※黒尾作『ミニシアター(抜粋)』の続き。



    奥嫉窺測(1)  ~月王子息①







「えっと…どちらさま、ですか?」


世界にヒビが入る音がした。

ピシ!っていう破裂音とか、バキ!みたいな破壊音ではなく、
実に丁寧かつ遠慮がちで、控え目な…僕達を誰何する声だった。

最初、この言葉の意味が全くわからず…いや、意味は当然わかるのだが、
その言葉が何を意味しているか…発せられた理由が、微塵も理解できなかった。

僕がその意味を考えようとして…でも、本能的にそれを頭が拒否し、
ご丁寧な質問に何も答えないまま、黙って首を傾げていると、
荷物を半分持とうとしていた兄も、真横で同じように首を傾げていた。


「どちらさまって…どういう意味?」

兄はいつも通りの笑顔を無理矢理貼り付けて、明るい声で質問をし返したが、
その声はいつもより半音高く…それが世界に入ったヒビを、少し広げた。

兄も一瞬で違和感を察したようだが、僕よりも無駄に歳を取っているだけあり、
本能が拒絶したがっている現実に対し、息を吸い込んで身構えていた。

僕がそんな状況を、意外と細かく把握していたのは、恐らく現実逃避の表れ…
来るべき崩壊から目を背けるため、周りのことばかりに目を向けていたからだ。


「どちらさまっていうのは、そのままの意味で…」

俺に付き添ってくれたり、迎えに来てくれるような、身近な人?だろうけど、
俺、二人の知り合い?かどうかもよくわかんなくて…すすすっすみません!

「むしろ『どちらさま?』なのは、俺自身…なカンジ、だったり…」


そのセリフを聞いた瞬間、兄は僕達を後部座席に押し込んだ。
あまりに急な動きに、僕達はされるがまま呆気に取られていると、
兄は運転席に座って、まるでエンジンをかけたかのように大きく深呼吸…
クルリとこちらを振り返った時には、記憶にないぐらい真剣な表情をしていた。

「君の名は、山口忠。健康優良な高校1年生男子だよ。
   そして俺達は月島明光と蛍。忠とは幼馴染…家族ぐるみの付き合いだよ。」

今はよくわからないかもしれないけど、知らない人に誘拐…とかじゃないから。
俺達月島家の人間は、忠を傷付けるようなことは、絶対にしない。安心して。

俺は今から、忠の家族…出張で上京中の両親と、ウチの自宅、
それから、学校の先生とかに話をしてくるから…蛍から現状の概要を聞いて。

「蛍。とりあえず今は、部活中に起こったことだけを忠に説明。任せたよ?」
「…わかった、兄ちゃん。」

兄はテキパキと僕に指示を出し、僕と山口の頭を撫で、車から出て行った。


「それじゃあ、ざっくりと現況を説明するから。」
「あ、うん…よろしくお願いします。」

今日ほど兄の『構いたがり』を、頼もしいと思ったことはなかった。
僕に『すべきこと』を与えてくれたおかげで、僕は途方に暮れずに済んだ。

何もわからない山口に、今日の出来事…部活中に後頭部強打&脳震盪を起こし、
おそらくそれが原因で、記憶を喪失しているらしいことを大まかに説明した。
そして、山口に説明しながら、僕自身も冷静に…『現実』をしっかり確認した。

現実を『確認』することはできたが、到底『納得』などできるわけはない。
でも、ここで僕が混乱してしまうと、山口がパニックを起こす恐れもある。
だから僕は、山口には見えないように、鞄の下で震える拳を抑え付けながら、
必死に恐怖と戦い…表面上は極めて淡々と『いつも通り』を装った。


10分程で兄は車に戻って来た。
方々と折衝した割には、随分迅速だろうけど、僕は10倍ぐらい長く感じた。

「学校側とは話が付いたよ。お前らの担任が、俺の元担任で…助かった。」

あと、山口先生…忠のお母さんとお父さんにも、連絡取ったよ。
これからすぐ、先生の大学の附属病院へ行って、検査することになったから。
先生達は明日晩にしか帰れないらしいけど、病院側には話を通してくれてる。
ウチの父さん母さんにも説明して…病院で落ち合うことになったよ。

