奏愛草子⑥ (クロ赤編)







    (どう考えても、そういうこと…だよな!?)


俺は、エレベーターが苦手だ。
あの狭い空間にギュっと押し込まれる感じが、自由を愛する猫には論外という説はともかく、
感染症予防の観点からみた、『ソーシャルディスタンス』の確保云々というほどでもなく、
適正なパーソナルスペースが取れないことが、ちょいと落ち着かねぇな~といった程度の話。

ついでに言うと、エレベーターの『のぼり』よりも『くだり』の方が、より苦手だ。
別に低血圧というわけじゃないが、あの独特な浮遊感と息苦しさ…溺れた時を思い出す。
血圧低下速度よりも急激に、血の気が引いていく音が聞こえてくるのを振り払うために、
必死に歯を喰いしばって息を鼻腔から耳へ引き上げ…『耳抜き』をし続けている。

俺としては、必死の一言。
だがこの『必死の形相』が、隣に立つ人には不機嫌の極致に見えてしまい、
平均より頭一つ分大柄なのも相まって、随分と凶悪な雰囲気を醸している…らしい。

これは、俺だけに原因があるわけじゃない。
エレベーターのような閉鎖空間では、浮遊感と引き換えに『沈黙』を重く感じるのが通例…
その重さは同乗者との仲が『中途半端』なほど加算されるという、厄介な性質を持っている。
赤の他人なら沈黙の方が心地良く、家族や夫婦ぐらい深い仲だと沈黙を気にすることもない。
気心の知れた友人同士なら、ネタにして遊ばれるだけ…むしろありがたい。

難しいのは『友人以上家族以下』の場合、つまり『ビミョーなカンケー』の時だ。
例えば、ライバルチームの先輩と後輩、世帯主と同居人、腹黒と狡猾、筋肉布団と抱き枕…


「感情が顔に出ねぇ奴の沈黙…何か怖ぇな。」
「俺の感情…顔に思いっきり出てましたか?」

「そこは素直に…『同感です。』って言え。」
「ボケがわかりにくいんですよ…お互いに。」

「なぁ、今…俺の『ツッコミ』待ちなのか?」
「やだ、今…ソレ聞いちゃいます?助平っ。」

「その台詞は…もっとソレっぽい顔で頼む。」
「感情以外のモノが出ても…イイんですか?」

…な~んていう、ウィットに富んだ会話をしてくれるような相手だと、何の問題もない。
幸いなことに血圧低下を心配するほどの高層階でもないし、ファミリー物件で速度も緩やか。
凶悪な仏頂面の俺よりも、はるかに不愛想な無表情の相手だから、気も使わなくてすむし、
短い乗車時間の中で、ココロの方に『ふわっ』と浮遊感を与えてくれるとなると…

   (コイツと乗るのは…悪くねぇな。)


とは言うものの、俺達が一緒にエレベーターに乗るのは、極力避けた方が良い。
単体でもアレなのに、似たようなのが倍増すると、他の方々にご迷惑を掛けてしまう。

   (特に、このマンションは…)

ファミリータイプゆえに、ベビーカーや大荷物の御家族(複数人)さんも大勢いらっしゃり、
そちら様にぜひ、エレベーターの利便性と空間を有効利用して欲しいと思う。
健康で身軽かつ低層階に住む俺達は、ほとんど人の居ない非常階段を、悠々使わせて貰おう…

「今日のお風呂掃除…じゃんけんぽん!!」
「クソ!また俺が負けか…グ・リ・コ!!」

「お皿洗いは…あっちむいて、ホイっ!!」
「あー!また俺かよ…って、痛ぇっ!!?」

「デコピン免除するとは、言ってませんよ?」
「次から免除!あと、最初も次もグー出せ!」

「わかりました。デコピンの代わりにグー…」
「勝つ気満々だな、おい…よし、二回戦っ!」

赤葦となら、エレベーターだろうが非常階段だろうが、楽しいからどちらでも良い。
どちらでもいいが…そろそろ何かしらの『変化』を起こしても、いいような気もする。


「なぁ赤葦。じゃんけん勝負…やめねぇか?」
「賛成です。黒尾さん…俺に弱すぎですし。」



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俺は、エレベーターが苦手だ。
特にこのマンションでは、極力避けるようにしている。

