一雨降るごとに、気温が徐々に下がってきた。
明治神宮から青山通りに抜ける表参道のケヤキ並木も、
もうじき黄色…そして赤へと移り変わるだろう。
たまたま原宿方面で請け負った仕事が、早めに終わった。
冬にはまだ少し早いが、今日は西高東低の気圧配置…
人の多い通りを歩いていても、冷たい風に身を縮めてしまった。
その風に当たったせいか、何となく…
そう、何となく『そういう気分』になったから、
「たまには外で飯でもどうだ?」とメールを入れてみた。
間をおかず返ってきた『快諾』に、自然と頬が綻ぶ。
神宮前交差点東側…例の『ゴム製品店』の、対角側に居る。
それだけメールして、俺は通りの2階にある喫茶店に入った。
仕事以外の用事で、この辺りに来ることは、ほとんどない。
相変わらず物凄い人通り…さすがは表参道だ。
入った喫茶店は、大手チェーンではなく、ベーカリー主体。
若干値が張るが、その分学生やマダム達の歓談もなく、
店も客層も落ち着いており、心地よい静寂だった。
たった数百円で、神宮前交差点傍の喧騒から隔離され、
ゆったりした時間が持てる…コスト以上の贅沢さに、大満足だった。
ガラス張りの店内からは、通りを行く人がよく見える。
ここに居れば、赤葦がどこから来てもわかるだろう。
コーヒー片手に、俺はのんびりと『人間観察』を始めた。
観察の第一印象は…やはり、『さすがは表参道』だった。
場所柄、道行く人は色んなタイプの格好をしているのだが、
それぞれが皆、相当な『オシャレ』なのだ。
もし普段着で来ていたら…とんでもないアウェー感だ。
仕事着…スーツで本当によかったな、と痛感する。
そう言えば、この辺りの地形も、冬型の気圧配置と同じ、西高東低だ。
東から西へと上り坂が続き、一番上が明治神宮だ。
その方向に視線を移すと、空にオレンジ色が混じり始めていた。
神宮の手前…この坂を少しだけ上った場所に、
ずっと憧れ続けたオレンジ色…代々木第一体育館がある。
あの辺りは、俺の普段着…ジャージでも完全に『ホーム』だった。
たった数百mで、客層がこんなに違う…本当に東京は面白い所だ。
夕暮のオレンジに、ちょっとした郷愁を感じてしまい、
俺は見るともなく文庫を開き、眼下の人波に視線を落とした。
そうやって、どのぐらい時間が経っただろうか。
大量の『待ち合わせ』の人々の中に、頭一つ抜き出た長身…
探し求めていた姿を、少しだけ離れた場所に見つけた。
キョロキョロと周りを見渡し、ガードレールに腰を預けると、
手にしていたホットコーヒーを、ゆっくり飲み始めた。
どこかでテイクアウトしてきたのだろうか…
赤葦がそれを飲み終わる頃に、降りて行けばいいだろう。
表情が読み取れるぐらいの、離れた場所からの観察。
赤葦も別の場所で仕事を終えた帰り…スーツを着ていた。
ネット越しのユニフォームや運動着姿、普段着のジャージ、
高校時代の制服姿の赤葦は見慣れていたが、
スーツ姿を『遠くから』、しかも斜め上方から見たのは初めてだ。
いつもごく近い場所に居たから、どういう『全体像』なのか、
実際あまり意識して見たことがなかった。
(アイツ結構…背、高ぇんだな。)
腰を少しガードに預けているのに、周りの人々よりも随分高い。
『俺より少し小さい』という印象だったから…かなり新鮮だ。
(ただ『高い』だけじゃなくて…均整が取れてるよな。)
ジャージではなくスーツの分、余計に『元運動部』…
引き締まった筋肉を持った、『イイ体つき』をしているのが判る。
まぁ、何も着てなくても…『綺麗なカラダ』をしているんだがな。
まるっきりオヤジな自分の脳内発言を隠すように、
俺はわざとらしく咳払いし、文庫を広げて顔を覆った。
本に熱中する振りをしながら、俺は赤葦観察を再開した。
そして…意外な事実を発見した。
(もしかして、綺麗なのは…顔も、か?)
表情を読むのに『適度な距離』だった高校時代までは、
できるだけ赤葦から…自分の感情から目を逸らし続けていた。
アイツの顔を真剣に見るようになったのも、
全てはそこから隠された『真意』を読み取るためであり、
顔の『造形』自体を意識したことは…ほとんど覚えがない。
ただ『母親ソックリだな。』とは思っていたのだが。
いや待て、あの妖艶でお美しい赤葦母にソックリ、ということは…
(アイツ自身も美人…ってことかっ!!?)
