逢引初回







「参ったな…どうすべきなんだ?」
「えぇ…どう、致しましょうか。」


多忙を極める、音駒主将の黒尾と、梟谷副主将の赤葦。
主力選手としての厳しい練習に加え、役職付ならではの膨大な業務。
当然、学業も疎かにはできず、息を付く間もない日々だ。

所属チームは違えど、似た境遇の二人は、いつしか急接近…
お互いを『良き理解者』として、お付き合いを始めた。
だが、交際を始めたからといって、自由になる時間ができるわけでもなく、
普段は慎ましく『おはよう』『お疲れさま』『おやすみ』といった、
ご挨拶と労わりの一言…『電子的文章連絡』で精一杯。

慎ましいながらも、この『ちょっとした一言』の癒し効果は、絶大だ。
お互いにどういう状況かを熟知している分、
ただの挨拶だろうと、自分に気にかけ、時間を割いてくれた…
たったそれだけでも、嬉しくて仕方ないのだ。
相手からのメッセージ着信のお知らせを見るだけで、頬が緩んでしまう。
いやはや、本当に恋愛って凄いパワーだ…と、お互い密かに思っていた。


日々を地味に、だが堅実に頑張っていた二人。
その努力に、誰かが『ご褒美』をくれたのだろうか。
学校や監督達の都合で、止むを得ず部活休止…それが、重なったのだ。
土曜丸一日休み。翌日曜は夕方から自主練のみ(参加の要否は問わない)。

文字通り『降って湧いた』ような休日。
淡い期待を抱き、連絡を取り合い…
本日初めて、『部活外』で『個人的』に会う機会が持てたのだ。
この状況を一言で表すと…『はじめてのデート』である。

良くも悪くも、似た者同士。
昨日の晩、突然会うことが決まった後は、完全に浮かれモード。
もしこの予定がもっと早く決まっていれば、表面上は全く分からなくとも、
きっと浮足立ってしまい、部活や日常生活に支障を来していただろう。
寝る直前…自宅の自室で急遽決定して、本当に良かった。
だが逆に、突然決まったが故に、事前準備をする間が全くなく、
殆どが『運動着』で占拠された洋服ダンスを前にして、
「何を…着て行けばいいんだっ!!?」と、途方に暮れてしまった。

…勿論、それだけではない。
お付き合いを始めて、やっと訪れた『おデート♪』のチャンス。
明日一体、ナニが起こるのか…?脳内妄想の暴走に振り回され、
結局寝たような寝てないような、そわそわの一夜を過ごしてしまった。


一晩かけて、お互いに辿り着いた結論は…奇しくも(やっぱり)同じだった。
せっかくの『貴重かつ稀少な機会』を無駄にしないよう、
待ち合わせ場所で顔を合わせ、挨拶後の第一声が…コレだった。

「今日は、仕事(部活)絡みのネタは…極力封印しとかないか?」
「未知の領域…『お互いのこと』を、重点的に話しましょう。」

昨夜一晩中、必死にイロイロと考えて(妄想して)みたのだが、
『バレー以外の赤葦(黒尾さん)』の姿を、あまり上手く想像できず…
お互いのプライベートについて、何も知らないという事実に気付いた。
よくもまぁ、こんな状態で、お付き合いしようなどと思ったものだ。
…恋愛なんてものは、『勢いと流れ』こそ重要なのかもしれないが。

「俺…もっと黒尾さんのこと、知りたいです。」
「俺も、お前のこと…もっともっと深く、な。」

実に率直な意見だったが、駅前の雑踏で、真顔で言うセリフじゃない。
傍に居た数人から、ギョっとした視線を浴びた二人は、
そそくさとその場から逃走し、近くの公園へ駆け込んだ。


