恋慕夢中②







   (あー、どうしたもん…かな。)


梟谷からの海合宿の誘いは、大方の予想を裏切り、木兎の思い付き(暴走)なんかじゃなく、
アッチとコッチの監督を通じての、正式なオファーだった。

このクソ忙しい夏に、海になんて絶対行きたくなかった俺は、断固拒否の構え…だったが、
「おさかな食べ放題♪」の甘過ぎる誘惑に、部員の半数が即時参加表明しやがったし、
監督もアッサリ「研磨が参加なら良し!」と快諾、まさかの研磨も「別にいいよ…」と了承。
天変地異か地磁気逆転の前兆!?と、心底驚いているうちに、不参加を申し出る機会を逃し…

「は?クロは引率に決まってんじゃん。」
「『黒猫』は荷物持ち専門って、古代から決まってるよな~」
「オウムガイの浜焼き、カブトガニの唐揚げ、アミメウナギの蒲焼き…黒尾も大好きだろ?」
「目の前に新鮮な海産物をぶら下げられて、跳び付かねぇとか…ネコ失格!恥晒しの極致!」

あ~、いや、俺だってネコ並に『おさかなだいすき♪』なのは、お前らと一緒だが、
それと『海に行く』のは、全くの別問題…お前らもネコなら、濡れるのは嫌じゃねぇのか?

「つーか、アミメウナギは海にいねぇ。淡水魚だろ。」

「うわぁ~、そういうメンドクサイ話は、アッチの引率と茶ぁシバきながらヤってくれよ。」
「もし黒尾が行かなかったら、ネコの面倒まで赤葦に…そんな重荷を背負わせていいのか?」
「クロ…サイッテー。赤葦、かわいそう。」
「人でなしっ!ネコの片隅にも置けねぇっ!」


おいおい。俺はまだ、正式な不参加表明すらしてねぇのに、何だよこの言われ様はっ!
まぁ確かに、俺が行かねぇと、2チーム分の面倒事が全部赤葦1人に集中してしまう…
おさかなよりも、そっちの方がはるかに、俺のノドと胸に小骨がチクチク突き刺さる。
アイツがどんなにしんどい思いをして、影ながら頑張ってるか…俺が一番よく知っているし。

   (赤葦だけは…ほっとけねぇよ。)

あ~クソ!
俺の弱いポイント…俺が最も喰いつく餌がナニか、コイツら熟知してやがる。
せっかくの海だし、たまには俺らも赤葦に…ムチじゃなくてじゃらしを振って貰おうぜ!と、
ご丁寧に『ご迷惑とお手数をかけまくります予告』まで…さすがはネコ、最強のハンターだ。

   (ったく、しょうがねぇな…)

「お前らなぁ…赤葦じゃらしに釣られて、アイツに迷惑かけんなよ。」
「は?何言ってんの。釣師は俺らの方だし。」
「ウチの黒尾は、赤葦に釣られてキたぞ~♪って、俺らの釣果を自慢されたくなければ…」
「いつも通り粛々と引率…アッチにもコッチにも盛大にじゃらしを振りまくってくれよな!」

   高校最後の夏、だろ?
   俺らだって、たまにはお前と…
   黒尾と海で、一緒に遊びたいんだよ。

「キラキラのビーチで…お昼寝しよ?」


ついさっきまでのツンツンギャンギャンな大騒ぎは、どこへやら。
ウチの可愛い猫共は、俺の背や腕にピトっと額をひっつけ、口の端っこだけで微かに笑い、
ポソっと小さく昼寝の誘惑…家猫がごくまれに魅せる甘ったれな姿に、デレっと頬が緩む。

「おさかなの骨を取って身をほぐす係…
   それでよければ、俺も行ってやるよ。」

あーあー、罠だってわかってるよ。
すっげぇチョロいって思いながら、舌を出してほくそ笑んでるのも丸見えだ。
ホント、損な性分だと十分自覚してるが…可愛いって思っちまうもんは、どうしょうもない。


「俺はとんでもねぇ…甘やかしだよな。」
「でも、そんなお前が…嫌いじゃない。」



*******************




結局、どう足掻いたって、お守の俺がのんびりお留守番なんて、できるわけがない。
正直な所、コイツらだけで海に行かせたら、心配で心配で…絶対に寝られないだろうし。
それなら、面倒を全部背負い込む覚悟で、俺の目の届く範囲で遊ばせる方が無難だろう。

   (どう考えたって…損な役回りだよな。)

もう、これが俺の宿命なんだって割り切って、その『役回り』に徹してしまうのが楽だ。
地味にコツコツ、お守役をこなしていれば、いつかきっと『役得』があるかもしれないし、
損得勘定とは別の次元で、周りの奴らが楽しそうに笑う姿を見るのが…好きなんだろうな。

