天網快解①







「な…に、を…っ!!!?」
「いや…なんと、なく…?」



梟谷グループ合宿、自主練後。
3泊超の長期合宿になってくると、疲労の蓄積はシャレにならないレベルだ。
自宅という雑務から逃げられる場もなくなり、睡眠も絶対的に不足しているし、
傍目にはわからなくとも(表に出してない自信はある)、俺もとうに限界間近…
ほぼ無意識で、身体に沁みついた『お片付け動作』をオートで行っていた。

   (あとは、食事と入浴と、部誌と…)

何でこんなに、やらなきゃいけないことが多いのだろうか。
自分で言うのも何だが、俺は要領も処理速度も悪くないスペックのはずなのに、
それでもこんなにアレもソレも蓄積し続けるのは、どう考えてもおかしい。

   (何で、俺ばっかり…)


「晩飯のおかずは…何だろうな。」
「さぁ…あっさりめ希望ですね。」

「俺は…鯛茶漬けが食いてぇ、かな。」
「それは…晩御飯というよりお夜食。」

「…みかんだけでも、いいや。」
「皮を剥いたら…半分下さい。」

俺ばっかり、じゃなかった。
ここにもう一人、俺以上に限界寸前な苦労人が、オートモードで作業中…
普段通りの飄々とした態を装ってはいるが、その程度で俺の目は誤魔化せない。

俺との他愛ない雑談も、いつもはもっとユーモアとウィットに富んでいるのに、
飄々の中にため息交じりの隙間風が吹いているし、俺に対する労い成分も枯渇。
まさに『空疎』というに相応しい困憊振り…心中お察しするに余りある。

   (本当に、不器用な人なんだから。)


いや…ちょっとだけ、違うか。
俺よりもずっと器用で要領が良く、容量も懐もデカくて視野も広いばっかりに、
結果的に膨大なアレコレが、この人のところに集中してしまっているのだろう。
会社勤めをしたら、月間残業100時間コース、過労死認定まっしぐらだ。

「早々に枯れそうですね…ご愁傷様。」
「赤葦にだけは…言われたくねぇよ。」

「たまには休暇を、もぎ取っては?」
「お前が労わってくれるなら、な。」

「俺の休暇も、取って下さるのなら。」
「よ~し。二人で逃避行でもするか。」

箱根に草津、道後、有馬、指宿、別府、登別に白骨、乳頭そして伊香保…
脳内にだけは先行して湯気がぼんやり充満する中、乾いた声で逃避先を列挙。
相手のセンス良さとリズム感のなさに、深い同情と浅い笑いが込み上げてくる。


「寝る、寝る、温泉、メシ、温泉…♪」
「また寝て、寝て、温泉…大~爆睡♪」

ぼそぼそ歌い…呪詛を漏らしながら、アッチとコッチからネットを畳んでいく。
いつの間にか互いに『外面』を作らず、素直に『休みたい』を暴露し合い、
疲れ果てた表情と、重いため息を交わし合う…同病相憐れむタイム。

「赤葦頼む…俺を慰めてくれ。」
「よ~し、よし…次は、俺を。」

畳み終わったネットを向かい合って持ったまま、スカスカな慰めの言葉を贈る。
こんなモノに意味や効果があるとは到底思えないが、何故か緩む気がする。
空元気も元気の内というが、互いの辛さを熟知し合っている相手からの慰撫は、
たとえ意識が朦朧とした中での自動音声だったとしても…悪くはない、かも。

   (黒尾さんが休めるのなら、俺が…)


いつもは黒尾さんが、束ねたネットを用具倉庫へ片付けに行ってくれるが、
ごく僅かな時間、たったひと手間だけでもと、緩んだ頭で漫然と思いながら、
俺は手にしたネットをグイっと抱きかかえ、倉庫へ向かうべく踵を返…

「ぅわ!危ねぇっ!」
「えっ?わぁっ!?」

アチラはアチラで、いつも通り自分が持って行こうとネットを抱えていたため、
俺が予期せず引っ張った勢いで、黒尾さんも一緒に引き寄せられてしまい、
挙句、ばらけたネットに、二人して覚束無い足を捕らわれてしまって…

