「赤葦、お前、もしかして…」
「…スイカ、食べませんか?」
梟谷学園高校別棟3階、化学準備室。
赤葦の『秘密基地』で、本日の『酒屋談義』は開催された。
当初は、童話・ラプンツェルを科学的に考察していたはずだが、
様々な偶然から、話は極めて『下方向』のものとなり…
結局、赤葦の『淫戯(イチャ)語り』で、強制終了となった。
流石にヤりすぎだと思った黒尾は、月島と山口を脱出させた上で、
赤葦に一言モノ申そうとしたのだが…赤葦は黒尾に背を向けると、
まるで自分のものかのように、冷蔵庫からスイカを取り出した。
「頂き物なんですが…夜食代わりにいかがですか?」
どうやら、黒尾の説教は、聞きたくないらしい。
それならそれで…まぁ、いいだろう。
それよりも、黒尾の興味は、赤葦が出したスイカに移ってしまった。
「暗くて良く見えねぇけど…これ、かなり黒いか?」
丸々としたスイカ…しかしその果皮には、
例の縦縞模様はなく、つるんとした黒一色だった。
「外の皮は真っ黒なんですが、中は…」
冷蔵庫に入れやすくするためか、半円に切ってあったらしい。
くるりと回転させると、暗い室内でもはっきりわかる、鮮やかさ…
「キレイな黄色…しかも種無しか!!」
まるで、夜空に浮かぶ満月のようだった。
「黒皮黄肉の、種無しスイカ…その名も『ブラック・ムーン』です。」
「『ブラック・ムーン』…新月か。中が満月ってのが、面白れぇな。」
先日はルナ・ロッサ…赤い月。その前は、カクテルのブルー・ムーン。
五色不動よろしく、次なるカラーリングの『月』を用意してきたことに、
黒尾は「さすが、赤葦。」と、感嘆した。
赤葦は「それほどでも。」と謙遜しつつ、半円のスイカを冷蔵庫に戻すと、
既に食べやすいサイズに切ってあった別皿を出し、楕円テーブルに置いた。
「ブラック・ムーンは、新月以外にも意味がありますよね。」
「ブルー・ムーンと似たような、農暦上の分類名だったな。」
1年を二分二至(春分・夏至・秋分・冬至)に区切った季節の中で、
4回の満月があった場合、その3回目がブルー・ムーン。
4回の新月があった場合の3回目が、ブラック・ムーンだ。
本来、新月は朔…地球から見て太陽と月が同じ方向にある状態の後、
初めて見える月のことであるため、だいたい三日月の頃が新月となる。
そのため、本当の『朔』のことを、暗月と呼ぶこともある。
シャリシャリと音を立ててスイカを平らげた黒尾は、シンクで手を洗い、
その横…赤葦が『ラプンツェル』になった、窓下に座った。
「俺の印象からすりゃあ、ブラック・ムーンは…皆既日食なんだがな。」
太陽の見かけ上の通り道である黄道と、月の通り道の白道が、
極めて近いか、重なる地点で朔となった時、日食になる。
太陽が徐々に月に食われ、欠けていき…世界は闇に包まれる。
日食はメジャーな天体ショーであるが、その『主役』は太陽…
真っ黒な太陽から、コロナがはみ出す皆既日食や、
まるで指輪のような金環日食に、ダイヤモンドリング。
その全てが、『太陽』を主眼とした捉え方だ。
「本当は、真ん中に『黒い月』が『ある』のに…『ない』扱いですね。」
本当は『ある』のに、『ない』ように見えるもの。
それに『似たもの』に思い当たった黒尾だが、それについて口を開く前に、
またしても赤葦が、妙に明るい声でそれを遮った。
「夏と言えばスイカ割りですが…これにも公式ルールがあるそうですよ。」
「公式ルールねぇ…そりゃあまた、気になって仕方ないネタじゃねぇか。」
やはり、さすがの赤葦である。
あからさまな話題転換だったが、好奇心には抗えなかった。
「JA…農協が設立した『日本すいか割り協会』公式ルールによりますと…」
・スイカと競技者の距離は、5m以上7m以下。
