泣き疲れた及川は、岩泉にしがみ付いたままズルズル…そのまま寝てしまったようだ。
岩泉はそんな及川に一切構わず、無言で八ッ橋を咀嚼し、ズズズズ~とお茶を啜り続けた。
『一切構わず』とは言うものの、それは最大級の褒め言葉だ。
普段の岩泉は、及川との接触を極力避けていたし、隣に立っている時はドツキ漫才…
『阿吽の二人が一緒に居るだけ』という状況は、ほとんど見たことがなかったのだ。
(なんか、その…落ち着かない。)
(見ていられない、っていうか…)
(普通に『阿吽』も…できるんですね。)
(そういやぁコイツらも、主人と執事…)
まるで夢浮橋のように、今この瞬間だけ仮初めに掛かって見える…及川と岩泉の縁。
じっと眺めていたい気持ちと、見るのを憚ってしまうような気恥ずかしさとに挟まれ、
四人は誰とも視線を掛けないよう、考察の余韻に浸りつつ刻の流れに意識を揺蕩わせた。
そんな四人に聡く気付いた岩泉は、「赤葦、お茶のお代わり…頼む。」と言いながら、
おこた布団を及川にしっかり掛けて四人の視界に入れないようにし、静かに話を始めた。
「俺が『阿吽が逆』の真相に気付いたのは、西宮神社の福男神事をテレビで見ていた時だ。」
福男を決める『走り参り』ばかりが注目されてるが、それ以外にも珍妙な儀式や風習がある。
神馬で練り歩くえびす様が、トゲで目を突いてしまわないように…という配慮から、
神社入口だけでなく、街中の門松をわざわざ『逆さ』にしている…とか言ってたんだ。
「へぇ~、門松を…ですか。確か門松は、簀巻きにされた素戔嗚尊の姿、でしたよね?」
「んでもって、そのまま水を掛けられ、橋から逆さ吊りにされたんじゃなかったっけ?」
「おやおや、素戔嗚尊とえびす様は御兄弟…親御さんは日本一有名な夫婦神ですね。」
「えびすはイザナギ&イザナミの第一子だが、手足のない『ヒルコ(蛭子)』だった。
だから両親は、葦舟に乗せて流した…漂着神をえびすって言うのは、ここからだ。」
夫婦神=二渡神=にわとり。
えびすが「ニワトリは嫌い!」だと言いたくなるのも、無理もないだろう。
ちなみに、鬼渡系の神を祀る神社では、ニワトリが描かれた絵馬を『逆さ』に吊るし、
水をかけるという神事が行われている…これもかなり意味深な繋がりではなかろうか。
「街中に簀巻き&逆さ吊りにされた兄弟の姿を晒され、その中を練り歩く…歩かされる。
なぁ、これって本当に…えびす様に対する『配慮』と言えると思うか?」
岩泉の問い掛けに、四人は息を飲んだ。
なぜここまで、西宮神社および二渡系の神社は『逆さ』にこだわるのか…?
「いくら親兄弟が嫌いでも、他人から蔑まれ拷問される姿を晒されるのは、気分悪いですね。
それに蛭=蛇の形状も、『目を突く=片目』というのも…タタラを容易に想像させます。」
「っていうかさ、絵馬のニワトリだって、素戔嗚尊と同じように逆さ吊りで水かけられて…
兄弟だけじゃなくて、御両親の方も…一家そろって散々な扱いじゃない?」
兄弟の素戔嗚尊だけでなく、親のイザナギ&イザナミも、大切に…の『逆』にしか見えない。
だとすると、本体のえびす様を『祀る』というのも、同じように『逆』という可能性は…?
「この地図、見てみろよ。」
黒尾はタブレットを取り出すと、西宮神社の公式サイトにある、境内略図を拡大した。
西宮神社境内略図(クリックで拡大)
※西宮神社公式サイトよりお借りしました
「諸説あるが、西宮神社が元々あった場所は、『菟原郡』…宇治とは兎で繋がったな。」
「月との関わり以外にも、兎と蛇に関する考察も…いずれ深くやってみたいですよね。」
それはまぁ、今回はいいとして。
地図(本殿)の真下に『南門』があり、その傍に『神苑』つまり『神様の庭』があるだろ?
