※『自己満足』ミニシアター・月島編



    君懸草紙







「ツッキーって…お花、大好きだよね~」
「は?それは…山口の方でしょ?」


サクラの花びらも路上から消え、今は入れ替わるように、ハナミズキが街路を賑わせる。
生垣のツツジはそろそろ満開を過ぎ、その隙間に路側帯ではシャリンバイが開き始めた。

家々のフェンスに絡んでいた、薄黄色のモッコウバラは散り始め、ほぼ同じ場所に、
今度は群れた濃桃色の蕾から、白い花…ハゴロモジャスミンの香りが漂い始めている。

   (あの花は…何だろう?)

次々と新しいものが登場する、横文字の園芸品種はさておいても、
道路標識の下の、僅かな土から顔を出す、定番の草花の名も…僕は知らないものが多い。
そういう花に出会った時は、とりあえず写真に撮っておき、帰宅後に逐一調べている。


その写真の撮り方にも、一工夫が必要だ。
ちょっとした対談を付けて小鳥さんに呟く用とか、自サイトの小説に付す用…とかではなく、
花の名を知るためには、『ばえる』写真より、識別に役立つ特徴を撮っておく必要がある。

例えば、葉の形や全体のサイズ感。植物の分類に欠かせない細部を撮影しておかなければ、
花のアップだけでは、なかなか「これだ!」というものをネット上で見つけるのが難しい。
しっかり撮っているつもりでも、道端に咲く草花の名を知るのに、数日間かかったりする。

実際に自分の目で見て、触って、薫りを確かめたものを、あとから図鑑やネットで調べ、
学名や科・属名、別名や語源を知り、近縁種や縁の深い昆虫等も派生的に学んでいく。
ただのんびりと図鑑を眺めるのも好きだけど、自分が見聞きした経験をそれに重ねることで、
自分専用の図鑑が、どんどん厚みと文字数を増していくのが…楽しくてたまらない。


これは別に、花に限った話じゃない。
鳥や昆虫、魚や樹…動植物全般が好きだし、できることなら、全ての図鑑を作りたい。
でも、それらの多くは、身近かつ簡単に、多様なものを観察ができるものではないため、
消去法で残ったものが、花…というだけのことで、花が特別好きなわけではない、と思う。

本当の理想を言えば、中生代にタイムスリップして、僕専用の恐竜図鑑を作りたいけれど、
せめて手の届く範囲で…僕専用の化石図鑑を作るべく、実入りの良い職に就こうと画策中だ。

   (恐竜博士こそ、僕の人生の最終到達点。)


とにかく僕は、自分の目に映るもの…目の前を横切り、存在を主張したものに対して、
好奇心を大いに刺激され、それを捕まえたくてたまらなくなる性質を持つようだ。
風に揺れる花は、その例のひとつ…気になって気になって、じっとしていられないのだ。

とは言え、花は恐竜ほど僕の心を掴む存在じゃないから、調べてもすぐ…忘れてしまう。
花に限らず、恐竜を除く全てのことは、調べたり読んだ時には「成程!」と心を動かされ、
深く感銘を受けたり、時には涙を流しても…一週間後には細部を忘れている。

ほんの数回インプットする程度では、記憶は脳に定着しない。
何度も何度も繰り返しインプットし続けていたとしても、3カ月後には7割消えている。
世間を賑わせた事件や事故だって、75日も経てば、皆…見向きもしなくなるじゃないか。

記憶を脳にしっかり定着させ、自分専用の図鑑を『いつでも使える状態』にするためには、
それを自分の言葉で継続的にアウトプット…誰かにその内容を説明することが手っ取り早い。
極端な例だと、5年間同じジャンルの二次創作の中で、様々なネタから歴史考察を続けて、
ようやく神話の神々の家系図を、脳内に描けるようになる…みたいなカンジだろうか。

   (アウトプットのための創作…なんだよね。)

僕は、恥を晒しながら創作でアウトプットなんていう、非効率かつ痛々しい方法は採らない。
もっと簡単で、確実に喜んで貰える方法があるから、そっちに全力を注いでいる。


「あそこの御宅…今は藤が咲いてるけど、二週間前には生垣に何が咲いてたか、覚えてる?」
「えーっと、確か…黄色い、つる性の…?」

「名前で勘違いしやすいけど、リンドウ科だから毒性アリ…飲み食い厳禁って話したやつ。」
「あ!カリフォルニア?カタリナ?キャロライン…的な、麗しい名前のジャスミンだ!」