・棒のサイズは、直径5cm以下、長さ1.2m以下。
・目隠し用の手ぬぐいは、協会公認のものを使用。
・目隠し度合確認の為、競技者の前に1万円札を落としてみる。
・使用するのは、よく熟れた国産のスイカ。
・制限時間3分。
・割れたスイカの断面の美しさにより、審判員が判定を下す。
・審判員は、その年のスイカを10個以上食べていること。
「スイカの消費拡大が狙いだろうが…俺はこういうの…嫌いじゃねぇな。」
今度、合宿のイベントで、学校対抗戦でもやってみるか。
高校時代の『ひと夏の思い出』としては、面白いかもしれない。
早速実現に向けて、監督達への折衝案を練っていると、
赤葦は惚れ惚れするほど美しいフォームとスピードで、
髪を拭いていたタオルで、『スイカ割り』の素振りをしてみせた。
「俺も思いっきりガンッ!とぶん殴って…スカッ!!としたいです。」
「いや、そのスイングと威力だと…スイカが木っ端微塵になるだろ。」
黒尾の真っ当なツッコミも聞こえていないのか、
赤葦は何度も何度も、『ない』はずのスイカを撃破し続けた。
まるで、何かを振り払うように、執拗かつ入念に…振り続ける。
「なぁ赤葦、お前…かなりストレス溜まってんだろ?」
「合宿中です…そんなの、当たり前じゃないですか。」
それはそうだ。合宿最終盤…疲れもストレスも、限界近い。
黒尾自身も、昨日辺りから、ちょっとしたことでイラっとしがちだ。
だが、赤葦の『溜まりっぷり』は…ちょっと違うだろう。
「間違えた。お前が溜めてんのは、『ストレス』じゃなくて…
『フラストレーション』の方、だな。」
黒尾の言葉に、赤葦はピタリと素振りを止めた。
***************
「ストレスでも、フラストレーションでも…大差ないですよね。
そんなの、『些細な違い』でしょう?」
赤葦はやや乱暴に冷蔵庫を開けると、炭酸飲料をボトルからそのまま飲んだ。
そして、黒尾に背を向けたまま、シンクで皿やビーカーを洗い始めた。
些細な違い…そうではないことを、赤葦自身が熟知しているからこそ、
こんなに『わかりやすい』態度を取っているのだろう。
普段であれば、『意外と強情で可愛いトコあるな』と思うところだが、
余りにもつっけんどんな対応に、黒尾の語気も若干強くなってきた。
「じゃあ、その『些細な違い』を、一応指摘するが…」
ストレスは、寒暖・騒音等の物理化学的なものや、
外傷・感染といった生物学的なもの、心労・緊張等の心理社会的なもの…
そうした様々な『外部刺激』によって、生体機能に変化が生じることである。
ストレスを生じさせる要因となる『外部刺激』を、ストレッサーという。
一方フラストレーションは、元々『挫折』や『目標達成できない状態』の意味で、
欲求が何らかの障害によって阻止され、満足できない状態…即ち『欲求不満』だ。
勿論フラストレーションは、一種のストレッサーになり得る。
「欲求不満…今日のテーマの一つに繋がりましたね。」
またしても、『自分』から話を逸らせようとしている。
…いいだろう、そっちがその気なら、乗ってやろうじゃねぇか。
洗い物が終わっても、背を向けたままの赤葦。
その態度が黒尾のストレッサーとなり、どす黒いストレスが渦巻いてくる。
「今日のテーマ…不倫は、『欲求不満』が主要因と言えますね。」
「満たされていない欲求の種類は…『承認欲求』なんだろうな。」
人間の基本的欲求を、5つの階層に分類する、心理学の考え方がある。
低次のものから、生理的欲求、安全の欲求、所有と愛の欲求、承認欲求、
そして、自己実現の欲求と呼ばれている。
承認欲求は、『誰かに自分を認めてもらいたい』という感情…
自分は価値のある存在であると、尊重されたい欲求だ。
