奏愛草子③ (月山編)







   あの日に 戻れるのならば
   これ以上 なにもいらない


初恋相手兼初失恋相手との同居生活は、表面上は実に穏やかそのものだ。
ひとことで言えば『坦々』…波風の立たない恙ない毎日を、ツッキーと二人で過ごしている。

でも、ホントに『たんたん』にあてるべき漢字は、『淡々』…波風が息を潜めた凪状態だ。
これは、真空近くまで圧縮された空気に抑え付けられて、凪いでいるように見えるだけで、
水面下では重く滞留する凍えたなにかが、とぐろを巻いている…嵐の前の静けさでしかない。

   (重苦しくて…上手く、息ができない。)


ツッキーとの同居を、両親から聞かされた日。
あの日、ツッキーの口から発せられた明確な拒絶の言葉が、耳から離れない。
そりゃそうだ。出逢った瞬間から恋に落ち、ずっと想い続けた相手からの拒絶…失恋の記憶。
そんなものは、時間が経って薄れてくれば、徐々に癒されるはずなのに、
その言葉を発したのと同じ、感情の色がまるで見えない淡々とした表情の張本人と、
毎日毎日顔を合わせ、一緒に食事をし、家事を協力してこなし、隣の布団で寝る生活が続く…

   (忘れたくても、 忘れられない。)

良くも悪くも、ツッキーは『今まで通り』だ。
あの日を境に世界が暗転してしまった俺とは違い、今までとほとんど変わらないまま。
俺と一緒に生活することは拒否ったけれど、幼馴染としての関係が変わるわけではなかった。
『山口忠』という存在全てを拒絶されなかったことは、良かったかもしれないけれど、
逆に言えば、『今まで通り』のツッキーは、俺が大好きだったツッキーそのまんまってこと…

   (俺の気持ちも、今まで通り…薄れない。)


失恋が確定した相手と、恋心を引き摺ったまま『今まで通り』の楽しい日々を過ごしていく。
一方的ではあるけれど、好きな人とずっと一緒に居られる上に、今まで見たことない姿まで…
こんなの、嬉しすぎて絶叫してしまいたいくらいなのに、それは絶対に許されない。
ツッキーは、俺との生活を望んでいなかった…仕方なく受け入れているだけなんだから。

   (喜ぶ姿なんて、見せちゃダメ…っ)

好きな人と何でもない日常を共に暮すことが、こんなにも辛いものだったなんて。
溢れ出しそうなキモチを抑え、今まで通りの幼馴染を続けなきゃいけないなんて…

   (こんな生活、もう…耐えられない。)



「へぇ、ティラミスなんて自分で作れるもんなんだ。」
「うん!まぜまぜして重ねるだけで、割とカンタンにできちゃうんだよね~」

「僕としては、もうちょっと甘くてもいいんだけど…悪くは、ないかもね。」
「っ!!?えへへ~♪あっ、ありがと…っ」

わかるよ、ツッキー。
望まない俺との生活を、できるだけ波風立たないように…
お互いが心地良く過ごせるようにと、最大限努力してくれてるってこと、わかってるから。

喜ぶ顔が見たいっていう、俺の勝手な願望のために、スイーツ作りを頑張ってるだけなのに、
いつも必死に言葉を選んで、俺を褒めてくれるなんて…その努力が、嬉しすぎて、困る。

ニヤケて緩む顔を隠すため、冷蔵庫で冷やしておいたイチゴに、残ったホイップクリームと、
ツッキーへの気持ちをたっぷり乗せて…視線を合わせないまま、冷たい器をそっと置いた。


「こんな甘々…俺にはもう、ムリかも。」
「僕は…そんなに、嫌いじゃないかも。」




********************




   あんな顔を させるつもりじゃなかった
   ただただ、「……」なだけなのに


あの日、初めて聞いた山口の『ヤだ!』という言葉が、僕を抑え続けている。
元々が引っ込み思案で、自分の我を通さず周りの声がデカい奴に引っ張り回されるタイプ…
言い換えれば、気配り上手で一歩引いた控えめな性格だと褒められるかもしれないけれど、
あえて悪く言えば、周りに迎合して損をするお人好し…それが一般的な『山口忠』の人柄だ。

