奥嫉窺測(5) ~月王子息③
『月島蛍』は、どういう人間だった?
どんな人格でどんな考えを持ち、どんな仮面を被って世界と対峙し、
どんな人とどういった関係を築き、感情を抱いていたのか。
僕はそれを…忘れてしまいそうだ。
「今日もご指導、ありがとうございました。お先に失礼します…」
合同練習後の自主練…いつものメンツで限界間際まで汗を流しきると、
いつも通り片付けは手伝わないまま、月島は一同に深々と一礼し、場を辞した。
「お、おう…お疲れさん。」
「お、おやすみ…なさい。」
ご丁寧な謝辞に、思わず黒尾と赤葦もペコリと頭を下げ返してしまった。
木兎とリエーフに至っては、何が起こったかも理解できず、口を開けてポカン…
同じ烏野の日向だけが、「腹減った~」と叫びながらタオルを振り回していた。
「おっ、おいおいおいっ!!ヒナタ!あれは一体…誰だよっ!!?」
「月島って、あんな奴だった!?なんかもっと、こう…ブワッとした闇が…」
『呆然』すら長続きしない木兎とリエーフは、日向を捕まえて騒ぎ始めた。
結局3人は居ても何もしない…いつも通り黒尾と赤葦だけがお片付けをしつつ、
日向の言葉に全神経を集中させ、聞き耳を立てていた。
「あーあれ、超ビビるし、凄ぇ調子狂うよな~!『記憶喪失』だったんだよ。」
「きおくそうしつ…『ココハダレ?ワタシハドコ?』ってやつだっけ?」
「何かソレ違うような…ま、いいか。アイツ、俺らのこと…忘れちゃったの?」
悲しそうに肩を落とすリエーフに、日向は「違うって!」と笑った。
「記憶なくなってたのは、月島じゃなくて相棒…山口の方なんだよ。」
まぁ何と言うか、ちょっとした…事故?それでアタマをガン!ってヤって、
スポーン!とヌけちゃった…でも山口自身は『いつも通り』なんだよな~
「日向。言ってる意味がわからない。」
「もうちょい、意味ある説明を頼む。」
黙って聞いていたが、全く要領を得ない日向の話に、
黒尾と赤葦の忍耐も長続きせず(待ってたら埒が明かない)、口を挟んだ。
「記憶喪失になったのは、月島君ではなく山口君の方…それは間違いないね?」
「山口は喪失『前』と『後』でさほど人格変化なし…むしろ相棒が激変、と。」
日向はそうそう!多分そう!とコクコク頷き、黒尾と赤葦は眉間に皺を寄せた。
もう日向には用はない…そのぐらいの勢いで、二人は真剣に考察を始めた。
「人格…その多くは、対人関係における姿、即ち『外面』で判断されます。」
「外から見える姿がその人の『内面』…性格とイコールだと思われるんだ。」
本当は、その人がどんな性格…『内面』を持っているか、外からはわからない。
だが、どんな人にどんな態度で接し、どんな事にどんな反応を見せるか…
外からわかる『外面』で、その人が社会的にどんな『人格』かを判別している。
「月島君の『人格』の基礎…対人関係の大部分は、山口君に対するものです。」
「『対山口』と『それ以外』…乱暴に言えば、その『外面』しかないんだな。」
家族とどんな日常生活を送っているか?という極めて『内面』に近い部分は、
学校や部活だけの繋がりでは…家庭事情を話す程の仲でなければ、知りえない。
特に月島は、幼馴染の山口以外に親しい友人は存在しないし、
自分を晒すようなことも絶対にしない…『内面』に触れるのが非常に難しい。
記憶を失うと、対人関係に関する情報つまり『外面』も全て失ってしまうため、
本来なら記憶を喪失した山口自身は、相当な苦労と葛藤を強いられるはずだが…
特殊な教育だか強靭な精神力だかで、山口はアッサリそれを乗り越えた。
問題は、そんな山口と超閉鎖的な幼馴染だった、月島の方だ。
対人関係の『中核』だった山口が、自分との記憶を失ってしまったことで、
ようやく『自分』と『山口』が違う人間だと認識…山口も『外』だと理解した。
それと同時に、山口に対し自分が今までどういう『外面』を見せていたのか?
