「あ、赤葦さんお疲れ様です!今日は…早退、ですか??」
「山口君もお疲れ様。早退…というわけではないんですけどね。」
今日も第三体育館に月島をお迎えに行った山口は、入口付近に佇む赤葦を発見…
水道で流した汗をタオルで拭きつつ、体育館内を時折窺っているようだった。
さっき日向達とすれ違ったから、これから『お片付けタイム』のはず…
それなのに、体育館の外で風に当たっているのは珍しいし、様子も何だか妙だ。
赤葦はタオルを頭にかけたまま、微妙な表情でチラリと館内に視線を送り…
それを追い掛けた山口は、奥に見えた光景に、声を失って卒倒しそうになった。
入口から一番遠い場所…用具室の前で。
仰向けに寝転んだ月島。その太腿の裏を持ち上げながら覆い被さる…黒尾。
キツそうな表情で眉間に皺を寄せる月島の耳元に、黒尾は何やら囁いていた。
(ちょっ、な、何ヤって…っ!!?)
ドン!!と、アタマの中で火が点きそうな音…館内に突撃しそうになったが、
冷静な一言と共に赤葦にガッチリ肩を抑えられ、山口はその場に踏み止まった。
「只今、『放課後の個人レッスン』中…単なるストレッチですよ。」
「っ!!?あっ、そっ、そう、なんですか…あ、ははははは〜っ!」
いやいやいや、ちょっと待って下さい。
単なるストレッチ…要するに、練習後のクールダウンってことでしょうが、
それを『放課後の個人レッスン』って表現は…余計にヤらしいんですけど!!
(赤葦さんが言うと、さらにヤらしさが倍増してる気がするんですけど。)
…と、赤葦にもツッコミを入れそうになったのを、山口がグっと堪えていると、
赤葦は『黒尾先生の個人授業』についての詳細を、淡々と教えてくれた。
「あれこそが、黒尾さんの人タラシ…人心掌握術の神髄ですよ。」
ここ第三体育館の自主練後も、クールダウンの柔軟体操は徹底させてます。
その際に、誰とどう組むかは、日替わりで決まる…黒尾さん次第なんです。
皆の前では指摘し辛い部分があったり、聞きたいことがありそうな顔…
そういう人を敏感に察知して選び、個人的に指導&相談する『課外授業』です。
柔軟体操で負荷を掛け合い、密着している時に、コッソリとアドバイス…
リラクゼーションとスキンシップを兼ねた、イたれりつくせりタイムですね。
リエーフ曰く、音駒さんでも日常的に実行されてるそうなんですが、
カラダを労わって貰えるし、話も聞いて貰えるし、ヨシヨシ褒めて貰えるし…
全然怒られてるカンジがなくて、つい素直に言うこと聞いちゃうんですよね〜
…だそうですよ。
「あの木兎さんでさえ、黒尾さんに組み敷かれている間は大人しいですから。」
「確かに!ツッキーも、えらく素直でイイ子に…脚を開いてますよね。」
この技は、是非とも見習うべし!
そう思って、俺も梟谷で時々実践…日頃のアレコレをグググ♪っと乗せながら、
ギブアップを宣言するまで徹底的に躾けることに、一時は成功してましたが…
最近は『赤葦の拷問タイム』と悪し様に言われ、全員に警戒されています。
挙句の果てに、数人掛かりで俺にヤり返そうという、不埒な作戦まで…
まぁ、全員ひっ捕らえて『お説教』し、事なきを得ましたが。
「黒尾さんだって、結構キツいことをズバっ!!と仰ってるのに、
誰も黒尾さんにヤり返そうとしない…不思議でたまりませんよね。」
技術は完全に真似したんですよ?