かつてはその庭で鳥を…ニワトリを放し飼いしてたらしいんだ。
「えびす様はニワトリが嫌い。
だから、えびす様が神社から『逃げ出さないように』…放していたんだとか。」
福男神事で開門される『表門』は、地図の右。
そこから、松林を抜けて『カクっと曲がって』本殿へ向かう…転倒しまくりポイントだ。
そして、神聖なる霊は『まっすぐ』にしか進めない…鬼に横道なし、だからな。
「つ、つまり…参道が『カクっと曲がって』いる、ということは…っ」
「えびす様は参道を通って外には出られない…直進したらニワトリの神苑で、そこは…っ」
「神苑も、参道も、えびす様を逃げ出せねぇように作ってある…ってこと、だから…っ」
「えびす様は、大切に祀られているというよりは、その逆…『封印』されてるんですね…っ」
カクっと折れ曲がった参道。
まっすぐ進んだ先には、苦手なニワトリ。
たとえ外に出ても、街中に兄弟の無惨な姿…
全ては、えびすを閉じ籠めておくために。
「福男神事は、神社の中に『入る』儀式じゃなくて、その逆…」
「外に出たえびすを、中に『戻す』ためのもの…えびす達が『帰ってくる』神事なんだ。」
「福男神事も、ニワトリも、阿吽も…『逆』のキーワードで繋がり…全てが掛けられた。」
ガラガラと音を立てて崩れる、既成概念。
『阿吽が逆』という小さな疑問が、宇治や福男に繋がり、見えていた世界を一変させた。
予想だにしなかった…いや、ある程度予想していたが、明白な証拠を眼前に晒される衝撃は、
そんなに軽いものではなく…月島・山口・岩泉の三人は、重い口を閉ざして首を垂れた。
幾許の時が過ぎ、沈黙に押し潰されそうになった頃。
あっ…と微かに震える声で呟いた赤葦が、おこたの上にそっとスマホを乗せた。
「俺の疑問も…一つ、解けました。」
画面上には、相合傘をする仲良しな石像?の写真が映っていた。
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「こんなに近くに…俺達の目の前に、ずっと前から『阿吽が逆』の答えがあったんだな。」
表立って「阿!」と口にしなくても、「吽。」という形で饒舌に語りかけていた。
でも俺達は、その声に全く気付かなかった…『阿吽が逆』の理由なんて、考えなかった。
俺達が『阿吽コンビ』だって言われなきゃ、俺も興味すら示さなかったはず…
下手すりゃあ、俺と及川の『どっちが右(左)か?』っていう、ただの腐向けネタだしな。
「阿吽に関する考察を経て、俺のキモチは固まった…いや、変わらなかったな。
『阿吽』だろうが、その逆の『吽阿』だろうと、俺は…俺達は、変わらない。」
岩泉の断言…なぜか穏やかな声で。
それを聞いた全員が、ゴクリと喉を鳴らし…緊張した面持ちで岩泉に注目した。
「えーっとそれはつまるところ、及川さんと岩泉さんの、『どっちが阿(吽)』論争に…」
「ケリがついたというか、決心がついたというか、もしくは『阿吽も吽阿もアリ』的な…」
ムフムフとステキな含み笑いを隠しきれない月島と山口は、下品上等!と身を乗り出した。
だが岩泉は、そんな二人に定型句のドツッコミをお見舞いせず、柔らかく微笑んだ。
そして、一転…ごくごく真剣な表情で、月島と山口に問い返してきた。
「なぁ月島。お前は常に傍に居る幼馴染だったから、山口を…コンビに選んだのか?」
「いえ。たとえ僕達が幼馴染じゃなくても…僕は山口を、選んだ…に、違いありません。
たくさんの選択肢の中から、僕は僕に相応しいコンビを…自分の意思で、選びます。」
「もし月島が幼馴染じゃなかったら、山口は月島の傍に…居たと思うか?」
