奥嫉窺測(7)  ~月王子息④







「もうすぐ、満月…か。」


明日か明後日には、きっと月は満ちる。
何も考えたくないから、ただ茫然と月を眺めていたはずなのに、
満月まで少し『足りない』姿が、目を逸らしている事実に否応なく光を当てる。

   あと一晩…いや、二晩寝たら。
   月は満ち…山口の記憶も戻る。

これは、単なる希望的観測。
だけど、これはおそらく間違いないだろうと…理由のない部分で確信している。
元より、そんなに重篤な状態ではない。時間をかければ、いずれ戻るものだ。
何もしなくても…あと二晩寝るだけで、『山口の世界』は満ちるだろう。

問題は、『僕の世界』の方だ。
たとえ山口の世界が元に戻っても、激変した僕の世界は…元には戻らない。
そして、あと少し何かのきっかけがなければ、僕は先にも進めない。

   今までの僕達の世界は…喪失した。
   僕達の新しい世界は…始まるのか?

早く月が満ち、山口が全ての記憶を取り戻して欲しいと強く願う一方で、
満月が完成してしまうと、僕の世界は終わってしまいそうな恐怖感もある。

   戻りたいけど…戻りたくない。
   恋しい月が…怖くて堪らない。

この状況は、まさに…あの『お姫様』によく似ているじゃないか。
山口が言った通り、僕は…


「辛そうな顔で月を眺めて…まるで『かぐや姫』みてぇだな。」
「っっっ!?ぼっ、僕は、かぐや姫が…大嫌いなんですけどっ!」

植栽の影から音もなく現れたのは、旧校舎をねぐらにする野良猫…ではなく、
野良猫達を束ね、この場所を提供してくれた猫の王・黒尾だった。

驚きのあまり声が裏返った月島の横に、ふわりと腰を下ろして伸びをすると、
黒尾も月を眺めながら、全く力みのない穏やかな声を出した。

「『読み物』としての竹取物語は、ツッコミ所満載で…物凄ぇ面白ぇよな?
   特に『誰が』『何のために』この物語を描いたのかって考察…最高だった。」
「『だった。』って、まさか黒尾さん…竹取物語の著者に、心当たりがっ!?」


竹取物語は、源氏物語に『物語の出で来はじめの祖(おや)』と書かれている、
日本最古の物語…フィクションだが、その作者も成立年も未詳のままである。

かぐや姫や、彼女を育てた竹取の翁、そして彼女に求婚した5人の男達…
その『モデル』に関しては、古来より様々な研究がなされてきた。
研究は当然、『誰が何のためにこの物語を創作したのか?』という点にも及び、
むしろこの点が、謎だらけの物語の中でも、『最大の謎』かもしれないのだ。

「俺は日本文学史の研究者でもねぇし、そんなに歴史に詳しいわけでもない。
   だから、最低限の知識と…単純な消去法で、勝手に予想してるだけだがな。」
「消去法って…まるでミステリの『犯人探し』じゃないですか。」

そんな『遊び半分』で考察するなんて、真面目な研究者達に激怒されそうだが…
黒尾が導き出したという犯人(作者)について、月島は好奇心を掻き立てられた。
詳しい話を聞かせて下さい!と、内緒話をするように小声で懇願する月島に、
黒尾は「いきなり答えを聞くのか?」とニヤリ…ヒントだけを提示した。


「5人の求婚者達のモデルは、既に実在の人物とほぼ同定されている。」

この求婚者達の正体と、彼らに対するかぐや姫の対応…作者の『仕打ち』から、
当時の政権を握っていた権力者達への、強烈なアンチテーゼだと推察できる。

「政権批判のために書かれた…いわば風刺物語ということですよね。
   だとしたら、作者は彼らに一矢報いたいと思っていた…『まつろわぬ者』?」
「この時代に名を馳せていた有力豪族達の内、唯一モデル『外』の氏族がいる。
   そしてこの氏族出身者の中には、『竹取物語』を書くだけの力を持つ者も…」

頂点を取った奴への恨み…動機もあり、実行できる機会や能力…教養もある。
源氏物語の作者をして『はじめの祖』と言わしめる、然るべき人物…容疑者は、
文学や歴史にさほど詳しくなくとも、おおよその見当はつくかもしれない。