こちらが負荷を掛けている間に、相手に質問を投げかけておき、
相手にこちらが負荷を掛けられる間に、その答えを考えさせる…
こうすることで、ヤり返そう!だとか思う間もなく、次の質問にイくんです。
心理学的にも有用な技…完璧に真似たつもりでも、やっぱり駄目なんですよ。
「俺なんかより、黒尾さんの方が余程…『猛獣使い』だと思います。」
「ツッキーが、嬉しそうに笑ってる…もはや俺には『魔法使い』に見えます。」
何と言うか、その…羨ましい。
心の中で呟いたつもりだったのに、二人は同時に同じセリフをポロリしていた。
それに自分自身で妙に焦ってしまい、お互いに早口で言い訳を捲し立てた。
「う、羨ましいというのは、その…俺もあんな風に、えーっと…
口煩いツッキーを、たまには黙らせてみたいなぁ~って…ちょっとだけ!」
「お、俺も、あのテクニックを、巧く使えるようになりたいなぁと…
そ、そうだ!練習がてら、俺のお相手を…お願いしてもいいですかっ!?」
実は、俺はまだ柔軟体操してないので、手伝って頂けると助かります。
もうそろそろ、館内に入っても大丈夫な頃合いでしょうから…
赤葦の依頼に、山口は笑顔で快諾。
お互いに、いざという時のために…練習しときましょう♪と、
黒尾達から少し離れた場所に陣取り、二人で柔軟体操を始めた。
「凄っ…山口君って、めちゃくちゃ柔らかいですねっ!?」
「一応、烏野ではナンバーワン…『軟体動物』の称号を貰ってます♪」
赤葦が遠慮気味に山口の背に手を添え、前屈すべく負荷を掛けていくと、
抵抗らしい抵抗は全くないまま…へちょり、とお腹が床に着いた。
当然のように、左右にも前後にもペタ~っと180度開脚…恐るべき柔軟性だ。
「力に反発せず、受け止める柔軟性。それでいて、芯はしっかりしている…
山口君のしなやかな内面を、カラダが見事に表していますね。」
(本当に…羨ましい限りです。)
強く硬い骨ばかりが集まっても、全体として『強い体』にはならない。
硬いもの同士がぶつかり傷付け合わないよう、骨と骨の間でクッションとなり、
力を受け止めて伝えていく…軟骨のような組織がないと、壊れてしまう。
強烈な個性集団をまとめ、力を発揮できる素地を作り得るのは、軟組織…
それを本能的に見抜いた人物が、山口を『軟体動物』と命名したのだろう。
全く以って慧眼…烏野の一年は、山口なくしてはただの烏合の衆でしかない。
(山口君は…似ている、かも。)
大きく頑丈な器で、ガッチリと受け止め支えてくれる…黒尾さん。
対する山口君は、伸縮自在な柔らかい器で、スッポリと包み込んでくれる。
タイプは違えど、黒尾さんと山口君からは、少し似た空気を感じるのだ。
絶対的な安心感…だからこそ、二人の傍が心地良いと思ってしまうのだろう。
それ故に、月島君や俺みたいなガッチガチなタイプですら、いとも簡単に…
いや、俺達みたいなタイプ程、あの包容力に…ドップリとハマってしまうのだ。
「月島君が…羨ましいですね。」
「いつも俺の『ふにゃふにゃ』具合を、ツッキーも面白がって遊んでますよ~」
確かに、これは面白いが…
赤葦は山口の誤解を訂正することなく、そうですね…と、微笑み返した。
それじゃあ、交代しましょう!と、山口は立ち上がって赤葦の後ろへ移動し、
背中を優しくさすってから、少しずつ前へ体重をかけ…ながら、歌い始めた。
「も~しも~し亀よ~ 亀さんよ~♪」
「えっ!?な、何、ですかっ!!?」
思わず返事を返してしまった赤葦に、山口は一瞬キョトン顔…
そして、「すみません、ついいつものクセで!」と、朗らかに照れ笑いした。
「俺、いつも柔軟の時は、ツッキーとばっかりヤるんですけど…」
俺達は幼馴染だし、今も同じクラスで、身長順だとツッキーの次が俺…
体育の授業で二人組を組んでも、ツッキーと俺はいつも一緒なんですよね~
それで、面倒な柔軟体操を少しでも楽しもう!っていう作戦として、