何がどうなったのかよくわからないが、床、網、赤、網、黒の順に重なり合い、
組んず解れつしっちゃかめっちゃか…いつの間にか、揃って倒れ込んでいた。


「ぃっ…赤葦は、大丈夫か…?」
「はい、俺の方は、何とも…っ」

倒れてもなおボケっとしたままの俺の上から、ネットを退け始めた黒尾さん。
その作業の途中で手が止まり…真上からじっと、俺を見下ろしていた。

ネット越しに互いの顔を見るのは、何ら珍しくもない『よくある風景』だが、
それは試合や練習中における、『相手チーム(コート)』の一部分としてであり、
バレーに関係なく、ネット越しに互いの顔だけを見たことなんて、記憶にない…

   (黒尾さんの、『無』の、表情…?)

俺と同じように、気が抜けてボ~っとした顔。
試合中や職務に就いている時の『外面』は、今は完全にOFFになっている。
こんなに素?無?な顔を見たのも初めてだし、探り合う必要がない状態も…

   (黒尾さんって、こんな顔…だっけ?)

何だ。そういう緩んだ顔も、できるじゃないですか。この…鉄面皮。
アクシデントが起こってもボケっとし続けるほど、限界寸前まで至らなければ、
鋼鉄製の外面を脱げないだなんて、ホントに…不器用な人なんだから。


「…何、笑ってんだよ。」
「マヌケ面だなぁ…と。」

「違ぇよ。『笑顔』オプションが赤葦に内蔵されてたのか!?な…驚愕顔だ。」
「そちらこそ、胡散臭さが取り外し可能な機能だったとは…意外な事実発見。」

「お前が俺のことを、今までどんな風に見てたのか…はっきりわかったぜ。」
「なら『今』は、俺がどう見えてるか…ご参考までにお聞かせ下さいませ。」

そんなこと、聞かなくてもわかる。
無だか素だか、ムスっとしていない…ドジを踏んで気の抜けた俺の顔に、
俺が黒尾さんに抱いたのと同じような、更にふわ~っと緩むカンジの感想を…

   (ホントに、俺も同じ…不器用だ。)

何だ、俺達…似た者同士だったのか。またまた意外な事実発見。
それに気付いた俺は、何故だか妙に可笑しくなり、つい口元を緩めてしまった。

   (あ、マズい…っ)


今の俺がどう見えるか?と問われ、マジマジと俺を観察中だった黒尾さんは、
何やら失礼なことを考えてほくそ笑んだ俺に、目を見開いて固まり、そして…

   (…えっ!?)

黒尾さんの顔を見て笑うなんて、これはさすがに、気分を害したかもしれない。
別にあなたのことを嗤ったわけじゃないですよ~と、誤解を解こうとしたが、
今まで見たことのない、黒尾さんの…真顔?に、俺は咄嗟に目を瞑った。

   (今の、顔…な、に…っ)


   突如激しく跳ね始めた、胸の内。
   瞬間湯沸器のように、火照る顔。
   熱を放つ頬に触れた、冷たい指。
   止まった呼吸を塞ぐ、柔らかい…


黒尾さんの表情と、それにつられて起こった自分自身の異変。
ぼんやり鈍った頭でその理由を考えるより先に、思考を完全に停止させられた。

露わなおでこを擽る、長い前髪。触れ合った鼻先を掠める、微かな吐息。
そして、初めて唇に感じる、温かくて蕩けそうな…

   (う、そ…、まさかっ、キ…っ)


驚愕のあまり目を開くと、俺以上に驚愕の表情をした黒尾さんが…至近距離に。
呆然というよりは、愕然とした顔で凝固する黒尾さんに、
俺は諤々と掠れた声で、当然の問い掛けを零していた。

「な…に、を…っ!!!?」
「いや…なんと、なく…っ」


俺よりももっと震えたか細い声で、黒尾さんの口から漏れてきた答え。
それを聞いた瞬間、俺は黒尾さんを思いっきり突き飛ばし、駆け出していた。





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2019/12/22   (2019/11/27分 MEMO小咄移設)

 

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