ギリギリ23区内にあるその公園は、野球・サッカー・テニス等の各球技場、
弓道場や体育館にプール、図書館等の屋内施設だけでなく、
キャンプやバーベキュースペースまで備えた、大規模都市公園だった。
鮮やかな紅葉は終わりかけていたが、常緑樹の下に枯葉が積もった小路も、
それはそれで美しく、柔らかい冬の陽射しがとても心地良かった。
公園にいる人々の格好も、運動着やラフなものが多いのも、
二人にとっては『ホーム感』満載で、大変有り難かった。

のんびりと公園内を散策しながら、まずは最低限知っておくべきこと…
氏名や生年月日、住所(最寄駅)に緊急時連絡先等の情報を交換し合った。
それを伝え合うのに、さほど時間がかかるはずもなく、
すぐに『お互いのこと』というネタに行き詰まってしまった。

    一体、ナニを話せばいいのか…?
    一体これから、ナニをすべきなのか…?

「気の利いた話なんて…なかなか出てきませんよね。」
「俺もお前も、あんまりモテるタイプじゃ…ねぇな。」
顔を見合わせ、苦笑い。
だが、それが昨夜からの妙な緊張感を良い意味で緩め、
二人は実にリラックス…散策中に目に入ってきたアレコレについて、
他愛ない雑学や感想を言いながら、緩やかな時間を過ごした。

実際のところ、『気の利いた話』や『特別面白い話』なんて、
合コンや飲み会でもない限り、あまり必要ないのかもしれない。
こうしてのんびり、気張ることなく、力を抜いていられる方が心地良い。
少なくとも、自分には合っているし、こういう『力みのない関係』こそ、
自分が求めていたもの…ずっと憧れていた『理想的な恋人像』だった。

まだ『お互いのこと』については、ほとんど何も知らない状態だが、
二人で一緒に居ると『ホッとする』ということが判明したのは、
黒尾と赤葦にとっては、何よりも大きな収穫だった。
「『ドキドキ』や『ワクワク』も、勿論大事だとは思いますが…」
「『のんびり』や『まったり』が根底にある…それがいいよな。」

地味で面白味に欠けるかもしれない。
一般的には、モテないタイプだろう。
だが、「それがいい」とお互いが揃って思えるのは、実は凄く貴重で、
そんな相手と巡り逢えたことは、本当に幸運な話ではないだろうか。

「現段階でこう言うのもなんだが…俺、かなり幸せ者だ。」
「俺達…長期かつ安定的なお付き合いができそうですね。」
公園を包み込む温かい日差しのように、
二人は柔らかく微笑み合い、『小さいけれど大きな幸せ』を噛み締めた。


「とは言え、このシチュエーション…『そわそわ』するよな?」
「勿論です。さっきから血が滾って…『うずうず』してます。」

暑くもなく寒くもない日差しの中、様々なスポーツに興じる人々。
その楽しそうな笑顔を見ていると、自分の根本が騒いで仕方ないのだ。
「俺は、見るのも好きだが…ヤるのはもっと好きなんだ。」
「ここに来て、ナニもヤらないなんて…勿体無いですよ。」

基本的に、二人とも体を動かすことが大好きなのだ。
今日は部活絡みの話は封印。ここでもしバレーをやってしまうと、
すぐに本気になってしまい、『おデート』どころではない。
「さっき体育館前の売店に…見ただろ?」
「えぇ。あのくらいが…丁度いいです。」

売店に並べられていた、ファミリー向けの『お遊び道具』達。
その中から二人はバドミントンセットを購入し、芝生広場へと駆け出した。

「黒尾さんも、どんな球技でもソツなくこなすタイプ…ですよね?」
「まぁ、それなりにな。マジになりすぎないよう…気を付けるか。」
…と言いつつも、二人は既に臨戦態勢。
たとえ『お遊び』でも、スポーツは勝ちに行くのが原則だ。
絶対に負けたくない…が、熱くなり過ぎて喧嘩になっては、元も子もない。
かといって、自分達でスポ根を制御できるかと言われれば、答えはノーだ。