小さい頃から、柔軟体操で負荷を掛け合う時は「1、2、3…」の代わりに、
七五調の歌をワンフレーズずつ歌って、リズムを取ってるんですよ♪
歌はその日の気分によって決まる…何が出てくるか、毎回楽しみです~
「『も~もたろさん ももたろさん♪』『う~らの畑で ポ~チが哭く~♪』…
大抵の童謡は七五調なんで、歌詞と曲を交換して歌ってみたりするんです。」
例えば、『夕焼~け小焼け~の 赤とんぼ~♪』っていう歌詞を、
『ほた~るの光 窓~の雪~♪』の曲で歌ってみるとか…です。
超オススメは、『どんぐりころころ』の曲に合わせて『水戸黄門』の歌を歌う…
「『人生楽ありゃ 苦もあるさ~っ♪』って…全然違う歌に聞こえるでしょ?」
「ちょ…わ、笑わせないで下さいっ!」
苦なんてカケラも感じない、楽ばっかりなポップな曲に激変…
あまりの変わりっぷりに赤葦は思い切り吹き出し、腹を引き攣りそうになった。
柔軟体操の途中で、変な格好?をしていたこともあり、脇腹を押さえて転がり…
超絶レアな赤葦の爆笑&抱腹絶倒に、嬉しくて堪らなくなった山口は、
歌を歌い続けながら、コロコロ転がり回る赤葦の脇腹をコチョコチョ擽ると、
赤葦も負けじと山口の腰をツンツンとヤり返し…二人で笑いながら悶絶した。
「おいおい、やけに楽しそうだな。」
「二人で…何ヤってんの。」
赤葦と山口の楽しそうな笑い声に、黒尾と月島がわらわらと寄って来た。
ケタケタ転がる二人を見下ろしながら、月島は憮然と山口を赤葦から引き離し、
黒尾は笑い過ぎてゼェゼェ喘ぐ赤葦を支えて起こし、背を撫でてやった。
「何って…黒尾さんにヤって貰うとすっごい気持ちイイって聞いたから、
羨ましいな〜って…俺達も練習してただけだよ〜♪」
「月島君も、ずいぶんトロ〜ンとして…そんなにヨかったですか?
二人だけでオタノシミなんて、ズルいですから…俺達もシてただけです。」
ねー♪…と、仲良く顔を見合わせ、一緒に首を横に倒す、赤葦と山口。
その仕種こそズルいっ!というセリフを飲み込み、二人はわたわたと弁解した。
「確かに、凄い気持ちヨかったけど…僕達はただ…ストレッチしてただけ!」
「そうだぞ!ヤマシイことなんて…これっぽっちもないからなっ!」
月島と黒尾は、完全に誤解が解けると思い、素直に弁解した…つもりだった。
だが、これが燻っていた山口の火を、ドカン!とおこしてしまった。
「あーそうなんだー。じゃっ、俺も今から、黒尾さんにシてもらおっかなー」
「だ…だだだっ、ダメ!絶対ダメ!そんなハレンチなこと…許さないからっ!」
「ハレンチねぇ…やっぱ、そういうヤマシイ気持ちがあったってことでしょ!?
そうじゃなきゃ、俺が黒尾さんとヤったってイイよね~っ!?」
「違っ!もし、その、ストレッチの途中で何らかしらの『事故』が起こって、
山口が僕以外とチュー…とかになったら、ダメでしょっ!っていう意味!!」
「ふーん。ツッキーは黒尾さんと、そんな『事故』が起こりそうなことを…」
「ぼ…僕はいいの!でも…山口は絶対にダメだからね!!」
うっわ、出たよ、『僕はいいの』理論…自己中はなはだしいな。
月島君に勝ち目はない…さっさと完全降伏して謝るべきですね。
…ではなくて。
呆れ返りつつ幼馴染共の喧嘩を眺めていた、黒尾と赤葦の二人は、
会話中に含まれていた言葉の意味に、遅ればせながら気付き…慌てふためいた。
「お、おいっ!ツッキーは今、『僕以外とチュー』って…言ったよなっ!?」
「え、えーっと、つまりそれは…お二人は事故じゃないチューをする仲!?」
言った傍から、黒尾と赤葦はボン!!と音を立てて大赤面。
黒尾は何故か後ろ向きに正座し、赤葦はタオルを被ってうずくまってしまった。
動揺しまくり恥かしがりまくるクロ赤コンビに、月山コンビの方が呆然…
ポカン、と目も口もあんぐり開けて固まった後、はぁ~っ!?と声を荒げた。
「いっ今更、何言って…って、今までホントに気付いてなかったんですかっ!?