ミステリ的手法で竹取物語を読み解くことなど、月島は考えたこともなかった。
正式な文学・歴史研究とはとても言えない『お戯れ』だろうが、
知的遊戯…いや、月見酒の『肴』として愉しむ談義レベルならば、十分面白い。

黒尾から出されたヒントを元に、容疑者候補を徒に思い浮かべていると、
植栽の向こうから、また別の音…耳慣れた声が聞こえてきた。

「俺が一番気になっている『竹取物語の謎』は…
   作者じゃなくて、『かぐや姫』の目的の方なんですよね。」


黒尾さん、今日もお疲れさまです!と元気よく頭を下げた山口は、
持っていた2本のペットボトルのお茶のうち、1本を黒尾に手渡した。
残る1本のキャップを開けて月島に…一口飲んで月島はそれを山口に返し、
山口も同じ量だけ口にしてキャップを閉め、月島の隣にちょこんと座った。

記憶はなくとも、何の躊躇いもなく『半分こ』を当然とする、仲良し幼馴染達…
昨夜『聞いていた』ことを思い出しかけた黒尾は、目を逸らしてお茶を飲み、
山口の言っていた『謎』について、確認するように問い掛けた。

「かぐや姫の目的…つまり、『何のために地球へ来たのか?』ってことだな。」
「天上界…月の国(都)のお姫様だったかぐや姫は、
   『月の都で犯した罪を償うため』に、不浄の地たる地球へやって来た…」
「つまり、流刑…死刑に次ぐ重い刑罰として、地球に『島流し』されたんです。
   俺の疑問は、『かぐや姫はどんな罪を犯したのか?』という点です。」

   かぐや姫が犯したという、罪と…罰。
   俺は、どうしても…それを知りたい。

月明りのように澄み切った山口の視線に射貫かれ、月島は動きを止めた。
息を飲んで固まる月島を、じっと見つめ続ける山口。
二人のただならぬ雰囲気を敏感に感じ取った黒尾は、敢えて間に入ろうとし…
だが、黒尾が声を掛けるより先に、植栽からまた別の声が響いてきた。


「方々から求愛されまくる、モテモテな『月』の子…」

求婚者達を手酷く袖にし続けたのに、『美女性善説』で赦されたかぐや姫と、
『イケメン無罪』の月島君が似ている…そういう話ですよね?

月光に照らされた妖艶な微笑みと共に、強烈な毒を吐きながら登場した…赤葦。
3人が唖然とする中、赤葦は誰とも視線を合わせずに、月を眺めて呟いた。

「不細工は論外。馬鹿も成金も嫌だし、良い人なだけでも駄目…」

自分は選り好みし続け、誰かが王子様の所へ導いてくれるのを待っているだけ…
生まれた時の『姿』だけじゃなくて、その『内面』も似ているお姫様が居ます。
邦題がそのものずばり『新竹取物語』…


「月島君が『かぐや姫』だというなら、俺はこちら…『親指姫』でしょうね。」





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世界中の様々な物語や伝説には、共通するテーマ…『主題』がある。
不思議な力で富を得る致福譚、人外のモノとの結婚する異類婚姻譚、
求婚にまつわる(難題)求婚譚に、本当は尊い身分の人が旅に出る貴種流離譚。
元居た場所へと還る羽衣(昇天)譚や、何かの由来を伝える語源譚。
そして、植物や体の一部等から生まれる異形出生の人…小さ子(ちいさご)譚。

こうした『説話類型』は、文化や国が違ってもある程度共通している点で、
人間の本質は大して変わらないという、一定の証拠にもなるだろう。


「かぐや姫と親指姫は、共に小さ子譚…一寸法師とか桃太郎と同じ類型だね。」
「『一寸』は元々、親指の幅の長さ…親指姫は『一寸姫』ってことになるな。」
「『小さなお姫様』の、結婚にまつわるお話だったから、
   親指姫は『新竹取物語』っていうタイトルに翻訳されたんですね。」

子どものなかったおじいさんおばあさん等が、神仏や魔女に祈って授かったり、
その小さ子は特殊な能力を有していて、大事業を成し遂げたり、
はたまた幸せな結婚をして、偉大な氏族の祖となったり…というのが、
『小さ子譚』の説話類型に共通するモチーフである。