「過熱防止のために、『しりとり』しながら打ちませんか?」
「いいぜ。『3文字以上』かつ『名詞・固有名詞』限定だ。」

「『くろおさんだいすき』…のような、文章もダメですか?」
「『きすしてもいいか』…って、大声で続けていいならな。」
「『かんげいします』…って言ったら、どうします?」
「『すぐにおまえのいえにいこう』…が、正解だろ?」

まだ一度もシャトルを打たないうちから…
『ルール設定』の段階で、白熱した『かけ引き』が始まってしまった。
このしょーもないやり取り…これが楽しくて、始める前から大笑い。
ムードの欠片もないが、自分達にとっては、最高に楽しい時間だ。

「ルール変更だ。『今後二人でヤってみたいこと』…これでどうだ?」
「名案です。『但し、周りに聞かれても困らないもの』…限定です。」

「じゃあ早速、俺からイくぜ…『きもちイイことしたい』」
「い…『いきなりソレですか?ぐたいれいをどうぞ』!!」
「ぞ…ぞ…『ゾクゾクするようなエクスタシー』」
「しー…しー…『シーツのうえでヤるような?』」
「なっ!!?『なぁ、このままつづけてだいじょうぶなのか?』」
「『かなりアブナイので、ふつうのしりとりにしときましょう』」

持ち前の運動神経とボキャブラリーの多さ、そして負けず嫌いな性格から、
二人は結局、主に爆笑によって腹筋を酷使しつつ、本気で勝負を続け…

「カラダを動かす『おデート』…最高に楽しいよな!」
「予告通り『きもちイイこと』…二人でしましたね!」
慣れないスポーツに、ぜぇぜぇと全身で呼吸をしながらも、
『おデート』って、こんなに楽しいのか…と、二人は心底感激した。


イイ汗をかいたのは間違いないが、このまま汗を放置してはおけない。
何ならそこのプールに飛び込んでしまいたいぐらいだが…
高校生の自分達には、水着を買う程の金銭的余裕は、さすがになかった。
買えるとすれば…せいぜい下着ぐらいだろう。

「それなら、着替え用の下着を購入し…ウチに来ませんか?」
実は、この公園の北口から…我が家は徒歩圏内なんですよ。
自宅ならシャワーも使えますし、途中でお昼ご飯も買って…

「それは正直、ありがたいな。お前がいいなら…ぜひ頼む。」
この時期に、赤葦に風邪を引かせるわけにはいかない。
汗が冷えないうちに、すぐに着替えさせた方が得策だ。
それならば、取り得る手段は…汗をかき続けること。

「ここからウチまで…軽めのジョグで15分程度です。」
「腹ごなしには最適だな…もう一汗、かいて行くか!」
では…GO!!

赤葦の号令で、二人は軽やかな足取りで、赤葦家へと疾走した。




***************





「いやはや…ムードなさすぎも、問題だよな。」
「超体育会系的発想しかなかった…反省です。」

赤葦家に到着後、ザっとシャワーを浴びた二人は、
部屋着代わりのジャージに着替え、赤葦の部屋で弁当をガッツリ食べた。
お腹も満たされ、ホっと一息ついたところで、
ようやく『スポ根モード』停止…自分達の『現状』に気が付いた。

    土曜の昼下がり。親の居ない自宅。
    シャワーを浴び、静かな部屋で二人きり…

    (どっ…どうすべき…なんだっ?)
    (ここはっ、その…どうしたら…)

誰しもが考えるであろう、『こうなったらイイな』という、オイシイ状況。
昨夜自分達も、当然のように『妄想』したはずなのに…
いざ『念願のシチュエーション』になると、脳内は焦りと戸惑いのみ。
その『わたわた感』が、脳ではなく…口だけをひたすら動かした。


