深夜始発






人の気配が乏しい、薄暗いホーム。
家族が不在で誰も居ない家、という意味ではなく、人の往来が殆どない、駅のホームだ。

「着きましたよ、起きて下さい。」と、優しい声に目を覚ましたはずなのに、
目を開けて見えた光景は、まるっきり夢…

   (…???ここは、何処…だ???)


車掌さんに起こされ、夢うつつに降り立ったホームは、まるで見覚えのない場所。
呆けたまま突っ立っていると、今度は駅員さんに促されて駅の外へ…くっ、暗い!?
恐る恐る振り返り、ほんのり明かりの灯った駅名を見上げ、絶句。
電光掲示板の行先表示ではよく見かける、相互接続している私鉄の、遠い遠い果て…終点だ。

   (ま…まさかまさかまさか…っ!!!?)

   左肩に掛かる、二人分の鞄。
   そして、右肩に掛かる、温かい重み。
   立ったまま、うつらうつら…器用だな。
   …じゃ、ねぇだろっ!!

「わ…悪ぃ!寝過ごした!?」
「ん…おはよ、ございます?」

「おぅ、おはよ!じゃなくて…赤葦起きろ!」
「…黒尾、さん?あ、夢ですね。了解です…」

未だに寝惚けたままの赤葦は、俺の顔をぽんわり眺めると、ふんわり…頬を緩めた。
不意に現れたその柔らかい表情に、全身の血が一瞬で滾り、
それでいて、全身から力やら魂やらが、全部抜けてしまいそうになり…

「お…俺も、起きろっ!!」
「わっ!?な…何っ!!?」

俺は慌てて左右の肩から重みを外し、両手でパンっ!!と頬を叩いて目を覚ましてから、
音に驚き目を瞬かせた赤葦の頬を両手で包み、くる~り…斜め後ろの駅名を見せた。

「………は?」

きっちり3秒の沈黙。その間に、状況を完全に把握。
俺の両手の中の頬が、音を立てて青ざめていくのが、文字通り『手に取るように』伝わり、
赤葦が「ひゅ…っ」と息の塊を飲み込み、謝罪を絶叫する寸前、
頬から離した手で、今度は赤葦の手を握り、やや強めに引き寄せた。

「とりあえず、コンビニで…何か食おうぜ!」
「えっ!?あ、はい…お腹、空きましたね。」


電車で寝過ごし、終点まで来てしまったのは、先に寝て肩まで借りてしまった、自分のせい…
赤葦はきっとそう思い込み、俺と顔を合わせる度に負い目を感じてしまうはずだ。
本当は、赤葦は全然悪くない。悪いのは俺のことをわかりきっているウチの連中と、
その悪戯に乗っかって、ちょっとだけ…と自分の欲を優先してしまった、腹黒な俺自身。

ほんの2駅ぐらい乗り過ごしちまった!程度の『ついうっかり』の腹づもりで、
せいぜい10~15分、夢見心地を味わおうと思っていただけなのに。
電車での居眠りなんてのは、だいたいそんなもん。深い眠りにつけるはずもない。
いずれも慎重派の俺か赤葦のどちらかが、頃合いを見計らって起きる(起こす)だろう…
という皮算用が、まさかの大ハズレ。

   (相当、疲れてんだな。俺も…赤葦も。)

そう言えば今日、赤葦にしてはかなり珍しい凡ミスを、数度。
明らかに目立ったり、多発していたわけではない、不調未満…疲労の色が微かに感じられた。
それはきっと、俺も同じ。自覚する前に、寝落ちという結果に現れてしまったんだろう。

   (疲れてんのに…ゴメンな。)

本来なら、こんなとこまで連れて来てしまったことを、赤葦に誠心誠意詫びるべきだ。
だが絶対、俺は『ゴメン』を口にしてはいけない…赤葦が余計に気負ってしまうから。
だから俺は、謝罪の代わりに、赤葦の手をしっかり握り直し、精一杯の労いを伝えた。

「赤葦…今日も一日、お疲れさんだったな。」
「っ!く、黒尾さんこそ…お疲れ様、ですっ」

俺の意図を全て察してくれたんだろう。
赤葦は喉元まで上がっていた言葉を封じるように、俺の手をギュギュっと握り返し、
少し困ったような、はたまた泣くのを堪えた様な笑顔で、俺を労わり返してくれた。

   (こういう隠れた優しさが、たまんねぇ…っ)


あ~、やっぱ俺、凄ぇ疲れてんな~
ほんのちょっとした労いに、な~んか、じんわり…あくび、出ちまった。
つーか、ドサクサに紛れて、て、てっ、手ぇ、繋いじまってるし。さすがは腹黒…参ったぜ!

