翌日来春 ver.2022






「今日は…節分、なのか。」
「明日から…春、ですね。」


黒尾法務事務所は現在、年度末修羅場の真っ只中。
毎年恒例行事になったとはいえ、キツいものはキツい。年々キツく感じる気もする。

仕事を一旦切り上げ、どうにかこうにか二人で風呂に浸かったところで、
黒尾は湯船に向かい合って意識を呆然と漂わせる赤葦に、毎年恒例の『確認』を行った。

「今年の恵方は…『北北西』だそうです。」
「北北西…ん?ついこないだと、同じか?」

ちゃぷん、ちゃぷんと湯を滴らせ、漫然と手拭いを円筒状に巻いていた黒尾は、
赤葦の言葉に既視感を覚え、揺蕩っていた意識を少しだけ引き戻した。


「はい。もう、あれから…5年経ちました。」

黒尾が微かに覚えていたことに、赤葦は頬を僅かに綻ばせた。
湯にあたり、桃色を纏い始めた赤葦の身体と、桃色に染まり始めた瞳。
それに気付かないフリをしながら、黒尾は懐かしそうに風呂の天井を見上げた。

「お前と、ここで一緒に…5年になるのか。」

2016年夏、この家に黒尾法務事務所を構え、同時に同棲を始めた。
その年の年末年始、黒尾・赤葦両家への御挨拶を経て、結婚…
同棲から半年、初めての年度末修羅場最中の2017年節分、ココで『北北西』の話をした。


「節分の恵方は、4種類しかないそうです。」

複雑そうに見える方角表示だが、綺麗な法則に従ってローテーションしている。
西暦の下1ケタが『1』と『6』の年は南南東、『2』と『7』が北北西、
3&8=南南東、4&9=東北東、そして5&0=西南西…5年毎の周期らしい。
2017年から5年経った2022年の今年、同じ『北北西』が巡って来たというわけだ。

「5年…俺ら、全っっっ然、変わんねぇな~」

高校時代から、既にジジ臭…年齢の割に落ち着いていた苦労人・クロ赤コンビは、
交際&同棲開始時点で、もうしっかりと老成…熟成した老夫婦感を醸していた。

結婚してからも、二人のそんな空気感が変わることはなかった。
波風の立たない、穏やかな日々を、のんびりとつつがなく。
毎日を堅実に慎ましく…5年間変わらぬ、黒尾と赤葦の『家庭』だ。


「予想通りに…地味な5年間でしたね。」
「全くもって、その通り…期待通りだ。」

ドラマティックな変化なんて、いらない。
ずっと変わらないこと…現状維持こそ、高望みの極致じゃないか。
いや、そこそこ困難はあったはずだが、『多少の細事』を思い出せないことこそが、大事。
その都度ちゃんと二人で乗り越え、解決してきたから、『特に変化なし』と言えるのだから。

「幸せ…ですね。」
「あぁ…幸せだ。」

願わくば、次の『北北西』が巡ってくる時も、こうして変わらぬ二人でいられるように。
明日からやって来る春も…今まさに二人の間に芽吹き始めた『春』も、
二人で一緒に、ずっとずっと、変わらず仲良く楽しんでいきたい。

黒尾は赤葦の腕を引き寄せて腿上に乗せ、我が家の『恵方巻』を湯船に落とした。
ちゃぷん…と桃色の頬に跳ねた湯を、熱で潤う唇で掠め取り、耳元に『春到来』を告げた。


「ウチの恵方…北北西は、ココだったよな?」
「浴場で欲情…恵方無視の、恒例行事です。」




- 終 -




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2017年の節分 →『翌日来春*

2022/02/15 (2022/02/03分 MEMO小咄移設)

 

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