「初の『おデート』で、いきなり自室へ連れ込むとは…やるな、赤葦。」
「黒尾さんが『ケダモノ』だったら、今頃…美味しく頂かれてますね。」

「なあ、『美味しく頂く』のは…実は『ケダモノ』じゃなくねぇか?」
「確かに…『喰い散らかす紳士』と同じぐらい、相反する表現です。」

あぁ…これは、この『本当にどーでもいい考察』は、ただの照れ隠し…
あえてネタにすることで、恥ずかしさを笑いに変えているだけだ。
だがこれは、言えば言う程、何もできなくなるパターンでもある。
適度な所で止めないと、自縄自縛…わかってはいても、止められない。

「赤葦の希望通り、お前の家に来たぞ?さっきのアレ…言ってみろよ。」
「黒尾さんから、言って下さってもいいですよ?…『かんげいします』」
「それなら…『すきなことしてもいいか?』」
「かっ…『かかってきやがれ!!』ですね。」
まさに、売り言葉に買い言葉。なぜか、少々喧嘩腰ですらある。
暴走する口に、脳内で「ちょっと待て!」とツッコミを入れるも、
口から飛び出した言葉は、もう戻って来るはずもなく、
ソッコーで次の言葉が返って来て、エンドレス…歯止めが効かないのだ。

    よーし、いい度胸じゃねぇか。歯ぁ食いしばって、目ぇ閉じてろ…
    えぇわかりました。黒尾さんにその度胸があるか…お手並み拝見。

黒尾は赤葦の肩を両手でガシっと掴み、
赤葦はギュっと目を瞑り、待ち構える。
そのままジリジリと距離を詰め…吐息が頬を掠めるまで近づいた。

あぁ…本当に、俺達は大馬鹿野郎だ。
羞恥心を誤魔化すために、いつも以上に言いたい放題…
この『かけ引き』も実に愉快だが、今は『その時』じゃないのに。

初めての『おデート』で、初めてのキスが、これなんて…
ムード云々以前に、笑い話にもならない。

    (ここで引き返さなきゃ…マズいだろ、俺。)
    (でも、ここで止められても…困りますよ。)

吐息が、唇を撫でる。もう…触れてしまう。
心の中で、自分達の『喋り過ぎ』を猛省し、相手に陳謝…


その瞬間、道路工事でも始まったか!?というような衝撃音。
二人は文字通り飛び上がり、驚きのあまりお互いに抱き着いた。

ガガガガガ…という爆音は、机の上のスマホだった。
いつの間にか抱き合っていたことに再度驚き、バっと身を離す。
その勢いのまま、赤葦はスマホを掴み、震える手で何度もスライド…

「ま、まずい…かかかっ、監督からですっ!」
「お、お待たせして、すっ、すんませんっ!」

何故か黒尾まで頭を下げ…赤葦はようやく『通話』モードに切り替え、
バタンと大きな音を立てながら、ベランダへと出て行った。


「し…心臓止まるかと、思ったぜ…」

でも、正直…助かった。
今回、梟谷の監督には、助けられてばかりだ。
『どうしても外せない、家庭のゆゆしき事態』とやらで、
音駒が休みの時に限って、梟谷も休みにしてくれたし、
今も『どうしようもないゆゆしき事態』に、ストップをかけてくれた。
今度会った時には、いつも以上に深々と…頭を下げておこう。

チラリ…と、ベランダの窓を見てみる。
赤葦は何故か、何度も首を傾げながら…喋っていないようだ。
そしてそのうち、苦笑しながら部屋へと戻って来た。

「どうやら、間違い電話…操作ミスのようです。」
「そりゃあまた…大変お見事なタイミングだな。」
赤葦の方も、『いいところを邪魔された』ではなく、
『監督本当にありがとうございます!』と思っていたらしく、
二人で脱力…「はぁ~~」とため息をつき、ヘタリと座った。

「実は、こういうこと…よくあるんですよ。月イチぐらいで。」
ベッドを背に並んで座り、お茶を注ぎながら赤葦が話し始めた。
「よくある…?間違い電話が、か?しかも月イチは多いだろ。」
俺にも何度か、かかって来たことはあるが…数年に一度ぐらいだ。
赤葦の月イチのペースは、明らかに多すぎる気がする。