『じんわり』を包み隠すように、繋いだ手でモキュモキュと『おにぎり』を結ぶ仕種。
その動きに応えてくれる赤葦に、またまたじんわり…大あくびと共にコンビニへ向かった。


*****



「あの、すみません。一つお願いが…」


店員さんすら、呼ばないと奥から出てきてくれなかった、ほぼ無人のコンビニ。
棚に残っていた商品の中から、二人分のお小遣いで買えるだけ買って、駅方面に戻った。
だが駅の傍には、俺達と同じように寝過ごし、終電を逃した酔客達がチラホラごろごろ…
仕方なく、少し離れた住宅街の公園で、始発まで時間を潰すことにした。

「親には連絡したか?夜遊びかっ!?って…怒られたりしなかったのか?」
「大丈夫です。怒られはしませんでしたが…盛大に笑われちゃいました。」

「気候も天気も良いのが、せめてもの救い…」
「独りで野宿じゃないなら安心、とのこと…」

「『二人で』泊まれるとこなら、駅裏にネオンが光ってたんだがな~?」
「残念ながら、食欲を満たす方に、全部使ってしまいましたからね~?」

「おやおや?もし手持ちがあったら、不純交遊してた…とか?」
「純か不純かは、手持ちではなく、気持ちの問題です…よね?」


半分消えかかった外灯は、互いの顔がはっきり見えないぐらいの、ほど良い暗さ。
そして、公衆便所の影に隠れ、往来からも見えにくい場所にある、静かなベンチ。
腹も適度に満たされ、お互いリラックス…溜まった疲れが、むしろ心地良さを演出していた。

「こんな異常事態だっていうのに、何でかわかんねぇけど、妙に…落ち着くというか。」
「えぇ、俺もです。本当なら、心臓が異音を響かせ暴発してもいいのに…不思議です。」

「ふっ…不整脈か?」
「脈は…アリかも?」

「今ので、俺の心臓も、止まりかけた…ぞっ」
「どっ、どういう、イミですか、それは…っ」

「ど~の口が言うか?この…狸寝入り野郎。」
「い~い度胸してますね…猫被り狼男さん?」

   (あー、ものすっっっげぇ…楽しい。)

こういう他愛ない、しょーもない、テンポの良い言葉遊びを自然としてくれる相手なんて、
赤葦以外には、出会ったことがない…多分これが、『気が合う』ってやつなんだろうな。

   (気脈が通じ合う…気も脈もアリアリ、だ。)

この不思議な感覚に気付いたのは、初めて二人だけで自主練後の片付けをした時だった。
残務処理を押し付けられて、物凄ぇ腹が立っていたはずなのに、
二人で大文句…じゃなくて、どうでもいい話で笑い合っているうちに、気分が晴れていた。

そんなことが幾度となく続き、いつしか二人で率先して後片付けをするようになり、
それが合同練習や合宿中の、貴重な息抜きタイムだという共通認識を持つ頃には、
自分の気持ち…手に持ちきれない程の想いを、はっきり自覚していた。

   もっと赤葦と、ダベっていたい。
   もっとずっと、近づいてみたい。
   ずっとずっと、傍に居て欲しい。

   (…ここから、帰りたくねぇ~っ!)