赤葦は母親激似→母親は美人→よって赤葦も美人…
これ以上ないぐらい単純な三段論法に、今更ながら気付いた。
ここ最近は、焦点も合わない程『間近』にあったり、
消灯した『暗い場所』だったり、正視に耐えない艶っぽさだったり…
こんなにじっくり、離れた場所から『顔』を観察したことはなかった。
少し距離を置かないと判らないこともある。それが…
(アイツの顔…俺のモロ好みだ。)
衝撃の事実に、ガタンと椅子を大きく引いてしまった。
店内に響き渡る音…それを誤魔化すために、
「すみません…お冷下さい。」と、店員さんに手を上げた。
(まさかこんなトコで…気付いちまうとはな。)
冷たい水で火照りを醒ましながら、俺は苦笑した。
顔や外見だけを見るよりは、ずっといいかもしれないが、
俺は赤葦の性質や態度行動、隠された腹の底を読む…
まさに『せいこうとうてい』…性行読底ばかりしていて、
その実、ちゃんと『赤葦全体』を見ていなかったのではないか?
(そんでもって、挙句の果てに…性交倒体、ってか。)
またしても、自分のオヤジ発想…こういうのだけは、やたら早い。
水を一気飲みして、しょーもない妄言を振り払う。
もう一つ、真面目に気付いた『観察結果』がある。
(あのスーツ…似合ってねぇな。)
赤葦も俺と同じく、ジャージの着こなし『だけ』は自信があるタイプ。
服装のセンスなど、これっぽっちも持ち合わせていない。
周りを『オシャレさん達』に囲まれると、それが本当によくわかる。
今着ているスーツだって、夏に仙台の駅ビルで急遽揃えたもので、
赤葦の綺麗な顔と体に合わず、やけに野暮ったく見えてしまっている。
もっともっと、アイツを引き立てるような服があるはずだ。
これからの季節用に、オシャレ店員さんの助言を得つつ、
アイツにぜひとも着せてみたい…できれば俺好みのものを。
そうと決まれば、早速買いに行こう。
立ち上がろうとした瞬間、窓の下の赤葦と目が合った。
そして、ふわり…と頬を緩め、こちらに小さく手を振ってきた。
何かに射貫かれたような衝撃に打たれ、
俺はまたしても、静かな店内に大きな音を響かせてしまった。
***************
指定された待ち合わせ場所は、誰しもが待ち合わせにする場所…
そこらじゅうに溢れる『人待ち顔』の中に、目的の顔はなく、
ようやく一人分開いていたスペースに、とりあえず腰を預けた。
坂を上って来たせいか、少し汗ばんでいる。
冷たい風が気持ちい良いぐらいだが…
途中で買ったコーヒーが、熱くてなかなか飲めない。
きっと呼び出した本人も、近くの喫茶店で寛いでいるはず。
これを飲み終わるまで、もう少し待ってもらうことにしよう。
それにしても…とてつもないアウェー感だ。
さすがの俺でも、自分がこの場にそぐわないことぐらい、わかる。
スーツは最低限…ギリギリセーフかもしれないが、
そのスーツでさえ、こんなにも『差』が出てしまう場所なのだ。
目の前のショーウィンドに飾られた、多分『オシャレ』なスーツ…
イタリア1部リーグに所属する日本代表選手が着ているような、
見るからに高そうで、『デキる男』風なスーツ一式。
実際にこんな格好をしたエグゼクティブっぽい男性も、
今、目の前を…何人か通り過ぎて行った。
自分にセンスがないことは、十分承知している。
ジャージと制服だけで事足りた高校時代。
大学も、Tシャツとジーパンが制服代わり。
現在の仕事は、大抵が自宅兼事務所…来客時以外は当然ジャージだ。
オシャレセンスを磨く暇も機会も、幸か不幸か訪れなかった。
あぁ…早くこの場所から、退散してしまいたい。
黒尾さんは一体どこに…?
周りを見回していると、真横に座っていた女性達の声が、
聞き耳を立てていたわけではないが、はっきり聞こえてきた。
「ねぇ、あの上の人…カッコ良いんだけどっ!?」
「え、どこどこっ!!?」
あそこの…2階の…
女性が指差す先を、何となく目で追うと…まさかの『待ち人』が居た。
思わず腰を浮かしかけ…俺はくしゃみをして誤魔化した。
そのまま、虚空に視線を彷徨わせ…今度は聞き耳を立てた。
「ホントだ…すっごい足、長くないっ!?」
「きっと、背が高いんだよ!いいなぁ~!」
(ご名答。高いですよ…190近くありますからね。)
隣に座っているサラリーマンと比べても、随分手足が長く、
姿勢が良い分、余計にスっと…背が高く見える。
「スポーツやってたのかな?ガッチリしてるよね。」
「長身でイイカラダとか…憧れるわぁ~!」
(この位置からもそれを見抜くとは…恐れ入りますね。)
同じ男でも、嫉妬するのが馬鹿らしくなるほどの…イイカラダです。
皆さんにそれをお見せできなくて、実に残念ですよ。
…と、何故か自分が得意げな気分になってしまった。
「ピシっとしたスーツに眼鏡で、難しそうな本読んで…」
「あのお店、ちょっと高いとこだし…」
もしかして、『意識高い系』の人…かな?