『もしかして、あの人にとって、自分は必要ないのではないか…?』
自分の存在意義を脅かされる程の『寂しさ』や『虚無感』を覚えた時に、
この承認欲求がひどく満たされない状況…欲求不満に陥ってしまうのだ。
仕事が忙しく、夫が構ってくれない。妻子が無視し、家庭内に居場所がない。
自分は夫(妻)に必要とされていないと感じた時が…不倫の危険サインだ。
『誰かに認めてもらいたい』一心で、甘い言葉に乗ってしまったりする。
「そう言えば、何で『人妻』って言葉は…ヤらしいんだろうな。」
「確かに、『人妻』で検索すると…AVや風俗店ばかりですね。」
言葉の意味としては、ただの『既婚女性』であるはずだ。
それなのに、『人妻』は『不倫』とセットで語られることが多い。
むしろ、『不倫』という言葉を使わずとも、『人妻』という言葉だけで、
禁忌に惹かれる…廃頽的な雰囲気すら醸し出している。
「昔は、『不倫』ではなく…『よろめき』と表現したそうですね。」
「漢字で書くと、『蹌踉めく』または『蹣跚めく』…だったよな。」
足元が不確かで、倒れそうになる。よろめくこと。
または、誘惑に乗ること…である。
「『人妻』と同じく、こちらの方が…より淫靡に感じますね。」
「まぁな。AVよりも…立派な『文学』みてぇに聞こえるぜ。」
トリスタンとイゾルデ。赤と黒。それから。暗夜行路…人間失格。
どれもこれも、入試に出そうな『名著』ばかりである。
作者と代表作を丸暗記するよりも、内容をジックリと教えてくれた方が、
よっぽど授業にも熱が入るのだが…と、黒尾は真剣に思う。
ふと視線を感じ、赤葦の方を見る。
シンクに向かいながら、肩越しにこちらを見ていたその視線とぶつかり、
そしてすぐに…慌てたように逸らされた。
その明白な拒絶反応に、黒尾の中で何かが音を立てた。
「お前…気を付けろよ?」
「な、何の事…ですか?」
地を這うような、低い声。
冷気さえ感じるその声に、赤葦は思わず身を震わせ、黒尾を凝視した。
久々に見た黒尾の目…その中に籠る闇に気付き、声も震えてしまった。
「今はいいかもしれない。だが、あと少しで…3年は居なくなる。」
「そ、それも、当たり前のことですけど…一体何を気を付けろと?」
感情を失ったかのような、冷たい視線と、声。
この人は、絶対に怒らせてはいけない人だった…
今更ながら、赤葦は自分の失態を後悔したが、時既に遅し。
腹の底から湧き上がる恐怖心を抑えながら、何とか応対する。
「お前の『承認欲求』…満たされなくなるんじゃねぇのか?」
黒尾の一言に、今度は赤葦の中で…何かが爆発した。
***************
「あ…あなたに、俺の何がわかると、言うんですかっ!!?」
振り返った赤葦は、座っていた黒尾の襟元に掴みかかった。
その勢いで黒尾はバランスを失い、床に倒れ込んだ。
黒尾の上に馬乗りになったまま、赤葦は激情を滾らせた目で、睨む。
だが黒尾は、その目にも全く怯むことなく、温度のない声で答えた。
「参謀として、大エースを陰から支える…それがお前の、存在意義だろ。」
「そうですよ。俺は、自分のこの仕事に…それなりの誇りを持ってます。」
「その大エースが居なくなったら…お前はどうなる?」
「そ、それはっ、現段階では、それを考える必要は…」
黒尾の指摘は、何度も脳内で自問自答してきたことだった。
だが、「今は大会前だから」と、それ以上考えることを、拒み続けてきた。
一番触れられたくないことを、容赦なく追究する黒尾の冷淡さ…
絶対に負けてたまると、赤葦は更に声を荒げた。
「黒尾さんこそ、ちゃんと『子離れ』…できたんですかっ?」
引っ込み思案な、年下の幼馴染。