黒尾さんからは『ファミリー向けの物件』と聞いていたが、それは半分だけ正解。
中層階の2LDKから上層階の3LDKを中心に、ご夫婦とお子さんという3~5人世帯が大多数。
でも低層階は、2人世帯向け…新婚さんもしくはカップルタイプと言われるものだった。

   (満ち溢れる…リア充な幸せオーラ。)


この『ご近所さん』達とエレベーターに乗り合わせた時の、何とも言えない気まずさたるや…
ラブくスウィ~トな空間を、俺が台無しにしてしまったような、居たたまれない気分になる。

   (俺…カップルに気を使うタイプですから。)

また、引越当日に確認済だが、この建物内の共用部…エントランスと管理人室、ゴミ捨て場、
地下駐車場とエレベーターホールには防犯カメラがあるが、エレベーター内にはないため、
カップルさんにとって、エレベーター内は絶好の『イチャイチャスポット』になっている。

俺が後から乗ろうとしたら、色濃い桃色の空気が残っている中で、無言を取り繕っていたり、
降りようと開く扉の前にいたら、向こう側で咄嗟に距離を取る姿が隙間から見えたりと、
同乗しなくても、乗り降り時にすれ違う時や、エレベーター待ちの時間も、何か妙に…重い。

   (他所様の幸せオーラで…重量オーバー。)


「明らかにチュウしてましたよね!?っていうのがわかる時…ちょいちょいありませんか?」
「あるよな~!堂々としてくれればいいのに、妙に照れ照れ…こっちの方が恥かしくなる。」

「ラブラブの残り香…エレベーターには感情を増幅&籠らせる作用があるように思えます。」
「全くの同感だ。ま、ドロドロの怨念渦巻く裁判所のよりはずっとマシ…可愛いもんだぜ。」

「以前、ラブホの物件調査に行ったんですが…こっちもかなりのドロドロ愛憎劇でしたよ。」
「怖っ!やっぱエレベーターはラブラブ増幅装置であって欲しい…イチャイチャ推奨だな。」


そんなこんなで、カップルに優しい俺達は、大物を購入した時等のやむを得ない場合を除き、
2フロア分を階段で移動…おかげで、『ご近所さん』とすれ違う機会もほとんどなくなった。

例えば、俺達より少し後に越してきたらしい、色違いのバスタオルを干しているお隣さん…
新婚さんの風のほんわかパステル系の蜂蜜色&若葉色な方々とも、未だお会いしていない。
(ちなみに、ウチのバスタオルも黒&赤の色違いだが、これは単なる名札代わりだ。)

「蜂蜜色&若葉色を、パステルっぽい横文字表現したら…何色でしょうか?」
「う〜ん、ハニームーン&フレッシュマウンテンとか…あっ、ストップだ!」

他愛ない話をしながら非常階段を上り切り、廊下に出ようとした所で、黒尾さんが急停止。
俺の腕を掴んで壁に背を付け、廊下から見えない位置に隠れて声を潜めた。

「エレベーターが開く…誰か降りてくるぞっ」
「了解!しばし待機…ニアミス回避ですねっ」


いや別に、回避する必要なんてないのだが、あれだけエレベーターの話をした直後だと、
何となくご近所さんと顔を合わせづらい…回避が最適解。さすがは黒尾さん。
予想通り、イチャラブな足音(二人分)がエレベーターからアチラ側へ…ん?ウチに近いか?

