引越見積④







「技術革新…ありがとうございます!」
「予冷技術…春の延長、助かります!」


スーパーから菜の花も消え、季節のお惣菜やお弁当からも消えつつある中、
『菜の花とはまぐりのパスタ』をまだ食べさせてくれるお店がある…

その吉報を耳にした赤葦は、きっとこれが今年最後の『菜の花チャンス』だと、
過ぎ去りつつある『春♪』を、一口でいいから味わいたい一心で、
月島の誘いを快諾し、お昼の定例会議をお休みさせてもらった。

「月島君と二人きりの外食…随分と久しぶりですね。」
「ほんの少し前までは、毎日二人でランチしてたのに…既に懐かしいですよ。」

たった数ヶ月の間に、自分達を取り巻く環境が、文字通り激変した…
二人はあえてその話題を今は避けておこうと、季節の時事ネタに引き戻した。


「『からし和え』は逃したものの、菜の花に間に合って良かったです♪」

ここ20年で最も技術革新が進んだものの一つが、『予冷』だろう。
野菜や果物は、収穫してもまだ生きている…呼吸等の代謝を続けている。
生きているということは、それだけエネルギーや成分を消耗し、老化していく…

そこで、収穫時の高い温度を素早く下げて代謝を低く抑えることで、
鮮度を保ったまま出荷や貯蔵…旬を引き延ばす技術が『予冷』である。
これにより、傷みやすい葉物や果物、花などを遠方まで輸送できるようになり、
4月半ば過ぎの歌舞伎町でも、徳島県産の菜の花を味わえるというわけだ。

「大好物が短い旬のモノだと、逃した時のショックたるや…遺恨一年分です。」
「むしろ季節を『先取り』し過ぎ…旬より早めに終わってたりしますからね。」


本当はこれからが苺の旬のはずなのに、世間様の『苺フェア』は3月中が多い…
しかも一番売れるマーケティング視点の旬は12月だなんて、冗談じゃない。
年末も年度末も、飲食&物流業界は修羅場…毎年フェアを逃す恐れがあるのだ。

「ホントは年中食べたい。でも、旬が短いからこそイイ…悩み所ですよね。」
「年中じゃなくていいので、ほんの少しだけ旬を伸ばす…最高の技術です!」

消費者は、本当にワガママな生き物だ。
そのワガママの直撃を受けるのが、飲食と物流…自分達の業界だというのに、
自分達だって、そんなワガママな消費者の一人。やはり頑張るしかないのだが…

「もし、予冷技術が…」
「もし、今の仕事を…」


二人がようやく『本題』を切り出そうとしかけた所に、パスタが到着。
やっと自分達にも訪れた『春♪』の香りに、前置きが全て吹っ飛んでしまった。
少しだけ待ってくれた春と、予冷技術に深々と感謝し…思いっきりがっついた。

「やっと、僕達にも、春が…っ!!待ちに、待ってましたっ!」
「大事に、食べたい、のに…お箸が、止められ、ませんよっ!」

隠れ家的なオシャレなイタリアン。
イケメンギャルソンや、キレイなオネエサン達に囲まれながら、
ジャージを着た大柄な二人組が、もり蕎麦の如く大盛パスタをズルズル啜る…
場違い甚だしいし、雰囲気をぶち壊してホントに申し訳ない気分だが、
たとえ歌舞伎町の住人でも、仕事外では大体こんなもん…御容赦頂きたい。


「僕は二枚貝の化石を見る度に、はまぐりに進化してくれてありがとう…と。」
「俺に食べられるために生まれて下さったんですね…と、感謝しきりですよ。」

ひたすら食べることに集中…ペロリと平らげ、大満足で春にご馳走さまをして。
「『月島』で領収書下さいませ。」と、レジでお願いしている最中に、
ようやく『お外ランチ』した本来の目的(と、デザートの食べ忘れ)を思い出し…
もう一度席に座り直し、ケーキセットを追加注文した。


デザートを待っている間に、話したい・話すべきことを早く言えばいいのに、
妙な間が空いてしまったせいで、お互いになかなか言い出せない。
付き合いが長い分、そうしたお互いの性格を熟知していることもあり、
月島はいつものやり方…他愛ない雑学ネタを『呼び水』にすることにした。

「遠くのものが近く見えたり、大きく見えたり、浮いたり逆さに見えたり、
   気温差の大きな大気が触れ合った時に起こる、光の異常屈折現象を…」
「春の季語でもある『蜃気楼』ですね。成程…俺達にピッタリな話題です。
   蜃が気を吐いて楼閣を描く…『蜃』は『大はまぐり』のことですよね。」