「でもさ、竹取物語って…竹取の翁からすると致福譚だし、
   かぐや姫は宇宙人だから、異類婚姻譚かつ貴種流離譚かつ羽衣譚でもある…」
「それに、求婚者達がフラれた話のオチは、語源譚になってたはずだ。
   さすがは『物語の祖』…オイシイとこ総取りじゃねぇか。」

イケメンで生まれながらのお金持ちで、更には勉強も運動もデキる優しい人…
スペック盛り過ぎな主人公に、あらゆるネタをヤらせる『とんでも話』を、
一つの『物語』としてきちんと帰結させているというのが、
竹取物語の非常に特異な点…作者のずば抜けた構想・創作能力を表している。
さぞや紫式部も、そんな作者の『類稀な才能』に嫉妬したことだろう。

「竹取物語の異質性は、その『何でもアリ』な所だけじゃありません。
   むしろ、物語にはあるべきものが『ないこと』の方が…大問題です。」


一寸法師と桃太郎は『鬼退治』、瓜子姫と親指姫は『結婚』という大事業…
小さく生まれた『人外の存在』でも、彼らは一様に『何か』を成している。

「では、かぐや姫がしたことは何か?
   それが、月島君が『かぐや姫』を忌み嫌う理由…そうですよね?」

予想外の言葉に、山口と黒尾は絶句…
月光の如く髪を輝かせながら、月島は故郷を見上げ、言葉を吐き捨てた。

「数ある物語の中で、唯一かぐや姫だけは…『何もしなかった』んだ。」


月の都で犯した罪により、地上へ流されたかぐや姫。
贖罪のために地上へ来たはずなのに、求婚者達に無理難題を押し付けて、
彼らを不幸のどん底に突き落としただけでなく、結局最後は月へ還ってしまい、
大事に育てたおじいさんとおばあさん、果ては時の帝までも悲しませてしまう。

「選り好みし続けた親指姫ですら、最後は王子様と結婚したというのに、
   かぐや姫は、それすらしなかった…何でもアリな物語で、何もしなかった。」

比較的裕福な家に生まれ、温かい家族に見守られながら大事に育てられ、
贔屓目に抜きにしても才色兼備文武両道で、素直で可愛い幼馴染兼恋人も居る。
多少へそ曲がりな所すら、『ご愛嬌』とみなされる、超絶恵まれた存在…
そんな人物とかぐや姫が被って見えてしまうのも、無理はありません。

「おい…誰だその腹立つ奴は。」
「若干…イラっとしますよね。」
「あ、それ…自分で言っちゃうんだ。」

黒尾・赤葦・山口の3人は、『愛嬌溢れるかぐや姫(自称)』の自嘲に唖然…
だがお姫様はそんな下々の視線には気付かないまま、言葉を続けた。


「竹取物語には、かぐや姫が犯した罪についての記述は…ありません。」

ただ、その罪の内容については、おおよそ想像することは可能です。
かぐや姫を擁護する気は更々ありませんけど、彼女が地上でやらかしたこと…
『求婚を断り続けること』こそが、罪に対する罰だという見方もできるんです。

「求婚を断り続ける…つまり、かぐや姫は誰とも結ばれてはいけなかった?」
「『恋愛不成就』が罰だというなら、犯した罪は…恋愛に関するモノだな。」
「例えば、禁忌の恋…それも、死刑に次ぐ重罪を言い渡されるような…?」

山口の例えに、月島は頭を横に振った。
「その説も勿論あり得るし…それも罪の『一部』だったかもしれない。」

でも、もっと可能性が高いのは、恋愛…結婚『しなかった』方じゃないかな。
かぐや姫は月の都でも、地球と同じようなことをして、相手を激怒させた…
然るべき人物からの求婚に従わなかったことで、流刑を言い渡されたとしたら?