傍目からもわかるぐらい、黒尾は特別に可愛がっているではないか。
赤葦の言葉に、黒尾は一瞬目を見開いたが、すぐにその目を伏せた。
絞り出すような声…だが、はっきりと答えた。
「せざるを得なかった。だから、わかる…お前は、危ない。」
襟元を掴む赤葦の手に、ゆっくりと黒尾は手を添えた。
そのまま上体を起こし、至近距離から赤葦の目を覗き込んだ。
『俺は必要じゃないかもしれない』
…想像以上の、恐怖だぞ。
静かな声。だが、その声に怒りなどはなかった。
あるのは自らの悲痛な思いと、赤葦を心底案じる憂慮だった。
黒尾の瞳の中…隠された深淵に触れ、
赤葦の滾った脳内も、スっと冷えた。
掴みかかっていた手の力も、抜けてくる。
この人は、俺を怒らせたいんじゃなくて…本当に、心配しているのだ。
それがわかった赤葦は、黒尾の襟元から手を離した。
「近い将来…お前はとてつもない喪失感に襲われる。」
「俺の存在意義が、揺らぐ可能性が…あるんですね。」
言い聞かせるように、黒尾はゆっくりと言葉を紡ぐ。
赤葦も同じぐらいゆっくりと、言葉を返す。
自分の存在意義が揺らぐ…想像するだけで、足元が崩れそうな恐怖感がある。
だが、避けては通れないこと…『ある』のに『ない』振りは、できないのだ。
『日本屈指のエース』の『参謀』という『自分』がなくなる…
相手の存在が大きければ大きい程、喪失感も等比級数的な大きさとなる。
だからこそ黒尾は、赤葦に『危ない』と警告したのだ。
承認欲求が満たされなくなった時に、魅力的に見える『禁忌』が傍にあると、
人は誰でもよろめき…簡単に『深み』へ堕ちていく危険性があるのだ。
「いいか、忘れんな。お前のことを必要とする人間は…他にも居る。」
本当は存在意義が『ある』のに、『ない』ように見えるのは…ただの錯覚だ。
既に力の抜けた赤葦の手を握り、黒尾は強く言い切った。
「『大エースの参謀』以外の『俺』を、認めてくれるような人達が…」
…あぁ、そういうことか。
きっと、その時のために、黒尾は『それ以外の俺』で居られる場所を…
『酒屋談義』の場を、作ってくれたのではないのか。
最初は、黒尾達『役職付』の人間や、静かな場所を好む月島達が、
集団生活のストレスを発散させる場として、『酒屋談義』が始まった。
要は気分転換…赤葦には、その程度の認識でしかなかった。
だが、黒尾の真の狙いは、もっと深いところにあった…ということか。
そこまで見越して策を練っていたとは…
自分が『黒尾の掌中』にあったことに肝を冷やす反面、
奥底に見え隠れする黒尾の優しさに、じんわりした温もりを感じた。
黒尾さんには、絶対に敵わない…
赤葦が礼を言おうと口を開く前に、黒尾がそれを遮った。
「こうやって巧言で誑かす奴もいるから…気を付けろよ?」
先程までの闇を一瞬で吹き飛ばすような…笑顔とウインク。
呆気にとられた赤葦は、そのまま目を瞬かせ…笑顔で返した。
「あなたという人は、本当に…恐ろしい『策士』ですね。」
いまだに黒尾の腿上に乗ったままだったことに気付いた赤葦は、
慌ててそこから降りようとしたが…黒尾がそれを止めた。
「赤葦、目ぇ閉じろ。それから…タオル貸せ。」
言われるがまま目を閉じ、首に掛けていたタオルを手渡すと、
黒尾はそのタオルで、スイカ割りをするかのように…赤葦に目隠しをした。
「あの、一体これは…どういうことでしょう?」
大いなる困惑と、少々の不安から、
赤葦は距離を取るように、黒尾の肩に手を掛けた。
「現段階では、お前の『承認欲求』は満たされている。
ならば、今満たすべき『欲求』は…?」
黒尾はそう囁くと、赤葦の中心にそっと手を這わせた。
***************
本当は『ある』のに、『ない』ように見える…ブラック・ムーン。