「急に黙ったかと思えば、独りで何をニヤニヤと…ヤらしい顔してますよ?」
「いつもの腹黒い顔と違って見えたのは…お前の願望のせいじゃねぇのか?」

「そうです…と言ったら、どうしますか?」
「どっどう、って…あ!ほっぺに米粒っ!」

狼も逃げ出すほどの…大嘘。
米粒なんて、どこにも付いてねぇよ。パンしか食ってねぇもんな。
俺の酷ぇ誤魔化しに、赤葦はぶっ!と吹きかけたが、ニヤリ…不敵に微笑んで、目を閉じた。

「とって下さい。ほら…早く!」
「お前…それは、ズリぃだろ!」

随分と威勢の良いことを言って、俺を試してきたくせに。
ヤらしく微笑んでいたはずの唇の端が、緊張でぷるぷる揺れているし、
そっと閉じた瞳も、今はぎゅっ!!何も付いてないほっぺが、みるみる赤く染まっていく。

赤葦本人としては、必死に動揺を抑え込んでいるつもりだろうが、米粒ほども隠せてねぇよ!
ドギマギをド直球で伝えてくるピュアさとのギャップに耐え切れず、思わず頬に手を…

   (…って、待て鉄朗!早まるなっ!!!)


この状況が楽しくて、終電なくなって超絶ラッキー!だと歓喜しているのは、きっと俺だけ。
いちいちツボをツいてくる仕種や言葉だって、赤葦には『そんなつもり』なんて、多分ない。
俺が俺に都合よく解釈して、独りで盛り上がっているだけって可能性の方が、恐らく高ぇ。

赤葦は単に、ユーモア溢れる会話を通じて、俺の失態を笑いに変えてくれてるだけだ。
実際は結構な毒舌だが、その優しい毒こそが俺に甘美な痺れをもたらしてくれている。
もうホンット、思いやりがあって気が利いて、毒で隠しきれねぇぐらい優しくて…

   (あ~、やっぱ俺、コイツにベタ惚れだな~)

頬に触れようとした指を、ほんの少し逸らせ、赤葦の鼻先をキュっと摘む。
赤葦は狐に抓まれたようなキョトン顔で、目をぱちくり…そして、ぷっくり頬を膨らませた。

「狐に抓まれる役は、黒尾さんの方だったはずなのに…計算が狂いました。」
「じゃあお前が逆に、羊を喰らう狼の役を、やってみやがれ。ほら…早く!」

「そっ、れは…ズルいです!」
「だよな。俺も…そう思う。」


真顔で答えた俺に、赤葦は堪え切れず思い切り吹き出し、腹を抱えて笑い転げた。
想像を絶する姿に、今度は俺の方がキョトン…赤葦の毒?を、呆けたまま浴び続けた。

「真顔なのに…カッコ悪すぎです!」
「っ…!?」

ココは、一生に数度しかない、カッコつけるべきシーンなのに…笑わせてどうするんですか!
こんなに笑ったのは、生まれて初めて…稀少価値の高い俺を、無駄に曝してしまいましたし、
俺の貴重なドキドキとかドギマギの分もコミコミで、熨斗付けて返して欲しいぐらいですよ。

「死ぬほど緊張して、損しました…」

   でも、ちょっぴり…助かりました。
   欲望と妄想が、暴走しかけていた…
   危うく、早まるところでしたから。

赤葦はそう嘆息すると、見たことのない憂いを含んだ微笑みを、ほんの一瞬だけ零した。
そして、俺がしたのと同じように、両手でパン!と自分の頬を叩いてから大きく深呼吸し、
その直後、『いつも通り』に戻した表情で、淡々と俺に告げた。

「あの、すみません。一つお願いが…」


どんな顔して、どう返したらいいのか?
まるで狐のような七変化に惑わされた俺は、何も言わず(言えず)に頷き、先を促した。

「証拠写真を、撮らせて下さいませんか?」


証拠というより、アリバイ…存在証明?いえ、正確には、潔白証明かもしれません。
先程、両親に『(事後承諾)外泊許可願』を提出したのですが、
やむを得ぬ事情とは言え、そう簡単に承認印を押してあげるわけにはいかないわよ~?と。

現在地マークのついたマップ画面と、この公園入口の住所表示付看板の写真を送りましたが、
それは俺が現在、『終点の駅付近に居る』ことを証明したにすぎない…
『独りじゃない』そして『不純交遊ではない』ことは、全く立証できてないよね~?だとか。