今後『新しい山口』に、どう接していけばいいのか…わからくなったのだろう。
「月島君にとって、これは…社会との断絶を意味するでしょうね。」
「『山口』って大枠を失った…『世界』が崩壊したのと同義だな。」
『対山口』という『外面』を失ってしまった月島を、更に外から見ると、
『月島』を構成する大部分…『人格』が激変したように感じてしまうだろう。
それこそ、「月島が記憶喪失になったのではないか?」と錯覚してしまう程…
「記憶を失った本人よりも、周りの人間の方が苦しむ…」
「思った以上に事態は深刻…アイツらのことが心配だ。」
まるで自分のことのように、心の底から苦悶する…世話焼き組。
その二人に、忘れかけていた『外』からツッコミが飛び込んで来た。
「心配なのは…お前らの方だよっ!イミフメーなことをブツブツ…キモイわ!」
「二人が何言ってんのか…サッパリわかんないッス。アタマ大丈夫ですか?」
「もうちょっと、地球人にもわかる説明を…お願いシャ~ス!!」
もう慣れた。慣れたんだが…
真面目に考察してるはずのコッチが、意味不明語を喋る異星人扱い…ならマシ。
ド変態共め!と言わんばかりの目で、蔑むどころか心配される始末だ。
とても納得できないが、ここではコッチの方が少数派…圧倒的不利な状況だ。
黒尾と赤葦はそれぞれ深~~いため息…『木兎世界』の標準語に翻訳した。
「スポーン!とヌけちゃった山口君…さすがの月島君も、心配してるんです。」
「いつも通りキツく当たれねぇ…病人を大事にするのと、まぁ似た感じだな。」
ケガ人や風邪ひきさんには、誰だって優しくするでしょう?
「ウルサイ、山口。」とは言えない…看病中の『優しい月島君』が、アレです。
それが俺達からも見えてるから、「誰だよお前っ!?」と思ってしまった…
記憶喪失って、結構な重病だろ?山口以外の『周り』に気を使う余裕はない。
とにかく必死に、山口の『お世話』を一生懸命頑張ってる状態なんだ。
それが、俺達には『キャラ崩壊』…別人になったように感じるんだろうな。
「『月島君』から、『山口君』と『イヤミな毒舌』を引いて…」
「そこに『優しい』と『気が利く』を足してみると…どうだ?」
「おい、ヤベェぞ…『イケメン』しか残らなくねぇかっ!?」
「最近の月島が、超モテまくりなのは…そういうコトだったのかっ!!」
「いやもう、そんなの…これっぽっちも『月島』じゃねぇし!」
事態の深刻さをようやく(やや別次元で)理解した3人は、
『ただのイケメン月島』許すまじ!と、月島殲滅計画を立てる…かと思いきや、
「どうやったらカッコイイ看病ができるか?」にシフトチェンジしてしまった。
あーはいはい、好きになさい。もう閉めますから…皆さん出て下さい。
赤葦は全員を体育館から追い立てると、黒尾の背に向かって小声で囁いた。
「二人が本当に…心配ですね。」
「あぁ…ちょっと様子見るか。」
黒尾も虚空に向かって小さく呟き、体育館裏へ歩き出した。
そこから数歩離れて、赤葦も前を歩く黒尾と同じペースで闇へ踏み出した。
「だーかーらーっ!心配なのは…お前らの方だっつーの。」
「ここんとこ、全然『フツーの会話』をしない…避けまくってますよね?」
「今日も、一回も目を合わせなかった…あの二人、ケンカしたんですか?」
自分達には『いつも通り』なのに、お互いに対する態度が…最近ちょっと違う。
世間話的な『フツーの会話』もないし、二人で『業務会議』もサボってる。
宇宙人的な『目配せだけで通じ合う(テレパシー?)』もない…
「アイツらから『めんどくせぇコーサツ』と『うるさいオコゴト』引いて、
『超お節介1号&2号』と、『不機嫌な悶々』を足してみたら…」
「ほとんど喋ってない…『シカト』しまくり、なのに…意識しまくりじゃん!」
「意識しまくりのダンマリって…ただの『ムッツリ』ってコト??」
木兎のオミチビキにより、リエーフと日向が出した(閃いた)コタエに、
木兎は「さすがは俺の愛弟子達!」と、満足そうに頷いた。
「要するに、アイツらは『ムッツリ』…ド変態1号&2号なだけだ!