足音が響く長さから、どうやらウチのすぐご近所さんだと黒尾さんも同時に気付き、
二人で顔を見合わせ、そっと廊下に顔を出して確認…遂に『お隣さん』発見!

「やはり、カップル…お二人とも、かなりの高長身でしょうか?」
「玄関扉と比べたら、俺らと同じか…旦那様は俺よりデカいぞ。」

「奥様の方も、相当なモデル体型…なるほど、どちらも男性ですね。」
「遠目にもわかる程のイケメンと、ほんわかした雰囲気の仲良し…?」

何となくぼんやりと、記憶の中にある『そういう仲良しさん』を思い浮かべていると、
黒尾さんの方も似たような表情…そうそう、確か部活絡みで袖擦りあった、名前は…


「ちょっと山口。何ボケっと突っ立ってんの。僕は荷物持ってんだから…早く鍵開けてよ。」
「あっ、ごめんツッキー!何か声が聞こえた気がして…鍵、右のお尻だったよね~?」

「何でわざわざ、僕の鍵を使うのさ…」
「俺の鍵、家の中だし。どっちかが持ってればいいかな~って。はいツッキー…おかえり~」

「ただいま…おかえり、山口。」
「ただいまツッキー!!あのさ、明日…」


パタン、ガチャン。
玄関扉と鍵が閉まる音と共に、二人の会話が消え…そこからきっちり10カウント。
俺と黒尾さんは、自分の口を自分の手で覆いながら、声と足音を殺して猛ダッシュ&帰宅。
『お隣さん』とは反対側…建物外壁に面した寝室に飛び込み、布団を被って極秘会議を開始。

「ちょっ、あれ、まさか、本当に…!?」
「つ、ツッキーと、山口…だよなっ!?」

「何でこんなとこに、あのお二人が…?」
「知らねぇよ!俺が聞きたいぐらいだ…」

ここはファミリー向け…より正確に言えば、ファミリー『限定』の物件なんだ。
競売流れの部屋を法人取得した(ウチのボスから転貸された)、俺らみたいな例外を除いては、
自治体の補助金の関係で、このマンションにはファミリー以外は居住できないはず…

ここでいう『ファミリー』は、世帯主と親族関係にある、夫婦や親子はもちろんのこと、
結婚を目前に控えている婚約者同士や、内縁関係の者も含まれる…
それらを証明する書類を提出することで、家賃補助を受けられるという、特殊な物件なんだ。

「えーっと、烏野幼馴染コンビが出した、証明書…お二人のカンケーというのは、つまり…」
「何らかの理由で養子縁組した親族か…自治体が発行した、同性パートナーシップ証明書…」

   (いずれにせよ、あのお二人は…っ!)
   (そういうカンケー、ってこと…っ!)


立て続けに起こった、数年振りのバッタリ。
アチラはコチラに気付いていないから、『バッタリ』とは言えないかもしれないが、
コチラとしては黒尾さんとバッタリした以上の衝撃…心中ドッタンバッタン、血圧急降下だ。

「これは、マズいことになったな…」
「顔…少し合わせづらいですよね。」

何か物凄ぇ照れ臭いよな~って、そんな可愛い話じゃすまねぇだろ!
愛人もといソフレ兼シェア契約なんていう特殊事情は、外から見ても全然わからねぇし、
そもそも競売流れだとか法人の転貸だとかも、大家側と例外的に結んだ極秘条項だからな。

「もし『お隣さん』と、本当に『バッタリ』しちまったら…」
「当然俺達も、普通の『ファミリー』だと思われてしまう…」

これは、非常にマズい。
何がどのくらい、どうマズいのか等は、これから二人でおいおい考えるとして…
俺達がまずもってすべきことは、この一点だ。


「お隣さんは…危険!」
「だから…徹底回避!」




- ⑦へGO! -




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※パーソナルスペースについて →『隣席接客


ドリーマーへ30題 『23.低血圧』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。



2020/05/23

 

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