「求婚を受け入れるのが当然で…」
「流刑を言い渡せる程の超大物…」
「月の都の帝…王子様とかっ!?」


人間のココロ…『情』を理解しないと言われる、月の都の住人達。
感情などという不浄で理不尽なモノに一喜一憂する、下賤な地上の民。
そんな汚らわしい地上に、重い罰として『島流し』されてしまったことで、
かぐや姫は徐々に人のココロを理解し、『愛』という気持ちを覚えていった。

大事に育ててくれた年老いたおじいさん達を、置いて行かざるを得ず、
最終的に心を通わせた帝とも、結ばれることも叶わず、
更には運命にも抗うこともせず、ただ泣き暮れて…月に還っていくのだ。

「フラれた苦しみ…恋愛が叶わない苦しみを与えることこそが、姫に対する罰。
   そのために、わざわざ『情』を覚えさせるべく、地上へ流したんだろうね。」


やっと愛を知り、大切なものが何かを知ったのに…それを手に入れられない。
その上、浄罪は済んだと一方的に罪を赦され、月へと強制帰還させられる…

「ようやく贖罪の地で、自分の『世界』を構築しつつあったのに、
   それすら認められず、かぐや姫は『世界』を奪われてしまうんだ。」

月へ戻るには、穢れを祓い宙を舞うために、『羽衣』を纏わなければならない。
だがこの羽衣を着てしまうと、かぐや姫は地上での出来事を全て忘れてしまう…

「かぐや姫の贖罪は、何もしないまま…『記憶喪失』で終わるんだ。」

せっかく覚えた愛という感情も、ココロを通わせた人達との想い出も、
何もかも忘れ…『世界』を喪失してしまうのが、かぐや姫に与えられた罰だ。


「ちょっと待って下さい。もし俺が月の王子様だったとしたら、
   かぐや姫を記憶喪失なんかにさせず、ずっと罪の意識で苦しめ続けます。」

自分が犯した罪も、それに対する罰も全て忘れてしまうことが、
果たして本当に『贖罪』と言えるのか…俺には納得できません。
月の住人はほぼ不老不死…永遠に『叶わない苦しみ』を与え続ける方が、
余程『罰』や『贖罪』には相応しいように、俺には思われるんですけどね。

情け容赦ない赤葦の言葉に、3人はゾクリと戦慄を覚えたが、
過激な言葉の裏に赤葦の本心…悲痛な想いを見た黒尾は、静かに言葉を継いだ。

「罪を忘れても、流してしまえば『禊(みそぎ)』や『祓(はらえ)』は終わる…
   晦日の『大祓』等の、日本古来からの『流す』思想と同じだろうな。」

だからと言って、全部水に流して忘れてしまっていいとは、俺も思わない。
たとえ罪を消してしまえたとしても、贖罪の過程で得たものまで喪失するのは、
さすがにやり過ぎ…罪に対する罰が重すぎやしないだろうか。

「忘れられるぐらいなら、恨まれても嫌われても、覚えておいて欲しい…
   『記憶喪失』ほど辛く過酷な罰は、ないかもしれねぇよな。」


しん…と、月光が沈黙と共に降り注ぐ。
月島はそこから逃れるようにタオルを被り、顔を隠して地面にぽつりと零した。

「だから僕は、『かぐや姫』にだけは…絶対になりたくなかったんです。」

とは言え、この状況は間違いなく、僕が犯した罪に対する罰…
僕が『かぐや姫』であることは、紛れもない事実です。

「ようやく大切なことを知ったのに、『何もできなかった』僕のことを、
   黒尾さんと赤葦さんのお二人は、断罪しに来た…そうなんでしょう?」

合宿中で多忙なお二人が、わざわざこんなとこまでやって来るなんて…
コッソリ二人で『内緒話』をしに来たというわけじゃないでしょうし、
まさか僕達と一緒に、グダグダと『お姫様談義』をするためでもないですよね。
腹黒主将と狡猾参謀が揃ってお出ましだなんて、余程の理由があるはずですが、
さすがのお二人も、山口の記憶喪失をどうにかすることは不可能ですから…

僕も覚悟はできています。
生意気で可愛げのない僕を、さっさとその猛毒で口撃…お説教して下さいよ。
あの月が満ちたら、どうせ『僕の世界』は壊れてしまうんですから、
いっそ一思いに、超絶お節介で完膚なきまで打ち砕いて下さい…って、痛っ!!

「超絶お節介で…悪かったな!」
「本当に…可愛くないですね!」

言いたい放題だった月島に、黒尾は拳骨を喰らわせて黙らせた。
そして赤葦は、逃げることを許さないとばかりに、タオルを奪い月光に晒した。


「俺らは宇宙人…月の住人じゃねぇし、刑を執行しに来たわけでもねぇよ。」
「無罪放免とはいきませんが…別の意味で『世界』を壊して差し上げます。」




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それは甘い20題 『09.内緒話』

お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。


2017/11/22   

 

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