「疲れてるだろうけど、脳に障害が残ったら大変だから…ちょっと頑張って?」
「はい…ありがとう、ございます。」

山口からの余所余所しい謝辞に、兄はバックミラーの中だけで息を飲んだが、
すぐに笑顔で振り返りながら、しゅっぱ~つっ♪と声を上げ、車を走らせた。


車の中でも、兄はひたすら喋り続けた。
いつもは鬱陶しくてたまらない兄のお喋りが、今日はやたらと心強く聞こえる。
他愛ない日常の話や仲良し月島&山口家の話を、山口は興味深そうに聞き入り、
時折僕も条件反射で茶々を入れて笑い合う…表面上は朗らかな時間を過ごした。

今思えば、この穏やかさは嵐の前の静けさ…崩壊直前の均衡状態だったが、
この『ワンクッション』があったおかげで、衝撃が相当緩和されたんだろう。
山口自身も、兄の明るさと細やかな気配りで、リラックスしていた…
まるで『いつも通り』みたいに。


時間外にも関わらず、大学病院にはスタッフや先生(研究者?)達が待機し、
特別待遇でコトが進み(間接的に山口先生の偉大さを再確認した)…
山口の脳に損傷はなく、記憶障害も一時的なものだろうという結論が出た。

検査結果に安心する一方で、取り得る手段は『様子見しましょう』しかない。
何がきっかけで記憶が戻るかわからないから、思い出話をたくさんしながら、
できるだけ『いつも通り』の日常生活を送ること…それしかできなかった。


この結果や指針は、ある程度予想していたから、別に驚かなかった。
僕が一番驚いたのは、検査途中から合流した…父のことだ。

ウチの父さんは、身内が断言できるぐらいの身内贔屓…いや、正確に言うと、
身内以上に、ほぼ身内の忠君超絶贔屓…山口を溺愛しまくっている。
そんな父さんが、激可愛い忠君が自分のことを忘れてしまったと知れば、
誰よりも大パニックを起こし、その場で卒倒するんじゃないかと心配していた。

母さん達も、父さんの崩壊を一番恐れていたようだけど…予想は裏切られた。
兄ちゃん以上に父さんは泰然…病院側等と協議し、『忠サポート体制』を構築。
むしろ父さんの方が記憶喪失で人格変貌か…?と思う程、頼もしく見えた。

もしかすると、これが仕事時等の『オフィシャルな姿』かもしれないけど、
僕は…僕だけでなく、母さんも兄ちゃんも、その威風堂々とした凛々しい姿に、
隠しようもなく誇らしさを感じ、安心感を覚え…僕の手の震えも収まっていた。

   (父さんも兄ちゃんも、凄い…っ)


検査であっちこっち回る間、母さんが付きっきりで世話…『お母さん』をした。
兄ちゃんは再度学校に連絡したり、バレー部関係者に話をしてくれたり…
父さんも母さんも兄ちゃんも、身内の僕が褒めたくなるほどの動きだった。

僕でさえそうなのだから、月島家の献身を受けた山口は、言うまでもない。
逞しく優しく、そして賢く立ち回り、自分をしっかりと守ってくれる存在に、
記憶を失った不安を忘れ、心からホッとした表情を見せていた。

   威厳ある父、慈愛溢れる母。
   そして、明るく頼れる兄…

何もできずに、山口の隣でただ茫然と皆の様子を眺めているだけだった僕は、
今の月島家の面々を『何も知らない人』が見たら、そう誤解するかも…
父さんのデレッデレや母さんのド天然毒舌、兄ちゃんの軽薄さを知らなければ、
物凄く優秀な家族だと騙されるかもしれないな~と、内心笑いを堪えていた。