人の心配してるヒマがあったら、テメェらの世話を焼けっての。」
あ、もしかして別の何かをヤいてたりして…ま、そりゃどうでもいいか!
そんなことよりも…と、木兎は真面目な表情で日向に向き直った。
ホント、自分のことしか見えてねぇ…周りに気が回ってねぇんだから。
人の話もぜ~んぜん聞いてねぇ…なぁ、山口はもう大丈夫なんだろ!?
「日向、さっき言ってたもんな。山口は記憶喪失『だった』…って。」
「つまり、月島のこと以外は、もう思い出したってことだろ?」
木兎とリエーフの確認に、日向は元気よく「そうなんだよ!」と笑った。
「何か、寝て起きたら…ちょっとずつ思い出してきたんだって!」
どーでもいいことから順番に…3日前に俺ら烏野排球部のことを思い出して、
昨日の朝に月島んちのこと、今朝は自分の家族のことがわかったって。
「あと一人だけ…もうすぐだよ~」って言ってたからな!
ココに来る間、「山口がどの順番でバレー部メンツを思い出したか!?」で、
『山口にとって大事な奴ランキング』大会…俺は影山と同じ1位だったんだ♪
「思い出すことが『いっぱい』な奴ほど、時間がかかる…それだけの話!」
「な~んだ、それなら全然…心配いらないじゃん。よかったな~♪」
嬉しそうにハイタッチする日向とリエーフを、木兎は後ろからハグし、
な?俺の言った通り…全然心配いらねぇんだってば!と、得意気に笑った。
「『最後の一人』だって…1回寝りゃ思い出すってコトだからな!!」
嫌なコトは、寝て忘れちまおうっ!
寝て起きたら、イイコト思い出す!
1回寝りゃぁ、ぜ~んぶスッキリ!
「こういうの、ムズカシイ言葉であったよな?ヤッホーは寝て言え、的な…」
「寝て…ヒャッホ~を待つ、じゃなかったっけ?」
「あ、わかった!『寝たらヒャッホ~♪待ったナシ!』だよっ!!」
凄ぇ…俺ら、天才じゃねぇ!?
絶対アイツらより早く、シンソーキューメイ…シンリを悟っちまったよな~
「悩むより寝ろ…これが真実だ。」
「木兎さん…超カッコイイっ!!」
「俺…一生ついて行きますっ!!」
誰よりも早く事件を解決してしまった、自称天才の3人組は、
薄暗くなった空に昇った月に向かって、『ヒャッホ~♪』と雄叫びを上げた。
********************
「こんな所で寝たら…風邪引くよ?」
山口を探して歩いていると、体育館裏の古い校舎の、植込みの中…
音駒での合宿時、二人で何度か過ごした『秘密の場所』で、山口は寝ていた。
音を立てないように山口の傍に座り、手に持っていたジャージをお腹に掛ける。
前髪に付いた落ち葉を取り、おでこを出しても…全く起きる気配がない。
記憶を失ってからの山口は、よく寝るようになった。
元から朝ギリギリまで、しぶとく布団と一体化しているタイプだったけど、
そういうのとは全く違う睡眠…カラダじゃなくてアタマが欲するモノだ。
人は寝ている間に、その日に見聞きした事柄を整理・判別し、
長期的に記憶すべきモノかどうかを、決めている…記憶は睡眠中に行われる。
記憶喪失…一度『真っ白』に初期化されてしまった、山口のエピソード記憶。
ここ数日で、周りの人と『新しい』人間関係というエピソードを上書きし続け、
山口の脳は相当な過重労働を強いられている状態…疲れて当然だろう。
晩御飯を食べ終わると(下手すると食べている最中から)コクリコクリ…
睡眠というよりも、昏睡に近いぐらいの深い眠りに落ちていく。
このまま目を覚まさないんじゃないか?と、不安に感じてしまうぐらい…
一晩中傍で見ていても全く気付かず、朝まで昏々と眠り続けるのだ。
そして目が覚めると、どこも見ていないような、ずっと遠くを見ているような…
カーテンから漏れる朝の光と一体化したような、虚ろな表情で座っている。
そのあまりに神々しく澄み切った瞳に、僕はいつもある錯覚に陥ってしまう。
(山口が…溶けてしまいそう…)
朝の光に照らされて、山口の記憶がまた消えてしまうんじゃないか?