「ねずみ花火も、用意しといてやるか。」


夏の海といえば、やっぱり花火は欠かせない。
携帯端末を起動し、メモに『花火』と入力しようとしたタイミングで、メッセージを受信。
件名及び添付ファイルは、【来週の合同合宿について】で、本文は毎度お馴染みの定型文…

   平素より大変お世話になっております。
   次回合同合宿の要綱案を添付致しますので、
   ご査収の程、宜しくお願い致します。

先週も、その前の週も、先月も先々月も、これと一字一句違わぬメッセージだったし、
『梟谷グループ』のフォルダには、全く同じ件名がズラリと並んでいる。
そして、むこうのフォルダにも、俺が返信した定型文が延々と並んでいるはずだ。

 【Re:来週の合同合宿について】
   お疲れ様です。
   表題の件、了解致しました。
   ご連絡頂き、ありがとうございました。

予測変換のみで全文を打ち終え、送信ボタンを押し…もう数秒待てばよかったなと思った。
おそらく、間髪入れず【再来週の海合宿について】という件名のメッセージも届いたはずで、
来週の合宿中に打合せ&合宿後に買い出しという提案が、そこには書いてある…
その返答もまとめて『万事了解致しました。』と、送り返せばよかったじゃないか。


だが、数分待っても赤葦からのメッセージは来ず、俺は端末を持ったままフリーズ。
その『らしくない』理由に心当たりがありまくりだったから、俺からも動けなかった。

   (あそこでまた、打合せ…し辛ぇよな。)

   先週末の、合同合宿。
   静寂の訪れた、夜更けの地階で。
   赤葦と二人で、偶然体験した…
   『アレ』に捕らわれ、動けない。



*****



自主練&片付けという、カラダを使う系の業務の後は、食事&入浴&寝かし付け。
それらをようやく終えてから、最後にアタマを使う系の業務に取り掛かることができる。

「お待たせして、すみません。」
「いや、俺も今来たとこだよ。」

合宿所の地階、廊下の一番奥。
物品保管室やリネン室、空調機械室等の『業務用』の部屋ばかりが集まったフロアの一角に、
ローテーブルと流し台、腰高までのスチール棚と、簡易ベッドにもなるソファがあるだけの、
ほんの小さな部屋…室名をあえて付けるのならば、『多目的室』が3部屋並んでいる。

監督達が極秘の会議をしたり、非公開のお説教をしたり、隣人のイビキから逃れてきたり、
はたまた、中間管理職が残業&仮眠を取るため等、様々な用途で使われる便利なスペースだ。
こうした『なんやかんや』に使える多目的ブースは、街中の至る所に設置されているし、
不特定多数が集まる学校等にも、面積と収容人数に応じた室数の設置が義務付けられている。

   (こういう場所は、この社会に…不可欠だ。)

梟谷学園合宿所の多目的室は、事前予約または空室ならその場で申請さえしてしまえば、
誰でも自由に利用できるため、深夜残業の際は(合宿中はほぼ毎晩)ココに集合している。
ちなみに、俺と赤葦が打合せ等で利用する時には、一番奥の『イチゴのお部屋』が定位置…
その隣が『ブドウ』で、ブドウと配電室の間には『ミカン』のプレートが掛かっている。


「おや?今日は『イチゴ』…利用中ですね。」
「こんな時間にか?そりゃまた…珍しいな。」

バレー部が合宿所を使う際、『イチゴは残業部屋』という暗黙のルールが出来上がっており、
ブドウとミカンが塞がっていても、イチゴだけはいつも俺達用に空けてあったが…
今日はたまたま、寝られなくなった誰かが、緊急避難的に使っているのかもしれない。

ならば、睡眠の邪魔をしないように…と思ったが、ミカンは内装工事中で使用不可とのこと。
仕方なく、できるだけ音を立てないように注意しながら、イチゴの隣のブドウへ入室した。

「おっ♪コーヒーメーカー、発見!」
「眠気覚ましに、お入れしますね。」

合同合宿の度に、こうして多目的室に集まり、一緒に残業やら打合せやらをしてはいるが、
会話なんて必要最低限…あくびを噛み殺しながら、ただ黙々と業務をこなしているだけ。
テーブルに投影したキーボードに指を滑らせ、軽やかにトントンとタップする音や、
んんん~っと伸びをする音以外には、心地良い静寂に包まれた…貴重なリラックスタイムだ。