   (えっ、それって、もしかすると…)


暢気に構えていた僕は、ある可能性に思い当たり、背筋を凍らせた。
それを確認すべく、恐る恐る『何も知らない人』を観察してみると…

僕達家族に対し、病院のスタッフさん達から注がれる視線は、
   『ダンディで素敵なおじ様♪』
   『聖母のような優しいお母様』
   『将来有望なイケメン実業家』
…といった、キラキラした桃色。これは『いつも通り』で珍しくも何ともない。
(結構な詐欺っぷりだとは思うが。)

問題は、僕の真横から発せられる、一番ピカピカと輝く視線だった。

「月島家の人達って…凄いね~っ!!」
「っっっーーー!!!?」

尊敬と思慕、そして憧憬。
月島家の『いつも通り』を知らない…忘れてしまった山口の瞳からは、
紛れもなくそういう感情に満ち溢れた、目映い色の光が放たれていた。

   (この状況は…マズいっ!!)


記憶喪失後に初めて触れ合った『ほぼ身内』に、無条件に惹かれながら、
生まれたての雛鳥の如く、月島父母兄の姿を『新たに』記憶…
山口の真っ白な脳に、そんな大間違いな情報が『刷り込み』されつつあるのだ。

このままでは、ウチの父さんが立派な紳士で、母さんがひたすら優しくて、
兄ちゃんが頼りがいがあるなんていう、とんでもない『大誤解』をしてしまう…

   (じょ…冗談じゃないっ!!)


僕は山口の視界から、月島家の面々を遮ろうとして…その動きを止めた。
山口の目の前で、文句なしに『凄い!』ところを存分に披露しまくった父母兄。

   (それに対し、僕は…?)

保健室で山口が目覚めてから、僕がしたことと言えば、
保健の先生と兄ちゃんに連絡を取っただけで、その後は…

   (僕は、『何もしていない』…っ!)

目覚めてからただ傍に居ただけで、特に何もしていない…『居るだけ』の僕。
身内の目から見ても『凄い!』働きをこなした家族達に比べて、
僕は山口のためになるようなことを、何一つしてないのだ。

   (僕は、山口から…どう見えてる?)


出会ってこの方、山口から僕がどう見えるのか…山口の『視線』なんて、
一度たりとも意識したことはなく、山口が僕をどう思っていたのかすら、
今まで僕は全くと言っていい程、考えたことがないと…今更気付いてしまった。

   (山口は僕のことを、どう…)

いつも傍に居て、二人で一緒が『当たり前』だと思っていた…僕と山口の世界。
でも実は、山口が僕のことをどう想い、どんな視線を寄越していたのかすら、
僕は知らなかった…『世界』をちゃんと見ていなかったのだ。


記憶を失い、僕との『当たり前』も失ってしまった山口の目には、
ただ傍に居るだけで『何もしない』僕の姿が、どう映っているのか?
そんなものは、山口の視線を確認するまでもなく、わかりきった答えだ。
背筋も指先も、脳内全てが凍り付き…『世界』に入ったヒビが、更に広がる。

   (山口の視線…見たくない…っ)

今、何の色も宿していない、山口の視線を感知してしまったら、
僕の『世界』はきっと、壊れてしまう…だから、目を逸らしておこう。

卑怯で弱い僕は、やはり現実から逃げる道を選択してしまった。
じわりじわり…無意識の内に、真横の山口から距離を取り始めていた…その時。

山口は僕の方を見ないまま、当たり障りのない『常識的な言葉』を口にした。


「しばらくの間は、色々と迷惑掛けちゃうかもしれないけど、
   よろしくね…『月島君』?」


せっかく視線からは逃れたのに、容赦なくその瞬間が訪れてしまった。

僕の『世界』が崩壊する音。
それは、何の色もついていない…僕を『月島君』と呼ぶ、山口の声だった。




- (2)へGO! -




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それは甘い20題 『06.視線』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2017/11/04   

 

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