天網快解④







「黒尾さんっ!今すぐ逃げて下さいっ!」
「っ!?逃げるのは、お前の方だよっ!」


部室で尋問をした結果、メイスイリ(という名の直感)でイロイロとナットクした梟達が、
可愛くて仕方ない赤葦をオトナにした元凶に、猛襲をかけると飛び出…していく寸前、
赤葦は「学校から最寄駅への最短ルートは、下水道工事中により通行止めですよ。」と謀り、
戦場までの別ルート…二番目に近く乗換が1回多い反対側の駅を懇切丁寧に指示し、
その隙を突いて、最短ルートで音駒の部室へ向かい、誰よりも早く目的地へ到着した。

薄暗い部室の中には、美しい網目の縄で縛られながら苦しそうに呻く、黒尾が転がっていた。
「ご自由にどうぞ。」とばかりに放置された供物に、息だか唾だかを飲み込み立ち尽したが、
すぐに気を取り直し、赤葦は黒尾に急いで駆け寄り、ちょっとだけ惜しみつつ麻縄を解いた。

「一体どなたがこの美しい縛りを…ではなく、詳細は別途。すぐにここから逃げましょう!」
「こっちも細部は割愛するが、俺は生贄…じゃなくて、お前をおびき寄せる餌だ。逃げろ!」


赤葦は黒尾の手を引き、立たせようとした。
だが黒尾は、眉間に皺を寄せてその手を咄嗟に振り払い、体ごと後ろへ引いた。
その仕種から、明確な『拒絶』を感じ取った赤葦も…差し出した手を背に隠し、後ずさった。

「すっ、すみません、その…か、勝手に、お手に触れて、しまって…っ」
「ばっ、ばか!ち…違う!これは、い、嫌とかじゃなくて、えーっと…」

黒尾と同じように眉間に皺を寄せ、何かを堪えるような赤葦の痛々しい表情に、
この誤解だけは絶対に解いておかなければいけない…と、黒尾は慌てて腕まくりをした。

「見てくれ!ここ…ちょっとばかりドジ踏んじまって、この通り負傷中なんだよ!だから…
   反対側の、こっちの手で…ほら、行くぞ!」

頬をほんのり染めながら、ニカっと爽快な笑顔見せた黒尾は、赤葦の手をしっかり握り直し、
机の裏に麻縄を半分だけ隠して、あえて靴を履かずに部室から逃走した。


   (そんなつもりは、なかったんですが…っ!)
   (ドサクサに紛れて、手…繋いじまったっ!)

発火しそうな脳内と、溶け落ちそうなほどに緩む頬、そして、緊張で湿る手を誤魔化すため、
二人は無駄にアチコチを全力で走り回って汗をかき、努めて冷静に他愛ない会話を続けた。

「さすが黒尾さん…策士ですね。」
「後日、靴下…弁償するからな。」

「そこは、弁償ではなくて…」
「プレゼント…でいいよな?」

「こう言っちゃぁ、何だが…」
「今、凄く…楽しいですね!」

   (この、どうしようもない慌てっぷりと…)
   (心躍る愉しさ…つまり、そういうこと。)

部室棟の方からドッタンバッタンと夜空に反響している、梟と猫の喧騒。
お互いにどういう状況かを細かく説明しなくても、大体似たような顛末なんだろうと把握。
部室にはもうターゲットが居ないと(もうちょっと経ってから)わかった襲撃者達が、
大騒ぎしながら方々へ捜索に飛び出すのを、大人しく隠れて待っていれば…こちらの勝ちだ。

「赤葦、かくれんぼの鉄則と言えば?」
「目線もしくは、それ以上の場所へ。」

「そして、全く見知らぬ場所よりも…」
「見慣れた場所の…目が届かない所。」

快いテンポの質問&解答に合わせ、二人は繋いだ手をキュキュっと握り合う。
かくれんぼだか鬼ごっこだか、猛襲だか夜襲だかわからないが…とにかく楽しくて仕方ない。
それは追う側も同じらしく、猛追劇を全力で満喫する笑い声が、そこら中から聞こえてきた。

「たまには、皆でお馬鹿さんに興じるのも…」
「悪くねぇっつーか…何かスカっとするな!」


猫の目&鷹の目の網を掻い潜って辿り着いた先は、よく見知った…いつもの体育館。
土に汚れた靴下を脱ぎ、裸足でド真ん中を突っ切り、緑の防護ネットを越え舞台へ上がると、
分厚い深赤の緞帳と、波打つ漆黒の袖幕との間に、ピッタリと身を寄せて息を潜めた。

「いつも視界には入っているものなのに、見えていない場所…」
「ここに転がり込んだボールが…一番見つけにくいんだよな~」

防護ネットの向こうには、ボールはいかないはずなのに、時々いくつかここに隠れている。
網は潜り抜けないという先入観と、幕の向こうは別世界という固定観念のせい…だろうか。

「陸vs空ならぬ、陸空連合vs黒赤…」
「この勝負…俺達の完全勝利です。」

空いた方の手で、音を立てずにハイタッチ…した拍子に、黒尾が小さく息を詰めた。
確か、こちらの手は『ドジを踏んで』怪我していると言っていたが…

「そう言えば、舞台の袖幕を別名で『源氏幕』っていうのは、何でなんだろうな~?」と、
あからさまに黒尾が話題を逸らせようとしたことで、赤葦は大方の事を悟ってしまった。
だから、手の怪我については触れず、その代わり…頬に走る赤い筋に、そっと指を這わせた。


「タチの悪い泥棒猫に…引っ掻かれました?」
「タチじゃなさそうな子猫ちゃんに…かな。」

「たちの悪いタチなんて、ネコを代表してお断り…ではなく。こちらもまだ、痛みますか?」
「こんなの舐めときゃ治る。まず手の甲をペロっとして、こにょこにょっと…毛づくろい。」

