※『自己満足』ミニシアター・赤葦編



    喫茶満喫







ご飯にお味噌汁、数種類のお漬物にちりめん、時折たまご。あとは、熱いお茶と海苔。
これが、我が家…黒尾&赤葦家の、毎日変わらぬ『朝定食』だ。

一汁一菜に満たぬ一見質素なものだが、ご飯は知人が作った有機玄米を家庭用精米機で研ぎ、
お味噌汁はお出汁からちゃんと取り、お味噌も卵も農家の自家製をお取り寄せしている。
糠漬けは古くから続く八百屋さんで、お茶と海苔も老舗の問屋さんで購入しているものだし、
ちりめんは瀬戸内産…黒尾さんの御親戚から、わざわざ送って頂いている逸品だ。

「毎朝言いますが…贅沢な朝定食ですよね。」
「あぁ。これ以上なく…満たされるご飯だ。」

こうして列挙してみると、非常に手が込んでいるように感じるが、実はそうでもない。
ご飯は昨夜炊いたもの又は冷凍しておいたものをチン、お味噌汁は昨夜4杯分作った残り。
100均の半透明文書トレーをお盆代わりに、漬物等が入った容器や瓶がぎっしり詰めてあり、
それを冷蔵庫から出し、海苔の缶と一緒に座卓の上にポンと乗せるだけで完成…合理的だ。

何でもない定番に見えて、実は深いこだわりがあり、尚且つ、合理性も兼ね備える。
こういう地味上等・質実剛健・御飯溺愛を至上とする価値観の一致が、円満と満腹の秘訣だ。

「明日も明後日も、この朝定食が良いよな。」
「還暦を迎えても、同じ事を言ってますよ。」


いくら自宅兼事務所で通勤がないとは言え、朝はやるべきことがいくらでもある。
洗濯にゴミ出し、各種お片付け。それらを黒尾さんと二人で手分けしながら逐次遂行する。

「御馳走様でした。」と二人で合掌した直後、洗濯機が終了のお知らせ音を響かせる。
黒尾さんは自分の御膳を下げてから、ベランダにサンダルを出し、物干竿と手摺を拭いて、
家中の窓を少しずつ開けて換気しながら洗面脱衣所に向かい、洗濯物を干し始める。

その間、俺は台所で食洗機を仕掛けたり、お鍋を洗ったり流し台を磨いたり。
そして最後の最後に、朝で一番重要かつ最も神経を使う『大仕事』に取り掛かる。

「それでは…始めます。」


耐熱ガラスのサーバーに、二つ穴のプラスチック製ドリッパーを乗せ、まずは一呼吸。
そこに、端を丁寧に折ったフィルターを敷き、野菜室から出したコーヒーの粉を、三杯。
店内で自家焙煎をしている喫茶店で購入したお気に入りは、エチオピア産のイルガチェフ。

コーヒー専用の、細長く湾曲した口のステンレスケトルにお湯を入れ、大きく大きく深呼吸。
目を閉じて20~30秒ほど蒸らしてから、呼吸と心拍を最小限に抑え…いざ、ドリップ開始。
一定の速度、一定の場所に、500円玉大の円を描き続け、きめ細やかな泡のドームを作る。
そして、下のサーバーに300ml落ちた瞬間、すぐさまドリッパーを外して…完了だ。

ドリッパー内には、まだ山盛りお湯が残っていて、少しばかり勿体無い気もするが、
この白い泡はアク…これを落としてしまうと、味も香りも激変し、全てが台無しになるのだ。

   (今日も美しい出来栄え…完璧です。)


ドリップし終えたコーヒーは即刻、黒尾さんのコーヒー専用ステンレスボトルに、全て注ぐ。
ここでようやく緊張を解き、何度も深呼吸…淹れたての香りを全身に取り込み、力を抜く。

最高のコーヒーを、最大のエネルギーを使い、最良のものを抽出すべく、最善を尽くす。
たった数分とはいえ、朝一番の大仕事を見事に完成させたことを表す香りで、全身を潤すと、
カフェインを直接摂取するよりも、心の底から満たされる…自己満足にドップリ浸れるのだ。

   (これぞ、喫茶…贅沢の極致。)

そして、俺を最も満たすのは…最後の仕上げ。


「さて、今日のお味は…?」

最終確認(淹れた人特権)という名目の下、俺は黒尾さん専用ボトルにそっと唇を付け…一口。
いつも通り完成した『最高の味』に頷き、唇に触れたボトルの感触に、ふわりと頬を緩める。

   (…よしっ。)

このボトルは、黒尾さん専用。
仕事がある日は一日中、黒尾さんのデスクの、黒尾さんの手が届く場所に、ずっと居る。
休みの日も、外出時も、黒尾さんはこのボトルを持ち歩く…常に行動を共にする存在だ。

そんなボトルに、一番最初に唇を付けるのが、黒尾さんじゃなくて、この俺であること…
ボトルがまるで俺の分身になって、ずっと黒尾さんのお傍に居られるような気がしてきて、
それが何とも言えない『じんわり感』を呼び起こし…たった一口で俺は満たされてしまう。

   (お腹も心も、いっぱいです。)



「お、赤葦カフェ…開店したみてぇだな?」

いつもこのタイミングで、黒尾さんは洗濯物を干し終え、リビングに戻って来る。
部屋を包み込む香りに、音がする程ふわりと頬を緩め、全身を伸ばして大きく深呼吸。
そして、穏やかな微笑みを湛えたまま、鼻歌交じりに俺の傍まで大股でやって来ると、
大きく腕を広げて息を吸って、吐いて…次に勢いよく吸う時に、俺を腕の中に抱き締める。

「んー♪凄ぇ、良い香りだ…」

コーヒーが入ったボトルじゃなくて、コーヒーを入れた俺から、『良い香り』を取り込む。
そんなに抱き搾っても、香りはもう出てこないのに…何かを充填させるように、むぎゅっと。

「さて、今日のお味は…?」

まるでボトルの蓋を開けるように、俺の頭を大きな掌で撫で回し、頬を両手で包み込む。
それから、黒尾さん専用の唇に、そっと唇を付け…一口。


「いつも通り、最高の味…毎日ありがとな。」

和やかな笑顔で俺を労ってくれる、優しい声。
これ以上ないくらい、隅々まで満たされた黒尾さんの表情を、至近距離から見つめた瞬間、
俺の中のボトルは、蓋が閉まらなくなる程に満ち溢れ、幸せが唇から零れ落ちてくるのだ。


「俺達…カフェイン中毒になりそうですね。」
「俺は、赤葦カフェにイン…入浸り中毒だ。」

「では、満たされるまで…喫して下さいね。」
「あぁ。満ち溢れるまで…キスしていくよ。」




- 終 -




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ドリーマーへ30題 『15.カフェイン』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2020/04/24

 

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