「地味キャラの俺が、輝くイケメンと一緒に居るなんて、幼馴染以外じゃあり得ないかも…
だけど俺は、どんなにツッキーが面倒臭い奴でも、どんなカンケーでも、傍に…居ます。」
まさかコッチに話を振られるとは思ってもみなかった二人は、咄嗟に『まっすぐ』の答えを…
嘘偽りのない想いを、コンビの相手に渡してしまい、阿っ!と声を上げて大赤面した。
それを間近に見ていた黒尾と赤葦は、ニヤニヤとほくそ笑むも、すぐにその顔を引き締め、
岩泉と目を合わせないように、ソッポを向いて視線を泳がせようとしたが…一瞬遅かった。
実直でまっすぐな岩泉には、嘘を吐けない。
黒尾と赤葦は身構えることもできず、自然と岩泉の問い掛けに答えていた。
「もし運命的な『七夕の出逢い』がなけりゃ、黒尾は赤葦を…織姫を傍に置かなかったか?」
「確かに、俺達の出逢いは劇的…まさに七夕だったし、織姫と彦星の願いも、叶えたかった。
だが、赤葦を置いたのは、七夕の二人のためじゃない…俺自身のために、そうしたんだ。」
「黒尾が赤葦にとって、奇跡的無臭の存在じゃなかったら…押しかけ執事にならなかった?」
「そんなものは、単なるきっかけと…黒尾さんのお傍に居るための、口実でしかありません。
黒尾さんが彦星じゃなくても、俺は二人の間に…夢を叶えるウキウキ橋を掛けましたよ。」
こちらは、今まで聞いたことがなかったお互いの『まっすぐ』に、吽っと呼吸を止め…
感極まったものを飲み込むように、盛大な音を立てて同時に宇治茶を飲み干した。
らしくない黒尾達の『まっすぐ』な姿と言葉にも、岩泉は真剣な面持ちで深く頷き返した。
そして、ふぅ、と大きく息を吐いてから、ふわり…おこた布団を少しだけ捲った。
肩付近まで出てきた及川は、寝る前よりも更に強く、岩泉に抱き着いていた。
「ばーか。痛ぇって。」
そう言いながらも、岩泉は穏やかに微笑み、サラサラな及川の髪を慣れた手つきで撫でた。
コイツ、まだ寝惚けてんな…と、「これがいつも通りの日常」といった態で肩をすくめ、
及川を起こさないように、声を落としてゆっくりと『まっすぐ』を語った。
「俺も、お前らと…同じだよ。」
俺がコイツとコンビを組んだのは、800年前からの因縁でもねぇし、幼馴染だからでもない。
家業やら歴史やら、切りたくても切れねぇ繋がりはあるし、選択肢だって少なかった。
勿論、運命的な出逢いや奇跡的な体質合致とも無縁…言っちまえばただの腐れ縁でしかない。
「それでも俺は、コイツを選んだ。」
及川はどうか知らねぇが、俺には過去800年間の『前世の記憶』的なのも残ってないから、
その間に『阿吽』だか『吽阿』だか、『ぁん♪ぅん♪』なカンケーがあったかどうかも不明…
本当に一緒に輪廻を繰り返してるかどうかだって、何の確証もないんだからな。
「そんなもん…知ったこっちゃねぇよ。」
どっちが阿(吽)か、これからもわからねぇ。
阿吽か吽阿か、はたまた『ぁん♪ぅん♪』かも、はっきりしない。
来世どころか、盃九学園を卒業する来年度は、『主人&執事』ですらないかもしれない。
それでも、俺は…
「コイツと一緒に居たいから、居る。
ただそれだけのこと…だよ。」
おこたが揺れるほどに、強く強く岩泉にしがみつく…無言の及川。
痛ぇっつってんだろうが…と、岩泉は頬を緩めたまま、及川に再び布団を掛けた。
- 完 -
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※浅草神社と夫婦狛犬 →『奥嫉窺測(11)』
※ひょっとこ、笹に雀 →『鳥酉之宴』
彼に強引にされる5題⑤
『本気で嫌がらねぇと、やめないぜ?と
抱き締めて離してくれない』
2020/01/22