   独りでやるより、不思議と仕事が捗る。
   独りで居るより、落ち着ける気がする。

何故だかわからないが、何となく何かが合う。
そういうファジーな感覚を、古代から『気が合う』と表するのだろう。


隣でうつらうつらし始めた赤葦に、右肩と腕を貸しながら、左指だけで端末を操作。
さぁて、このコーヒーを飲み切ったら、俺も一眠りしようかな〜と、あくびをした瞬間、
二人のカップが同時にカタリと音を立て始め…カタっ、カタっ、カタっ。

「ん…?何の、音…ですか?」
「カップ…いや、他にも…?」

地震にしては、僅かな感覚の開いた、不自然なリズム。
微かな異変に気付いた赤葦もすぐに目覚め、カップの音を消さない小声で俺に尋ねてきた。
俺も囁くように返答…動きを止めて耳を澄ませていると、同じリズムの別音が聞こえてきた。


   ぎしっ、ぎしっ、ぎしっ…
   うっ、ぅっ、っ…

木と木が擦れ合い、重みに耐えかね軋むような音と…何とも形容し難い、呻き声。
胸や腹を圧迫され、苦しみに悶えたいのに、それを上手く、はっきりとは口から出せなくて、
積もり積もった怨念?を何とか伝えようと、必死にもがき、喘いでいる…

こういうのにソックリな音や声を、つい最近…昨晩、木兎が回してきた『夏動画』で見た。
誰も居ないはずの部屋から、一定のリズムで鳴り響く音と、恨めしいすすり泣きの声が…っ

「ももっ、もしかして、『出る』っ、のか?」
「しっ、知りませ…聞いたこと、な…ひっ!」

真夏でも冷んやりした、古い地下室。
このカタカタは、家鳴り…と思いたいが、合宿所は非木造(鉄筋コンクリート造)だから、
木造の梁や柱が、風や湿気で軋む音なんて、立てるわけもないし、
密閉度も高いから、窓からの隙間風が呻き声に聞こえることも…そもそも地下で、窓もない。


「なっ、夏だしっ、霊的な方々が、ラップ音鳴らしたり、ポルターガイストするのも…っ」
「たっ、多目的、ルームでの、禁止行為には、当たらない…もももっ文句、言えませんっ」

コーヒーカップ以上に、ガタガタと音を立て始めた歯と膝を抑えようと、互いにしがみ付く。
いや待て、ちょっと落ち着こう。まだ別に、お隣さんが『出る』系と決まったわけじゃない。
ドン!と壁に何かがぶつかる音に、お互いにムギュっ!!っと抱きつき二人で飛び上がり…
その勢いに乗り、俺は赤葦を抱き締めたまま、あえて音がする壁に近付き、耳を貼り付けた。

   (正体がわかんねぇから、怖いなら…)
   (正体を突き詰めてしまえば、いい…)


   ぎしぎしぎしぎしっ…
   んっんっんっぁっぁっ…

さっきよりもはっきりと、リズミカルなギシギシ音&息も絶え絶えな声が伝わってくる。
しかも、ちょっとペースが速くなったような…声の方も、随分かん高くなった気がする。

   (あれ?この音と、声は…)
   (どこかで、聞き覚えが…)

これに似た音や声も、つい最近…昨夜、木兎が二本目に送ってきた『ひと夏動画』で聞いた。
誰も居ないはずの隣室から、耳に毒なアレが響いてくるという『映像作品』の…BGMだ。

   (呻き声、っつーよりも…)
   (むしろ…喘ぎ声っぽい?)

耳に全神経を集中させると、喘ぎ声の合間に、『出る』だの『まだ』だの『もっと』だの…
どう考えても、地獄から『出る』系じゃなく、その真逆…極楽方面に『出す』系の音声だ。
つまり、その、アレだよアレ…お隣さんは『真夜中の情事』の真っ最中ってコトだろっ!!

   (ま、マジか…っ!!)
   (っっっ…!!!!!)


   (なぁっ、こういうコトに、使うのは…っ?)
   (当然っ、多目的のウチに、入ります…っ!)

こっ、こういう世の中ですし、むしろコレが多目的室の主目的…存在意義、ですよねっ?
霊的な方々じゃなくて、零…0(ラブ)的な方で良かったというか、何で気付かなかったか…
いいいっ、いままで、ココで残業してて、遭遇しなかったことの方が、摩訶不思議ですねっ!

どなたかは存じませんが、羨ましい限り…じゃなくて、お邪魔してはマズいですよねっ!?
このままおとなしく、お隣さんが出してイく…いやいや、出て行くまで、待機しましょう!