それはちょっと、おかしいんじゃ…と、心配しかけたところ、
赤葦は俺のスマホを指差し、問い掛けた。
「黒尾さんのアドレス帳…一番最初はどなたですか?」
「一番最初?あっ、『赤葦京治』…お前が一番だな。」

俺の答えに、赤葦は一瞬だけ、物凄く嬉しそうな顔をし…
すぐに『いつもの表情』にキリっと戻し、話を続けた。

「『あかあし』…1学期の始業式の日に、日直確定です。」
隣のクラス等には、『あおやま』や『あいはら』がいたんですけど、
運良く?今まで、出席番号は一番をキープしてきました。
連絡先を交換した相手のアドレス帳…大抵俺が一番になります。
実際、俺自身のアドレス帳も、自分が一番最初なんで…色々便利です。

「ところが、これが…間違い電話多発の原因でもあるんですよ。」
ガラケーでもスマホでも、何かのアクシデントや操作ミスで、
アドレス帳ボタン連打してしまうと…俺にかかってきます。
電話に出てみても、ざわざわとした遠くの声(居酒屋か?)だったり、
おチビさんがオモチャにしているような、キャッキャした声…
明らかに、かけた本人は気付いていないものばかりです。

時々それが、留守電に入っていることもあるんですが、
間違い電話だとわかっていても、つい気になってしまい…
「もしかしたら、『ダイイング・メッセージ』かも…と、
   淡い期待を抱いて、最後まで辛抱強く聞いてしまうんですよね。」

『ダイイング・メッセージ』は、ミステリではお馴染みのものだ。
犯人に襲われ、瀕死の重傷を負った被害者が、死の間際に残す暗号だ。
一番押しやすい、『一番最初』の俺に、最期の力を振り絞り…かも?と、
若干ドキドキしながら、耳を澄ませてしまうのだ。

「『あ』から始まる名前に、そんな苦労があったなんてな。」
「黒尾さんも『いまわの際』には、ぜひ俺に入れて下さい。」
黒尾さんが最期に残した『ダイイング・メッセージ』は、
俺が必ず、謎を解いて…犯人を当ててみせますから。
「ですから、間違っても犯人名を『直接』入れるなんてことは…」
「おいおい、俺は密室殺人で殺される運命かよ…勘弁してくれ。」

いつものような、馬鹿を言い合う楽しい会話。
やっと元の空気に戻り、お互いホッと一安心した。
『憧れのシチュエーション』とは程遠い、色気もムードもない会話だが、
ギリギリの所で暴走しまくるよりは、ずっとずっとマシだった。
今のうちに、一緒に暗号を考えておくか…と、紙を取り出したところで、
今度は俺のスマホが、轟音を響かせた。

「全く…いいところで邪魔しますね。」
「誰だよ…って、こっちも監督だっ!」

俺の方は、『間違い電話』の可能性は、極めて低い。
暗号用に用意した紙とペンを取り、慌ててベランダへと飛び出した。





***************





ベランダの手すりに紙を乗せ、真剣な表情で相槌を打ちながら、
黒尾さんはメモを取り、打合せを続けていた。

さっきのは、極めて例外的な『ラッキーな』間違い電話だったが、
本来は『おデート』に割り込む、無粋極まりない『迷惑電話』だ。
今日は極力、部活(仕事)の話は封印…と言ってはいたものの、
休みの時の方が、こうした連絡が自分達の所にくる可能性は高くなる。

    (仕方ないとは言え…少し、悔しいですね。)

部活や仕事をきれいさっぱり忘れ、二人だけの世界に浸れたら…
そんな時間を過ごせたら、どんなに幸せだろうか。

すぐ傍にいるのに、ガラス窓に隔てられた場所に居て、
誰かと話しているのに、その声は、俺には届かない…

    (いや…これこそが、俺達の『本来』の状態でした。)

