空中分解







新宿・歌舞伎町にあるバー『レッドムーン』。
誰も居ない深夜の店内で、グラスを磨いていた赤葦が、微かな足音に気付いて顔を上げると、
お邪魔します…の聞き慣れた声と共に、白いパジャマ姿の元黒服が静かに入って来た。

「おや、月島君…寝られないんですか?」
「強めの寝酒を、お願いします。」

かつての定位置…バックヤードに一番近い隅、ほぼ従業員用の席に月島は座ろうとしたが、
既にそこは『自分の居場所』ではないと思い直し、その隣の席に腰掛けた。

「ちょっとだけ…たったひと席ずれただけで、見える景色が全然違うんですね。」
「隅っこの席じゃなくても、俺から見たら月島君は下僕…下積のままですから。」

強めの寝酒を頼んだはずなのに、出てきたのはほかほかと湯気を立てる…ホットミルク。
昔から、赤葦がこれを出してくれる時は、月島の話を聞いてくれる(自白強要の)サイン。
話を聞いて欲しくて来たはずなのに、月島はミルクと共に唾やら覚悟やらを一気に飲み込み、
ぷは~っ!と息を吐いて勢いを付け、カウンターに突っ伏してボソボソ話し始めた。

「アポロ13号の事故から50年…だそうです。」


1970年4月13日、月面着陸を目指していたアポロ13号の支援船(倉庫的な部分)の、
第二酸素タンクで小爆発…外壁の一部が吹き飛ばされ、機体が修理不能な損傷を受けた。
宇宙船は月でUターン。僅かに残った酸素・水・電力で、辛くも地球へ帰還した事故だ。

「えぇ~、もう50年?つい最近じゃん!…と、山口君なら言いそうですね。」
「一字一句違わず、TV観ながらそうボヤいてましたよ。」

赤葦と月島の伴侶達こと、レッドムーンと共同経営中の『黒猫魔女』の二人は、齢300程。
御長寿な人外の彼らにとって、50年前は人の感覚で換算すると、たった5年前みたいなもの…
2015年と言えば、東京五輪エンブレム盗作騒動や、新国立競技場が白紙撤回された頃である。
(ちなみに、HQアニメはセカンドシーズン、劇場版上映等『頂プロジェクト』を開催した年。)

「…つい、最近ですね。」
「以下同文、です。」


そんな他愛ない体感速度のギャップは、もう慣れっこ。問題は、どうしても慣れない方です。
僕と山口は、『同じ速さ』の世界を生きることは不可能…それを痛感する今日この頃です。

魔女急便の仕事を終えると、山口は僕の腕の中に着陸してくるようになったんですが、
最初の頃はふわ~りふわ~りと浮いて近寄り、ゆ~っくり慎重にストン。。。だったのが、
最近はバビュン!ズドン!うぐっ!…と、受け止めた部分の細胞が分解されそうな激突ぶり。

「昨日なんて、危うく箒の柄が頭に…5年分の記憶が木っ端微塵になりそうでした。」
「いっ、一秒でも速く、月島君の許へ帰りたかったのかもしれませんけど…ご愁傷様です。」

立場的には、山口と箒のタンデム飛行もできるようになったんですが、僕は二度と御免です。
生身の人が耐えられる速度じゃない…股間の衝撃よりも、胃袋への強烈な負荷により(割愛)、
花園神社裏で酔っ払いと共に『反省会』をしつつ、僕は『ある言葉』への恐怖で震えました。


「アポロ13号事故のニュース。消化酵素ごとバラけそうな、飛行速度及び着陸時の衝撃。」
「『空中分解』…ですね?」

いつから箒で空をブッ飛ぶ魔女急便の仕事を始めたのか、僕達は知りませんけれど、
おそらく、今の歌舞伎町とは全然違う景色…江戸の街の空は高く、澄み切っていたはずです。

「そんな『つい最近』までの、スッカスカな感覚のまま、飛行しているとすると…」
「煌びやかなネオンが反射するビルの壁面や、解体・建築中の薄暗い養生シートに…っ!」

方向音痴の吸血鬼は論外としても、『10倍ゆっくり』な速度で生きる人でさえも、
この街の絶え間ない変化に戸惑い、迷うことが多々ある…通行止めパネルにぶつかることも。

   もしそれが、高速飛行中に起こったら…?
   頑丈な魔女でも、無事では済まないはず。

「地球帰還の直前に起きた、コロンビア号空中分解事故は…」
「僕達の記憶にも新しい…2003年です。」

今夜みたいに、魔女の帰宅が遅い夜。
仕事で明日早朝に帰還するとわかっていても…もしかして?と怖い想像をしてしまいます。

「天に上がったまま、僕達の縁も空中で解けてしまうんじゃないかって…」

人よりも遥かに長い寿命を持つ人外が…山口が僕よりも長生きするとは限らない。
つい先日…去年、菜の花パスタを食べながら赤葦さんが言っていたことも思い出してしまい、
ほんのちょっとだけ…眠れなくなってしまった次第です。