「おしいね。正解はカロライナジャスミン。」
「世界最強の毒草ゲルセミウム・エレガンスと同じ、ゲルセミウム科の花…だったよね~♪」

カロライナジャスミンの学名は、ゲルセミウム・センペルビレンス。
ただ、致死量0.05ミリグラムというエレガンスほどの毒性はないから、ご安心あれ。
(ちなみに、青酸カリの致死量は4.4㎎、トリカブトの主成分アコニチンは0.116㎎。)


「ゲルセミウム・エレガンス…日本にも存在してるんだよ。1200年前の奈良時代からね。」
「そんな危険物がっ!?ちゃんと厳重に保管してあったんだよねっ!?」

「当時としては、最上級の保管だと思うよ。東大寺の正倉院…宝物の中から発見だって。」
「宝物の中から、猛毒っ!!?えぇぇっ!?」

猛毒故に内服厳禁の漢方薬『冶葛(やかつ)』として、正倉院に収蔵されていたらしいけど、
これが1996年の千葉大学薬学部の調査で、ようやくエレガンスだと判明したんだって。

「1200年経っても、毒性検出…怖~っ!」
「怖いのは、それだけじゃないよ。」

冶葛が奉納されたのは756年。量は32斤…約14kgってとこだね。
でも、100年後の856年には2斤11両2分…約600gしか残っていなかったって。
ちなみに現在の残存量は、たったの390g…エレガントな国宝は、どこへ消えたんだろうね?

「『冶葛』…葛を、冶かす(とかす)。冶金つまり金属精錬技術を持っていた、葛…蛇。」
「歴史の闇と共に、屠られた…蛇をとかすために使った毒かもしれない、よね。」


こんな風に、一緒に散歩をしつつ花を観察し、信号待ちの間に『アウトプット』をする…
僕がインプットしてきたネタを、嬉々として聞いてくれる山口に語り、定着させている。

「ツッキーは何でも知ってる…じゃなくて、いっぱい調べて考えて、俺に教えてくれるね!」
「その修正をすかさず入れた点に関しては…さすが山口!と返しておくよ。」

僕が僕専用の図鑑を作るのは、僕の自己満足にすぎないけれど、
この図鑑を充実させているのは、いっぱい聞いて一緒に考えてくれる、山口あってこそ。
だから僕も、山口が悦びそうなネタを優先的に調べる傾向が、年を経るごとに強くなり…

   (僕のアルバム…花の写真でいっぱいだ。)

僕専用の、僕の自己満足の結晶のはずなのに。
そんなに好きだという自覚がなかった花で、僕の図鑑が埋め尽くされていく。
アルバム内の写真数の比率で、『僕』の中が何で満たされているか…客観的に一目瞭然だ。

   (僕の頭の中は…お花畑?)


「あ、見てツッキー!あそこの花壇、日影のせいか…まだ鈴蘭が咲いてるよ~♪」

待っていた信号が変わり、渡ろうとした直前、山口は脇道の花壇に戻って膝を折った。
マンションの影と、至近距離で観察し始めた山口自身の影で、余計に鈴蘭の白さが際立ち、
風にふわふわ揺れる可憐な白が何だかとても眩しくて、近くできゅんと音がした…気がする。

「鈴蘭の別名は、君影草(きみかげそう)…」

葉の影に隠れひっそりと花を咲かせる姿が、誰かの影に寄り添う姿を連想させるとか、
主人の後をしずしずと首を垂れて付き従う、古き日本女性のイメージに重なる、だとか…

「ツッキーの影に隠れる、俺…みたいな花?」

山口なら絶対そう言うと思ったけど、それはひとつの説にすぎないと、僕は考えている。
『日本植物名彙』(1884年刊)や、『草木弄葩抄』(1735年刊)等の古い辞典には、
鈴蘭の別名は『キミカゲソウ』ではなく『キミカケソウ』という表記になっているそうだ。
漢字で書くと、おそらく『君懸草』。君に想いを懸け、恋い慕う…君に懸想する花だ。

   (だとすると、その姿は…)


ふわり、ひょこり。
風に吹かれ、白い鈴蘭と同じ向きに揺れ、僕の目の前でしきりに存在を主張する…黒い一房。
僕は思わずそれを捕まえ手触りを確かめ、風に乱れた『触角』の向きを僕の方へ整えながら、
不思議そうに首を傾げて僕を見上げる山口の画像と共に、僕専用の図鑑にひとつ書き足した。


「君懸草はむしろ、僕…みたいな花かもね。」




- 終 -




**************************************************

※葛について →『
夜想愛夢⑪


ドリーマーへ30題 『18.アルバム』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2020/04/25

 

NOVELS