鳥山石燕の妖怪画集『今昔百鬼拾遺』の中の、『蜃気楼』のページには、
「蜃とは大蛤なり」という解説が付された、巨大はまぐりの姿が描かれている。
この画集に描かれているということは、蜃も妖怪扱いになるのだが…



鳥山石燕『今昔百鬼拾遺』(クリックで拡大)


「左ページのカニやはまぐりを、やや大きめ…10cmぐらいと仮定すると、
   蜃は50cmか、大きくても1m程…実在する可能性は十分ありますね。」
「現存する最大の二枚貝はオオシャコガイ…2m程のものがいますし、
   巻貝でも、直径2mもあるアンモナイトの化石が発掘されてますからね。」

オオシャコガイの寿命は100年以上。
アイスランドでは400歳のものも発見…画集入りしてもいいレベルだ。
貝が気を吐く…出水管から吐いた海水が揺らめいて見えることもあるから、
その揺らめきが光の反射で何かを描き出したとしても、全く不思議ではない。

「はまぐりの妖怪…『人外』も、フツーに生息してそうですよね。」
「150cmぐらいの『蛤女房』なら、歌舞伎町にもいらっしゃるかも?」


『蛤女房』とは、異類婚姻譚の一種…助けたはまぐりが、奥さんになる話だ。
料理上手…特にダシの効いた味噌汁が絶品だが、何故か料理中の姿を見せない。
絶対見てはダメ!の約束を、例の如く夫が破って覗き見すると…という、
毎度お馴染み『さよならエンディング』の、ド定番ストーリーだ。

「『見ざる聞かざる言わざる』じゃないですけど、見て見ぬフリをすれば…
   そうわかってはいても、いざ一緒に生活するとなると…難しいですよね。」
「根掘り葉掘り詮索する気もないし、知った『事実』は変えられない…
   それでもやはり、知りたいと思ってしまうし…衝撃は受けてしまいます。」

つい最近までの自分達なら、こうした異類婚姻譚に対する感想は実にドライ…
「見て見ぬフリをすればいいのに…お馬鹿さんですね。」とか、
「『マエ』を問わないのが、歌舞伎町のルールです。」等と言って、
『人外』という理由で離別を選択した『人』を、愚か者だと断定しただろう。

この街には、妖怪よりもタチの悪いマエを持った奴なんて、そこら中に居る…
前歴や本性が『人並み外れた』ぐらいでは、大して驚かない所だし、
そういう魑魅魍魎が集まり、全てを受け入れるのが、歌舞伎町の魅力なのだ。


どんなマエがあれ、正体が何であれ、先入観を持たずに受け入れたい…
特に自分が惚れた相手なら、その人『個人』として受け止めたいと思っている。
だが、友人や仕事仲間、恋人として過ごすだけなら、さして問題はないのだが…

「『人付き合い』と『一緒に暮らす』ことは…次元が違います。」
「人だろうと人外だろうと、『他人』と生活を共にするのは…一大事業です。」

ケーキを端からちびちび崩しながら、月島と赤葦は深く気を吐いた。
まさか自分達が、破滅に繋がりかねない『見るなのタブー』を負う立場に…
『異類婚姻譚』が現実のものになるなんて、思いもよらなかったのだ。

できれば、目を逸らし続けたかった。
でも、それも現実的には難しい…腹を据えて向き合うしかないのだ。
赤葦は月島のショートケーキを勝手に一口奪うと、意を決して本題に入った。


「月島君が提案した『引越』とは…黒猫魔女さんとの同居という意味ですね?」

異業種の『黒猫魔女』と共同経営を始めてから、様々な課題に直面した。
営業時間のズレ、繁忙期のズレ、生活時間のズレ…
何もかもがあまりにも違いすぎて、アッチコッチにてんてこ舞いな毎日だった。
年末&年度末の修羅場を何とか乗り切れたのは、『若さ』があったからだ。

「アッチはエネルギー効率も代謝もケタ違い…それでもキツそうでした。
   コッチの仕事量は、アッチよりずっと少ないけれど、正直…限界間近です。」

箒で飛べるわけでもないし、生命力だって世間一般の体育会系男性程度…
徒歩10分の距離でも、日に何度も往復するのは時間も体力もロスが大きい。
『アッチコッチ』は、三十路前の自分達にとって深刻かつ重大な問題であり、
今の関係を続けていくには、『アッチコッチ』の解消は必要不可欠なのだ。

「来年もこのペースだと…また『春♪』を逃してしまいますっ!!」
「『旬』はごく短いんですから…時間が惜しくてたまりません。」


春も旬も、短い…自分達も同じだ。
災害用保存食品のようなアッチとは違って、コッチはまるで『菜の花』だ。
美味しく頂ける賞味期限は、アッチに比べるとほんのわずかな間だけ…
『予冷』もできない自分達の旬は、そんなに長くはないのだ。