(失敬な。あの人はそんな『見せかけ』だけじゃないです。)
知識も教養もあって、それに相応しい学歴と資格を持ってます。
それなのに、それを鼻にかけることもなく、本当に謙虚で…
言っときますけど、あのお店に相応しい収入だってありますから。
意識だけじゃなくて、リアルにイロイロと秀でて…
心の中で、隣の女性達に滔々と語っている内に、ふと気付いた。
黒尾さんは、もしかすると…
(とんでもない…ハイスペック男子!!?)
巷で言われる『意識高い系(笑)』の特徴である、
『やたらと名言を引用する』『自己啓発・ビジネス本を多読』
『学生起業してCEOの肩書付の名刺を所有』『異業種交流会が大好き』
『目に余る上昇志向』『高すぎる自己評価』『頑張っている自分が好き』
『驕った特権意識』『傲慢な金満主義』…どれも当てはまらない。
のんびりしたいから自営業。金は食っていけるだけあればいい。
趣味は読書ぐらい…その本も、自己啓発やビジネスとは無縁なもの。
(きっとあの本も、ミステリか…実は官能小説かもしれない。)
古人の名言を多用する代わりに、しょーもない親父ギャグと言葉遊び。
学生起業はしたが、実に質実剛健…苦労人である。
中身も成果も、身長も身体能力も、社会的地位も収入も…
本当の意味で『意識の高い』人間なのだ。
それでいて、頭も腰も低く、常に相手を立てる気遣いと優しさを完備。
冗談抜きでイイ男…信じられないぐらい、ナチュラルに『王子様』だ。
…って、俺が自慢げに語ってどうするんですか。
自分の『待ち人』が、客観的に見てどれだけ『イイ男』かを再確認し、
得も言われぬ喜びが、この胸を支配しかけ…
「あんなイイ男…恋人が羨ましいっ!」
「『お似合い』じゃないと…ちょっと許せないよね~」
響いてきた声に、胸の奥がキンと冷えた。
どう考えても…俺なんか、とても『お似合い』とは言えない。
もし彼女達に「俺がそうですよ。」と暴露したら、きっと激怒される。
黒尾さんは『意識高い系』どころか、俺には…『敷居高い系』である。
(何であんなイイ男が、俺なんかを…)
どん底に沈みかけた気分。
だが、それを救ってくれたのは…女性達の声だった。
「まぁ私ならそんな恋人…絶対手放さないように『頑張る』し!」
「むしろ、私に合うように…『私好み』に変えるのもアリだよね。」
(黒尾さんを、絶対手放さない…俺好みに、変える?)
前半は、まだわかる。だが、後半の『俺好みに変える』とは…?
言っている意味がよくわからないと、頭を悩ませていると、
またしても女性達が、アッサリ答えを教えてくれた。
「とりあえずは…『私好み』のコーディネートに着せ替える!」
「自分が選んだスーツにして…『私のもの!』って主張したいよね~」
今のスーツも悪くないけど、私の好きな色じゃないもん。
こっそりネクタイと同じ色のマフラーとか…『お揃い』もいいよね。
(成程っ!さすがはオシャレな…表参道の女性です!)
確か、あのスーツ…『研磨にテキトーに選ばせた』と言っていた。
『乙女ゲームの攻略対象・人生成功してる奴っぽいスーツ』…だったか。
(孤爪が選んだスーツ…全く以って、気に入りませんね。)
黒尾さんが自分に『お似合い』だとは、到底思えない。
でも絶対に…手放す気など、ありはしない。
それならば、ほんの小さなことではあるが、
『この人は俺のもの!』という自己主張…自己満足のために、
自分が選んだスーツを着てもらうのも…なかなか悪くない。
(勿論、オシャレのプロ…店員さんの助言を参考にはするが。)
とりあえず、『俺好み』のスーツに…今すぐ着替えてもらいたい。
そしてこっそり…同じ色のネクタイを、自分用に買ってしまおう。
そうと決まれば、即時行動だ。
すっかり冷え切ったコーヒーを飲み干すと、
丁度良いタイミングで…黒尾さんと目が合った。
こんな夥しい人の中でも、ちゃんと俺に気付いてくれた…
そのことが無性に嬉しくて、つい手を振ってしまった。
「え…っ!?」
「うそ…っ!」
女性達の驚く声と、痛い程の視線を背中に受けながら、
俺は意気揚々と黒尾さんの元へと向かった。
- 完 -
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※赤葦vs研磨 →『撚線伝線』
※表参道と明治通りが交差する神宮前交差点…
例の『ゴム製品』のお店がある西側の角辺りにも、
『神宮前六丁目地区第一種市街地再開発事業』が始まりました。
東京五輪までに、新たなランドマーク完成を目指しているそうです。
(クリックで拡大)
2016/10/19UP