わざとらしく生あくびをし、再度伏せた月島の顔の横に、赤葦は冷えたグラスを置いた。
それは、澄み切った透明な空に、レモンの月が浮かんだカクテルだった。

「空を音速で飛行する…『SKY』ウォッカを使った『ソニック』です。」
「赤葦さんらしくない、最低なセレクト…酔いが回りそうですよ。」

強いのを下さいとは言いましたけど、これは…頂けませんね。
月島はスカイソニックから目を逸らし、反対側を向いて膨れた頬をカウンターに付けた。
だが赤葦は、そんな月島に構うことなく、淡々とカクテルの説明?をし始めた。


「『ソニック』はソーダとトニックウォーターを半分ずつ入れた、『ソ+ニック』です。」

月島君。見方…読み方を変えてみましょう。
『空中分解』を、『空中』+『分解』ではなく、『空(中分)解』と捉えてみると、
半分ずつという意味の『中分』…ソニックと、『空解(そらどけ)』という言葉になります。

「こんなステキな想像をしてみては…いかがでしょうか?」



*****



江戸の空を駆ける『巫女飛脚』…それが、俺のお勤めだ。
俺と同じ視線に在るのは、小田原城の天守閣と箱根の峰、そして富士の山ぐらいで、
広く澄み切った空には、羽ばたく鳥と、かつて鳥と呼ばれた…まつろわぬ巫女しかいない。

「本日も青天也。気分共に爽快哉。」

着物の裾をたくし上げ、帯に差し挟む。
広い空に浮かんでいても、鳶より速く飛び、気配を消した俺達のことは誰も気付かない。
とは言うが、念には念を…と、着物は雲の如く淡い、白一色だ。

「人に非ざるモノには…死装束が似合う。」

それに、雲は死者を表す。
幽世の城・出雲の大社(おおやしろ)は雲居に描かれ、蛇の坐す葛城では蜘蛛と為る…
死すれば魂魄のうち魄(体)は白く崩れ、空に舞った魂は雲となり、空の中に解け逝くのだ。

「さぁて、いきまするか。」

せめてもの『生きている証』として、丹塗りの簪と紅を挿し、箒に跨り宙に浮く。
花園神社の大樹に隠れながら、いつも通り舞い上がろうとした…その瞬間。


「嗚呼っ!?」

袂が枝に引っかかり…はらり。
帯が空解けてしまい、着物まで一緒に中分されてしまったのだ。
咄嗟に箒を翻し、真ん中から半分に開いた着物のまま、解けた帯を空中で捕まえた。

「危ない、危ない。あわや…!だったね~」

大樹の中にほぼ全裸の身と羞恥を隠し、肌蹴た着物と解けた帯、脚に絡む白布を締め直す。

「誰にも、見られてない…よね?」



*****



空解(そらどけ)とは、結んである帯や紐が自然にほどけること。
その後は…羽織った着物も、前から中分されてしまうのも、自然の摂理です。
では、「あわや…!」の後で締め直すべき、残った『白布』と言えば…

「ま、まさか…っ!?」
「漆黒の魔女衣装でアクロバット飛行をすると、おパンツが見えるんじゃないか…?
   それと同じアクシデント♪が、純白の巫女飛脚(仮称)でも、当然起こり得ます。」

これは俺の勝手な想像ですが、もしかしたらこの『空中分解』事故の目撃談から、
あの有名な『人外』が生まれたとも、考えられるのではないでしょうか?

「空にたなびく、白く長い布…」
「妖怪…一反木綿。」


赤葦が読み替えた『空(中分)解』から導かれた説に、月島は目を見開き愕然…
眠気覚ましに『スカイソニック』を音速で飲み干すと、血の気の戻った頬をふわりと緩めた。

「さっきまでとは全く別の意味で…今夜は寝られなくなりましたよっ♪」
「お気に召したようで…何よりです♪」

御馳走様でした!ありがとうございます!と、月島は飛び跳ねるように席を立ち、店を出た。
赤葦はその後ろ姿に、白く長いタオルを振りながら、穏やかな微笑みで送り出した。


「おやすみなさい…良い夢を。」




- 終 -




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※魔女急便の着陸地点 →『
愛月撤灯
※去年、菜の花パスタを… →『
隣之番哉③・後編


ドリーマーへ30題 『13.空中分解』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2020/04/17

 

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