それは、生理的欲求も同じだ。
いくら隠していても、その内部では、『月が満ちた』状態…
新月の内側に、満月を抱いているのだ。
「承認欲求よりは低次かもしれねぇが…生理的欲求も馬鹿にできねぇ…」
「むしろ、本能ダイレクトで…っ、より『抵抗不能』かもっ、ですっ…」
あらぬところを触れられ、息が止まりそうな程、驚いた。
だが、背を駆け抜けたゾクリとした感覚に、体と本能が一瞬で抵抗を拒否し…
自分の内に抑え込んでいた欲に、ズルリと飲み込まれてしまった。
「目に見えて判るほど、切羽詰まりやがって…溜め過ぎだろ。」
人間の我慢は有限。
イロイロと限界を迎えていた赤葦は、普段の冷静さを失い、
不機嫌さや激情を抑えることができなくなっていた。
この『我慢の限界』を突破させた原因は…間違いなくコレだ。
「月島君達がっ、これ見よがしに、イチャイチャする、から…」
イチャついて下さいと言わんばかりの『お昼寝スポット』を提供したり、
無理矢理『ブランデンブルク体位』等を取らせたのは…赤葦自身である。
イライラが高じて下方向のネタに走った挙句の、自縄自縛…自業自得だ。
そのことを自覚していたからこそ、赤葦は自己嫌悪を感じ、
さらには敏い黒尾がそれに気付いていると分かっていたから、
余計に居たたまれなくなり…つっけんどんな態度になってしまったのだ。
黒尾の手が、短パンの腰紐をスルリと解き、直に手を入れてきた。
待ち望んだ感触に、溜め込んだ息の塊が、喉を震わせる。
黒尾の肩口に額を付けると、そっと耳元に囁かれた言葉…
その一言に、タオルの下で、赤葦は目を見開いた。
「ここには居ない、お前の大切な『誰か』を想像しながら…満たしちまえ。」
俺じゃない…お前の『承認欲求』を満たしてくれるような奴を…
「この目隠しは、『ない』ものを『ある』ように感じさせるため…ですか。」
赤葦は自らに触れる黒尾の手を抑えて、その動きを止めた。
そして、頭に手を回してタオルを取り去ると、黒尾を真っ直ぐ見据えた。
「本当は『ない』のに、『ある』と思い込む…それも錯覚かもしれませんよ?」
…そんな『誰か』など、本当は存在していないのに。
赤葦の言葉に、今度は黒尾の方が瞠目し、目を逸らした。
「まだ『ない』のに、『ある』と錯覚…俺達の『今の関係』も、そうかもな。」
赤葦は少しだけ後ろ…黒尾の膝の方に下がると、
少し硬化し始めていた黒尾の中心を、遠慮がちにそっと擦り上げた。
黒尾は赤葦の行為に驚き、ゴクリと息を飲み込んだ。
「それなら…『ない』ものを『ある』ように見せかければ、いいだけでは?」
「現実では『ない』、決して交わらない平行世界…『ごっこ』もそうだな。」
現時点では、二人の間に何も『ない』のであれば、『ある』ように振る舞う…
それを可能にするのが、『ごっこあそび』というパラレル・ワールドだ。
イロイロと溜め込んでいるのは、黒尾とて同じだ。
だからこそ、赤葦の露骨な拒絶反応にイライラし、
我を忘れる程…脳も心も『温度』を失ってしまったのだ。
限界を超えると、暴発するのではなく…一気に凍り付くタイプなのだ。
ここで、赤葦の提案に乗るのは…願ったり叶ったりだ。
体と本能は、拍手喝采して歓喜している。だが…
「今日のテーマでいくと…結構アレな『ごっこ』になるぞ?」
「定番中の定番、『配達員さんと人妻ごっこ』…ですよね?」
赤葦はそう言うと、緩やかに黒尾の腹を撫でた。
「『腹に一物』ある黒尾さんには…相応しいじゃないですか。」
「『腹に一物、背に荷物』か…しかも『黒猫』ってオチだろ?」
何の捻りもない『ド定番』だが、それ故に、見事なハマりっぷりなのだ。
ハマりすぎる『ごっこ』をヤってしまって、本当に大丈夫だろうか…?