「どうか安らかに…イっちゃって下さいっ!」


壁から耳を離すかわりに、俺の胸の中に頭を埋めながら…まぁ、出るわ出るわ。
間違いなく照れ隠しなんだろうが、独りでひたすら、喋ること喋ること。
カァ〜っ!っと音がするほど頬を染め、俺達が座っているソファが揺れるほど…ソワソワ。

霊的な方にも、0的な方にも、予想外のピュアピュアな姿を晒した赤葦に、
言葉にならないキュ〜ンっ!で、妙にザワザワしそうな自身を、俺は必死に抑えていた。
最初のうちは、笑いを堪えるために。でも、いつしかそれが、別種の何かに変質し…

   (変わったのは、俺の方…じゃない?)


壁からできるだけ離れ、お隣さんの音を聞かないようにと、
俺の胸と腕の間…脇の下になかば潜り込みながら、時折ぴくっぴくっ!っとしていた赤葦。
お隣さんの音と声の間隔が狭まり、大きくなるに従って、赤葦の纏う空気?匂い?が変わり…
周りの音も、景色も、何もかも見えなくなり、意識すら抜け出ていきそうな感覚に陥った。

   (何だ、これ…赤葦以外、わから、ない…っ)

   理屈では、わからない。
   でも、本能で…わかってしまった。

   (赤葦は…で、俺は…っ)


このままじゃ…マズいっ!
遠のき始めた意識を何とか繋ぎ止めようと、思い切り唇の端を噛んだ。
その痛みに声を上げそうになった瞬間、お隣さんのドアが閉まる音がした。

部屋の前を二人分の足音が通り過ぎ、濃厚な色の気配が十二分に消えてから、
俺の胸でぷるぷるしていた赤葦は、突き飛ばすような勢いで俺の中から飛び退り、
まるで緋鯉のごとく真っ赤な顔で、言葉の出てこないおクチをパクパク…
「おっ、おやっ、おやす…痛っ!」と、舌を噛みながら多目的室から飛び出して行った。


*****



…と。
こんなことがあったもんだから、赤葦は気まずくなって打合せの件を言い出せないのだろう。
先週はイレギュラーだったが、きっと今後はいつも通り『イチゴ』の部屋で二人きり…
そんなの、俺だってちょっとだけ、恥ずいっつーか、先週のことを絶対に意識しちまうだろ!

   (恥かしいとか、そういうレベルの話じゃ…)

俺はともかく、赤葦がもし先週のコトを意識したら、『大事故』が起こりかねない。
赤葦を傷付けないためにも、俺は極力、赤葦と距離を置いた方が良いんだろうが…

   (赤葦は、まだ…気付いてない。)


あれだけ密着していても、ごくわずかにしか検知できなかった、赤葦の甘い『変質』。
赤葦本人は全くその異変に気付いていないし、おそらく未だ『自覚』もしていない…
赤葦家の御両親や、梟谷の監督も、本人に『そのこと』を告げてはいないはずだ。

それなのに、俺は、わかった…
わかってしまったことで、逆に俺自身のことを『自覚』した。

   (まさか、俺が…っ)


赤葦が『自覚』するまでは、無闇に近付かない方が、お互いのためだ。
だが、『自覚』していないからこそ、唯一気付いた俺が、赤葦を守ってやらなきゃ…マズい。
普段の生活なら特に問題はないだろうが、再来週の『海合宿』は、危険極まりない。

   (アバンチュ〜ルじゃ…済まねぇよ!)

可能であれば、赤葦を縛り付けて監禁し、海なんて行かせないのが、一番安全だろう。
だが、赤葦が行かないという選択肢は、梟谷には絶対にあり得ないし、
どんな状況であれ、赤葦もみんなと一緒に海バカンスを楽しみ、良い思い出を作って欲しい。

   (俺が、赤葦を…守らねぇと。)


ごく小さいけれど、俺自身の内心の『変質』には、今はまだ気付かなかった振りをしつつ、
俺はなけなしの勇気を奮い立たせ、なんとか手を動かして携帯端末を開き、赤葦へ業務連絡…
件名は【再来週の海合宿について】、内容は来週の合宿で打合せを呼び掛けるものだ。

送信ボタンを押すと、10秒と経たずに『万事了解致しますた。』と定型文?が返ってきたが、
まるで舌を噛んだかのような、ワタワタ感ダダ漏れな『誤字』に、ふわっと力みが抜けた。

「意外と鈍臭い…可愛いトコあるんだよな〜」


   何が起こるか、全くわからない。
   怖くて怖くて堪らない…夏の海。
   それでも、俺は…行くしかない。


「まさか、赤葦が…『Ω』だったなんてな。」




- ③へGO! -




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小悪魔なきみに恋をする7題
『01.(甘すぎる笑顔の罠で)』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。



2020/07/19

 

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