「山口っ!!」
「任せてっ!」
合宿所(木葉家別荘)の敷地と、お隣の敷地の境界には、崖から落ちてきた大岩があり、
釣師が喜びそうな、ちょっとした岬っぽい雰囲気になっていた。
その岩場の手前に、梟さん達とツッキーが夏休みの宿題をした磯だまりがあった…はずだが、
陽が落ちる頃には引ききっていた潮が、少しずつ戻り始めていたみたいで、
磯だまりだけでなく、岩場の半分も海の下に隠れ、曇天と共に低く重い潮騒を轟かせていた。
ゴミ置き場から走り去った赤葦さんは、暗い中でも全く危なげのない足取りで、
ひょいひょいと飛ぶように岩場を登り、岬の先端へ…膝に顔を埋めて、体育座りで固まった。
空と海よりも重い空気を纏い、「来ないで下さい。」と拒絶する背を俺の方へ向け、
沸き上がるものを必死に堪えるべく、爪を二の腕に食い込ませ、背を小刻みに震わせていた。
(あかあし、さん…っ)
誰がどう見ても相思相愛なのに、なかなか繋がり合えない黒赤組を焚き付けるために、
猫梟双方から『当て馬』になってくれと涙ながらに請われ、俺とツッキーはここに来た。
シーラカンス云々も勿論あるけど、黒赤のためじゃなければ、ツッキーは絶対動かなかった。
どんなに夏が暑くても、ツッキーがアバンチュ~ル☆デッキーに激変するわけなんてないし、
罠だとわかってても、あんな破廉恥なコト…他所様にセッ、せっ…ぷんをお見せするという、
ビーチく…とか、一緒にお風呂…なんか比較にならない公然猥褻を強行とか、有り得ないよ!
(俺…他所にはオヨメにイけないかも。)
もう、黒赤って名の劇薬でも飲まされたんじゃないかってぐらいの、ゲッキーっぷり。
(※劇薬で激変しちゃったキワモノ系ツッキー…の、略かもしれない。)
二人のためならここまで変われるのか!?という驚きで、えっちぃ行為を止められなかった。
(まぁ、嫌いじゃない…けどね。)
新たな一面を見ることができてちょっと嬉しい反面、胸中穏やかじゃない…この波のように。
一番傍にいるからこそ、黒赤組をどれだけ大切に思っているか、俺にはわかってしまい、
皆様に『確定したつがい』だとみなされていても、二人への嫉妬心を消せないでいた。
(ホント…俺って、強欲だよね。)
…って、俺のことは、今はどうでもよくて。
『ツッキー』というファクターを入れると、フクザツな想いが入り混じってしまうけれども、
それをヌきにすると、俺は黒尾さんのことも赤葦さんのことも、黒赤コンビも大大大好きだ。
パっと見では、トーキョーの強豪校の腹黒主将と狡猾参謀で、すっごい怖い雰囲気なのに、
本当は優しくて謙虚で…『身の丈』に相応しいようにと、地道に努力を続けている人達だ。
身近で目映く輝く、ずば抜けたセンスと才能を持つスターみたいには、決してなれないが、
この人がいなければ組織として絶対に成立しない…地味ながらも『要』となる存在だ。
悔しくて、羨ましくて。劣等感に苛まれ続け…これが自分の道だってわかってても、ツラい。
それでも、周りの光に対抗しないよう、必死に自分を律しながら、質実剛健に頑張っている。
おこがましいにも程があるけど、俺は二人のそんなとこが好きで…心の底から尊敬している。
(俺が目指すべき…『お見本』の二人だ。)
近い将来(いや、既に今現在も?)、『光たち』の間に挟まれる道を逝くことになる俺は、
この合宿を通じて、偉大なる『引率のお見本』から、たくさんのことを学ばせて貰った。
だから俺は、『恋愛のお見本』として、少しでもお二人に何かをお返ししたかったし、
そういう建前を抜きにしても、悲嘆にくれて走り去った赤葦さんを放ってはおけなかった。
でも、
ツッキーの呼びかけに、「任せてっ!」と威勢よく頷き、追いかけてきたけれど…
(俺にできることなんて、何も…ない。)
赤葦さんは今、深い悲しみと絶望、そして強烈な自己嫌悪という激情を、必死に抑えている。
外野の俺には、それらが全て『勘違い』に見えるし、おそらく間違ってないと思うが、
今の状態の赤葦さんにそれを言っても、きっと受け入れない…逆なでしてしまうだけだろう。
(もし俺が、逆の立場だったら…)
根拠の無い安易な慰めなんて、惨めなだけ。
恋愛のお見本…確定した恋人がいて、しかも夏に浮かれてラブラブを振り撒いている奴に、
失恋直後、どんな言葉を掛けられても、「お前に何がわかる!」と…怒りしか湧いてこない。
抑え続けている哀しみを、声を掛けてくれた人に対して、反射的にぶつけてしまうと思う。
赤葦さん自身もそれがわかっているから、来るな!と拒絶している…俺を傷付けないために。
(本当に、賢くて…優しい人だ。)
たとえ失恋がただの『思い込み』だったとしても、『今』は『俺』が言うべき時じゃない。
どうしょうもなくツラくて堪らないだろうけれど、今は直後の『大波』を独りで耐え忍ぶ時…
(ガンバレ…赤葦さんっ!!)