真面目に思案する黒尾に、赤葦は焦れてきた。
再度肩口に額を付けた後、頬を染めながらチラリと見上げてきた。
「俺が今日、黒尾さんから目を逸らし続けた理由…わかりますか?」
これでもかというぐらい、赤葦のわかりやすい拒絶。
それに、黒尾はイラついたのだ。
その理由は、ぜひとも知りたいところだが…
心当たりは、黒尾には全くなかった。
わかんねぇよ、と頭を横に振る黒尾。
その頭を両手で掴むと、赤葦はその半乾きの髪を指で掬い取り、
これが、この髪が原因です…と静かに言った。
「!!?ま、まさかとは思うが、いつもと髪型が違うから…とか?」
ここで『酒屋談義』を始める前に、赤葦と黒尾は入浴を済ませていた。
それ故、黒尾はいつもの『無重力系』ヘアではなく…オールバックだった。
見慣れない姿。しかも、今日の主テーマ・ラプンツェルは…『髪』長姫。
「なんだか、妙に意識してしまい…正視に耐えませんでした。」
「それを言うなら…直視できないぐらいステキでした、だろ?」
はぁ~、と大きくため息をついた黒尾は、
横に放られていたタオルを引き寄せ、赤葦の頭に乗せた。
「俺がさっき、お前に『目隠し』した理由…わかるか?」
「『目隠し』の理由、ですか…ちょっと考えてみます。」
居もしない『誰か』を想像しやすいように…というだけではないのか。
まさか、本気でスイカ割りをしようとしたわけでも、ないだろう。
目を伏せ、暫し考えてみるも…思い当たることはない。
降参です…と、チラリと黒尾に視線を送ると、
まさにソレだよ…と、苦笑いしながら黒尾は言った。
「伏し目がちの視線から、チラチラ窺う流し目…妙に卑猥で、何かイライラした。」
「なっ!!?それを言うなら…淫靡な人妻みたいで妙にムラムラした、ですよね?」
互いに顔を見合わせ、沈黙する。
どうやら、自分で思っていた以上に…イロイロと溜まっていたらしい。
どちらからともなく、力みのない笑いが零れてきた。
「腹に溜まったモノと、背負ったモノ…ココで降ろして行って下さいね。」
「お言葉に甘えて…腹の『下の』一物も、スッキリさせてもらおうかな。」
- 完 -
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※JSWA・日本すいか割り協会(Japan Suika-Wari Association)は、
残念ながら既に解散しているそうです。(公式ルールは現存)
※『腹に一物 背に荷物』 →密かに何事かを企み、抱いていること。
『一物』の『一』に、『二(荷)』を掛けた洒落。(黒猫の荷物屋さんとは関係ありません)
※『人間の我慢は有限』について →『好機到来』
※微妙な距離のふたりに5題『3.平行線をたどる日々』
2016/06/25(P)
: 2016/09/12 加筆修正