逢いたくても、なかなか逢えない。
電話で声を聞くことさえも、ほとんどないのだ。

今日のように『休暇』が重なることなど、ほぼ奇跡…
こんな貴重な時間は、一秒たりとも無駄にしてはいけないはずなのに。
しかし、だからと言って、『ハメを外せ!』というのは論外だし、
照れ隠しに『無駄口』を盛大に叩きすぎ、身動きが取れなくなるのも、
それと同じぐらい大問題…本当に、情けないほど『手詰まり』状態だ。

完全に『仕事モード』の黒尾さんから目を逸らし、
込み上げる切なさを覆い隠すように、ベッドへ顔を埋めた。

スポ根モードでも、仕事モードでもない、別の姿…
二人だけしか知らない、そんな『モード』になるには、
一体、どうすればいいのだろうか…?


再び大きくため息を付こうとした、その時。
ベッドに放り投げておいた自分のスマホが、再び鈍い音を立てた。

    (今、忙しいんです。それどころじゃ…)

八つ当たり気味にカバーを開き、発信者名をチラりと見て…固まった。

「なっ…えっ!?」

ガバリと起き上がり、後ろを…ベランダを振り向く。
黒尾さん…『発信者』は、さっきと変わらず、こちらに背を向けたまま、
耳元にスマホを当て、『誰か』と電話しているようだった。
俺もそちらに背を向け、何故か頭に布団を被り…スマホを握り締める。

この電話…出るべきか、そのまま…待つべきか。
迷っているうちに、電子音が鳴り、留守電モードに切り替わった。
息を飲んで、息を止めて、じっと待っていると…メッセージが入った。

    『赤葦、今日は…すっげぇ楽しかった。』
      (いえいえっ、こちらこそ…お陰様で…)

電話に出ないまま、入れられるメッセージに対し、心の中で返事する。

    『滅多に逢えないのに、その…口が悪くて、すまねぇ。』
      (それは、お互い様ですから…俺の方も、すみません。)

面と向かっては言いにくい謝罪を、電話越しにしてくれた。
その優しさに、じんわりと胸が熱くなってくる。

    『こんな俺と、つ、付き合ってくれて…ありがとう。』
      (っ!!?あ、その、それはこちらのセリフ、です…)

布団…被っといて、良かったです…
暴発しそうな程、真っ赤に染まっているであろう、自分の顔。
いや、染まるどころか、デレッデレにニヤけているに違いない。

耳元に、思いっきり息を吸い込む音が聞こえる。
電話の向こう…窓の外で、『発信者』が勢いを付け、
勇気を振り絞り、大事な一言を…言ってくれようとしている。
それが伝わってきて、こちらも緊張…目を固く閉じ、それを待つ。

    『あかあし、だ』

肝心な言葉を言いかけたところで、無情のタイムアップ。
録音可能時間が過ぎてしまい、ツー、ツー、ツー…という音が、
自分達に冷静さと、『現実』を引き戻した。

カラカラと、静かに窓ガラスが開く音と、閉まる音。
俺も静かに布団から頭を出し…スマホは布団の奥に隠そうとした。
その瞬間、黒尾さんに飛び掛かられ…それを奪われそうになった。


「貸せっ!今すぐその留守電メッセージ…消させてくれっ!!」
「絶っっ対、嫌です!『永久保存版』に…決まってるでしょ!」

「っつーかお前、聞いてたなら…すぐ電話出ろよなっ!」
「出たら出たで、物凄い気まずくて…何も喋れません!」

布団に腕を突っ込み、できるだけ遠くに隠そうとする赤葦。
赤葦を羽交い絞めにするように、後ろから手を伸ばす黒尾。
ベッドに腹這いになりながら、双方必死の攻防戦が続く。