記憶に新しい俺自身の経験から、『今』一番して欲しかったことを思い出し、実行に移す。
赤葦さんの大岩から少し離れた場所…互いに手を伸ばしてもギリギリ届かない小岩に座ると、
俺は赤葦さんが『大波』を乗り越えるまで、そのまま…『何もしなかった』。
*****
それから、どれくらい時が経っただろうか。
いつの間にか潮もかなり満ち、潮だまりどころか、岩場の大半が海水に浸かっていて、
ちゃぷん、ちゃぷん…静かに揺れる波が、体育座りした足先を濡らし始めていた。
心地良い涼風と揺蕩う波音に、ついウトウト…響いてきた大きな深呼吸に、ついビックリ!!
慌てて口を抑えて縮こまっていると、ぽつり、ぽつり…静かに揺れる声が聞こえてきた。
「イケると、思ってたんですけど…ね。」
石橋を叩いて渡る…どころか、他人様が築造した石橋の強度を信じることができず、
それを叩き壊した上で、自ら石橋を建築する場所の選定からやり直すぐらい、慎重派の俺が、
夏の陽気というアゲアゲなサポートを得てようやく、『GO
TO!』しようと決意したのに、
逝き着く先が『HELL』なケースを、全く想定していなかっただなんて…
「夏って…怖いですね。」
ここに至っても、まだ夏のせいにしてしまう自分が情けないやら、夏に申し訳ないやら。
あの人が誰にでも優しいことは、十分わかっていた…ずっと言い聞かせてきたはずなのに、
この合宿準備からのアレコレを、自分に都合よくアバンチュ~ル☆風味に解釈してしまい、
独りで勝手に盛り上がって、一方的に求めた結果…この有り様。本当に自分が、嫌になる。
「こんな俺を、好いてもらえるわけ…ない。」
どんな時でも、理性的でありたい。
理知的で聡明なあの人に、少しでも近づけるように…『似た者同士』でいたいから。
そんな俺が、あの人の前で何度も理性を失い、カチリ…と、何かが嵌る音を聞いたんですよ。
言葉では言い表せないし、理屈では説明不能。無意識の内に悟った、本能的な合致…
「あ、そういうことか…って。」
でも、これもやっぱり、俺の願望が見せた蜃気楼…『気のせい』だったということでしょう。
夏の高温に当てられて、普段の俺達の密度?蜜度?に、大きな差が生まれてしまったから…
自然現象と同じように、二人の間で夏特有の蜃気楼が発生してしまったんですね。
「俺の中で燻る熱量と、あの人の手の冷たさ。その埋め難い差に気付いていたというのに…」
こんな時ぐらいガマンなんてせず、みっともなく曝け出し…泣き喚けばいいじゃないか。
理性ではそれが正解だとわかっていても、恋敗れてもなお、理性的であろうとしてしまう。
もうダメなんだから、これは不正解なのに…せめて『似た者同士』でいたいと願ってしまう。
素直になれないくせに、未練がましい自分自身に…本当に嫌気がさしてきましたよ。
「夏が理性をトばすなんて…大嘘ですね。」
さて…と。
全部『夏のせい』にしたところで、そろそろ浮上しなければいけませんね。
トばしてくれないのならば、せめて…全てを沈め、鎮め、静めてしまいましょう。
「一切合切を飲み込んで…消して下さい。」
そう呟くと、赤葦さんは立ち上がり、首から外した何かを握り締めて、大きく振りかぶった。
海の彼方へそれを投げ捨て…ようとした途中、その手をゆっくり下ろし、足元に…ぽとり。
しばらくそのまま立ち尽し、震える拳を必死に鎮め、闇に向かって微かに息を沈めた。
「御清聴…ありがとう、ございました。」
山口君は、俺が一番欲しかったものを…『何もせず』に、ただただ傍に居てくれました。