「子猫ちゃんが…お手伝いしましょうか?」
「わさび味の菓子を食ってねぇ時に…な。」

「おやおや残念。幸せを運ぶ☆ターン王子のツンまろ味…最高傑作ですよ。」
「ほっぺにハッピー☆パウダーが付いてる…俺が毛づくろいしてやろうか?」


   ここから、幕が上がるのか。
   それとも、幕を引いてしまうのか。

お互いにはっきりしたことは言わないけれど、言いたいことはしっかりと感知し合っていて。
似た者同士の相手が醸す甘い空気から、自分の中に漂う同じ甘さを、二人は同時に自覚…
繋いだ手を指半分ずつずらし、網を作るように互いの指を絡め、頬を解して視線を結び合う。

「あのさ、こないだは突然…悪かった。」
「俺は怒ってません…驚いただけです。」

「謝ってんのは、行為じゃなくて…言葉だ。」
「それを聞けて、よかった…安心しました。」

あの時はまだ、全く理解していなかった。
だけど、お互いの中に似たような熱が生まれていたことが、網越しに伝わってきていて、
言葉では上手く説明できない熱に浮かされ、溶かされるように…何となく、体が動いていた。

「『何となく』じゃなくて、『どうしようもなく』…自然に体が動いてた。」
「俺の方も『何だかよくわからない』キモチに…突き動かされていました。」

   赤と黒に囲まれた空間に漂う、確かな熱。
   あの日と同じ瞳で引き合い、瞼を下ろす。



「…はい、それ以上デレデレ溶けないで。」
「お前ら、あらゆるツメが…甘すぎだっ!」


体育館中に突如響き渡った、冷静な大声。
驚愕のあまり互いにしがみ付き、腰を抜かした二人。その真正面の緞帳がゆっくりと上がり…
陸(フロア)の音駒と、空(二階ギャラリー)の梟谷の両方から、舞台上に視線が集まっていた。

いつの間にか、陸からも空からも完全に包囲…かくれんぼ対決は、黒赤の完敗に終わった。
悔しさに項垂れる二人に、陸でも空でもない中間…舞台袖の中二階から、声が降ってきた。


「天網恢恢疎にして漏らさず…アンタらのことぐらい、全部お見通しなんだからね。」
「ここ…放送席からは、丸見えだっ!お前ら自身より、俺らの方がよ~っく見えてんだぞ!」

このまま『何となく』熱に溶かされて、デレデレ甘々コースだなんて、
たとえお天道様が赦しても、猫&梟&全国819万人(推計)の貴腐人達と…保護者が許さないよ。

「俺ら全員をお互いの保護者…親御さんだと思って、バシ!!っとオトシマエをつけろ。」
「こういうの、最初にはっきりしとかねぇと…あとからじわじわ~っとクるからな?」
「赤葦家&黒尾家のおとーさんおかーさんと、将来対決する時の予行演習がてら…」
「陸と空に向かって、ここで…宣言しろっ!」

「んなっ、何を…っ!?」
「えっ、それって…!?」

つまり、陸と空に向かって、舞台上で公開告白をしろという…オーディエンスからの要求だ。
ついさっき自分の想いを自覚し、まだ相手にもちゃんと伝えていないというのに…

   (そうか、伝えていないからこそ…)
   (ここで、はっきり言えってこと…)


「ん?…ちょっと待った。」

対決を表す『vs』って、『バーサス(versus)』の略なんだよな?
確か、最初と最後の文字をくっつけて、本来は略語を表す『.』も付けて『vs.』って書く…
ナンバーを『No.』って表記するのも、これと同じなんだって、どっかで聞いたことあるぞ!

「でもさ、ナンバーのつづりって『number』…『o』なんて、どこにもなくねぇか?」

木兎の素朴な疑問に、体育館中が…キョトン。
場の空気を台無しにしたガックリや、つづりを知っていたビックリより、ハテナが勝った。
今まで何も考えず、二つとも当たり前のように使っていた略語だが、言われてみれば…謎だ。

「英文だと『.』の代わりに空白のこともある…『No 1』は拒絶『No!』にも見えるよな~」
「『#1』って書いてんのもあった!あ、このハッシュ(#)とシャープ(♯)、別物らしいぜ?」

陸から空から、どんどん話が…逸れて行く。
舞台上でキョトンを続けていた黒尾と赤葦は、普段通りのドタバタに正気を取り戻し、
「はい皆さん…注目!」と両手を叩き、いつも通りの『御説教モード』に切り替えた。


「『No』は英語の『number』ではなく、『数の上で・数において』を意味するラテン語の、
   『numero』の最初と最後を繋いだ『No』…なんだそうですよ。」
「ちなみに、#ハッシュは横線水平&縦線斜め、♯シャープは横線右上がり&縦線垂直。
   ゴシック体で書かれた電話のキーパッドじゃあ、違いがわかんねぇけどな。」

…と、言うわけで。
『陸vs空』は『陸v空』とも書けるし、舞台上でこの『v』を極太のゴシック体で書いて、
フロアの陸猫とギャラリーの空梟から、遠目に見たとしたら…

「『陸V空』が『陸♡空』に見えるかもしれねぇし…」
「『vs』は『valentine kiss』の略…かもしれませんね。」


そう言うと、黒尾と赤葦は二人にだけ聞こえるように、お互いの耳元に何かを囁き合うと、
そのまま頬を寄せ、『陸vs空』を体現…する寸前、真横の袖幕を引き、全てを包み隠した。




- 終幕 -




**************************************************

※後日談 →『惚然自室


2020/02/14

 

NOVELS