「わかったよ。もう一回、ちゃんとイれ直すから…なっ?」
「今度は、無難な『業務連絡』風に…するつもりですね?」

「じゃあ聞くが、そんなの保存して…一体お前は、『ナニ』する気だ?」
「おやおや、とんでもない愚問ですね…『ナニ』以外、有り得ますか?」

マズい…これは、またさっきと同じパターンだ。
今度こそ、もう止めなければ…
意外と冷静な頭に対し、口はどんどんヒートアップ。

「どうしてもイれ直したいなら、もっと…『ナニ専用』風ならいいですよ。」
「本当にそれでイイんだな?聞く度に…死ぬほど俺が恋しくなっちまうぞ?」

「ついでに、他にもイれたい『アレ』も…いっそのこと、いかがです?」
「あぁ、そうだな。じゃあお言葉に甘えて、このまま…イっちまうか?」

違う違う。こんなことが、言いたいわけじゃない…
赤葦は後ろを振り向きながら、セリフとは裏腹の泣きそうな表情で、
本心を訴えるように、首をふるふると横に振った。
黒尾の方も、威勢のいいセリフとは真逆な、辛そうな顔をしながら、
わかってる…と、首をこくこくと縦に振った。

    止め処なく暴走する、この厄介な口を止めるには…
    もう、強硬手段しか…無理矢理塞ぐ以外は、ない。

同じ結論に、同時に至った二人。
赤葦は身を捩りながら黒尾のジャージの襟を引き…瞳を閉じる。
黒尾は両手で赤葦の両頬を包み、開きかけた唇を…唇で封じた。


ようやく訪れた、静寂。
しばらくの間は、口が大人しくしているようにと、
宥めるように、ゆっくりゆっくり、何度も何度もキスをする。

少しずつ、二人の間には今まで流れたことのない空気…
甘く温かい、それでいて蕩けるような熱さが、周りを包み始める。

    (これが、未知の領域…黒尾さんの、『別』の姿…)
    (知らなかった、お互いの一部…『恋人』モード…)

徐々に力が抜けてきて、とろりと微睡むような、
甘い甘い痺れが、脳と全身を支配し始める。

「赤葦…」
今まで聞いたこともない、優しい声。
さっき留守電メッセージに入れられなかった言葉を、
黒尾はこれから、直接…赤葦の耳に入れようとしている。

ゾクリと背を駆け抜けた何かに、赤葦は慌てて黒尾を引き寄せると、
今度は自分から黒尾に口付け、そのセリフを封じ込めた。

「今、それを聞いてしまったら…」
本当に、死ぬほど逢いたくなってしまいますから…
聞きたいけど…どうか今は、言わないで下さい。

切なさに溢れる赤葦の懇願。
今まで見たこともない、艶で潤んだ瞳…
黒尾は思わずその言葉を零しそうになってしまった。
溢れ出そうなものを抑えようと、再度赤葦にキスし、自分の口を塞ぐ。


「今、こうして逢ってんのに…もう、逢いたくなっちまったな。」
「はい。本当に、欲深いと言うか…逢いたくてたまらないです。」

次はいつ、こうして逢えるのだろうか?
一瞬でもいいから、この『恋人モード』を味わえるのは…何日後だろう。
「明日も明後日も…黒尾さんに逢えれば、いいのに…」

叶わぬ望みに、赤葦は淋しさを込めた微笑みを見せた。
だがそんな赤葦に、黒尾は何故か、楽しそうに笑った。

「明日も明後日も…逢おうと思えば逢えそう…だぜ?」
そう言うと、黒尾は赤葦を立たせ、窓際へいざなった。
そして、あれを見ろ…と、窓から見える鉄塔を指差した。

「電話中に気付いたんだが…あの鉄塔、俺の部屋からも見えてるんだ。」
「え…?どういうこと、ですか?」
あれは確か、今日二人で遊んだ公園…テニスコートの傍にあったものだ。
どうしてあれが、黒尾家からも見えるのか…?