これがどんなに心強く、俺を静めてくれたか…荒んだ心が、今は感謝の念で満たされてます。
気の利いた言葉や、優しい仕種で労わることだけが、『慰め』ではない。
『何もしない』で、鎮まるのを辛抱強く待って下さることこそ、最も難しい『癒し』です。
「山口君。貴方は絶対…モテるでしょ?」
さすがは『恋愛のお見本』です。
すぐに真顔でツッコミを入れたがる俺は、恋愛に関わらず見習うべき姿勢ですね。
他人のグダグダを黙って聞き続けるのが、どれほど難しいか…想像しただけでゲンナリです。
それだけでなく、山口君は『馬になれ!』という猫梟の依頼を、完璧に遂行してみせました。
失恋のウダウダを、聞くともなく聞き流した…まさに『馬耳東風』『馬の耳に念仏』です。
「見事な『お馬さん』っぷり…感服です。」
木兎さんがここまで読んでいたとは到底思えませんが、孤爪の目的は月島君ではなく…貴方。
この合宿に必要不可欠な山口君を引き摺り出すために、月島君を餌にして釣ったんです。
「敵ながらアッパレな読み…腹立たしい!」
今夜だけは、クソいまいましいイカサマ猫釣師の顔なんて、俺は見たくない…ので、
釣師が山口君という『ルアー』に持たせて、俺に向けて放った『餌』だけを掻っ攫って、
俺はこれから、誰にも触れられない場所で、独りで蜃気楼を眺め…暁を臨んで来ますね。
海の向こうを凝視したまま、ぐいっ!と腕だけをこっちに伸ばしてきた赤葦さん。
俺はその手に、釣師から預かっていたビニール袋…梅おにぎりと緑茶を、そっと引っ掻けた。
「これがもし、山口君からの贈物だったなら…俺は貴方に、落ちていたかもしれませんね。」
ラップに包まれたホカホカの梅おにぎりをほおばり、塩気キツ過ぎ!と盛大にむせながら、
しょっぱい!げほげほ!ずびずび!…大文句と共に完食した赤葦さんからラップを受け取り、
ふくらはぎまで海水に浸かって岩場の向こう側へ歩き出した背に、俺はひとことだけ呟いた。
「こんな時すら素直に泣けない、可愛げのない子は…もう十分、俺は間に合ってますから。」
ため息交じりの俺の言葉に、赤葦さんは「ぷっ!」と吹き出すと、
音程ズレズレの歌を歌いながら、岩陰の遠くに消えて行った。
波音が響けば~♪ 雨音が近づく~♪
二人で思いきり遊ぶはずの~おんざびーち~
胸元が揺れたら~♪ しずくが砂に舞い~♪
言葉もないままに~ あきらめの…夏。。。
*******************
「これから黒尾さんを2発ほど殴るんで、どうぞ歯を食いしばって下さい。」
「1つは赤葦、もう1つは山口を泣かせた分…ツッキー分の1発は、免除してくれんのか?」
「僕は…泣いてませんからっ!!」
「わかったから…ほら、ティッシュ。」
赤葦が走り去った後、呆然と夜空を見上げていた黒尾の元へ…月島が猛然とタックル。
もうそれで既に、3発分ぐらいの衝撃を真っ黒な腹に喰らったような気もするが、
潮風が目に沁みるんです!と言ってきかない月島に、元々乏しい怒気も消え失せてしまい、
黒尾は感情の抜け切った表情で、ポケットから出したティッシュと飴玉を、月島に手渡した。
「スースーのど飴は、僕の好みじゃない。」
「喉が枯れたのがバレたくなけりゃ…な?」
からかうでもなく、淡々と事務的に言ってまた空を見上げた黒尾に、月島は顰め面…
一気に飴玉をガリガリ噛み砕くと、ほらやっぱり…スースーが目に沁みます!と文句を言い、
海岸の方に向かって鼻をかんでから、気を取り直して喋り始めた。
「何で、あんなことしたんです?