「あと50年ぐらいしか生きられない…旬なんて、残り10年ちょいです。」
「こんなに人の人生が短いだなんて、考えたこともなかった…」

そんなの、当たり前だ。
もうすぐ三十路…ようやく仕事も一人前にこなせるようになってきて、
やっと恋愛をする心の余裕ができ、人生の基盤が構築されつつある段階だ。
ホントはまだまだヒヨッコで、人生の本番はこれから…もっと長いはず。
『先』なんて考えるヒマもなく、がむしゃらに働く毎日を送っていた。

しかし、黒猫魔女の二人と出逢ったことで、その感覚が激変してしまった。
自分の人生について…『残り時間』について、意識せざるを得なくなったのだ。


「ねぇ月島君。このまま共同経営…続けてもいいんでしょうか?」

もし今の状態を続けたいのであれば、引越…同居は避けて通れない。
数年は若さでカバーできたとしても、もう体力はピークを超え、後は下り坂…
転職や生活環境の変更は、遅くとも30半ばまでがギリギリのラインだ。

自分達にとって、次の引越&同居が人生の大きな転換点となるのは間違いない。
それこそ、一生の大方の方向性を確定させるような転機となるはずだから、
軽々しく「じゃあ、一緒に…」なんて、とても言えるものではない。

引越&同居が一大事なのは、アッチも全く同じ…むしろ、さらに大変だろう。
自分一人の引越だって、準備や片付け等でそう簡単にできるものではないのに、
『事務所移転』はその比ではない…通常業務と並行させるのは、更に困難だ。

「あぁ見えて、アッチは年相応にジジィですから…腰も重いでしょうし。」
「溜まりに溜まったモノの量も、経年に比例…人並み外れているはずです。」

固定化した時間が長ければ長い程、その変更に必要なエネルギーは大きくなる。
今の『黒猫魔女』という仕事を、どのぐらい続けているのかわからないけれど、
いくら人外とは言え、簡単に移転できるものではないだろう。


チョコタルトの上に乗っていた生クリームを、ごっそり月島の皿へ…
ショートケーキの頂点苺の上に乗せ、赤葦はフォークを咥えて天を仰いだ。

「体力のない俺達の便宜のために、引越&同居なんて一大事業を、
   黒猫魔女さんにお願いしても…本当にいいのでしょうか?」

長い人生の中で、たった50年ぐらいしかご一緒できない俺達のために、
決して軽くはない負担をかけ、ご無理をさせてしまうのは…心苦しいです。

それに、俺はデキた人間じゃない…
『見るなのタブー』を守り通せるとは思えない、愚かな人間です。
扶養家族や別宅の件も、本当は他人には知られたくないタブーかもしれない。
でも一緒に生活していく上で、それを見て見ぬフリなんて、とてもできない…
俺の不用意な一言が、あの二人を深く深く傷付けてしまうかもしれないんです。
そしてその傷は、俺が居なくなった後も、ずっと残り続けるかもしれない…
本当に大切な人達だからこそ、そんな辛い想いは絶対にさせたくないんです。

「今ならまだ…引き返せるはずです。」


勿論これは、俺に限った話…月島君は全く別です。
『レッドムーン』は俺の店で、月島君はただの下僕…負うべきものは何もない。
同時に『黒猫魔女』さんでも、下積でしかない…囚われる必要はありません。
月島君だけは、自分の進みたい道を、自由に選んでいいんです。

「コッチを離れて、アッチへ…山口君の傍に行ったって、いいんですからね?」

俺は、月島君ほど…強くないです。
これ以上深く嵌ってからだと、絶対に引き返せない…離れられなくなります。
俺の口からは『引越』や『同居』なんてとても言えませんし、
あんなに素敵な人を、俺なんかが引き留めていいなんて、とても思えません。
あの優しい人を、傷付けてしまうかもしれないのが…怖くて堪らないんです。

どんなに近くに見えても、『人』と『人外』の間は遠く、壁も大きいんです。
すぐ傍に居て、触れ合っているように見えているだけ…

「まるで…『蜃気楼』みたいですね。」


さぁ、そろそろ…帰りましょうか。
カップに残ったコーヒーを一口で飲み干し、赤葦はふぅ~と大きく気を吐き、
伝票を持って立ち上がろうとした…が、月島の一言で浮かせた腰を下ろした。

