにしなかったタブーに触れ、山口を深く傷付けてしまった…
月島達に非はないのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。

「山口は、大型ワンコを飼いたいと…ツッキーと一緒に暮らしたいと宣言した。
   150年間で初めて口にした、山口のワガママを…叶えてやってくれ。」

山口の『ワガママ』の真意を知り、目を見開いて驚く月島。
赤葦は愕然と固まる月島の手に赤リボンを握らせ、黒尾がその背を強く圧した。


「この『機』を外すと…終わりです!」
「どうか山口のことを…頼んだぞっ!」




- 後編へGO! -




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※ボツリヌス菌 →自然界最強の毒素。約0.5㎏で世界人口分の致死量。
   これを美容に利用したのが、ボトックス。
※ファンタジー的名前設定 →『再配希望⑤


2018/06/14    (2018/06/12分 MEMO小咄より移設)

 

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