…なんて、僕は聞いてあげませんからね!」
黒尾さんが何をどう考えているかなんて、正直僕にはどうてもいい話です。
まぁ、多少は興味ありますけど…グダグダな言い訳とか懺悔とか、聞くに堪えません。
どうせ、理性的な判断から、最良の選択をした結果なんでしょうけど…最悪の結末ですしね。
『理性』なんて、夏のアバンチュ~ル☆には…恋愛には最も不要なモノだっていうのにね。
「どんなに取り繕っても、赤葦さん(と山口)を泣かせた…それだけで、万死に値します。」
それに、猫梟全員で吊し上げ、自白強要剤を盛ったとしても、あなたは絶対に口を割らない。
血が出るまで唇を噛み締め、情動を抑える鉄の意志を持つあなたは、猛暑でも融かせません。
だから僕達は、口どころか腹も割って下さらないのが、目に見えていたから…
あなたの理性を直接ではなく、間接的にトばしてしまう方法を、思いついたんですよ。
「『別の薬』で、『別の誰か』の『理性』を…トばしてしまえばいいってね。」
「な…ん、だって…っ!?」
漆黒を漂っていた黒尾の視線が、月島のもとへ刺さり落ちてきた。
月島はその強烈な視線に、本能的に唾を飲み込んでしまったが、
怯む自身を奮い立たせながら、ポケットから小さなカプセルを取り出し、黒尾に突き付けた。
「『赤』に染まる薬…『抗α剤』です。」
ホモ・オメガバースのαは、Ωの発するフェロモンの催淫効果には、決して抗えません。
特に、確定したつがいのいないαにとって、理性なんてティッシュの鼻栓より役立たずです。
そのため、αはΩの発情フェロモンに惑わぬように、αの情動を抑える薬を予め服用します。
これが『抗α剤』…Ωのフェロモン成分『オメガミン』を予防的に摂取することで、
擬似的に『つがい』が確定したと体に誤認させて、無闇矢鱈とΩに反応させなくする薬です。
…というのは、希少種αと絶滅危惧種Ωに限った、特殊かつ本来的な話です。
大多数の僕達一般人にとっては、抗α剤及び、その対を成す抗Ω剤は、
結婚初夜の必須アイテム…αΩの子孫として、『つがい確定』を模した儀式で使ったり、
最も一般的なのは、カップルがちょっとした『刺激』を求めて使う…催淫剤ですよね。
「体内に『α(Ω)』成分を取り込み、『αΩごっこ』に興じる…ステキなオモチャです。」
手間のかかる我らが引率に、日頃の感謝と激励を込めて…猫梟&月山からのプレゼントです。
全てを僕達と夏のせいにして理性をトばし…今宵だけは、夢中で恋してみてはいかがですか?
「アバンチュ~ル☆を、お楽しみ下さい。」
プレゼントもとい、『可愛いイタズラ』を月島が暴露しているうちに、
黒尾の表情は予想に反し、みるみる青ざめ…狼狽に声を震わせ、月島に詰め寄った。
「まさか、それを、赤葦に…っ!?」
「っ!?そ、そうですが…あくまでもオトナのジョークグッズで、無害なものらしいです…」
「無害、だと…っ!?んなわけ、あるかっ!」
「…ぇっ?」
黒尾は足元を縺れさせながら、困惑する月島を置いて合宿所へ駆け込んだ。
黒尾の登場に、ホールに集まっていた全員がニヤニヤ…だが、常ではない剣幕に息を飲んだ。
「おいっ!!赤葦は…どこだっ!!?」
「どこって、俺らは知らねぇ…つーか、黒尾と一緒に『GO TO HEAVEN』じゃねぇのか?」
しん…と、緊張感で張り詰めるホール。
そこに、場違いなほど暢気な慌て声が響き、場の空気を一時的に和ませた。
「ひゃぁ~っ!急に、すっごい雨ですよ~」
「や…山口!あ、赤葦さんは…っ!?」
少し前に裏口から戻っていた月島は、赤葦と一緒にいたはずの山口の元に駆け寄ると、
濡れた頭を丁寧にタオルで拭いてやりながら、小声で赤葦の居場所を尋ねた。
その場の異様な雰囲気に気付いた山口は、黒尾の冷え切った視線にビクリと背を震わせ、
咄嗟に月島の後ろに隠れたが…その肩を脇からやって来た研磨が支え、優しく問い掛けた。