「さすが赤葦の御両親。見事な理屈だな。」

お褒めに与り…って、褒めてます、それ?
というわけですので、お手数お掛けして申し訳ありませんが、『二人で』の証拠写真として、
俺と一緒に、つ、つっ、ツーショット写真を、撮らせて頂ければ…この上なく幸い、ですっ。

「終点野宿記念お写真…宜しいでしょうか?」
「あぁ、勿論。マヌケ面を…残しとこうぜ!」


俺の快諾に、赤葦は『ぱぁぁぁぁ~』と音がするほど顔を綻ばせた。
俺にはそれが、文字通り『この上なく幸せ』そうに見えてしまい、
赤葦以上に『ふにゃぁぁぁぁ~』と、顔が緩みそうに…暗くてホンットーに助かったぜ。

「では、僭越ながら…あれ?自撮り?モード?って、どこにあるんですか?」
「は?えーっと、ビデオ、写真、パノラマ…俺のもそんなモード、ねぇな。」

「じ、自分を撮ったことなんて、今まで一度もなくて…手際が悪くて、すみませんっ!」
「それは俺も同じ…あ、リサイクルマーク?っぽいやつを押せって、検索に出たぞっ!」

「な、なるほどっ!こっち向きのカメラに、切り替えろ…ってことですね!?」
「あ、あったぞっ!お前のスマホの、ここだ!これを押せばいい…うぉっ!?」


赤葦の手の中に、ぽひょっとしたマヌケ面でわたわたする、二人の顔。
自分でも見たことがない、自分の『素』と…相手の『素』の表情に、息を飲む。

   (その、お顔は…)
   (ズリぃ、だろ…)

画面の中の『二人』を直視していられなくて。
そこから目を逸らせ…互いに直接、顔を見合わせる。

「二人共、顔が…切れてますね。」
「もうちょっと…近寄らねぇと。」

じわりじわり、距離を詰める。
電車で割り込んだ時よりも、もっと近く…頭を預け合って寝たのって、このくらいの近さか?
あぁ、俺達…こんなにピッタリ引っ付いて、こんなとこまで辿り着いちまってたのか。

   (いつの間にか、こんなに近付いて…でも。)
   (これより先へも、二人で行けるの…かな。)


狸寝入り&本気寝過ごしじゃないのに、こんなに近付いても…嫌じゃないのか?
もっと近付きたいと願う自分と、相手も全く同じ目をしているのは、見間違えじゃないのか?
片目だけでチラリ…と、画面の中の相手を盗み見ながら、恐る恐る顔を近付ける。

「あのさ、この写真、『二人』なのは証明できても、『不純じゃない』ってことは…なぁ?」
「『ない』ことの証明は、そもそも不可能。ですが、俺の気持ちとしては、不純の…真逆?」

「そういうこと言うと…狼が来ちまうぞ?」
「嘘でもいいから…化かされて下さいよ。」

   (化かすなら、ずっと…化かし続けてくれ。)
   (羊をずっと、頂いてくれるなら…喜んで。)

未だ直接的な言葉は、出せないまま。
それでも、お互いに『そういうキモチ』をしっかり持っていること。そして、
自分の妄想や欲望より、はるか先…夢のような現状が、紛れもない現実だということを、
前髪がまつ毛に触れるほど近付いて、ようやく確信できた。

   (信じられない、けど…っ)
   (信じて…進んでみたいっ)


   赤葦が待ち構えるスマホに、手を伸ばす。
   画面の中の相手と、じっと見つめ合って。
   そして『最後のひと押し』を…ぱしゃり。


「とって下さい。ねぇ…早く。」

写真を撮り終えてから、赤葦はそう呟くと、スマホと共にそっと…瞼も下ろした。

「お前…俺は、ズルい男だぞ?」


完全に炊きあがった、赤葦の真っ赤な頬。
スマホから離した指で、米粒をとってやるフリをして、その頬にしっかり触れてから。

   『二人で』進む、この先へと…
   『最初のひと押し』を…唇に。


「相互接続…完了、だな。」
「ここから…始発、です。」




- 次の駅(私鉄朗色*)へGO! -




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2021/10/04   

 

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