山口の中に、ほんのわずかに残っている『月島蛍』という存在が…
山口の『世界』から、『僕』が消えてしまいそうな恐怖に捕らわれるのだ。
だから僕は、山口がちゃんと目覚めて、「おはよう~」と言ってくれるまで、
隣で眠った振りを続け…布団の中で恐怖に震えていた。
(朝が…朝の光が、怖い。)
この恐怖から逃れるべく、数日前から山口とは別…兄の部屋で寝起きしている。
同じ家に居て、別の部屋で寝起きすることなど、出会ってこの方…初めてだ。
(山口の寝顔…久しぶり、だな。)
朝の光もなく、校舎で月の光もほとんど届かないこの場所なら…少し安心だ。
僕が消えそうな恐怖は、山口が記憶を徐々に取り戻し始めてから、強くなった。
『真っ白』な脳内の端っこから、少しずつ色を染めていくように、
記憶を取り戻し、新たに上書き…白い部分をいろんな色で埋めていく。
それが嬉しいのは間違いないけど、それ以上に、怖くて堪らなくなった。
徐々に色に染まる、山口の中。
あとどのくらい、残っている?
排球部の皆。月島家。今朝は遂に、山口家のことも全部思い出した。
あとは僕のことだけ…
僕の色を塗るスペースは…?
山口の中に、僕の居場所は…
僕のこと以外は、すっかり山口は元通りの生活を取り戻し、
全く困った様子もない…怖い程に『いつも通り』の山口に戻った。
『僕』という存在がなくなっても、山口の世界はちゃんと、存在し続けている。
(もしかして僕は、居なくても…)
上京する車中で、『山口の大事な奴ランキング』という馬鹿騒ぎがあった。
唯一思い出して貰えていない僕は、当然ランキング『圏外』扱いだ。
「それだけ山口にとって、『特別』ってことだよな~」というオチだったが、
僕は全く落ち着かなかった…思い出して貰えない『事実』の方が、遥かに重い。
僕が『特別』で、家族よりも誰よりも山口の中で多くの情報を占めているから、
その情報整理に時間がかかっている…理性では、そうわかっている。
でも、理性じゃどうにもならない部分で恐怖と焦りを感じてしまうのだ。
僕のこと…思い出してくれるよね?
信じて待ってても…いいんだよね?
そろり、そろり…山口の頬に触れる。
思っていたよりも冷たくて驚き、咄嗟に僕の体温を分けようとして…止めた。
今、山口の中に、僕は…居ない。
そんな僕が、前みたいに山口をこの腕に抱き締めて…いいわけない。
『そういう目』で見ていない人間に、いきなり抱き締められたら、怖いだけだ。
ただでさえ、傍に居るだけで何の役にも立たなかった僕に対して、
『良い印象』を持っているとは、とても思えない…きっと嫌われるだろう。
もしそんなことになれば、僕の『世界』は跡形もなく消え去ってしまう…
山口に嫌われるようなことだけは、絶対に避けなければいけないのだ。
わかっている。わかっているけど…
(山口に…もっと、触れたい…っ)
ダメだ!絶対に…ダメだ!!と、アタマでは絶叫し続けているのに、
カラダは頬に伸ばした手を引けず、逆に自分の顔を山口に近づけている…
(頬に、唇に…触れたい…っ)
自分のおでこに山口の前髪が触れ、穏やかな寝息が唇を掠める。
あと一息で、触れ合える…そこまで来てようやく、僕は動きを止めた。
(危なかった…ゴメンね、山口。)
全てを振り切るように身を離し、頬から手を離した…
その瞬間、掌をグっと握られた。
「キス…してくれないの?」
-
(6)へGO! -
**************************************************
※月島→山口のテーマソング
森山直太朗 『愛し君へ』
それは甘い20題 『08.寸止め』
お題は『確かに恋だった』様よりお借り致しました。
2017/11/15
NOVELS