「山口、おつかれさま。作戦は…?」
「えーっと、せっ、成功…完食、です。」
「それはよかった。んで、赤葦はどこ?」
「ひっ、独りで、岩場向こうの、蜃気楼を…」
研磨と山口の会話を遮り、黒尾は合宿所オーナーの息子に、強い口調で質問を飛ばした。
「木葉っ!向こうに…シェルターはっ!?」
「もっ、もちろんある、けど…っ」
「どこにあるっ!?今すぐ案内しろっ!」
「む…無茶言うなって!ここはリゾート…公衆トイレよりシェルターの方が多いんだぞっ!」
「岩場の向こうには、繁華街…シェルターに籠った赤葦を見つけるなんて、不可能だな。」
「ま、まぁ、シェルターの中なら、この豪雨にもあたってないはず…心配いらねぇだろ。」
部員達の言葉に耳を貸さず、黒尾は銀色のネックレスを首から抜き取ると、
大きく息を吸い込んでからホイッスルに口に当て…全員が耳を塞ぐ中、勢いよく吹き込んだ。
だがホイッスルから音は出ず、その代わり筒の胴体部分に、座標軸らしき数列を光らせ、
それと同時に、山口のパーカーの中が、黒尾のホイッスルと同じリズムで明滅を繰り返した。
「っ!!?なっ、何故、お前がそれを…」
「えっ、その…赤葦さんが、落として…」
「…そうか。悪い、それ…貸してくれ。」
「はっ、はいっ!!!」
黒尾は山口からネックレスを受け取ると、ありがとな…と引き攣った顔で礼を言い、
それを自分のポケットに入れ直してから、今度は自分のホイッスルを大きく吸い込んだ。
「黒尾…何で笛、吸ってんだ~???」
「気に…しなくて、いい。」
あまりにも珍妙な行動に、木兎はキョトンと黒尾を覗き込んだ。
その頭を、黒尾は先程までと真逆の穏やかな表情で、ごめんな…と微かに笑いながら撫でた。
「みんな、驚かせちまって…悪かったな~」
いつも通りの飄々とした空気が黒尾に戻って来たことに、全員がはぁ~~と、安堵のため息。
それにもう一度、黒尾はすまねぇ…と頭を下げてから、研磨に右手を差し出した。
「お前に、こいつを預けておく。」
これは、俺のホイッスルだ。
俺が持って行く方…赤葦の笛に何かあれば、救難信号と居場所が、俺の笛に通知されるんだ。
もし明日の正午までに俺達が帰って来なかったら、さっきみたいに笛先を指で塞いで吹いて、
黒ホイッスルとリンクしている、赤ホイッスルの所在地を特定し…捜索願を出してくれ。
あぁ、余計な心配は無用だ。
赤葦のことは、俺に全部任せてくれ。
ちゃんと覚悟決めて、カタつけてくるだけ…
二人で一緒に…暁を眺めてくるだけだから。
「夏のアバンチュ~ル☆に、二人で溺れてくるから…邪魔しないでくれると、凄ぇ助かる。」
黒尾は照れ臭そうにニカっと笑うと、ポカンとする面々に背を向け、ヒラヒラと手を振り…
わざとらしくあくびをしながら、のんびりした歩調で合宿所から出て行こうとした。
「ちょい待ち!クロはどうやって赤葦を見つけるの?犬じゃあるまいに、臭いを辿るとか…」
「大丈夫だ。そんな共鳴センサーなくても…俺にだけは、あいつの居場所はわかるから。」
木兎。それに、梟谷のみんな。
何があっても、赤葦は絶対に守るから。
俺を信じて…明日の昼まで、待っててくれ。
「プレゼント…さんきゅー、な。」
黒尾はティッシュで盛大に鼻をかむと、フィルター付の鼻栓を抜き、ポケットに捻じ込んだ。
そして、目を閉じて大きく深呼吸し…全く迷いの無い足取りで、豪雨の中へと消えて行った。
-
⑫へGO! -
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※BGM →サザンオールスターズ『夏をあきらめて』
※抗α(Ω)剤の仕組みについて →『αβΩ!研磨先生⑥』
小悪魔なきみに恋をする7題
『06.いっそ触れられない場所へ』
お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。
2020/09/18