「実は、今日待ち合わせした場所…
   あの公園の南口から、ウチは徒歩圏内なんだよ。」
お互いの住所を確認し合った時、都内としては同じ西側…だが、
どこかで逢うとすれば、一度都心部へ出て、乗り換えて…と、
頭の中に路線図を描き、お互いの家へのルートを思い描いていた。

乗換回数は1回だが、音駒から梟谷まで行くのに、1時間近く要する。
特に、乗り換えに使うターミナル駅構内は、まるでダンジョン…
お互いの路線のホームに行くまでに、10分以上かかってしまう。
何度も練習試合でこのルートを辿っているせいもあり、
『都内としては近いはずなのに、便が悪くて行き辛い』という印象があった。
区も違えば、最寄駅の路線も違う…
そうそう頻繁には(金銭的にも)逢えない距離だと、思い込んでいた。

だが実際は、公園を突っ切ればものの30分…
電車よりずっと早く、しかもお金もかからない位置関係だった。
首都圏在住者にとって、距離や位置の把握は、路線図と乗換案内が基本。
だから、黒尾は実際に赤葦家に来るまで、赤葦は黒尾に言われるまで、
お互いの家が、広大な公園を挟んで、北と南に位置している…
直線距離として、実は意外と近い場所に住んでいたという事実に、
全く気付かなかったのだ。これぞまさに、『盲点』だ。


「朝練前に、ちょっと公園の中央までジョギング…往復30分だ。」
「ここからも、中央の芝生広場まで…ちょうどそのくらいです!」

もうちょっとだけ、あなたに包まれていたい…と、
毎朝布団との別れを惜しむ時間も、ちょうどそのくらいだ。
それならば、眠気覚まし兼トレーニングとして、走るのも…
別の何かに包まれに行くのも、選択肢としては『大アリ』だ。

「明日から毎朝、健康的な『新習慣』…俺と一緒にどうだ?」
「それを否定する理由は、俺には何一つありません…是非!」

初めての『おデート』で、こんな幸せな事実を発見するとは。
明日も明後日も、ほんのわずかな時間でも、逢えるなんて。

「今から明日が…楽しみですね。」
「そうだな…早起きも楽しみだ。」

満面の笑顔で、嬉しそうに言う赤葦。
でも、その前に…と、黒尾は耳元に囁いた。
「『今日』だってまだ…かなり残ってるぜ?」

今はまだ、夕方というにも早い時間。
明日の練習も午後からだし、多少遅くなっても…問題ない。

「それじゃあ、時間が許す限り…のんびりまったり過ごすか!」
しっかり遊んで、シャワーも浴びて、お腹もいっぱい…
何なら今から、『癒しの休日』を満喫するべく、
二人で昼寝も…悪くないかもな?

黒尾の提案に、赤葦は無意識のうちに、あくびで返事をしていた。
昨夜はほとんど寝てない上に、今はイロイロと充たされた気分で、
ホッとしたせいか…正直、眠くて敵わないのだ。

「あまりに気持ち良すぎて…寝過ごすかもしれませんよ?」
気が付いたら、すっかり真夜中でした…だったら、どうします?

赤葦はクスクスと笑いながら、黒尾にしな垂れ掛かった。
黒尾は赤葦の肩を抱き、眉間に皺を寄せる振りをして答えた。


「その時は…『終電乗り過ごしたから、泊まっていいか?』って、
   お前に頼むしかねぇ…よな?」
「それは『やむを得ない状況』ですから…それしかないですよね。
   翌朝、始発が動き出したら…」
運動がてら、駅までお送りしますよ。
公園の向こう…黒尾さんちの最寄駅まで、ね?

それなら…安心だな。
心置きなく、のんびりさせて貰うぜ。


二人はおでこを付けて笑い合い、同時に大あくびをした。



- 完 -



**************************************************

※二人が遊んだ公園は、『光が丘公園』をイメージしました。
※この直後のクロ赤 →『御泊初回
 


2016/12/07

 

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