僕達がこれ見よがしにイチャついてたのに…冗談でしょっ!!?」
「いくら幼馴染でも、リップ共有とかおにぎり半分ことか…ありえないですよ!
そんなの、『チューするような仲』じゃないと…さすがに無理ですからっ!」
常識で考えれば、すぐわかるでしょ。
特別な相手…好きでもない相手と、間接キスなんて普通はできませんから。
ましてや直接キスだとか…たった1回の事故でも嫌に決まってるでしょ。
それを、一度ならずも二度までも『事故チュー(自称)』しておきながら、
それが嫌じゃなかった理由に、未だに気付かないだなんて…
それこそ『自己中』の極みじゃないですかっ!?相手にも自分にも失礼です!
「『二度あることは三度ある』にするのか、『三度目の正直』にするのか…」
「お二人でしっかり考えて下さい!答えが出るまで…ここで反省ですっ!!」
黒尾と赤葦に対し、猛然と『お説教』した月島と山口は、
ボケっとしたままの二人を、お互いの方へとドン!と突き飛ばし…
バン!!と激しい音を立てて入口扉を閉め、体育館から去って行った。
普段は冷静で温厚な月山組の剣幕に、完全に圧されてしまったクロ赤組は、
何も言い返せないまま、静寂を取り戻した体育館内でしばらく固まっていた。
月山組の荒々しい足音が全く聞こえなくなってから、ようやく一呼吸…
そこでやっと、自分達の『状況』に気付き、再び大赤面して凝固した。
突き飛ばされてきた赤葦を、咄嗟に受け止めた黒尾は、
別の角度からも突撃され…赤葦を両腕で庇いながら床に倒れ込み、
抱き留められた赤葦は、床に寝転んだ黒尾の腹に…完全に乗り上げていた。
いや、もっと正確に言えば、黒尾に下から抱き締められ、鼻同士が触れ合って…
(こっ、このままいくと…)
(三度目の、事故チュー…)
まずは腕に力を入れて突っ張り、上体を起こして離れるべきか。
はたまた腕に入った力を抜いて、上体を離してやるべきなのか。
考えるべきなのは…そこじゃない。
(もしこのまま事故チューしたら…?)
赤葦は瞼を閉じると、腕からもう少しだけ力を抜き…黒尾にそっと触れた。
そして、すぐに元の位置に戻ると、小さく掠れた声で恐る恐る問い掛けた。
「俺との『二度あることは三度ある』事故チュー…お嫌、でしたか?」
「嫌…だ。」
黒尾から返って来た言葉に、赤葦は腕に力を込めて飛び退ろうとしたが、
それよりも一瞬早く、黒尾が腕に少しだけ力を入れ、下から赤葦を引き寄せた。
「っ…!?」
事故ではない、明確に故意の…キス。
初めての、意思を持った…触れ合い。
「『三度目の正直』じゃないと、嫌だ。俺のワガママ…自己中だよ。」
やっと出た『答え』に、二人はふわりと頬を緩めて微笑み合うと、
遅くなってゴメンと、お互いと…去って行った二人にも謝った。
それから赤葦は瞳を閉じて腕の力を全て抜き…黒尾は腕に思い切り力を込めた。
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※七五調 →歌や詩等で、七音句と五音句を順に繰り返す形式。
2018/04/28 (2018/04/24分 MEMO小咄より移設)