でも、そんなのはただの上っ面な評価。
近くに居たのが、声がデカい奴らと口が達者な僕だったから、そう見えていただけの話で、
こうだ!と決めた時の迅速な行動力と、それを実行する強靭な忍耐力を兼ね備え、かつ、
ひたむきに努力をし続ける、まっすぐでしなやかな芯の通った…とんでもない頑固者。
最も近くから、最も長く見続けてきた僕は、『山口忠』の人柄をこのように評価している。

   (だから…僕には、わかった。)


僕は、自分の精神力の弱さを熟知していたが故に、誠意をもって山口との同居を拒絶した。
それに対する山口のリアクションは、「ツッキーがいいなら、俺は別に…いいけど。」だと、
あの場に居た誰もが思っていたはずなのに…それがまさかの、強烈な拒絶返しだったのだ。

   忠が蛍に『No!』を言うわけ…ない。
   見ろ。あの淡々とした、冷たい表情。
   あれは忠の十八番…蛍のモノマネだ。

両親達は山口の拒絶返しを、いつも通りの『ネタ』だと受け止め、クオリティの高さに爆笑。
山口もそれを、いつも通りの「えへへ~」で笑って流し、同居は恙なく決定した。
(同時に、僕の必死の抵抗も、いつも通り全員からスルーされてしまった。)


でも、僕だけは気付いていた。
あれは山口のネタなんかじゃなくて、本心…僕との同居なんて、真っ平御免だという目だ。
ネタに見せかけて、中には芯の通った強いキモチがあると、僕にはわかってしまった。

それは、まぁ…そうだろうね。
こんなワガママで不愛想で面倒臭い僕なんか、僕だって絶対に同居したくないって断言する。
それでも、本心を隠すための(僕に似せた)表情と、(僕が言いそうな)拒絶の言葉に、
世界が暗転する程の衝撃を受け…全てが終わったことを、はっきり理解した。

   (僕は…失恋、したんだ。)



「ねぇ、この泡だて器の…」
「あ、そうそう!それと、あとボールと、ヘラに付いてるクリームも…舐めてもらえる?」

洗い流すのはもったいないけど、クリームをそのまま舐めるのは、俺には甘過ぎちゃって…
ホント、スイーツ作り自体は凄い楽しいのに、匂いがキツいのと味見も苦手なのが困るよね~

「いつも完成品&残り物のお片付けを、ツッキーにおまかせしちゃって…ゴメンね~?」
「僕の方は大歓迎…あっ。」

「…なに?どうかした?」
「いや、何でもない…片付けは僕が全部やっとくから、山口は休んでなよ。」

「やったぁ!ツッキー、いつもありがとね~」
「どちらかというと…こちらこそ、でしょ。」


クリームの付いた場所…山口のほっぺに伸ばしかけた指を下ろし、代わりに器を手に取った。
幸か不幸か、耳に残りるあの日の『拒絶』が、脆弱だった僕のガマンを固くコーティング…
山口との甘々な同居生活でも、欲に溶かされることなく、坦々とした日々を保っている。

   (もし、あの言葉を、また言われたら…)

表面上は美しく滑らかに整っていても、ちょっと力を加えれば粉々に砕けてしまう。
失恋したヒビだって、未だに塞がっていないというのに、これ以上嫌われたり拒絶されると、
チョコ味のショートケーキに乗った、薄いチョコ飾りの如く…僕はパキっと壊れるだろう。


今の甘々な生活は、僕のメンタルと同じ…長くは続かない。
少しでも外から力が加わったり、内から熱を発してしまえば、溶けて消えてしまうものだ。

こんな甘々は、ココロにもカラダにも、あまり良いとは言えない。
わかってる…わかっているけど…


「甘々って、やめられないんだよ…ね。」
「ムリだダメだと、わかってても…ね。」





- ④へGO! -




**************************************************


2020/03/03    (2020/02/06、08分 MEMO小咄より移設)

 

NOVELS