「相変わらず…ズルい人ですね。」


あなたはいつも、自分のことは二の次…相手ばかりを優先しすぎです。
  
   黒猫魔女さん達が大変かもしれない。
   深く、傷付けてしまうかもしれない。
   僕が『自由』になりたがってるかも…

全て赤葦さんの勝手な『かもしれない』という妄想…いわば忖度ですね。
本当は、現状を変更するのが怖いだけ…ワガママだと謗られたくないだけです。

自分はどんな辛いことでも受け入れるから、ソッチが自由に決めろ…って、
身を引いて譲っているように見えて、実は決断と責任を押し付けてるだけです。
僕と『レッドムーン』を開く時も、赤葦さんはそうでしたよね?
僕のワガママを聞くという形をとらなければ、自分一人では何もできなかった…

「本当にズルくて…優しい人です。」


黒猫魔女さんが、この件をどう考えるか全く聞かない内に、引くんですか?
扶養家族や別宅のことも、詳細を聞けば大したことじゃない可能性もあるし、
アッチは全然何とも思ってない…『些細なコト』という認識かもしれません。
それも確認せずに、勝手に遠慮して話し合わないなんて、怠惰なだけですね。

「大きく見える壁も、実態はさほどじゃないかもしれない…
   そう見えているのは、『蜃気楼』のせいかもしれないんですよ?」

僕は、僕のことを思いっきり褒めて下さる上司…黒尾さんの下で働きたいし、
山口とずっと一緒に居たいし、赤葦さんと離れる気もサラサラないですから。
僕のワガママをできるだけ実現できるよう、嫌われるのを覚悟で…努力します。

「たまには赤葦さんも…みっともなくワガママな姿を曝してみてはどうです?
   まぁ、諦められる程度のことなら…一人で『デキる参謀』を続けて下さい。」


   それじゃ、そろそろ帰りましょう。

伝票は置いたまま立ち上がった月島の腕を、下を向いたまま赤葦は掴んだ。
掴んだはいいが、なかなか言葉は出て来ず…歯を食いしばって黙っていた。
そんな赤葦に、月島はわざとらしく大きな溜息を吐き…明るい声で問い掛けた。

「引越&同居したいっていう僕のワガママ…聞いてくれる気になりましたか?」

月島の言葉に、赤葦は驚いた表情で顔を上げ…くしゃり、と相好を崩した。
そして、困ったような、泣きそうな笑顔で、「負けましたよ…」と呟いた。


「一秒でも長く、あの人の傍に居たい…そのために、引越&同居したいです。」

あの人…黒尾さんを諦めることなんて、俺にはもう…とっくに無理ですから。
俺のワガママを叶えるために…できるだけ長く『四人』で居られるように、
どうか月島君の智慧と力を…俺に貸して下さい。それから…

「一生俺の便利な下僕として…傍に居て下さい。」


ようやくワガママを…本心を暴露した赤葦に、月島は柔らかく微笑み返すと、
捕まれた腕をそのまま引き上げ、心優しい主君をレジまでエスコートした。

「全く、最初から素直にそう言ってればいいのに…手のかかる女王様ですね。」

そう簡単には、『僕の御守』からは逃がしてあげませんから。
黒尾さんや山口に僕を押し付けようとしても、人生そんなに甘くありませんよ?
あなたは一生、可愛い下僕の面倒を…見続けて下さいね。

「ホンットーに、可愛くない…」

恭しく差し出された従者の手に、主君はそっと財布を下賜すると、
従者はお会計を済ませ、御馳走様です…と、綺麗にお辞儀をして見せた。

いつも通り『月島』宛の領収書を頂き、おつりと共に主君の財布へ入れ…
そこで、自分達にとって『些細なコト』をふと思い出し、主君へ進言した。


「赤葦さんが対外的に『月島』を名乗っていることは、アッチも知ってますが…
   これが実は『本名』だということも、説明した方がいいかもしれませんね。」

仮に引越&同居が決まれば、住民票の変更等が必要になる…
その時初めて、赤葦さんの戸籍上の本名が『月島京治』だと知ったら、
アッチの二人は、ほんの少しビックリしちゃうかもしれませんからね。

「そうですね。実にどーでもいいコトですけど…一応言っておきますか。
   『赤葦』は『旧姓』…俺達の本当のカンケーも、軽く説明しときましょう。」


暑ささえ感じる昼下がりの陽気に、二人は蜃気楼が出そうな程の大あくび…
行きつけの和菓子屋さんで『ちまき』と『柏餅』を四人分予約してから、
桜餅を頬張りつつ、のんびり自分達の楼閣へと帰還した。




- ⑤へGO! -




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※対外的に『月島』を名乗る… →『再配希望⑨


2018/04/24    (2018/04/22分 MEMO小咄より移設)

 

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